後23キロ痩せるまで~反抗期息子とギャオス姫の奮闘記

後23キロ痩せるまで~反抗期息子とギャオス姫の奮闘記

盲腸になったよ、アメリカで。


まさか 自分が盲腸になるなんて思いもしなかった。
しかもアメリカで。
この時、今の旦那とつきあってた頃の冬だった。
始め生理痛かとも思ったが、どうも違う。
でも、腰痛かなとも思ったがどうも違う。
あまりにも脇腹が痛むので医務室に行った。
医務室の先生は、「多分、盲腸じゃないかな?」と一言。
急きょ、病院へ行った。
私を担当したのはおじいちゃん先生だった。
名前はテイラー。
テイラー先生は検査をするなり、「ん。盲腸じゃ。早くそれも早く取らないといかん。」と言って、私を連れてきた、医務室の先生に入院に必要な物を持って来るように行っていた。
私とホストマザーはその日の昼間から私の入院手続きを病院でやっていた。
日本では盲腸の手術の時に毛を剃りますが、アメリカでは、患者に対して不快にさせるのでやらないとの事です。
予断ですが帝王切開もそうでした。
手術に使う糸や麻酔の種類など色々質問をして私なりに納得した。
しかし納得できないのは点滴だ。手術後一晩は何も食べちゃいけない事だ。
何で左手の甲に点滴をするんだよ。
始めに、3人の看護婦から押さえられた時は一体何が始まるんだ?と思ってたが、まさか、点滴をする為に私を押さえていたなんて....。
感想!?もちろん、ものすごく痛いに決まってる。
そして後一つ納得できないのは手術後、一晩は何も食べちゃいけない事だ。
歩く胃袋の私になんてムゴイ事を言うんだろう?
オニー!
手術も無事に終わったらしく、ふと横を見るととても心配そうな顔をしている彼(夫)がいた。
面会人が結構来たらしく、カードと来た人達の名前がノートに書いてあった。
その日の夜はまさに生き地獄のようだ。
だって、お腹はきゅるるる~といっているが、食べれない。
でも吐き気は襲って来る。
最初の吐き気の時、私は彼に「吐物入れをちょうだい。バケツじゃなくって、胃袋みたいな形のものよ。」と言ったが、やはり探しきれずにバケツをくれた。
でも、私が吐けたのは、ほんの少しだけ。
しばらくして、また吐き気が襲ってきた。
今回は、ちゃんと胃袋みたいな形をした容器をくれた彼。
でも、今回のは彼が用意した容器に並々と吐いてしまった。
この病院の各病室には、トイレとシャワー室と洗面台にテレビが付いてる。
その吐物が並々に入った容器を不器用そうに持って彼は洗面台に持って行こうとして、私のベッドの枕元にすべての吐物をこぼしたのだ。
その日、一晩中私はあまり眠れなかった。
あまりの自分の吐物の臭さと、それから彼の鈍臭さ。
匂いの元を引起こした彼は付き添い人用のベッドで熟睡。
次の日、朝から看護婦からの厳しい宣言が出された。
それは、「今日は歩く練習をします。普通は、手術した日の夜から歩かせるけど私達はあなたに甘くしすぎたわ。と言う事で頑張りましょう。」天使のような看護婦の微笑みが恐ろしく見えた。
痛いけど、練習の為に立ったが、やはり痛いものは痛い。
すると看護婦からの厳しいお言葉が。
「さぁ背筋を伸ばして立ちましょうね。」
心の声(こえ~事を言いながら、絶えず顔には笑顔なんだよね。すすごい。)
練習の甲斐もあって、夕方までには普通に歩けるようになった。
そして、その次の日に退院した。
退院する時に、ドクターに「私、自分の盲腸がどんなものか見てみたかったな。」と言うと、ドクターは笑って「長年医者やってるけど、そんな事を行ったのは君だけだよ。わっははは..」と言ってた。
盲腸で二泊三日とは....すごく短い。
でも入院費+手術代で、50万円は飛んだ。
でも、海外旅行保険に入っていたので私は何も払わなくて済んだ。


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