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長浜城~滋賀県長浜市~

長浜城 2

長浜城 1
「秀吉の出世城」という代名詞でお馴染みの長浜城は1575年に築城。
1573年 織田信長に従って朝倉・浅井連合軍を姉川合戦と小谷攻めで撃破した手柄で、羽柴秀吉は浅井長政の旧領であった伊香、東浅井、坂田の近江3郡を手中に収め、小谷城(湖北町小谷山のふもと)に入城する。
しかし小谷城は山中にあり、領国支配に不適当と見るや秀吉は、北陸街道に近く、琵琶湖の水運と水陸両用の拠点となり得て、鉄砲生産地の国友村(現在虎姫町との境の近くに国友という地名が残る)を管理できるメリットを考え、この地に新城建設となった。
築城後(当時は今浜城といわれた)、秀吉は信長の一字をもらい「長浜城」と命名、信長の草履取りから成り上がっていった男がついに一国一城の主となった。

その8年後、本能寺の変で信長が死し、清洲会議で北近江は柴田勝家の甥勝豊に与えられるが、勝家・勝豊が不和になったと知るや秀吉は城を奪還した。
そして賤ヶ岳の合戦(1583)後に山内一豊が入場、その移封後は石田三成の支配下に置かれ、関が原の合戦以降は内藤信成(家康の異母兄弟)が城主となる。
しかし、1615年の一国一城令にて廃城となり、主役の座を彦根城に譲る。

そして昭和の時代「秀吉の長浜城を再興しよう」という長浜市民の熱望によって、昭和58年に初期天守閣の様式に再興された。

おまけ
天守閣から眺める琵琶湖
天守閣からの琵琶湖


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