Sayouの森

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うちだ音楽史/小学生篇



洋楽に目覚めたのは小学校高学年の頃。何故あの頃、新潟の田舎で
(今は新潟市に合併されたけど当時は隣町の新津市、)
の同級生達が洋楽に聞きいっていたのか今だに不思議、。
遠い昔の話なので良く覚えていないんだけど、当然のように
友達に勧められて洋楽を聞き始めた。
まぁ、今のように色々な娯楽や情報がなかったからなんだろうなぁ~。
野球に夢中になりながら洋楽を聞いていた、そんな少年だった。

のめり込んだ要因は英語とか外国語の意味を分からず(今もそうだけど、)
分からないからこそストレートにサウンドがカッコいいと
思ったんでしょうなぁ。当時はカセットもまだなく、
情報はもっぱらラジオ。大体我が家にステレオなんて
なかったもんなぁ、。ラジオから流れてくる有名どころで、ビートルズ、
サイモンとガーファンクル、シカゴ、シルビィ・バルタンとか好きだった。
そういえば学級新聞に「明日に架ける橋」の訳詞を載せたりしたなぁ。

その他の情報源としてゲーセン(といっても今のようなものじゃなく
子供用パチンコとかあるアナログなヤツの、)のジュークボックス。
ほとんどレコードの入れ替えがないんだけど、飽きもせずに
よくショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」やヘドバとダビデの
「ナオミの夢」なんかをよく聞きに行った。

初めて買ってもらったシングルはサイモンとガーファンクルの
「コンドルは飛んでいく」だったと思う(多分、)。
しかし、デビッド・フォスターが関わるかなり前で反戦メッセージが
多かったブラスロックの雄といわれた当時のシカゴ
(勿論歌詞の意味なんてわかっちゃいない、)を好きな
小学生達って今思うとかなり無気味ですな、。

(カセットやステレオがない時代っていっても戦前の話じゃないのだ(笑)。)


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