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秋の夕暮れは 美しく儚くほんの一時 日光中禅寺湖は高級リゾート&姫鱒釣りで有名だが 湖のそばに、こんなに素敵なスポットがあるのを ご存知の方は少ない。 今日は とっておきの撮影ポイント 「夕景の西六番園地」のデジブック 九月も今日で幕を閉じ いよいよ、「紅葉の季節」になる。 夏の面影を残しつつ 秋のつるべ落としの中禅寺湖の夕焼けを ご覧下さい。
2011.09.30
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「婚活」‥と言う言葉の意味を初めて知ったのは 一昨年のことだった。「着付け教室」にいらしている生徒さん曰く「私は真面目に婚活しています。 出来れば、来年には結婚して 再来年には子どもが欲しいと思います。」「婚活? 結婚するための活動‥?」結婚して新生活をスタートさせ子どもを産み家族を形成してゆく。これが、今の時代には難しい事らしい‥時代の流れは、さておき出会い、恋愛、結婚、出産は、そうそう自分の計画通りには進みはしないものである。彼女から子どもが出来た!と知らせが入った時、私はとても嬉しかったし、世の中には自分の計画通りに人生の一番の難関を真っすぐに貫ける人がいるのだとつくづく感心した。そして、昨日、待望の赤ちゃんにご対面!久しぶりに会う生徒さんの顔は母親になっていた。生まれた赤ちゃんは「男の子」この子は間違いなく「日本の未来をつくる担い手」である。その小さな小さな手の中‥心広くおおらかに風のように夢を空に大地に海に羽ばたかせて育ってもらいたい。「ご出産おめでとう!」◆昨年の生徒さんの結婚式の写真
2011.09.30
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「日光、鬼怒川」「那須、塩原」は丁度セットメニューみたいである。 要は、皆、どこも日光国立公園の周辺であり 一つの山を越すか越さぬか、 山の上か下かである。 今回は、鬼怒川から少し入ったところの 「川治温泉」に宿泊‥ こじんまりとした「お宿 東山閣」 部屋も広くて 文台や堀炬燵があるのもなんだか嬉しい(お宿のHPの部屋とおんなじ) 露天風呂もお料理もとってもGoodでした。 かなり肌寒かったけれど 地酒の勢いを借りて、 夜のイベント「月あかり花回廊」にも そぞろ歩いてお出かけ 旅は、いつでも珍道中‥
2011.09.28
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雨は、ただの水である。それが、一気に降ると滝はこうなってしまう日光にある有名な滝は数々あるが、先ずは、「日光三名瀑」の「華厳の滝」「竜頭ノ滝」「湯滝」に行ってみたが、その轟音、水量、水しぶき、流れの速さ‥半端ではない。圧巻のそれぞれの滝!最初に「湯滝」(←例年はこうです)いつもと全く違う水量。上記の湯滝は通常の映像比べて下さい。◆2011.9.26日の湯滝◆流れの速い竜頭ノ滝いつもの竜頭ノ滝はクリックしてね!◆そしてなんと云っても「華厳の滝」普段は優雅なる日本三名瀑」なのだが‥通常は毎秒2t、しかし、今は毎秒9tおいでになるときはカッパと傘と長靴とゴーグルが必要!カメラは水に強いものがお薦めです!◆ずぶぬれになってしまいました!
2011.09.27
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そんなに人が行かない場所でもそれは、それは、美しいところがある。奥日光‥湯ノ湖‥綺麗です。山の白樺も美しい‥お近くの方は是非行ってみて欲しい。日光中の滝と湖は水量が多く驚異の景観を作り出した。今年は、台風12&15号の置き土産のせいで人々の暮らし向きは心配事も多いが自然は、いつも想定外で凄まじいことをやってのける。◆山の美しいこと
2011.09.27
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日光国立公園兎に角、広大なる国立公園である。一口に日光と言っても栃木県、福島県、群馬県の3県に及ぶ。北関東自動車道が全線開通してからは、本当に便利になった。この国立公園の何処に行っても3時間圏内で帰って来られるので、今回も、ちょっとあちこち足を延ばした。昨日は、台風がもたらした大雨で4年ぶりに出没した小田代が原。いつも、湿地帯に一面の草紅葉の筈が美しい湖に変身していた‥美事戦場ヶ原も湿地帯が広がり、草紅葉が赤くなるまではもう少し‥それでも、こんなに綺麗です
2011.09.27
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台風12号、15号の置き土産‥日光、小田代が原に4年ぶりに突如出現!幻の湖‥小田代が原の貴婦人は神秘的な湖の中にひっそりと凛としてその姿を現す‥いつもは、燃える草紅葉の中であるのに今年は、水の中に浮いていた‥彼岸も明ける‥季節は完全に秋に移行する‥◆例年の小田代が原◆今日の小田代が原別世界でしょう
2011.09.26
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九州の旅デジブック第2弾「太宰府天満宮と吉野ケ里遺跡」お時間のある方は前日の「博多ベイサイド」と合わせて、ご覧下さい!
2011.09.24
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やっと出来ました!九州第一弾「博多ベイサイド.デジブック」お時間のある方はご覧下さいな!!
2011.09.24
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「遊び戯れる」狭いところに閉じこもらずに、広いところで自由に遊びましょ‥ <遊戯三昧 ゆげざんまい>◆「この記事は2009年に書いたものです」羽が生えたように自由に広い世界で、悠然と遊び回る。「遊戯」とは、ただ遊び戯れることではなく、自由に天地を闊歩する状態を指しており、狭いところに閉じこもらずに、心を広い境地に置くこと。「三昧」とは、その境涯に成り切ること。「遊戯三昧」とは、自由な心で大いなる天地を闊歩し、たとえどんな境涯になろうとも、その行った先々の境涯に心がそのままついてゆき、そこには何んのこだわりも、迷いもない「融通無碍」の境地を云う。「遊びやせんと生まれけん」「凡を転じて聖と成す」とは云え、どう遊び、どう三昧するのか‥?「箸が転がっても可笑しい!」「お腹が痛くなるほど笑った!」「楽しくて止められない!」等々、年齢を重ねてゆくと、心の底からそうであるのか?と問われると決してそうではない。21世紀に入って世界中がかつて無い、激動と混沌の波に揉まれつつ、先が見えないまま、恐ろしい程、何も確証のないままに加速度的に進んでいる。それぞれの人生の途上で人は様々な困難にぶつかり、それでも尚、崩れ壊れそうになる気持を一生懸命に引き締め、繋ぎ止めて、しっかりと生きてゆこうとしている。それが正しいのかも判らない、暗中模索の世界が現実である。この時一時が、日常茶飯のすべてが自分はどう生きるべきかと云う根本問題と直結している。ちょっと、大袈裟な~~とお思いの方もおられるだろう‥例えば、今夜は何を食べようか?明日は、何んの仕事は片付けるべきなのか?雨が降りそうだ‥傘を持って行こうか?行くまいか?と‥私たちの日々の営為のすべてがこうした自己決定の自己決断力の連続だからである。その己の態度決定が人生そのものなのである。誰もが心の奥底に悩みを抱えて生きており、その自分にとって深刻な問いに悩まされている日々に「遊戯三昧」するのはなんと難しいことであろうか? 遠い昔、私にこんな事を云った人がいた。「どんなに辛くてもどんなに嫌な事にぶつかっても、その中にほんの少しでも楽しみを捜してごらんよ!そうすればちょっとくらいは笑顔になれるから‥」確かにそうである。そして私はそれを実行してきた。自分自身の信じた心のままに。心を遠く広い場所に置くと、不思議と優しくなれる。迷路に陥り、苦しみ、悩み、慰めもなく、傷ついた心。そんな思い惑う心を救ってくれたのは自然の営みだった。しかし、それだけでは「心豊かに‥」「寛大な心」は養えない。多少の学問は必要である(笑)毎日を「好日」にするためには、自分が生きている現実を知り、自己を見つめ、そして、この世における人間の生存の意味への問いへと収斂する。そんな中での、遊び戯れる心こそが新しい一歩踏み出す勇気と自信を与えてくれる。誠実に一度自分を見つめ直し、自由な心で、広い世界に遊ばせることが出来るようになると、「ちょっとくらいは笑顔になれる」かも知れないと想う。追記:2011年9/24自分で書いていながら、ふと思う。3月の巨大地震、壊れた家屋、友の死、修理修繕、猛暑、発作、救急車、台風の爪痕などなど、よくこなして今、こうして此処にいる。「備えあれば憂い無し」どこまで備えを想定するか?そのボーダーラインの位置が難しい。少し、人生設計が軌道を外れた2011年、しかしなんとか軌道修正はされた感有り!「はやぶさ」よりも速やかに自分を取り戻した秋らしい一日の穏やかな陽だまりの土曜日である。
2011.09.24
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「ちはやふる神無月とよ、 うらめしの嵐やまだ宵月の空も 心も打くもり、 時雨と共にふる里の 出でしその日を かぎりとなし、 又、ふみもみじあし原の 浦路はるかにへだてれど かよふ心のおくれねば。」(赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるジャガタラお春)最初に書いた文は、お春の文である。曼珠沙華、彼岸花は赤く炎のように咲く。その咲いている色、形態ばかりではなく、その多くの呼び名、里山、お墓、宗教、ハレとケ、風習などいろいろなものが複雑に絡まり合い、人々の様々な想いが彼岸花の赤い存在なのだろう。また、いつのまにかに咲きいつの間にかにその姿を消してしまうことも情感を呼ぶのであろう。「花さかる茎のうすいろ曼珠沙華 飯田蛇笏」「年ごと見て今年無惨や曼珠沙華 松村蒼石」「なかなか死ねない彼岸花咲く 種田山頭火 」今日は記事の下に「彼岸花」の芽が出たところの彼岸花の写真を添付した。これでは、なんの芽なのかなんの花なのか丸っきり分らなくても仕方がないと思った。◇彼岸花の新芽◇少し伸びた茎◇長く伸びて赤いつぼみが色づく◇里山の彼岸花
2011.09.23
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新しいiPhoneを買うか買わぬか迷っている。私のiPhoneは、一番最初のモデルであるバージョンアップは最新のものにアップロードしているが震災以来、特に電話が繋がりにくい。元々、電波状態が悪いエリアなのだが購入するかしないか悩んでいた。ソフトバンクに聞いてみたらなんと、ポイントが使えない‥そして、来年にはiPhone5が発売されるかも~もう9月も終盤‥ちょっと様子を見ましょうか‥で、ちょっとショップでアクセサリーを見ていたら「Dock」がある「USB」もあるこれは、ポイント交換が可能だと言う。「Dockって言うんだ~」名前を知らなかった 以前の携帯には全部付いていたDock‥やっぱりあった方が便利なんだな~私は‥ポイント交換は、この付属品に交換してもらった。携帯の買い替えは、Appleから新製品のメールが来てから考えよう‥◇テーブルの上にあると収まりがイイね◇Dock
2011.09.22
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「雨の呼び名」今週は秋雨前線と台風の影響で大雨のところが多い。今回の台風15号も大規模の雨風である。さて、日本は雨の国‥その呼び名もたくさんある。よその国の「雨の呼び名」にはどんな呼び方があるのだろう?しかし、わが国ほどの数の「呼称」は無いと思っている。日本は、四季折々にそれぞれにいろいろな呼び名の雨が降る。春には春の、そして秋には秋の雨が降る。決して同じ雨ではなく、人の心に様々な想いをよせて降る雨である。雨はただ空から落下する水滴である。ぽつりと一滴降る雨も集中豪雨で降る雨も台風がもたらす大雨も恋人たちが一つ傘に寄り添う雨も皆、天からの水滴である。<秋の雨の言葉>「驟雨」「にわか雨」「地雨」「霧雨」「村雨」「秋霖」「秋の長雨」「秋雨」「時雨」「小夜時雨」「月時雨」「村時雨」「御山洗」「秋湿り」「「霧時雨」「薬雨」「液雨」など、 雨そのものを指す呼び名と雨に関連する言葉がある。「雨宿り」「雨乞い」「雨支度」「雨音」「雨拵え」「雨模様」「雨嵐」「雨垂れ」次から次から雨に関するものは沢山ある。それほど、雨が多い我が国である。俳句の題材としても雨は多く取り上げられ、春とは全く様子が違い、春と秋では比べる事が出来ない個々の季節である。今日は、雨に因んだ俳句を…「馬の子の故郷離るる秋の雨 一茶」「秋雨や身をちぢめたる傘のした 虚子」「秋霖や家の鱗の黒瓦 草城」「湯さめして足袋はく足や秋の雨 久女」「時雨るるや竹のごとくに枯るる草 青邨」どうやら、外に降る雨は一時休憩しているようである。台風が接近しているのに何故、雨脚が遠のいたのか…?単なる気まぐれか?雨翔る天の龍に問いかけてみませうか?暴れなければ、雨は恵みの雨であり雨の滴も美しい雨景色である。◇台風15号の高波◇雨の滴◇水たまり
2011.09.21
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彼岸と此岸を考えながら‥「秋分の日」「春分の日」どちらもお彼岸である。お墓参りそして祝日でお休み。お彼岸は、仏教の行事で、お彼岸のお中日を「祝日」にしている。春分、秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈む。この日は、昼と夜の長さが同じになる。このことから考えても、日本人の農耕生活に深く根付いた行事である。仏教は、インドで生まれ、中国、朝鮮半島を渡って聖徳太子の時代に日本に伝来した。お彼岸は、仏教用語で「彼岸会」と言い、仏教行事でありながら、インドや中国には同じ様な行事は見当たらず、日本独特の仏教法会であると云える。お彼岸には、先祖のお墓参りをするのが習慣であり、お団子やおはぎを作って供える事は、日本国中広く行われている。「春のお彼岸」には(ぼた餅 牡丹餅)「秋のお彼岸」には(おはぎ 御萩)と呼ぶ。春は「牡丹」秋は「萩」のイメージだと言われている。そこで、両者の違いを書いてみる。【形の違い】牡丹は大きくて丸い花、萩は小さくてやや細長い花。「ぼたもち」は大きめで丸い形に、「おはぎ」は小ぶりで俵の形に作る。【あんの違い】材料となる小豆は秋に収穫!とれたての小豆が使える秋は、皮ごと使った粒あん。冬を越した春は、堅くなった皮を取ってこしあんにして使う。「ぼたもち」はこしあん。「おはぎ」は粒あん。現在は、こうした違いにこだわらないものが多く作られるようになった。昔、昔は、米粒が残らない餅状につぶしたもの(俗称:皆殺し)を「ぼたもち」と云い、米粒が残ったもの(俗称:半殺し)を「おはぎ」と呼ぶなど地方によって様々な呼び名がある。あまり好きではない「甘党」の話になってしまったが遠い昔は、甘いものは貴重な存在で特別の日にしか食することが出来なかった。ちなみに、「砂糖」は江戸時代までは「薬」として扱われていた。今、私たちがこうして生きているのもご先祖様があっての事ですから、家族揃ってお墓参りをして感謝する習慣は美しいものと思う。今年も予定通り「暑さ寒さも彼岸まで‥」になって好うございました。が、災害列島2011年‥「此岸」は辛いことが多い‥『合掌』
2011.09.20
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九月の三連休‥17,18,19日19日(月)今日は、全国的には敬老の日である。私の住む町では、毎年お祭りの最終日となるために「敬老の日」を祝う催事は、今月末になる。つい、先だってあるお方に「今週はシルバーウィークだね。」と言われ全くピンと来なかったのを思い出した。何故ならこの町では「お祭り」最優先だからであるそして、「祭」には、年寄りも若者も隔てなく連休中は、祭一色となるのであるちなみに、毎年の事であるが、この三日間全部「晴天」には恵まれることは少ない。昨日も10分くらいだが、スコール並みの大雨が降り今夜も台風の影響で雨が降っている変わりやすい秋の空模様がそのままである意味良かったお気の毒様‥◇参考までに「敬老の日」総務省の統計では平成23年の65歳以上の高齢者人口は前年比24万人増の2980万人‥総人口に占める割合は0.2ポイント増の23.3%となり、ともに過去最高を更新したことが総務省の推計で分かった。
2011.09.19
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「文芸 幻灯 2004年 掲載」(複雑な笑み)季節は、秋から冬へと移り変わろうとしていた。「冷え込んできましたから、暖炉に薪を入れましょう」女は、細い腕をのばして堆く積んである薪を2~3本を取って火をつけた。「いつでも用意がいいんですね‥ こんな山奥に住んでいて、淋しくはないのですか?」「一人でひっそり住んではおりますが 季節と一緒ですから淋しくはありませんわ」「僕は、申し訳ないと思っています。 もっと、もっと、あなたの力になれることは ないのでしょうか?」「そんな‥ いつもお力添えを頂いて、私はとても 感謝しておりますわ‥」女は、静かに微笑んだ。暖炉に火が点き、部屋の中がほのかに明るくなった。「やっぱり、都に帰りませんか? そして、あなたが被った事を訴えるべきですよ!」「もういいのです‥ そのことは‥ 正直に云えば、私はあの時のことを 今も少しも許しておりませんわ。 でも、もういいのです‥」「あなたが優しいのは分っているけれど 自分の心を偽って生きているのは辛くはありませんか?」「ほんとにもういいのよ‥」女は、また少し薪を焼べた。珈琲の良い香りが部屋の中を埋め、女の柔らかい長い髪がその香りを吸い込んでいた。「世の中にそんなに悪い人なんていなわ‥ 皆、生きていればいろいろあるから 私に落ち度が全くなかったなんて云わない。 あなたの言葉は私に大きな勇気を与えてくれたわ。 本当に有り難いと思ってる‥」「それは、きれいごとだ‥ あなたは、自分だけが我慢すれば良いと思って いるのではありませんか? これでは、あまりにもあなただけが辛い思いを 抱え込むのではありませんか?」女は、少し下を向いて泣いているようにも見えた。「生きてゆくには きれいごとも必要なのよ‥ 私は、そのきれいごとに すがって今を生きているのよ‥」そして、複雑な笑みを浮かべて入れ立ての珈琲を僕に手渡した。
2011.09.19
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「愛憎」(2004年 文芸 幻灯 掲載)あなたの愛がなければ生きていけないあなたが居るから私もそこに居るあなたと一緒に歓喜を上げ天空を翔け、この世の春は永遠に続く‥と、私は信じてあなたと生きて来た何の不具合が生じたのか、さっぱり分らぬまま私は、天空から地上へと真っ逆さまに堕とされてしまった気付けば、傷ついた羽は、折れすでに何本かが元から無くなっている気付けば失うことばかりの人生見上げれば春の光の中にあなたは居るもう、私には一瞥も与えずその光すら私には届かないあなたの優しい笑みを追い求めてあなたの近くに戻ろうとするがあなたの目は私に向いていないその瞳は別のものへと向けられている私は、自分の心に問いかける何を無くしたか?何を得たのか?何が哀しく、何が楽しいのか?愛することの裏には憎しみという存在がある今、その憎しみの芽が私の心の中でこの身を全て覆うほどの勢いで育ってゆく失ったものは大きいもう取り戻せない傷ついた心も羽も以前のように曇りなく浮き立つことも羽ばたくこともない憎んではならない‥憎めば、自分を自分自身で貶めること憎しみを取り除くためにはどうすればよいのか?憎しみの元は私にあるのか?それともあなたにあるのか?あなたの愛は今どこにあるのか?私の愛は今もあなたに在る憎しみの葉はどんどん育ちどんどん大きくなるしかし、この憎しみもまた伸びゆくエネルギーなのかも知れないならば、生きてゆく糧としよう前を向いて生きてゆこう憎しみが消えるまでには時間が必要だろう恨み言を云わなくなるまでには深い慈愛の心を新しく作らねばならないだろうそう簡単に気持ちは変わらないのだからただ、あなたを愛していることは釈然としないまま心の奥底に横たわって病んでいる‥あ~そんな私の生き様と関係なく今日も眩しい陽が昇る。
2011.09.18
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「お知らせ」「都々逸」の作品を送って下さる作家の皆様へ8月、9月は毎日新聞の紙面の都合により「毎日都々一」の掲載が一週おきになってしまいました。ご心配のお電話やお葉書、メールをいただきまして恐縮致しております。今日の朝刊には掲載されました。詳しくはHPの「毎日都々一」にて「今週の秀逸5作品」をご覧頂けます。秋本番になりますと。題材に事欠きませんのでたくさんのご応募お待ちしております。メールでも「都々逸作品」は受け付けております。 川崎緑仙 拝「今週の毎日都々一2011.9/17掲載作品」
2011.09.17
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「祭」とは、神霊などを祀る儀式、神事の事である。「秋」のアキは「飽き食い」の「飽き」であり収穫したものを神と共に飽きるまで食べる季節の事である。秋の祭りのほとんどが、収穫祭を意味している。春に種を蒔き秋に実り、収穫をして神に感謝の意を捧げる。神は天から降臨し、人々に穀物に宿る「穀霊」をたっぷりと与え、人はそれをわが身に引き込み「御魂の殖ゆ みたまのふゆ」の冬に備えるのである。「稲作文化」らしいと言えば、まさにその通りであり、これは、大自然に抱かれた魂の循環の再生システムとも考えられる。「祭」を「祭祀」「祭事」と云いこれが「催事」に転じている。さて、難しい八百万の神々の祭祀はこの辺りにして、やはり、祭りと云えば、山車や神輿、囃子練り子、そして何より楽しい露天商の屋台であろう。誰しも夜店のあの雰囲気はいつもと違う何かを感じ、懐かしい思い出として心の中に残っていると思う。決して「衛生的」とは云えないが、あの雰囲気が祭りを尚一層、賑やかに楽しくしてくれる。夜店の焼きそば、綿飴、りんご飴、イカ焼き、金魚すくい、ヨーヨー、物売りの口上等々どれも非日常で、なんだかワクワクするのは、何故なのか?多分、それぞれの音や形態、色彩、サプライズ、そこに太鼓や笛や踊り、法被にお面に獅子に神楽などが交錯して、非現実的な一種の仮想空間が生まれる。その空間に紛れ込むと、身も心も通常の自分とは違う自分や他人が存在する事を知る。そして、それぞれが新しい何かを発見する。「祭」は「ハレの日」なのである。全国津々浦々、山車や屋台車に象徴されるヒトガタは大抵、古の伝説の神々であり、大いなる力を人々に示唆している。自然の営みは神の営みであり、その神の営みを神の教えのままに実践することが、「マツリ」である。祭りはこうして神によって生かされ、神と共に生きる全ての生命の輝き、煌めきであり、この世の自然のサイクルの表現そのものでもある。と、云うのが「祭」の本来である。近頃は、ただの「お祭り騒ぎ馬鹿騒ぎ」が多い様に見受けられた「祭」ではあるが、今年は深く原点に返り、鎮魂の意味も含めた「祭」が私の住まいするところでも行われる。此処に引っ越して来てから、いつも思う。いったい、この大勢の法被や装束をまとった人は日頃はどこに潜んでいるのだろう?年に一度の「常陸総社宮の大祭」は、晴天の下、晴れやかに滞りなく行われている。言葉通り「ハレの日」である。お祭りの時に実家に帰ってくる人の数は盆暮れ正月よりはるかに多い。◇2011年の石岡のお祭りのポスター
2011.09.17
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文学の世界では、言葉豊かなる「霧」…「朝霧」「夕霧」「狹霧」「山霧」「川霧」「海霧」「谷霧」「都市霧」「霧の帳」「霧の雫」「霧の褥」少々複雑過ぎて「五里霧中」になる。「露」「雫」「霧」「靄」「霞」そして、文字はやがて「雪」になる。雨冠の漢字は、それぞれに美しい響きを持っている。皆、「水」に関係する言葉である。そして、それは、天地の事を指している。文学に使用される頻度が高いのも、それが、人々のいろいろな営みの文化を生み出すからであろう。さて、「五里霧中」だが、一般的な意味は、霧の中で進行方向を見失うと云うことから転じて、心が迷ってどうしてよいのか分らない状態である。中国に「道術」と云う、天から授かる不思議な術があると後漢時代に書かれている。「五里霧」(五里=約20kmも続く深い霧)を起こすことが出来る「張楷」と云う人物がいた。会いたくない人が訪れると自分の起こした霧の中に隠れた…とある。のちに、「道術」は「神仙道」の妖し気なモノへと姿を変えて行くが、それゆえ、なかなかに興味をそそる話も多い。中でも、これは?と思った術は「睡効」と云われる術である。ひとたび、術をかけ、一旦眠れば百日以上も目覚めない。爆睡を切に望んでいる私にはなんと魅力的な術であろうか?現代でも、睡眠不足は老化現象を早めると云われている。「睡仙」とは「眠りの仙人」である。だんだんと秋の夜長になる。冷気を含んだ夜霧に包まれぐっすりと眠りたい彼岸前である。因みに「五里霧」+「中」で 「五里」+「霧中」ではありませぬ。いわんや「五里夢中」でもありませぬ。
2011.09.16
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空には、居待月が曇りもなく昇っている先日、頼まれたCDを午後から編集し、レーベル印刷を始めている。プリンターの具合があまりスムーズにいかないのでかなり難儀した。プリンターもパソコンも地震の時に机から放り出されて傷を負っている。なんとか繋がっているけど不具合になる時もある。全部新しいモノに取り替えれば良いのだろうがまた、セットアップするのも面倒だし、覚えるのが一苦労である今、16枚のCDが出来上がった明日の晩までにあと、5~6枚‥CD作成頑張ります~しかし、自分のお人好しも些か考えねば‥ 自分で自分を労うしかないかなきっと、相手はこんなに大変な作業だとは分るまい(トホホです)あ~あ、月の明かりと涼しい秋の風にヨシヨシしてもらおうっと‥◇9/6の記事「CD作成中」
2011.09.15
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とにかく、驚いたまさか、[Wikipedia] に書いてあるとは思わなかった‥「秋の七草」の覚え方について「お好きな服は?」とお教え頂いたのは、かなり幼少の頃である。覚える時には、こう覚える。秋の七草は、春の七草と違って、そのまま食べるものはなく季節の気配を感じるもの。そもそも、「気配‥きくばり」「心配‥こころくばり」なんてものは「衣食住」が揃ってからの問題だから秋の七草は誰もあまり覚えない。人って云うやつは、「いやしい」からすぐ食べるものに結びつけたがる。そう師匠はおっしゃった。確かにそうかも知れない「食べ物」ばかりの昨今であることも否めない。ましてや「秋の味覚」である。春の七草を云える人はたくさんいるし、お正月にはマーケットでも「七草粥セット」で売られている。師匠は、風流人で、芸術家で、お金に全く無頓着で自然をこよなく愛されていた。その師匠から教わった「秋の七草の覚え方」が[Wikipedia] に寸分狂わずに書いてあったのだから、私はホントに驚いた一般的に表記される時は 「はぎ、すすき、くず、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、ききょう」しかし、これでは中々覚えられない。それに見た事が無い花もあるだろう‥大概の人は秋の七草に「吾亦紅」「竜胆」「菊」などが入っていると思うらしい。九月も半ばを迎え、いくら残暑が厳しくて汗だくでも秋色の花が多くなった。秋の花はたよりない‥あまり派手な花もない。而も、水上げの悪い花ばかりで、七種、一度に揃えるのは意外に難しい‥何故なら、咲く時期が微妙に違うからである。花屋ではなく、路地や道端に全部が咲き揃うことはまず無いと思う。◇いつも生け損なう珍しい伊勢撫子‥
2011.09.14
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地図は、「見る」のか「読む」のか?地図は、「読む」ものである。地図から学ぶことはたくさんある。地球儀丸ごととは言わないが地図には「記号」があり、わが国では地図上に「病院」「学校」「消防署」など地図をより見やすくするために、161種類の地図記号が使われている。カーナビの時代になっても地図は、ちゃんと見て確認出来た方が良い。地図が読めないと、大人になって恥をかく事も多い。せめて、日本地図ぐらいは、今一度見て欲しいと思う。さて、さて、いやはや何と云うか‥世の中には、面白い方々が大勢いる。例えば、「えっ、名古屋は名古屋県でしょ?」「水戸って東北地方だよね?」「佐賀県ってどこだっけ?」「箱根は静岡県?伊豆って何県にあるの?」「島根と鳥取って違う県なの?」「東京国際空港は東京だよね?」「東京ディズニーランドは東京にあるに決まってるじゃない?」「岐阜県ってどの辺りだっけ?」「福岡と博多って遠いの?」「大阪駅と梅田って近いの?」「都道府県っていくつあるんだっけ?」「‥っていうか、行ったことないから知らない」取りあえず、日本の都道府県はどう配置されているかぐらいは知っていて欲しいものである。近年になって新しく出来た記号は「博物館」「図書館」「老人ホーム」「風車」などがある。出来れば地図記号もある程度は知っている方が何かと便利である。下記のページをクリックすると日本地図が分りますので、お時間のある方はちょっと見て下さい。地図記号なんぞと言って侮ってはいけません。分らないものが案外多いのですから‥(笑)◇47都道府県 まめ知識◇地図記号一覧表◇:国土地理院(地図記号)
2011.09.13
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月は万葉の時代から多くの歌に詠まれてきた。月には満ち欠けがあり日々に形を変えるので眺めているといろいろな事が去来し興趣は尽きない。21世紀になり、月を地球の外から見る事が可能になった科学の現在ではあるが、月への想いは昔と変わることなく不完全の美学として日本人の心の中に深く刻まれている。月には、呼び名がいろいろある。中秋の名月は当然、「満月」だが十五夜の次の日を「十六夜」と書いて「いざよい」と読ませる。と言うことは、言葉を分けて考えればお分りになると思うが、まだ宵の口に昇る月なのである。その次の日を「立待月」その次を「居待月」その次の日を「臥待月」と呼ぶ。月は、風雅の対象として愛でられる以前は、信仰の対象であり、中秋の名月には、里芋と団子を供え、「芋名月」とも呼び、農事の目安に月があり、いにしえの時代の農耕儀礼の名残でもある。中秋の名月「花」と言えば「桜」をさし、「月」と言えば「秋の月」の事をさすと古くから定められている。秋の月は清明の度合いが他の季節に比べてもっとも優れている。
2011.09.12
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東日本大震災から半年。「鎮魂祭」が各被災地で催された。南三陸町の記事相馬市の記事石巻市の記事私の家の近くの公園でも被災された方々のために「鎮魂の灯明」が点された。魂を鎮めるとは云え、蝋燭に点火されるとその灯りがゆらゆらと公園の池の水面に映りなんだが涙が出てきた。一瞬にして奪われた命‥そして今も見つかっていない家族‥夜も更けると風が秋を連れて来た。虫の音が淋しく聞こえる。手を合わせ、祈り、涙するその光景は言い様のない辛く、悲しく身が震えて来る。実際にあの揺れに、津波に遭遇しなかった人達は永遠に解らないだろう。本当に恐かった!今、こうして生きていることが不思議で神様の思し召しだと思うことがある。赤い灯りは揺らめきながらその灯りを黄泉の国まで私たちの想いを運んで行ってくれるのだろうか‥なかなか安らかにお眠り頂くのも難しいと思う。あまりの突然の出来事で未練を残したまま、何も伝えられないままこの世を去った皆様に哀悼の意を表し静かに静かに、この灯明を見ていた。
2011.09.11
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東日本大震災から半年が過ぎた。学問する立場の眼で、もう一度この地震のメカニズムを知るためにも「国土地理院 地図と測量の科学館」は、打ってつけの場所である。あの時、東日本の太平洋沿岸はいったい、どうなっていたのか?その諸々の資料が、詳細に展示されていた。意気消沈してばかりでは前に進めない。どんな困難な道のりでもたとえ誰の援助など無くても自分自身で明日を迎えなくてはならない。そのためには、日本で活動する地震そのものをよく知らねばなるまい。私の隣に、50代くらいのご夫婦が並んで震災の写真を見ていた。奥様らしき人の曰く‥「よかったなぁ~此処にうちの家の写真があるよ‥」「此処なら、ずっと保存してくれるな‥」学問の立場が急に崩れて、胸が痛くなった。被災地は半年経過しても、あまり復旧復興はしていないのが現状である。全国の高速道路で常磐道だけが今日現在も全線通行になっておらず、ある区間だけ「災害通行止め」はあの日以来半年も続いている。そして、今日は、世界同時多発テロ(9.11)から10年目でもある。「11日」が示すモノはなんだろう?○地図と測量の科学館◇東日本大震災を自分なりに振り返って‥(過去記事)2011.3.11の日記2011.3.12の日記2011.3/14の日記2011.3/14の日記2011.3/15の日記2011.3/18(あれから一週間)「あれから半月」の日記「あれから三ヶ月」の日記「あれから4ヶ月」の日記
2011.09.11
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「惜しみなく愛して」白い肢体が白いシーツの上で身をくねらせ月光を浴び美しい歓喜を上げる。山の出湯の離れで男はそっと女の耳もとに囁いた。「風が冷たいね… このまま、抱いていてもいいか?」女は男の胸にすがって頷いた。「時間が止ってくれればよいのに…」男は女の睫毛に口づけしながら、そう言いい女の頬を伝う切ない涙を男は啜った。山の夜。夏と云うのに、だいぶ冷え込んで来た。男は、女の髪を撫で、じっとその顔を見つめる。女は、男の唇に指をおく。白い肌が満月に照らされ、やけに青白く見える。男は、また、女の身体を求め、果てても繰り返されるその麻薬のような情事に二人は激しく何度も何度も燃え上がる。山の冷気がそうさせているのか、月光の妖しい光がそうさせているのか気狂いのように求め合う二人の影がうごめき合った。ゆっくりと夜が明ける。気怠い疲れに身を任せて、煙草の煙りがゆらりと上がる。「珈琲、飲む?」女は男に言った。白い褥から抜け出た女の足が綺麗だった。朝の光が二人を優しく包む中で前を向いて熱い珈琲を飲む。「もう秋の空ね…高いわぁ…」女は少し微笑みながら寂しそうに言った。「また、逢いに来てくれる?」「逢いに来るよ…」「何時?」「何時とは言えないよ」「そうね…私も何時になるか判らない」「でも、必ず来るよ」「信じるわ」「僕も信じてる」すっかり朝になった。蝉の声も聞こえ出し、夏の名残りはまだ、そこかしこに残っている。夏が行く…夏が行く…男と女は、それぞれに家に帰る。互いの身体に夏の面影を残して夏が行く…◇小さな湖に朝霧が立つ
2011.09.10
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昔、中国では奇数を「陽」の数としていた。今日は「重陽の節句」「重九」とも云う。9は一桁の奇数としては一番大きな数であり「陽の極まった数」として陽数を代表する数と考えらた。「陽の極まった数の重日」ということである。日本へは平安時代の初期に伝わり宮中の儀式となり「観菊の宴」が催された。江戸時代になると五節句の中では、最も公的な性質を備えるようになり武家では「重陽の節句」に菊の花を酒にひたして飲み祝ったと云う。今宵は月も美しい‥十五夜も週明け‥菊見で一杯!月見で一杯!虫の音色も賑やかに‥「秋」ですね。
2011.09.09
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「万緑叢中紅一点」「ばんりょくそうちゅうこういってん」の略。中国の王安石が作った詞にある言葉で、「緑の草むらの中に一つだけ赤いザクロが咲いている」ということを指していた。現在では意味を転じて、男性ばかりの中に女性が一人だけ混ざっていることや、ひときわ目立つ存在のことを言う。 (ウィキペディアより)柘榴の実がたわわに枝に実り、中には種ばかりの真っ赤な実がまるで宝石のようである。柘榴石と言えば、1月の誕生石「ガーネット」のことである。宝石に疎いと「ルビー」と間違えてしまうかも知れない。薬にもなり、サプリメントに使用され化粧水にも、飲み物にも使われている。「赤」は、「命」や「血」「免疫」にも繋がり人に「危険」も知らせてくれる色の効果でもある。◇ガーネットのネックレスとイヤリング
2011.09.08
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ある人がおっしゃっていらした。「別に僕は、そういう立場じゃないし 特別、会の中で偉い訳でもない‥ ただ、パソコンでワードが打てたり プリントが出来るというだけで 資料作成を頼まれているんだ!」私も同じようなことを何度も経験しているので、そのややこしいお気持ち、よ~~く分りますよ今日は、ソシアルダンスのCDを作成している。理由は、全く同じ理由から‥預けられたCDの枚数は29枚‥だいたい一枚のCDに17~25曲ぐらい収録されている。まだ全部数えていないけれど600曲ぐらい‥これを全部、ダンスの種目別に分けてダビングする作業は大変面倒である。最初にピックアップした自分の好きな曲を選んでおけば後で楽なのに‥レンタルショップでもコピーはしてくれるけれど仕分けはしてくれない‥これ、真面目に「料金発生」で考えると‥もし、知らない人に頼まれたら仕事でも絶対にやらないだろうなぁ~~~まっ、仕方ない!長いお付き合いの人の頼みだから作るしかないか‥
2011.09.06
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いくら残暑が厳しくても秋になったら、「抹茶」「煎茶」のお稽古を再開する。そろそろ「茶道」の準備をしなければ‥と思い、お道具の点検!あっ!マズい!そうだ‥そうだった‥お道具も震災に遭ったのだ‥取り合えずの「お片づけ」は済ませたが整理整頓がなっていない‥壊れたものも沢山あった‥積み上げたお道具類は無惨やな‥状態だったので配置を変えて仕舞い込み、そのままだった。ぼちぼち、どこに何を片付けたかをはっきりさせましょう!しかし、面倒である。涼しくなってくれれば「その気」にもなるのだが‥
2011.09.05
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粗衣粗食を素直に受け入れて者には清らかな心の持ち主が多い。これに対して、美衣美食にふける者には卑屈な態度をとる者が少なくない。私もそう思う。志操は、清貧な生活によって磨かれ節操は、贅沢な生活により失われるものである‥と。しかし、清く貧しいとは難しいもの。清らかで広く穏やかな心。貧しいとは、モノに執着しない心。感情は豊かで思いやりの深い慈愛の心を己の中に育てる事は容易ではない。節操なく、貪る様にモノを売り買いしている人達が横行している。なんでもが経済の対象になるのは嘆かわしいことである。
2011.09.03
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そんなに政治に興味がある訳ではないが日本史を学んでいると政治が歴史みたいなものである。最近、よく総理大臣が変わる。日本のトップはコロコロと代替えしてゆく。またもや、新しい総理大臣になったところで歴代の総理大臣をネットで閲覧してみた。一番、見やすいものを添付してみる。「日本の歴代総理大臣」誰がやっても同じだ‥誰がやっても変わらない‥果たしてそうだろうか?総理大臣には簡単にはなれない筈‥簡単には就けない役職ではあるが資質はあまり深く詮索しない。しかしながら、歴代総理大臣で在職日数が長いベスト5に小泉さんが入っているのにはやはり、このところのびっくり事項である◇ご参考までに「 歴代内閣総理大臣の在任期間ランキング」第1位:2,886日...桂 太郎(かつら たろう)第2位:2,798日...佐藤 榮作(さとう えいさく)第3位:2,720日...伊藤 博文(いとう ひろふみ)第4位:2,716日...吉田 茂(よしだ しげる)第5位:1,980日...小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう)第6位:1,806日...中曽根 康弘(なかそね やすひろ)第7位:1,575日...池田 勇人(いけだ はやと)第8位:1,400日...西園寺 公望(さいおんじ きんもち)第9位:1,241日...岸 信介(きし のぶすけ)第10位:1,210日...山縣 有朋(やまがた ありとも)どうでもよい事だが第9位の岸さんのお屋敷を、私は幼少の頃にご近所だったのでよく存じ上げている
2011.09.02
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先日、自転車を購入した。旅行に出掛けていたり野暮用があったりして取りにゆくことが出来ず、今日になってしまった。「母の乗り物」になる訳だが「防災」の視点から考えてみると自転車は誠に便利な乗り物である。震災直後、この辺りでも「自転車泥棒」の被害が多く、町内会でもパトロールした程だ。もし、大都市直下型の大地震がやって来たら車の渋滞は避けられない‥それは、ひとたび接触事故が起これば火種(ガソリン)の中に身を投じるようなもので大変危険である。比べて、自転車は「自分の力」で移動可能。やはり、自転車も自動車も乗れる方がイイ。そして、災害に対しての身の安全は自分で確保しなlければなるまい。今年の「防災の日」は、自然の脅威と人が巻き起こす災害をどう最低限に回避をするかをじっくり訓練し、試行錯誤し深く考えずにはいられない9月幕開けである。◇「自転車」過去記事
2011.09.01
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