佐竹台8丁目25番地―12

アーチスト('00/04/16)


靴下、靴は必ず右から、と決めている。
体を洗うときは必ず左腕から、と決めている。

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2000年の話。
この頃、BWの試合を見に行く時によく行っていた縁起担ぎがあった。

それは、阪急三宮駅と神戸市営地下鉄の三宮駅の自動改札で、
「8」番のついた改札機を通るのだ。
そして、外野自由席の前から「8」列目に座るのだ。

理由は簡単。
活躍して欲しい選手が「8」番をつけていたから。
その選手の活躍が、HRが見たかったからである。

藤井康雄選手。選手、っていうより「やすおさ~ん!!」

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佐竹選手のファンになるずっとず~っと前から大ファンだった。
そしていつも康雄さんのHRを期待して球場に通っていた。

しかし、阪急時代から応援し続け、'87年から観戦を始めた私の前では
残念ながらHRを打ったことが無かったのである。

この年の4月7日に250本目の区切りのHRを打ち、チームでは断トツの
通算HRを放っている康雄さん。なのに、私が目撃したものは0本。

それでも懲りずにいつもの縁起担ぎをしてGS神戸に向かい、
いつものように前から8列目に座っていた
その月の16日、ついにその日が訪れた。

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BW-H 2000年公式戦の2回戦。
この年のBWは開幕から好調だった。
開幕戦に小林の完封勝利で始まった年だった。
そして4番にイチローが座っていて、彼がBWに在籍した最後の年。

この日先発は小林と若田部。3回表に小林が2点失う。

その裏についに待っていた瞬間が訪れた。

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正直、この試合の詳細は覚えていない。
過去の記録(スポニチアネックス)を見ながら、
つたない記憶を探りながら書いている。

ただ、はっきりと覚えているのは
5番・ニールがいつものように2-3から
落ちる球を我慢できずに空振りしてしまったこと。

そして、それが我慢できていたら、
結果的には康雄さんが日本タイ記録の保持者になれていたということだ。

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1死満塁から、イチローの二塁打で、BWはまず同点に追いつく。
そして、先述のニールが三振に倒れ
2死2,3塁となり6番の康雄さんに打順が回る。

確かカウント2-3だったと思う。

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打った瞬間に、「アカン」、と思った。
打ち上げすぎた、内野フライだと思った。


しかし、ボールが全く落ちてこない。
本当に落ちてこない。
いくら待っても落ちてこない。
普段内野フライを眺める首の角度で打球を見つめていた。

気がついたらライトを守るHの秋山が
ポールの近くのフェンス際、アンツーカーで上を眺めていた。
そして、諦めた。



ホームランだ!!という歓喜の渦の中に、
少し時間をかけて、ゆっくりと、
スッと上からボールが降ってきた。



美しかった。
いまだにあの角度は忘れられない。


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それまでに、BWの選手のHRはいろいろ見てきた。

田口やイチローのスタンドに鋭く刺さる矢のようなHR。
ニールの、ボールが「グシャッ」と潰される感じで伸びていくHR。
小川の、ライト方向にグングン伸びてくる彼独特のHR。

でも、それらは全て、スタンドに入る、と分かってから
実際に入るまでの時間が短いもの、
もしくは入ってからHRと確認したものだった。


だが、康雄さんの通算252本目は、かつて見たことのない
「芸術品」のようだった。

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ずっと待ち侘びたものに出会えた私は夢見心地だった。
そして今までの私の「不運」が嘘のように
次の打席での康雄さんのスイングによって
同じ若田部投手から
同じような軌道をたどって
通算253本目がやってきた。

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試合展開は競っていた (こちら参照) という印象は覚えているし、
何とか逃げ切って勝ったことは覚えていたが
そういう展開じゃなく、もし逆転負けを食らっていても、
多分満足していたんじゃないか、と思う。

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この年、私は5本のHRを見ることができた。
中でも7月7日の康雄さんのバースデーアーチは、
いつものように8列目に座る私と弟めがけて飛んできた。
こちら「七夕花火」参照

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翌'01年の康雄さんのHRは
GS神戸と大阪ドームで1本ずつ見た。

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そして私の24歳の誕生日の9月16日に、
代打でプレゼントの通算279号を打ってくれた。

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その年優勝したBuの守護神・大塚晶則から打った
このHRが、残念ながら私が目撃できた康雄さんの最後の「芸術品」だった。

ライトのBu礒部がフェンスによじ登り、
ギリギリいっぱい手を伸ばした先をかすめる
HRだった。


最初に見た通算252号のような飛距離ではなかったけど、
やっぱり高く、高く舞い上がって
スタンドにスッと降ってきたものだった。
負け試合だったけど、気分はなぜか全然悔しくなく、
むしろ満足感でいっぱいだった。

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この年Mの守護神・小林雅英から打った通算280号が、
7月7日が誕生日の康雄さんにふさわしく、
史上7人目の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン、
そして7+7=14本目の、最後の満塁ホームランだった。
残念ながら、満塁ホームランの日本記録まであと1本届かなかった。

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その翌'02年、康雄さんは現役生活を終えた。
通算ホームラン282本。

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心残りは、所用があり康雄さんの引退試合に行けなかったこと。

ちなみに、この試合で佐竹学は退場処分をくらっている。
「佐竹台」を名乗る私は、なんだか妙な因果のようなものを感じている。
この試合を見に行けなかったのは悔しかったけど、
佐竹選手はもっと悔しいんだろうな、と変に自分を慰めたのを覚えている。

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今、振り返って考えると、私が見ることができた康雄さんのHRは
通算で合計8本。


良くできた話だ。


ただ、もしも超能力だかタイムマシンだか、夢物語が可能なら、
2000年の4月16日に戻って、
ニールのスイングを止めることができたら、と今でも思う。

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気がついたら、もう三宮駅の「8」の縁起担ぎはしなくなっていた。

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でも、神戸のあの球場で、外野で野球を見るときは、
意識して前から「8」列目に座ってしまう。
多分、これだけはもう一生治せない、治らないジンクス。

そして、そこに座るといつでも、康雄さんの通算252号がよみがえる。

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いつか、2軍の打撃コーチに就任した康雄さんが
手塩にかけて育てた選手が、
同じような軌道のホームランを打つまでは
このチームのファンはやめられない。

それが、私が合併後も
オリックスを応援しようと決めた、最大の理由であるような気がする。


['05/01/29]


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