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台風でキャンセルとなった教習初日。出だしでいきなりの足踏みでしたが、気を取り直して、いよいよ第一段階がスタートしました。(当然のことながら、AT車限定コースです)入校の手続きを取った日、受付でいきなり「すみません、皆さんに最初はこれをやっていただいてます」と、1枚のプリントを渡されました。見れば、20問の漢字テストで、しかも読み書きの「読み」の方だけ。これなら楽勝!と、勢いよく「一方通行」「駐車禁止」などの漢字にふりがなを書いていったのですが、いきなり「路側帯」という文字に行き当たって、一瞬ペンが止まってしまいました。ろそくたい、と読むのだろうな…と見当はついたものの、運転に無縁な人間は、交通用語にも無縁で過ごしてきたのです。(本当は無縁じゃいけないのでしょうけれど)その時、ふっと頭をよぎった不安が的中。学科教習の授業(第一段階で10時限受講)が始まったら、とにかく!耳慣れない言葉の連続です。さそくたん?どうりゅうたい?きどうしきない?聞いただけでは、どんな漢字に変換したらいいのか、とまどうばかり。日本語なのにヒアリングに苦労している私って…?左側端、導流帯…と、教本の文字を追えば、そういうことかぁと納得がいくのですが。ちなみに軌道敷内とは「路面電車が通行するのに必要な部分」のことだそうで、それなら路面電車の線路のところ、って言ってくれたらわかりやすいのにー!と、文句の一つも言いたくなってきます。50分の授業が終わりに近づくころ、講師が「二輪車に乗る時は、くれぐれも死人性に飛んだ服装を」と言うので、縁起でもないことを、とびっくり!でも、直後に「視認性に富む」つまり目立つ服装のことだとわかりました。ここまで来ると、もう笑い話ですね。何はともあれ、こうして免許取得への第一歩を踏み出しました。さて、方向音痴・メカ音痴・運動音痴の三重苦+年齢のハンデを乗り越え、免許証を手にする日は来るでしょうか…帰宅後、がんばったごほうびのように、うれしいお届け物がありました。宇都宮に住む友人から、冷凍の餃子が!先日、伊勢志摩旅行のお土産を贈ったので、そのお礼ということでした。彼女を訪ねて宇都宮に行ったとき、「みんみん」という有名なお店で名物の餃子をいただいて、とても美味しかったのでした。疲れて帰った日、食事の支度が一手間省けるのは、本当にありがたいこと。よき友に感謝!です。【今日の晩ごはん&宇都宮の餃子】餃子専門店 みんみん餃子と言えば宇都宮!「うつのみや餃子」30個セット
2004.10.22
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一昨日から、新内閣スタートの話題でメディアが賑やかです。組閣人事で「サプライズ」があるか、どうかが大きな関心になっていましたが、私にとっては一番のサプライズは、猪口邦子大臣の、あのブルーのドレス姿!久しぶりに、テレビの前で「目が点になる」という状態を実感しました。国際派の猪口さん、まさかハロウィンを意識して、お姫様の仮装をしたわけではないでしょうが。男性陣の正装だって、決してサマになっている人ばかりではないのですけど、どうしてもこういう時は、女性のファッションに目がいってしまう…そして、ある程度年齢を重ねた方の場合、「あちゃー」と目を覆いたくなるようなケースが多々あるように思われます。別に大臣だけに限らず、結婚式の会場で見かけるオバサマ方のおしゃれなどでも…どうしてそうなっちゃうの?と首をかしげたくなる例は、多々あるような。そういう時、しみじみ思うのが「日本人が、おばちゃんになって洋装でドレスアップするのは難度が高い」ということ。さらに重ねて思うのが「着物にしておけば、間違いないんだろうけど…」と、いう点です。だって、背が小さくても横幅が広くても、着物は体型面のハンディをすべてカバーしてくれますものね。以前の日記でも書きましたが、私自身は、自分で着付けが出来ません。でも「いつかは…」と念じておりました。実は、今月から、ご近所で教えていらっしゃる先生のところで着付けを習うことになりました。月に3回、手ぶらで来ても一式貸してもらえるということで、知識はまったく持ち合わせていない私ですが、まずは一歩、踏み出してみたいと思います。【憧れてる究極は、この世界…】【猪口さんの真珠のネックレスはかっこいいと思う。】
2005.11.02
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私が通っている着付け教室の、春のパーティーが行われました。着物を着て、お互いの着姿を愛でつつ楽しく過ごしましょう…という趣旨で、毎年この時期に先生が主催されています。昨年の春に出会ってから、何だかデビューさせる機会を逃し続けていた、紫色の角通しの江戸小紋。やっとこの日、袖を通すことが出来ました(感涙)。誂えた着物を真新しいた畳紙から出し、しつけ糸を外す…何度体験しても、胸がわくわくする瞬間です。一ケ月以上コーディネートを思案し続け、船場センタービルで帯揚げと帯〆も新たに購入してみました。この、江戸小紋の反物に出会った日の経緯はこちらのブログに書いたとおり。同じ日に、色違いのお揃いで誂えたお稽古仲間も、今日はこちらの着物で参加。という訳で、江戸小紋シスターズ・略して「コモンズ」(?)結成です(笑)同じ先生に習っていても、お稽古日が違うとなかなか他のクラスの生徒さんとは顔を合わせられないもので、この日も久しぶりに会う方々とおしゃべりに花が咲きました。着物姿が一堂に会するって、本当に華やかな空間です。どの方の着物にも、思い入れやストーリーがあって、そういうことを語り合っていると時間がいくらあっても足りない…本当に、そういう楽しさは「着物ならでは」のものだと再確認した一日でした。
2009.02.22
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「暮しの手帖」の現編集長、松浦弥太郎氏が代表を務める古書店「COW BOOKS」。中目黒や青山にあるお店のほか、トラックの荷台に本を積んだ移動販売も手がけていて、それが「traveling COW BOOKS」です。この“旅する本屋”さんが隣町にやって来ると知って、パラつく雨の中を出かけてきました。会場は県立美術館の敷地内。トラックの向こうには、美術館の庭のバラがきれいに咲いているのが見えました。以前、雑誌「アルネ」で紹介されていたのを読んだけれど、なるほどこういう風に本が並べられているのですね…雨に濡らさないよう、傘の位置に気をつけながら、じっくり吟味して夫と一冊ずつ購入しました。いつもと違う本とのふれあい、面白かったです!今月に入ってからアレルギー性の結膜炎を起こしてしまい、仕事ではどうしてもPCとにらめっこになるので、家では心がけて眼を休めていました。…といっても、ディスプレイを前にするとショボショボしてくる眼の症状が、本を読む時は大丈夫なのがありがたかったです。このところ、そういう訳で愉しみの多くを読書に求めておりました。人間を「本を読む人」と「読まない人」に区別できるとしたら、私は前者でラッキーだった、と思います。黒柳徹子さんが、若い人に読書を勧めるにあたり「本で別の世界に行けることを知っていれば、みじめにならないですむから」という意のことをおっしゃっていました。現実そのものを変える力はなくても、現実と折り合いをつけることを本が与えてくれる…ということ、私にもよくわかります。この日のブランチは久々の「レモンの木」で。夫と、ミックスサンドとフルーツサンドを半分こ。決して氷日和ではなかったのですが、いちごシロップの誘惑に抗えず、デザートはこれを半分こ(笑)今年も美味しかった!梅雨が明けたらまた食べに行きます。お店の前の光景。空を覆う雨雲は鬱陶しいけれど、その分、水田の一面の緑はとても清々しく美しい…と感じます。
2011.06.19
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ある出来事がきっかけで、終わってしまった十代の頃の恋。その過去を引きずりながら、同じ街に住み続ける二人の男女。女は、朝は牛乳配達、昼はスーパーのレジ打ちをしながら、独身を通して暮らしている。男は別の女性と結婚したが、今は病で死期を迎えつつある妻を自宅で介護する日々。そして二人は、共に50歳になっていた…う~ん、こんな風に簡単に物語の枠組みを辿っただけでは、この映画が持つ深い味わいを表現することは到底出来そうにありません。女を演じる田中裕子、男を演じる岸辺一徳の存在感が素晴らしいのはもちろんのこと、脇の役者さんたちがどなたも本当にいい仕事をしていて、セリフの一言ひとことがいつまでも耳に残っています。特に、男の妻を演じた仁科亜希子が巧くて、ビックリしました。この人、家で松方弘樹が釣ってくる魚を待っているより、断然女優に復帰して正解だったと思う!病床にある人特有の鋭敏さで、男の妻が、主人公たちが未だに過去の想いに囚われ続けていることに気づくことから、この映画の物語は始まります。でも、彼らは決して、密会していたわけでも気持ちを確かめ合っていたわけでもない。むしろ、同じ街に暮らしながら、普段はまったく言葉を交わすこともない。スーパーの同僚に「一人で、夜とかさびしくないですか?」と無遠慮な質問を受けたとき、女が返す「くたくたになればいいのよ」という言葉が印象的です。成就しない、させないと自ら決めた片思いを抱えながら、一人で生きる日々。夜明けの坂の多い町で息を切らせながら牛乳瓶を運び、黙々と買い物カゴの中の商品のバーコードを読み取り、家ではラジオを聞きながらベッドで本を読んで…人から「なんか歯がゆいと思っちゃう。別の生き方がなかったのかな、って」と言われる彼女の人生だけれど。実は、そんな風に日々を送って、十年、二十年なんて何てことなく過ぎ去っていってしまうものなのかもしれない。市役所に勤め、黙々と医師から定められた介護の日課をこなす男の暮らしぶりからも、同じようなことが感じられます。ストイックなようでいて、実は自分の好きなように、決めたとおりに、自由に勝手に生きているとも言えるのだし。(妻からはその点を激しく糾弾されるわけですが)一見、地味で平凡で、生活の現実感にまみれて生きているように見える人間に、ここまで深く熱い感情が潜んでいる。先日観た「美しい人」にも通じるものを感じました。男の妻の死を転機に、それまで平行線だった主人公達の運命が激しく交差する時を迎えるのですが、その顛末と最後にもたらされる結末は、伏せておこうと思います。女が最後につぶやく一言のセリフが、この映画の題名と見事にリンクして物語が終わったとき、私の心には一晩経ってもまだ抜けきらない、深い余韻が刻み込まれていました。50歳なんてまだまだ人生の途中、ということを如実に浮かび上がらせる、周囲の老人達とのエピソードも秀逸で忘れがたい。いい映画に出会えました。私は、作り手が人間を深く洞察しようとして生み出す映画に惹かれます。
2006.10.21
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