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戦場の薔薇
第十五話「クルシェ」
エンデュミオン艦内医療区画/特別治療室
真っ白な壁。真っ白な天井。真っ白な床。
白一色で統一された、清潔感の漂う病室。そこは個室の病室らしく、白いシーツを掛けられた衣料用ベッドが一つあるだけだった。
他にある物と言えば、ベッド脇に小さな戸棚が一つと、その上に乗せられた一輪挿しの花瓶だけ。
活けられた黄色い一輪の花は、寂しそうにベッドの上で眠る一人の少女を見下ろしていた…。
「…そういえば、オレ達に気の休まるような暇は無かったな。ティリア…」
彼女が撃たれてから今に至るまで、その少年は一睡もせずに看病を続けていた。
他の者が代わろうと言っても、それを拒否し続けたのだ。
パイプ椅子に腰掛け、ベッドに寄り添いながら、ティリアの手を優しく包んで握る少年。
「………………………」
黙ったまま、眠り続けるティリア。だが、心なしか、彼女の表情は柔らかかった。
「この数ヶ月、短かった筈なのに、ヤケに長く感じるよ…。オマエはどうだ…?」
答えるわけがない。それは、分かっていた。しかし、彼はこうして、眠り続ける彼女に語り掛け続けてきた。
それが、彼女を目覚めさせる唯一の方法だったからだ。
何かを思い、俯く少年。その背中は、他人から見れば、とても辛そうだった。
「…痛々しいな…」
少年には聞こえない小さな声で、ヴァネッサは言った。
病室のドアが少しだけ開かれていて、その向こうからコッソリと中の様子を覗き込んでいたのだ。
「タクマのヤツ…、もう丸二日間、一睡もしてねぇんだ…。代わるって言っても、絶対に首を縦に振らねぇ…」
ヴァネッサと同様に、ベリオもまた彼を心配してその場を訪れていた。
しかし、今の彼等に出来る事などそう多くはなく、選んだ選択肢は、結局、ただその場を後にする事だった。
「歯痒いな…。何もしてやれとは…」
「理解したつもりでいたけどさ…、やっぱ違うんだろうな…。アイツ等の心の痛みとか…、そういうの、分かってやれてねぇ気がする…」
額を掌で覆い、悲しげな瞳でそう語ったベリオ。ヴァネッサにも、その気持ちは痛いほど良く伝わっていた。
…あの惨劇から丸二日。
未だ癒えないティリアの傷は、タクマを苛み続けていた。
その頃、隊の全指揮権を握るマクシミリアンは、エンデュミオンの格納庫において、状況把握を行うべく奔走していた。
解体されたタクマ達のTP。
完全に分解され、細部の修理と調整を行う数十人の整備員達。
パーツを結束し、引き上げるクレーンの音と溶接光。
工業油の臭いが充満したそこは、格納庫というよりTP用のドックと化していた。
そんな作業用車両が行き交う中で、老人に書類の束を手渡されるマクシミリアン。それに一通り目を通し、彼は渋い顔をする。
「オーバーホールが必要か…。この状況下で追撃など受けては、一溜まりもないな…」
「じゃが、何れにせよ状況は変わらんよ。修理しなければ、動かせる機体などただの一機も無かったからのぉ」
先の戦闘の影響は、こんな所にも深い傷跡を残していた。
それは、無理も無い話しだった。
数百機というレーヴェの大部隊を相手に、たった四機のTPと戦艦一隻だけで戦い抜いたのだ。生き残っているだけでも、奇跡に等しい状
況と言える。
しかし、マクシミリアンが危惧する通り、隊の状態は切迫していた。
エンデュミオンの弾薬庫は底を着き、タクマ達のTPは被弾した装甲や間接駆動系に甚大なダメージを受け完全分解しての修理が必要。
言ってみれば、現状ホーリークロスの戦闘能力は皆無に等しかった。
「やはり、一度本国に帰還し、補給を受ける必要が…」
彼がそう結論い達した時だった。
ゴォォーーーーーーンッ!!
顔面を横から殴り付けられたような衝撃に、マクシミリアンはバランスを崩した。
「な、なんだっ!?」
衝撃を受け、床に這い蹲っていたのは彼だけではなかった。
強く腰を打ち付けたのか、傍らに立っていた老人も床の上で四つん這いになって腰を摩っていた。
「あだだだだ…。いったい何事じゃっ?」
キョロキョロと周囲を見回す二人。すると、格納庫の中も酷く荒れてしまっていた。
倒壊したコンテナ。作業車両の二台から落ちてきたTP用の修理パーツ。クレーンに繋がれたままの頭部ユニットは、未だユラユラと空中
で揺れ動いていた。
幸いにも機材の倒壊による怪我人は出ていないようだったが、その状況を見れば何があったかは容易に想像出来た。
「爆発…いや、被弾したのかっ?」
その予想通り、ブリッジではクレイブの怒声が響き渡っていた。
「被弾箇所を報告しろ!オペレーターは何をやっている!?」
「そ、それが、レーダーには何の反応もっ!」
「何だとっ!?」
慌てた様子でルチルがそう切り替えした。
彼女の言うとおり、レ-ダーには何の反応も表示されてはおらず、彼女自身が最も驚いたようだった。
しかし、機転を利かせたもう一人のオペレーターがコンソールのキーをカタカタと弾く。
「レーダー、有効範囲拡大。広域索敵に切り替えます…こ、これは…っ!」
エミリーが見つめるレーダーの網。そこに、ポツンと一つだけ、小さな反応が探知された。
「どうした、エミリー?報告は、迅速且つ的確に行え!」
「す、すみません!左舷後方50キロメートルに敵TP反応!」
そう報告するエミリーに続き、ルチルが言葉を繋げる。
「数は…1っ!?み、未確認タイプのTPですっ!」
索敵報告を聞いたクレイブの表情が凍り付いた。
たった一機のTPによる超長距離攻撃。それが、異常な攻撃手段である事は言うまでもなかった。
しかも、迎撃能力を持たない今のエンデュミオンには、対処する術も無かったからだ。
「敵は、コチラの射程外から本艦を攻撃している模様!」
「クッ…敵影、捕捉出来ません。艦長!?」
火器管制官のジョニーとマサトがほぼ同時にそう告げる。だが、クレイブは判断に迷っていた。
現状の戦闘能力では到底勝ち目が無い。ここは逃げるのが定石なのだろうが、それだけの推力を残してさえいなかったからだ。
「えぇい…万事休すとは、正にこの事か…っ!」
自身が座る艦長席の肘掛を、固めた握り拳で思い切り殴り付けるクレイブ。
今、彼に出来る事は、少しでも長く自分の預かる艦を守る事だけだった。
「フランツ、艦を左右に揺さぶれ!少しでも敵からの的を逸らせるんだ!」
「とっくにやってますよ!けど、思うように舵がとれないんだっ!!」
操舵士のフランツが感じた艦の違和感。その理由は、直ぐに明らかになった。
「ウソ…っ、機関部に被弾っ!?」
「そんな…っ、推力が上がらないっ!」
オペレーターの二人に知らされる艦が受けた被害報告。それは、絶望的な物だった。
「な、なんて事だ…。真っ先に足を止められるとは…っ」
もはや、出来る事などなかった。諦めにも近い想いで、通信機の受話器を握るクレイブ。
それを受けたのは、格納庫のマクシミリアンだった。
「機関部を損傷しただとっ!?」
『申し訳ありません…。もっと早くに、敵の接近を察知出来ていれば…っ』
声色から、絶望的状況である事は直ぐに判った。だが、その時、若干の疑問が頭を過ぎる。
「…妙だな。何故、続けて攻撃して来ない…?」
『…と、申されますと…?』
「コチラに反撃する隙など与えてどうなる?…私なら、直ぐに第二波を仕掛け、即時決着へと持ち込む所だが…」
確かに奇妙だ。と、クレイブも感じた。
第一波から随分と時間が経過しているというのに、敵は一向に第二波を行う兆しが見られない。
つまり、考えられる理由は二つ。
「第二波を掛けられない理由…」
「…それは、コチラを誘う罠か」
「もしくは、弱った獲物を前に、遊んでるか…ってトコだろ」
そこへ現れ、会話に割って入ったのは、ヴァネッサとベリオの二人だった。
「やはり、お前達もそう思うか?」
「当然だな。超長距離砲撃で敵艦を叩くとして…、少なくとも俺なら、確実に仕留められるだけの装備を整えてから、万全を期して出撃す
るだろうぜ」
「同感だな。…で、なければ、とっくにこの艦は沈められている筈だわ」
その考え通り、エンデュミオンに攻撃を仕掛けた相手は、宙域に留まったままで「待ち人」を待ち続けていた…。
「フフフ…ッ。さぁ…、早く出て来てよ…。タクマ兄さん…」
薄ら笑みを浮かべ、そう呟く少年。
コックピット内の鈍い緑色の光りが、それをより一層不気味に思わせる。
彼の思惑は単純明快。先の第一波により、迎撃に出て来るであろうタクマを正面から叩き潰す事だった。
陽光に照らされ、闇の中に浮かび上がる機影。その戦車のような外観と巨体。薄茶色の装甲色。クルシェをパイロットに持つTAC専用機
エウリノームである。
バックパックと一体になった太く長い砲身を持ち、両肩両脚に八連装ミサイルポッドを装備。更には、両手に三連ガトリング砲を持ったそ
の様は、まさに重戦車を思わせた。
「…兄弟なら、感じて見せてよ…。兄さんっ!!」
カッと目を見開き、そう叫ぶクルシェ。
その強過ぎる念は宇宙を駆け抜け、彼の脳裏に感覚を焼き付けた。
「っ!」
一瞬の痛みが頭部を走る。
ティリアの病室で看護を続けていたタクマだったが、その威圧感に思わず立ち上がってしまった。
「…呼んで…いる?」
そう感じたのは事実だった。
実感は無いが、確信は持てる。…そんな不可思議な現象だった。
近しい存在同士だからなのか。それとも、強い念の力が想いを通わせたのか。非現実的とも思えるその現象を、タクマは鋭い精神的感覚で
体感していた。
「…うっ…うぅ…っ」
「ティリア…ッ?」
突如、腕の中で苦しみ出すティリア。
先ほどの攻撃によるショックからか、彼女は悪夢に魘されているようだった。
「そうか…。ヤツが、お前の眠りを妨げているんだな…」
エウリノームの砲撃による衝撃で、ベッドから落ちかけた彼女の体を抱き上げ、再びベッドの上へと優しく寝かせるタクマ。
薄手のシーツを彼女にかけると、彼はティリアに別れを告げる。
「…今度は、オレがお前を守ってやる…」
ゆっくりと歩き出し、部屋を出て行くタクマ。そして、向かった先はTPが格納されている格納庫だった。
慌しく走り回る整備員達。その中を、ただ一人で悠然と歩いて行く。
「…ん…お、おい、タクマ!お前、何処行く気だっ!?」
「…………………………………」
偶然にその場を通り過ぎるタクマ。
ベリオやヴァネッサ。そして、マクシミリアンが居る目の前を素通りしようとした彼だったが、その腕を誰かがつかんだ。
「TPは出せんぞ、坊主!」
「…ケン爺…?」
タクマの腕をつかんだのは、ケン爺ことケンゾウ・ジモンだった。
その老人の視線を追うタクマの目に、分解されたケルベロスの姿が映る。
「…先の戦闘で受けたダメージが見た目以上に深刻だったんじゃ。…人工筋組織の損傷が激し過ぎる。他の機体も、皆同様じゃ…」
「俺等も出撃しようと来たんだがな…。この有様さ」
「出撃可能な機体は、先に奪取した、あの試作運用型レーヴェ一機のみなのだそうだ…」
ベリオとヴァネッサも頭を抱えている様子だった。
しかし、タクマは迷わず再び歩み始める。
「お、おい!話し聞いてなかったのか!?」
「動かせる機体は無いのだぞ!」
ベリオとヴァネッサにそう止められるも、やはり歩みを止めないタクマ。すると、彼の視界に大きな影が立ちはだかった。
「レーヴェで出撃するつもりか?イオリ特尉」
「動ける機体がそれしか無いのなら、オレはそれで戦うまでだ…」
目を合わせる事もなく、タクマはそう答えた。
「無謀だな…。ロクな装備もしていない試作型TP。しかも、まだ分析が完了していない敵軍の戦闘システムが搭載された機体で出撃する
などと…。犬死するだけだぞ?」
タクマの肩を掴み、そう説得を試みるマクシミリアン。
彼が言った通り、それは無謀な試み以外の何物でも無かった。
武装など近接戦闘用の実剣が一振り。それと、MXR-333という量産性の高いTP用小型ハンドガンが一丁だけだった。
しかも、THMとかいう得体の知れない戦闘用脳波コントロールシステムまで組み込まれており、最悪の場合、出撃してもロクに動かす事さえ出来ずに撃墜されてしまう可能性が高かったからだ。
だが、そう説明した所で、彼の気持ちは微塵も揺らぐ事は無かった。
マクシミリアンの手をゆっくりと払い除け、その脇を通り抜けるタクマ。
「…それでも、守りたいモノがあるんだ…っ」
「……………………」
それ以外に、タクマを納得させるだけのセリフを言える者は居なかった。
皆が一様に口を噤んでしまう中、ただ一人、一機だけ隔離されたように放置されたレーヴェへと向かうタクマ。
「止さんか!死ぬ気か、小僧!?」
そう叫び、最後の制止をかけるケンゾウ。しかし、それが無駄だという事は、彼にも分かっていた。
「…無駄だよ。爺さん」
「ぐ、ぬぅ…っ」
無理にでも止めようと、老体に鞭打って駆け出すケンゾウ。だが、その肩をベリオにつかまれ、走りを止められてしまう。
「任せるしかない…。今は、アイツに賭けるしか…」
ヴァネッサも口惜しそうに言葉を紡ぐ。だが、それに意外な返答を返したのは、他でもないマクシミリアンだった。
「…いや、出来る事ならある筈だ」
「…??」
全員が顔を見合わせ、怪訝な表情を浮べる。
しかし、その答えが語られる前に、タクマが乗り込んだ試作型レーヴェのコックピットハッチが閉じられた。
「…操縦システム自体は、グリフォンと大差無い。…行けるっ」
タクマは操縦桿を握り、両脚で左右のペダルをゆっくりと、だが強く深くにまで踏み込んだ。
操作にあわせて起動するコックピットシステム。同時に、命を吹き込まれたように連動して動きを見せ始める機体。
カタパルトデッキに向けて、一歩、また一歩と歩を進め、機体をデッキ直通のエレベーターシャフトに固定するタクマ。
「ハッチを開けろ。出るぞ」
『え…、タクマ君!?』
『どういう事?出撃許可は下りてないわよっ!?』
取り乱すオペレーターの二人。だが、直後にマクシミリアンから直通の通信が入った。
『かまわん。特尉を出してやってくれ』
「は、はい、了解しました!」
慌ててカタパルトのスタンバイを始めるルチル。そして、デッキへとタクマの乗ったレーヴェが到達した時には、出撃準備は滞りなく済ま
されていた。
『タクマ君、気をつけて…。タクマ・イオリ機、プロトレーヴェ。どうぞ!』
「…タクマ・イオリ。プロトレーヴェ、出るっ」
カタパルト内部のシグナルランプが赤から青に点灯し、同時に、デッキを滑るように、高速でエンデミュオンから射出されるプロトレーヴ
ェ。
「…望み通り、出て来てやったぞ…。姿を見せろっ!」
タクマの怒号と共に青白い光りを放つプロトレーヴェ。ディープブルーに着色された装甲が陽光を弾いて煌くと、その輝きを目に笑みを浮
べた少年は呟いた。
「…ようやくお出ましだね。…はじめまして、僕の兄さんっ!!」
急激に変貌する少年の表情。正気とは思えない不気味な笑みを浮かべ、エウリノームの操縦桿を目一杯に倒し込むクルシェ。
互いがバーニアの出力を最大にまで引き上げ、50キロという距離をあっという間に縮めて接触する。
ガギシャッ!!
両の手で実剣を握り、頭上から振り下ろす、必殺の斬撃を繰り出すタクマのプロトレーヴェ。
だが、それをいとも容易く椀部装甲で受け止めるエウリノーム。
ぶつかり合った力が拮抗し、その状態のままで接触部分から火花を散らせる両者のTP。
「無駄だよ。その程度の攻撃じゃ、僕のエウリノームには傷一つ付けられやしないっ!」
『…邪魔は…させない…っ』
「…?」
初めて耳にした兄の声。だが、その意味不明な言葉に、クルシェは小首を傾げた。
しかし、次の瞬間…。
「ティリアの眠りを…。アイツの…安らかな時間を…。邪魔したのは…、貴様かぁぁぁああああああーーーーーっ!!!」
「な、なっ!?」
ビクッと体を震わせ、顔を強張らせるクルシェ。
機体としてのパワーでは、明らかにエウリノームの方が上の筈だった。なのに、現実ではプロトレーヴェの圧力に圧倒され、弾き飛ばされてしまっていた。
一瞬、恐怖にたじろぐクルシェに、タクマは言い放つ。
「…貴様を、壊す…ッ!」
静かに、だが低く重厚な声色でそう告げると、ギラギラとした獣のような目を光らせ、クルシェを威嚇するタクマ。
だが、一方でクルシェは、頬に冷や汗を伝わせながら、口元には薄気味悪い笑みを浮べていたのだった…。
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