草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年03月05日
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さればとて、此処に留まるべきではないと、行かれると思う所まで行ってみようと、宮を先に立て

て三十余人の兵共、路を問い問いして山路をぞ、越えて行った。

 既に中津河の峠を越えようとなされたところで、向かいの山の嶺に玉置の勢とおぼしき五六百人

程がひた兜に鎧って、楯を前に進め、射手を左右に分けて、鬨の声を挙げたのだ。

 宮はこれを御覧じて、玉顔(ぎょくがん)殊に厳かに打ち笑ませ給いて、御手の者共に向って、矢

種が有る限りは防ぎ矢を射よ。心静かに自害して、名を万代に遺すべし。

 但し。おのおの相構えて、吾より先に腹を切ることはあってはならない。吾が既に自害したなら

ば面の皮を剥ぎ、耳鼻を切って、誰の首とも分からぬようにし成して、棄てるべし。

 その故は、我が首をもしも獄門に懸けて曝すならば、天下に味方の志を存ぜる者は、力を失い、



 死せる孔明は生ける仲達を走らしむ、(蜀の諸葛亮・孔明が魏の司馬懿・仲達と五丈が原で対陣

中に死んだので、部下の楊儀が蜀軍を整えて帰ろうとした時、仲達は孔明の死を聞いて追撃した

が、蜀軍は旗を返し鼓を鳴らしてこれに向う姿勢を示したから、仲達は孔明が未だ死なずと驚いて

退いたと言う故事)と言う事がある。

 されば死して後までも、威を天下に残すのを以て、良将とする。今はとても遁れぬ所ぞ。相構え

て卑怯な振る舞いをするではない。敵に笑われるな。と、仰せられければ、御伴の兵共は、何ゆえ

に穢びたる行為を致そうか。と、申して、御前に立ち、敵の大勢で攻め上った坂の中頃まで下り向

う。その勢は僅かに三十二人、これ皆一騎当千の兵(つわもの)とは言えども、敵五百余騎に撃ち合

って戦うべき様も無かった。

        野長瀬兄弟が 宮を 救う

 寄せ手は楯を雌羽(めんどりば、雌が羽を重ねて畳む如くに重ねて並べる事)に付き並べて、楯



赤旗三流れ、松の嵐に翻して、その勢六百騎が程、駆け出でたり。

 その勢次第に近づくままに三手(三隊)に分けて鬨の声を挙げて、玉置(たまぎ)の庄司に相向か

う。

 真っ先に進んだ武者が大音声を挙げて、紀伊の国の住人・野長瀬(のながせの)六郎、同じく七郎

その勢三千余騎にて大塔の宮の御迎えに参る所に、忝くもこの君に對(むか)い参らせて、弓を引き



 ただ今滅ぶべき武家の逆命(ぎゃくめい、暴虐な命令)に従って即時に運を開かせ給うべき親王に

敵対申しては、一天下の間、いずれのところにか身を置かんとする。

 天罰は遠くない、これを鎮める事こそは我らが一戦の内にある。余すな、漏らすな、皆殺しにせ

よ。と、おめき叫んでぞ懸ったのだ。

 これを見て玉置の勢の五百余騎は叶わないと思ったのであろう、楯を棄て旗を巻いて忽ちに四角

八方に逃げ散じた。

           宮の御感 北野天神の霊験

 その後、野長瀬兄弟は甲を脱ぎ、弓を脇に挟んで遥かに畏まった。

 宮の御前近くに召されて、山中の体たらく、大儀の計略叶い難かる間、大和・河内の方へ打ち出

して勢力をつけるために、進発せしめる所に、玉置庄司のただ今の挙動(ふるまい)、當手(とう

て、大塔の宮の手下の兵)の兵、万死の内に一生も得難しと思いつるに、不慮の扶け遭う事は天運

が猶頼みあるに似たり。

 そもそもこの事をどうして知って此の戦場に駆け合わせて、逆徒の大軍を靡かしたのであるか、

と御尋ねあったので、野長瀬は畏まって申しける。

 昨日の昼頃に、年十四五程に候し童子で名をば老松(おいまつ)と言うと名乗って、大塔の宮は明

日に十津河を御出であって小原にお通りあられるが、一定(きっと)道にて難に合わせ給いぬと覚え

るぞ。志あるものは急いでお迎えに参れ、と触れ廻り候つる間、御遣いぞと思いて参りました。と

ぞ申しける。

 宮、この事を御思案あるに、ただ事に非ずと、思召し合わせて即ち開きて、御覧遊ばすと、北野

天神の御神体を金銅にて鋳参らせたる、その御眷属、老松の明神の御神体が遍身から汗をかいて御

足には土がついているのが不思議である。

 さては、佳運が神慮に叶えり。逆徒の退治は何の疑いもないぞ。とて、それより宮は槇野上野房

(こうずけのぼう)聖賢が拵えた槇野の城にお入りありけるが、是も猶分内(地域内)が狭ければ悪い

であろうと御思案ありて、吉野の大衆を語らわせなされて、安善寶塔を城郭に構えて、岩を切り通

す吉野河を前に当てて、三千余騎を従えて立てこもられたと聞こえた。

        巻  第  六
           民部卿 三位局 御夢想の事
          後醍醐天皇方の旧臣 宮女の悲嘆

 それ年光が止まらざることは奔箭(ほんせん、走る矢)下流の水の如し。哀楽互いに替わることは

紅栄黄落樹(春には赤い花が咲き、秋には葉が黄ばみ落ちる)のに似ている。

 しかれば、この世の中の有様、ただ夢とや言わん、幻とや言わん。憂喜共に感じれば、袂の露を

催す事今に始まらずと言えど、去年(さるとし)九月に笠置城が破れ、先帝が隠岐の国に遷されさせ

給いし後は、百司(はくし)の旧臣が悲しみを抱いて所々に籠居し、三千の宮女は涙を流して面々に

臥し沈みなされている有様は、誠に憂き世の中の習いとは言いながら、殊更に哀れに聞こえるのは

民部卿三位局に留めている。

        民部卿三位局 北野神社に祈り 示現を蒙る

 それを如何にと申すに、先朝(先帝)の御寵愛浅からざる上に、大塔宮の御母堂にて渡らせ給うの

で傍(かた)えの女房・后は花のあたりの深山木が色香もなげな風情であるよ。

 然るを世間が静かならざりし後は、萬に引き換えたる(全く様子が違った)九重の内の御住居も定

まらず、荒れのみ勝る波の上に舟を流した海女の様な心地がして、寄る方もない御思いの上に打ち

添えて、君は西海の帰らぬ浪に浮き沈み、涙は隙ない御袖の気色と承りしかば、空しく万里の暁の

空に思いを傾け、宮は又南山の路なき雲に踏み迷わせなさえて、狂浮(あこがれ)たる御住居と聞こ

えるが、書を三春(春の三か月)の暮の雁に託すことは出来ない。

 彼と言い、是と言い、ひとかたならぬ御なげきに青絲の髪疎かにして、何時の間に老いは来たの

だろうかと怪しまれ、紅玉の膚(はだえ)は消えて、今日を限りの命ともがなと思召しける御悲しみ

の遣る方なさに年頃の御祈りの師とも、御読経・御撫で物などを奉りける北野の社僧の坊に御坐し

まして一七日参籠の御志ある旨を仰せられければ、この折節、武家の間にも憚りも無くはなかった

が、日頃の御恩も重く、今程の御有様も御痛わしければ情なしは如何と思われて、拝殿の傍らに僅

かなる一間を拵えて、尋常の青女房などが参籠したる体にて置き奉りける。





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最終更新日  2026年03月05日 15時47分51秒
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