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ムハンマド風刺画問題



いぜん三年間デンマークに在住した身として、また、どちらかと言うと親イスラム的な考え方を持つ私としては非常に嘆かわしい事態だ。

イスラム社会においてアッラーは絶対であり、ムハンマドはそのアッラーの言葉を世に広めた人物として絶大なる尊敬を得ている。この尊敬は特に信仰心の強い地域をはじめとして自分の親をも凌ぐ程である。

これらの風刺画は著作権の問題もあるだろうからここで表示するのは控えるが、まるでムハンマドがテロリストであるかのような紹介のされ方をしている画も少なくない。そして、テロリストでなくとも、その大部分は決してポジティブな画ではない。

現在、東はインドネシア、西はナイジェリアまで、イスラム教勢力が強い世界各地でこの問題に起因する暴動が後を耐えない。ウィーン条約でその安全を保障されている大使館でさえ投石や放火の被害を受けており、沈静化の兆しどころか悪化の一途を辿るのみだ。

私は一般的な日本人と比べ、どちらかと言うと親イスラム的な考え方を持っている方だと思う。しかし、現在世界各地で起きている暴力行為は決して許される事ではないと思う。如何に怒りを持っても暴力が生むのは憎悪・破壊・対立のみだからだ。辛いかもしれないが、ここは暴力に当たりたい気持ちを抑え、平和的行動によりその怒りを露にするに徹してほしい。
Two wrongs does not make a right.
マハトマ・ガンジーの言葉にも「目には目をは世界を盲目にする」との言葉がある。まさにその通りである。

かたやデンマーク政府をはじめとする当事国政府の対応だが、各国で凶弾されている国の政府はほぼ同じ対応だ。それは言論の自由を保障している中、政府が報道機関(この場合新聞社)に対し何を書いて何を書くべかざるか介入する事はできないとの事。これは一見正しい判断だと思う。しかし一国を代表するような新聞が犯罪を呼びかける記事を掲載したらいかがだろう。一国を代表する新聞紙が誹謗中傷を行ったらいかがだろう。
難しい問題だが、言論の自由が保障されている国において、規制を行う事は現実的には無理だろう。しかし当初のデンマーク政府のように「記事に書かれることに関与はできない」だけで終わらせる対応には問題があるといわざるを得ない。

今回の問題で最も問題があったのは新聞社の対応であろう。
先日この新聞社の代表がついに謝罪を表明したが、この新聞社も当初は「言論の自由」を盾に謝罪を拒んでいた。
マスメディアが絶大な影響力を持つ現代社会で新聞と言う大きな影響を持つメディアがこのような言動を行う事は大いに問題がある。言論の自由とは社会の秩序、事実のみの報道、中立的な立場などと言った多くの責任を果たしてのみ与えられる自由であり、無責任に与えられる自由ではない。日本のマスコミを含め、全世界的にこの事を忘れているように思えてならない。新聞社の代表は「意図とは違う方向に進んでしまった」と話しているが、このような風刺画を掲載したらイスラム社会から反発がある事は明らかであったはずだ。
この新聞社は謝罪はしたが、今後も今回の事態を真摯に受け止め、事態の沈静化に全力を尽くすべきだろう。

なるべく早いうちにイスラム社会とデンマークをはじめとする諸国の間で完全な和解がなさられる事を心から願ってならない。


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