三角猫の巣窟

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2024.11.25
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「すし匠」の中澤圭二がマンハッタンに出店して、キャビアやトリュフが高級食材をどしどし足していく「足し算の鮨」をやる現地の寿司屋に対して、「引き算の鮨」でシャリを主役にして魚のうまみを引き出してシャリに合わせる江戸前鮨で勝負するというような話を最近見かけた。こういう感覚は料理だけでなくて芸術にも重要なので、徒然なるままに算数について考えることにした。

●料理の算数

味を形容する言葉に甘酸っぱいや塩辛いとかがあるように、味の足し算をするにしてもたいてい二つの味が中心になるので、何でも足せばよいわけではない。
鍋料理は足し算の傾向が強くて、汁のベースになる味があるにしてもいろいろな食材からだしが出るほど汁が濃くなって美味しくなる。
スターバックスのコーヒーはキャラメルやらクリームやらをマシマシにする足し算のコーヒーで、喫茶店のコーヒーはミルクか砂糖を最低限入れるだけでコーヒー本来の味を楽しむ引き算のコーヒーといえる。
酒は割り算で、アルコール濃度が高い酒を氷や炭酸とかで割って薄めて、そこに果物とかのフレーバーを足して好みの味に仕上げる。酒と食べ物のマリアージュはおいしさを引き上げる掛け算といえるかもしれない。
デザートは足し算になりがちで、洋菓子のケーキやクレープはごてごてと果物を盛っているほうがインスタ映えして美味しそうに見えるけれど、飽きるのも早くてたまに食べるにはいいけれど毎日は食べたくない。和菓子は餡をメインにして餅や最中を合わせて素材のおいしさを引き出す引き算のお菓子で、地味だけれど毎日食べても飽きにくい。湖池屋がカルビーの真似をしてごてごてと味を足したポテチを出すのを見直してジャガイモのおいしさを追求したプライドポテトを出したらヒットしたように、普段食べるおやつは引き算の考え方で本質的なおいしさを追求するほうがよさそうである。
パンはハード系パンは小麦のおいしさを追求した引き算のパンといえる。サンドイッチやホットドッグやハンバーガーや総菜パンは足し算のパンである。焼きそばパンとかの日本特有の総菜パンはパンと具のどっちがメインなのか不明で具が甘めのパンに合わなかったりするので、私は総菜パンをあまりおいしいとは思わない。

●製品の算数

平成の日本の家電は機能を足し算するのが付加価値だとばかりにいらない機能をてんこ盛りにして、テレビのリモコンがボタンだらけになったりパソコンやアプリがプリインストールされたいらないソフトだらけになったりして迷走して、Appleとかのデザインに凝ったシンプルでスマートな家電に取って代わられた。バルミューダもトースターとかの単機能の引き算の家電で成長したのに、スマホに独自の電卓アプリを足すことにこだわった足し算病にかかって、自己満足のこだわりが消費者のニーズに合っていなくて失敗した。電卓にこだわりたいならスマホでなくて意識高い事務職用の卓上電卓を開発して引き算の製品にするべきだった。

●建築の算数

家を建てる時は家族の人数や必要な用途に応じて寝室や書斎やウォークインクローゼットとかの部屋を足していって、大は小を兼ねるということで大きな家になりがちである。昭和は大きな家で3世帯同居して、ジジババが死ぬ頃にひ孫が生まれて家族構成が入れ替わるので、家の構造自体はあまり変わらなかった。核家族化してからは子供が生まれたり子供が家を出たりしてライフステージが変わるごとに引っ越すのが普通になって、単身用の最低限寝起きできるだけの超狭いアパートや月極のロッカーみたいな用途を限定した引き算の部屋が出てきた。

●ファッションの算数

化粧は素顔に対する足し算で、まつ毛の長さや唇の厚さとかを盛って誇張するのが標準になっている。そのうえ写真アプリやプリクラとかでさらに加工して盛る。女性らしさを足していくとドラァグクイーンのド派手な化粧にいきつく。
昔の服は身分を表していたので、偉い人ほど足し算のファッションで装飾が増えていって、冠をかぶったり勲章をつけたり凝った刺繍を入れたりフリルをフリフリしたりする。現代の服はコーディネートが難しくて、服のブランドも靴のブランドも鞄のブランドもアクセサリーのブランドも個性を出そうとして派手になりがちで、重ね着でも動きづらくなって、足し算をするとゴテゴテした感じになるので足しすぎないようにする必要がある。モノトーンのモード系ファッションは服から色の要素を減らしてそのぶんスタイルに特徴をつけた引き算のファッションといえる。
女性は性の解放で好きな服を着られるようになると、スカートの丈が短くなったりへそを出したりして服の面積を引き算して露出を増やすようになった。服で隠さずに直接性的魅力をアピールするようになったら豊胸手術で胸を足し算する人も出てきた。

●スポーツの算数

ボディービルダーは筋肉を足していくけれど、筋肉ムキムキのマッチョマンがあらゆるスポーツに強いわけではない。身長や骨格に最適な筋肉量があるし、格闘技は体重制限もあるので、スポーツマンは無駄な筋肉や脂肪をつけないように引き算で体を鍛えて機能を絞る必要がある。
スポーツのスコアは基本的に足し算で、相手のスコアを減らせるスポーツはないような気がする。

●音楽の算数

音楽は演奏者の人数や楽器の種類が増えるほど音が豪奢になるので足し算になりがちだけれど、そのぶん作曲や合同練習が難しくなる。西洋では大人数のオーケストラが隆盛して、アメリカのポップミュージックではジャズの後に大所帯のファンクが出てきて、日本では大所帯のアイドルが出てきたけれど、大人数だとそのぶん維持費がかかるのでジャンル自体の人気がなくなると運営できなくなる。楽器が電子化してからはシンセサイザーがあればいろいろな楽器の音が出せるようになったうえに楽器ごとのズレがない正確な音が出るので、オーケストラやマーチングバンドやアイドルみたいに生演奏のパフォーマンスに価値があるグループ以外は大所帯のグループはいなくなった。
その一方でジャズはロックは3-4人が専門の楽器を担当するので、個性の掛け算的なところがある。音楽の方向性の違いでメンバーが抜けて別のメンバーを入れるとソロパートの部分が違う雰囲気になって人気が変わったりする。ラップバトルも掛け算で、一人だけうまくてもだめで、相手もうまい返しをしないと盛り上がらない。
アカペラのバラードは引き算の音楽で、伴奏がないぶん歌唱力が要求される。ボイスパーカッションは音を足していって一人でいろいろな音を出すのが面白さになる。

●文学の算数

文体面ではヘミングウェイのハードボイルドの文体は描写を必要最小限にした引き算の文学といえる。日本文学にあるような句点で文章を長くしてつらつらと書いて独特のリズムを出す文体は足し算の文学といえる。
物語の内容は登場人物同士の足し算でなくて掛け算になるようにしないと登場人物を増やす意味があまりない。足し算の登場人物はいてもいなくてもたいして変わらないけれど、掛け算の登場人物はいなくなったらプロットが成立しなくなったり物語の魅力がなくなったりする。
テーマとしては甘酸っぱい恋とかほろ苦い恋みたいに味に例えることもできるので、料理の算数も応用できるだろう。ミステリに恋愛要素を足した甘辛い殺人事件とか、自意識の探究に文明批判を足した塩辛い純文学とか、ポストアポカリプス世界で死闘を繰り広げる苦辛いSFとか、二つの要素なら足し算ができそうである。

●ゲームの算数

ゲームは足し算の傾向が強くて、オンラインゲームやソーシャルゲームは経験値を貯めてレベルを上げてアイテムやスキンを集めさせることでユーザーが成長して強くなった感じを出したり、ログインボーナスでゲーム内資産が溜まった感じを出してユーザーをつなぎとめている。その一方でローグライク系は良いアイテムを集めても死んだらアイテムがなくなって初めからやり直しという緊張感があるのがウケていて、これは引き算のゲームである。『桃太郎電鉄』は基本的に足し算で資産を増やしていくゲームだけれど、貧乏神が強制的に引き算をすることをイベント要素にしてゲームバランスを調整している。引き算もやり方によっては面白いイベントになるわけである。

●番組の算数

ラジオは人数が増えると声だけ聴いても誰が喋っているかわかりにくくて足し算はできないので、キャストの人数を最低限にして企画を掘り下げる引き算の番組作りといえる。ラジオはメインパーソナリティーとアシスタントやゲストがいれば一時間くらい会話を途切れさせずにつなげることができるので、キャストは1-2人で十分である。
バラエティ番組はキャストが多いほど賑やかな感じになるので足し算の番組作りといえる。企画がしょぼくてもひな段に芸能人を並べて何かコメントをさせて良さそうなものをピックアップして編集すれば尺を稼げるので、企画力がないテレビ番組はたいていひな壇に頼っている。YouTuberも似たようなもので、1人でやるとくだらなくて盛り上がらないような事でもグループ系YouTuberが5-6人でわちゃわちゃやるとリアクションの引き出しが増えて楽しそうに見える。

●宗教の算数

宗教を広めるにしても、一人づつ説得して教化するのには時間がかかる。そこで避妊を禁止して子供を増やして親と同じ宗教にすれば信徒が増えるし、あるいは異教徒を征服して改宗させれば信徒が急増する。そのやり方で中世のキリスト教やイスラム教は掛け算で世界中に増えていった。現代は人権が重視されて信教の自由があるので宗教戦争で征服した相手を改宗させることはなくなったけれど、それでも結婚と出生への宗教的な干渉は残っていて、統一教会は合同結婚式と避妊禁止で二世三世を信者にすることで信者を増やしたし、モルモン教は一夫多妻制と避妊禁止で信者を増やしている。
その一方で原始仏教は引き算の宗教で、個人的な欲や執着を捨てることを目指していて出家した僧侶は子供を持たないし、布教して権力や資産を持つことも目的にしていない。それゆえに出家者は尊敬の対象となって、在家の仏教徒に説法をして悟りに導く代わりに布施を集めて生計を立てられるようになる。

●人生の算数

人生は学習の連続で、知識や技術の足し算で成長して仕事で生計を立てられるようになる。人脈も足し算で、友人や知人が増えていくほど仕事に有利になる。しかし過去の成功パターンにはまって認知バイアスができたり、人間関係のしがらみにとらわれて身動きできなくなることもあるので、時折アンラーンしたり、悪人との縁を切ったりする引き算も必要になる。
艱難辛苦を乗り越えて頑張って生きても死なない人はいないので、最終的には積み上げてきた知識やキャリアや資産とかがリセットされてゼロになる。あるいは人生に何も足すことができなくて生きがいがなくて自殺したり、やけになって他人が積み上げたものを壊そうと無差別殺人をする人もいる。その虚しさにどう対処すればよいのか。
ノーベル文学賞を受賞したメキシコの詩人のオクタビオ・パスが『弓と竪琴』で愛は存在の投影であるというようなことを言っていたような気がするけれど、何か他の物に自分の存在を投影して、知識、技術、愛情、人脈、金、志とかの自分が築いた価値を子供や弟子や部下とかに譲渡すれば、価値が一代限りで消えずに受け継がれて文明が発展していく。一度はヨーロッパから消えた古代ギリシアや古代ローマの芸術の技法もルネサンスで再発見されて芸術が再び隆盛したように、直接価値を継承できなくても間接的に継承されることもある。いくら世界の真理を知っていても誰にも伝えずに死んだら文明の発展に寄与しないので、知識を積み上げてきた人は本に書き残して他人に伝えればよいし、いくら金持ちでも使わない金を残したまま巨大な墓を建てるのは無意味なので、金を積み上げてきた人は事業をするなり寄付をするなりして他人に金を渡せばよい。使い道がないお金が余っている人は私にくれるといいよ。ちょっとでもいいよ。

●まとめ

足し算でマシマシにすると強くなる感じがするけれど、それだとバランスが悪くなりがちで食品や製品や芸術だとかえって欠点になりかねない。引いてみることを選択肢にいれるのも良いと思う。





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最終更新日  2024.11.25 05:03:03
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