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運を掴む根気強く感を働かせるこれが「運根感」とご教授頂いた。漢字を言われるまで、少々悩める言葉。漢字を聞いて「なる程!」と思った。「運」はラッキー!とは違う。運気を自分に向かせるためには最低限の知識や心得や配慮が必要である。運の女神はいつでも自分の目の前にいるのだから自分で掴まなければならない。誰れが掴んで自分に手渡ししてくれはしない。「根気」は好きでなくては続かない。諦めず隅々まで確認し、試行錯誤の繰り返し。それでも好きだから夢中になれる。しかし、やり方を、ちゃんと習い覚えないと続けても遠回りになり過ぎるので、勉強は必要不可欠。「感&勘」は長年の経験の成せる技。基本的なことはクリアして一つ一つ丁寧に順序立てて経験を重ねて反省を繰り返し、今後の傾向と対策を計算し、段取りが出来てくると「感&勘が働く」ようになる。簡単には手に入れられない、手に出来ない「運根感」である。この三番目の「感」は難しい。この「感」は五感を超える「六感」つまり、結局は「才能」である。誰にでも他人とは異なる「才能」があるのだが、ほとんどの場合、開花することなく終わることが多い。誰かが導いて開花するきっかけを与えてくれると良いのだが‥(難関)先ず、兎に角、その何かに、興味を抱くことが重要!自ら門をくぐり、橋を渡り、師匠たる人やそのモノを見つけること、そして、その師匠の真似、模倣をし、暗記してしまうこと、細かいことなど最初は必要ないのである。真似が出来てから、それから、改めてきちんと理論的に理解すること、そして、繰り返し、練習、練習、成果も上がっているのかどうかの確認もすること、そうするとそれは経験になり、継続することで「勘処」が向上する。感とは、ひらめきであり、それは才能かも知れない。「運根感」は「知情意」でもあると思った。「知る力」「豊かな感情」「意志決定」の三位一体。どちらにしろ、手にするのは極めて困難極まりない。精進!精進!という事である。
2011.02.28
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「漁師と海鳥」」夜明け真近の海岸にまだ、夕べの残りのかがり火が赤く燃えている。少し、暖をとる漁師の足元に傷ついた海鳥がバタバタしている。「そうか~やっと、此処までたどり着いたか…」「怪我してるでねえか…羽もボロボロだぁ~頭も突かれたか…血が出ておるなぁ~可哀想にひとりぼっちになってしまっただか…」 もう飛べない海鳥は、漁師の懐の中で震えている。「な~んも心配することない…おいらが治してやっからな…」海鳥は、安心したのか漁師の暖かい懐の中で眼を閉じた。「鳥よぉ~お前も長い旅して疲れたんだな…おいらも疲れて今はひとりぼっちだぁ‥生きていくのは辛いか?辛いよなぁ~お前も一杯やるか!朝までにはまだ少し寒かろう?」漁師はウイスキーの小瓶を出してクウーと呑む。身体が一瞬にして暖かくなる。海鳥もその体温を感じたのか、丸くなって漁師の懐奥へともぐり込む。漁師はウイスキーで暖かくなったのか?傷ついた海鳥の体温で暖かくなったのか?夜明けは、もうじき、「こいつの寝場所を作ってやんねばならないな…」 東の空から赤みを帯びて来た。
2011.02.27
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私たちの人生の多くは、仕事との関わりを通して、その一生が過ぎてゆく。仕事に励んで、成果を挙げ、日々、心を砕き、勤勉に働き、時間を大切に消費し、規則正しい生活を送る毎日の中に、幸福感や充実感の大部分が依拠している。ある人の曰く、働かざるは食うべからず。汗水垂らして必死に頑張り、現実の社会に関わる事で、自分が世の中から除け者にされず、むしろ、有用な者として求められ、貢献が期待され、それに応えて役割を果たして、世間に寄与することが人生の喜びである。それなのに、何故に君は働かないのか?毎日、のほほんと暮らしていて世間に恥ずかしくないのか?今は、高齢者でも働く。とにかく、働き者を見習うべきである。この問題になると、私は絶句してしまう。かなり前にも、「どうして、ちゃんと働かないの?皆んな辛くても働いているんだよ!」と言われたことがあった。「働く」は「はたが楽にはなるけど自分は楽にはならない。」こんな事を言う人は多分、「人」と言う字は、支え合っている。「商」は「飽きないから」とでも言いそうである(苦笑)意味も分らずに、いい加減に大事なことを自分勝手に正論めいたように言ってはならない。漢字には、ちゃんとした意味がある。お間違えのないようにして頂きたいものである。「働く→人が動くこと」「人と言う字は、ヒトが二本の足で立っているから」「仕事や労働」は、必ずしも賃金が発生するとは限らないのである。未就業の子供、家庭を守ってくれる主婦、不幸して身障者になった方、加えて、病気や老いに苦しむ弱い立場の人こそ、現実社会の欠陥と問題点を鋭敏に察知するのである。これから、社会に荒波に揉まれて巣立ってゆく人は、将来の仕事と労働のために基礎的な知識や能力を学習しなければならない。今の複雑で高度な社会では、それは一生涯学習という形をとることになる。私とて何もしていない訳ではない。多少の金子を頂くこともある。確かに、仕事仲間や朋輩と協力して地域貢献に役立つような労働はしてはいないのだろう。しかし、人は、誰かに何かに教えてもらわなければ、前には進めないのである。生活が苦しいと云って、コンビニのパンで一日を終える人、家を建てたいから、ローンを組んで夫婦で働き、子供を自分で育てられない人、馬車馬のごとく労働し、何一つ趣味も持たず、広い世の中も知らずに時を過ごしてしまう人、事業を拡張したいから借金をして周囲を裏切る人々‥複雑怪奇な経済社会の波間に揺られ、私たちは嫌でも高齢社会のなかで老いを迎え、死に臨むことになる。学びながら、精神社会を考えてゆかねばならない。人間は、無知と怠惰にうつつを抜かせば墓穴を掘ることになる。労働の根拠は、自己の生存の確率に向けて、対象支配の知恵を学習し、自己生存の中に自立性の痕跡を打ち立ててゆかざるを得なくなるという事に他ならず、仕事や労働にまつわる諸問題を己の非力さに耐えつつ解決するように精進することである。最終的には、人間は自らが作り出した運命を生きるよりほかにはないのであり、自分の理想とする事業と眼には見えない幻影としての理念に向けて仕事をし、労働する。報われないかも知れない。無念かも知れない。理不尽かも知れない。人間労苦の世界に生きる事は、愛の心に横溢して生き抜いてゆくことのうちに己の存在、生存の意義があるのである。「足るを知ること」は、かなり老いても知ることが出来ない。やはり、生涯、学習は必要である。多くを望まなければ、なんとか平穏に晩年は過ごせるものである。因に、教育プログラムを持っているのは、ほ乳類ではヒトとミーアキャットだけである。あとは、本能のままに完全体なのだろう。
2011.02.27
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2011.02.27
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「丁寧語 敬語 謙譲語」丁寧語は、その文字通り、丁寧な言葉遣い で相手を敬う言葉のことで、言葉の最後に 「です、ます」や言葉の最初に「お」や 「ご」を使用して話したり文章を書いたりする。よって「ございます」は最高敬体に なる。以前にも「敬語」をBlogにUPしたこ とがあるが、大凡この時期になると敬語の 事が気になって来るものである。それは、新生活への一歩が近い季節だからであろう。進級、進学、そして何より社会人 「新たなる旅立ち」の日が近づくと急に 「言葉遣い」の練習などしてみようかと思 う人達もいるのである。一概に、言葉遣い だけでその人の「良し悪し」は判断出来な いが、ちょっとしたところで「お里が知れ てしまう」のはなんとも残念な事である。 「そんな事、わざわざ言われなくても人前 に出ればちゃんと挨拶ぐらいは出来る!」 と思われるであろうが、丁寧語や敬語は使 い方が、ほぼ決まっているので、日頃から 使い慣れていないと直ぐさまには口から出 ては来ないものなのである。 簡単に下記の言葉の丁寧、尊敬、謙譲語を 脳裡に思い浮かべて下さい。意外に分らな いもので、すらすらと言えれば使い慣れて いらっしゃるのだろう。では、例にならっ て始めてみて下さい。 (普通) (丁寧語) ( 尊敬語) (謙譲語) 例:[する]→します→される.なさる→致しますでは、次の言葉を「普通、丁寧、尊敬、謙譲語にして下さい。思う→言う→聞く→ 知る→食べる→ 如何でしたでしょうか? 春はもうじき.. 言葉遣い」は、やはり美しく丁寧な方が 何かと安心であり、それは相手に対しての 「礼儀」に繋がるものである。○この記事は昨年のちょうど今頃でした。 言葉遣いや挨拶は、難しいのです。 マニュアル通りには、まいりません。 それは、相手が異なれば応対は変化するのです。
2011.02.26
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春の花咲く小径何度も来たことがある。嬉しい時、哀しい時、楽しい時、人生を考える時、何度もこの道を通り過ぎた。10年前、15 年前、20年前、25年前、30年前‥何度も歩いた道。時代はどんどん変わってゆく。街も人も変わってゆく。自分もそれなりに変わってゆく。毎年、小さな春の花々がこの道に咲く。今は、大きな駐車場になってしまったけれどそれでも、昔と変わらない花々が少しずつ飛び地しながら咲いている。私の心の中に咲いている春の花はいつか来た小径の花のように小さく一塊になって、大きな群落を成さない。誰かに踏まれても、それも恨むことも許されない。それでも、毎年春はやって来る。
2011.02.26
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(2008年の論述から)「発話することの能動性」 ことばの行為「ほめ殺し」に関して興味深い世界の会話の具体例。褒めちぎることで相手を不利な状況に陥れたり、相手の意欲を失わせることが「ほめ殺し」であり、社会的慣習により決まっていると言われるがそうではない世界もある。日本の伝統文化の茶道における茶会はこの社会的慣習とは少々異なる。いわゆる、茶会での発話、会話には決まり事があり、それに従って亭主と客人との間に会話が成り立つようにプログラムされている。茶会は、会話を許される客人は最初から決められおり、亭主と客の関係は、左程上下関係は無く、ほぼ同レベルである。そうした状況下で、お互いに誉め合いながら茶会は進行する。*客人「誠に結構なお服加減で美味しゅうございます」*亭主「不加減でございました」褒められたら謙遜して応対する。長年、この世界に身を置くと困る事が生じる。それは、褒めようの無い場合でも褒めなければいけない時である。*客人の心中(いったいどうしてこんなに優秀でセンスの良い 筈の先生がこんなにもお粗末な菓子や茶や花を選んでしまった のであろうか?しかも、ご本人は良いと思って気付いていない。)その場にいる会話を許された諸先生方は苦慮しながらも褒めなければならない。誉めている様で誉めてはいない言葉を会話に盛り込みながら、相手の出方を見る。美味しくないお茶が出された場合には*客人「大変に高価なお茶でございますゆえに私などにはとても難しく‥」*亭主答えて曰く「まぁ、そうおっしゃっていただけると私どもは 誠に嬉しゅうございますが、先生はもっと 御入手困難のお茶をお使い遊ばしますでしょう‥」こんな調子で、室礼全般を誉めたり謙遜したりが繰り返されるのが昨今の茶会である。表情は、双方共にあくまでもにこやかに柔らかい日溜まりのような空間を創り出す。社会規範も慣習も些か、逸脱しているように思う節もあるが、ある一定の水準に達した方々には、この嘘で固めたようなほめ殺しの世界観が心地良く感じるのが不思議なのである。皆、「ほめ殺し」と最初から知っている。解っていての「ほめ殺し」はことばという道具を上手に使いこなしていると言える。こうした熟練されたことばを流暢にさらりと言えるようになるまでには2~30年ぐらいは要するのである。*と、書いて教授に提出して 評価は、どうだったか? 大学教授には理解が出来なかったようである。 とは言え、大変に興味深く感じたことは その点数が答えている(笑) 無事、単位取得!
2011.02.26
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「とあるお屋敷にて‥」「母もしっかり後期高齢者で95歳になるから‥ 全部、処分しようかと思っているの」と、昔、ご指導頂いた先生の娘さんから連絡があった。娘と言っても私よりずっと年上であるが‥今も世田谷のお屋敷にお住まいなのだと思うと懐かしい気持ちがこみ上げてきた。 世の中には、本当にお金持ちが居てそれは多分、江戸時代から続く名家なのだろう。世が世なら私など口も聞けない、お目通りも叶わない方に縁合っていろいろな事をご教授頂いたと有り難く思っている。なんと言っても、一度は言ってみたいな言葉を、いとも簡単におっしゃるところが、やはり、ちゃんとした高い教養と美意識と品格をお持ちのお方である証拠とも云える。それが、そうしたところに21世紀になっても住まいしておられる由縁なのかも知れない。先生のお宅は、あまりに有名な「お家柄」なので名前は出せないが、以前に、何度かお屋敷に招かれた時は、その広さに、その作りに驚いた。古いけれど、上等な家具や調度品、西洋館と数寄屋造りの日本家屋が広い敷地に渾然一体となって美しい景観を成しており庭の広さは3000坪だとおっしゃっていた。総敷地面積は6000~7000坪のお屋敷。ある日のことを想い出す。先生は広縁から、庭を散策しようとしている私たちにこうおっしゃった。「ごめんなさいね。何の手入れもしていなくて、 雑木林のようでしょう(笑)転ばない様におゆき遊ばせ。」武蔵野の面影を残すお庭は小さな林を抜けると池もあり、まだ綺麗な紅葉が五~六枚浮かんでいる。如何にも「手入れしました」って感じはしない林の中。大小の飛び石には、掃き清められた後がちゃんと残っている。池に萎れた葉が落ちていないのは、毎日、池の水面をさらっているから‥庭の中程の東屋にはちゃんと、煙草盆も手炙りも置いてあり、火は入っている。庭から戻り、「香煎」を頂く。「揃いの茶碗も一つ二つと壊れたり、仕舞忘れたりしてしまうのよ。これは○○の数茶碗だから50組ぐらいは昔はあったと思うけれど‥今は使用人の数も少なくなったのでどこへ片付けたのやら‥」しばらく雑談をしていると、誰かが、お手洗いの場所を聞いた。廊下を右に出て、突き当たりを左に曲がり順路に沿って行く‥?(遠い~)言われた通りに歩いてゆくとお姫様とお殿様の絵が書いてある杉戸に前に出る。お姫様の方に行くと、洒落た小部屋から明かりから漏れている。お姫様用のお手洗いのドアが五つある。洗面台とお化粧治しの部屋は別である。まるで、目黒雅叙園や白金八芳園のようだと思った。今でもお手伝いさんや執事、運転手や庭師が毎日いるのだろうか?最近のお金持ちとは少々違う。このお屋敷の素晴らしいのは、空調管理である。冷暖房の器具が全くないと云うか見当たらないのに、夏は涼しく冬は暖かい。調度品は日本間には江戸時代ものが多く、西洋館の方には明治の名残がいっぱいで博物館や美術館のようである。全部、処分すると言っても、それは個人での相続が難しいから会社のものになるのだろう。そういえば、20年程前に、娘さんがおっしゃっていた。「冗談じゃないわ。こんな家、貰ったら、 どうやって税金を払うのよ。 私は普通のサラリーマンと結婚したのは、家を継ぎたくないからなのよ」今なら、よ~く理解出来るその言葉‥もっと、しっかりお稽古をすれば良かった‥ご連絡頂きまして有り難う存じます。私は、多くの方々に「美」ということを教えて頂いた。どの先生だったかはもう定かではないが「美」にはちゃんとした基準があることを知ったのも20代の後半だった。(これを書いた後に 先生は彼方の岸に旅立ってしまわれた。 お目文字叶わず、残念至極‥ 行動は迅速に‥慌てずゆっくりと丁寧に‥心を込めて‥ 先生から教えて頂いた事を忘れません。)
2011.02.25
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「人生のメッセージ9」◇紺屋の白袴◇医者の不養生◇髪結いの乱れ髪◇大工の掘っ立て小屋◇坊主の不信心 ↑こういう事にならないように生きて行かねばなりません。 しかし、得てしてこうなってしまいがちです。 ◇年々歳々、花相似たり 歳々年々、人同じからず◇言は行を顧み、行は言を顧む◇知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ考えや意見は、それぞれに違う。「あ~云えば、こう云う」「答は、人の数だけあり、その心もまた人の数だけある」「自由な心を持つ」自由に生きたい‥そう願っても「自由」だけは世界中旅しても決して手に入れることの出来ないものであり、見つけられないものであるが、「自由」は、その人の心と世界の心の中に共存している。心穏やかなる人生を歩んでいきたいものです。にほんブログ村
2011.02.25
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短編「電話の向こうで‥」「今、新幹線の中なんだ…」 「そう…これから何処に行くの?」「仕事で京都だよ」 「声はこんなに近いのに距離はだんだん遠くなるのね」「心は側にいるよ…逢いたいな… 夕べ、逢ったばかりなのに もう何日も経ってしまったみたいだね」 「あっ、電話切れた??」「………ごめん!トンネル………」 「あっ、また切れた???」「……ごめん!トンネル多いよ…新幹線は…」電話は、一度も切れてはいないトンネルの中に入ると「音」がなくなる。まるで、切れてしまったように思うが実際は、切れていない。二人の会話は続く。夕べ、逢って、夕べのうちに別れた。京都…昔二人で暮らした街…一緒に歩いた石塀の小径、木屋町のカフェ、花見小路でほろ酔いで春の雨が優しく降っていた。雨に濡れた桜の花びらが彼女の唇に舞い降りた天使のようで、それに軽くキスして彼は彼女の口びるに付いた花びらを食べた。京都の夏は暑い。祇園さんの頃になると二人で鱧を味わい川床に白い彼女の足が揺れている。妙に白い足が魚のようでくるりと水の中をくぐる様が彼はとても好きだった。「ええ、べべ着はって、お茶会どすか~?」「いいえ、 こちらの紅葉に逢いに来たんですの。」彼女は、秋の柔らかな陽射しの中で微笑んでそう云った三千院。「二人寄り添っている仏さまが可愛いわ~」 「僕たちみたいに仲がいいね」「そうぉ?」彼女は、そっと、彼の顔を覗き込んでくすっと笑った。お庭で一服頂いていると白い湯気が彼女の頬を隠した。「寒いわ~雪でも降るのかしら?」 「そうだね、雪空になってきた」黒い大きなストールを彼女の細い肩に掛けようとすると雪が静かに降ってきた。「雪だわぁ~寒い!」彼のふところに飛び込むように彼女は胸に顔を埋めた。「光悦寺は、北だからね… 雪ぐらい降るさ…河原町辺りは雪は降ってないよ」 「そうなの? じゃ雪化粧になるまで 此処に居ましょうか?」「風邪引くよ…」 「いいの…ねえ、少しだけ歩かない?」黒い大きなストールの上に雪が白く降りては彼女の体温で融けてゆく。紫色の着物がよく似合う。雪が降ると、辺りの景色も音もみんな無くなる。雪の神様がみんな消してしまうと云う。彼は、不安になった。このまま彼女が消えてしまうのではないかと…底冷えのする冬にならない内に二度目の春を迎えぬまま二人は別れた。「……電話、切れていないんだ!……」 「そうね、切れたのかと思ったわ…」「もうすぐ、名古屋だ。」 「今夜は京都に泊るの?」「うん、夜は接待だからね…」 「東京には何時帰ってくるの?」「何時って……帰れないよ…そのまま博多に戻らないと…」 「そうね、博多よね… 遠いわぁ~九州は……」分っているのに、そんな話をしてしまう。お互いに帰る家がある。「帰る家」など捨ててしまいたい気持を胸にしまい込んで、電話で話す。トンネルを抜けると景色が変わった…「もうすぐ京都だ。そろそろ電話切るよ。」 「そうね、もう2時間くらい話してるもの… 携帯充電しないといけないわ~」「うん、そうだね… じゃ、行って来るね。」 「行ってらっしゃい!? 気を付けてね… 帰りを待っているわ。」「そうだね、きっと帰るから…」電話が切れると急に二人の間が遠くなる。今度は、いつ逢えるのか…彼女は思った。 「おかえりなさいって云いたいのよ。」東京も夜の帳が降りると急に秋めいて肌寒い。喧噪な街のざわめきが孤独感をいっそう煽る。京都の華やいだ先斗町界隈も同じ想いにさせる。夜は、辛い。
2011.02.25
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「茶会に招かれて‥」今までに、どれくらい「茶会」に出向いたことだろう‥幼い頃から、「茶道」を嗜んでいる。今は、もうリタイヤ組なので、自分が点てることもあまりないが、お茶は抹茶も煎茶も共に長きにわたる趣味である。先日、とある「茶会」に招かれた。「お招きに‥」という立場ではないのだが、どうした事か「ゲスト」だった茶道は、お茶が出るまでの緊張感がなんとも佳い。部屋を室礼している時がなんとも佳い。念入りなお掃除や水を汲む音や花や軸、お菓子やお香など、静かにバタバタしている様子がなんとも佳い。お点前の順序など、左程に気になるものではないが、ひと時の「語らい」と「安らぎ」を互いに演出してゆくのが佳い。そうした互いの想いや皆の笑顔をゆっくりと味わえるようになるのは随分と時間が掛かる。当然、いろいろな知識も必要になってくる。どんな「道」でもそうであろうが、「師範」や「教授」になってからが、「始まり」である。小さな池、小さな庭、古い灯籠の奥に見える白梅、紅梅‥大福茶には「春蘭」をそっと花開かせて‥「お招き頂きまして有り難う存じます。」 「何んの風情もありませんが、 内々の内々で楽しみましょう。」皆様の歓迎を私は忘れませんわ。久々に本当に嬉しく楽しゅうございました。
2011.02.24
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「ネモフィラの丘」2010年の五月上旬「ひたち海浜公園」の写真です。どうぞ、「青の世界」をご覧下さい。青の世界
2011.02.24
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「そっと‥」ねえ‥聞いてる? あら?聞いていなかったの?何を見ているの? 何があるの?彼は、そっと私の肩を引き寄せた あったかい胸がそこにあった 彼は、そっと私の手を握りしめた 赤い血潮が流れている大きな手彼は、そっと私の髪を撫でた 聞いていないのは私の方だった 見ていないのは私の方だった彼は、いつもそっと私を抱きしめる そっと‥ 二人で 喧噪な世界を生きてゆきたい そっと‥ 二人で 同じ夢をみながら暮らしてゆきたい そっと‥
2011.02.24
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Veronicaは、聖女ベロニカのことで、ゴルゴタの丘へと向かうイエス・キリストへ布を差し出した女性のこと。ベロニカが差し出したコバルトブルーの布でキリストが顔や汗を拭くと、そこにキリストの顔が写し出されたということである。でも、ベロニカというこの名前は、vera icona(真の像)という言葉からつくり出され、聖顔布の伝承が人格化されたと云われている。こんなに素敵な逸話があると伝わっているにも関わらず、何故、「陰嚢 ふぐり」なのだろう?いくら、その実(果実)の様子がそれに似ているから‥とは云え、あまりにも不名誉な名前の原因である。而も、 別の名前は、検討されたのだが、どうして「瑠璃花」や「天人草」はその名の候補から落とされたのであろうか?不思議な事である。欧米では、この美しい花を 愛でて "bird Eye"または"Cat's Eye"と呼ぶ。「いぬふぐり 星のまたたく如くなり」高浜虚子はこう詠んでいる。さ-す-が!実は、私も最近まで知らなかったのだが、イヌフグリに良く似た花で「ネモフィラ」がある。図鑑で調べてみると、ハゼリソウ科ネモフィラ属で、”Nemophira”はギリシャ語で”森を愛する”との意味があり、漢名は「瑠璃唐草」とあった。なるほど、似て異なるものなのだ‥私は、ネモフィラとイヌフグリは同族だと思っていたが全く違うのだ。そう言えば、ネモフィラは桜の頃に咲くブルー一色の絨毯。少し様子が違うと言えば違うのだ。 イヌフグリは、その年の冬に差し掛かる頃(12月初旬)に、小さなブルーの花が、密やかに枯れ野に咲く。それから2ヶ月が過ぎて、今日は早春の陽射しを浴びて、その聖なる花びらをいっぱいに広げて咲いていた。どこからかふわりと水鳥の羽が風に躍る。天使の羽が舞い降りた感有り‥可愛い‥花‥ずっとホントの春を待っているんだ~可愛い!オオイヌノフグリ (大犬の陰嚢)ゴマノハグサ科クワガタソウ属花言葉/信頼 誠実 神聖 清浄 私の心を捧げる(やっと拾えた昨年2010年の今日の記事‥ あといくつの記事が修復出来るのだろう‥汗)
2011.02.23
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「人から好かれる女性の秘訣」(これは、2005年の講座記事からの抜粋です。 婚活を前向きになさっている方は是非ご覧下さい。)1、好かれる秘訣は笑顔です。笑い声ではなく、薄ら笑いでなく、愛らしい笑顔は、何より大事です。「女は愛嬌」と云う言葉がありますが、無表情やブスっとしているのは厳禁です。兎に角、にこやかに爽やかに明るくです。2、第一印象を好印象にするには、 女性らしい仕草がポイントです。女らしい仕草は、顔やスタイルとは別の事です。一つの仕草で可愛らしさや美しさがより一層引き立ちますので、自分に合った仕草を作りましょう。3、「褒める」ことの重要性相手を褒めるのは、例え、お世辞でも社交辞令でも褒められて嫌がる人はあまりおりませんので、常に頭に何パターンか作っておきます。しかし、あまり見え見えのバレバレは返って嫌がれますので、ご注意下さい。☆こんなことは「知っている」と思っていても なかなか実行出来ないものです。 前回、申し述べたことも同様で、まずは 実践してみましょう!
2011.02.23
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(これは、2005年の講座の記事から抜粋したものです)「好印象」を身に付けよう!一般的に、好印象を人様に感じて頂くには勿論、ご挨拶は当然の事ですが、その他に下記のような事があります。どれも、一つ一つは簡単ですが、これを全部、一度に使いこなすと印象度かなりUPです。 1、清潔感が漂う 2、優しい言葉遣いで、しかも丁寧 3、人の話をちゃんと聞いて、それに対して応対する 4、明るく、自然な笑顔を絶やさない 5、周りの誰に対しても、気遣いを忘れずに 6、その場に合った洋服のセンス 7、その場に合った話題作りと会話 8、自分の事ばかり話さない 9、タイミング良く褒める、しかし褒めすぎない 10、話を何度も聞き返さない 11、盛り上がっても礼儀は忘れずに 12、話している最中に目線を反らさない 13、調子に乗らない 14、席を立つ際には、さり気なく会釈と言葉 15、上品さを失わずに、失礼、無礼、非礼はしない 16、知ったかぶりをしない 17、優柔不断は禁物 18、慣れ慣れしくせず、ツンとせず 19、相手を喜ばせる、楽しませる 20、感謝、お礼の言葉も忘れずに (どれも当たり前の事です。思いやり!)
2011.02.23
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「最初の赤い縁」いつからの えにし‥なの?あなたは 多くの想い出と重なるわいつから 私はそう感じているの?あなたも私に えにし‥を感じることがある?時計の針が時を刻んでずいぶんと時間が過ぎた昔ね‥すごく好きな人がいたのその人にも深い強い「縁」を感じたわ今もその最初の赤い縁の人を忘れないわ心の奥の奥底にその人はずっと住んでいるわあなたと巡り会ってあなたに赤いえにしを感じているのだけれどその縁の行き先がわからないのその赤い縁はどこか似ているのかも‥最初に赤い色を教えてくれた人がずっと私の縁を引っ張ってくれているような気がしてならないあなたとは、どこでえにしが繋がっているのだろう‥なんの縁があると言うのだろう‥それでもやっぱり最初の赤い縁は、私の耳元に囁きかけるほら!独りではないのだよ‥と‥
2011.02.22
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「哀しい」一人は哀しい…朝も一人昼も一人夕方の一人は淋しい…夜になり一人は哀しい…哀しいのは何故?淋しいのは何故?たかが恋でもされど恋恋が今にも音をたてて崩れ落ちそうでそれを立て直す術がないと判った時、こんなにも哀しくなるすべてが終わってしまうようなすべてを失ってしまうようなそんな想いが私を哀しくさせる哀しい…また独ぼっちになるのは哀しい…哀しい…淋しい…そんな想いをしたくないから恋などしないと決めたのに恋は、ある日、そっと背後から忍び寄り、あっと言う間に奈落に落とされる。堕ちれば、もがけばもがく程に何かが絡まり、身動きが出来ない。そして、その絡んだ何かが、ほどけた時に待っていたのは、「別れ」だった。また、一人に戻るだけのこと…と言い聞かせても、なかなか元には戻れない。哀しい…淋しい…に占拠された心を引きずって秋を迎える。こんな時に「秋」は嫌だ…秋は葉が散る度に哀しくなる。それが、あまりに綺麗な紅葉だったがために散るのは淋しく哀しい。哀しい…哀しいボレロに包まれて抜け出せない己が心に縛られて哀しい秋風が吹き抜ける。哀しい…淋しい…哀しい…青空なんてバカヤロウだ…尚、哀しくなるじゃないか…哀しい…のだ。
2011.02.22
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「恋しい」手紙が来ない…メールが来ない…電話が来ない…あなたは来ない…逢いたい…逢いたい…声だけでも聞きたい…文字だけでも見たい…逢いたい…やっぱり逢いたい…恋してる…恋心は切ない…
2011.02.21
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「箱の中の森」「美ぃちゃんの…嫌ぁ~」 「ちょっとぐらいいいじゃない?」「いやぁ~美ぃちゃんの」 「箱の中を見せてよ?」「いやぁ~美ぃちゃんのだもん」 「大事なものが入ってるの?」「うん、すっごく大事…美ぃちゃんのだもん」 「どこに持って行くの」「教えない…美ぃちゃん行くの」 「じゃ、僕も付いて行こうかな?」「ダメ!美ぃちゃんがいなくなったら見るもん」 「そんな事しないよ。一緒に付いて行くだけだよ」「ダメ!箱の中、見たいと思っているもん」 「僕は見ないよ…絶対に!」「ウソ!美ぃちゃんの箱の中は皆んな欲しがるもん」 「大丈夫…僕は見ないから…一緒に行こう!」「いやぁ~美ぃちゃんは一人で行くもん」 「あぶないよ…この先は、森だよ」「知ってるよ…でも一人で行くもん」 「森は、すぐに暗くなっちゃうよ」「暗くなっても平気だもん」 「暗くなると恐いよ」「恐くないもん!箱の中に入るから…」 「えっ!…えっ…こんな小さな箱に?」「箱は、美ぃちゃんのだもん」 「箱に入っちゃうの?そんなの無理だよ」「美ぃちゃんの箱に美ぃちゃんは入れるもん」 「じゃ、僕も一緒に入ろうかな?」「いやぁ~誰もいれないし、誰にも見せないもん」 「僕たちは、仲良しじゃない」「仲良し全部は、ウソだもん」 「暗くなるよ…ねっ、一緒に帰ろうよ」「美ぃちゃん、もう行くもの」 「待ってよ!美ぃちゃん!待ってよ!…」美ぃちゃんは、風みたいにふわりと森の中に消えた。恐くなったのは僕の方だ。森はどんどん暗くなり、ギャーギャーと変な鳥の声がする。「美ぃちゃん!!美ぃちゃん~!」僕は、ふと思った。美ぃちゃんって、どこの子だったけ…僕は、ただあの子の箱の中が気になったんだ。どうしても中味が見たかっただけなんだ。森はどんどん暗くなる。僕は泣き出した。黒い影が頭上を通り過ぎる。「恐い~~よ!」森の大きな樹の上でフクロウの老夫婦が囁いた。「美ぃちゃんは、また箱から抜け出したみたいだね」「そうですね~ジイ様ふくろう… 箱の中味なんぞ、見たがるのは 人間ぐらいでしょ…ホーホーホー」「美ぃちゃんの箱は綺麗だからね…」 「人間から見ればですよ…ホーホーホー」「箱の中を知っているかい、バア様ふくろう」 「知っていますよ…ホーホーホー」「人間だけが欲しがるものが入ってるそうな…」 「そうですよ…人間が欲しがるものだけ」「美ぃちゃんも箱も中もホントは…」 「止めましょう~ジイ様ふくろう…私たちには 無用のものですよ…ホーホー」 朝になると、小さなキノコが生えていた。 キノコの側に男の子の靴が片方あった。
2011.02.21
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「虫」「虫酸が走る」「虫が好かない」虫酸が走るとは、人間のお腹の中に住んでいる魔界の虫のことで、その虫のせいで、胃から涌いて出てくる胃液の事。昔は「虫唾」と書き、不快極まりなく酸っぱく苦いものが溢れ出てくる様を云う。こんな思いは誰とて経験したくはない筈である。もう一つ「虫が好かない」と云う言葉がある。この虫も「虫の知らせ」の虫も同じく人間の第六感に関与しているようである。つまり、「虫が好かない」とは、本来は自分では意識していないのに、虫が相手を好かないと云う事になる。理由は、はっきりしていないが、何となく好きになれない。要するに、生理的に受付けない。何んのことはない。「大嫌い」なのである。何か特別に自分に対して、直接的に嫌な事をされた訳ではなく、定かでないままに嫌いなのである。不幸にも、そういう人が私には三人存在している。その方々には、誠に申し訳ないが、どうしてもその人達は駄目なのである。多分、その方々は、周囲には良い人なのかも知れない。だが、私はその人の前に立つ事も出来ない。もし、話などすれば、200%ぐらいの確立で意識を失い、泡を噴いて倒れてしまうだろう。ましてや「虫酸が走る」人も云うまでもない。生理的にダメなものは、どうしてもダメなのだ。「虫が好かない」「虫酸の走る」と私が思っている人の話題も駄目!不思議なもので、その方々を評価する人からもだんだん距離を置いて遠ざかる。理由は簡単である。その虫の好かない人に会う機会の確立が上がるからだ。誰でも言いようのない酷い不快感、身体の具合が悪くなることは回避したいと思って当然である。そう思うと、腹の中に最初から勝手に住むこの魔界の虫の存在は、それぞれの人の人生においてすごい存在となっているのである。よく考えると、正直虫なのかも知れない。これは、17~18年ぐらい前に書き留めたものだが風の噂でお一人は、すでにお亡くなりなったとか‥しかし、ちゃんと、新たに補充され、今もその人数は変わらない。にほんブログ村
2011.02.21
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「短編小説」契約の場所「ここは僕と君だけ二人の秘密の場所だよ。誰にも 教えはしない、君も誰にも話しては駄目だ!」 そう彼は言って、私を激しく抱いた。 愛されている‥私はこの人に愛されている! 私の身体は、そう反応した。「こんな世の中だから 僕たちは、いつ離ればなれになるかも知れない。 万が一、互いに連絡が取れなくなったら此処に たどり着いて欲しい。」「そうね‥もしそんな事が起きたら私はあなたを 此処でずっと待つわ‥愛している‥」「愛してる‥君は僕の永遠の恋人だ。そして此処は 二人の愛を誓った場所だ。」強く抱き合って長い口づけをして、二人はその秘密の場所を後にした。戦争は、悪くなるばかり‥所詮、「悪魔」との戦いに勝てる筈もないのだ。それから、どのくらいの時が経ったのだろう‥私は、暗い地下牢に閉じ込められ闇の世界に落とされた。世界は、「悪魔の広場」となり、よどんだ色の徒花が咲き乱れた。人々は操られ、うわべだけの「喜び仮面」をかぶって生活することを余儀なくされ、逆らったものは、暗闇の地下牢に閉じ込められ毎日、過酷な労働を強いられた。私が、地下牢から開放されたのは、悪魔の天下になってから地上時間で30年後のことだった。もはや、昔の同志もいない。狂おしいほどに、愛した人もいない。私は独りぼっちで薄汚れたアパートで、掃除婦の仕事をしながらそれでもなんとか静かな暮らしを手に入れた。そんな日々がしばらく続き、古びて壊れかけたメディアの中に、あの日、あの時、永遠を誓ったあの人が「ネオリーダー市長選挙」に立候補している姿を見た。私は、ずっと今でもあの人を愛していた。逢えなくなって、もう生きていないのかも知れないと思っていた人が、兎に角、生きていた。「良かった‥」と‥しかし、その喜びはたちまちに消え去った。あの人の後ろに立っている女は憎い「悪魔の勝利者」の愛娘‥にこやかにあの人の肩に手を置き、笑って立っている。あの女は、かつて「秘密の場所」を笑いながら粉々に破壊した女ではないか?あの時はまだ少女ではあったが、その破壊の力は、凄まじく同志も大勢殺された。それが、何故、私が愛した人と一緒に立っているのか?「驚愕!‥」私が地下牢で陵辱されている間に何があの人に起こったのだろう?何故に私を、そして同志を裏切ったのだろう?訳が解らなかった。馬鹿を見たのは私だけか‥?その夜、私は、懐かしき「秘密の場所」に行ってみることにした。もう、何も痕跡も残っていないと思う。青春の全て、善の全てだった、その場所は「英雄の丘」と記念碑が建てられていた。そこに刻まれた名前は、あの人の名前だった。「英雄‥か‥」あの人は国を売ったのか?同志を死に追いやったのか?私はあの人のなんだったのだろう?溢れる涙が、黒い土に吸い込まれてゆく。どんなに悔んでも、もう今更どうにもならない。あの時に、戦った私もその仲間も全部「疫病」のレッテルを焼き印されている。愛する人の裏切りを確信した私は絶望の淵に堕ちて行く音を聴いたように思った。泣き崩れ、黒い土の上で座り込んでいると足元から小さな声がした。「僕の上に乗らないでよ‥」「誰?」「此処だよ?僕は‥」「誰?どこに居るの?」「君の足元だよ。僕はフーケンっていう妖精。 小さいけど、毎年此処に芽を出すんだ~」私の膝の下にそっと芽を出している草の上に小さな妖精が居た。フーケンは、大地の妖精、智慧の聖‥そう聴いたことがある。「前に此処が春色の花で覆われていた時に君は 此処を素直な心で愛していてくれたでしょ? 僕は、純粋な気にしか反応しないだ~」「毎年、芽を出すって‥草木は政府が全部刈り取って しまうでしょう?それでも芽を出すことが あなたは出来るの?」「出来るよ!僕は頭も良いからね。それに強い味方も いるんだ。一番の仲良しは「ムンゲツ」二番目は 「クラマン」って言ってね、生物が生きる源泉 なんだよ。今度会わせてあげるよ。」「この英雄の丘は、今は政府のシンボル。 ここに名前が刻まれている人は昔、私の恋人 だったの。みんなを裏切って私の事も捨てたのよ。」「ふ~ん‥ 戦いが起きるとそんなヤツばかりになるんだよ。 善とか悪とか僕は知らないし、関係ないし、 草木を全部根絶やしにされたって僕たちは平気さ!」「根絶やしにされたら、生きてはいけないじゃない?」「そんなことはないさ‥ じっと待てばいいんだよ。 そうだ!君が居た地下牢はね、今では僕たちの エネルギーの倉庫として使っているんだ。 悪魔の広場の下にある輪廻の組織さ‥(笑)」「組織? 妖精の組織?」「違うよ。時間構成局のことさ‥ 今の政府の寿命はそう長くは続かないさ。 君を裏切った男も一時は腐った花を咲かせるけど すぐに散るよ。」「時間構成局って何?」「この星の時間をシステム化しているところさ」「あなた達は人間じゃないの?」「君は、案外頭が悪いね~笑 僕たちは彼方のエリアに住んでいるんだよ」「そう‥? でも、私は人間だもの。 それに、今は、悔しい気持でいっぱい! 愛していた人に裏切られて、 而も,敵の女と通じるなんて酷いわ‥ 残虐に殺し、弄んだ悪魔の女‥私は忘れないわ‥ みんな、泣きながら苦しみながら死んで行ったのよ」「そうだね。 それは君にとっては辛いね‥ じゃあ、僕と契約をしないか? 君は、ひと月に一度、君を血を一滴、僕の上に 流してくれ‥そうしたら僕は友達とその血を 分け合って君に夢の春をプレゼントしよう。 今、この世界に生きている人間の誰一人として 見ることの許されない春だ。」「それでどうするの?」「僕たちは、君の血から情報を収集する。 僕だって、悪魔の広場を許していないさ。 あいつらは、「楽」を選んだんだよ!」「楽?‥そうか‥そういうことなのね。」「ムンゲツもクラマンも<楽>を選ぶ奴らが 大嫌いなんだ! 秘密の場所で今度は僕たちと契約しようよ?」「契約って?私の一滴の血で 何をするの?それが何になるの?」「まだ、解らないんだ~ 人間って戦略が下手なんだね。 それから、報復も‥ いいかい?君の血は僕たちの新しい情報源となり いずれ、僕たちがこの星を再び支配する。元々、 僕たちのものだからさ、僕たちが創った星だから‥ 君の悔しさは、僕を見つけてくれたお礼に 僕が仕返ししてやるから‥大丈夫!辛い事や 痛いことなんかしないから‥ ただ、楽を選んだ奴らには生涯本当の「春」を 与えてはやらない。君には本当の春を魅せる‥ 神との約束さ!」「あの頃のような春?」「そうだよ‥君はこれから春の一員になるんだよ。 憎いヤツになんか「春」を渡してはいけないよ。 そのうち、彼らも気付くだろう‥でもね、気付いた 時は彼らは終わりだ。」「春を渡さない‥」「そうだよ、うわべ仮面の連中はずっと真冬の中で 暮らすんだよ。それに気付きもしないで‥」「私はそれでどうなるの?」「僕とムンゲツとクラマンと一緒に 新しい時間を再構築するんだ。そのうちに君の 傷付いた心もピンクの花を咲かせる。 少し、花芯に血は残るかも知れないけれど‥ その男は、その美しさを知らないままに 悪魔の広場で悪魔の娘と生を成さないままに 果てる。」「本当に?嘘じゃない?」「僕を誰だと思っているの? 神域の住人だよ。嘘は付かないよ」「それじゃ契約書にサインするわ!」「じゃ、君の血を‥」私の小指から滴る一滴の血。それが、黒い土の中に吸い込まれた。見る見る内に小さな芽が大木となり美しい手鞠のような花が沢山咲いた。この花は私だけが見ることを許された花。私を裏切った人には見えないのだ。それで良い。私は、一人此処で静かに生きて行こう。空には満月が上がっていた。海の香りと森の香りが私を優しく包んだ。少し、眠ろう‥フーケンがそう言った。
2011.02.21
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「遠い人へ」その御霊に、届くように‥静かなる み寺の苔に手を触れて 語るわが身の影の足音はるかなる君をしのんで粥を炊き 白き浄土に夏は来にけり沙羅双樹小さく咲きて五月闇 晴れ待つ私雨の音のかそけき空高く青い風が吹き抜けあなたに届くように‥ 夏の日 広い野原は青く生きる かけめぐる、かけめぐる、 あなたの身体に太陽が写る むせかえるような葉の匂いに あなたは生きる喜びを感じてる 青い空は あくまで青く 白い雲は あくまで白い かけめぐる、かけめぐる、 あなたの心に夏の風が流れる 人知れず其処にある大きな樫の木 あなたは人生の歩みを思い浮かべる あなたが創る、あなたのためのこの時に
2011.02.21
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人生のメッセージ8嫉妬とは、他人よりも自分へ向かうエネルギーなのかも知れない。たとえ、そのエネルギーが「負のエネルギー」であったとしてエネルギーには変わりはしない。それで、なんとか今日も生きているのだから。世に比類なき人は人知れずに人を育て人の心に大いなるものを残す。この儚い世の中でどうしてあなたのようにお優しい方が泣かねばならないのだろう。儚い花のようにただ美しく咲くだけでは何かが足らないのだろうか?うぐいすの声に悟りをうべきかは聞くうれしさもはかなかりけりまさに咲く花に群つれて飛ぶ蝶のうらやましきもはかなかりけりにほんブログ村
2011.02.20
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「10センチの子ども?」その人は優しい。すぐに私をからかう。街の中でも、何か食べている時もちょっと、写真を撮っている時も、すぐに私をからかう。「お茶しない?」とその人は言ってカフェテラスに私をエスコートした。偶然、親友たちが、そこに居合わせた。その人と私が一緒だったので、そのテラスは一瞬、大騒ぎになった。その優しい人は、私の腕を掴んで二人でその場から逃げるように立ち去る。優しい人は軽く微笑みながら私を連れて走る。親友たちが、うしろで呼んでいる。「サイン!もらってよぉ~ ねぇ聞こえてる?」テラスが遠のくと、その優しい人はサングラスをかけて、「これなら誰にも判らない?」って私の顔を覗き込んで聞く。そんな訳ないじゃない!あなたは、とてもとても人気者。優しい人がポケットから一冊の小さい本を取り出してコンビニのゴミ箱に捨ておく。「何故?」と問うとこの国の言葉は私に習うからと、また微笑んで言う。辺りの様子が変わった。ここは何処だろう?小さな10センチぐらいの背丈の子供が二人、目の前にいる。部屋を見渡すと保育園のようである。10センチの子供は双子らしい。歌を唄う用意をしている。「今日は、お祭りなんだ~!僕が小さな10センチ達を撮影するんだよ!」よく見ると、その優しい人の周囲には大勢の撮影スタッフがにこやかに立っている。「君は今日から此処と今までの場所とを 行ったり来たり出来るんだよ‥そして僕たちはずっと 一緒なんだよ‥」「あの子供は、だあれ?」「あ~あれは、妖精だよ。歌がとっても上手いんだ! 君を歓迎して歌を唄うんだよ。」「妖精?歓迎?」10センチほどの子供と思ったが、そうか妖精なのね。道理でとても愛らしい。目がくるくるしてる。この街は、変である。いったいどこなのかしら‥?梢の新芽の香りがする。空は春霞‥陽射しは柔らかく、花が次から次へと咲いてゆく。空にも道路にもさかさまに花が咲いている。「何も心配しなくていいから‥僕と一緒なら きっと君は倖せだからね!」「何も?‥しあわせ?」10センチの子供みたいな妖精が歌い出した。この街で、私はこの優しい人と暮らすのかしら?
2011.02.20
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「予期せぬAccident」○○年.2/22~27 (ヒースロー&ローマへの道中)仕事でロンドンに滞在している友人からのお誘い有り。「懐かしのローマに行かない?身体の具合は、もうだいぶ良いんでしょ?」いきなりの電話!病気もかなり調子が良くなって来たので4~5日くらいなら気晴らしになるし、出掛けてみようかしらと思った。母に、その事を告げると「お父さんをショートスティに預けてくれるなら行っても構わない」呆気らかんなる母の言葉。それじゃ、許可も出たことだし、介護施設への手続きを済ませてローマに参りましょうか?翌日、友人から電話有り。「ねえ、来る?決まった~出来れば先にロンドンに来てよ。 私が、モロッコからロンドンに帰ってくる日に ヒースローで待ち合わせしようか?」「また、飛行場での待ち合わせ?嫌よ~広くて迷うじゃない。 それになんで、ヒースローなのよ?ローマじゃないの?」「だって、仕事帰りだから、その日が都合がイイから‥ 時間、合わせてよ。お願い~」「え~!う~~~ん!分ったわ!その代わり、貴女がヒースローから ローマまでのチケットはよろしくねぇ‥私は日本から わざわざ出掛けて行くのだから‥」「嬉しい~~!じゃあ、三日後の○○時頃に、私、ヒースローで 待ってるね。大丈夫!あとは任せてね!!」いつも海外を飛び回っている彼女。今は、ロンドンを拠点として北アフリカのアルガンオイルの仕事をしている。いつも何をやっているのか分らない友人である。そしてその、身勝手さがなんとも私には素敵に映る。彼女と海外の飛行場で待ち合わせるのは、これで二度目。最初は、台北だった。彼女は北海道から、私は成田からそれぞれに出発して現地で待ち合わせる。最初はとても不安だった。行ったこともないし、言葉も通じない、ましてやツアーじゃない。今は、インターネットでチケットが格安で手に入る。便利になったものである。決まれば私もサッサと予約して、成田へGo!あとは友人に全部お任せ!成田まで車で行き、車を預けて、搭乗手続きをして後はJALが私を運んでくれる。ロンドンに到着!広~~い!こんなところでたった一人の友を見つけられるのだろうか?不安感がよぎる。友人は国際線の内に居るのか?それとも外に出てしまったのか?携帯電話が鳴った!彼女からだ‥「私~!見っけた~ただ今確認!救助に向かいま~~す!」良かった!ひと安心、語学が全然出来ない私には彼女だけが頼りの綱である。2~3年ぶりの再会。そう言えば、台北以来である。「よく来たね~良かった!元気になったじゃない~ローマに飛ぶまで 時間があるから乗り継ぎの手配は私がするから‥軽く食事でも しようよ~しっかし、ホントによく来たよ~」「ほんとよ~誘う方も誘う方だけど来る方も来る方ね。」乗り継ぎの手配をして、荷物も無事にローマへ行く飛行機に移し、私たちは、空港内の洒落たレストランで食事をした。外は、雪空である。なんだか嫌な予感‥そしてそれは的中!雪のため、アリタリア航空は決行を決めた。えっ、どうしたら良いのか?外はどんどん雪が降りしきり今日はローマには行けないという。まいったなぁ~!どうしましょう?友人は、「ここで待っていてね。動いちゃ駄目!なんとか交渉して来るから」と、言い残し、レストランを出て行った。交渉すると言ったって、雪では仕方ない。どうする気なのだろう?1時間経った。心配‥不安‥一人っきり‥ヤバい!パニック障害が起きそうだ‥薬を飲んだほうが良いかも知れない‥時計は現地時間で夜の7時‥友人が遠くからOKサインを作り、笑いながら走って来た。「ごめんね~遅くなっちゃったわ。 アリタリアに掛け合って今夜のホテルを確保! 料金は向こう持ちだから‥へへへ‥明日の天候次第だけど 飛行機にも乗れるから荷物もそのままで大丈夫!」 その夜は、ヒースロー空港の近くのホテルPark innに宿泊! カードキーをもらって部屋に入る。 兎に角、疲れた~横になりたい! 友人は、フロントに用事があると言って、すぐに部屋を出た。 それじゃ、その間、私はお風呂に入って手足を延ばしましょう。 バスタブに浸かって泡をブクブクさせななら、のんびりして いると、部屋のドアが開き、話し声がする。 超ハプニング発生! 知らない女の人がバスルームを開ける。 互いに仰天!!その女性は、何語を話していたのか分らない。 あっ、男の人もいる。 二人とも大声で何か言っている。 私は、濡れた身体にバスローブを羽織った。 「身の危険」を感じた。男の人が私に近づいて来た。 何をされるのか恐怖ですくんでしまった。何語が分らない言葉で 男は私の胸元を掴んで、部屋の外に連れ出した。 え~~なんで?どうして? あ~ドアが締ってしまう‥あ~締っちゃった‥って私どうしたら いいのよ。わぁ~困った下着は付けていないし、裸足だし、 バックは?パスポート?‥パニック!パニック!! こんな姿で、どうしよう!そうだ!フロントだ‥ 廊下には館内の電話がある筈。ウロウロしているとホテルの ボーイが歩いて来た。不審な顔のボーイ‥なんとか片言の英語は 通じたらしい。 フロントに連絡を取ってくれた。そうこうしている時に友人が エレベーターから降りて来た。 「あっ~ははは!何してるの?そんなカッコで‥」 ことの顛末は、ホテル側のミスで、同じ部屋のキーを2枚作って しまった事。部屋に入ってきたカップルも同じように雪で 飛行機が飛べずに難儀している事。 そのカップルにしてみれば、やっと予約が取れた部屋に 知らない女がお風呂に入っている‥これは驚くだろう! 擦った揉んだの騒動は双方無事に収まり、雪は止んだ。 明日のフライトは、午前8:00に決まった。 もう、午前3:00を過ぎている。友人と私は元に部屋に 落ち着き、ゆらぐ心を鎮めるためにブランデーを飲んでいた。 ドアベルが鳴った。 ドキっとした。今度は何よぉ?? あっ、さっきの女の人だわ。 友人がドアのところで何か話している。 和やかな雰囲気が伝わって来る。 謝っているようだ‥彼の乱暴な行動を詫びて来たのだ。 その女の人の手には、一輪の赤いバラ。 私に‥持って来てくれたのだ。 成田からの長い長い一日が終わった。 <この日の事は、今も忘れない。裸は困る!思い出すとぞっとする。 あれからもう何年も経って彼女と急に連絡が途絶えた‥ 今頃何をしているのだろう‥ 私は、貴女をもっと知りたかったのに‥私の電話番号は 変わっていないから‥>
2011.02.20
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「コンチネンタルベイより」まばゆい光が織り成す都会の夜。竹芝のそらの上をゴーッと飛び行く飛行機群。コンチネンタルベイは、まるで命の鼓動のような、たくさんの赤い光の点滅に急かされるようにチカチカと光る。ボワぁ~と色の変わるシンボルタワー。臨海副都心は、輝ける発光生命体にも見える。川と海との狭間を行き交う船のイルミネーションや大きな橋を車の流れのテールランプ。巨大な無機質に煌めく要塞都市。その一つ、一つの小さな見えない光までにも一人、一人の人生のドラマが生まれては消えて又、生まれる。刹那的な夢と恐怖。
2011.02.19
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「四季精菓録」茶道を嗜んでいると、お抹茶でも煎茶、焙じ茶、大福茶等々において必ず、「お菓子」が付いてくる。茶の湯では、お菓子に御丁寧にそれに相応しい名前が付いている。季節感や行事を盛り込み、一つのお菓子が作られる。お菓子も料理と同じで、ちゃんとしたその道のプロがいる。それは、我が国も諸外国も同じように菓子職人が、主食となる料理とは別に、美しいお菓子を作る。今日は、あるお菓子さんの、四季のお菓子の名前を書き留める。「四季精菓録」<春の部>若葉餅 明ぼの 鶯もち 若みどり 紅梅 道芝 花衣 蕨もち都鳥 道明寺御むすび はつゆめ 下萌 笑顔 桜もち 草もち曲水 菜種巾頓 君がため 如月 隅田の春<夏の部>卯の花餅 津々じ 若ぼたん 青梅 水無月 葛もんぢう深見草 笹巻金玉糖 雨雪餅 柏餅 枇杷 夕立 此の君河骨 鯨もち 葛やき 琥珀糖 水羊羹 朝顔 あぢさい<秋の部>小倉山 梢の錦 木の葉 来賓 光琳菊 月ひとつ 稲雀野路 秋の山 夕空 七夕 夕映え 萩の戸 天の川 虫の音重陽 君が代 栗きんとん 雨雪餅 名月 もみじの錦<冬の部>冬木立 ふゆごもり 初霜 初雪 紅葉時雨 宇治の花山茶花 利休餅 妙心饅頭 冬の月 木枯らし 輪ちがい初氷 顔見せ 霜柱 寒雀 山ねむる
2011.02.19
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「茶杓の御名」「茶の湯」に使う「茶杓」には「名前」がある。代表的な季節の茶杓の名前(御名)のご紹介!「一月睦月 端月」 老松 丹頂 千歳 初春「二月如月 初花月」 紅梅 東風 鶯 白梅「三月弥生 桜月」 春霞 曲水 八重霞 佐保姫「四月卯月 花残月」 朧月 摘草 花衣 花筏「五月皐月 橘月」 卯の花 山郭公 一声 薫風「六月水無月 旦月」 水月 岩清水 松風 青梅「七月文月 蘭月」 天の川 夏木立 苔清水 船遊び「八月葉月 桂月」 露衣 蝉の声 笹舟 木染月「九月長月 菊月」 虫の宿 柴舟 虫の音 寝覚月「十月神無月 陽月」 鳴子 小牡鹿 菊日和 砧「十一月霜月 子月」 初霜 龍田川 紅葉狩 小春「十二月師走 臘月」 冬木立 惜年 年の瀬 無事どれもこれも、それぞれの季節に相応しい名である。たとえ、練習用でも「名前」を付けてみるのも楽しい。お菓子にも、季節に相応しい名前を付けて頂くと尚更に心豊かなひと時を作り出せる。
2011.02.19
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梅を詠んだ歌は数多くある。その昔、「梅」は「桜」よりもずっと、人気が高かった花である。「馥郁たる梅を詠む」◇白梅のあと紅梅の深空あり (飯田龍太)◇しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり (蕪村)◇紅梅や謡(うたい)の中の死者の声 (宇佐見魚目)◇紅梅は愛せず折て人に呉れぬ (漱石)◇紅梅や秘蔵の娘猫の戀 (子規)◇梅の奥に誰やら住んでる幽かな灯 (漱石)◇雪裏梅花は一現の曇花なり (道元)◇梅咲くやにほふがうへの萩茶碗 (宗因)◇梅一つ落ちて鳴きやむ雨蛙 (古川柳)◇梅の花たが袖ふれし匂ぞと春や昔の月にとはでや (源 通具)◇君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る (紀 友則)◇春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる (凡河内 躬恒)
2011.02.19
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「危険な書物の越境について」書物が国境を越えるということは、その国の宗教、思想、文化とありとあらゆる面が国外に持ち出される事である。(危険な書物)と云われる本は、危険思想、若しくは他国に知られたくことや、時の権力者にとって望ましくないもので而もそれが越境することによって利潤も生む本である。洋の東西を問わず、危険書物の越境は、各国で今も行なわれている。密輸や海賊版作成は、見つかれば何処の国でも必ず罪に問われる。しかし、その危険を冒しても書物が国境を越えるのは「需要」があるからでる。人は見てはいけないと言われると見たいと思うものである。そこに経済が絡めば、供給者が必ず現れる。特に、宗教と思想に関しては多くの危険な書物がある。宗教の奥義を説く書物は、今も昔も危険な要素を孕んでいる。書物がそこに、ただあるだけならば、本は性別も国も身分も教養の高さも何も問うたりはしない。だからこそ、それぞれに問題が生じる訳で世界三大宗教の教祖達(キリスト、ブッダ、ムハンマド)は、いずれも書物を書いてはいない。しかし、需要があれば、伝えたいと思う人や業者は、あの手この手を屈して供給する。その結果、翻訳や印刷技術、輸送運搬や通信手段の技術も向上する。世界は、インターネットの時代を迎え、書物も手軽に手に入れる事が可能にはなったが、ネットは余りにも情報過多で、その中から一冊を選ぶのは困難であり、又、何でも手に入る訳ではない。滅多な事では、お目に掛かれない書物も多種多様に今も存在している。書物も、漫画も風刺画も写真も映画も皆、同じにそれぞれの国のモノの考え方、見方、文化そして危険分子を抱えながら、世界中でリアルタイムで、善くも悪くも取引されている。人は危険なモノに憧れに似た感覚を持つのではないだろうか?奇麗な薔薇には棘がある。どんなにハイリスクであっても「危険な書物」は魅力的なのであろう。哀しくも人は貪欲である。「地域文化研究」における意見書。 これは、単に「書物」の事ではなく、何事に於いても 同様の事が言える。 人は見たり聞いたりすると、その情報が 嘘でも本当でも心が揺らぐものである。 揺らがぬためには、いろいろな意見を知っておくことも 大事である。「一方聞いて沙汰するな!」「悪魔でも聖書を引くことが出来る、 自分の身勝手のために‥」
2011.02.18
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「淋雨」一人は淋しい…朝も一人昼も一人夕方の一人は淋しい…夜になり一人は哀しい…哀しいのは何故?淋しいのは何故?たかが恋でもされど恋恋が今にも音をたてて崩れ落ちそうでそれを立て直す術がないと判った時、こんなにも淋しくなるすべてが終わってしまうようなすべてを失ってしまうようなそんな想いが私を哀しくさせる哀しい…また独ぼっちになるのは哀しい…淋しい…そんな想いをしたくないから恋などしないと決めたのに恋は、ある日、そっと背後から忍び寄り、あっと言う間に奈落に落とされる。堕ちれば、もがけばもがく程に何かが絡まり、身動きが出来ない。そして、その絡んだ何かが、ほどけた時に待っていたのは、「別れ」だった。また、一人に戻るだけのこと…と言い聞かせても、なかなか元には戻れない。哀しい…淋しい…に占拠された心を引きずって次の季節を迎える。こんな時に「雨」は嫌だ…雨のその滴の落ちるたびに淋しくなる。それが、あまりに冷たく凍るような雨だったがために雨音は淋しく哀しい。淋しい…哀しいボレロに包まれて抜け出せない己が心に縛られて淋しい雨は揺れ惑う風を連れ添って心の中を吹き抜ける。哀しい…淋しい…哀しい…寒いと尚、哀しくなるじゃないか…一人は途方も無く淋しい…
2011.02.18
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「寂乱」「まよえばじゃくらんをしょうじ さとればこうおなし」「迷生寂乱 悟無好悪」 心が千々に乱れていると 写経は出来ない。 何枚の書損であろうか? 心が迷うと、いつも出来ることさえ躓く。 あれやこれや詰まらぬ想いに翻弄され、 好きや嫌いや文句を言いたくなって来る。 しかし、その根本原因はどこにあるのか? 表面的な現象に囚われて本質 (自分自身)を見失っているにすぎない。 すなわち、「寂乱」は心の迷いの結果で ある。 悟れば、好きも嫌いもなく、全てを有りの ままに受け入れることが出来るという訳で あると‥習ったのだけど‥ そうは、言っても自分一人の問題でない 場合は どうすれば良いのだろう? 修行が足りん!と云えばそれまで、 寛容さに欠けている!と云えばそれまで‥ 全部、受け止めるのは困難至極。 そんな「慈愛」の精神がこの身を 覆い尽くした時、 それは、たぶん、悟った時だろう‥ 容易く「悟れる」ことなどあり得ない。 むしろ「悟った」と思ったら「迷い」が 生じる。 それも知ってはいるけれど‥ 書き損じの白い紙が部屋中に散乱する。 片付けるのも面倒だ。 気もそぞろに乱れを止めてはくれそうに ない。 それでは、乱れたままに今宵は眠ろう‥ 明日の目覚めを待って、また明日、 筆を持とう。 少しは書かなくては‥ それこそ、「天罰が下る」 判っている‥ ずっと、天から見ておられるのでしょう? 「申し訳ない‥」
2011.02.18
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「1997年の過去帳より‥」また、時分にも恐るべく。こぞ花盛りあらばと云えど今年は花なかるべきことを知る。この怒りにはおそらく死ぬまで年老いることがないのだと悟ると、悲しみに埋もれてゆくもがき苦しむ自分の老いの叫びがもがり笛の音色のように切ない。
2011.02.18
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「物騒な奴」だまってる奴は物騒だ。騒ぎ立てる奴はそうでもない。と、ラ.フォンテーヌは言うが騒ぎ立てて泣き出し相手を困らせる奴も面倒だ。と有島は言い返したが、騒いでる奴は所詮大人になりきれない程度の悪いガキなんだよ。とシュレは含み笑いをした。まぁ、どう見ても物騒な沈黙の奴らに心を許すなかれ‥ガキとは話にならぬ。
2011.02.17
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「バレンタインデーだから‥」愛は凍り付いた心を融かし暖かい春のように幸せになる。こんな年齢になったからこそこんな感情になっただろう長い時間の沈黙の距離がある日、少しの風に乗り再びの恋は、私を強くしてくれた。以前よりは信じられるかも知れない。それは、君への想いではなく私が私を信じる心の強さなのだろう。君と二人で居心地の良い太陽の匂いのするふかふかした暖かい場所で心からの笑顔でいたい。それだけを思っていつまでも二人で朝も昼も夜も夢にまでも互いを労り合って心の深いところでしっかりと赤い糸を結び合って生きて行こう昔よりずっと愛している‥
2011.02.14
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「とかく女ってものは‥」先輩のお話から‥(198?年9月の出来事)もし、あいつがほんの気まぐれでも優しい言葉をかけてくると、それはもう私は嬉しくてねぇ‥今の今まで、あいつに不満がかなりあったとしてもね「あ~云わなくて良かった~ 自分の心の中にしまっておいて良かった~」なんてその時は思うのよ。でもね、そのあとも照れた態度や言葉で接してくれないとまた、心の中に翳りが見えてきて、あいつの事を「もしかしたら、私の愛しているヤツはとんでもない ドンファンですごい嘘つきかも知れない」って思っちゃうのよ。殿方の立場からすれば、とかく女ってものは扱いにくくてどこまでおだてりゃいいのか、どこまで気を使えば良いのか皆目分からなくなって来る訳よ。それでも、男と女の怪異現象は、ずっと続いてゆくわ。そういうヤツは、突然にこんな事を言ったりするのよ。「やっぱり俺たち、もう逢わない方がいいのかも知れない」惚れているんだから私はおろおろしちゃうじゃない。そんな時、私はどう言い返すかって?そりゃあ、不機嫌丸出しにして、横っ面張り飛ばしてやりたいけれど、平然とした顔で何気なくそっと話しかけるのよ。拗ねたり騒いだりしないはしないけれど、おだてたりはするのよ。取りあえず、相手の気をこっちに向けさせないとね‥でもね、自分の心の中はそうじゃない。こんなにイイ女を振ったら、お前の人生は滅茶苦茶になるぞ!って思う訳よ。それでも、そうは言えないから、ソヤツの前でシクシク泣いたりもするわよ。そんな私って愚かだけど可愛いじゃない?泣いてもすがっても駄目なら仕方がないから「ア キ ラ メ ル」‥その場はね‥「あ~岡惚れでも私はホントに彼奴が好きなのよ! もう、おじいちゃんだけどね~~今でも好きよ。 一応、諦めたけれどね~」と、先輩は言ってブランディを飲み干した。すごいお方に恋したものだ。「一緒になって‥」とは決して云えない相手だ。その殿方を知ってるだけに私はなんにも言えない‥もうこの世の人ではないけれど、やっぱり名前は云えない人物です。
2011.02.13
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「歯 歯 歯の話」「明眸皓歯」楊貴妃の美しさを杜甫はこう讃えている。「芸能人は歯が命」歯磨きのコマーシャルで有名になった言葉である。確かに俳優さんは歯が綺麗である。入れ歯の装着剤や入れ歯磨きのコマーシャルに出演している俳優さんは皆、入れ歯ではなく自歯である。 歯にまつわる他愛もない話は、 可笑しな内容が多い。さて、嘘のようなホントのお話 「ママ、ほんとに痛くないの?」 「全然痛くないよ~ぉ。 先生もすっごく優しいのよぉ~」 「○○さん、どうぞ! ○○ちゃんだけお入り下さい。 お母様は待合室にてお待ち願います ね。」 治療中は、親は同行出来ない。 子どもが甘えるかららしい。 「○○ちゃん、お口あ~んしてみようね」 キュイ~ンと嫌な音がする。 「○○ちゃん、ちょっと頑張ろうね」 「いや~痛いもん。」 「虫歯君を先生がやっつけて あげるから、先生は強いんだぞ~。 だからちょっと我慢してね。」 キュイ~ンとゴウゴウと音がする。 「あ~ぁ、嫌だ~!」 「もうちょっとだからガンバレ!」 治療が済んで幼稚園児の○○ちゃんが 処置室から涙を拭いながら出て来て 母親に抱きつく。 歯医者さんと母親が話をする。 「もう、先生がお優しいので、 うちの娘は歯医者さんが大好きなんですのよ、ホホホ」 「いや~お母さんにそう言って頂ける と僕もほっとしますよ。 じゃあ○○ちゃん、また来週ね!」 先生が優しいのはお母さんにである。 ○○ちゃんはやっぱり歯医者の先生は 嫌いだ。 虫歯君も一度ではやっつけられない。 「パパ、歯が痛いよ」 「大丈夫!此処は(よいこの歯医者さん)だから 痛くなくしてくれるから大丈夫!今日はパパも一緒に 治療してもらうんだぞう!」 待合室で三十分が経った。 「○○、歯は痛いか?」 「うう~ん、もう帰ろうよ」 「そうだね!帰ろうか?パパは大人だから我慢して今度にするか… おまえはママと一緒に来なさい。」 よいこの歯医者さんだから大人には やはり痛いのかも知れない。<良い子悪い子> 「嫌だよ~絶対に痛いもん。」 「でも、今、ちゃんと治療して置か ないと後ですっごく痛くなっちゃう んだよ。」 「僕は、良い子じゃないからきっと 歯医者さんは痛くするもん。」 「心配ないわよ。ママが先生によ~く 頼んでおいたから痛くないわよ。」 さぁ、治療が始まった! 「ぎゃぁ~~~!痛いよ~~~ 歯医者さんに、やっぱり良い子って言ってくれなかったんだ。 ママの嘘つき!」 よいこの歯医者さんは、今日も駅のホームから見える。 小さな子供達が手を引かれて入って行く。 良い子の皆さん、歯医者さんは 良い子悪い子には関係なく痛みを 伴うところなんですよ。
2011.02.13
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「雪女」朝方は薄日が射込んでいたのに午後になると急に風が強くなり空は雪空に変わった。TVの天気予報では今宵は雪になるらしい。雪の降る夜、家路を急いでいると美しい女がこう語りかけてくる。「ちょっと雪の中の失し物を捜す間、この子を抱いていてもらえないでしょうか」風も強く雪は舞い、女は困っているのだろう‥そんな風に思って赤ん坊を預かるとその子はずんずん重くなり、あなたもろとも雪の中に埋もれてしまう。「もしかしたら雪女?」気付いた時にはもう遅い。雪国には、「雪女」の話がいろいろと伝わっている。雪は美しい‥何しろ「化粧」をしているくらいだから‥特に夜の雪は妖しく「魔物的要素」を含んでいる。日本の美を表わす際に「雪月花」が使われるが、それは大抵、京都や江戸の発想である。雪深い東北や北陸‥何ヶ月も雪に埋もれることを余儀なくされる人々にとっては、雪は美しいものである以上に恐ろしい白い魔物である。雪女がこの世のものではないほど美しく語られながら、すさまじい形相の鬼女にも描かれるのは、そのためである。今宵、「雪見酒をご計画の皆様」くれぐれも帰り道にはご用心下さい。*みちのくの雪深ければ雪女郎 (青邨)*人の世の遊びをせんと雪女郎 (双魚)*ふりむけば瀬に沿い消えし雪女(日郎)*いちにちを無為に通して雪見酒(柿木)*戯れて昨日の晩の雪うさぎ (緑仙)
2011.02.12
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「雪の朝 あした」昨夜は、あちらこちらで雪が降った。関東に住んでいる私でさえ、雪の朝は窓や戸を開けずとも判る。雪は、音も色も光も温度も消し去ってしまう。雪は、はらはらと「化粧」の内は美しくて良いのだけれど、余りに量が多いと厄介なモノにもなってしまう。雨も同様で「恵み」の内は良いのだけれど、こちらも多量だとちと困る。しかし、美しい分だけ雪の方が後始末が難儀な代物であるように思う(根雪もあることだし…)昨日の雪は「べた雪」…雪には名前がたくさんあり、羅列すると新雪、深雪、粉雪、牡丹雪、締雪、どか雪、綿雪、粗目雪、細雪、地吹雪、細雪、斑雪、淡雪、泡雪、沫雪、冠雪、筒雪、垂雪、蛍雪など、方言まで入れたら書き切れない程、いろいろな呼び名がある。と言うことは、日本は雪の多い国でもあるのだろう。 写真は昔撮った「雪の迎賓館」日本とは思えない感じがする。冬景色は、雪があった方がらしく見える。雪は、色も音も温度も奪い、ただ恐ろしいまでの静寂な空間を創り出す。
2011.02.12
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「藤岡作太郎」「国文学史 平安朝篇」藤岡の国文学史研究の方法は、文学の生成と変遷を考えるに当たり、社会学、風俗民俗学宗教史、美学、倫理学など、文化的条件を視野に入れ、正確豊富な資料に基づき、科学的態度と、すぐれた鑑賞力をもって文学的価値を明らかにしている。藤岡の独特の格調高い文章は、「評者みずからして平安朝の一人になりて、以てその時代を見る」に記述されている様に、平安朝の時代背景をあらゆる面を考慮し、理念が先行する文学史の具体性を回復した。文学史を研究する場合、己の感情や想いを全く除外し分析しても、それはデータ照合のようにも感じる。資料は重要ではあるが、それをどう読み解くかが研究者であり、藤岡のこうした方法が日本美術史研究の成果にも繋がる。
2011.02.12
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人生のメッセージ7◇この身は災いなり 百一の煩悩を有す 「唯摩経」◇眠りえぬものに 夜はながく 疲れたるものに 五里の路はながし まことを知るなき おろかな者に ひと(生死)のよ(輪廻)は ながからん 「法句経」◇虫が鳴いている いま ないておかなければ もう駄目だというふうに鳴いている しぜんと涙にさそわれる 「八木重吉」◇一輪の朝顔よ ここに生きた瞬間がある 生きることのとうとさがある 「山村暮鳥」◇怒りとは敵と思え 「徳川家康」◇空蝉の唐織衣なにかせむ 綾も錦も君ありてこそ 「皇女和宮」◇この世は迅速というてある その無常の感じは若くてもわかるが 迅速の感じは老年にならぬとわからぬらしい 「倉田百三」◇こころをば なににたとえん こころはあぢさゐの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思ひ出ばかりせんなくて 「萩原朔太郎」◇過去のものの現在が、記憶であり 現在のものの現在が、直感であり 将来のものの現在が、期待である 「アウグスティヌス」◇自己への問い 自己自身とは、人ごとではなく今現在の 此処における、一回限りの人生を生きている 私自身の事である。 人格の同一性、自己のアイデンティティは 危うく見失いがちになる危険性を孕んでいる。◇風と旅人 風の向くままに旅を続けてよいのだろうか? さぁ、風に聴いてみないとわからない。◇美しいもの それは想いもよらぬ形で出会い 授けられ、天から贈られてくる。 そうした美しいものに私は触れ深く感動し それに惹き付けられ、魅惑され、幸福になる。 卑俗な利害関心を越え、ただひたすら それを賛美する。
2011.02.11
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「ハラスメントの心理」2004.9 月の論述から‥「ハラスメント」とは「嫌がらせ」の事である。1、「セクシャルハラスメント」2、「パワーハラスメント」3、「モラルハラスメント」ジェンダーから見るハラスメントは、女性の側に被害が多い。1の「セクハラ」は、かなり世間に浸透し、男性はその言葉遣いにも気をつけるようにはなって来ているが、実際に職場などではまだまだ続けられ、被害者が増えている。しかしながら、昨今、女性の管理職も増えている事から、男性もまた被害者になり、その数も増えている。2の「パワーハラスメント」は「ドメスティックバイオレンス」に代表される。暴力で相手を押さえつけ、逃げ道を奪う最も卑劣な嫌がらせ行為である。これに悩む人の数は増加し続けており、やはり、被害に遭うのは女性が多い。今回は、3の「モラルハラスメント」に関して論ずる。これは、精神的に相手を追い込む事で身体には一切、傷を付けたりせず、じわじわと相手の心の奥深くまで一生消えない傷を負わせる。「モラルハラスメント」とは、モラル・ハラスメント(通称モラハラ)とは、精神的な嫌がらせのことで、このモラルハラスメントもDVの一種である。?なぜなら、直接的な暴力は振るわずに、精神的な暴力を振るうというとこが同様である。?モラルハラスメントは、一言で言えないくらい千差万別であり、被害者が素直な人であればあるほど、巧みな言葉に惑わされて、自ら犠牲的立場をとりつづけてしまうこともある。つまり、加害者が自己満足を続けたいがために言葉で操っていることに、被害者自身気づかないということが大きな問題点である。しかし、モラル・ハラスメントを受けつづけると、被害者は抑うつが高まり、うつ病に移行してしまったり、支配から抜け出したのちにも、PTSD(トラウマ(心的外傷))に悩まされる。こうしたリスクを避けるためにも、本人がモラハラの被害に早めに気づいて加害者の支配から脱出する必要があるのですが、それにはまず加害者の特徴を知っておくことが肝心である。例を挙げると(モラルハラスメントの加害者)・いつも自分が優位に立ち、賞賛が得られないと気がすまない。・他人の気持ちに共感することや、心を通わせあおうという 気持ちがない。・他人にあこがれて近づいても、すぐに嫉妬で心がいっぱいに なる(ただし、嫉妬が何なのか本人が理解していない)・他人をほめることをしない。欠点をあげつらい、いつも 悪口をいっている。・自分の考え方や意見に異を唱えられることを極度に嫌がり、 無条件に従うことを要求する。・自分の利益のためなら、他人を平気で利用しようとする。・自分は特別な人間だと思っている。・政治的な意見や趣味など、相手の考えを嘲弄し、確信を揺る がせる。・相手に言葉をかけない。・人前で笑い者にする。・他人の前で悪口を言う。・釈明する機会を奪う。・相手の欠陥をからかう。・不愉快なほのめかしをしておいて、それがどういうことか 説明しない。・相手の判断力や決定に疑いをさしはさむ。・自分の機嫌の良し悪しで態度が変わる。・機嫌が悪い時は話しかけても無視する。・些細なことで怒鳴る。・正論のように話す(違うか?違わないだろう?)など。・不規則な自分の生活のペースに合わせたがる。・家族、同僚、妻、恋人、子供の病気に対して冷淡な態度を とる。・セックスの強要。・後だしジャンケンのような言葉を用いて相手を追いつめる。などの行為をする人は「モラルハラスメント」の加害者である可能性が高い。何故、このような人間になってしまうのか?それは、幼少の頃の生活に起因するところが多い。理路整然としているようで、よく観察してみると、なんとも子供っぽく、理論や定説にはほど遠く、冷静に判断出来ればそのようなハラスメントは受けずに済むのであるが、そうはいかない社会的立場や経済が絡み合うと、その泥沼からはなかなか脱出出来ないのが現状である。加害者は、不完全に大人になってしまう、アダルトチルドレンなのかも知れない。而も自己愛性人格障害でもある。自己愛性人格障害とは、ありのままの自分を愛せず、自分は優越的で素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込み、過度に歪んだルールである内的規範が弱いケースであるため、加害者も知らぬままに病んでいる事もある。<後述>「モラルハラスメント」 止めて欲しいですね。 私自身も被害者であるから、今もPTSDに悩まさせられる事が ある。加害者の心理は何歳になっても子供なのであろう。 イイ年をして、自分にとって不快な事が起きると 言葉たくみに他人を貶め、辱める行為。そんな事は 「大人」はしてはいけない。 それは、「恥知らず」の行為であり、大人の仮面を かぶった「ただの出来の悪いガキ」である。 しかし、誰かが諭したとしてもなかなか優しく素直な人には なれないのかも知れない。 世の中が「複雑怪奇」であればあるほど、目には見えない 嫌がらせに人々はどんどんストレスを抱え、やがて完治しない 病いに取り憑かれて行くのだろう。 みんな、仲良く‥人の心の痛みを知る大人になって欲しい。
2011.02.10
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「生物の進化と地球環境」平成19年の論述より「生物の進化が地球環境を変え、また、その変化が新たな生物へと つながる。このような現象を酸素と生物の関係をバクテリアに例 をとって説明する。」◇深海底バクテリアは、非酸素型環境に適した、所謂、嫌気性バクテリアであり、これに対して、シアノバクテリアは、原始的な原核性生物で、酸素発生型光合成の能力を初めて身に付けた好気生バクテリアに相当する。酸素発生型光合成は、細胞内共生を通して、全ての緑色植物(呼吸の進化よりさらに新しい出来事)の共有する機能となる。しかし、シアノバクテリアは、自ら酸素は発生しているものの酸素分子が強い毒性を持つことが問題となる。この問題を克服するには毒物である酸素を無毒化することが必要であり、さらにそれに加えて化学エネルギーの取り出しを必要とする。つまり、有機物の分解(酸化)をすることにある。有機物は二酸化炭素と水にまで、完全に酸化される。自然界は、穏やかな反応系を選び、長期間、「海」という化学的に安定した低エネルギーレベルの環境の中で生きてきた。大気中の酸素濃度が、上昇し高まるとオゾンが形成される。オゾンの層は危険な紫外線を遮断する。低エネルギーの「海」に住む生物の内、いくつかがオゾン層の完成をひたすら待って陸上へと進出し進化した。光合成生物は、陸に上がることに依って、その光合成能力を飛躍的に増大させ、それが、多様な生物の出現を促すことに繋がる。大気中の酸素濃度の増大と種の多様化とが軌を一つにしていることは、生物の進化上、特筆に値し、生命環境は、ここで第一級の大転換機を経たことになる。陸上でも生物携帯が地球生命体のいっそうの多種多様の工場に繋がったと言うことである。それは、環境との相互作用系の拡大の成果である。?「オゾンの名前は‥」奇妙なにおいからギリシャ語で臭いを意味する Ozo, Ozein から Ozon と名付けた。
2011.02.09
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「人と話す」2008年の講義「話すことは難しい」より第一章 人前で話をすると… 第1節 上手く話せない、思う事の 十分の一も伝えられない 第2節 話をする前に、あがってしまう 第3節 相手からの反応が鈍いと感じる 第4節 話が進まない 第5節 自分の話は相手に伝わったのか?第二章 先ず、大事なのは、何を話すのか? 第1節 話す内容のチェック 第2節 話には順序がある 第3節 話の組み立て方 第4節 相手のレベル、自分のレベル 第5節 話の中で一番相手に伝えたい事第三章 相手が居ると言うことは、どんな事か? 第1節 相手の反応に注意する 第2節 相手の興味を引くことも必要 第3節 相手に対する自分の印象 第4節 相手のペースと自分のペース 第5節 相手の意見を尊重しながら 自分の意見を述べる第四章 話題とは? 第1節 話すべき重要課題以外の話 第2節 閑話 第3節 相手の好みを知る 第4節 タブーとされている話 第5節 本筋に話を戻すタイミング第五章 話を円滑に行う方法 第1節 話の切り出す時の言葉 第2節 話の起承転結に添える潤滑油 第3節 フォローの仕方 第4節 次回への期待感 第5節 話の切り上げる時の言葉第六章 説得と納得 第1節 似て異なるもの 第2節 説得しようと思うと失敗する 第3節 言い訳しない 第4節 撤回しない 第5節 納得&諒解第七章 印象の遠景 第1節 第一印象より重要な事 第2節 本当の自分の見せ方 第3節 相手を上手に褒める方法 第4節 好印象を相手に植え付ける 第5節 信頼関係と、述べてはいるが、言葉は難しく、相手に自分の全部を理解して頂くことは甚だ、困難を極める。言葉が持つ情報は、大きな「力」がある。話をしてみなければ、何も前には進まない。「目は口程にモノを言う」と言われているが「目」は言葉を語ったりはしないのだ。「目線」「目配せ」「目付き」‥声に出して話してくれなければやはり、はっきりは分からない。人と話すことに臆病になっている人が昨今多い。自分の言葉で自分の意見を述べることを恐れてはならない。また、相手に理解されない場合も含めて自分の言葉遣いがどうであるのかをチェックすることも重要である。先ずは、「日本語」「国語」から、その次に「外国語」であり、それが、順番を守ることも忘れてはならない。 参考 ポライトネス理論 グライスの会話の原則 リーチの原理
2011.02.09
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?「餅をつかない正月」餅は正月には不可欠なハレの食物として考えられているのが常識であり極一般的である。「○○日には餅は搗かない」餅無し正月の伝説は諸説ある。特定の家だけに儀礼が伝承されている場合を家例(カレイ)とよぶ。カレイと言う語は「嘉例」「嘉礼」「佳例」「家礼」とも書き表され、それぞれに理由があり意味がある。何故、餅を搗かないのか?その根本的なところは稲作文化に対して畑作文化の存在があると考えられている。民俗学的には、餅の他に赤米も浮上して来る。赤飯と言えば成る程と思われる方も多いのではないだろうか。その他には、芋正月、うどん正月や豆正月と言うのもある。そもそも、正月の食べ物は「儀礼食」であり、日本人が水田耕作の白米を主として選択して以来、餅無し正月のところは、雑穀中心となった。さて、お正月と云えば、各地の雑煮には特徴があり、全国津々浦々調べてみると実に興味深いものがある。先ずは、餅の形。○か□か‥これだけでも各地様々であり、雑煮の中身に関しては地域色豊かであることは云う迄もない。「餅と日本人」の関係は「食文化」の上で切って切れない縁があり、日本人を知るのに「餅」の存在は大きい。ところで、餅はどう飾るか?食する時は焼くか?煮るか?つきたてか?今年は「卯年」「餅」は月で兎も搗いている。月の神様への供物なのだろうか?
2011.02.08
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「犯罪しろうと理論」人々は異常な犯罪をなんとか説明したいと思っている。さて、異常事態とは?何であろう?それは、不確定、不可解、曖昧、はっきりしないである。そして、その解決法は、単純なものが期待されている。犯罪に対して、普通一般の人でもそれなりの確固たる?理論を持っている。それを「犯罪しろうと理論」と云う。昨今、異常事態な事件がニュースで取り上げられる。その犯罪をなんとか説明し、当面の安心を求めるが故に偏った見解が述べられる。例えば、 親のしつけのせいだ。 学校教育が問題だ。 社会の風潮が悪い。 心の闇が犯罪を起こさせる。 幼い頃の環境に起因する。 こうした、それぞれ独自の「しろうと」の「理論」 これは、メディアや人と人の交流を通して 無視出来ない理論となる。「しろうと理論」の特徴◇二分法または個人属性の過大評価である。◇簡単理論の二分法とは、性善説、性悪説の二つである。◇多くの人々が好む二分法とは、遺伝、環境である。これは、何も「犯罪」に限ったことではないが、「犯罪」と関連付けて考えると解り易い。1、暗黙の理論:公式や数字で表現出来ず、 暗黙に持っている。2、経験の理論:自分の過去経験により作られており 経験になかった事は含まない。3、確証の理論:理論に合う現象により確証されていくか 合わない場合は別な解釈がされる。4、納得の理論:現実問題の当面の納得のための理論であり、 その場面を超えた一貫性は問わずに、原因と結果の 関係は融通無碍である。「しろうと理論」にはある意味、脅威すら感じる。 犯罪でなくとも、 人は一人でなく誰かと関わって生きている。 そうした関わりの中で犯罪は起こる。 加害者と被害者‥それと 第三者の裁定者の存在でこの関係は規定されるのである。 大事な事は、先入観や偏見でモノを判断せず、 まずは、そのモノをじっくりと観察することが重要である。
2011.02.08
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「パニック障害」「パニック障害」は何が原因で起こるのでしょうか?それは、脳内の3つの部分が変化していると考えられている。「心の病い」それは誰しもが持っている。さて、この心の病いが、発病する時、脳の3つの部分に通常とは違った変化が起きていることが指摘されています。1,大脳2,大脳辺縁3,青斑核 視床下部「パニック障害」とは突然、なんのきっかけもなく動悸、息切れ呼吸困難、めまい、吐き気、などのパニック発作が起こり、これが何度も繰り返されるのです。パニック障害の不思議なところは、パニック発作が特別な原因もないのに起こるということです。「パニック障害」にはどのような症状が出るのか?「パニック障害」には<パニック発作><予期不安><広場恐怖>という3つの症状がある。「パニック発作」はパニック障害の中心となる症状で、強烈な不安と恐怖感うぃ伴います。次の13項目にうち、4つ以上の症状が同時に起きたら要注意!1、心臓がドキドキする、動悸息切れ、心拍数の増加2、汗が出る3、息切れがしたり、息苦しさがある4、喉に何かがつまったような窒息感5、吐き気、腹部の不快感6、めまい、ふらつき感、気が遠くなるような感じがする7、自分が自分でないような、今、起こっていることが 現実でないような感じがする(離人症状)8、寒気がする、または熱っぽく感じる9、胸の痛み、胸全体の不快感10、身体の一部がビリビリ、ジンジンとしびれる感じがある11、コントロールを失いこと、または気が狂ってしまうのでは ないかという恐怖12、身体が震え出し止まらない13、このまま死んでしまうのではないかという恐怖感「パニック障害」は?病院で心電図や血圧などを通常の検査をしても 身体的な異常は見つからない。?多くの場合、5~20分くらいでおさまる(長くても1時間程度)?発作が始まってから10分以内で大概はピークに達する。?発作は何度も繰り返す。「予期不安」パニック発作が繰り返される内に、患者の多くが「また、あの発作が襲ってくるかもしれない恐怖」という漠然とした不安が常につきまとうようになること。「うつ病との合併症」が心配される病いで薬やカウンセリング、認知行動治療などと組み合わせて、発作をコントロールしてゆきます。「パニック障害」は良くなったり、悪くなったりしながら、少しずつ回復していきますので、焦らず治療し、発作の不安から開放され薬を飲まなくても改善した状態が維持出来るように治療します。そのためには、家族や友人など周りのサポートが重要です。病院で何も検査結果が悪くないから、「我が儘病」「贅沢病」とか周囲の人から言われると益々病状は悪化します。「パニック発作」は(私はこのまま死んでしまうのではないか…」と思う程の激しいものですが、実際には死ぬことはありません。患者さんの周囲にいらっしゃる方は、発作が起きた時には、おさまるまで慌てずに付き添って見守ってあげて下さい。そして、出来るだけそばにいてあげて下さい。「一緒にいる」ということは、物理的な時間を共有することではなく、精神的に一緒にいるということです。一番身近なご家族が、この病気の辛さを理解し、見守っていてくれていると感じるだけでも、患者さんの安心感はとても大きくなります。「パニック障害」は、意外にもありふれた病気で100人に1人が罹ると報告されています。近年、パニック障害に関する医学が進み、特効薬も開発されてはおりますが、全員に効果がある訳ではありません。お一人で悩まずに、まずは医師に相談しましょう。 「皆、苦しさと闘っている‥でも一人じゃないから‥」
2011.02.08
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「恩師の教え」もし、私はこの先生に出会わなければ、どうしようもない絶望の中を闇雲に生きていたかも知れない。本を読んで感動し泣くことは誰しも経験があるであろう。しかし、それは小説や物語であり、難しい理論書で涙することは滅多にないだろう。私はここ2~3年、恩師が書いた理論書を読むと胸がいっぱいになり、涙が止まらなくなる。どんな感動的な小説や映画よりも先生が教えて下さったことが人生において大切だからである。私が哲学の門を真面目に叩いたのは、今から12年前の秋だった。ここで、私は初めて読めない熟語に出会った。いくつもいくつも難しい熟語があり、前後の文章からも意味が判らない‥音読みも出来ない‥決して難解熟語ではない筈なのに‥先ずは、専門用語辞典が必要であることもこの時に覚えた。学問を始める際には、その学問に適した辞書や参考文献が必要であり、これを探すのに丸一日が掛かってしまう。毎日が「目からうろこ」の学問、それが哲学だった。恩師は、すでにこの世には存在していないが、私は今でも先生の理論書を有り難く大事に読み返している。哲学を学んだのは2年間だけだが、その後は、宗教、道徳、倫理、歴史社会、美学など関連のある学問は一通り済ませた。そして、何より大事なのが国語である。字が読めて書けて意味が分からなくては一歩も前には進めない。来月になると、中間試験、そして年が明ければ期末試験がある。先生は、試験中には「何でも持ち込み可」である。これが、どんなに難しいことなのか?自分の言葉で、ある事について語らなければならない。何を持ち込んで書き写しても、それは自分の言葉ではなく、借り物であると言う事、つまり本当に理解していなくては、何一つ答えられないと云う事である。哲学は、この世に生きる人間にとって、最も重要な、また、あらゆる人に関わってくる、最も身近な問題である。哲学することなしに、私たちはこの世を生きてゆくことは出来ない。哲学は、人間であるということと同義だからである。先生は、解り易く、いくつかの分類に分けて講義して下さった。1、経験 2、時間 3、境遇 4、遍歴 5、自己6、他者 7、仕事 8、孤独 9、世間 10、生き甲斐11、愛 12、不幸 13、運命 14、情念 15、自然16、美 17、生存 18、正義 19、老い 20、死一つの項目は、一応にすぐには理解出来ない。「時間」を一つ取ってみても自己と時間、空間と時間、私抜きの時間、時間と公共的規定実在的過程と時間的意識、時間意識の根源、自己自身の生存の時間とその歴史どれもこれも人生に密着していることである。恩師は、哲学が、精神的伝承であり、広範な学問であり、人間の生存の核心をなす根本問題であること私に教えて下さった。
2011.02.07
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「基礎から‥」基礎から習う。何も知らない時から、大事な基本を学ぶことと成長してから学ぶことはその結果は随分と開きが出ることは否めない。どう習うのか?どう学ぶのか?どう教えるのか?先ずは、「覚える」と言う事は、「暗記」から、次に「理論」そして「経験」最後は「ひらめき」である。暗記は模倣で良い。意味など分からなくて良い。とにかく、全部暗記して忘れないこと。理解するのは、それからで良い。この世のことは全てが理論であり、感情的になっていると理路整然としないが、落ち着いて思考すれば必ず理論が存在する。何事も経験しないと、そのものは本当には分からない。体験ではなく、経験である。その経験を重ねることで、眠っていた自分の才能を見いだすことに繋がる。しかし、世の中は才能があっても上手くは渡れない。また、才能のかけらすら無くても上手に渡れるのも世間である。人生は、自分の「才能」を知らずに気づかずに終わる場合の方がきっと多いに違いない。私は、何も知らなくて習い始めたものに「茶道」がある。口もちゃんときけないほど、幼い頃より始め、続けているのだからやはり、この年になると、それなりである。当時、私が教えて頂いた家元が、もし今もご存命であれば、110歳はとっくに過ぎておられる。基礎以前が出来なくて習うことが出来なかったものに「香道」がある。私は、今でも香道の門を叩いた時の先生の最初の言葉をはっきり覚えている。「まぁ、どうしましょう‥筆をお持ちになったことがないの?」「まぁ、勅撰集をご存知ないの?どうしましょう‥」全く、その通りである。墨の扱い方、灰の作り方、炭団の熾し方、勅撰集など和歌の遊び方、筆の持ち方、なんにも出来なかった。これらを知っていてからの「お香」である。それから、十何年経って、今なら、いくらか理解出来るものもある。お香は香りを聞くばかりではなく、先ず、記録を残さねばならない。だから、どうしても字が書けないと前に進めない。かと云って、どんな字でも良いという訳にもいくまい。基礎から習って基礎の入口で断念した「お香」だけれど、こんなに勉強になった習い事は他にはない。一つの事をやり通すことは難しい。試験や免許、免状とかではなく、一流になってゆくのは難しい‥博士も見識者も同様である。もし、何かを基礎から習いたいなら、出来れば、一流の先生を師と仰ぐのが良いだろう。しかし、一流の先生を見つけるのが一番難しい。基礎は基礎であり、基本は基本である。ここで間違えると、オトナになってからの軌道修正は困難であり、聡明であればあるほどに自分と戦わなければならない。されど、気づいたら聡明な人の方が手直しが出来る。なんとも困るのは、習い方、覚え方が前を向いていない場合である。言い方はひどいが「馬鹿の考え休むに似たり」は一理ある。面白いことに、最初に間違えて先生から何度も注意を受けたことは、どうしても今でも乗り越えられない場合が多い。そこに来ると、少々呼吸が乱れる自分がいる。もうとうに克服している筈のことでもやはり、そこの詰めが今一つ甘いと思ってしまう。先生は、最初からそれを見極めているのだからいつまで経っても「師匠」なのである。どんなことでも「基礎」は大事である。にほんブログ村
2011.02.07
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