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過去記事から‥(2010.4/1.氷山の楽書き帳より)最近では、あまり行動を起こす人もいないが‥4/1は、「エイプリル.フール」これはヨーロッパの習慣が伝わったもの。今でも世界のニュースなどではとんでもない「嘘」を実しやかに放送することがある。勿論、後で「今日はエイプリル.フール」と付け加えるのであるが、バックに必ず笑い声を入れている。さて、我が国の江戸時代には、この日は何の日だったか?実は、「不義理の日」と呼ばれていた。つまり、日頃ご無沙汰している方々に手紙を書いて不義理を詫び、近況をたずねる日なのである。と、古い手帳の中に上記のように書いてあった。自分で書いて忘れてしまっては仕方がないが「そういえば~?!」と思い当たる葉書が以前にあった事を思い出した。父の友人で2~3人程、四月一日に年賀状を送ってくるお人がいた。そうか!そういう意味だったのだ‥まさか、イイ年をしてウケ狙いはなかったと思うお人なので‥そういう事だったのだ~昔の人は、素敵なことをサラリと為さる辺りがなんとも好いですね~暦を陰陽、両方に使い分けている。今はそんなことが出来る人も少なくなり、すこし淋しい感じがする。きっと、これからどんどん、減ってゆくのだろう。日本の良さが、埋没していることをほんの少々でも知って欲しいものだと感じた。今日から新しい年度(新年度)になる。エイプリル.フール&「不義理の日」四月一日‥どこか、共通点が有る様な無い様な‥嘘も方便(これは仏教用語)不義理をしている方はこの機会にメールや電話してみては如何ですか?◇心をこめて書く‥
2011.03.31
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全国のあちらこちらで「○○祭りの自粛や中止」が発表されている。祭りとは、神仏や祖先の霊に、祈願・感謝する儀式であり、神事である。祭りは、動詞「祭る」の連用形の名詞化。神仏に物を献上したり、差し上げることが祭りの原義と見られるため、謙譲語「たてまつる」と同じ意味の「奉る(まつる)」と同源と考えられている。「待つ」を語源とする説もあると云う‥?ご参考のために、「祭り」 ←こちらから‥今回の東日本大震災は未曾有な出来事である。地震や津波、原発で被災してしまった地域なら「お祭り」をしたくてもその場所すら被害を被っているので「中止」せざるを得ないかも知れない。しかし、なんの被害もなく、日常の生活を行っている地域は「お祭り」は「神事らしく」厳かにすれば良いと思う。季節は「春」から「初夏」へ‥どこでもお祭りが開催される季節。被災地の瓦礫撤去の側の「河津桜」が咲いている。その愛らしさが一条の光に見える。しかし、何故「桜まつり」まで自粛なのだろう?今週末から各地で予定されていた「桜まつり」が、震災の影響で相次いで中止になった。その理由の一つに「計画停電でぼんぼりが点灯できない」「祭りをしている場合じゃない」「花見の気分じゃない」と主催者側は述べているらしい。別に「ぼんぼり」が無くても「場合」や「気分」でなくても桜は、ちゃんと咲いてくれる。それが、明日への「希望」に繋がる。そして、日本の古来からの「まつり」を自粛する必要は、あるのだろうか?神様は、「おまつりし、たてまつり、ご光臨賜り 共に食し、お神酒を飲み、唱い踊る」「祭り」は「ハレ」である。「神」と一体になれる日である。被災された方のことを辛く思う気持ちは、みんな一緒で悲しく切なく涙が溢れ出る。けれど、祖先を奉り五穀豊穣を願う気持ちはとても大切であり、そうやって日本人は生きてきたのにどうして、自粛しなくてはならないのか‥「さくら」は日本人を象徴する文化であり、もはや、ただの植物では済まされない‥それぞれの人のそれぞれの想いがあり、その桜を思う気持ちには千年以上の歴史観があり、日本人に「美意識」と云う感覚をもたらした花である。そんな桜を愛でてはいけないのか?こんな時だからこそ、桜をこの目で見たいのである。NHK水戸放送局◇被災地に河津桜咲く ◇河津桜
2011.03.31
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市役所の帰り、ちょっと、とある公園でぼ~っとした。何事もなかったような長閑な昼下がりの公園。犬を散歩させている人。子どもとキャッチボールをしている人。幼子にアヒルを見せている若い母親。春休みらしい風景。足元には、ナズナが咲いている。可愛いな~って思ったが、いつも咲いていたかな~って頭の中に疑問符?!そうか‥通常なら、これほど雑草は、生えてはいない。ちゃんと、公園の管理をしているし、ボランティアの人たちが草取りしているし、そうよ‥いつもは、ナズナがこんなに沢山背が高く生えてはいないのだ‥う~ん‥なるほど‥波紋は、こんな所にも広がるんだ~ナズナは「ぺんぺん草」と呼称されている。その理由は、詳しくは「ナズナ」↑こちらで‥「菜の花」と同じアブラナ科の植物。ナズナがペンペン草とも呼ばれるのは、果実の形が三味線のバチに似ているからと云われているが、私はこの果実は「ハート」の形に似ていると思う。しかも、たくさんのハートなのが好い。いっぱい実を付けたハートの果実の中にはたくさんの新しい生命がしっかりと包まれている。自然は、逞しい。少しだけ、自分の時間が持てるようになった20日目の午後だった。◇ナズナの花◇黄色のナズナ(イヌナズナ)◇イヌのフグリとナズナ◇ハートの形はペンペンと音も出る
2011.03.30
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今年は、確定申告をどうしたことか2月中旬に済ませていた私。真面目に申告しておいて良かった~少々、用事があってさっき、市役所に行って来た。あちゃ~市役所にも被害があった!もう今日であれから、20日目なのに‥危ない~~それに市役所‥なんだか、忙しく動いている。いつも、のんびりしている場所なのに‥そう言えば、ここでも給水車が出ていたんだっけ‥通常の業務は、しているけれどそれぞれに場所を変えているようで、殺伐とした感じがする。古い建物だからこれから、修理が大変だぁ~あ~それも税金なんだ!しかし、かなり危ない状態でも復旧作業をして皆様、ご苦労様です。高いところでの作業にはくれぐれも注意して下さいな!◇市役所はあちこちタイルや壁が崩落している。 トイレも危険状態でした。◇タイルの壁のところはこんな具合です。 近寄らない方が安全です。
2011.03.30
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暖かく春の陽射しの日中‥花と植木の花木センターに行く。花も野菜も土から、春を教えてくれる重要なメッセンジャー。季節を先取りして、いろいろな花木を売っている所だが、流石にお客様の数は少ない。野菜は常に食するので分かり易いが、例えば、キュウリが曲がっていたり大きさが揃わないと「商品価値」が下がる。又、今回のように風評被害でも価格が下がる。花も植木も同じような評価がされる。ほんの少し、花びらが汚れているだけで値段が半分以下になる。いくつかの傷付いた花のポットを購入して寄せ植えをした。今は、寄せ植えしたばかりで隙間があって見栄えがしないが、あと3~4日もすれば、なんとか形になる。春の暖かな太陽の光を浴びてきっと、元気よく咲きそろう筈なので楽しみです。大丈夫‥可愛い花たちよ‥ん?そういえば、昔、昔、大学で習ったけ‥太陽光線をはじめとして、宇宙・大地・大気・食物など様々なものから、絶えず自然放射線を受けて私たちは生活している。そして、地球に生きる生物は永い進化の過程で放射線に対する防御機能をそれぞれに身につけて今日に至っている。そうでした‥大丈夫‥みんな地球で生きているんだった!◇ちょっと汚れたデンドロビウム◇ほんの少し汚れてるラナンキュラス◇ちょっと花びらが欠けているだけのサイネリア◇少しだけ花びらに粉塵が付いただけのネモフィラ
2011.03.29
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「南小学校の校庭に地割れ」‥と聞いてまさか、道路が一本違うだけで、そんなことはあるまいと思い、出掛けてみた。知り合いの方のお子さんも通っている小学校である。小学校の近くに車を止めて見るとさして、いつもと変わらないのだが‥よく見てみると、まぁどうしましょう‥グランドに大きな亀裂が走っている。あ~ここでもマンホールが突き出ている。道路も陥没箇所がある。桜並木がキレイなところなのに‥計画的に作られた閑静な街並の住宅街‥外見は、ほぼいつも通り‥?しかし、道路や学校までがこんな状態だから皆さん、家の中は凄かったと思うと同時に、地震が起きた時間が2:46‥子ども達に怪我はなかったのだろうか?不安感がよぎった。「危険」と書かれて立ち入り禁止の箇所もたくさんある小学校‥今、春休みだ。これから、入学式を迎えるに当たって安全管理もしなくちゃならない‥長閑なお天気で昼間が暖かいのは嬉しいが、なんともやるせない気持ちになってしまう。校庭にあるバスケットボールのネットがなんだか、無性に淋しく見えた。◇小学校の様子(電線がぶらさがっていて危険)◇小学校のグランドを見る◇陥没の歩道橋(危険なので通れません)◇いつもの春なら歩道橋から見下ろす桜並木がきれいなのに。 (この写真は以前に撮ったモノです)
2011.03.29
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「無事是貴人」禅語の一つで「茶の湯」の際によくつかわれる。「無事是貴人」とは、「つつがなく暮らしている人は、それだけで貴い人である」という意味だが、「無事」という意味には、「変わったことがない。ひまなこと」これとはかなり違う。ここで云う「無事」は「大自然(宇宙)の機能が円滑に働いている中に生きていること」多くを求める心を捨て、ああしたいこうなりたいといった我欲を捨てると限りなく純真無垢な自分と出会い、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができる。敢えて、求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見できると思う。今、ボランティア活動で「何か自分に出来ること!」でこの災害の渦中で一所懸命に働いている方々は、きっと自分の中に眠っていた人間としての優しさに目覚めての活動であろう。「無事是貴人」とは、そういった心の安らぎの境地を心の奥底から実感した人こそが、老若男女・貧富地位の別を超えて本当に貴い尊ぶべき人であると‥解いているのだろう。謙虚に生きよう‥便利も良いけれど、少し不便でも良いではないか‥?自分の足で立って歩いて、身体を動かしてみよう‥朝が来ると明日から春らしいお天気になると予報が出た。靖国神社の桜も開花した。いよいよ、泣いても笑っても悲しくても桜のことを待ちわびる季節がやって来る。
2011.03.28
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こんなに天気が良いので思い出したことがある。いつもだったら、なんでもない事。それでも、ちょっと、心地よい言葉だと私は想ってる。いつだったか、親友に「ねえ、もう一回言ってみてよ!」と問われた言葉‥あの時は、彼女は忙しくてなんとなくなんでもない言葉に自分の中の優しさを取り戻したかったのかも知れない。もう何年も前に私が言った言葉は‥「乾いた洗濯物のにおい」「お日様に干して暖ったかいお布団のにおい」「外は寒いのに部屋はサンルームのように暖かい陽射しが差し込んでいる ベットの上のほかほか感」「ベランダで育てている花のつぼみが膨らんだ時」「冷えた背中に掛けてくれたストールのぬくもり」「ちょっと恥ずかしいけれど一所懸命頑張った自分だけが知っている自分 を労る優しい気持ち」「陽射しに囲まれて飲むコーヒーの湯気が壁に影絵のように映る時」「子犬や子猫を抱いた時の手の感触、温かさ」「青く高い空を見上げて大きく深呼吸した時の身体のバネ」「下らないことで皆んながプッと笑った時の雰囲気」日頃は、なんでもない事なのに今は、とても大切な言葉だと思う。自分で言って自分で感心しているようじゃ頼りないけれど(苦笑)明日には、明後日には‥‥心の底からそう出来るようになりたいと今、感じている。
2011.03.28
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今日は、日曜日あれから17日目‥こうして、何日目と書いておかないと日付曜日の感覚が分からなくなってくる。あれから、3回目の日曜日になる。穏やかで天気も良くて、杉花粉が黄色く車の上にたっぷりと積もっている。東北の日本海側、東海地方、関西地方に住む知人から、スーパーやショッピングセンターは「品薄」になっていると聞いた。確かに、全般的には品薄だけど棚に商品が全然ない訳ではないと思うのだが‥お水のペットボトルは2リットルは無いけれど小さいサイズは売っている。缶詰が無いと言われたが、そうでもない。カップ麺もそこそこある。野菜は地元産ばかりだが、結構、品目が多く売られている。ガソリンスタンドも、もう並ばなくても満タンに出来る。なんだか、日常に戻ったような気もしてしまう。そんな訳無いのだが‥今日は、立派な「椎茸」を見つけた。まるで、「あんぱん」のようである(笑)今夜は、これで、何を作ろうか?あっそうだ‥水戸納豆はありませんでした。◇缶詰コーナーの様子◇カップ麺1◇カップ麺2◇地元野菜直売所◇エビアン水◇巨大椎茸
2011.03.27
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東北に住んでいるいる友人からなんども、電話やメールがあった。その友人が住んでいるとろこは被害は無いと言う。「何か手に入らなくて困っているものは ありませんか? お水は?お米は?お茶は? ガソリンと灯油は送れませんが 遠慮しないで言って下さい。」「大丈夫! ライフラインも衣食住も ガソリンも灯油も ほとんど手に入るから‥」「それでも、何か手に入りにくいものが あったら、言って下さいよ‥」「じゃあ、タバコかな?」「え~~!!!!! タバコ?」「コンビニにもタバコ屋さんにも在庫が 無いから、今、一番欲しいものかな?(笑)」「分かりました。 送ります。お見舞いですから‥」「冗談よ!イイって‥冗談だってば‥」そして、何度も私が吸っている煙草の銘柄を聞き、写真を撮って確認し、彼女は昨日、一日、市内を駆け巡ってタバコを送ってくれた。宅急便が届いた‥『はやく届きます様に‥』とカードを添えて‥そして、私は友人に電話をした。「ホントに送ってくれるなんて‥ ありがとう‥ 本当に嬉しい‥」友人曰く「タバコ、こっちでもなかなか手に入りません。 私はタバコを吸わないから知りませんでした。 すぐに届いて良かった~ 3~4日は掛かるかも知れないって言われたわ。」「煙草」を「禁煙」するつもりは無い。地震酔いで、原発事故で、風評被害の食物を食べて危なっかしい水を飲んでいる。こんな状態だから嗜好品は止められない。煙草を吸うと「落ち着く」ような気がする。実際はそんなことはないのだけれど‥従姉妹からもタバコが届いた。嬉しいです!本当にありがとう!何よりの贈り物です。可愛いピンクの花が咲くタバコ‥ナス科の植物である。私の周辺には「タバコ農家」もいる。被災地の福島県と茨城県で栽培されていることも知って欲しいと思った。元々、あまりよく言われないタバコ‥支援物資で被災地にタバコを送ろうかな?きっと、お酒とタバコは支援物資の品目には上がらないだろうなぁ~でも、今は、ホントに手に入りにくいのよね~◇煙草の花
2011.03.26
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これは、信じられないほど急ピッチで本当に行われた復旧工事です。何故、こんなに遅くなってからニュースに取り上げられたかがよく分からない。でも、事実です。その高速道路を次の日に通りましたから‥この記事を読んで下さい。モノ作り日本人の技ですね◇「高速6日間で修復」
2011.03.25
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あれから、丸二週間15日目‥未だに、JRは開通していない。我が家から駅までは、1キロちょっと‥このところ、町内のことでバタバタしていたので駅には行っていなかった。今朝、駅前を遠巻きに通ってみて、駅舎も線路もホームも‥かなりの被害。これは、復旧にまだ日数が掛かると思った。(駅の敷地には立ち入り禁止です)TVで、千葉県の浦安市や茨城県の潮来市の映像を見ると、マンホールがまるで「キノコ」のように盛り上がっているのが衝撃的だった。しかし、わが町にも同じような「キノコ」が出没‥(唖然)駅裏の道路に今日の段階で、そのキノコはあった。あ~‥何たる事‥!◇今日の石岡駅◇駅の工事◇駅近辺の道
2011.03.25
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14日目‥ 大きい余震が多過ぎて、家の片付けも ままならないのが現実。 明日は、町内会の年度末の総会がある。 その前に、自分の住んでいる町内はあの地震から どうなっているのだろうか? と、思い立ち、各班で時間のある方々と 連れ立って、安否確認も含めて見回り隊‥ 一人暮らしの高齢者も多い住宅街。 家屋の損傷は、瓦が落ちてしまったり、塀が崩れたりで あるが、住んでいる人はどうしているのだろう? 昨日と今日、各家を訪ねてみて それぞれの方々の思いを耳にし目に触れ 一見、なんの問題もなさそうな我が町も 小さな被災地であることがよく分かった。 塀が倒れそうなお宅に張り紙をして 話を聞いて歩く。 思っていたよりずっと時間が掛かる。 みんな、不安で みんな、落ち着かない。 キレイに片付けが出来ているお宅は ほとんどなかった。 私も、この地震で不要なものは 思い切って捨てようと決心はしたものの‥ あまりの余震の多さに それも出来ない。 町内の皆さんが 一番、不安を感じる時は 「入浴」と「トイレ」と「睡眠」 どれも落ち着いて済ませることが出来ない。 また、あの震度6強の地震がやってきたら 裸ではマズい! 便秘になるのも致し方ない。 ゆっくり寝ることが恐くて出来ない。 そこにプラスされたのが 原発の諸問題‥ 風評被害は、野菜だけではない。 これから先、どうなるのだろう‥ 夕方になり、有り難い事に 遠方の方から電話があった。 「初めて、地図で場所確認したら被害が酷いんですね。 東海村も近いので、びっくりしました。 東北地震だと思っていたけど 東北関東大震災なんですね‥」 電話やメールはホントに嬉しい‥ こんな時にふっと思う事がある。 やっぱり、 地図は重要! よく日本地図を見て欲しい。 この地震の規模はM9.0 東日本がすっぽり入る。 そして、津波の距離は 青森から太平洋沿岸500キロの規模である。 青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉‥ 地図ではそう並んでいる。 明日の町内の総会で 被害状況も報告する。
2011.03.24
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13日目の夕方 従姉妹が仕事帰りに我が家に立ち寄った。 「これ、飾って‥すぐに駄目になっちゃうかも 知れないけれど‥」とバラの花を届けてくれた。 「どうしたの?このバラ?」 「花木センターでタダみたいな値段で売っていたの。」 そうか‥そうなのか‥ こんな大震災の最中に花や木を求めて 買いにゆく人は少ないだろう‥ この辺りは、園芸用の花の農家も多いところ。 そういえば、「洋ラン」の栽培も盛んである。 「カトレアや胡蝶蘭も鉢が割れて 商売ものにはならないから、すごい安値で 売っていたよ。」 従姉妹が帰ってから、バラの花を活けてみると 茎のところにカビが生えていたり、葉が萎れていたり するものも何本か混じっていた。 「可哀想に‥ 切り花だから、きっとこの震災の間 あまり、世話もされなかったのだろう‥ たくさんの切り花が廃棄されたのだろう‥」 玄関に飾る。 その隣には、二ヶ月の間、花瓶の中で咲いている 奇蹟のバラがまだ健在である。 少しでも、長い時間、今日届けられたバラも 咲いて欲しい‥ 地震にも倒れないなかった硝子の花瓶も不思議‥ お隣のおばあちゃんにも一束お裾分け‥ 「おじいさんの仏壇に飾るね‥ 花をずっと買っていないので‥ ありがとう‥キレイなバラだね‥」 空を見上げる。 明日も寒くなりそうである。☆過去記事(長持ちの秘訣)
2011.03.23
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今日で12日目になる。雨がちょっと上がったので庭に出てみる。知らぬ間に草もすくすく伸びている。狭庭に「木瓜の花」が二本ある。蕾がふっくらと愛らしく膨らんで一つが雨に打たれても咲いていた。白い花びらが少しだけ汚れてしまったけれどエラいね~~ちゃんと咲いて‥木瓜の花には鋭い棘がある。やっぱりバラ科の植物だな~なんて思いながら、振り返ってみると八重桜も蕾が赤くなっていた。私のHP「知はつながるこの花咲くや会」のトップの写真の桜である。今年も綺麗に咲いて欲しいなぁ~さてと、木瓜の花はとっても可愛い花であり、一カ所にかたまって咲く様子を高浜虚子はこう詠んでいる。「土近くまでひしひしと木瓜の花」「木瓜」の学名は「Chaenomeles(カエノメレス)speciosa (スペシオーサ)」「美しい」「華やかな」‥ギリシャ語で「裂けたリンゴ」と言うのが語源らしい。生薬の一つでもある。小さな木瓜が咲いた。そのうち、我が家の桜も咲くだろう‥それが、花の咲く順番‥冷え込んで来ているので花の命が心配であるが、春近し‥◇木瓜の蕾の様子◇八重桜の蕾の様子
2011.03.22
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春分の日は、3月20日から3月21日ごろ。他の祝祭日とは、違って日付がきまっていない。詳しくは、「国立天文台HP」祝日のうち、「春分の日」及び「秋分の日」は、法律で具体的に月日が明記されずに、それぞれ「春分日」「秋分日」と定められています。いつもなら、春のお彼岸でお墓参りに出掛けるところだが今回は、あの巨大地震以来4度もお墓に行っている。お寺に電話して「お墓参り」のことを尋ねると「今日は雨が降っているし、滑り易いから 来ない方がよいかも知れませんね‥」少し、安堵した‥菩提寺の墓石や灯籠がたくさん倒れている。3/14日のブログにも書いたが、墓石は重くてとても、二~三人くらいでは動かせない立派な石ばかり‥業者も今は触らない方が安全と云う。もう少し、今度の秋のお彼岸の頃か来年の春のお彼岸までには、檀家一同が集まってお墓の整地もしなくてはならないだろう。何しろ、土地が全体に動いてズレているのだから一軒が直したところでどうにもならない。我が家の墓石もなんとかほぼ元の位置には戻すことが出来たが、そのうちになんとかしなくては‥前途多難な復興です。メールや電話、そして、Blogにコメント下さった皆様、本当に嬉しく思っています。その声や文章にどれだけ勇気付けられているか‥今、BLogを書いている最中にも震度3の余震がありました。皆様のメッセージをお待ちしています。それが明日への活力になります。可愛い椿が咲いています。やはり、春のお彼岸の季節なんですね。
2011.03.21
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十日‥短く感じる時もある。しかし、今回の地震での十日は長い。いつまで続くのか?大きな余震。先が見えるような見えないような原発。同じ県でも未だに、断水のところもある。電気はやっと全県で復旧したと聞く。夕べの余震は大きかった。夜の地震は休んで頂けないかと地震にお願いしたいところだが、「地震語」が話せないのでどうしようもない(汗)被害のなかった地域は日本の経済復興のためにフル回転で頑張って欲しい。被災者にそれを強いるのは切ないから‥しかし、それにしても何故に民主党政権の誰ひとりとて福島原発に足を踏み入れないのか?小沢一郎は、選挙区の被災地岩手を見舞わないのは何故か?菅総理大臣は、ほうれん草やミルクを飲んで見せたらどうだろうか?民主党の誰もTVで自衛隊・消防隊・警察隊・東電各関係子会社の決死隊の働きに対して、感謝の言葉も慰安の言葉も掛けない。 政府が国民に「希望」を抱かせなくてどうする?「美しい日本」ではないのか?それは、自然美だけではなく日本人が長い歴史の中で培って来た心である。「また咲くであろう日本の桜1」「また咲くであろう日本の桜2」「また咲くであろう日本の桜3」
2011.03.20
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青い空風も無く、春のお彼岸日和のお天気‥水仙が綺麗に咲いている。ご近所の奥さんが子どもを連れてにこやかに挨拶する。◇「おはようございます!」◆「おはようございます! あら、え~と今日は金曜日でしょう? 小学校は? あっ、お休み‥になっちゃったの?」◇「え~巨大地震だし、原発もあるし‥ このまま子ども達は春休みです。 終業式もないし、卒業式は延期みたい‥」◆「夕べの余震は大きかったわ‥ 1時間の内に6~7回くらいあったでしょう?」◇「そうね~ もう震度3ぐらいに感じてもTVでは 取り上げてもくれないんですね~ 自衛隊のC1もスゴい数ですよね~ 夜でも飛んでるし‥」◆「家は片付いた?」◇「全然‥しばらくは何もしないの。 余震に疲れちゃった‥ あっ、そうだわ! ガソリン泥棒と自転車泥棒があるって こんな時に何を考えているのやら‥全く‥」◆「へえ~物騒ねぇ~ 気をつけないといけないわねぇ~」 ガソリンと灯油は毎日値上がりして 毎日、買えないわぁ~ 並ぶだけ無駄ねえ~」◇「じゃあ、これで‥」のんびりとした立ち話‥家屋の外見はほとんどの家々がちゃんとしているけれどなんとなく変な日常になってしまいました。計画停電は、急にあったりなかったり‥全然、計画性がないじゃない?それに、被災地の停電はキツいなぁ~地震と原発の恐怖は誰もが抱いているし、続いている。しかし、妙に笑顔で井戸端会議をしてしまう長閑な?朝。みんな、少し感覚がおかしい‥私も曜日がよく分からない‥今日辺りからやっと、自分の住んでいる県の被害の様子がTVに映る‥溜息が出るような映像(悲惨です)お彼岸だけどまともなお墓は少ない。倒れたり、割れたり動いたりなってしまいました。菩提寺の住職曰く「今度のお彼岸(9月)頃までになんとか なれば良いのですが‥ ご先祖様は、食料や燃料が無くても 大丈夫でしょう‥」明日は暖かくなると云う‥朝、日が昇ったら起きて夜になったら、はやい目に寝ましょう。
2011.03.18
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「もったいない)と言う言葉この言葉は、もともとはどういう由来と意味なのか?辞典には、「勿体」 「勿」は、無いの意。 「体」は、正体の意。意味は、(左程でもないのに、何かを秘めているように見せかけること)では、「もったいない」について 1、もっと有意義な使途があるのに、現在の無駄な粗末な 扱い方が惜しまれる様子。 2、自分自身を客観的に評価して、それを受ける器に 値しないと考える様子。と書いてある。ノーベル平和賞の受賞者でケニアのワンガリー.マータイさんが日本語の「もったいない」の言葉を賞賛した事は記憶に新しい。環境問題に対して掲げた3つの「R」「リデュース リユース リサイクル」この3つを一言で言い当てている「もったいない」無駄を減らし、何度も再利用し、使えなくなったものは別の形で使っていく。「勿体」は仏教の「無我」の意でもあり、それは、何も無いことではなく縁起のうちに成立していることを意味している。たとえ、紙一枚でも切れ屑一片でも、天地一切の力が集まってできたもの。どんなものでもそれに具わった命とはたらきを持っている。これが一つ欠けてもこの世は不完全になると考えると「勿体ない」という言葉の意義が現れる。命を繋ぐいろいろな力が今、世界中で動かんとしている。皆、一人ではないのである。復興するために‥今一度、「環境問題」も考え直そう。「おごった生活」も考え直そう。「必要以上」なことも考え直そう。今、心から思う事は生きているだけで「有り難い」
2011.03.17
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「巨大地震、大津波、大火災、原発事故」次から次へといったいどうなってしまうのだろう‥情報もいろいろと錯綜していてどれに信頼が置けるのか分からなくなってきた。まるで、袋小路に入ったような‥だまし絵を見ているような‥被災地とそうでないところの微妙な温度差‥「落ち着いて‥」「時間が立てば‥」「天災だから‥」「命があっただけで‥」「ライフラインが復旧して‥」現実は、そんな言葉ではとても言い表す事など出来ない。「生きていて良いのだろうか?」「食べていて良いのだろうか?」「眠っても良いのだろうか?」余震の恐怖は今頃になってひしひしと感じる。震度1ぐらいでも体中が痙攣するほどである。「トラウマ」私だけではない。母もおろおろしている。そこへ、今度は原発の諸問題の恐怖が追加された。「屋内避難」‥では、大きな余震が来て家の中に居たならばそこでじっとしているのか?いったいどうすれば良いのだろう。何故、こんなに恐怖心でいっぱいなのだろう‥ドストエーフスキイはこう言っている。「人間は死を怖る。それは生を愛するからである。」そうか‥生を愛しているのか‥今更ながら「先人の言葉」には勇気づけられる。「愛している」から失いたくないのである。
2011.03.15
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「お墓のありさま」家族もなんとか大丈夫で、家も倒れていないのでお墓に行ってみた。あ~どうしましょう‥流石に墓石は重くてビクとも動かない。大きな余震が来たら全部、倒れる。なんということでしょう‥落胆しても良いでしょうか?余震でまた、崩れるのでしょう‥(泣)仏にすがりたいところなのに‥◇お墓の様子◇お墓の状態◇夢が傾く記事をUPして電力を使ってしまいました。PCを閉じます。
2011.03.14
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夕方5時から停電になると役所の車がアナウンスしています。計画停電‥?電気は節約するのが良いことぐらいは知っているが、被災地までも停電にすることはなかろうと思う。中部、関西の電力はそのままでは使えない。此処は、余震もまだまだ多く、断水のところも多い。電気が供給されなければ、何も前には進まないのが現状‥しかし、夕方の停電は少々、酷ではないか?道路もあちこち亀裂が入っている。ガソリンも足らない。地震が起きてから、日常は一変してしまった。毎朝、何かを調達するために列に並ぶ。生まれて初めての事が続いている。食べる物は確保出来る。寝る所も家があればなんとかなる。今回の地震は今までの地震とは規模が全く違う。余震の大きさがM7ぐらいの地震を引き起こすと云われている。小さな地震は速報にも上らない。あれから、余震はずっと続いている。家の中にもだいぶ亀裂が入っている。地震保険の仕組みは面倒で部分損壊の場合は、なかなか保険は適用されないらしい。あ~これから先を考えるとゾッとするがまだ、家が外見を保っているのだからそれだけでも幸せと云わねばなるまい。◇壁の亀裂◇家の前の道
2011.03.14
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電気の復旧でTV!!!!今夜、7時過ぎに電気が復旧!ちょっと一安心です。しかし、断水は続いている。TVを一夜明けて見てその凄さに不安は増すばかり‥「原発」を心配してメールや電話を下さった方。「トイレ」を心配して下さった方。「避難して来て下さい」とおっしゃって下さった方。「互いに生き抜きましょう」とおっしゃって下さった方。「食料&飲料水」を調達して下さった方。「散乱」したブロック塀の片付けを手伝って下さった方。暖かいお心遣い、気配りを有り難うございます。余震は、今でも10分刻みに続いています。家の片付けは当分出来ませんねぇ~(トホホ)兎に角、なんとか生きています。が、今夜も余震が頻繁ですので寝られそうにありません。皆様、有り難うございました。
2011.03.12
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地震M8.8 まさかの地震でした。 今年になってから地震が多いけれど 自分がこうなるとは思ってもみなかった。 ライフラインが全滅 電気もガスも水道もなく 真っ暗な中でロウソクと海中電灯の中で WiFiにPCを繋いでBlogを書いています。 車の中でのTV 一番、TVでニュースを知りたいところの人たちが 情報源がないのです。 コンビニもガソリンスタンドも大手スーパーも 完全閉鎖、信号は機能しておらず 国道6号線に出るのは危険な状態。 百里基地から飛ぶヘリコプターの音 ひっきりなしの余震、余震‥震度3~4が続いています。 幸いにも家は倒壊しませんでしたが、 これからどうしましょう‥?? あっ、また大きな揺れです。 あっ、また大きな揺れ‥ とても寝る訳にはいかない不安な夜。 真っ暗な町。 静かな町。 恐い夜です。 それなのに、西の空には綺麗な三日月。 そして、満点の星空に北斗七星が煌めいている。 ぞっとする夜です。
2011.03.11
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「仏の座 春の絨毯」病院の駐車場の向こうに、仏の座の群落を見つけた。今まで、フェンスがあって見えないので知らなかったが、それが取り外されていて、一面に広がって咲いていた。「まぁ~綺麗!まるでレンゲ畑のように春してる~」私は、ホトケノザやイヌノフグリ、ナズナや土筆が咲き出すと本当に嬉しくなって来る。どの花も一本だけでは大した花ではないし、ただの雑草にしか見えないだろう。薔薇やカトレアのように、一輪でも存在感があり、女王たる名前に恥じない豪華さや気位は持ち合わせていない。しかし、小さな花の方が写真に撮ると「絵になる」ところが不思議。その小さな花を、とても印象的にドラマティックに撮られる方がいらっしゃる。山野草、野菜の花、道ばたの草花、田畑に咲く花どれも一つでは主役になれない小さな名も知らぬ花々。それを主題に撮るのは割合容易いけれど、ドラマを作るのは、難しい。その内、ご許可を得たならば、ここでご紹介したいほどお上手な方。さて、春の花は、普通に春らしく撮るしか出来ない私が撮った「仏の座」‥新しい春の一歩が伝わって来るようなピンクの絨毯。例え、小さな花でもたくさん咲いていると綺麗!春の花は、皆、愛らしい‥優しくて、柔らかくて、暖かい。佳きかな~でした。病いも悪くはないなぁ~(笑)◇ホトケノザ
2011.03.11
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「Un ?tranger(エトランゼ)」辞書で引くとフランス語である。ふむふむ‥エトランジュ‥異邦人、外国からの旅行者、見知らぬ人‥もうすぐ、私はどこぞで「異邦人」になる。桜を追いかけて「見知らぬ旅人」になる。国内でも海外でも、 写真を撮るせいもあるのか 一人旅は好きである。どこへ行っても、楽しい想い出ばかりが心に残る。大きなカメラバックを肩に担いでいると、見知らぬ人から「写真を撮って頂けますか?」「シャッター押して頂けますか?」「このカメラの使い方分りますか?」などとよく声をかけられる。今時、みんなデジタルカメラとかコンパクトカメラだから、普通の一眼レフを持って歩いている人は少ない。どうせ、誰かにシャッターを押して貰うなら、安心して任せられるような人が好ましい。多分、私はそれにぴったりなのだろう(笑)「エトランゼにお成りなさい!」と言ってくれた先輩‥そうですね。ずっと、ずっと以前から私は「異邦人」です‥「根を下ろしたい」と想っても「旅人」なんです。桜を真面目に追いかけて自分が異邦人であることを知りました。だから、ご心配頂かなくとも「見知らぬ場所」も大丈夫です。自分の居場所は何処なのか?私は何処へ向かっているのか?誰もが皆、旅人で、誰もが皆、見知らぬ異邦人です。何処からやってきて、何処へ行くのか?誰も今だ、その答えを見つけていない。見つからないから、いろんな分野で探している。開拓、研究、開発、発見、発展、分析、習い覚えて、また、その先へと進む。その答えを見つけるまで、見つかるまで‥人はそうした生き物であると私も以前に学び、それは間違っていないと思う。私の旅は終わらない‥桜がまた何かを教えてくれると信じて旅をする。エトランゼ‥見知らぬ場所に足を踏み入れると謙虚になれる‥知らないから少し臆病になるのは当然至極‥(笑)
2011.03.11
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<生と壊死>(2002年の春)山には、まだ雪が多く、本当にこんな山奥で道は間違っていないのだろうか?一抹の不安がよぎる。いくらなんでも、まだ3月のお彼岸を過ぎて3~4日。深い山は、新緑も新芽も見当たらない‥周囲の山肌には残雪が所々に見え隠れする。お目当ての桜は、日本で一番古いと云われる「山高神代桜」山梨県の武川村の実相寺に、その桜は在る。樹齢は1800年とも2000年とも云われている。日本武尊が東征の帰途に植えたと云う伝説があり、その後、時代は下って日蓮上人がこの地に立ち寄った際にあまりに、この老桜が衰えていたので祈念し、桜は蘇ったとも伝わっている。日蓮は、しばらく此処を住処とし、白い枝垂れ桜をも自ら植えたと云う。と云う事は、日蓮上人がこの桜を見た時にすでに樹齢が1000年くらいだった事になる。別名「妙法桜」この実相寺から南に地図を辿ってみると、枝垂れ桜で有名な身延山久遠寺があり、実相寺の枝垂れ桜の子孫だとも聞いている。咲いているのかいないのか、不安な想いで、実相寺に到着!山高神代桜は、エドヒガン桜で支柱は崩落しており、痛々しい御姿をしてはいたが、錯綜する枝々には愛らしい花が初々しく満開に咲いていた。生まれるくる新しい桜の花、枯渇し、息も絶え絶えの太幹。真ん中の支柱はお社で囲まれ、何本も点滴している。長い年月の桜には、死神と産土神がいるようで怪しく美しく、そして、儚い。日本三名桜 山梨県 神代桜 岐阜県 淡墨桜 福島県 三春滝桜◇2002年の春だったのか?と思う。 思い出すあの山道。 本当に、この先に桜が待っているのだろうかと 思った。 なんとも、長生きの桜である。 日本三名桜は、どれも素晴らしい。 時間のある方には 自分の命がある内に 一度は見て頂きたい桜である。
2011.03.09
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「桜を追う旅」もう何年になるのだろう‥毎年、毎年、桜を追い求め、桜前線を旅している。家族も仕事も勉強も全部すっぽかしてただひたすらに桜を追い続けている。最初のきっかけはなんだったのか‥?元々、桜の花は大好きである。昔のことだが、家庭にも仕事にも疲れていたことがあった。その時に、とある病院の大きな桜の木の上にこの世のものではない少年がいた。顔の無い少年‥ 私は少しも恐くはなかったのを今でもよ~く覚えている。少年は枝から枝へと宙を舞い横笛を私に聴かせてくれた。不思議な体験はまだある。当時、私が住んでいたところの近くに大きな川があり、桜堤が長く続いていた。桜の花が満開で私は一人で不愉快な思いを抱えて河原に寝転んでいた。すると、鳥のさえずりが話し言葉に変わった。鳥達は、桜の花を啄みながらまるで、井戸端会議のような話をしていた。そして桜はそれを笑って聞いていた。桜の精が夢に出てきたことは何度もある。桜の精は女神様で視ることを憚れるほど神々しくお美しいと感じた。何度も夢に登場するのだが、私は一度もそのお顔を拝したことはない。そんな、桜へ対するいろいろな想いがありたぶん、傷ついた心を癒すために「桜紀行」を始めたのだと思う。桜は「慈しみ」とも云える「大いなる優しさ」を私に与えてくれる。今までに、どれほどの桜を愛でて来たのだろう。何処の地の桜も私を夢中にさせてくれる。今年も決めた彼の地へは行こう‥それが、私の命を繋いでくれる唯一の「信」であり「真」であり、「神」であるのだから‥◇デジタルカメラでは撮っておりません。 加工も施してはおりません。 ファインダーの向こうの桜の姿です。1、桜紀行の中の桜2、桜紀行の中の桜3、桜紀行の中の桜4、桜紀行の中の桜5、桜紀行の中の桜
2011.03.09
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前のページの続き‥Blogは、日記ですね~懐かしさがこみ上げて来ます。「2009年の桜紀行開始!」「一心行の大桜」今年は九州の桜を…往復3300キロの旅に出掛けてみる。而も車で…遠いですよ…やっぱり!これだけは観ておきたい桜日本には、「観ておきたい桜」が何本かある。以前にもお話したと思うが、東西の横綱の桜、日本で一番長生きしている桜、二つ名を持つ桜、JRのポスターになる桜、TVのCMで流れる桜、それぞれの心に残る想い出の桜等々、どうしても観ておきたい桜があると思う。私は九州の南阿蘇の白水村にある「一心行の大桜」を一度、観てみたいとずっと思ってきた。今年(2009年)その夢が叶い本当に嬉しく有り難いと感謝している。この桜は所謂、「一本桜」であり、樹齢400年程の山桜である。何年か前に台風の痛手を受け少し、形が変形してしまい残念至極ではあるが見応えのある美しい桜であり、九州では一番の大桜である。今年私が訪れたのは3/26、お天気快晴!雲一つなく、一心行桜は満開で私を待っていた。ロケーションも最上級で、思わず手を合わせたくなるその姿に畏敬の念を感じ、しばらくは見入っていた。「一心行桜様、お目に掛かれて光栄です!」この桜を観るためにはるばる阿蘇まで足を伸ばした。空が青くて、白い雲がゆく。桜は何を思って此処に居るのだろうか?こうして桜紀行を振り返り物思いにふけるともう今日あたりは落花の舞いではなかろうかと思う。この桜は、おそらく散ればこその桜でもあると確信している。散っても美しいのだ。◇毎年、今年は何処の桜を愛でるか? 昨年は体調不良により、観たい桜を断念した。 今年は、なんとしてでも行ってみたい。 「北海道」へ2011年は渡る。☆一心行桜1☆一心行桜2
2011.03.08
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「桜紀行へと‥」2010年と2009年の桜の記事をなんとか、このPC内に取り戻すことが出来た。「緑仙の日々是好日 桜紀行抜粋」<2010年桜紀行へと>三月のカレンダーの写真には桜の花が満開に咲いている。いつまでも風邪なんぞに係ってはいられない‥そろそろ諸々準備をせねば‥と思う夜。去年の桜‥それは、素晴らしい出逢いの数々、たくさんの「愛」に満ち溢れた桜桜のピンク色の旅‥想い出すと胸がきゅっと痛くなる程である。今年は、どんな桜に巡り逢うのだろう?予定している場所は、だいたい昨年の春に決めてある。それに向けて用意万端整えて準備する。一番、気を付けて準備するのが「心」であり、今年、お目文字が叶う桜に対して、自分が恥ずかしくないか?‥元気の気は萎えてはいないか?‥この二つの準備と用意が出来なければ、美しい桜は私を呼んでくれはしない。桜は日本人の象徴文化の第一人者であると云って過言でない。ただの樹木の花に戻れない「桜の花」‥本来なら、咲いたか散ったか‥花は咲けば散るのが定め‥しかし、桜は、特別な花‥各地に名木と伝説有り。それを知ると益々、魅かれてしまう私である。昨年の熊本県の「一心行桜」本当に美しかった‥お天気は快晴! 今年も桜から、大いなるお慈悲を頂きたい‥桜任せの旅は、お天気も日程も桜の開花状態も全て、桜にお任せしている。私はただそれに従うだけの旅。仏教的に述べるのなら、完全に「他力本願」であり、その光が射すところに迷うことなく導かれてゆくのである。桜と云う名前の「神様」は、ひととき夢心地の気分を誰にでも与えて下さる。大都会でも山里でも‥分け隔てなく‥日本人に生まれて良かったと思う桜との旅が今年も始まるのである。☆2010年の桜紀行便り(葉書)☆桜紀行☆桜紀行◇2009年の記事は 次のページで‥ 写真を探さないとUP出来ない。 一昨年の桜の写真はどこへ片付けたやら‥(汗)
2011.03.08
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「春の雪」さっきまで、あんなに降っていた雪が止み、お日様が顔を見せた訳でもないのに猛スピードで融けてゆく。夕方から出掛ける所があって「この雪では諦めるしかない!」と思っていたがどうやら、大丈夫そうである。日没の時間を迎える頃には大通りの道路には雪の痕跡も残らないだろう。庭木の雪も払わなくともこちらもなんとかなりそうである。そのあたりが「春の雪」の所以とも言える。「淡雪」なんだなぁ~と感じ入りつつやっぱり、寒い‥我が家の姫踊り子草も雪の中から姿を現した。◇踊り子草はシソ科の花 どうでもよいことだが 踊り子草は食べられるが 姫踊り子草は食べられない。☆まるで雪国のようです(二階から見るゴールドクレスト)☆寒そうで可哀想‥☆姫踊り子草☆こちらが、踊り子草
2011.03.07
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「苺の花」ともかく、暦の上だけでなく人々の行動にも確実に春はやって来ている証拠がそこかしこに点在している。周囲の景色も少しずつ、春へ春へとその数が増して来ている。いろいろな諸問題は誰もが抱えているけれど買い物などに出掛けるとバレンタインからホワイトデーへと商業戦線は延長戦で、商品はグンと春らしくなっている。果物のコーナーにたくさんあった蜜柑は甘夏やポンカンやネーブルになり苺の種類が増えている。買い物の帰り道、住宅街の片隅にある小さな畑の中に「苺の花」を見つけた。畑と言っても、趣味の園芸であるが、素人でもこんなに可愛らしい苺を育てられるだ。きっと、明日の朝には積みに来るのやも知れない。夕方、日が落ちれば、まだまだ冬の夜。その寒さに耐えながら、朝日を待ち、ほのかな春の陽射しを少しでも多く浴びようと一所懸命に咲いている苺の花が愛らしい。花も実も春いっぱい‥「岬より帰路に岐れて花苺 曹人」イチゴはバラ科 オランダイチゴ属
2011.03.07
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「写経」般若心経を書き始めて13年目になる。写経は、心をこめて丁寧に書写すれば良いので間違えのないように正しく書写することが基本である。一度、傷ついた心の傷は、なかなか癒えないけれど、だいぶ、心が強くなったことは写経のお陰かも知れない。般若心経の意味も言葉ももうすっかり諳んじている。最初は、私の天使のために書いていたが今は、少し違う。真面目に500~600枚以上も書くと、身に付いたものが多い事に自分でもびっくりする。やはり、「有り難いお経」である。そもそも、写経は、その一文字にどう心が映るか間違えのないようにするには落ち着いているかそんな自分に問いかけをするものである。写経するお経の種類はたくさんあるが、一番、ポピュラーなる般若心経。先ず、なんと云っても般若心経の内容が良い。◇「宇宙の真理」が朧げに分かるような気がする。◇「字」が上手になる。何しろ、「無」とか「不」とか形の取れない文字が多いので長年の間にそれを克服出来る。◇「字」の全体のバランスも良くなる。◇「書体」がいくつか持てるようになる。◇「集中力を養える」のも有り難い。◇「自分の心の中」が判るようになる。など、己にとって良いことばかりが授けられる。私の天使は早くに逝ってしまったが、いつも、私の隣にいる。そう想えるようになったのも有り難いことである。◇去年のブログからの抜粋記事であるが 今日も一枚、写経をする。 楷書で書かなければいけないのかも知れない。 しかしながら、 楷書、行書、草書は、どうした手順で 書体が変化したのか? 文字の歴史にも触れ、紙や墨、硯などの 歴史さえも知る事が出来たのも 写経のお陰である。
2011.03.06
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「長持ちの秘訣!」写真のバラは、1月25日頃に知り合いのバラ農園を営んでいる方から頂戴した。もうすでに咲いていて、「売りものじゃないから気にしないで‥」と彼女は、笑顔で20本ほどのいろいろな種類のバラの花を私に下さった。バラの花は玄関に飾って毎日、水を取り替えて、毎日、バラのご機嫌を伺ってすると、バレンタインデーまで綺麗に咲いていた。ご近所に、お菓子を持って行った折にもこのバラの花を添えた。翌日、友達がお菓子のお礼にと立ち寄ったので帰る時に3~4本手渡した。そうして、1ヶ月が過ぎて2月の末になっても私は残ったバラの花の花瓶の水を取り替え続け、バラに語りかけた。そして、3月を迎えた。バラの花はまだ咲いている。なんと、長持ちのバラなのだろう‥?バラ農園の彼女にこの事を伝えると「嘘~?!あの時のバラ?」「丹精込めて作ると長持ちするバラになるのね~」と私。「それじゃ困るわ~売れないじゃない!笑」と彼女。「ホントにまだ咲いているわ。」「それは、バラへの想いだわねぇ~ 心から、大切にしてくれているからウチのバラも 頑張って咲いているのよ。 でも、40日は長持ちしすぎ‥不思議だね!」「そうね‥いくらなんでもね。 葉っぱの色が黄色くなってきたわ。 なんだか、神々しいわ‥」「長持ちの秘訣は、 やっぱり、心なのかもね~ あ~でも、それじゃウチは商売にならないわ~」春めいた日ざしの中で幸せを感じた。◇バレンタインデーの時◇2月の末には◇3月になって◇今日のバラの様子1◇今日のバラの様子2いつまで咲いていてくれるのかしら?
2011.03.06
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「二十四節気 啓蟄」庭の片隅で小さな黄色の水仙が咲き出した。草もあちこちに花より先に萌え出している。昼間は暖かく、夜には寒い。三寒四温の春先模様‥いずれにしても、そんな時期になった。雨水 (うすい) 2/19頃‥次が啓蟄 (けいちつ) 3/6頃、陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也。啓蟄は冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃という意味。実際に虫が活動を始めるのはもう少し先。それを狙って、鳥も何かと忙しい季節になり、柳の若芽が芽吹き、蕗のとうの花が咲く頃である。啓蟄の次がお馴染みの春分(3/21頃)春雨降りて百穀を生化すれば也。田畑の準備が整い、それに合わせるように、柔らかな春の雨が降る頃。この頃より変りやすい春の天気も安定し日差しも強まる。二十四節気は、この節入りの日に始まって次の節入りの直前の日までの期間(約15日)を指しており、一日だけを指すものではない。毎年、同じ日と云う事もなく、微妙にずれる。覚えるのもそんなに難しくない。「知ったかぶり?」で申し訳ないが、季節を分けるのに一番重要なのが、二至(冬至と夏至)で、そして二分(春分と秋分)その後に八節(二至二分に立春・立夏・立秋・立冬を加えたもの)が出来たと考えられている。と難しく書いているが、つまり、誰でも「夏至と冬至」「春分と秋分」これで24の内の4つは解る。(これは気象学で必要!)それプラス「立春、立夏、立秋、立冬」の4つ。この4つの前日が「節分」‥節分は年に4回。24の内、「8つ」はもうすでに知っている。さあ、残り16を、どう覚えるか?「暑」と言う漢字と「寒」と言う漢字でだいたいの季節の見当は付く。「小暑、大暑、処暑、寒露、小雪、大雪、小寒、大寒」これで「8つ」は判断出来る。残りはあと「8つ」である。これも実際、判断しにくいのは、雨水、啓蟄、清明、穀雨、小満、芒種の6つで、覚えにくいのはこの「6つ」だけ。しかし、6つくらいならなんとか覚えられそうである。「白露と霜降」の2つは、秋か初冬と想像するのは差して難しくない。「合計24種類→二十四節気になる。啓蟄‥いくら寒いと言っても今年も暖冬であり、今月3月は一年の内で最も「風」が多く吹く‥「春の嵐」呼称は、ロマンティックだが台風並みの低気圧である。さてと、そろそろ「桜便り」が届く昨今。三月弥生桜月‥実際に観たい愛でたい桜は何時、咲くか?それははっきりしない。全部、桜任せである。◇これは、2010年の啓蟄の記事である。 今日は、暖かな日曜日‥少しは庭でも見回りましょう。
2011.03.06
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「桜と国花を争った梅」暦上は、梅から桜の季節ではあるがまだまだ、寒い処では梅の花が清楚に咲き続けている。その昔、万葉集の頃は、俄然「梅」の勢力が旺盛で「桜」の出てくる頻度は少ない。梅は、「春のことぶれの花」嘉祥木として珍重され、万葉集には120首程、登場する花である。また、梅は「清香馥郁」その香りは新月の真っ暗な中でも咲いていることが容易に存在が判る花である。古今集から新古今の中で桜にその数で負け、結局、国花を争う時にもすでに文学の中枢において百花繚乱の存在の桜に負けてはしまった。が、梅の呼称はたくさんあるので今夜は、ほんの少しご紹介したいと思う。「烏梅」「春告草」「好文木」「風待草」「花魁」「牟女」「匂草」「花の兄」「香散見草」「初名草」「清友」「清客」「世外佳人」「香栄草」「君子香」「梅」「索咲の客」「白玉条」等々、如何に梅が多くの人に慕われていたのがよく解る。梅の語源呼称に関して呼び名は「うむ=み」(=熟実)から、あるいは中国の生薬「烏梅」の中国音の『ウメイ』からとも言われている。
2011.03.05
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「目のお守り」私は、近眼で乱視で、何より右目と左目の差があり過ぎた昔‥今も良くはないけれど差はあまりなくなっている。年を取ったせいかも知れない(老眼?笑)近眼と気付いたのは小学生の頃、中学の時にはすでにコンタクトレンズと眼鏡を併用していた私。大学に入った年に車の免許を取って、父の車を借りて運転して、門柱に思いっきりぶつけ、その時、小さな硝子の破片が目の中に入った。それからググッと左目が悪くなった。今でも眼科に毎年2~3度行くが、検査しても目そのものは悪くなっていない。左目はいずれ見えなくなると言われて来たのに‥。そんな私の眼を気遣って「目の霊山」のお守りと御朱印を頂いてきてくれた人がいる。ずっと前に行ったことのあるお寺「醫王山/薬王院油山寺」 私の本棚の隅に「ご朱印帳」が三冊並んでいる。写真もたくさん記念に撮る私だが、ご朱印も頂く機会に恵まれれば頂いて来る。三冊の中から、油山寺に詣でた際のご朱印が見つかった。「平成3年8/17日」とスタンプが押されていた。その右隣には、「可睡斎」‥懐かしい~この頃は何故かいっぱい「お寺めぐり」をしていた。それほど宗教心もなかったのに‥人生とはなんとも‥‥平成3年から私の眼は此処で守られていたのかも知れない。そのお守りは、春の様に暖かい日に私の手許に届けられた。心の底から「有り難い!」と思った。お守りはネックレスになっている。首にずっと掛けていて、濡らしたりしたら大変!それこそ「バチが当たる」どうやって身に付けようかしら?(思案中!)この懐かしのご朱印帳の最初は京都三千院で、想い出作りに購入したもの。最初のページの日付は同じ年の「三月三日」「桃の節句」だった。やはりその時も今でも「春」は待ち遠しい。◇2010年の緑仙の日々是好日より抜粋記事◇「油山寺HP」「目のお守り」「昔の御朱印」「2010年、頂いた御朱印」
2011.03.05
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「卒業式」今度の日曜日は、私が勤めている私立の高校の卒業式です。女子校なので、皆、袴姿で晴れの日を迎えます。袴というのは、そう着るチャンスはありません。大概は、その学校の制服です。大学生になると、袴姿のお嬢さんもおりますが、スーツの方が多いかも知れません。成人式には袴姿でなくお振り袖。とすると、やはり一生の内、袴姿になるチャンスはそうは無い事になります。女性は、なるべくいろいろな衣装を身に付けるのが良いと私は思っています。袴も振り袖もオバさんになったら着る事が出来ません。加えて、毛皮のコートもロングドレスも超ミニスカートも着るチャンスがあったならば着ておくべきです。女は装う事を忘れた時に「オンナ」から「カンナ」に変わるのです。カンナは身を削るだけです(笑)◇2008年の記事より抜粋 その女子校も今は廃校になってしまいました。 生徒数が足らないと言う事でした。◇卒業式の日に 自分の生徒達が卒業証書を受け取る際、 今まで味わったことのない感動を覚えました。 「あ~先生とは、こうして見送るのだ‥感涙」 私は、礼儀作法を教えておりましたので 当然ながら、式典には和服です。
2011.03.05
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「大事な事は‥ 」 ? No.1 Thinking No.2 Sensing No.3 Doing 先ずは考えて 感じて 行なうじっくり考える(思考)五感で感じる (感性)自ら実行する (行動)と、言うことは、何かに興味を抱いた時にそのものを先入観無しで真っ直ぐに見て考え、そのものの雰囲気を素直に感じ取り、そのものを実際に自分から経験してみる。先入観ほど自分の行く手を阻むモノはなく気を付けないと「喰わず嫌い」になってしまう。自分のインスピレーションを信じるのは良いがそれを行動に起こした時、もし失敗という結果の場合は「考えが足らず、感性度が鈍く、行動の仕方が間違っていた」と言うことになる。「失敗は成功のもと」もう一度チャレンジする際にはThinkingは、足りているか Sensingは、感度が良いか Doingは、段取りが出来ているかこれらの事を、常に心構えとして思い、感じて実行してゆけば、それは自ずと「自信」に繋がるのである。「自信」がついてくれば「向上心」もついてくる。それは、安易に言えば「頑張る」という気持でもある。しかし、頑張れない時もある。「ローマは一日して成らず」である。自分の形成は「国家」の形成とよく似ている。簡単に出来上がる訳でない、だから人生は面白いのである。
2011.03.04
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「清福」世の中は、いつも騒がしい。そして、疲れている。人間は、神経細胞の塊だからイライラする。こんな時代だから「清福」を改めて大事にしたい。ギスギスせずに、心穏やかに春陽を恥じる事無く浴びて月に青い想いを込めて「静謐」で清らかなる幸福感を味わいたい。「高い年収で満足は得られるが 幸せは買えない。」プリンストン大学のカーネマン教授がおっしゃった。私も全く同感である。いろいろな書物にも同様の事が書いてある。日々の本当の幸せを見いだせる人はたぶん、数少ないのだろう。きっと、身分も無く、地位も無く、名声も無くお金も無く、食生活にもゆとりが無くとも小さな喜びに感動し出来る人は「幸せ者」なのだろう‥そこに、金銭のやりとりは存在出来ない。さて、現実的に年収いくらぐらいまでなのか?これが又、誠に興味深い‥知りたい方は、自分で調べると良い。そうして、調べている時間も「幸せなひと時」である。「桜が本当に咲くと春にはこうなる…」自分で行って確かめると、感動します!
2011.03.04
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「心のうちは‥」「きっと、それは、いずれ 後になって貴女の血や肉になるのでしょう‥」あれもこれもそれも全部奪われてもそう思えと言われるか?それは、あまりに残酷で冷たい。他の言葉は持ち合わせていないのか?ホントに冷静にそう言われるのか?与えて、与えて、その結果、奪われて、奪われて、 物質も住処も信も 気付いたら何も残っていない。廃墟のような私の心を知っているくせに何が「血や肉だ!」骨組みまで音を立てて崩れ落ちてゆく様を知っていながら、そういう風に言われるか?腹も立つ。一言いいたい。復習もしたい。どうしてくれるのだと問いたい。どうしてこうなったのか訳も聞きたい。それの何がいけない?私は、今、渦中なのだ!叫んでもよいではないか?のたうちまわって喚いてもよいではないか?甘んじて受け入れてもっと身体を蝕めと言われるか?もっともっと私を傷つけて楽しいか?聖職者のような口で、優しく聞き出してそうして冷たい言葉を投げかける。私は、渦の中なのだから、外へなど出られないのだから‥もし、外へ出るとしたらそれは「死」だけだ。深く傷ついた心はなかなか癒えない‥時間が掛かる。寛容になるのことは容易でない。救ってくれるのは、誰でもない、自分自身だけなのだ。無邪気に微笑んでいた顔を何も痛みも感じないお前の心をそうそう忘れられるものではない。そうか‥そしてその後は「だんまりを決め込む」なんと、身勝手なヤツなのだ。そうか‥どうとでも取れる言葉とは便利なのもだ。自分の今が良ければ過去に傷つけた者はどうなってもよいと言う事か‥他人の不幸の上に自分の正論を言い続けるのか‥私の心のうちは修復が出来ない程に破壊されている。たった独りで凍れる空を下を歩き続けよう‥やがて、春が訪れると信じて独りぼっちで歩いて行こう‥それでも、私は、きっとお前を真から憎めないことも知っている。
2011.03.04
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「可愛らしい つるし雛」 つるし飾りは布の端切れで作った可愛らしいものを、竹ひごの輪から赤い糸で雛壇の両側につるします。願う事柄をお飾りの形に託して飾るのが大きな特徴。一つひとつ丁寧に縫われた飾りには、それぞれの想いがあり、市販で売られているものは違います。別名「桃飾り」とも言われ、桃(長寿)、猿っ子(魔除け)、三角(薬袋香袋)を基本として50種の細工があるとも言われています。これらを5列の赤糸に各11個の細工をつるし計55個にそろえ、対で製作することにより合計110の細工がつるされたものが基本型とか‥「つるし雛」は伊豆の稲取や九州の柳川などが有名である。
2011.03.03
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「御殿飾りの雛人形」雛飾りに人形や諸道具を飾るための雛段が見られるようになったのは江戸時代のこと。初期の頃は、毛氈などの上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛祭りが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、諸道具の類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えてゆく。安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場する。(25年程前に、京都の宝鏡寺で等身大のお雛様を 拝見させて頂いたことがありました。)やがて、江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢であり、建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るもので、御殿を京の御所に見立てたところからか、左近の桜・右近の橘の二樹も登場してくる。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気が高く戦後には広く西日本一帯で流行する。しかし、戦後、昭和30年代中頃には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消すこととなる。親王飾りも段飾りのお雛様も良いが寝殿飾りは、なんとも豪華な感じがするものである。
2011.03.03
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「五節句」(節句働き)と言う言葉がある。 お節句の日は人は仕事を休むのに 普段、怠けている者が自分だけ殊更忙しく働くことを言う。 我が国では、古来より お節句の日には、農作業などの仕事を休む習慣があった。 お祝いの日は厳粛に祝い事をするのであろう。(五節句)は、次の五つである。 人日(正月七日) 上巳(三月三日) 端午(五月五日) 七夕(七月七日) 重陽(九月九日) この「五節句」の中の「上巳」が後に「ひな祭り/桃の節句」となる。上巳(じょうし/じょうみ)とは3月上旬の巳の日の事であり、元巳とも言う。その起源は(前403~前225)の古代中国で起こった上巳節に遡る。季節や物事の節目には災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、平安時代に取り入れられ、川の水に心身の穢れ(けがれ)を流して厄を祓う行事や、杯を水に流して宴を催す曲水の宴などが行われるようになった。つまり、季節の節目の邪気祓い行事として、老若男女を問わず皆の幸福を願う行事である。日本でも古くから禊(みそぎ)や祓いの思想や、形代(かたしろ)という身代わり信仰があったため、それが上巳節と結びつき、上巳の節句として日本独自の文化として定着してゆく。そのひとつが流し雛で、これは自分の体を草木やわらでこしらえた人形(ひとがた)で撫でて穢れを移し、それを川に流す神事が上巳節と混じりあったもので、今でもその伝統を守っている地域もある。室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大なお祝い事となり、その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、現在の雛祭りの原型となる。何故、「桃」なのか?桃は、古代中国より「邪気を払う」ものとして考えられているが、諸説はいろいろである。
2011.03.03
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カレンダーでは、「桃の節句」「ひな祭り」であるが、知り合いから電話有り。娘御が今日、茶会に「お運びデビュー」するとか‥その茶会は「観梅茶会」‥「桃の節句」の日に?と思うのが普通だが、寒いところにお住まいなので、梅もまだ、満開を迎えていないのである。あ~あの振り袖をお召しになる‥‥とても奇麗な振り袖で梅の花だけのシンプルな娘らしい振り袖。覚えておりますとも‥「桃の節句」であっても、そちらは観梅も始まったばかりのシーズン!梅の花で良いのですよ。「桃の節句」は、本来なら旧暦で雛祭りは4月中旬。此の頃にならないと桃の花など咲かない。「梅は咲いたか~桜はまだかいな~」などと云うのは都(京都や江戸)中心の歌。実際は、早咲きの桜は12月から咲いているし、北海道に渡れば、梅も桜も桃もチューリップでさえ、皆んな一緒に陽春(4月下旬~5月上旬)に咲き始める。私が毎年、詣でる「三春の滝桜」の三春町も「梅と桜と桃」が一緒に咲くところなので、そういう地名になったと聞いている。姉君の梅のお振り袖の写真を見つけましたよ。この時も梅がやっと咲いたばかりで、三月初めか二月の下旬だったかと記憶しています。お琴の発表会でしたねぇ~妹君もそろそろ、お嫁入りでしょうか?振り袖は着られる時に着ておいた方が得策です。まだまだ、寒くて桃より桜より梅の方が宜しいかと存じます。特に問題は無いと思いますわ。お天気が良く暖かいことを祈っています。野点なのでしょうから‥(笑)◇昨年(2010年)の桃の節句の頃の「緑仙の日々是好日」の記事である。 なんだか、とても懐かしい。 今日は、「雛祭り」‥ 積る話がたくさんある。
2011.03.02
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我家の花々(2008年)(気が付いた時に‥ 忘れないように‥ 数えてみると‥) 1、シャコバサボテン 2、ミニ黄水仙 3、パンジー 4、プリムラ 5、シクラメン(4種類) 6、オキザリス 7、桜草 8、赤ミニバラ 9、藤色ミニバラ10、アメリカンブルー11、折り鶴ラン12、野ボタン13、白妙菊14、ブルーデージー15、野バラ16、デージー(3種類)17、大手まり18、小手まり19、山茶花20、山吹21、桃22、つつじ(10本)23、さつき(12本)24、萩25、セージ26、一人静27、鳥足ショウマ28、すずらん29、ドクダミ30、金魚草31、オモト32、八重桜33、ツワブキ34、鯛釣り草 35、千両 36、万両 37、ミヤコワスレ 38、バラ(7種類) 39、木瓜 49、庭梅 50、連翹 51、鉄線(2種類) 52、唐獅子椿 53、紫陽花(3種類) 54、金雀児 55、秋明菊 56、桔梗 57、銀木犀 58、サルスベリ(4種類) 59、百合(4種類) 60、アゼレア 61、ジャスミン 62、木槿(3種類) 63、ジュリアン 64、ベゴニア 65、紫式部66、菖蒲67、ボタン68、クチナシ69、白鳥花70、水仙71、ザクロ72、ユスラウメ73、水引74、ヤツデ75、富貴草76、センノウ77、稚児ゆり78、半夏生79、紫苑80、雪柳81、十二単82、シモツケ83、金雀児84、マツバギク85、ムスカリ86、アッツ桜87、ツルムラサキ88、木通89、ミント90、梅91、ホトトギス92、浦島草93、カタバミ(ピンク)94、シャクナゲ(2種類)95、冬バラ96、マルバすみれ97、フジバカマ98、シュウカイドウ99、ロウバイ100、雪待ち草101、花牛蒡102、弁慶草103、イチハツ104、菊(3種類)105、マーガレット106、乙女椿107、紫苑108、雪ノ下109、アマリリス110、ナスタチウム 庭木1、柘植(3本)2、モッコク3、枝垂れている木?4、ハゼの木5、五葉松6、黒松(2本)7、カミソリの木8、南天 (30本) 9、ヒバ10、アオギリ11、柊南天12、赤い実がなる木?13、柊14、紅葉(3種5本)15、櫛みたいな木?16、モチノキ17、ゴールドクレスト18、山椒19、月桂樹 20、辛夷 21、黒竹22、藤たぶん、もっとあるけれど今回は、ここまで‥草木が一緒になってしまった‥(笑)
2011.03.02
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「食事をすること」はとても重要で大事である。一番、身体に好ましい食事とは、美味しいものを大好きな人と素晴らしい自然の中で共に語らいながら楽しく頂く事だと私は思う。想い出深い再会の折りの、特別メニューのお品書きが夏物のバッグの中から顔を出した。あれは、昨年の夏だった。その地はまだ雪に埋もれているだろう。高い空、高い山、静かな水辺、朝もや、葉漏れ陽‥正直に言って、料理が美味しかったのかどうか?よく覚えていないが話が弾み、ワクワクドキドキして嬉しかった事は、確かである。◇2010年の記事から‥
2011.03.02
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春暁 (孟浩然)春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少春眠暁を覚えず処処啼鳥を聞く夜来風雨の声花落つること知る多少(現代語訳文) 春の眠りの心地よさに夜の明けるのにも気がつかずにうとうとしているとあちこちに鳥の鳴き声が聞こえる昨夜は雨風の音がしていたけれど花はどれほど散ったのだろう(土岐善麿の訳詩)春あけぼのの うすねむりまくらにかよう 鳥の声風まじりなる 夜べの雨花ちりけんか 庭もせに註「庭もせに」の「せ」は「狭」「庭も狭しとばかりに」◇私の大好きな漢詩である。 春めいて来ると「春の布団」は 居心地が好いものである。
2011.03.02
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「不許可の印刷物」 昭和16年当時の「不許可」や「写真特報」の印刷物が今、私の手許にある。私は「平和的に‥」を重要視する観点からこの印刷物(新聞社の号外も含む)をどうしようかと悩んでいる。今から70年前のものである。父の遺品の一つであるが、処分するにも処分出来なかったものである。考えるに、いったい父はどうしてこのようなものを持っていたのか?父は当時は17~8歳で血気盛んな若者であったにせよ、こんなにたくさんの号外や新聞や特報を何故、後生大事に持っていたのか?謎である。 ましてや東京は焼け野原になってしまったのに‥文字の並びも右から左で写真が大きい割には文字が「?」と言うものばかりである。「朝日新聞」と「東京日日新聞」の写真特報、詳しくは数えてはいないが4~500枚はあるだろうか?戦争中の我が国の貴重な資料であるのかも知れない。戦争は昭和20年に終わる。日本は世界中を敵に回して戦ったのであり、軍部の考え方はどうであれ、それは紛れも無く「聖戦」であったに違いない。たった一国で世界から孤立するとは、どんな思いだったのか?国民は、その時どんな情報の中で生きていたのだろう?その情報源の一つがこの写真特報なのだろう‥「平和に共に暮らせない人間」が世界に君臨している。小競り合いなら兎も角、大義名分があれば多くの人々を死に追いやっても構わないのだろうか?「不許可」と判を押された写真集は20枚程度だが、見るに耐えない。白黒写真でホッとする。これは絵ではなく現場の写真である。戦争が起こる度に「科学」は進歩する。特に「通信」は時代と共に大きく世界を動かしている。レコード、映画、ラジオ、カセットテープ、TV、メデイアはその時代、時代で民衆を網羅する。今や「インターネット時代」情報はリアルタイムで報じられる。それに皆、「熱狂」する。戦争は、自然を破壊し、動植物を絶滅に追い込み、人間同士の関係も希薄になり信頼も薄れ、そして又、戦争は繰り返されている。この先、どうなってしまうのだろうか?そんなことを私が苦痛に感じても仕方がないが、多くを望まずにはいられないヒトと云う種族の果てしない欲望は続くのだ。さて、これをどうするかが私にとっての問題である。先ずは、これ以上の劣化をふせぐために防虫剤を入れておこう。いずれ、暇な時間が出来れば、もしかしたら編纂することになるかも知れない。◇先日の日曜日、NHKで戦争における メデイアの考えを特集していた。 そのTVに映った号外の一つが手元にあるのが不思議である。
2011.03.01
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本居宣長の古典研究の概論本居宣長は、賀茂真淵の志を継ぎ、古事記の研究を完成させ、国学の体系も完成させた。日本固有の「物のあわれ」が文学の本質であると提唱し、文学は善悪を基準とする道徳とは別の価値観を持ち、その心は偽りや飾りのないものであり、我が国固有の精神であり、儒教や仏教の教戒的な文学観を否定し、文学の真の価値を発見し、道徳からの開放を果たしている。皇国日本は、大昔から脈々と伝わる自然の情緒や精神を第一義とし、外来的な文明や思想を批判したのである。「物のあわれ」は、他人の痛切な心情に自らも深く共感することを可能にすることにある。「古事記伝」の画期は当時の人々に衝撃的に受け入れられやがて、国学の源流を形成してゆく。*「物のあわれ」‥ 人の心の中には、「良心」ばかりが存在する訳でない。 人に巣食う「鬼」も又「哀れ」なのである。*「本居宣長記念館」
2011.03.01
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