Sayouの森

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うちだ音楽史/高校生篇



いよいよ高校入学、さぁ~て、入学祝いにエレキギターを買ってもらい、髪を伸ばしROCKをやるぞっ!
と思っていたのになにを勘違いしたのか入学前の春の選抜高校野球に感動してしまい、
入学式のその日に「俺、やっぱ野球部に入って甲子園を目指すわ!」って事で
生まれて初めて坊主頭となり野球部に入部してしまったのだ、。

これでROCKとは決別、。だってその当時、坊主頭でROCKって考えられなかったから。
割と一生懸命部活動はしたなぁ。県大会でベスト8までいった3年生が引退した後の秋の大会には
レギュラーとはいかないまでもベンチ入りさせてもらったし。
(まぁ、当時の2年生がそんなに人がいなかったって事もあるけど、)

でもちゃんと入学祝いに念願のエレキギターを買ってもらった。
本当は大好きだったユーライア・ヒープのミック・ボックスが弾いていた
SGのビグスビーアーム付きがほしかったんだけど
(もちろんギブソンではない。バーニー(フェルナンデス)のヤツ、)
グレコの白いストラトを買ってもらった。

これはT.REXの「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」の
シングルジャケットのイメージもあったんだけど、
ジョージ・ハリスンの「バングラデシュ・コンサート」の映像の印象が強いかなぁ。
そういえば小学生の頃、ビートルズの「レット・イット・ビー」や「バングラデシュ・コンサート」の
映画は何回も観に行ったなぁ~。動くミュージシャンが観れる本当に貴重な映像だった。


坊主頭でROCKをあきらめ、野球部活動にガンバっていた内田少年に衝撃が走った。
その当時NHK「ヤングミュージックショー」というライブ番組が季節に1回くらい?
のペースで放送されていて、ディープ・パープルやEL&P、ピンク・フロイド、
ローリング・ストーンズ、イエスなど、この放送が楽しみでオンエアーの日には
友達と集まって必ず観たものだ。この番組もとても重要な情報源だった。

事件?は高校1年の新春特番。この時は日本のバンド特集。
ウエストロード・ブルースバンド、サウス・トゥ・サウス、カルメンマキ&オズ。
ここで大好きだったマキオズのギター春日博文氏がなんと!
坊主頭で!ファイヤーバードを抱え「私は風」とかを弾きまくっているではないか!!

「おぉっ!坊主頭でもロックギターを弾いてもいいんだ!!!」

この春日博文氏のプレイを観てしまって人生が変わったと言っても過言ではない。
まさに目からウロコが落ちた。これがきっかけで高校2年になる直前に
「大学入試の勉強に専念するので野球部を退部します。」なんて大嘘で
いい加減な理由で退部。いよいよ音楽にのめり込んで行く事となる。


高校2年となりギターを買い替える。グレコ「フライングV」!なんで「フライングV」かっていうと、
当時新潟にもコピー物ながらレスポールやストラトを持っている人がほとんどで、
これは今も昔も変わらず、性格的に「人と同じものは持ちたくない!」って事での選択。

そして友達がやっていたバンドに入れてもらう事に。名前は「パープル・イースター」(後に「イースター」と改名)
名前の通りディープパープルのコピーバンド。Vo、G×2、B、Dsという編成。
新参者のくせにすぐに持ち前のリーダーシップを発揮し?リーダー的立場となってからは
ウィッシュボーン・アッシュやキッス、レインボウとかのレパートリーを増やす。
ただ、辛かったのは相方のGがかなりのリッチーフリークでパープルに関してはGのパートは
弾かせてもらえず、ひたすらKeyパートをGでコピー、。Gも満足にコピー出来ないのにKeyソロってねぇ、(笑)。

練習場は隣村のVoの集落で、廃校となった小学校の体育館。アンプとか運ぶのに
原チャリにリヤカー!をくくり付けて運搬。(って、またなんか戦前のような話だなぁ(笑))
もちろん防音なんてされている訳なく、そんなに夜遅くまではやらなかったけど
周辺の住民には迷惑だったと思う。ヘタクソな聞きなれないROCKを夕飯時に聞かされて(笑)。
それでも文句を言われる事もなく心おおらかな田舎の皆さんのお陰(我慢?)で徐々に上達して行く訳だ(笑)。


何となく自信もついた高校2年の秋頃から新潟市内でライブ活動を開始。
坊主頭から髪も伸び、念願のカーリーヘアーになったし(笑)。とはいえその当時、
新潟市内にはライブハウスなどなく、活動場所といったら楽器屋主催のコンサートとか
デパート屋上のイベント、学園祭なんかだ。ちゃんとホールを借りて自分達で運営するってレベルじゃなかったし、。

活動し始めたお陰で新潟市内のミュージシャン達とも交流が深まった。そして高校3年の時、
「ウチのバンドにはいらねぇ~。」と誘われた。バンドの名前は「スター・ファッカー」
新潟最後のグラムロックバンド(か?、)。名前の通りストーンズをオリジナルの日本語で唄ったり、
頭脳警察やサンハウスなんかをやっていた新潟では割と有名なバンド。
やっている音楽は別に好きじゃなかったけど有名だし、まぁいっかって加入。「イースター」と平行して活動。

別にギターが上手いとかで誘われた訳じゃなく、おそらく髪はカーリーヘアー、ギターはフライングV、
(3年の時に今までの栗色のヤツからナチュラルのオールドタイプに替えた(もちろんグレコ、))
身長もそこそこ高い、って新潟では珍しいハデなヤツ、って事で誘われたんじゃないかと、。
(そういえば全然面識のない高校の保健の先生が僕の名前を知ってた(笑)。)

このバンド、新津の田舎モンにとってはかなり衝撃的。バンドのメンバーのコネで知り合いから
念願のロンドンブーツ!を中古で購入。新潟でもパンクやサーファー系の小奇麗な衣装で
シティポップを演奏するバンドが出て来た中、長髪にサテン&ラメ系の衣装、足にはロンドンブーツ!

ROCKです!!!。

しかし行動もROCK?だった。みんな普段はいい人達だったんだけどVoはスイッチが入ると
ROCKな行動を取るのだ。(本当はいい人なんだけど、)「このバンドのギター、目が合ったのに挨拶しねかった、」
とかいって見つけ次第ボコボコに、。ある時は「あのバンドのリーダーが悪口を言ったらしい、」といって
メンバー全員でフェイクファーのジャケット!を身にまといロンドンブーツを履いて
そのバンドのライブ当日の本番直前の楽屋に文句を言いに押し掛けたりと、。

そのお陰で痛い目にも。こっちは逆にVoに殴られないよう付いて行ったのに
本番直前に押し掛けられたバンドのKeyはいい感じで付き合い始めようとした彼女だったのだ。
この件で一発でフラれました、。それからもこの「仏の内田(笑)」と呼ばれている?
僕が「あのバンドのメンバーだから危ないヤツだ!」ってレッテルを張られてしまったのだ(笑)。

そんな楽しい?バンドだったが高校卒業間際に、他にやりたいバンド活動があったので
Bsのヤツと共に殴られるのを覚悟で新潟駅前の喫茶店にてvoにバンド脱退の報告。
別に殴る事もなく笑顔で送り出してくれた。いい人なんですよ、ホントに(笑)。


ちょっと話が前に戻るけど、高校3年の頃あまりにも両極端なムーブメントが新潟にもほぼ同時期に到来。
それは、「パンクロック」と「クロスオーバー~フュージョン」。
同じような音楽の聞き方をしてきた同世代もここでどっちに行ったか、またはどちらにも行かなかった、
でその後の音楽性がガラっと変わっている。僕の場合は既にそこそこギター弾けていたので、
シンプルで乱暴的な感じの?「パンクロック」にはピンとこなくて、(そんなバンドにいたクセに、)
「クロスオーバー~フュージョン」に興味を持つ。大きな要因として先輩からラリー・カールトンの
ピットインでのライブのカセットを聞かされ「スゲェ!カッコいい!」と、感動。

で、カールトンの「ルーム335」のレコードを買いに行ったんだけどどこをどう間違ったのか
リー・リトナーの「ジェントルソウツ」を買ってしまう。おそらくカールトンもアルバム名も
うろ覚えだったからレコード屋さんに「クロスオーバーのギターでカッコいいヤツを」って
聞いたら勧められたと思う、。(ラ行で「ラリー」と「リー」ってどっちだったかな?って感じで(笑)、)

ところがこのリトナーもカッコ良かった!。ダイレクトカッティングっていう一発録りなんだけど、
正確かつスピーディーなグルーブ感、新鮮だった。この辺からカーリーヘアーでロンドンブーツを
履いている少年(笑)がどんどんフュージョン~ファンク~ソウル系の16ビートにのめり込んで行く訳だ。

その弊害?でパンク(クラッシュとか、)~パブロック(エルビス・コステロとか、)って流れの音楽は
有名どころ以外はまともに聞かないまま素通りしてしまったのであった、、。


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