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「音楽」は音を楽しむもの。人類の永い歴史。いろいろな国々で多種多様の文化を営む上で「音楽」もまた確立されていったのであろう。五線紙の最初は聖歌と聞いている。口伝では、ちゃんと「音」を伝承することが困難だったので、記録用に五線紙が作られたらしい。五線紙はいわば、音の調子やメロディラインを「文字化」したのである。我が国に西洋式の記譜法が導入されたのは明治になってからである。洋楽は学校教育の場で制度的に普及し専門、非専門を問わず、学校の役割が音楽教育の中で増大し、それを他の国より発展させたのは、製紙、印刷、楽器と言う産業である。古くから伝承されていた邦楽も音符と製造された楽器で容易く演奏出来るようになり、それらの楽器の需要も音楽教室やお稽古文化によって支えられ拡大した。こうして、音楽の英才教育も盛んに行なわれるようになった昨今であるが、少子化により存続が難しい状況にある。しかし、非制度的な学習法は音楽教育の中で我が国の伝統を守り根強く生きている。西洋音楽には見当たらないが、邦楽の三味線には、「口三味線」と云う伝授法があり、これは誠に良く出来ている。まず、これは他の楽器にはない教え方である。三味線を覚える際に現在は音符もあるのだが、ドレミだけではなくチントンシャン、トチチリチンとか云うだけで何処の弦を押さえるのが分かってしまう。メロディラインもこの口三味線に添っているので自分が間違ったかどうかもすぐに気付く。何故なら三味線自体がその音を出すからである。(チンとかシャンとかツンという音色)学校の音楽は楽譜を見ながら覚えるものであるが、これは、楽譜は無くても覚えることが出来る。又、歌うことも同様で洋の東西を問わず、五線譜には表記出来ない音がある。それは、声もまた楽器だからであり、それに加えて、自分で出す音なので、毎回微妙に違い、歌い方も都度変える事が出来る。五線譜の通りに演奏し、歌っても人々の感動を得られないのは周知の事で、自分らしい演奏、自分らしい歌い方でプロに育っていくものである。最初は制度的に基本を習得しても最終的には非制度的の方が個性を尊重し、発揮出来るのである。だからこそ、非制度的な教育も又、意義があるのである。因に、私は楽器は空っきし苦手で駄目である。三味線の各部の名称
2011.06.30
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PCをアップデートしたら昔の記事のデータが拾えた。こんなこともあるものだと少々、嬉しくなっている。そこで、2009年の記事より「蛍」をUP!!蛍は縫うように飛び交う。闇の中の蛍の光は、多ければ多い程、人の心を幻想の世界へと引き込み、誘い、その光を視る内に蛍が虫であることさえも忘れさせてしまう。蛍が光を放つのは、交尾のためとも攻撃のためとも云われている。そうして、飛び交う蛍を見て古人は「蛍合戦」とも呼んだ。合戦…蛍には、源氏と平家とある。合戦!!源平合戦は、歴史に大きな足跡を残している戦いで、源平の名は、赤と白の旗の色の違いから、花などは、赤白と二色に咲き分けるものを「源平咲き」と云う。蛍は、色ではなく、毎年、水辺で複雑に飛び交いながら合戦をしているのだ。最近では自然の中で蛍を目にする機会は少なくなってしまった。本当の蛍は見られなくても、蛍は今でもなんとも、魅力的である。◇蕗の葉をへだてて見るや這ふほたる (凡兆)◇門前に蛍追ふ子や旅の宿 (虚子)◇親一人子一人蛍光りけり (万太郎)◇大蛍ゆらりゆらりと通りけり (一茶)◇此ほたる田ごとの月にくらべみん (芭蕉)清少納言は、「枕草子」で 「蛍」をこう書いている。「夏は夜。 月のころはさらなり、 闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかに うち光りて行くも、をかし。 雨など降るも、をかし。」 流石、天下一のエッセイストの おっしゃる通りである。
2011.06.29
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このページをご訪問下さる方に「バラ」の花をこよなく愛している方々がいらっしゃる。今年は、その方々のアドバイスもあり庭に沢山のバラが咲いた。今もまだ咲き続けている。我が家から車で2~30分のところに大きなバラ園がある。気分転換にちょっと出掛けてみた。もうバラ園のバラは見頃がそろそろ終わりであるが、想い出のバラが今もそこに植わっているのが嬉しく思った。「バラの花言葉」と云っても「情熱」だけではない。ご存知のように、バラにはたくさんの種類があり、色も形も様々である。それが全部、「情熱」と云う花言葉の筈がない。少々、調べてみると興味深い。流石に「花の女王」と云われるだけの事はある。先ず、「色による花言葉」「形態による花言葉」「種類による花言葉」大きく三つに分かれている。そして、なんと言っても他の花を圧倒して、花言葉が多い。では、「色による花言葉」◆赤 =愛情 ◆濃い赤 =内気な恥じらい◆白 =私は貴方に相応しい ◆ピンク =乙女の恋心◆黄色 =嫉妬、愛の薄らぎ「形態による花言葉」◇一重咲き =単純、素朴 ◇赤い蕾 =純粋で愛らしい◇白い蕾 =少女時代 ◇トゲのないバラ =少女の愛情◇苔バラのつぼみ =恋の告白◇バラの冠 =美徳の報酬 「種類による花言葉」 (これは少し難しい)☆オーストラリアバラ =可愛い☆カロライナバラ =恋は危険☆イヌバラ =喜びと苦しみ☆中国ベンガルバラ =美は常に新しい☆モッコウバラ =気まぐれな美しさ☆百弁バラ =誇りなどであるが、こうして見てみると何でも有りの様な気もする。だいだい、全体的には黄系のバラは、形や種類に拘らず、嫌悪感や不吉な事を表しているものが多い。赤、ピンク、白のバラならまぁ無難と言うところであろうか?バラには「青いバラ」と言うものは存在しない。それは、バラには青の色素が無いという事らしい。どんなに、バラの愛好家や研究者がトライしてもせいぜい「藤色系」止りである。「ブルーローズ」青い薔薇は、英語では「有り得ないこと」「相談出来ないこと」「不可能なこと」と言う意味になるとか‥私の撮る写真と言ったら圧倒的に「桜」が多くて、そのフィルムの数も1~2万枚近くあるだろう。勿論、花が専門なので、いろんな花の写真を撮る。花を美しく撮るためにはちゃんとした基礎がある。花は、咲いているだけで美しいのだからそれ以上に中から湧き出るその花の可憐さや勇気や希望を写し出さなくてはならない。つまりは、そこから感じ取る自分を映さなくてはならないと言う事になる。しかし、デジカメで写真を撮り始めてから途端に写真が下手になったように思う。まぁ、写真が要らなければ削除してしまえ良いし、さして、お金が掛かる訳でもないし、フィルム一枚に魂を入れることも無くなったからだと思っている。緊張感が無いと言うのか、下手な鉄砲も数打ちゃ当たると言おうか‥つくづく成り下がったと情けない。昔、撮った写真は殆どが「ポジフィルム」である。ポジティブ、ネガティブの意味をはっきり学んだのも写真の世界だった。
2011.06.27
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「春爛漫のデジブック」さぁ、本格的な猛暑の夏に切り替えましょう~!と、言いたいところですが、やっぱり私は「春」が一等好きです!
2011.06.25
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私には懐かしい高原がある。そこに吹く風には「恋しい想い」が絡まり合って、心地よい涼しい風が吹き抜ける。希望と夢でいっぱいだった「高原に吹く風」は私の愛しい想い出の場所である。霧ヶ峰は、主峰「車山 1925m」を中心にして噴出したアスピーテ型火山で東西10km南北16kmの広がりを持つ。そのほとんどが草原で、緩やかなる起伏が展開され、その雄大さ、素晴らしい眺望と景観は、我が国でも屈指のものとされている。植物豊かな、車山高原、八島湿原など今の季節はお天気が良ければ、それは美しい。此処は、年間を通して南南西の上昇気流のために霧の発生が著しく、毎日のように霧が発生しており、文字通りの「霧ヶ峰」である。霧ヶ峰を代表する花は、6月に咲くレンゲツツジ、7月のニッコウキスゲ、8月に入ってのマツムシソウである。夏は百花が競うパノラマの美しさと云える。高山植物は、今は都会でも手に入れる事が可能であるが、花屋で売っている高山植物のほとんどが、大きくて奇麗で形も良い。しかし、余りに揃っていて何んとも風情に欠ける。本物は、やはり、高原に出掛けて行って側でよ~く観てみると、その良さが理解出来る。高山植物の花々は、小さくて形もバラバラで頼りな気で、今にも散ってしまいそうな、折れてしまいそうな存在である。されど、その儚さとは裏腹に厳しい寒さを乗り越えて短い期間だけに咲く「勇気凛々」な花々である。マクロレンズをお持ちの方は、是非一度接写で写真を撮って欲しい。小さな花は風を伴って写真に映り、それは、薔薇よりも百合よりもカトレアよりも美しい。きっと、高原の風が、花々に魔法をかけているのだろう。花は夏から初秋にわたり切ない程に美しく次から次へと咲き競う。はっきりくっきりの記録写真ではなく自分の心の記憶写真を撮って如何だろうか?「霧ヶ峰、車山高原」
2011.06.24
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今年は、バラがたくさん咲いて嬉しく思っている。そこで、「デジブック」に「バラの香」をUPしました。お時間のある方は、是非、ご覧下さい。さて、先日も「薔薇学入門」を書いたがその続きを今日の話題にしたい。バラの歴史は、かなり古い。人間がバラを栽培を始めたのは紀元前3000年頃…バビロニア帝国、古代エジプトの遺跡などにはすでにバラの絵が刻まれている。壮大な神話文学「ギルガメッシュ叙事詩」の中に「バラの棘」という言葉が出て来る。バラもまた、世界中の人々から愛された花で薬草としても用いられた。ローズオイル、ローズウォーターとして使い特にローズオイルは極少量しか取れないために王族や貴族が使用し、かのクレオパトラもオイルの愛用者であった。ともあれ、バラは昔、昔から愛され、芸術にもなり、宗教の象徴になり、暮らしの一部になり恋人の言葉になり、今や、インテリアもお菓子もバラの模様や香りは至る所で利用されている。ちなみに、「桜」もバラの仲間である。バラの仲間は多く、梅も桃もサクランボ、イチゴ、海棠、木瓜、杏など皆、バラ科の植物である。また、バラは女性の象徴とも云える。美しい女の人はよくバラに例えられる。そして、女性もまた「女らしい」「女の子らしい」と云うとバラを思い浮かべる。しかし、その美しいバラには棘があるのである。これは、いったい女性の何を指しての事なのか?
2011.06.22
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昨日まで温泉に浸かっていた。帰りの車の中で「父の日」のニュースが流れて来た。あ‥父の日か!最近の若い父親はとにかく表面が優しいなと感じた。子どものためなら何でもするという感じ。かえがえのない家族。若い母親とべたべた甘える子どもの声。何故か、不快‥ちょうど、震災が起きた頃のACのCMにも同じような気持ちを抱いた。そんなに目に見えるように大事そうに過保護に育ててはその子どもが社会に出た時に現実の世の中に驚いて泣いて帰ってくるやも知れない。「世の中は甘くない。」「世間は冷たい。」勿論、それが全てとは言わないが、一般的にそうであろう。私は、幼い頃から父が好きではなかった。その父が還暦を迎えた時にバラの花を60本贈った。そしてその日は父の日だった。大きなバラの花束を抱えた嬉しそうな父の写真が今でも残っている。その写真を見て思うことはただ一つ!同じバラを60本揃えるのは大変だしまた、花束に作るのも大変である。何しろ、体格の良い父でも抱え切れない程の大きさであったこと。父は、人に優しくて身内に冷たい父だとずっと思ってきたし、それは今も変わらない。その父の介護を8年も続け、見送った。最後の最後まで面倒をかける父だった。人は、内も外も優しくいるのは大変に気疲れするのだろう。正直に言えば、他人になど優しくする想いがあるなら、まず身内から優しくして欲しい。愛する者を言葉でも態度でも傷つける人を真っ向から許すほど私は優しい人にはまだ成れない。そして、深く傷ついた心はそう簡単には癒されはしない。たとえ、死んでも癒されはしない。きっと、許すことはないのだろう。ただ、死なれると面と向かって言えなくなるので仕方なく諦め、そしてだんだんに忘れるのだろう。「父の日」か‥もうそんな日が私には無いことがホッとする。今年は、特別な「母の日」「父の日」になった。どんな親でも親は親。子は子である。「父の日とバラ」
2011.06.20
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霊山から染み出して来る湧水。綺麗な命の源の「水」湧き出る澄んだ水を見ていると「環境」の事を考えざるを得ない。湧き水の周囲には「森」がある。地図上で見れば、まるで「オアシス」程度の広さの森。いろいろな生物が生息している。「生息」か「棲息」「栖息」どの漢字がぴったりと当てはまるのだろう‥?こんな水と森の空間に入り込むと自分の心の深い部分が面に露になってしまう‥曲がりくねった木道。水面に咲く名も無き花達。そして、森の中をゆっくりと姿を隠しつつ歩いている白い蟹。時折、樹々の葉から滴り落ちる夕べの雨粒。梅雨の季節は、思い出交じりの面影を含んだ雨の名残りが肩や髪に落ちて来て、心に数々の風景を創る。私は、今、遠い昔のことを想い出している。本来なら懐かしさで胸がいっぱいになるところだが、なんだか寂寥感で押しつぶされそうになった。森の中には、壊れた掛け朽ち果てそうな椅子が緑に埋もれて静まり返っている。忘れ去られ、何十年もそこに置き去りにされた椅子とテーブル。白い蟹は、薄暗い木立の隙間を通り抜け暗い穴蔵に棲むのだろうか?嫌だ‥まるで自分を見ているようだ‥ずっと、ずっと穏やかだった心に激震が走り、水の流れが変わりその流れがこれからどうなるのか出口の判らぬ袋小路に迷い込んだ私の心。驚かせないで欲しい‥空よ雲よ霧よ雨よ月よ星よ海よ地よ光よ愛よ‥おまえはきっと「吉祥」なのだろうから‥「深緑の樹木」「音も無く咲く蘭」「湧水」「置き去りの椅子とテーブル」「白い蟹」
2011.06.15
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長い付き合いのお友達。それは、同級生‥昔、昔の学友は何時会っても懐かしさでいっぱいである。あの頃は、互いに毎日が楽しくて授業をサボる事ばかりに神経を使っていたっけ‥学校は学問を修める場所なのにどうして、自ら学問を放棄してしまうのか?(笑)毎日、学食で「おはよう!」の挨拶をして、今日はどこへ行こうかをみんなでワイワイがやがやと‥ファンションも魅力的だし恋愛にも興味津々友達とのたわいもないお喋りは続く。お酒を覚えた頃は、たくさん飲むことがスゴいと思っていたわ~なんの駆け引きもなく、なんの拘りもなくなんの柵もない関係は素直で好い。何十年経っても素敵な友達同士で在りたいなぁ~私ね、貴女がいたから今の私が在る様に思うわ~ほんとにいつもいつも感謝しているわ。これからもずっと同級生でいて下さいな。そして、貴女のダンナ様がとっても優しいのが私には嬉しい。ありがとう‥いつでも歓待してくれるその気持ちが有り難い!今宵は、本当にご馳走さまでした。
2011.06.12
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生活習慣がすっかり変わってしまった。家の様子もリフォームして変わった。町は全面的に元通りにはなっていない。瓦が落ちた家々は、ほとんどがそのままである。あの地震から3ヶ月が経つ。当初、ライフラインが途切れてしまって当日の映像は伝わってこなかった。3/13に電気が復旧してTVを見て驚愕の映像が次から次へと目に焼き付いた。福島の原発に大きな津波が襲いかかったシーンを見た時に「これは駄目だ~!」と思った。どう駄目か?今で言う「メルトスルー」である。そうなることは、あの津波の映像から予想するのは左程に難しいことではなかった。一概に「人災」とは決めつけられない。そもそもの発端は巨大地震でありそれがもたらした巨大津波が根本的な原因である。そのあとの処理に関しての諸々が大きな事故に繋がったということである。人は、何か行動を起こす時に最低最悪の事を必要以上に配慮して事は起こさないものである。誰もが、いつでもどんな時でも最悪の状態ばかり一番に考えていたら、何処にも行けないし何も口に入れられないし、最悪、呼吸することも出来ない状態になってしまう。かと言って私は政府や東電の味方をしている訳ではないので、その辺りはご理解願いたい。仮設住宅にしても、瓦礫と化したさまざまなモノを撤去するにしても、何処へ?が大きな問題である。一番に思い出さねばならない事は「日本は国土が狭い」「耕作面積が少ない」これは日本が地図上に生まれた時から変わっていない。また、これからも変わらない。そして、周りは四方「海」である。且つ、地震国で台風国で津波国で火山国である。快適な生活へと加速度的に進んだ結果なのかも知れない。今も毎日、余震がある。「持続可能なる発展」と遂げるために必要なことは何か?皆で真剣に考える機会が訪れたのである。これからもっともっと様々な波紋が広がるのは火を見るより明らかである。100年先の計画、300年、500年先の計画。素晴らしい発想ではあるが、今、生きている人は誰も存在していないことも忘れないで欲しい。ただ、500~600年先の未来の人もエネルギー無しでは生きてはゆけないだろう。水も無くては生きられないだろう。塩も無くては生きてゆけないだろう。人類にとって何が幸せなのか?次に生まれてくる子どもたちが笑って健やかに暮らせることである。戦争など論外である。「奇跡の星」「地球」が青々と在って欲しいと祈るばかりである。2011.3/13の空からの映像..こうなってしまったのか‥(ショック!)
2011.06.11
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先ず、「策定者」が誰であるかをはっきりさせなくてはならない。芸術文化政策の策定者が「国家」でないものを大まかに挙げれば、それは国際機関、各地方自治体、法人、個人に分けられる。グローバル化した現代においては、さまざまな問題を考慮しつつ芸術を国際的に、又は個人的に策定し実施している。芸術活動には観賞活動や作品の展示、演奏、上演などが当然含まれるが、国家としては外交上、諸問題をそれぞれに抱えているので出来ないことも多々存在する。例えば、ユネスコのような国際機関は国家間を越えた国際的な世界平和と安全を維持しながらそれを達成している。国内における各超自治体も地域の特色ある芸術をバックアップしている。祭事や伝統芸能などがそうであり、また法人も例に挙げれば、民間企業でありながら芸術に対しての支援活動、及び、観賞活動をしている。かつては、洋の東西を問わず、芸術の分野は王室、皇室、貴族、大富豪などが芸術家のパトロンであった。現代においてのパトロンは一般の人達が多く、一定のポリシーをもって芸術や芸術団体を支え応援している状況にある。国家とそうでない策定者の違いを述べる場合、国家以外は、その各々の集団の規模や大きさは多種多様であるが、国家の利益や外交などを第一重要事項としては考えず、ある意味、平和理な策定者となれる。芸術は本来、個人的な作品や表現であるが、それが国家と言う名のもとで個性を充分に発揮出来なかった不運の時代も過去にあった。今現在、特にわが国は、博物館、美術館が他国と比較すると沢山存在している。それも「国立」が最も少なく「私的」「地域型」が多く、全てを「個人」で営んでいる人もいる。大勢の人々に埋もれた芸術を広く知ってもらうためには、こうした水面下の小さな活動がやがて実を結び、今まで、目に触れなかった芸術が世間に認められるようになり、そして、何よりそれらを保護し、伝え、時代に添う形で維持し、守ってゆくのが「国家」でない策定者の責務と考える。
2011.06.08
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着物が袷から単衣への衣替えが済むと梅雨時の霧雨の中、天秤棒を前後に担って青梅を入れた大きな笊が二つ‥少し揺れながら「漬梅売り」が通る。「梅や~ 漬け梅~」とゆっくりとした口調で家々に呼びかけながら漬梅売りの声が遠ざかってゆく。灰色の雲は重く垂れ込め、窓辺の紫陽花だけが澄んだ青色小町の季節(とき)を得た様に咲いている。滴の葉には蝸牛が自分の世界をのんびりと行くのが又、詩情をかき立てくれたりもする。「紫陽花や薮を小庭の別座鋪 芭蕉」これは、30~40年前の日本人の生活描写で今は、ほとんど見る事もないのが至極残念である。
2011.06.05
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六月‥明日、雨があがったら真珠の花を‥虫歯予防デー(歯の衛生週間)になるとそろそろ「芒種」である。「小満」より十五日目(今年は6/6日)この頃になると寒さの心配もほぼなくなり稲など「芒 ノギ」のある穀物の種を播くには適するところから、この言葉が生まれたと言う。「ささやくは芒種の庭の番鳩 (石原八束)」樹々は緑を深め、湿気を含んだ暑さが加わり、降るのか降らぬのか、はたまた降っているのかいないのか、はっきりしない空模様が続く。夕暮れは18時をはるかに過ぎてもなかなか暗くならない、陽が沈む頃に少し雨が落ちて来る。花壇の横のマーガレットが白く清楚に咲き並んでいる。たくさん切り花にしてガラスの瓶にバサッと入れると何故か少女みたいな気分になるのがとても不思議である。通称マーガッレットは英名で和名は「木春菊」ギリシャ語のマルガリテース(真珠)に由来し、六月の誕生石、真珠と同じなのが、どことなく乙女らしい感じがする。明日の朝、雨が上がったら明るく白い手をいっぱいに広げたようなマーガレットを部屋に飾ろうとガラスの花瓶を捜している。「来る来ないマーガッレットで占えば 蝶々も止まる恋のはじまり (緑仙)」
2011.06.02
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あなたに 鯉してあなたを 鮎して‥俗謡に「川辺育ちと笑はば笑へ いつも私しゃあいがある」とあるように昔は「鮎」は岐阜の長良川、大和の吉野川、江戸の多摩川、九州の球磨川などが地域が名物とし、どこでも手に入るという魚ではなかった。鮎は、清冽な河川を住処とし、特有な香気を持つところから「香魚」と呼称される。梅雨入りの少し前から、各方面でしきりと鮎の話題がのぼり、毎年、解禁が待ち望まれる。「いざ登れ嵯峨の鮎食ひに都鳥 (一茶)」旬の鮎は、やはり塩焼きが一番でその名に相応しい香りが楽しめるのは六月、七月‥八月、九月の落ち鮎は腹子を賞味する。昔、碓氷川で伯父が鮎をたくさん釣って、得意顔で夕方に帰宅。その日は、伯母のお葬式だと云うに‥皆、開いた口が塞がらなかった。「太公望」の皆様へ待ちに待った「鮎解禁」の鳴神月炎陽。「下手の横好き」でもあいしてるから川辺に、行かずにはいられないのですねぇ~
2011.06.01
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