窓辺でお茶を

窓辺でお茶を

本箱(この世界1)


・「魂の労働」
・「世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実」
・「世界は後戻りできない」
・「世界ブランド企業黒書」


「もの食う人びと」辺見庸著 角川文庫

 人びとはいまどこで何をどんな顔をして食っているのか、あるいはいないのか、を探りに著者は「できるだけ人びとと同じものをいっしょに食べかつ飲む」という一点だけを自分に課して旅に出ます。

 あとがきには、世界が新聞記事のたかだか数十行、数百行の中で解釈可能な対象となり、世界から遮断された感覚になった、又、過剰情報化、過剰商品化、過剰消費化は人本来の身体システムに会わない、身体性の回復も旅の目的のひとつだったと書いています。

 読者、そして著者も、最初のダッカ(バングラデシュ)から、いきなりショックを受けます。
屋台で安くておいしそうと思って食べようとしたら、残飯だからやめろと注意され、良く見たら歯型がついていたというのです。

 バングラデシュの難民キャンプでは、難民に自分たちよりたくさんの食料を支給されていると周辺住民の同情が反感に変わった食い物の恨み。

 ミンダナオ島で日本軍の残留兵らに家族を食われたという人たちは「棒に豚のようにくくりつけられて連れていかれて食われてしまいました」といいながらも、「個々人はもう恨んでいない。みんないい人たち」と言います。その日本兵たちには帰国してからキリスト教の洗礼を受けた人あり、薬品を送ってきた人あり、謝罪に訪れた人ありで、今も文通している人もいるそうです。(そんな人たちが人を食うほど狂ってしまう状況は恐いですね)

 タイ・バンコクの世界一大きいレストラン「ロイヤル・ドラゴン・レストラン」には、宗教ごとにありとあらゆる内容、値段のものがあるそうです。共同経営者のひとりは「食の楽しみに宗教も政治も身分も関係ないからこの商売ができる」と言い、著者は人間は頭ではだめでも胃袋では連帯できるかもしれないと考えます。

 ベルリンの刑務所の食事、ポーランドの炭鉱での採炭を体験した後の素晴らしくおいしいスープ、内戦中の無人になった村にひとり残る老婆、セルビアの修道院への体験入門、タイの日本向けペットフード缶工場、モガディシオの枯れ枝のような少女(国連活動の兵士たちの食事との落差!)、ナイロビのコーヒーセレモニー、ロシア太平洋艦隊が缶詰を横流しし、食糧難と新兵いじめのため死者が出た事件、チェルノブイリの放射能に汚染されたものを食べている老人たち、そして日本大使館の前で自害しようとした3人の元従軍慰安婦の韓国女性…

 著者は「私はある予兆を感じるともなく感じている。未来永劫不変とも思われた日本の飽食状況に浮かんでは消える灰色のまだあいまいで小さな影、それがいつか遠い先に、ひょっとしたら、「飢渇」という、不吉な輪郭を取って黒ずみ広がっていくかもしれない予兆だ」と書いていますが、実は、私も同じように感じています。それも、それほど遠い先でないかもしれない… 資源もなく、食料自給率も低く、財政赤字をかかえ、首都を地震が襲うかもしれず、アメリカの方ばかり向いて世界で孤立しかねない… 飽食といわれるようになったのはたかだかこの数十年のことです。食料を無事確保し続けられるとしても、動植物を犠牲にして生きていることをもっと感謝しなければ、と思います。


「魂の労働」 渋谷望著 青土社

 全体にまとめるのは難しいので私なりに咀嚼できたと思えるところを恣意的に書いてみます。
たいへん示唆に富む本です。思ったよりとっつきやすいですし、お勧めです。
(カギ括弧内は引用です)

 介護の仕事などは、決められた時間を切り売りするようなものではなく、感情が関わってくる。社会全体がものを大量生産して売る生産社会から、消費者のニーズをくみとる消費社会へと移行し、労働者は消費者に自分を重ね合わせる。その結果、労働が自分の感情のマネジメントまで含めて商品化するという意味での「感情労働」になることが求められ、「生」そのものが労働となる。

 68年が世界の闘争サイクルの転換点であり、闘争の要求をリアクト,取り込むものとしてポストフォーディズム、ネオリベラリズム(ヴァリアントであるグローバル化)、ポスト規律権力などが生まれた。
左翼は敗北し勝者はニューライト(家族的価値の回帰を唱える新保守主義、市場原理による福祉国家解体を狙う新自由主義、権威主義的ポピュリズム)である。

 第3世界の国の間にも格差が生じることによって「第3世界の連帯」と「先進国」が対決するという構図が崩れてきている。と同時に、先進国の中にも「第4世界」―アメリカではアンダークラスと呼ばれる社会的に排除された層―が出現している。

 『一方の極では資本に要請されるまま自己の生をくまなく開発し、絶え間ない生活の再編に対して自己の身体、精神、感情をフレキシブルに適応させ続けることを定めとする階級が存在し、他方の極では貧困のうちに排除され、恐怖を喚起させる見せしめとしてしか使い道のない「アンダークラス」が存在する。そしてそのあいだの関係をかろうじて人道主義的な実践が切り結ぶというのであれば、われわれはいったいどんな時代を生きているというのだろうか。それは新しい時代の到来なのだろうか。古い時代への逆行なのだろうか』

 『ネオリベラリズムと結びついたグローバル化の言説は、一方では政治の終演を称揚するが、他方でグローバル化に対抗する国内の諸々の抵抗勢力を排除するために、強力な政治的手段を行使しなければならない。―中略―いわばグローバル化は一方で政治の消滅を要請しつつ、他方で過剰なまでの政治や権力を必要としている ―中略― いわゆる「政治の終焉」とは、たんにグローバル化に抵抗する特定のあらゆる政治を葬り去ろうとする立場の表明にすぎない』

 福祉国家の解体に伴い、コストのかかる病気を治すことより、予防テクノロジーが強調される。犯罪も犯した人を更生させるより犯しそうな人を監視する「予防」が行われる。いずれも監視されるのは「純粋なヴァーチャリティというデータ上の分身」なので、直接監視されているという感覚がない分ソフトではあるが、裏をかいたり口ごたえすることは困難である。また、人と人が向かい合ったり交流したりすることがない。

 政府は保険の老人の自己負担率をあげるのみならず、自由診療を導入しようとすると同時に、予防ということを言っていますが、それが何を意味するのかの答えがここにあると思います。

 さらに著者は、「自己実現」「労働の喜び」「やりがい」を強調するのは労働倫理を教え込むというより、「怠惰」への道徳的攻撃をしているのだと言います。本当にやりがいがあるなら、外部から言う必要はないから。 「働かざるもの」=「遊ぶもの」の自己価値化への「反動」すなわち「反感(ルサンチマン)」に基づいており、ネオリベラリズムは「反動」の制度化である。

 ネオリベラリズムにおいては、他者(市場、消費者)による自己の評価があらゆる評価に優先される。ゆえに、自己価値化のポテンシャルである「自らのなしうることの果てまで進んでゆく力」は他者のまなざしがさえぎられたアンダーグラウンドでこそ生成し増幅する。

 『誰もマネのできない「手に負えないスタイル」を有したマイノリティになること、固有性singularityを獲得し、「サムバディ」になること―これは多様性を増殖させることでもある。そして何よりも暗がりの中に、つまり、あらゆる尺度の外部でこれらを可能にする自立的な空間を膨張させ、卑小なオーバーグラウンドを飲み込むこと、これこそ善悪の彼岸において戦われる能動的な抵抗の形態ではないだろうか』

 また著者は、『〈労働〉と〈生)の質的相違が廃棄された地上で〈要介護高齢者)と〈介護労働者)と〈産業労働者)と〈失業者)と…の連帯―保障なき等価性の連鎖―も可能になるのではないか』とも書いています。

 共謀罪についても言及しています。


「世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実」ジャン・ジグレール著 たかおまゆみ訳 勝俣誠監訳 合同出版

 子供の素朴な疑問に父が答える形で世界の飢餓の構造をわかりやすく説明した本です。著者は1934年スイス生まれ。1999年までスイス連邦議会議員。1999年この本を出版しよく2000年9月国連人権委員会の「食料に対する権利」特別報告者に任命されました。
「世界の一方では太るばかりの人がたくさんいて、食べ残しはゴミ箱行きなのに、一方に飢えて死にかけている人がいるのはどうしてなの?」という子供の疑問から始まります。

 ジグレールさんが提案しているのは
・「食べる権利」は世界人権条約で確認された人間としてもっとも根本的な権利
・自由取引に任せればすべてうまくいくというものではない。「食べる権利」を守るために、世界貿易のルールに「食糧権の確保」を明記すべき
・国際安全保障(テロ対策)の観点から、公平な世界の構築、とりわけ全世界の食糧確保に取り組むことが実際的である

 飢餓には経済的飢餓といって、一時的な災害などで起こり、すばやい援助が必要なものと、構造的飢餓という、給水設備や道路などが整備されずその国を支配している社会構造がもたらすものがある。
国連食糧計画WFPは資金不足なのである地の飢餓が解決していなくても引き上げなければならないこともある。

 植民地だったセネガルでは宗主国にピーナッツだけを作らされ、いまだにひとつの作物だけを作るモノカルチャーから抜け出せず、いくら働いても食料は輸入しなければならない。賃金も低い。

 世界の穀物の4分の1が豊かな国の牛の餌になっている。スイスのジュネーブ州などでは放牧の伝統的な酪農方を大切にしているが、カリフォルニアでは牛は空調つき巨大ホールで動けない状態で飼育される。
穀物は市場で国際的な穀物メジャーの思惑によって買値と売値が決定される。投機などで値上がりすると国連の援助機関も打撃を受ける。

 1996年ダボス会議(世界経済フォーラム)で当時のドイツ銀行頭取ハンス・ティエットマイヤーは、「多くの政治化たちは自分たちが徐々に世界の金融市場に支配され、言いなりになってしまうことに気づいていないのではないか」と発言したが、議場は沈黙していた。

 極めつけの鞭は戦争。
食料は世界戦略にも使われる。アメリカはエジプトに余剰小麦を使わせているし、粉ミルク市場を独占していたネスレはニクソンの意向を受けてチリのアジェンデ政権への協力を拒んだ。アジェンデは小児科医だったので乳児に栄養が大切なことを考えて粉ミルクを支給すると公約していた。

 飢えが自然淘汰だというのは、お金と権力を持ち世界を支配して、自分たちは決して飢えることがないということをよく知っている人の考え方である。

 飢えによる人間疎外を解決するには
1.人道的援助の効率化
被援助国の政権や官僚は腐敗していることが多いので、援助物資が行き渡らないことがあるので、援助国は資金や食料を提供して終わりでなく、その行方に関心を持つべき。
2. 援助より自分で考え立ち上がるための改革アクションを先に
3.インフラ整備
 著者は世界の6分の1が飢餓に脅かされている世界経済の中でどうして人間らしい思いで暮らすことができよう、といい、他者とのつながりによって生じる真に意味深いアイデンティティ「分かち合いによるアイデンティティ」を大切にしようと呼びかけています。


反ブッシュイズム3 「世界は後戻りできない」 アンドリュー・デウィット/金子勝 著  岩波ブックレットNo.635

シリーズの3番目ですが、1,2は未読でいきなり3を読みました。

目次
プロローグ―歴史の分岐点
1 ブッシュの選んだ戦争
2 拷問刑務所の真実
3 警察国家化する米国
4 ブッシュ減税のコスト
5 ブッシュの環境破壊
6 ユニラテラリズムの帰結
エピローグ―日本のとるべき道

 プロローグにて、著者たちは保守主義者に反対するためでなく、冷戦型の思考を拒否する第3のアプローチを模索するために書いていると述べています。
 通常民主主義政権とリーダーシップの中には賞賛すべき共通認識があり、アイゼンハワーは朝鮮戦争の指揮をとっていたが、「軍産複合体」の危険性について感銘深い警告を発しており、ニクソンはベトナム戦争を長引かせたが、中国を訪問したり、ソ連との冷戦の緊張緩和と軍縮協定を追及した。 しかしブッシュイズムはこれらの保守主義者と違い、戦後米国の中心的政策である国際主義を否定してしまったことにより、別の次元に立つことになった。
 中東における平和と安定を守るために国債コミュニティを組織する決意を固めていたらアルカイーダは弱体化していただろう。
ウィルスや地球温暖化などの危機にリーダーシップをとるべきたったのに、国内の財政赤字同様先延ばしして、子供や後の世代に先送りしてしまった。

本文中で検証されていることのいくつかをあげてみますね。

ブッシュはイラクで大量破壊兵器が見つからなかったとなると、「民主化」を大義名分にし始めたがイラクでは首相がいれかわっただけでフセイン政権時代の多くの部分が復元され民主化しているとはいえない。米国のイラク侵攻により、イスラム主義運動は過激派が主流になってしまった。

 アブグレイブ刑務所での拷問と虐待により、誰も米国を「自由と人権の擁護者」とは呼べなくなった。イラクだけでなく、グァンタナモやアフガニスタンの収容所における拷問はファシストのレベルに達しており、死者も出ている。
このことは「自由と人権擁護」を自任する米国自らのイメージを落としただけでなく、世界中の収容所における非人道的な行為が取るに足りない行為とみなされるようにしてしまった。「エジプトの人権イニシアティブ」のリーダーは「反拷問運動の成果の多くがあの写真によって失われてしまった」と言った。

 国内では補助金を使って学問の自由がコントロールされる危機にある。教育団体も補助金ほしさに批判を控えている。

 「愛国者法」は捜査そのものが機密なので、国民は権利が不当に侵害されていないという法務省の確約を確証のないまま信じるしかない。 安全に関する不安を利用した警察国家化が進んでいる。実際には米国をテロリストから守ることより、ブッシュ政権とその利権をもつ人々を保護するためである。

 ブッシュの減税は高額所得者ほど恩恵を受けている。そして国家の支出の増加は軍事費に集中しているが、それは経済や雇用にはあまり見返りをもたらさない。米消費経済が依存している住宅バブルが崩壊したとき、深刻な影響が出る。

bブッシュの環境に対するプランには「健全な森林と住んだ空」といった名前がつけられているが、実際には正反対の方向に行きかねない。ジェームズ・インホフは温暖化は進んでおらず、あったとしても人類の活動のせいではないと主張しているが、根拠にしているのは米石油協会に資金援助された研究である。そういう状況に対して大勢の科学者たちが憂慮の念を示している。
憂慮する科学者同盟

 証拠のない情報操作によるイラク戦争の開戦は米国と独仏露中との間に亀裂を生じさせ、国連安全保障理事会を機能不全に陥れてしまった。
そのせいで国連中心主義の下での日本の憲法「改正」論は時代遅れになってしまった。
チェイニー、ライス、ラムズフェルド、ウォルフォウィッツらブッシュ政権の主要な人物のほとんどは世界の変化に気付かず冷戦型の思考法から抜け出ていない。

 ハマスはパレスティナの中で託児所、学校、病院、スポーツクラブその他のサービスの広域なネットワークを持っているので、地域住民に指示されているが、米国でそのようなことを指摘するとテロを支持していると非難されかねない。テロの表面的なところしか見ず、何がテロを起させているのかを見ようとしない。

 アメリカは国際社会で孤立しつつあり、イスラム世界をはじめとする第三世界の共感を失った。世界中で広がる貧富の格差の元凶が米国であるとみなす人々を大量に作り出している。米国に追従してゆけば何とかなるという冷戦思考から日本は抜け出す必要がある。

 そしてエピローグにて私たちのなすべきこととして、未来のためにブッシュ政権の負の遺産をひとつひとつ取り除くよう自らが努力しなければならないと結んでいます。

 さて、このブックレットを読んでいて感じたのは、ブッシュ政権と小泉政権の類似点です。目先の自分の利益を考えて解決すべきことを先延ばししていること、言葉と実際の行為が相反しがちであること。そして、不安を煽って警察国家化を進めている米国のありかたは日本国民にとって警鐘となるのではないでしょうか。
 日本でもしたことに対して罰するという法のありかたを覆す、まだしていないことを罰する「共謀罪」の法案がまた持ち出されています。修正案といっても、本当に市民運動や労働組合の活動を抑えるのに利用されないようになったといえるのかまだ不安があります。自首すると刑が免除または軽減されるというところにも危ういものがありそうです。

 本文中にあった刑務所の話にはぞっとしました。
米国では刑務所システムの多くが民営化されたため、政治ロビーがさらに厳しい刑の宣告や多くの刑務所を要求しているというのです。そのうえ、企業利益拡大のためのコスト削減が虐待を引き起こす環境を作っているそうです。(安全対策や医療ケアの欠如など)


[世界ブランド企業黒書」クラウス・ベルナー、ハンス・バイス著、明石書店

副題は「人と地球を食い物にする多国籍企業」。

 世界的ブランドの多数が搾取、児童労働、軍事独裁政権との協力、戦争への資金援助、環境破壊、動物虐待から利益を得ている、ということで、ベルナー氏は商人になりすまし、バイエルの子会社がタンタルという希少金属(携帯電話やゲームボーイなどに使われる)を買うことでコンゴの反政府勢力に間接的に資金を提供していることをつきとめ、バイス氏はハンガリーの病院が新薬の違法な臨床試験を請け負うことをつきとめます。

 その他、ダイムラー・クライスラーは核兵器開発に参加し、地雷を生産している、
コロンビアのコカコーラの契約企業では労働組合院が暗殺部隊につけまわされる事件がおきている、
玩具会社マテルは、中国で364日1日16時間、極端な低賃金で働かせている、
モンサントは世界の農業市場を字図からの利益の下に置こうとしており、それにより、数億の人々に対する食糧供給がいくつかの多国籍コンツェルンの意思に左右される事態が生じている、
ナイキなどの靴にアメリカの子供たちは1足100から180ドル払わなければならないが、インドネシアの労働者はそれをつくるのに週2ドルしか受け取っておらず、コストは5ドルである、
石油ビジネスは戦争に資金を提供し、暗殺団に報酬を支払い、いくつもの地域全体を居住不能にしている
                     等々
 では、他の会社のを買ってその問題は忘れてしまってよいのかというと、この本で槍玉にあがっているのは、運悪く?シェアが1位だったからというだけで、他の会社も多かれ少なかれ同じようなことをしているので、一番よいのは抗議メールを出すことだ、とメールアドレスなどが書いてあるところもあります。

 2001年に初版が刊行されてから、2002年下着メーカートリンプはビルマの軍事政権との協力関係を解消、ブリティッシュペトロリアムに続きシェルも汚職を防止するため、危機的状況にある国々への資金流入を透明化することを表明、プーマは人権団体との接触を開始し、生産条件の改善に努力する意思を明らかにしたそうです。
 国際ロビー団体については、消費者だって自分たちを利することを要求するし、誰しもが要求する権利はあるのだが、国際ロビー団体は閉じられたドアの背後で多額の金を使って影響を与えるところが問題だと書いています。政治家がよく知らないことに決議をしなければならないとき、御用学者につくらせた資料を提供し、同時にメディアキャンペーンを打ち、政治家が意向に従わない場合反対党に資金援助するなど。

ほかに気になる記述はというと

 「富裕な国の現在の生活水準を守るためには、その富を、障壁や自らの個人的な自由を大幅に制限する警察の治安対策によって守らざるを得ない。われわれの所有物の回りに自ら構築した壁が自分自身を閉じ込める監獄の壁である…」

 2001年ジェノバサミットの際、20万人以上が政治と資本のもつれ合いに反対して平和的にデモをしたが、警察は複数の煽動家をデモ隊にもぐりこませ、デモ参加者に野蛮な暴力による取締りができるようにし、グローバリゼーションを批判するものたちが暴力を辞さないよう仕向けた。

というところです。

 ところで、私の大好きなチョコレートもコートジボワールで児童奴隷を使ってカカオを栽培しているのですって。

 企業も消費者も働く場を提供してあげている、と言うだろうし、実際その仕事がなかったら、もっとひどい買春とかしかないのかもしれません。でも、奴隷的というところが問題ですよね。1社だけ良心的にしてコストが高くなってつぶれてしまっては何にもならないし… 際限のない競争はどこに行き着くのでしょうか。

この本の公式サイト
世界ブランド企業黒書 (右上の国旗をクリックして言語を選べます。)


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