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戦場の薔薇
第二話「熱砂に咲く紅い華」
風に波打つ熱砂を泳ぐように、それは現れた。
「…ターゲットとの距離算出…。接触まで、約97秒…」
コックピットに囁くようなティリアの声。
褐色の波を掻き分け、迫り来る機影をモニターは捉えていた。
数は五つ。いずれの反応も守人が好んで操るTP「クリムレア」だ。
「始めよう…」
「…メインエンジン始動。ケルベロス、イグニション…」
全長15メートルはあろうかという黒い鋼の巨体が唸り、まるで人の体のように滑らかな動きを見せ始めると、もう目と鼻の先にまで接近しているクリムレアに向かって構えをとった。
「…なぜ、待っていた…。これだけの時間があったのだ。逃げる事も出来ただろうに…」
100メートルほど距離を空け、停止したクリムレアの一機から届く通常回線での通信。おそらくそれは、隊長機であろう角付きのTPから送られて来たものだろう。
その言葉には、残念とも思える「想い」のようなモノが感じ取れた気がした。
「答えてはくれまいか?…少年」
初めは、答える気など無かった。しかし、言葉の意味を反芻する内に、なぜか答えなければならないような、そんな気がして、無意識の領域で言葉を発していた。
「…それが、オレの任務で「戦う理由」にも繋がるからだ…」
「信念…なのか?」
「いや、違う。…けど、そうしなければ、救われない命もあるんだ…」
俯き加減の表情に影を落とし、タクマはそう言った。
しかし、直ぐに向き直った少年の目は、再び戦う覚悟に満たされていた。
「…無駄話はここまでだ。敵同士であるオレ達に、互いを知る必要も意味もありはしないだろ」
「そうか。…いや、そうだな。知れば、躊躇いも生まれよう…」
隊長機が構えると、それにあわせて、隊は揃い武器を手に取った。
「このエド・ランバルト。隊長の任を預かっている以上、手は抜けんぞ」
「当然だ。楽をしようだなんて思っっちゃいない。…初めからな」
背から取り外したアサルトライフルを右手に握り、左手をバックパックへと伸ばす隊長機。
「…行くぞ、少年!」
合図と共に動き出すクリムレアの部隊。
それぞれが決められた陣形に沿った行動をとっているのか、統率のとれた動きで瞬く間にケルベロスを囲い込んで行く。
「…律儀だな。加えて、教科書通りの戦術か…」
多数が少数の敵と対峙する時、最も効率の良い作戦は「包囲殲滅」である。
しかし、既に包囲されているというのに、少年の表情には焦りなど少しも無かった。
「間違いない。アンタは有能な指揮官だ。…けど、今度ばかりは相手が悪いっ」
「ムッ!?」
ケルベロスに集中砲火を浴びせようと、クリムレア等が銃口を向けた一瞬だった。
そこに在った筈の姿が、背景に溶け込むようにして消えてしまったのだ。
「しまった、光学迷彩かっ!?」
しかし、気付いた時には既に遅く、次にケルベロスが姿を現したのは、隊員のクリムレアの頭上だった。
「上だ、リッキーッ!」
「速…っ!」
ゼロ距離から頭部を撃ち抜かれるクリムレアの一機。脳天から走った閃光は両足の間から抜けて地面にまで達していた。
ドンッ!
膝から崩れ、倒れると同時に爆発炎上するクリムレア。
その炎の奥で悠然と立ち上がったケルベロスは、赤く燃え盛る眼を輝かせていた。
「馬鹿な…っ」
ケルベロスの動きは、まるで曲芸のようだった。
前宙から捻りを加え、蝶のように舞いながら逆さ向きで弾丸を放って行ったのだ。
「リッキーッ!?」
「な、何だ今のは…っ!」
「あれが、TPの動きかっ!?」
数十トンもの重量を持つTPが、バーニアも使わずに空中を舞い、曲芸紛いな動きで味方機を撃墜した。そんな光景を目の当たりにしたのだから、驚きも尋常ではなかっただろう。
しかし、タクマ達にとって、そんな事は朝飯前の行動だった。
「呆けてる暇は無い。…死にたいのか?」
「なにっ!?」
あまりの事態に集中力を欠いた白服のクリムレア。
そのメインカメラが捉えていた筈のケルベロスは、もうそこには居なかった。
「ヒッ!」
足元へと滑り込むように飛び込んだケルベロスは、異常に低い体勢からバックパックへと手を伸ばし、そこから刃渡りの長いコンバットナイフのような武器を取り出した。
「戦場では、集中力を欠いたヤツから死んで行く。…常識だ」
「ぐぁあああああっ!」
下方から抉り込むようにクリムレアの胸部へと突き刺さるブレード。コックピットブロックだけを破壊されたその機体は、火花だけを散らせながら爆発する事も無く地面に崩れ落ちた。
「…数なんてのは無意味だ。オレ達は、たった一機でも戦局を変えられるんだよ…」
タクマのそんな一言を挑発のように捉えてしまった白服の一人が、逆上して声を張り上げた。
「リッキーだけじゃなくロメオまでも…っ小僧ぉ、よくもーっ!!」
「よせ、陣形を崩すなっ!」
慌てて制止の声をかけるも、怒りに我を忘れた兵士の耳には届かなかった。
ケルベロスに向かって闇雲に飛び掛るクリムレアだったが、そんな大振りな攻撃が掠る筈もない。
サイドステップで容易に交わされ、体勢を崩したその背に、ケルベロスは銃身の長いハンドガンの銃口を向けた。
「仲間の死で冷静さを失う。気持ちは理解出来ないでもないが…、それもタブーだ」
躊躇い無く弾かれる銃の引き金。
ドンッ!
追い討ちを受けるように地面に叩き付けられ、爆破されるバックパック。その余波がパイロットまでも焼き殺したのか、倒されたクリムレアはそのまま動かなくなった。
「ほんの数秒で、三機も撃墜された…。それを、あの少年がやって退けたと言うのか?…あの少年がっ?」
白服の隊長は愕然としていた。その圧倒的戦闘能力で次々と味方機を撃破しているのが、先ほどまで言葉を交わしていた「あの少年」だとは、信じられなかった。
その現実の中で、彼は己の言動を恥じ、後悔の念すら抱いていたのだろう。
「何故、逃げなかったのか」初めにそう尋ねたのは、勝利を確信し、自分の手が未来ある次代の子の命を刈り取る事になるという想いからだった。…が、今という状況はどうだろうか。
追い詰められているのは自分達の方で、それがただの慢心であった事を思い知らされている。
男は血が滲むほどに、唇を強く噛み締めた。
「私の甘さが、この結果を招いたというのか…。クッ!」
構えを改め、気持ちを切り替えたランバルトは、冷静にケルベロスの分析を始めるのだった。
「…光学迷彩を施された隠密性の高い機体。そして、異常な運動能力と機動性。それに加え、近接戦闘に特化した兵装と………っ!」
ハッとした彼の目に飛び込んで来たモノ。それには覚えがあった。
「黒い彩色にケルベロスのエムブレム…。…まさかっ!?」
出撃直前に目を通した報告書。その中に、全く同じ記述があった。
守人の中で、ここ数ヶ月の間に国境警備や撃墜艦の調査に出た幾つもの部隊が突如として消息を絶ち、現場から発見されるのは、尽く破壊された友軍TPの残骸のみ。そして、その現場付近には、必ずといって良いほど、ある存在の目撃情報が報告されていた。
「胸部に三つ首犬のエムブレムが描かれた黒いTP」それは、今まさに目の前に立っている公国軍TPそのものだった。
「…公国軍の黒い妖犬…っ!?」
たった一機でも戦局を左右するほどの戦闘能力を有するエースクラスパイロット。その中でもトップエースとして認証される者には、さまざまな意を込めた「字」が与えられる。
「公国軍の黒い妖犬」とは、ケルベロスとそのパイロット「タクマ・イオリ」に付けられた字だった。
「フッ…そんな風に呼ばれているのか、オレは…」
皮肉な笑みを浮かべ、タクマはそう呟いた。
「冗談じゃない…。タクマ・イオリといえば、我が軍のTPを既に100機以上撃墜している化け物ランカーですよっ!?…それが、あんな少年だなんて…っ」
「プロジェクトTAC…。そうか。噂は本当だったのだな…」
ランバルトには、もはや戦う気力など無かった。
運が無かったのだと、半ば諦めかけていたのだ。
だが、そんな彼の前に歩み出たのは、隊の中でも最も若かった最後の部下だった。
「ム…?」
「黒い妖犬が相手では、勝ち目がありません。…隊長は、逃げて下さいっ」
「!?」
「自分がここで、ヤツを抑えます。その隙にっ!」
「馬鹿な事を言うなっ!…死ぬ気か、アルベルト!?」
アルベルトはヘルメットを脱ぎ捨て、汗が滲んだ髪を掻き上げると、モニターに映るランバルトにその想いを語った。
「隊長は、こんな所で終わる人じゃない。…生きて、敵前逃亡と罵られても、必ずや何かを成しえる事の出来る人です。…ならば、今死ぬべきはアナタじゃない。そして、その為の礎となる事が出来るのなら、自分は本望ですっ!」
「アルベルト…。…いや、そんな事が出来る筈はないっ!考え直せ、アルベルトッ!」
その言葉は、確かに彼の耳に届いていた。しかし、モニターの向こうに敬礼したアルベルトは、覚悟を秘めた瞳を見開き、単身ケルベロスへと向かって飛び出した。
「…それが、あの人の為になるのなら、この命など、少しも惜しくはないっ!」
「戻れ、アルベルトォーッ!」
「うおおおおおおおおああああああああああああああっ!!」
踏み出し、手を伸ばしても、アルベルトを引き止める事は出来なかった。
左右両手にナイフを掴んだクリムレア最後の一機は、無謀とも思える大振りな動きでケルベロスに襲い掛かる。
「死にたがりが…」
タクマはそう呟くと、軽々とした動きで身を翻し、アーミーナイフのブレードを腹部目掛けて振り払った。…が、しかし…
ガキンッ!
「っ!?」
何かにぶつかったナイフのブレードは、クリムレアのコックピットから僅か下方にズレて抉り込んでいた。
「かかったな、黒い奴!」
「ライフルの銃身を盾に威力を軽減したのか…。だが、そんな機体では、もうロクに動けはしない…」
「元より死は覚悟の上!…だが、これで貴様の動きは封じたぞ!」
「…なに?」
辛うじてナイフの直撃は避けていた。しかし、破壊はコックピットの中にまで至り、アルベルト自身に相当な重傷を負わせていた筈だった。…が、滴り落ちる程の流血をも振り払い、その赤く染まった視界でクリムレア腹部に突き立てられたナイフを強く握り締めた。
「っ!?」
「ぐぅはぁっ!!」
アルベルトは、その手に力を込め、突き刺さったブレードをより深くにまでその身に押し込んだ。
そして、ケルベロスの頭部に腕を回し、出力を限界にまで引き上げて身動きを封じたのだ。
「隊長っ!今の内に、早くっ!」
「…クッ、これが、慢心の代償だというのか…ゥオオオオオーッ!」
後ろ髪惹かれる想いを振り切り、アルベルトとケルベロスに背を向けるランバルト。
「アルベルト。仇は討って見せるぞ、必ずだ…っ!」
全速力で後退して行く隊長機。その後姿を見送って、アルベルトは小さく微笑んだ。
ドォンッ!
直後、炎を上げるクリムレアのコックピットブロック。彼の死は確実な物になった筈だった。…が、しかし、パイロットを失い、動く事など出来るワケがないクリムレアの体は、一向に力を弱める事なくケルベロスを抑え付け続けた。
「…わからない…。どうして…?」
「信念…。いや、「想い」なんだろうな…」
「…?」
原因不明の力に阻まれ、それ以上の追撃は不可能だと肩を落とすティリア。
だが、一方のタクマは、何処か遠くを見るよう目で呟いた。
「…何時まで繰り返せばいい…。教えてくれ、セツナ…」
その言葉は虚空に滲み、ティリアの耳にさえ届かず消えた…。
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