第2話




「あの日の夕焼け」 第2話


 京子が彰人のいる病室へと入ると、彼は本を読んでいるのだった。だが先ほどとはまた別の本である。入院生活とは実に暇なもので、彼はただひたすらに分厚い小説を何冊も読みふけった。夢中になって読んでいたため、母親が入ってきたことにさえ全く気がついていない。

 京子がサイドテーブルに置かれていた花束に気がつき

「これ…」とつぶやく。

はっと気がついたように本から顔を上げて、京子の視線の先の花束に目をやった。

 「あぁ、それ七瀬さんって人からいただいた花束…」

だが彰人は、そこまで言って口ごもった。

 「そう。七瀬さんからいただいたのね」

さらりと言い流す京子。しかし彼は、その花束を見つめたまま深く考え込んでいるようだった。

 「…七瀬」

 「え?」

彼のつぶやきに、京子が不安げに問い返す。

 「七瀬って…」

京子は彰人に駆け寄り

「彰人、何か思い出したの?!」と尋ねた。

しばらく黙って考え込んでいた彰人だったが

「ごめん。やっぱり無理だ。何も思い出せない」と大きなため息を落とし、頭を抱え込んだ。

 「そう。まぁ、無理に思い出そうとしなくても、そのうち思い出せるわよきっと」

心の中で明らかに安堵している自分に、京子は彼に気づかれぬよう僅かに苦笑した。

 その夜、彼はまた夢を見た。とても長く至福に満ちた夢だった。

 春。君は僕の誕生日を知ると、僕に内緒でバースデーパーティーを計画してくれた。

 チャイムを押してゆきのアパートに入ると、ゆきが待っていてクラッカーを鳴らす。

 「お誕生日おめでとう!」と花のような笑みを浮かべて彰人に駆け寄るゆき。

自分の胸に飛び込んできた彼女を優しく受け止めて、また彼も満面の笑みで

「ありがとう」と答えた。

 「さぁ、入って」とゆきに招き入れられた部屋のテーブルの真ん中には、青いセントポーリアの鉢植えが飾られ、たくさんの料理が既にセッティングされていた。

 「わぁ!すごいご馳走だね!それに花まで!さすが花屋の娘」と微笑する彰人。

 「この花、セントポーリアの花言葉は…」

 「何?どうしたの?」

でも彼女は、恥ずかしそうにクスリと笑って

「なんか照れくさいから、後でこの鉢植え渡すときにカードも袋に入れとくから読んでみて」とだけ言った。

 セントポーリアの花言葉…『小さな愛』。君が一番好きだった花。

 夏、2人で行った花火大会。捨てられた子猫がずっと僕らの後を付いてきてた。

 「きれいだねぇ、花火!」

と微笑む彼女の膝の上で、白い子猫が喉をゴロゴロと鳴らしている。

 君は子猫を抱いたまま、ずっと光の降り注ぐ空を見つめていたね。

 そして、ふいに彼女が彰人を見て言った。

 「いいかな?アパートだけど」

 「うん。ばれなきゃいいと思うよ。なぁんて、無責任過ぎるかな?」と優しく微笑する彼。

その言葉にゆきはぱっと笑顔を輝かせて

「だよね。ばれなきゃいいよね」と無邪気に笑った。

それから子猫に向かって

「一緒に帰ろうね」と微笑みかける。

 ティンク。君が子猫に付けた名前。僕らの結婚が決まったときも、君はちゃんとティンクに報告してたね。そんな君を素直に可愛いと思った。

 秋。君は何やら一生懸命編んでいるようだった。

 「ねぇ、何編んでるの?」

 「秘密」

 「少しくらい見せてくれたっていいじゃん」

 「だめ!秘密なんだから」

そう言ってゆきは、さっと編みかけの何かを紙袋へと入れた。でも顔はとても嬉しそうに笑っている。

 「あぁ、早くクリスマスこないかなぁ」

 僕の顔を見上げてほほ笑む君は、まだあどけなさの残る少女みたいだった。

 そして、冬がやってくる。まだ誰も気づくことのない大きな悲しみを連れて…。

 「でも、イブには帰ってこられるんだよね?」

 「うん。多分、夜にはなると思うけど、それは大丈夫」

 「よかった」

幸せそうにほほ笑んだ君。そのほほ笑みを、僕達の幸せを永遠に閉じ込めてしまえたなら…。

 2人の乗った車の上に、工事現場の足場を組んでいた鉄骨が崩れ落ちる。迫りくる恐怖。一瞬がとても長い時間に感じられた。






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