JAPANESE GIRLS&BOYS

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薔薇井戸




[ 薔薇井戸 ]


「日…暮れてきたね」
「…うん」

少年は座ったまま顔を上げて、はるか頭上に見える円形の入り口を見上げた。
その淵を沿うようにして、何かの植物のツタが、彼のいる位置まで伸びてきていた。
しかし、それは少年の体重を支えられるほどの強さはなく、
またその表面に生えているトゲのせいで、
伝って地上へ上がることは不可能だった。

「寒くない?」
「えぇ…平気」

少年は、周囲を見渡した。
といっても、光がろくに差し込んでこないので、周りは真っ暗である。
壁に囲まれた、狭く暗い空間。
少年は、落下した時に打った足を手でさすった。

「痛むの?」
「うん…ちょっとね。でも大丈夫だよ」
「あら…靴が片方…」
「ああ、多分落ちた時に上に…」
「……そう」

口を閉じると、瞬時に静寂が押し寄せる。
それほど深い地中にいるわけでもないのに、外の音は何も聞こえてこなかった。
少年は、ぽつりと言った。

「誰か…助けに来てくれるかな」
「……………」

少年がここに落ちてきてから既に数時間が経とうとしていた。
日が傾き、いよいよ本格的に内部が暗くなろうとしている。

「きっと…大丈夫だよね…?」

同意を求めるかの様に尋ねた少年だったが、反応は返ってこなかった。
再び訪れる静寂。

やがて、少年が再び話しかけようとした時――

「私のことも…助け出してくれるかしら……?」
「当然じゃないか。君のことだってパパやマ……お父さんやお母さんが心配してるよ」
「…お父様はたぶん、してないと思う…」
「えっ?」

驚いた様に聞き返す少年。

「お父様はきっと怒ってるにちがいないわ」
「それは…どうして?」
「私が……『花瓶』を割ったから」
「……『花瓶』?」

不意に、チャリンという音がした。
少年が音のした方を向くと、何かが落ちていた。
暗闇の中、目を凝らして少年はそれが何か判った。

それは、何らかの陶器の破片だった。
表面に美しい模様が描かれている。
少年には分からなかったが、それは元は相当高価な物のようだ。

「これは…?」
「お父様がとても大事にしてた『花瓶』…それを私は割ってしまったの」



「この『花瓶』は二階の廊下の突き当たりの窓辺に置いてあってね。
お父様はいつもそこにこれを置いていたわ。
大事にしてるならどうしてあんな地味な場所に置くのか、
私はいつも不思議に思ってたの。
ある日、この『花瓶』に一輪のバラが挿してあった。
それを見た瞬間、私はどうしてもこの『花瓶』が欲しくなってね。
『花瓶』は窓の、私にとっては高いところに置いてあったんだけど、
気が付いたら手を伸ばしてそれを取ろうとしてたわ。
そしたら……」

砕け散った『花瓶』。
舞い散った深紅の花弁。
狂った様に破片を集め、
どこかへ走り去っていく。

「私は知っていたの。
私の家の裏には、バラがいっぱい咲いた庭があって、
どうしてか理由は知らないけれど、
お父様も使用人たちも誰もがそこを嫌って近寄らないことを。
だから私はそこまで逃げてきたの」
「…ここは君の家だったの?」
「そうよ。知らずに入ってきたの?」
「…ゴメン」
「別にいいわ。…それでね」

息を切らせながら、
それでもまだ隠れられる場所を探す。
茨に傷つきながらも見つけたのは、
暗く誘う枯れ井戸。

「私は焦って混乱してたのね。
だから、こんな所に堕ちてしまった…」

幸いだったことは、古井戸の深さがそれほど深くなかったこと。
不幸なことは、それでも外界までは遥かに届かない己の腕の短さ。



「…ここに来る途中に弟に会ったの」
「弟?」
「ええ。私はその時、弟に話せば簡単にお父様に教えると思って、
弟には何も告げずに別れたわ…」
「じゃあ、その弟は君がここにいることを…」
「当然、知らないわね」
「……………」

再び静寂。
日は沈み、今や完全に夜である。
少年が見上げると、円形の入り口に星々が煌いていた。

「あなたは…どうしてここへ?」
「…笑われそうだけど、笑わない?」
「……ええ」
「約束だよ?」
「わかったわ。約束よ」



「…僕は探検するのが好きでね。
前々からこの家…キミの家を探検してみたいって思ってたんだ。
怒られることは目に見えていたけどね。
門をよじ登って中に入って、いろいろな所をまわったよ。
さすがに建物には鍵がかかってたから、
その周りを歩いていたんだ」

少年は、本館と呼ばれる建物の裏に辿り着く。
バラに囲まれるようにして隠れていたのは、
苔生した暗い古井戸。

少年はその淵に手をかけ、中を覗き込む。
手の下で、苔が剥がれ落ちる音を聞いた。



「…ウフフ」
「笑わない約束だろ?」
「ごめんなさい」
「ちぇっ。約束した意味がないよ」
「……………」
「…どうしたの?」
「いえ…何でもないの」

昼間あれほど無音だった外からは、今は虫の音が響いてくる。
少年は思わずあくびをしてしまった。

「眠いの?」
「うん……君は?」
「……そうね。私もよ」
「じゃあ……おやすみ」
「……おやすみなさい」

少年は、夜の闇の中で眠りについた。
落ち着いた寝息。
少年は既に、夢の中――

「……約束、か」


やがて夜が明け、
慌しさと共に、朝がやってくる。



* * * * *


元、とある資産家の邸宅であった廃墟。
その敷地内――本館裏にあるバラの咲き乱れた庭の古井戸の底から、
二日間行方不明となっていた少年が発見された。
少年は衰弱していたものの、命に別条は無く、早急に付近の病院へ搬送された。


また…同じ井戸の底から、年代が経った少女の白骨死体も発見された。
捜査から、数十年前に行方不明となったこの邸宅の娘だと判明。

死体を引き取ったのは同じ市内に住んでいた一人の初老の男。
その年60歳となった、遺体の少女の弟だったという。




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