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「対話のレッスン」(小学館)平田オリザ著を読みながら、「対話」とは何かについて一週間ずっと考えていた。
以下、考えたことをメモする。
国語の先生に「対話」というと、「一対一で面と向かって話すことでしょ」という答えが返ってくる。国語の教科書関係のある資料によると「おしゃべり」も「対話」に分類されている。
7月に北川達夫さんの講演を聴いて、指導主事にこれからの時代を生きる子どもたちに「対話」の態度を身につけさせる重要性を説明したがなかなか理解してもらえなかった。
「対話」はテクニックではなく態度であり観念である。相手と真剣に向き合い、相手の意見に耳を傾けて聴き、対立点があれば議論する。議論は相手を屈服させるものではなく、自分の考えとの合意点を探り、両者が気づかなかった新たな視点(より優れた考え方)を発見するためのものである。そのためには、いつも「相手の意見によって、自己の意見が変容することの可能性」を留保していなければならない。
「対話」の態度で相手に意見を正しく伝えるためにはテクニックが必要になる。テクニックは「対話」しようとしても、自分の意見が伝わらず感情的になるのを避けるためであり、「対話」するためにテクニックが必要なのではない。
『学び合い』は、生徒同士が縦横無尽に教室内で「対話」することにより成立する。
赤穂藩士は浅野内匠頭切腹を期に会話から「対話」への転換を余儀なくされた。故に、普段は会話のみで事足りる親しい関係(家族、、親子、恋人、親友等)でも状況によっては「対話」が非常に重要になる場合がある。
閉鎖的なムラ社会が長く続いた日本では会話ができれば困ることはなかった。故に「対話」の態度を身につける必要性がなかった。
日本人同士でも価値観の多様化が進行し、急速に国際的なグローバル化が進む社会により「対話」の重要性が増している。
「対話」の態度を身につけることにより、人と人はつながることができる。人間同士のつながりを密にすれば、社会的弱者を守り、自殺者を減らすことができる。
しかし、現実には職員室内で「対話」できる教師は少ない。役所では絶望的である。「自分は相手より立場的(人間的)に上である」「目の前にいる相手は教える対象であり、教わる対象ではない」そういう考えをする人との「対話」は不可能である。
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