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利益率の低い銘柄ほど好景気には利益が倍増する。流動化銘柄は単純なPERで測ると決して高くなかった。逆に安いくらい。でも不動産の利益構造ってそういうことじゃないよね。今はゲーム株。(不動産はわかるけどゲーム株はよくわかりませんので、今の値段が高いか安いかはわかりません。)私はまだ安いと思う株を当時も買ってて流動化銘柄はまったく買ってなかった。にもかかわらず、 やられたんですよねえ。あの時信用取引さえやってなかったら。やってても急落時のカウンターに徹してたら。。。ソロスの理屈との合わせ技で、あの時苦い思い出となってしまいました。意外と市場はその企業の本当のファンダメンタルに最後は帰結するのだ、とも感じました。見せ掛けの利益を計上していた会社は、結局市場の暴落時にはすべて吐き出した上に、風がやんだ後にまったく株価は戻らない。まるで日本のバブル崩壊後のよう。。。。かといって投資は止めませんでしたが。で、結論はいつものとおりなのですが、株の期待値は7%くらいはあると思う。選べば10%くらいのものは見つかるだろう。でも、ずいぶん上昇してまともになった値段から、個人投資家がまとめて逃げるときに「一瞬でも」バカな値段、そうですね、今の半値としましょう。薬王堂で言えば1500円です。そうです。2014年12月の値段です。ないとはいえませんよね。(もちろん一部昇格とか業績好調とかいろいろあります。私はまだ薬王堂イケルと思ってます。でも震災時のコメ兵のようにならない保証はどこにもありません。薬王堂はもともと利益率の低い会社でした。2%台だったことも。でも震災後からは常に5%程度を保ってます。利益額3倍×PER評価3倍みたいな感じで10倍近くになったわけです。物流効率化、既存店舗好調、震災復興需要、インバウンド、原油安といいことが続いています。そうして好景気というハードルが上がってきているわけです。逆回転がそろそろ怖くなるのが凡人の考えです。一方でALサービスのような会社は利益率が非常に高く、フランチャイズ分を除いてもかなり利益率は高いですので、株価が急落した際には買いたいとなります。今の時点の考えです。)そんな値段がついてしまったら、「私の無期限信用取引有株式投資法」の場合、追証がかかって途中で売りながら対応しなければいけません。加速度的に資産が減っていくでしょう。一瞬でもバカな値段がつく確率が2年に1度あるとしたら、その暴落がチャンスになるかピンチになるか、そのオプションを一体いくらで買うか、なんとなくは考えてます。でもまあそんなことでヘッジするよりも。。。これからも株価は上がり続けると思うけど、信用取引をずっと長期で保有し続けるという方法は、リーマンショック級の暴落が来て、ブログが9割閉鎖された後に、若者が入金投資で行う時にのみ有効なものであって、私がずっとやっていると必ず破産もしくは準破産してしまう。したがって、現物投資で行こう!というものでした。 ・安田佳生さんのツイートやブログを「キャナリーゼがトイレにミツルの本を置いて読んでいるように」読んでます。本当にやりたいことを考え続けて今ここに至るといった感じで、先入観というものがない状態で、そもそもこれってなんだろう、という発想を常に使っておられて、非常にその点が参考になりました。ホント、インターネットというのは便利ですね。求めれば与えられます。
2015.09.27
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2011年3月9日社長と同僚と三人で初めての店に入ります。もちろん、私は有頂天になってますから、「あれを買ってあれを売って、この銘柄がいいですよ~。」とか言っているわけです。だいたいにして常にALサービスしか押していない説もありましたが。。。そこで、社長が私の話をいつも聞いているので、その情報を総合して答えます。「あれ?君、億万長者になったんじゃない?」当時は億万長者=1億円でした。億り人なんてワードは知りませんでした。私はいつもはとっさに否定する(日本人だから)んですが、その時はよほど楽しかったのか、「いやあ~そんなことないですよ~~」なんて言ってしまいます。もう顔がにやけているわけです。「そうか、そうか、ついに君も億万長者か、わっはっは。」同僚がマジで?みたいな顔をしてます。私も強くは否定できません。なんせ、今の株が倍になるだけ(バカ)で、1.5億が5億くらいになる計算ですから。社長、1じゃないですよ、もうちょっとしたら5ですよ、なんて考えてにやけているわけです。信用も強気で張ってます。1.5倍くらいですね。2億円くらいの信用だったような。このころには証券口座が3つになっていたので、また、効率よく信用が建てられるわけです。今考えれば、非常にまずいタイミングで信用枠を拡大したのですが、結局は多くの人間が枠を増やしたときに相場が下がるのはまったく自然なことです。個別株の選定には自信がありました。結局持ち株は変わってないわけですが、いわゆる成長株と、資産内容に安全域があって割安なコメ兵みたいな株、きっちりとほぼ毎日チェックしてました。ずっと同じ株を持ち続けて、TOBや暴騰したら売って、またさらに同じ株を買い込むようなことでした。リーマンショックのときに、資産が大きかったら確実に破産していた私がたった2年ちょっとでこんなにも不遜な人間になっていました。私は常にブルなので、このときのバリュエーションも非常に安く感じてました。今は、成長株には成長株の評価がついてますが、当時は成長株でも割安な値段でして、割安な株は底を這いずっていました。 3月10日は後輩と二人で飲みに行って、おごりました。そして、3月11日を迎えます。
2015.09.25
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相場の格言のようなもので、明けない夜はない、とか、悲観の極みから相場が始まるとか、いろいろあると思います。確かに、数ヶ月~1年単位くらいでみたら、今は暗くて、もうすぐ日が昇ってくるのかもしれません。しかし、数年単位で見ればどうでしょうか。ずっと昼でちょっと翳ってきたかな?それとも単なる曇りであってまた晴れるでしょ?という程度じゃないでしょうか。相場参加者は本当に株価が上がり続けると思っているのでしょうか。日本株というのは、日本国がリスクフリーとすると、今の値段はほぼ中立の値段がついていると思います。PERで見るとやや割安な値段、ただし、外部環境がよいために業績が嵩上げされている銘柄がちらちら、結論としてはまあこんなもんという値段。だいたい正しそうな値がついているという前提で、超長期で見ると、7%くらいずつ株は儲かるものだと考えてます。そこから税金でも持ってかれますし、手数料も支払わないといけません。ですから、せいぜい年率5%。もしくは、インフレに3%勝利する金融商品であると。大型株の値動きを先導しているのは明らかに外資ですが、新興株の値動きは、「個人投資家」が動かしている、そんな感覚があります。その「個人投資家」の数はリーマン時に激減しましたが、13年に急激に増加、15年9月現在、相当な数に膨れ上がっていると思います。個人投資家が保有する株っていうのは、死ぬ前に何かを買う際には必ず売って現金に換える必要があります。もちろん死んだときにいたってはほぼ現金化されるはずです。個人投資家が主役の株っていうのは、成長株で東証1部に行ってどんどん業績を上げていく一部の銘柄を除けば、個人投資家が買って上がる、上がるから買う、買うから上がる、ナンピンで戻る、ときて、いつか耐え切れなくなって逆回転していくのが今までの歴史で繰り返されてきました。不況になってPERの利益の値が下がったときには、それ以上にPERの数値が下がるものなのです。 私は2007年に、コナカの株がPER20倍で安いと思ってました。今なら馬鹿だなあ、と言えます。PERというのは非常に危うい指標だと、リーマンショックまでの2年間で身にしみました。結局株価っていうのは、数年単位の「需給のぶれ」で動くものなのです。 VINTAGE TROUBLE : 1 Hopeful Rd.というアルバムを久しぶりに衝動買いしました。http://www.vintagetrouble.com/ロックにいろんな要素が混じった職業音楽家のような感じなので、なんでもありの日本人に合うんじゃないかな?なんて思ってまた店一押しの商品をベタに買ってしまいました。やっぱりあちらのボーカルの方のノリというか、タイミングというか、生まれ育って培ったものが違いますね。
2015.09.22
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2010年は記憶の薄い年でした。すでに5年たっているのでもう証券会社の記録も簡単には見れないし、自分のブログを読んで思い出してます。「はじめに」欄で書いているように、アークランドサービス、DVX、コメ兵、日本GC、そして、日本レップ、10年のブログを見ると、幻冬舎を持ってたみたいです。また、いろいろな方のブログを今以上に参考にして勉強していた記憶があります。みきまるさんのブログを前のほうから読み返して、紹介があって半年経った銘柄を一つずつ単元買いしたりしてましたね。このころの銘柄の中に大化け株が結構ありますが、数を買っているので、信用担保にぴったりでしたね。(某証券会社での信用枠増額の際に「分散されてますね~~」と褒められました(笑)) なんかMBOがかなり当たった年だったと。結局、日本レップとか幻冬舎とか、MBOとかTOBとか私の中ではしょうがないか、と満足してたわけですが、後年になって、「不満はちゃんとぶつけなきゃダメでしょ」と言われました。そんなプロの人たちからも2013年には刺激を受けました。それもブログを書いてたからの効用です。どうもありがとうございます。話はそれましたが、いろんなショックがあったみたいですが、資産総額が大きくないこともあり、入金投資法が引き続き機能してました。2010年は、パフォーマンスが2倍を少し超えて、冬にかけて、幻冬舎のTOBとかいろいろあって、ついに1億円を超えます。気持ちが浮かれます。しかもまだ日経平均は、11000円くらいです。まだ、8000円からしたらそんなに上がってないわけです。私は単に信用で増幅しているので、底からすると、20倍近く、入金額でみても3倍程度にはなっているわけです。まだまだいける相場全体に対して、私は当たりまくってます。自然と笑みがこぼれます。どこかの震災時に有名になったブログ主のようだったと気づいたときには後の祭りでした。そして、あの、東日本大震災がやってきます。
2015.09.18
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自慢したかったからでしょうか。ブログを書き始めます。秋頃です。このときはすでにプラスになってたような。そうじゃないと恥ずかしくてブログなんか書けないですよね。で、ここで、ブログをなぜ書くのかという話があって、それが信用取引の恐怖を忘れずに、でも、今は続けて儲けたいという欲望に忠実にいこうと考えたからです。後々自慢したいと思ってたのが明白なのは、当時の持ち株を「はじめに」に書いているからです。そこはホント、人間だからしょうがないですね。秋にピークをつけてから、じりじりと下がりだし、4700万円くらい?で年末フィニッシュしたと思います。初めてのプラテンです。ここで私がやったことは、「今までの入金合計を計算して、どんだけ儲かったかを確認する作業(笑)」でしたね。2009年は、3倍になってたぞ!と喜びます。入金投資法の面目躍如です。ずっと何年も負けていても最後に勝てばプラスになるのです。で、ここでまた決断を求められます。「プラ転したから、もう、信用取引を止めるか?」いや、そんなわけはないですよね、そもそも信用取引を始めたときよりも株価全体が安いわけですし、大きなショックの後でみんな瀕死状態でしたから、続けることしか考えてませんでした。このあたりは、例えば5000万円の現物に7000万円くらいの信用でやってたと思います。もちろん入金投資法なので、じり安には入金で対応することになります。普通に利回り5%の株とかごろごろありました。このころが一番楽しかったかもしれません。いろいろな銘柄に目移りしながらも、リスクの少なそうなものをリスクを冒して信用で購入するというよくわからない方法で投資を続けてました。
2015.09.17
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信用取引を制限すると宣言してても、どうしてもやっちゃう心の弱さがあります。そのために、一人会社のガバナンスとして、いままで主力で4つの証券会社を使ってたのを信用取引は一社のみ、現物オンリーも一社に、合計2社にしようと頑張ってます。 そこで思うのは、出庫手数料が高い会社ほど、出庫して使わなくなることです。なんか、そうしちゃうんですよねえ。ひねくれてるのかもしれないけど、計算してもだいたいそうなる。信用建玉の上限は何回も上げているけど、一社に集中させることによって、物理的に信用を使えなくすることにしました。問題はあって、ここぞというときのたとえば大和証券の信用取引で名古屋銘柄がOKだったりそんなことができなくなることでしょうか。着々と、枕が高くなっている気分です。今は、信用は5割弱ですし、流動性の高いもの等も多少はあるので、本当に気が楽です。
2015.09.16
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どうも、株価が回復したときの記憶があまり残っていないんですよね。毎日時価総額を見ながら、ああ戻っているなとは思ってたはずなのですが、下がるときの記憶だけ鮮明に残っているわけです。人間の脳回路の仕組みから来る快楽とは真逆のことをしないと株式市場で生き残れないという説がある(たぶん)のですが、一面の真理をついていると思います。結局、変な人が強いというか、一本外れている人が有利な「ことがある」というか。覚えているエピソード記憶は以下のことくらいですかね。5月頃、株を初めて教えてもらった先輩が会社を訪ねてきて、「株どうよ?口座見せろよ」と言ってきます。まだ損してますよ、なんて言いながら、見せられる程度には回復してました。現物:2200万円、信用:3700万円だったと記憶してます。銀行員ってこのリーマンショックの後からは信用取引が禁止されて、その後にはさらに株の購入の際には事前に上司の許可を取らないといけないみたいなルールもできたそうで、転職していなかったら本当にやばかったと思う。資産激減タイミングで信用を止めろとかひどい。急激に株価が戻ってきてましたが、このあたりは非常に安かったので、まだまだぶいぶい言わせてました。結局値上がりすると、一部は売るのですが、残りはそのまま置いておいて現物が増えた割合だけ信用を増やす。そんな無茶苦茶なやり方で、資産は順調に増えていきました。増えてくると楽しいものです。銘柄研究が進みます。どんどん安くて、かつ、(グリーンブラッド読んでたので)カタリストのありそうな株を見つけます。本業のほうは相変わらず不況のあおりを受けて、苦しかったのですが給料を出し続けてくれた勤務先オーナー様には感謝してもしきれません。 あと、1000万円くらいで元に戻る。それまではやるぞ! まあこんな風に思いながらも、少しだけ迷いはありました。戻りが急速だったために、いろんな評論家は「戻り売りのチャンス」とか「ここから空売り」みたいな人も結構いました。私は、常にブルだったので、そんな人は無視し続けているわけですが、頭のいい人ほど、説得力のある言葉にやられてこの辺で降りた人も結構いたはずです。まあ頭のいい人がおりるくらいだから、今から見たら激安価格なのですが。需要と供給は常に一致しますからね。 バリュー投資が初めて楽しくなり、未来が見えてきました。視界もぼやけなくなり、ぐんぐんやる気が出てきます。順調に株価が戻り始め、ついにプラ転します。ただ、その日がいつかは覚えてません。ちゃんと計算してないからかもしれません。2年以上にわたるマイナスにようやく終止符が打たれます。
2015.09.15
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信用取引から引退するに当たっては、なぜ株式投資にはまったのか、どうして引退することが自分にとってよいことなのか、と考えなければいけません。家は貧乏というかなんというか、まあ、学校にはちゃんと行かせてもらって塾にも通わせてもらいました。田舎のおじいちゃんのように弁護士になって、正義を実行するぞ、おれはなんでもできて頭もいいから。なんて思ってました。なんのことはない、おじいちゃんが死んでから部屋を除くと、弁護士ではなく、ただの「宅建」の免許状しか飾ってませんでした。おじいちゃんに騙されていたわけですね。まあ、いいです。で、大学3年くらいから勉強するわけですが、すぐに挫折します。まったく歯が立つ雰囲気すらなかったわけです。すぐに就職に逃げました。ここで自分の野望は挫折してます。次の目標がいるわけです。転職の際にもここでお金を貯めていつでもロースクールに行けるから。脳内リスクヘッジは完璧でした。笑止千万ですね。お金を増やそうとしたのは、自由がほしかったからです。経済的に自立していれば、好きなことができます。サラリーマンなんてずっとやるつもりはありませんでした。それが、手段であった株式投資にのめりこんで、そこで自分の存在価値を見出すようになります。ブログを書き始めたのも、株式投資村の人たちに自分を認めてもらいたかったからでしょう。 シリーズで書いてきましたが、この信用取引の思い出を書くことで、頭の中を整理しているわけです。そして、信用取引から引退します。枕を高くして眠れるわけです。ゲームセンターのヒーローになることを諦めるわけです。次のGOALを見つける必要があることに、気づきました。私は一体どうすればよいのでしょうか。別れがあれば出会いもあるのでしょうか。
2015.09.14
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新興小型株オンリーで投資してきました。で、今で言うゲーム株みたいなものはまったく投資してませんでした。ケネディクスとかですね。そういういわゆる「バリュー投資」と称するグループの人たちが実感しているのは、「1年半TOPIXに先駆けて」2006年1月から下がりまくって(まあもともとやたら高かった)2007年7月にTOPIXが頂点になり、そこから下がりだすと、一緒に下がって(この辺からは生き残った会社にとっては安い値札がついていた)、2008年1月、TOPIXの下げが鮮明になるころに、「一番底」2008年9月リーマンショックでTOPIXの大底時には、「二番底」2009年3月のTOPIX最安値時には、「三番底」のような感じじゃなかったでしょうか。一番底がかなりきつくて、二番底もそれを少し上回るきつさ(でも連荘でくるからここでも死ねる)、三番底は「意外と軽かった」印象があります。事実、持っている株で業績のよい株は徐々にではありますが、株価が上昇基調に入っていたと思います。新興は先に下がって先に底入れして先に上がる。まあ前回はそうでしたと。 私も、2009年3月は確か、1100万円かそこらの現物でしたが、(信用が1500万くらい?)リーマンショックほど下がらず、むしろ、600万円からすると倍近くに戻してましたので(いや、ネットローンの100万も返済してたから、実質は500→1100か?まあどうでもいいけど。)「あと、2000万くらいで元に戻る(笑)」と3倍になる夢を見ていましたね。怖くていくら入金したかなんてメモはとってないわけですよ。確か損失確定で700万くらい確定申告して、含み損を抱えた建て玉なりがいっぱいありました。 投資を初めて5年目、信用取引を初めて2年経ったら財産が激減してました。ただ、株式数は値段が激安なのでかなりありましたし、成長株でPER5倍とかあったので、入金投資が非常に気持ちよかった覚えがあります。銘柄研究も絶好調で、この頃一番勉強してピックアップしてみたいなことがうまくできてました。あと、、、、、入金投資に必要なお金と時間捻出のために、きっぱりパチスロを辞めました。 決して、4号機がなくなったからではございません。。。 (現状)どうもこの当時の感覚があるので、「新興市場はTOPIXに先駆けて下がる」と思っている節が私にはあります。日経平均は堅調だけれども新興が振るわない時期が1年以上あったわけです。ただし、2006年と比べると、新興市場の中にはまだ安い株が転がっているように思えます。なんでもかんでも上がるわけではなく、新興市場に参加している人たちのレベルが着実に上がっているために全体としてバブルな値段はついていないと。凡人は経験から判断してしまうのですが、数字はまだいけると言っているような気もします。ただ、新興市場ってのは結局は人気が離散したら下がるもので、かつ、今まで大分上がってきたわけで下げる余地があるわけです。したがって、半分降りて、現物マックスが基準の投資に切り替えることにしました。
2015.09.13
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何年も資産を増やし続けている人で、デイトレではない人が急にノーポジにしました。とコメントしているブログ見てほんまかいな?一体どうやって1日で注文を出してるんだろう?と正直思ってしまう。それも大型株だけ保有しているならいけると思うけど、信用取引を常に使用していて、投資先があまり出来高のない新興市場が多かったりすると、どうやってるんだろうと思って考えた。それは、願望か、資金を毎年引き出し続けているか、そもそも小遣い程度の勝負(いわゆる余裕資金でってやつ)か、もしくは、非常に細かく分散投資をしていて松井証券の信用建玉一括売りボタンをバシッと押せる人、どれかだと思う。まだあるとは思うけど、注文を出すだけでも大変だと。資金が増えるにつれ、どうしてもリターンが減ってくるし、上記に当てはまらない私は、逃げきれないのを前提として勝負しないといけない。 で、有名な人が借入で大量保有出して勝負しているのを見て、本当にリスクをとってるんだなと思う。いろんな意味でなかなか微妙な橋を渡ってるなと。そのリスクを背負ってでも達成したい野望、それはなんでしょう。興味があります。 流動性が枯れるかもしれないという恐怖とどう付き合うか、その答えが今回の信用制限投資法という屁理屈なのだ(笑)
2015.09.12
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割安株というか資産株が相対的に値を保っていて、成長株が地の底に叩き落された印象がありました。そこで、勝負したのは、成長株+ほぼ無借金(不動産ならまず倒産しない比率の会社)でした。今までの割安株をなげうって、成長株にシフトしました。結果的にはこれはGJでした。 今まで主力で持っていた簿価26万円の創通を22万円で神様が買い取ってくれます。8000株くらいでしょうか。本当に助かります。もし、あの時、創通を22万円で8000株買ってくれる人がいなかったら、私は破産してました。まあ給与で1年くらいで返済はできたと思いますが、2009年にかかるバク上げ期間にまとまった資金をつっこんでいなかったことになるわけですから、その稲妻が光るタイミングを逸していたことになります。それを考えると恐ろしいです。創通という銘柄は確かによかったと思います。ただ、市場は何が起こるかわからないので、売って買えた自分もよく決断できたと思いますが、そもそも、ラッキーだったということを忘れてはいけないと思ってます。民事再生したREITを大量に持っていてもおかしくなかったわけですから。資産超過だと思ってましたし、現にそうでしたが、一時紙切れになりました。ここで、・まず倒産しない株・成長性のある株・下がりまくっている株にだいたいあてはまる株を買います。SBIのネットローン100万円、(プロミスは審査のみ通過させて50万円、オリックスが100万円、待機資金用)、株が600万円、信用1300万円といった状態が一番きつかったときです。銘柄は、アークランドサービス、DVX、は今でも保有している大当たり株。不動産は倒産しそうにないというB/Sの日神不動産、タカラレーベンに切り替えほかにもバラバラと買い、いったん新興市場が落ち着きを取り戻します。(本当はここで、フージャースを買っていれば会社を乗っ取れるくらいの儲けになっていたのですが、破たん→自己破産が見えてしまってこの勝負までアグレッシブにはいけませんでした。これは後悔してます。ヒアリングもかけて大丈夫そうだとわかっていたので。)2008年の年末には、確か株資産1400万円、信用2200万円、ネットローンは返済済みとなってました。2008年は、当初2000万円で、ありったけのCASHをつぎ込んで1400万円って、いったい?と思いますが、これでもリーマンの底の時からは3倍近くに戻ったわけです。いまでは考えられませんが、自分の人的資本という観点からはそんなに金銭的なダメージをくらっているわけではないと理解しようとしてました。2009年の初めころ、さらにスクリーニングで、コメ兵を発見します。遅れて下がってたものですから220円くらいで買えました。一息ついた感じです。そこから、TOPIXが最安値をつける2009年3月をむかえます。
2015.09.11
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2004年から2013年までは入金投資法で信用レバが現物の最大1.5倍までの超アグレッシブ投資2013年から2015年までは、入金投資法を止めて、信用レバが最大1倍程度のアグレッシブ投資2015年についに破産リスクをほぼゼロにするために、信用取引を大幅に制限することにした。ただし、投資を続けていくには変わりなく、するからにはリターンを(期待値で計って)最大化したい。もちろん、「破産リスクほぼゼロ前提」で。 新・投資方針株式に対する期待利回り:10%~15%程度/成長ゼロでPER6倍~10倍とかを目指してPFを作成するもちろん、金利情勢も考慮して利回りは出す。基本的には上記が出来る場合には、現物100%、待機資金は無し期待利回りが下がるにつれて、多少待機資金を増やす。チャンスがあれば信用取引を使用する。信用取引は、「現物の2割まで」とする。永久保有予定で信用を行うからには、破産リスクを伴う市場の暴落時の対応が必要。暴落時には、当初の建て玉は(ファンダメンタルに影響がない限り)切らず、維持する。全体が「7割」下がったとすると、(1+0.2)0.7=0.84下がって0.16となる。その際には、現物:信用=4:5となる。その時点で、今の「持ち家」を担保に「長期固定」資金を借り入れる。その「長期固定」資金は配当で返す。このやり方は、「致命的にダメな会社またはすっ高値の会社」を購入した場合、つまり、銘柄選択が完全に間違っている場合には破産するが、「市場の暴落」という自分の信じたバリュー投資とは関係のない、信用取引と非常に相性が悪いイベントに対して有効な戦術となる。ある程度のリターンを諦めて、破産リスクをほぼゼロにする。でも現物オンリーよりはリスクをとる、このやり方で今後の半分降りた投資を当分の間行っていきたい。 って言っている今でも信用は5割あるんですが。。。これは自然にまかせることにしてます。まあこの戦術でも十分にアグレッシブだとは思いますが、枕を高くして眠りたい。仕事はボランティアにしたい。いろいろな思いがあって、今回、このように規定しました。このブログを始めたときのGOALが見えてきたということです。
2015.09.10
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なんと、株だけじゃなく、「仕事」にもリーマンショックは直撃します。初めて「雇用不安」を感じるわけです。同業の会社は軒並み倒産していきます。余裕のあるところも縮小撤退で親会社に吸収など、「株価の下落が、日本の会社のファンダメンタルを傷つける!!!」ことが実際に起きたのです。ソロスの言っていることがやっと納得できた瞬間です。遅いですね。このことはブログを始めたときにカテゴリ「はじめに」で書いたように、教訓にしようと思い、記載してます。この点に関しては古典的なバリュー投資の本には書かれていないので、衝撃を受けて、また、自信も喪失します。そして、ミスをします。追証にかかってしまいました。で、給料日が一日後だったので、強制決済にはされませんでしたが、一時信用取引が停止されてしまいます。 あ、住民税もわざと1ヶ月滞納したかも。 で、ここで、決断のとき。「停止された信用取引をあえて再開するべきか?」です。損切りした銘柄を買い戻すか?みたいなものですね。冷静になるわけです。 また、ネットローンなるものも使いました。100万円の枠を使います。 でも、ここで止めるほど非合理的なことはありませんでした。月々私は40万円入金できるのです。もう残りの純資産は600万円くらいまで減ったので、毎月6%ずつ入金ができるのです(笑)ここまで来たら最後までやるしかないでしょう。 ちょっとリーマンショックのときは、ショックを通り越して、チャンスのように思えるような心持ちに変化してました。あまりにも安かったこと、それに、意外と1月の暴落ほど小型株は下がらなかったような気がしました。もう下げきっていたわけです。また、その理論的な根拠を探して、当時の売れ筋の大恐慌の本とか、昭和恐慌の本とか、資本主義500年とか、そういう経済の歴史書を読み漁りました。眉唾だとは思うのですが、100年に一度というくらいですから、500年くらいは(それって資本主義の歴史全部じゃん)勉強しないとと。結局体験しているときが一番本を読めるときなんですね。基本書もこの頃結構読みます。同じ本を何回も読んだかんじですかね。自分が間違ってないかどうか、安心したかったんでしょう。何の保証もないのですが。 いろいろと考えて、少ない資金を振り向ける採用銘柄を大幅に変更することを決めました。
2015.09.09
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5337ダントーを1000株残して処分しました。このタイル会社は、株主構成の思惑で購入してました。このたび辞めた社長が会長から借りたお金で買ってた自社株を倍で買い取った模様で、今後も外部からの圧力は強まるとは思いますが、資産価値としては株価が上がる分、下がってしまうわけで、この強制信用処分の際に1000株残して売りました。あと、ケーユーHD全株売却したと思ってたけど、なんと、別口座に8000株残ってた。。。株価を見ると売ったときから15%も下がってる。なんか処分しにくいなあ。やめとこうかな信用建玉のない口座だし。。。TBKとかサイボーとかは損切りしてます。コクーンシティは3000株残してこちらは利益が出ました。こういう株は今は値もちがよいのと、もともとこだわりがないので、売り払ってしまいました。 毎日毎日新興市場の今まで株価が堅調だった銘柄ほど下がっている印象ですね。結構読みは当たっているとは思うのですが、いかんせん、信用建玉がまだあります。普通に下がってますが、枚数は変わりません。建玉をもっと減らせなかったのか?とも思いますが、まあこんなもんでしょう。
2015.09.08
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もうあれですよ、夜眠れないやつです。毎日毎日下がります。もうこれ以上はというところから、なんと東証1部の優良企業のチャートが崩れます。典型はオリックスです。年初2万円程度だった株価が半値になってました。1万円です。なんとそこから倒産を織り込み始めます。一気に2000円を割り込みます。もう、何人の人が借金を抱えたかわからないですよね。 社長と喫茶店にいるときに「日経がマイナス1000円だよ」と言います。私の視界がぼやけます。続けて、「いやあ、君たちはラッキーだ。暴落を若い頃に経験できるんなんて、こんないいことはない。」と強がりますが、彼も信用をやってるはずです。目がうつろです。定年で辞めてからあれをしよう、これをしようと思ってたことが、、、、トヨタでも半値になるわけです。信用をしてたらゼロですね。1:1なら信用建てても大丈夫だよ、そう言ってたじゃないか、なんて言えません。株ってのは自己責任です。 30歳になって、5000万円どころか1億だったはずなのに、毎月40万円ずつ入金しているのに、私の資産は、800万円、600万円と減っていきます。 母親から電話があります。「なんかテレビでリーマンショックって言っているけど、あんた、大丈夫?」なんて答えたか覚えてません。 意外と他の普通のサラリーマンはリーマンショックの影響をあまり受けてませんでした。ひどかったのは、証券系の不動産営業マンが仲介で商社系の不動産会社に行ったときです。玄関に集合したのですが、その日も日経ストップ安みたいな感じの日だったので、「不動産の購入なんて本当は検討もしてくれませんよね?」と言ったら「なんで?」みたいな感じで日経が下がっていることすら知りませんでしたよ。案の定、先方と会ったらやっぱり購入どころじゃなくて、そもそもこの先どうするみたいな感じで箸にも棒にもかかりませんでした。実体経済が止まった感じがしました。今とは全然違います。
2015.09.07
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3385薬王堂をあらかた処分しました。まだ会社保有分も含めれば15000株くらいはあると思いますが、主力株という点では、4年以上の投資が終了したという感じです。ここ半年はずっと売ってきました。評価が激安株だったのが、適正価格をつけられている株になりました。決して割高だとは思ってませんよ。月次もいいし。でも私個人の理由で減らしました。 地震のときから3倍になったところで経営者が野村證券の担当にやられたのか増資をしました。そこで、思いっきり買い進めたことが正解だったわけですが、破産リスクもあったとおもいます。 日銀頼みの風が吹いてましたね。 主力株で言えば、アークランドサービスは半分弱売って落ち着きました。dvxはもともと保有株の総額が相対的に小さかったので2割程度売ってます。 勝負から半分降りるというのは、超強気で、信用取引を使いまくっていたところから、信用取引をほとんど使わず基本的にフルインベストメント状態ということです。株は今後も強気です。他の人から見たら強気も強気だと思います。でも、もう人生を賭けてバクチをするような方法から引退するだけです。 今、信用は0.5弱です。少しずつ減らしてますが、ちょっと様子見ですかね。昔のバクチ時代を振り返って戒めるためのこのブログ。人生の幸せに逆行する「一番になりたい、もっと儲けたい」とする凡人の悪癖を矯正するブログです。月曜に下がったところで思いっきり買いまくりたい!ほんと、そんな性格なんですよ、私は。脳回路が焼き付いて元には戻らないんでしょうね。
2015.09.06
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2008年夏、結婚式をすることになりました。毎月40万円入金してるんですよ、それでも1月に2000万円だった純資産は確か1400万円に減ってました。私は手元が減ればその分信用も損切りして、1:1.5くらいを保とうとしてましたからお金を入れては毎月損切りしてたわけです。すでに1000万円以上損しているはずですが、あまりきっちりは計算しようとはしませんでした。なぜか?それは精神を保つためです。で、結婚式にもやっぱりお金がかかるわけで、なんとかして工面したお金で払い込み、共働きだったので、半分でよかったのですが、ご祝儀はすぐに自分の分は回収し、新婚旅行は社割で新幹線の帰り道にある熱海激安ツアーにしたので、そこの熱海のATMで追証回避の入金をしました。これで一息ついたのは今でも内緒です。 結婚式のスピーチで社長が「彼はそんじょそこらの証券会社の社員よりも株に詳しい。本業のようだ。」なんて持ち上げて奥さん側の会社の人からどよめきが起きます。ウケ狙いで言われて私は苦笑い。本当は、結婚式どころではありませんが、幸せな顔をしなければいけません。2次会では、「いくら儲かってんの?」とか「給料高いんでしょ?」とか聞かれましたが、資金が溶けまくっているなんて言えるはずもありません。意外と株をやってる人って少なくて、今の辛さを誰にも言えません。 株1400万、損は多分1000万円をだいぶ超えてて、信用1800万円くらいで、リーマンショックに突入します。もうやけくそですよね。
2015.09.05
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2008年1月、怒涛の株価の下落に、頭ががんがんしている状態が続きます。 ここでプライベートな話が出てきます。結婚です。お相手の女性は、どうも、まじめなのか、仕事をやりすぎて「しんどい」と私に言ってきます。当時私は離れてくらしてましたので、携帯に夕方頃にかかってきます。今日も株がじりじり下がって、なんとか入金で追証を回避する目処をつけようと意識を集中しているときに、「しんどい、会社辞めたい」と愚痴られるわけです。するとどうでしょう。こんな経験は初めてです。電車から降りようとしたのですが、「頭がくらっときて、吐き気がするではありませんか。」自分の脳に限界があることに初めて気づきました。 なんと、対処法として、「パチスロ 北斗の拳」に逃げ込みます。何も考えたくなかったわけです。10時45分まで天井になりそうな台を徘徊したり、もう、一体何をやっているんでしょうか。 あの、優秀だった(笑)25歳の若者は、もう脳に新しい知識や情報を積極的に入れることができなくなってしまいました。それほど、2008年はきつかった。常に入金して追証回避の日々でしたから。パチスロのために、ATMで2万円引き落とすときに、「あと3日で40万入金できる」なんて思っているわけです。もう、傷が痛いからツネッてごまかすような感じです。 では、一体なんで信用取引を辞めなかったのでしょうか。結果としてみれば正解だったのですが、ブログなどを見てましたが一部の人々を除いてみんな辞めていきました。 おそらくそれは「負けたまま辞めることはありえない。」からだけでしょう。 今考えるとぞっとします。この時点ですでに1年近く、信用取引をして、ずっと株価が下がって毎月入金しているわけです。「株価は下がるのがデフォ」みんなの常識がそうなってしまってます。逆張り発想の私としては、ここは本当に心を落ち着けて、我慢します。もう大底を打ったわけですから。そう思ってました。夏までには少しですが株価が回復しました。
2015.09.04
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2008年1月は、昔の知識でも、今の知識でも、個別株式は「十分に安かった(または十分に安い株が存在した)」と思う。ただ、借り入れの多い会社には倒産リスクがあり、倒産すればゼロになるわけで、後にリーマンショックにつながりそうな「恐怖」を株式市場の参加者全員がここで一度味わったのだと思う。当時の私は、個別株の割安さを計算すればマクロなんて関係ないと本当に信じてました。もちろん、今でもそう思うのですが、信用取引との相性は最悪ですよね。そんなベアースターンズかなんか知らないけど、救済されたんでしょ。日本の内需の会社の業績には関係ないじゃん。そう思ってました。また実際にそうでしたしね。ところが、株っていうのは持ち主がいて、その人が金に困ると株を売って借金を返済するものだとは、よくわかってなかったわけです。文字面ではわかっていたのですが、なんていうか、こういうことなんだと実感することになります。 小型株を主に扱っていて、すこし下がった段階で「ちょっとした気分でナンピン」する。そうすると、次の日には、「売り気配。買い手ほぼゼロ」みたいな状況が朝おきる。気持ち悪い。で、結局安いところで信用を調節して、また、入金。この繰り返し。昔の追証のパターンをよくわかってなかったのがやられた敗因かも。知っててもプラスにはならなかったとは思うけど。これで2000万弱あったお金が1000強まで多分減った。持ち株自体はそんなに減ってない(なにせ勝つまで入金投資法)けど、もう本当に気持ち悪かった。損もずいぶんしてて「持ち株が何割上がったらプラマイゼロになる?」と毎日考えていた。2008年あたりによく見たブログは、新興市場の株式投資さん、バリュー消費さん、あと、しんさんのブログは1から全部読み直してまだいけるぞ、となんとか精神を保たせた。バリュー投資を掲げていたブログもいつのまにか、デイトレ道場に入門して勝てるようになったとか、有名な先生も変節したり、「え、このタイミングって一番バリューじゃないの?」と思ったけど、実際にお金が減り続けるとこんなに惨めな気持ちになるんだなあ、心の平安を保つためにバリュー投資をやめるのか、それともその理屈を追求するのか、信用をずっと損切りしながら、苦しい日々をすごしました。(MEANINGさんは正面からぶちあたって昇天されました。それでも日記を更新するのがすごいと思いました。じつはこの「むぎゅ」も何度も読み返してます。心の平静を保つためです。リーマンショックの時とかによくよんだ。) で、30歳になったとき「1400万円」しかなかった。倍は入金してますよ。2008年の夏です。金額は必殺の入金投資法で少し回復?します。でもまだくじけません。信用取引使用しているので株が5割増しになるだけで元通りです。 当時の主力株は、「3711創通エージェンシー」でした。チャートも二倍になって元に戻ってを繰り返してましたし、ずっと現金を溜め込んでいたし、無借金で自社株買いもしていました。ここを思いっきり信用で買ってました。これが一発倒産株だったら私の人生は変わってたかもしれません。リーマンショックで思いっきり損切りすることになるのですが、不思議と22万円付近で買いが出てきてくれて、損をさせてくれてありがとうという気持ちになりました。本当です。今考えると、この程度のお金(何年か働いて稼いだ可処分所得全部)が半分になっただけだったので、まだましなのですが、それでも、数年分が一気になくなるわけですから、頭がぐらんぐらんしてくるわけです。
2015.09.03
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たしかな記録がないので、(今見ても5年以上前には遡れないみたい。自分で売買記録をつけとくべきでしたか?)あれなんですが、「おれの調査によれば、次の決算で上方修正、しかも2倍の営業利益になりそうな会社がある。これにぶち込んでいくぜ!!」と信用で建てたうちの主力株については分析(笑)してたはず。今考えてみると、賢い人から私が高値で買い取っただけなんですが。。。 上方修正でPERが10倍になったら、やっぱり株価は2倍に上がって、PERは20倍になるんじゃね?と。 山崎元さんの書いた本に、「一応のPERの目安は20倍。だって、米国債の10年利回りとか、インフレとか、リスクとかいろいろ考えたらそうだし、バブルの影響のない時代だとこんなもんでしょ。」と書いてあった。至極真っ当な考えだと思った。 当時は銀行出身の豪快な社長にボスが代わってまして、ボスが「30歳で5000万円くらいは稼がなきゃ(貯金がなきゃ)だめだろ!」「君、株の極意を教えてやろう。株は需給だよ!」「社長、違いますよ、株はファンダメンタルですよ!」なんて、今なら絶対に言いそうにない強気発言を2007年にしてました。もちろん彼は30歳のときには他の銀行員と同様に借り入れ過多だったはずですが。私も恥ずかしい発言を結構してたと思う。 やっぱり小型株は崩れたが、日経平均は18000円程度だし、不動産の流動化はどこまでも続くような気がしてました。流動化銘柄は保有はしてませんが、勢いの象徴みたいなところがあったのでチェックはしてました。私は心の中で「俺のウォーズマン戦法があたれば5000万じゃなくて、2008年には一億ゲットしてるから。むふふ。」と考えていて、1年下がり続けて値段がこなれてきた(PER10倍)株がここから2年近くかけて8割減になろうとは思いもしなかった。 一応安い株は買えてたはずですが、業績はよくても株価は上がらない。むしろやや下がる。これを繰り返し、また、毎月40万円をぶちこみ、2007年12月で純資産2000万円が、500万円入金した結果、2000万円弱となっていた。。。信用も危ないと気づき始めて、4000万円ではなく、たしか3000万円くらいに抑えていたような。ここで始めて投資を始めて合計で「損」していることになった。何百万円か。「かっこ悪くて人に言えないなあ」、と思っていた。「絶対に損を取り戻したい!」毎月入金しつづけるのは苦しかったですが、特に私は無駄遣いもほとんどしなかったし、今の株価の下落はファンダメンタルが変化してないんだから逆にラッキーな現象で元の株価に戻るだけで、ずいぶん儲かるぞ。」という考えだったと思います。そして2008年1月の大暴落を迎えます。現物2000万(含み損500万)信用3000万円
2015.09.02
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「禁パチ後の処分銘柄」という欄を作りました。数年単位ではいかに株価の常識が変わるのかというのを納得するために、少し残していた株も処分する気持ちでいきます。 ケーユーHD、パラカを100株ずつ残して処分しました。といっても、それぞれ2000株程度しかすでに保有してませんでした。上がっていくにつれ、売却していったイメージです。 やっぱり私には「安値覚え」がありまして、それにしたがって売ったものです。そもそも、ケーユーHDは、ただの超割安株でした。分割前でいうと、今の株価は、1900円くらい。買った値段は230円くらいだったでしょうか。もともと資産は1500円くらい持ってたわけです。実質PBRが0.1倍台だったと思います。ただ、これは、300円(実質PBR0.25くらい?)からさらにリーマンショック後ダダ下がりして、220円くらいまで下落したのを覚えてます。ホント、これ、信用でやってたら死んでますよね? で、どうやって見つけたか?というと、リーマンショック後、私は値持ちの良い株を売って、どん底でも復活しそうな銘柄に切り替えることをやってました。これは信用取引の数少ないよい点で、「常に値段を確認して、どの株が自分の基準では激安になったのか、割高になったのかをチェックせざるを得ない」ことがあります。で、年初来安値、PBR0.3以下とかで検索をかけたら当時は結構出てくるのですが、その中で、1.株価が下がっている理由が明確2.今後上がりそうだったからです。 (1)自社株買い、安定株主の損保の合併による自社株買い取り(安値で株を買い取るとどんどん会社の1株資産がたまってく、すごいじゃん)(2)含み益の土地、土地の収用(3)自動車業界につき、業績の急回復が見込め、かつ、無借金 今では考えられません。PERも2倍とかですよ。実質の予想ですが。 ということで、それが4倍になったときに売ったらさらに業績向上、優待付与などで2倍になって今の株価になるわけです。 私はまたもしかしたらくるこの「今じゃありえないチャンス」を拾いたいなと思ってます。 なぜ、こんなに安かったのか?というのは、やはり、業界の不人気、全体相場の低迷に加えて「安く自社株を買い取りたいオーナーの気持ち」があったと思います。これは私がほかの人よりは得意な分野なので、これからも挑戦したいと思ってます。ただし、小型株限定にしないと大人には刈られてしまいますから注意が必要です。 あっ、パラカは、、、、、、、エナフンさんのパクリです。会社まで訪問されてえらいですよね。これは株の買い増しが出たので結構儲かりました。もうこんな値段で十分でしょう。丸ごと経営権を取得してもうまみがあるかどうか、という値段かなあ?
2015.09.01
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