佐竹台8丁目25番地―12

#2福良淳一選手


2番目ということで…。

「BWの2番」と言われて、真っ先に出てくるのは?

私は、大島公一選手(現東北楽天ゴールデンイーグルス所属)なんですが、

彼はまだ現役ですので。

そこで次に思いついた、福良淳一選手について
書いていこうと思います。

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B,BWの「背番号51番といえば…」、
多分、皆様が思いつかれるのはあの人だと思いますが、

私が'84年に阪急ブレーブスファンになって以降、
最初に認識した、

「背番号51番をつけていた、応援するチームに所属する選手」

は、福良淳一選手でした。

'84年、阪急がパリーグ制覇した年の秋の
ドラフト6位で当時の阪急ブレーブスに入団。

球暦は

延岡工―大分鉄道管理局―阪急・オリックス('85~'97)
です。

背番号は'85~'87年が「51」番、
'88年~'97年が「1」番でした。

1960年6月28日生まれ、ということで入団時は24歳。
遅咲きのプロ入りでした。

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私は'77年生まれなので、入団当時のことは覚えていません。

ただ、'84年の日本シリーズで、
福原峰雄さん(元BW,T,Dコーチ)が
ヒーローインタビューを受けていた記憶が
かすかにあります。

そして、阪急の選手を覚えるようになった'86年、
福良選手にとってはプロ2年目の年、
福原さんからレギュラーの座を奪取しました。
(正確には「らしい」です。記録調べながら、書いています。)

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私が生まれて初めて野球観戦した、'86年のB-L戦でも
多分、出場していたのではないでしょうか。
(記憶が不確かです)

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この年は、新人王の資格があったものの、

結果的にはダントツの得票で
新人王を獲得したL清原和博選手、

そして、ルーキーで10勝を挙げた、
当時南海ホークスの西川佳明投手の陰に隠れ、

残念ながら新人王は得られませんでした。

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この後、'88年から、
「3割30本30盗塁」の「トリプルスリー」で有名な、
それまで背番号「1」を付けていた蓑田浩二選手が
Gへ金銭トレードされたことにより、
空き番になった背番号「1」を付けることになります。

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福良選手は
'89年~'90年の「オリックスブレーブス」時代の
「ブルーサンダー打線」では
貴重な2番打者として活躍。

それ以外でも、'94年の仰木監督就任までは2番での起用が
多かった記憶があります。

ただ、頭部に死球を受けて、戦線離脱した年があった、と
記憶しています(確か'91~'93の土井政権時代だったような…。)

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そういえば、話が脱線しますが、
'93年、「土井暗黒政権」最後の年、
前年に膝の故障でHR0本に終わった藤井康雄選手を
「2番」で使う、というトンデモナイ構想を描いて、
結果的に大失敗に終わったのを思い出しました(笑)
(追記:この年、藤井選手は
「3番」で見事復活し、ベストナインを獲得しています)

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ベストナインは'88年と'94年に受賞しています。

'88年、「阪急最後の年」の活躍は
あまり記憶にないのですが、

'94年の方ははっきり覚えています。

1番イチロー選手と、
このコーナーの1回目に書いた 3番小川博文選手 、と
「3割トリオ」を達成した年でした。

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そして、この'94年には、前年から続けていた、
「二塁手連続守備機会無失策」の新記録を
作りました。(836守備機会だそうです)

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この連続が途切れた、つまりエラーした試合は
記憶の中にあります。
(※確実な資料をお持ちの方、ご指摘ください。)

日付は覚えていませんが、
梅雨時(※7月のようです)のL-BW@西武球場(当時屋根無し)。

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雨の中の試合で、BWリードで迎えた4回裏頃、
球審が「雨で中断」のコールをしました。

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それに激高したのが、当時のBW仰木監督。
「あと少しやないか!!」と猛抗議したのです。

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その中断後、試合は無事5回を過ぎ、試合は成立。
すると、仰木監督はベンチから出てきて、
自ら球審に歩み寄り

「雨でコールドにせえへん?」

と声をかけたのでした。

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ただ、この行為が運悪く、
野球の神様の怒りに触れてしまったのでしょうか?

結局コールドにはならず。

そして、この試合で福良選手が、
何でもないセカンドフライを落球してしまったのです。

大粒の雨粒でボールが見にくかったのか、
グローブが滑ってしまったのか…。

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試合の方も、このエラーがきっかけで
Lに逆転されてしまいます。

しかし、野球の神様が「少し悪い事しすぎたな」と
思ったのでしょうか?

結局試合はBWが再度ひっくり返し、
試合もコールドにならず、
9回終えてのBWの勝利となった試合でした。

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このように、堅実な守備を誇る
選手だったのですが、

残念ながら守備職人の勲章
「ゴールデングラブ」は
獲得することが出来ませんでした。

ちょうど福良選手の活躍した時代が、
ライオンズの黄金時代と重なってしまい、
ライオンズには「辻発彦」という
名手がいたからです。

しかし、辻選手にも劣らず、
堅実な守備を見せる選手でした。

どうしても「イメージ」で、
投票で辻選手には勝てませんでしたが…。

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'95年にはパリーグ制覇には貢献したものの、
膝を痛めていて、毎試合金属の入った「プロテクタ」を
ユニフォームの中に入れて、膝をかばいながらの
プレーだったそうです。

この年一番印象に残っているのは、
BW-Sの日本シリーズ@神宮球場で、

第4戦、Sの攻撃、走者2塁の場面で、
センター前に転がろう、とするボールに対し、
精一杯、スライディングキャッチを試み、結局取れず、
グローブに当たった分ボールの勢いが失われ、
皮肉にも2塁ランナーが生還した、というシーンです。

全盛期の福良さんだったら取れていたのかなぁ、と
今になっては思います。

(ちなみに、この失点を取り返したのが、
小川博文選手 でした)

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BWが日本一に輝いた翌'96年には、
この年トレードでBuから加入した
大島公一選手に
セカンドのレギュラーの座を奪われ、
出場するとしても、サードでの起用が多くなりました。

この年の印象として一番覚えていることは、

確かこの年の勝てば優勝、という試合で
結局引き分けだった試合があり、
延長で打席が回り、
内野安打になるか?というボテボテのあたりで

膝が痛いにも関わらず、一塁まで激走し、
結果はアウトでしたが、
当時関西テレビの梅田アナが、中継で

「これが、膝に金属プレートを入れた男の走りとは思えない!!」

と絶叫したシーンです。

常に全力でプレーしていた福良選手を
象徴するシーンだったなぁ、と思い出します。

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福良選手は翌'97年で引退。
その後、'98~'00年まではサーパス神戸のコーチ、
その後はオリックスのスカウトをされ、

今年からは北の地・北海道日本ハムファイターズの
2軍内野守備コーチに就任されました。

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そんな福良選手の観戦試合での印象は…、と
考えているのですが、

私が観戦した試合の中では、
福良選手がヒーローインタビューを受けたり、
決勝打、等のプレーを見たことはありませんでした。

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ただ、福良選手を思い出すと、
ふと思い出す話があります。

それは、人間の「気」についての話です。

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「気がつく人間と、気を使う人間と、気が利く人間は違う」
という話を聞いたことがあります。

気が「つく」人、「使う」人、「利く」人、

これらは、全て「やるべきことを理解している人」です。

それは共通しています。

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ただ

「それを理解だけにとどめる人」が「気がつく人」
「行動はとるが、最適な行動をとっていない人」が「気を使う人」

であるのに対して、

「最適な行動をとっている人」が「気が利く人」

です。

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そして、本当に「気が利く人」は、

自然と周囲の空気を和ませ、流れをスムーズにし、

「その人自身は目立たない人なのだ」、

ということを聞いたことがあります。

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通算224回の犠打成功数は、
'03年終了時で歴代15位 だそうです。
この数自体は、先述の大島公一選手、そして
今年からBsの選手となった水口栄二選手には劣ります。

多分、近いうちにM小坂誠選手にも抜かれるでしょう。

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犠打数では他の選手に劣るかもしれません。
ゴールデングラブも取ることができませんでした。

でも、常に手を抜かないプレー、そしてチームプレーに徹した

そんな福良淳一選手を「一言で表せ」と言われれば、


私は「気が利く選手でした」と、答えます。


多分、それ以上の表現は無いでしょう。

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今年から、またユニフォームを着られる福良淳一さん。

北の地で「気が利く」と表現されるような活躍の出来る、
そんな選手の、

「第2、第3の福良淳一」の育成を、

まずは鎌ヶ谷から。

Fに、そんな選手が登場することを期待しています。


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蛇足ですが。

蛇足1)
職場の同期に神戸出身のやつがいて、
そいつの母親がピアノ教師をしていたそうで、

福良選手の娘さんが習いにきていたそうです。

世の中、意外と狭いもんですね。

蛇足2)
時々、マリサポと混じって
野球見るときがあるんですが、

福浦選手の時、
「ふくうらヒット!!」を
個人的に
「ふくーらヒット!!」と
わざと「う」を抜いて
応援するようにしています(笑)



['05/2/16]
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追記:スカイマークスタジアムにて、
「無失策記録」のプレートを発見しました。
福良プレート
こちらがプレート。

福良プレート拡大
プレート下部の、説明文拡大。

ちゃんと、この神戸の球場に「歴史」として、残されているんです。

ちょっと嬉しくなった、まだ肌寒い3月上旬の一日でした。


[追記:'05/03/06]


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