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8月27日(金) 快晴 今日はとても良い天気で、久しぶりに20℃を超えました。午前中は洗濯とか掃除をし、調子良く動きました。午後から昼寝を二時間ばかりしたら、何となく頭がボウッとして、克征ちゃんの事を考えていました。――なんとなく、克征ちゃんは私が昔、激しく恋をし、諦めなければならなくなって、傷心のあまり青森に帰っているような空想をするんです。少しして、私たちは夫婦であり、別れる事はないんだ、と思うとフッと我に返り、安心しました。漫画の読みすぎかしら?でも、私と克征ちゃんは夫婦なんだなあ、と思うと、とても安心するのです……。当たり前のことなのに、面白いワね。私の方がちょっと多めに恋しているからかしら……。私の手紙、毎日、届いているかしら? 今日は、桐田さん(注 悦子の知人)にも出しました。 克征ちゃんとは手紙のやり取りも無く結婚したから、こうして書いてポストに入れるのが、とても楽しみです。では、また明日ね。気をつけて下さい。 愛する克征ちゃんへ pm 11:308月28日(土) 午前中 雨 午後 晴れ お誕生日おめでとう御座います。pm 10:00にTELしてみましたが、まだ留守のようでした。お仕事が忙しいのかしら。夜、遅く帰って来ても、悦子がいないんじゃ寂しいワね。家の中も真っ暗だし……。母が、克征さん一人でさみしいんでしょうね、と言いますが、頑張って下さい。 私の方のお腹も、よく動いています。赤ちゃんも、もうそろそろ、外に出られるなぁ、と思っているのかしら。 兄が今日、湯治から帰ってきました。お土産のイカを刺身で食べましたが、コリコリして、とてもおいしかったですョ。佐渡で食べた(注 克征の母親と三人して佐渡ヶ島に旅行した際、朝獲りの新鮮なイカを食し感激したことがある)美味しい烏賊を思い出しました。それと、湯花といって硫黄の塊のようですが、それを持ち帰り、スプーン2杯くらいのかたまりを浴槽の中に入れると、お風呂がいおう温泉のように濁り、香りもします。五分くらい温まったら、体中がポカポカで、とても気持ちがいいですョ。二十回分位が一袋入り150円で買えるそうです。冬などは特に身体にいいでしょうから、今度私も、多めに買ってもらおうかと思っています。母などはとても気持ちがいいと言って、二回もお風呂に入っています。克征ちゃんも入れてあげたいワ。 ところで克征ちゃんは、きちんとコブ水を飲んでいますか?手紙を書き終えてから、もう一度、TELしてみて、留守でしたら、明日、お昼頃、してみようと思って、今晩は終えます。お休みなさい。 愛する克征ちゃんへ pm 10:308月29日(日) 快晴 朝と夕方、克征ちゃんの優しい声を聞き、とても嬉しかった。朝は誰もいなかったせいか、お話をしている時に涙がポロポロ出るんですよ。最近は、女性らしくなったのか、涙腺が緩みます。
2015年02月28日
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午後三時、病院から帰ったら、お義母さん(注 克征の実母。病弱を苦にしていたので馬門の実家の両親が温泉での湯治を勧めたもの)が酸ヶ湯温泉から帰っていました。とても元気そうなので、安心しました。明日、三沢まで送ります。お義母さんが東京に帰ると克征ちゃんのお世話も色々としてくださるし、安心です。お給料を頂いたら一万円位、私の居ない間だけでも、毎月、気持ちとしてあげてください(克征ちゃんも賛成してくれますね)。その他、交通費やら、また何か必要なものがあったら買うように、少し渡しておいた方がいいと思います。(注 克征が西大久保に部屋を借りて一人で住むようになってから、義母は板橋の実家から定期を買って部屋に通い、掃除や洗濯などをして家政婦のように面倒を見ていた) お義母さんは気持ちの優しい人ですから、直ぐ自分のお金で買おうとしますから、克征ちゃんが気をつけてあげてくださいね。 今、p m 11時の合図を時計がしてくれましたので、今日はこの辺で止めます。また、明日ね お休みなさい 愛する克征ちゃんへ 悦子 やさしい笑顔の克征ちゃんが目に浮かびます *追伸 昆布のジュースは飲んでいますか?(注 髪の毛が寂しくなりかけていたので克征が気に掛け、悩みの種にしていたので、悦子が養毛に良いのではないかと配慮したもの)8月25日(水) 晴れ のち 曇り 今日はお給料日ですね。どうもご苦労様でした。 午後、母と二人で馬門温泉に行って温泉に浸かってきました。物心ついてから母と一緒にお風呂に入るのは、初めてじゃないかしら?何となく、照れくさいような気持ちになりました。 夕食を済ませてから助産婦さんの所に行って来ましたが、やはりこのまま逆子の形で、お産に入るでしょうとの事です。まあ、頑張ります。克征ちゃんと神様がついていてくれますから。 それから、午後に克征ちゃんから名刺入りの手紙が届きました。「悦子 様」なんて変なの?でも、克征ちゃんが書いた字だなあと思うと、手を握ったような温かさがジーンと伝わってきます。今夜は一緒に抱いて寝ますよ。 昨日はお義母さんを三沢まで送り、その帰り道に天間の叔母の家と、母の実家に行きました。従兄弟・姉妹たちや、甥・姪たちと話をしたり、遊んだりしていたら、すっかり疲れ、お手紙は書きませんでした。 ここのところ二三日、早寝、早起きを実行し、疲れない程度に身体を動かしているせいか、なんだかむくみが取れたような感じがします。ヘルスメーターが無いから体重を量れないのが残念ですが、体が少し軽く、少しずつではありますが三食後きちんと便も出ます。昨日は塩辛いものを全く口にしなかったので、水物は牛乳二本だけでした。牛乳は一日に二本、卵、一個は必ず実行しています。今晩、父の作った料理が少し塩辛かったせいか、水を二杯飲みました。自分の作った料理が残ると心配してか、みんなに一生懸命、勧めている父の姿が面白かったですヨ。妹の累子がバイトのお金が入り、父にウイスキー一本、光子さん(注 兄・登の嫁)に五千円、あげていました。 お電話の時は、家族の皆がいるから、なんか、照れくさくて、思うように話せないでしょう。その点、お手紙はいいですね。「愛しています……」なんて書けますものね。 ああ、板橋の方に(注 克征の実家)、荷物を送っておきます。 克征ちゃん、……、……、ただ名前を呼んでみたかっただけなのヨ。 では今晩はこの辺で、お休みなさい。 pm 10:208月26日(木) 晴れ 今日も一日、過ぎました。久しぶりに良い天気でしたので、赤ちゃんのシーツとタオルケットを洗濯しました。入院する時の物、赤ちゃんの衣類等の準備も、全部整えました。後はお産を待つだけです。今日はどういうわけか食欲がありました。朝起きた時からお腹がペコペコで、克征ちゃんの所にTELする前に、食事を済ませました。十時頃になったらもうお腹が空き、果物やらトウモロコシを食べ、昼食後の三時には、なんか物足りなくて果物、パン、牛乳と口にし、六時三十分の夕食には、おかずと一緒にご飯を二杯です。三食ごとにご飯を二膳いただき、お小水のほうも良く出るし、もしかして、もうそろそろ近いのかなあと思ったりしました。良く食べ、身体を動かし、調子を整えることも、ひとつの準備でしょうね。 でも、一日一日が長く、退屈です。克征ちゃんはどうですか? ホントに克征ちゃんの側が一番いいナア。元気な赤ちゃんを連れて、早く帰りたい。狭くて小さな部屋でも、楽しい我が家、ですね。 では、明日、またね。 お休みなさい。 愛する克征ちゃんへ 悦子 pm 10:00
2015年02月24日
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八月二十二日(日) 朝 起きてから一秒刻みに、克征ちゃんの事ばかり考えていました。午後一時頃まではまだ寝ているかなあ、と思ったりして電話を掛けるのは止めにしました。自分独りだとテレビも見る気がせず、寝たり、起きたりです。なんか、これから二ヶ月間時の経つのがどんなに遅いかしら……、などと考えたりして―。 克征ちゃんの傍で、甘えたり、怒ったり、笑ったり、毎日がホントに幸せだからね。こんど赤ちゃんができたら、今までのようにヒザの上で横になったり、二人で抱き合って昼寝をしたりはできないかなあ、と思ったら、急に淋しくなりました。やはり、子供が出来ても私は、今までと同じように甘えたり、ヒザの上に乗せてもらったりします。まあ克征ちゃんは子供が二人になったと思ってね。三時過ぎにTELした時、優香ちゃん(注 カッちゃんの姪)達もいるようだし、克征ちゃんの元気な声を聞き、安心しました。今度から日曜日以外はモーニングコールをして、電話で起そうかしら……、というよりは何だか二人の結びつきの合図が欲しいから、朝八時になったら電話をし、呼び出しのベルを五回鳴らしてから切ります。克征ちゃんは悦子からの朝の合図だなあと思って、一日のスタートを切って下さい。毎朝しますからね。青森から克征ちゃんの所に、「愛しています。今日も一日無事でね」と、心の中で言いながら、リーン、リーン―、と五回だけ鳴らします。電話の無かった朝は、もしかしてお産をしている時かもしれませんね。青森でも東京でも、愛する克征ちゃんと心は一緒です。 おやすみなさい p m 11:05 悦子 封筒の宛て先:東京都新宿区西大久保三の七十一 第一富栄荘102号室 古屋 克征 様 とあり、 裏書には、青森県上北郡野辺地町字馬門42 古屋 悦子 と女性らしい字で書かれています。八月二十三日(月) 雨 なんだか今日は一日中雨が降っています。定期検診で病院に行って来ました。この間の逆子の体操の経過を見るため、レントゲンを写すなんて言っておりましたが、放射線は胎児にあまりよくないし、体操はしていませんのでと言って断りました。 ところが驚いたことに、一週間で体重が2kgも増えていました。普通は一ヶ月かけて増える所を、一週間では増え過ぎですと、注意を受けました。塩分、及び水分制限です。考えてみると、私はこちらに来てから毎日、寝たり、食べたりでしたでしょう。特に克征さんに会えなくなって、寂しくて殆ど一日中横になっていましたから、運動不足もあるのでしょうね、むくみが多いのです。 この体重増加は、神様からのバツだなあ、とつくづく思いました。もう十ヶ月だからなんて、いい気にならないで、適度にお勝手の仕事をしたり、散歩をしたりして体を動かさなくてはいけなかったのに…。またこちらの食事は塩からいものが多いから、自分のものは自分で作り、さっき本で読んだように低カロリーで、たんぱく質を多く摂らなくてはと考えました。朝の克征ちゃんへの、楽しみの呼び出し音電話もあるし、7時くらいには起きて、また昼寝を1~2時間して、夜は11時頃には寝床に入るように心掛けます。来週の検診までに体重を減らすか、これ以上は増えないようにするのが目標。それは私の努力如何にかかっていますね。やはり母親になるのですもの、愛する克征ちゃんに逢いたいなんて、蒲団の中でメソメソしていられませんね。 神様は、「こらっ、あまったれ!」と思って注意をして下さったのですよ。注意しなくては―――。御蔭さんでファイトが湧いてきました。
2015年02月16日
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これは日本人にとってだけでなく、世界中に大きな、大きな衝撃を与える事になったのですが、ことほど左様に、喜びと悲しみとは、幸運と災禍とはあざなえる縄の如く、交互に連続して継起して来るものなのですね。大災害といえば、2001年、ニューヨークの貿易センタービルで起こった大惨事。9.11事件の時、タカはマンハッタンの部屋でルームメートが煤だらけで明け方帰宅するまで心配して待っていたと言いますよ。東京の金町の我が家では、夜中にタカの誕生日の「おめでとう!」を電話で言おうと、家族全員が起きていました。するとテレビでまるでハリウッド映画のワンシーンのような衝撃的な映像が送られて来たのでした。乗客乗員の乗った旅客機が高層ビルに激突する。本当に信じ難い、我が目を疑うとはまさにあの様なことを指して言うのでしょう。 翻って考えてみる時、あの事件が仮になかったとしたら、タカはボストンで就職活動を展開中でしたから、アメリカで就職し、従って日本に帰国しなかった可能性が大ですから、貴方のお母さん・マキコさんとの出会いの可能性も失われていた、かも知れない。 考えてみると、人間の幸せと不幸とは物事の一面でしかない。あざなえる縄の様な禍福とは、ある特定の人間にとっての、極めて特殊な捉え方、感じ方でしかなく、従って世の中全体から見れば「禍と幸福」とはごちゃ混ぜに混在している。そう表現した方がより実相に近いのではないでしょうか。 人生の最高に幸せな時間 リュウト君、突然ですがエッちゃんがこの文章を書こうと思った最大の動機について触れておきましょう。人と人は不思議な縁で結ばれる。また同じような不可思議な「原因」で涙の別れを余儀なくされる場合もある。人間の力だけでは「どうしようもない」ことがこの世には数多くあるのですね。あなたの大好きなタカ・お父さんが生まれたのは西暦1976年(昭和51年)の9月11日のことです。当時の、大袈裟に言えば歴史的な一等資料がカッちゃんの手元に大切に保管されていました。カッちゃんにとってとても大切な宝物は、エッちゃんにとっても掛替えのない貴重この上もない「秘密」、生命の次くらいに重要な内緒事なのですが、眼に入れても痛くないほどに可愛い孫・リュウト君のためですから特別に、貴方にだけお見せしましょう。(タカだってまだ見た事がない、本当に、掛け値無しの貴重品なのですからね)
2015年02月12日
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方言と言えば、エッちゃんは自分が生まれた土地の方言が大好きです。誇りにさえ感じています。東京に出てから四十年以上の年月が経過しているのですが、実家に帰った時や、電話で地元の人と話す時には、自然に土地の訛りが口をついて出てきます。すると忽ち「あずましい」気分になり、本来の自分を取り戻したような爽やかな気持ちになれるのです。 カッちゃんはそうした私が羨ましいと、口癖のように言いますよ。子供の時から「故郷」が無くて、夏休みに友達がお祖父ちゃんやお祖母ちゃんのいる田舎へ行くのを、指をくわえて見ていたカッちゃんですから、無理もないことなのですね。「自分が子供の時に夢見ていた、理想が、自分の子供の時代になって、すべて叶えられた。自分の子供のタカやマーチンが本当に羨ましい」と、上野駅まで見送りに来たカッちゃんがよく言っていました。タカやマーチンが小さい頃、夏休みになると青森の実家に帰省する私達三人と、忙しい仕事で夏休みも無く働くカッちゃんは東京に残るのです。列車が発車するまで「お父さん、可哀相!」と涙をぼろぼろ流していたタカとマーチンは、走り出した列車が上野駅のホームを離れた瞬間に、もうカッちゃんのことをすっかり忘れたように、二人してはしゃぎまわっていました。 こうした次第で、現在は「貧しいながらも満ち足りた幸せな人生」を送る事が出来ているのですが、振り返ってみると、色々な事がありました。人生はまさに山あり谷あり、日照りの時も、土砂降りの大雨に降られる時もありました。でも結局「あじましいナア」と総括できるのはとても幸運なことであり、本当に有難い事と浅草の観音様に感謝し、天の神様に深く、深く御礼申し上げなければならないと思っています。 人との出会い・物事との出会い この世に生きていると様々な人々と出会い、また色々な出来事と遭遇します。人間の力だけでは出来ない不思議な出会いが人生には、実に巧みに用意されていて、私たちは驚いたり、喜んだり、また時には哀しんだりするのですね。リュウト君、初孫である貴方との出会いもまた、最高に嬉しくて、この上もなく素晴らしい出会いですよ。でも、貴方が誕生して一週間も経たないときに、日本は東日本大震災に見舞われ、未曾有の大惨事を経験する事になった
2015年02月08日
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繰り返し申し述べておりますが、私のこの世に生まれてきた理由(そんな物が、そもそも存在するのでしょうか、などという野暮な質問はこの際、無しにさせてください…)、青森県上北郡の野辺地町を大々的に 売り出す こと、とあるとき翻然として悟り、別の言葉で言えば天・神の啓示を強烈な形で受けましたので、これまでの七十年の半生はその任務を遂行する為の準備段階だったと知ったわけであります、何と! さ、そこでそもそものきっかけとなった野辺地出身の、私・草加の爺にとっての最重要人物との 不思議といえばこれ程不可思議な邂逅も無かった四十数年前のお話を、一冊の本の形で目下まとめておりますので、そのさわりの部分を以下にご紹介いたしましょう―。 あじましい人生! ―――お祖母ちゃんが孫に語る幸福とは? 葉月 二十八著 始 め に(前書きに代えて) これは平凡な一庶民が孫の世代に語りかける形で展開する人生論であり、幸福論であります。日本人とは何者なのか?日本とは、平和とは、生きるとはそもそもどの様なことなのか?様々な素朴な疑問に真正面から対峙し、真摯に考え、それを自分は「このように考える」と明確に表明します。その際に、共に、同一目線で、一緒に考える姿勢を貫きます。何故ならこのような質問に正答はないからです。わたしはこの様に生きて、このように感じているが、あなたは、あなたの場合は一体どうなのでしょうか?誰もが一度は考えておくべき課題に、平易で懇切丁寧な具体例を提示してみたいと思います。読者と共に考えを深めていけるのならば、これに過ぎる幸せはありません。どうか最後までお付き合い下さる様衷心よりお願い申し上げます。 本州の北の外れに生まれて リュウト君、お祖母ちゃんは旧姓を柴田悦子、これからはエッちゃんと表現しますが、エッちゃんは十八歳で上京するまで下北半島の付け根に位置する野辺地町字馬門に生まれ成長しました。生家の裏庭の外が直ぐに陸奥湾でしたから、幼い頃はすっ裸で泳いだり、花咲き蟹(最高級の毛蟹の事)をお八つ代りに食べたり、後から考えると随分と自然の恵みを豊かに受けた環境に育っていたのですが、当時はその様な自覚は全くありませんでした。 青森県と言わず、東北地方一体は大昔から京都や東京と言った都からは遥かに遠い辺境の地。貧しさの代名詞のように考えられていましたし、現実にもその通りの貧しく、辺鄙な土地柄です。今もその事実に大きな変わりはありません。 そしてエッちゃんが結婚した相手・カッちゃん(東京生まれで、東京育ち)とは八歳と五ヶ月の年齢の差があり、家庭環境も育った土地柄も全く違っていましたから、二人が出会って結婚するということは、確率的には非常に可能性の低い事だったはずですが、正に紅い運命の糸によって結ばれていたからでしょうか、本当に不思議な縁(えにし)によって出会い、結婚しました。四年後にリュウト君のお父さん・タカが生まれ、更に四年後に叔父さんのマーチンが誕生しています。タカは高校を卒業すると突然のようにアメリカ留学をし、その後でマーチンも金沢での国内留学をする運びになりました。 おじいちゃん・カッちゃんはドラマ制作会社に所属して在京キー局のテレビドラマの製作に携わるプロデューサーでしたが、身分は一介のサラリーマンにしか過ぎませんので、経済的には随分と苦しい思いもしました。エッちゃんは元々家庭の中だけに納まるような性格ではありませんでしたので、子育てをしながら掛け持ちで色々なお仕事を外に出てしました。 そして現在は東京浅草の老舗料亭「浅草今半」のサービス部門の束ね役として、忙しく、また楽しく働いています。本のタイトル「あじましい」とは、「ゆったりして落ち着く。心地よい、気持ちがよい、快適」と言った意味の土地の方言です。方言と言えば、エッちゃんは自分が生まれた土地の方言が大好きです。誇りにさえ感じています。
2015年02月05日
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この拙いブログをご愛読頂いている方々はひょっとして、最近、テーマが少し変わってきているのではないかと、訝しく思われていらっしゃるかもしれませんね。しかし然にあらず、口や言葉での ぼやき から進化して私の行動自体が現代社会や、そこで抵抗なく大勢に順応して安穏に生活されている人々に 痛烈な 批判と、アンチテーゼと、本質的なボヤキとを投げかけようとしているのであります、はい。その行動の一部始終を実況報告する形で、真の意味での ボヤキ を発し続ける魂胆でいますよ。どうぞ、これまで同様、ご愛読、ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。 私事で恐縮ですが、私の二歳上の兄の息子、つまり甥っ子に当たる古屋大貴君が率いる「奇譚クラブ」という一寸変わった名前の会社がありましてマスコミなどでも評判になっており、玩具業界に旋風を巻き起こしている。彼の話ですと、子供の頃貧乏だったので、大好きな玩具も満足に買えなかった。それで、自分自身でおもちゃを作ってしまえ、といったことがそもそもの起業の動機だったとか。我が甥ながら、なかなか見上げた根性だと、感心しています。先日、姉と兄と、脳梗塞の後遺症で言葉などが自由にならない父親である兄・潔を甲斐甲斐しく介添えする大貴君と、私の四人で 亡きお袋を偲ぶ「姉弟会」を茨城県の土浦市内で、ささやかに実施いたしました。テーブルにお袋の遺影を置いて、七十年以上の三人の人生の中で初めての楽しい 水入らずの団欒でした。楽しかった、こころから楽しかった、予想以上に。忙しい中で貴重な時間を割いて参加してくれた甥に感謝したことでしたが、私の長男が、従兄弟で彼のような成功者がいるのは実に名誉なことなので、自分に紹介してくれないか、とせがまれていたのですが、私自身が何度か顔を合わせているだけで、殆ど知らなかった。土浦での楽しい集いの際に、カラオケなども一緒したので、大貴君の歌声なども初めて耳にしました。なかなか堂々とした歌いぶりで、セミプロを自称する私も負けそうな歌手ブリでした。近いうちに、彼の会社を訪ねて、長男を引き合わせたいと考えていますが、人生とは本当に不思議なもので、筋書きのないドラマのようであります、実際。私の家内も現在大病の治療に専念しておりますが、マスコミで顔が売れている謂わば 有名人 ですから、そして、つでと申しては何ですが、ここまで暴露したからには次男のことも宣伝させてください。次男はアメリカのニューヨークで個展を既に二回も開催している、隠れた 注目株の画家であります。私は、次男の陶芸作品の大ファンなのですが、現在は画業の方に打ち込んでおりますゆえ、どうぞご注目のほどお願い申し上げておきます、どうぞ。
2015年02月01日
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