willは「予測」「意志」とありますが、手持ちの文法書には「単純未来」としてMy brother will be twenty next year. が載っています。「予測」は話し手の予測だと思います。しかしこの文は自然のなりゆきです。 なのでwillの「予測」は自然のなりゆきの「単純未来」に主観を色付けしたものと考えると、willの元は「予測」「意志」というより、「単純未来」「意志」 で、そこから「予測」や「習慣」などが派生したと考えるのではないかと思い、最近モヤモヤしています。
(2014年05月20日 10時41分05秒)
ALONEさんの言う「My brother will be twenty next year.」は確かに自然のなりゆきにも思えますが、CGELでは同じような文を自然のなりゆきで単に未来を表すようにも見えるが、この文章の中にも予測が根底にあると言っています。どういうことかというと、今年19歳の兄が来年になれば当然20歳になります。しかし、これはあくまでも来年まで生存できるという前提がなければなりません。もしかしたら、事故で亡くなったり、病気で亡くなったりする可能性はゼロではありません。つまり、この自然な成り行き未来は「来年までに兄に何も不幸が起きなければ、兄は無事20歳になるでしょう」という予測とも捉えることができます。不幸が起こるか起きないかは未知の範囲。だから兄が20歳になることも100%ではない。極端に言えば、未知の範囲ということ。ここに英語のmodalityという感覚が芽生えるのです。
また、It will be spring soon. 「もうすぐ春です」これも見方によれば「春が来る」ことは自然のなりゆきですよね。だから「単純未来」と考えることができるでしょう。しかし、これも私は「予測」から派生した「習慣」だと捉えています。例えば、Azar, Betty Schrampfer, and Stacy A. Hagen.のUnderstanding and Using English Grammar. では、willを100% degree of certainty つまり、willの確信度は100%と言っているわけです(個人的には100%ではないと思っていますが。。。)つまり、UUEGの言葉を借りれば、「冬の次には100%春が来る」どうして100%言えるのか?それは習慣で決まっているからであると考えることもできます。