パンとのコミュニケーション



 パンの声を聞く事。パンと会話する事。抽象的な言い方であるが、よく言われる言葉である。パンが生き物である、という前提での言葉だろうか。それは、よくわからない。

 でも、パンは喋らない。生きているけど、生き物だけれども、喋らない。かなりの無口だ。しかし、パンには表情がある。その表情を見て、パンが望む事をしてあげる事。それが「パンと会話する」ことなのだろう。私はそう考える。

 『いまがコネ上がり!もう、こねないで!』
 『さぁ、もうそろそろパンチして!』
 『さぁ、オーブンにいれてちょうだい!』
 『もっともっとオーブンに居させてちょうだい!』

 そんな事を言っている様な気がする。もちろん、表情から読み取ると、だけれども。

 人とパンとのコミュニケーションができないと、良いパンにはなってくれない。コミュニケーションを取るには、きちんとパンの表情を読み取れる能力が必要となってくる。それには、濃厚な経験が必要だと考える。
 濃厚な経験とは、経験の密度。経験の数が多くとも、いくら永年やっていたとしても、経験の密度がなければ、パンとコミュニケーションはとれない。逆に経験の数が少なくとも、密度が濃ければ、きちんとコミュニケーションがとれる。

 パンは自分で勝手によいパンになってはくれない。私が勝手に作ってよいパンは作れない。相互間の理解があってこそ、良い職人と良いパンの関係が築く事ができる。
 職人の頭の中にあるぼんやりとした、それでいてはっきりとした「良いパン」の姿を材料にぶつけ、パンに対する愛情、情熱、知識、技術をそそぎこみ、パンの表情を読み取りながら作業を進め、最後にパンが出来上がる。それが良いパンになるか、悪いパンになるかは、職人次第。

 だから、もし、私がパンとコミュニケーションがとれない時、間違いなく、パンも良いものはできない。ちょっと私が自分勝手な事をやった時、体調が悪い時、他の考え事で夢中になっている時。パンはそれを察知し、すぐにそっぽを向く。表情をなくす。

 『なにしてんのさ。一緒にがんばって、良いパンにしてくれるんじゃなかったの?そんな態度じゃ、私はもう、やさぐれちゃうよ。嘘つきっ。』

 そんなパンが焼き上がった時、私は自分のやってしまったことに後悔し、恥じ、パンに謝るしかない。

 『ごめんなさい。もうしません。また、これからもお見捨てなき様。』


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