佐竹台8丁目25番地―12

くじら12号('01/11/18)


私的にはこの題しか思いつかない。

そのものズバリ、'97年2月21日にリリースされた
JUDY AND MARYの「くじら12号」だ。

なぜ、そもそもこの歌、「12号」なのか?

実は、サッカーのサポーターズナンバーが12番だからだ。

ギターのTAKUYAがサッカー好きで、同年に行われる、
'98年仏W杯の最終予選に望む日本代表を応援するメッセージが
込められている歌だったのだ。

私はこの事実を知ったとき、目から鱗が落ちた気がした。
知った当時、TVの「トリビアの泉」はまだ無かったが、
もし「へぇボタン」の存在を知っていたら、
頭の中で、間違いなく連打していただろう。

なるほど、歌詞を見てみると、良く分かる。

冒頭の「クラッカーとチーズとワインで~」
チーズとワインは、仏の名産品だ。

「今度こそ、手に入れたい~」
4年前'93年、中東・カタールのドーハでは届かなかった。

「ドルフィンキックでしびれてみたいな」
サッカーはボールをキックして、皆がしびれる。


そして、この歌の歌詞の一部に、こういうフレーズがある。
「黄金色の旅人が待ってる~」

今回の話は、当時私が住んでいた町に、
たくさんの「黄金色の旅人」達がやってきた時のものだ。

---
'01年のJ2リーグ戦は大混戦だった。

当時はJ1が16,J2が12チームの構成。
そしてJ1下位2チームとJ2上位2チームが
自動的に入れ替わるというシステムだった。

また、当時のJではリーグ戦で延長戦があった。
得られる勝ち点は
・90分勝利は3、
・延長Vゴールでは2、
・120分戦っての引き分けでは勝ち点1、
というものだった。
なお、年間44試合戦う非常にハードなスケジュールのため、
翌'02年シーズンから、J2では延長戦が廃止された。(J1では'03年~)

---
J2は1シーズン44節ある。
39節終了時、6位大分まで昇格の可能性があった。

というよりも、絶好調で首位を独走していた大宮アルディージャが
主力FW・バルデスの、母国パナマ代表での試合での負傷離脱により
折り返し過ぎて急ブレーキがかかったために、混戦となったのだ。

39節終了の時点での勝ち点は
1位京都・勝ち点76。
2位仙台・同74。
3位山形・同72。
4位新潟・同70。
5位大宮・同69。
6位大分・同68。

---
10/28,第40節。京都-山形は0-0のスコアレスドロー。
この試合は観戦したが、山形が必死に耐え切った、という試合だった。
仙台は水戸に3-2で勝利し、新潟も鳥栖に1-0で勝利し共に勝ち点3ゲット。
また、大宮は大分を3-1で下した。その結果、40節終了時

1位京都・勝ち点77。
2位仙台・同77。
3位山形・同73。
4位新潟・同73。
5位大宮・同72。
6位大分・同68。
となった。

---
11/2,3,第41節。
11/2に大分がホームで水戸を下し、勝ち点3追加。
11/3、仙台が終了間際の決勝点で横浜FCを2-1で勝利し勝ち点3加える。
そして、この節の天王山その1、雨中の新潟-京都は延長で2-3、京都が制した。
2-1でリードしていた新潟は後半43分、GK野澤のまさかのファンブルから
失点し、延長で力尽きた。4万人、オレンジ一色の新潟スタジアムには
涙雨となってしまった。
同日、天王山その2、山形-大宮は後半ロスタイムの決勝点で山形が2-1で勝利した。

その結果
1位仙台・勝ち点80。
2位京都・同79。
3位山形・同76。
4位新潟・同73。
5位大宮・同72。
6位大分・同71。
と仙台が首位を奪った。

---
11/6、第42節。
この日にも昇格の可能性があった仙台は、
最下位甲府相手にアウェイで0-3完敗。
京都は前年、同時に降格した川崎相手に3-2,延長で振り切った。
大分は横浜FCに4-2で勝利した。山形は延長で新潟を2-1で下し、
大宮は後半終了間際に水戸に追いつかれ、結局2-2で引き分けた。

その結果
1位京都・勝ち点81。
2位仙台・同80。
3位山形・同78。
4位大分・同74。
5位新潟・同73。
6位大宮・同73。
となり、新潟、大宮の昇格は消えた。(以下の順位では省略する)

---
次の43節目、11/10。首位京都が
雨中のアウェイの湘南戦、
後半ロスタイムに辻本茂揮のヘッドで2-1で勝ち点3を加え、
勝ち点84に伸ばした。

そして昇格マジック対象であった3位山形が
水戸相手に勝利は収めたものの
延長での勝利であったため勝ち点2を加えたに留まり、
残り試合1試合で勝ち点80。
最大勝ち点は83で、京都を上回ることは不可能になった。

2枚の切符のうち1枚は京都が手にした。
J2降格から1年での復帰が決定した。

また、この日、大分は甲府を3-0で一蹴し、昇格に望みをつないだ。

続く11/11。仙台はホームで格下のサガン鳥栖をホームに迎えた。
2-1でリードした後半終了間際、まさかのPKをとられ、
同点に追いつかれる。
そして結局延長で敗れた。よもやの連敗。勝ち点80から伸ばせなかった。

その結果、京都のJ2優勝が決定した。第43節終了時、
1位京都・勝ち点84。
2位山形・同80。
3位仙台・同80。
4位大分・同77。

後半の昇格対象天王山を無敗で乗り切ってきた山形が
ついに仙台を得失点差でかわし、2位に浮上した。

---
前置きが非常に長くなったが、
1節ごとに順位が激しく動いたシーズン。
そして迎えた最終節。
山形はホームで川崎と。
そして、仙台は京都に乗り込んでの戦いとなった。
11/18のことである。

---
実は、前節に京都が昇格を決めたことで、私は正直少し
ガッカリしていた。
勝ったほうが昇格、と言う試合を見たかったからだ。
しかし、この試合での京都は、プロとして、決して手を抜かず、
正面から仙台の気迫を受け止める、好ゲームだった。

---
当日は、冬の訪れを感じさせるような、寒い晴天だった。
サッカー好きの友人と、西京極競技場で待ち合わせた。

入り口で、サービスとして紙パックの飲料がプレゼントされた。
ありがたいことだ。
月桂冠の日本酒とかもあって、ビックリしたが、
原付で通ってきたこともあり、オレンジジュースを選択。

そして、階段を上り、観客席に足を踏み入れた。

驚いた。

大量の「黄金色の旅人」達が押し寄せてきていたのだ。

得失点差を考えると、山形が90分で勝利すれば仙台の昇格は
ほぼ不可能な状態だった。にも関わらず、わずかな可能性を信じて、
はるばるやってきた旅人達。
ベガルタ仙台のチームカラー・金色に身を包んだ集団からは
一種の「オーラ」が出ていた。

---
ジュースで喉を潤し、落ち着いたところで
試合開始。

この試合も、詳細までは覚えていない。
どうも私は、サッカーの試合の観戦記を書くのは向いていないようだ。

とりあえず前半覚えていることは、
この年、京都で30得点記録したエースFW黒部光昭(※)が
激しく削られたこと。
仙台のモチベーションの高さの餌食になってしまった。
負傷退場で交代。
この後、黒部は試合に臨むときには
常に膝にサポーターを巻くことになる。
(※後に日本代表にも選ばれたFW。'04年まで京都在籍、'05年C大阪に期限付き移籍)
前半は0-0のまま終わる。

---
後半。
エンドが代わり、私の座るバックスタンド側が、
仙台にとっての左、京都にとっての右サイドに変わる。

私の目の前で、後半9分、仙台の岩本輝雄が、バックチャージで黄をもらう。
その後も、仙台は球際で容赦なく削りに行く。
黄をいくら貰っても、累積は関係ない。
彼らにできることはただ一つ。目の前の試合に勝つこと。
そしてそれを応援する「旅人」たち。

---
後半20分頃、雨がぱらついてきた。
京都の冬は天気が変わりやすく、しばしばこのような天気になる。
気温がさらに低ければ、雪に変わる。
友人と「風雲、急を告げてきたな」と話し合っていた。
そして、なんとなく、この試合は1点勝負な予感がしたのを覚えている。

---
そして後半ロスタイム。
このシーンははっきり覚えている。

---
手前の岩本輝雄がライン際でボールを持ち、ドリブルで上がる。
左サイドから左利きの選手がセンタリングを上げる、と読み、
京都の選手がコースを消しにかかる。

それに対し、岩本は向きを90°内向きに変え、左足の外側で、
「シュート回転」がかかったセンタリングを上げた。

それをゴール前中央で、仙台の山田隆裕が胸でトラップし、
仙台の財前にラストパス。

財前は右足でボレーシュートを放つと、
ボールは京都のゴールネットを揺さぶった。

---
一目散で看板を飛び越え、「旅人」達のところに駆け寄る財前。
その他のメンバーは看板の手前で、できるだけ旅人の近くまで行き、
看板をガンガン蹴り飛ばし、喜びを爆発させた。
なぜなら、当時のJの審判の基準では、
「看板を飛び越える=警告(黄)」
と定められていたからだ。

財前は、満面の笑みを湛えながら、審判から黄を頂戴した。
笑顔で警告を貰うシーンを見るのは、初めてだった。

---
そして試合終了。
同時に、競技場内にスタジアムDJの男性の声が響いた。

「ベガルタ仙台サポーターのみなさん、おめでとうございます!!
J1昇格が決定しました!!!」

山形での川崎との戦いは、90分で決着がつかなかったのだ。
この声と同時に、西京極の低い柵を乗り越え、
仙台サポたちが、多数、競技場内に乱入した。
警備員で止められるような半端な人数ではなく。
そして、一目散に、清水秀彦監督の元に集合し、
サポーター達が監督を胴上げしたのだ。

---
ベガルタ仙台は、清水監督がチームがバラバラの、ゼロの状態から
作り上げたチームだった。

得点に絡んだ選手達、
まず岩本輝雄は、元日本代表で
背番号10を背負い、将来を嘱望された男。
山田隆裕も元日本代表。
いずれも、所属元の監督・フロントと対立し、
実力がありながらもチームを追い出された男達だ。
彼らは清水監督が、「再生」させた選手達だ。

---
そして決勝点を挙げた財前宣之は
ヴェルディユース時代、Wユース日本代表に選ばれ、
大会のベストイレブンに選ばれた男。

当時、同じチームに、韮崎高校時代の中田英寿がいた。
彼に対し、「お前、トラップ下手だな」と発言し、
中田はその悔しさをバネに、トラップ練習を繰り返したという
ある意味「伝説の男」だ。

ただ、彼は怪我に泣き続けた。
全治半年かかる「膝前十時靭帯断裂」を2回起こし、
仙台に拾われた。しかし、そこで3度目の「膝十字靭帯断裂」を起こす。

しかし、清水監督は彼の才能を信じ、負傷中の財前に、
ベガルタのエースナンバー「10」を与えた。
これを意気に感じない人間がいるだろうか?

---
その清水監督に「拾われた」男達。
そして、その清水監督を助けたのは、サポーター達だった。
東北・仙台にはじめて赴いた清水監督は、
横浜M、京都、福岡等での監督経験はあったが、
雪国での監督経験は初めてだった。

最初、練習所一面に降り積もった雪を見て、呆然としたらしい。
しかし、ボランティアでサポーター達が雪かきをした。
そこから、チームは上昇気流に乗ることとなったのだ。

---
試合に戻ると、サポーター達は全く暴れることなく、無事撤収。

そして、表彰式。
前節で優勝の決まっていた、京都サンガのJ2優勝の表彰式だ。

その時、真っ先に
「(太鼓)ドン、ドン、ドドドン、(声)京~都サンガ!!」
との声が上がった。


金色に染まった、仙台サポたちからである。


競技場全体がどよめきと、拍手に包まれた。
感動的な光景だった。

---
この話にはオチがある。
表彰式終了後、スタジアムDJの声が流れた。

「それでは、京都の優勝を祝って、一緒に乾杯をしましょう!!
 みなさん、お手元の飲み物をお持ちください!!」

…は?そんな意図で飲み物配ったんやったら、
入場時にはっきり言わんかい!!真っ先に飲んだっちゅうねん!!

---
残念ながらこの試合を戦った仙台と京都は、
その後J1を2年経験しただけで、'03年に同時に降格してしまった。
ベガルタ仙台は一時期ほどの盛り上がりは無くなって、
観客動員が減ってきている、という残念な話を耳にする。

でも、チームが強くなれば、絶対、また観客も戻って来る。
J1復帰目指して、頑張って欲しいと思う。
それは京都に対しても同じ思いだ。

でも、横浜FCも頑張るからね!!
同じJ2で戦う以上は、
J1昇格のライバルであることは間違いないんだから。

---
そしてもう一つ。
仙台には今年'05年から、新たなプロチームが誕生した。
「東北楽天・ゴールデンイーグルス」。
ベガルタには、最初「観客を奪われる」という声が挙がったらしい。

実際に、'04年に「北海道日本ハムファイターズ」がやってきた札幌では、
J2の「コンサドーレ札幌」の観客動員が減少した。
但し、これはコンサの成績がJ2最下位、と振るわなかったから、
という理由もあると思う。

---
野球、サッカー両方好きな私としては、
共存共栄は可能だと思っている。
信じている。
そうであって欲しいと願っている。

---
ベガルタのチームシンボルは「ベガっ太」君。
イヌワシをモチーフにしたキャラクターだ。

そもそも「ベガルタ」の名前自体が、仙台で有名な七夕祭りの
「織姫」と「彦星」、「こと座のベガ」と「わし座のアルタイル」を
組み合わせた造語である。

だから仙台では、野球もサッカーも、「ワシつながり」なのだ。

---
仙台といえば、杜の都。
杜に黄金色のワシが2匹いても、何の不思議もないと思う。


['05/02/05]


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: