時の旅人

時の旅人

その19


 スクーリングで財布もかすかすだから今年はどこへも出かける予定はない。
「八月十六日は出てきてくれないか」学習センター指導員から誘われていた。通信教育部は主だった都市に場所を設け、学習センターを設置している。原則として卒業生の中から指導員が委嘱され、月に二回ほどの開所日に常駐して学生の助言にあたることになっている。
 秋田市の中心部に秋田県生涯学習センターと言う公共施設があり、日大通信教育部の秋田県学習センターもそこに設置されている。月二回県南部から指導員がやってくるが、学生の来館は皆無に等しくいつも閑古鳥が鳴いていた。
 入学当初から勉強場所として利用していた僕は顔を出すと、いつも指導員は歓迎してくれて時には昼食を御馳走してくれる。今年の六月に学友会の総会を開催したが、約五十人ほどいるはずの県内在住の学生はほとんど姿を現さず、成り行きとはいえ厄介な荷を背負ってしまったものだと正直言って頭を痛めた。断っていれば学生生活も違っていただろうか。
 それにしても、なおも旧態依然とした組織運営が必要なものか。大学の学生課も早く実態を把握してくれればいいのにと何度思ったことだろう。
「お盆だし、学生は来ないだろうけど、俺は来るから、よかったらスクーリングの報告にでも」との誘いに、旧盆でなくとも学生など来やしないと思いながら一応出向く予定にしていた。
 前夜からの雨は止んでいたが、生暖かい風がまだ吹き荒れていた。幸いにも会館前に駐車スペースが残っていたので、素早くそこに車を停めてセンター内に駆け込むと、指導員は既に来館していてロビーで新聞を読んでいた。エレベーターで五階に行くと、この日は会館を借用する団体は他になく静まり返っている。借り受けている会議室に入ると机の上に荷物をドサッとおろした。
 しばし東京での話に花が咲いたが、やがて指導員は会館の使用に関する手続きのため二階の事務室に行くといい、会議室を出て行った。
 途端に静まり返った室内だが、その時になってやっと冷房が入り、唸り声が小さく響いた。他に訪問者はなさそうだ。間近に迫った教育実習の準備のため、文法書を広げていた僕は大きなあくびをした。指導員はなかなか戻ってこなかった。静けさに却って落ち着かず、苦手な英文法にも集中できず、演習の授業で使用したバインダーをめくった。ホーソーンの講義だけでもこんなに分厚くなっているか・・・。呟きながらめくってゆくと、ふと手が止まった。自分とは違う筆跡で文章が綴られているではないか。

「お兄さんへ
 大学での勉強はどうでしたか。あれからぼくは秋田に来ました。でも会えなかったね。
 ずーっと考えたけど、もしかしてお兄さんは未来のぼくじゃないかな。お兄さんの名前は鈴本隆っていうんでしょう。ぼくのお父さんの苗字も鈴本なんだよ。きっとそうにちいないね。
 もしそうなら、もう会えないかもね。だって、ぼく自身なんだから。少し、ざんねんだけど、でもぼくも未来があるってことがわかったから、安心しました。
 お兄さん、学校の先生になりたいんだよね。がんばって、やさしい先生になってね。ぼくもお兄さんに負けないくらいがんばるよ。
 お話しできて、とってもうれしかった。
           隆より」

 僕はあの時僕自身と対話したのだ。そのとき確信した。僕は唯物主義者ではないから目に見えない世界もあると信じている。しかし、自分の身に起こるとはだれも考えるまい。
 その時、人の気配がした。入り口のドア越しに指導員の姿が見えた。次の瞬間、過去の僕からのメッセージはまるで風に吹かれる砂のように紙面から消えていったのだ。

「鈴本君、もう誰も来ないから午前中で終わりにしよう。この近くで食事して解散だ。御馳走するよ。十二時になったら出よう」指導員は言った。僕も頷き、ふと外を見るとまた雨が降り出していた。

 正午を少し過ぎて、近隣の焼肉バイキングのレストランで昼食を御馳走になり、それから列車で買える指導員を秋田駅まで送り、そこで別れた。ほんのつかの間、学生の顔が見え隠れしたが明日からはまた仕事だ。約三週間後には、今度は一度も使ったことのない教師の顔になる。教育実習が待っているのだ。果たしてなり切ることが出来るか見当もつかないが、とにかくやらねば。そうだよな、隆君・・・。隣り合わせの空間にいるはずの自分に問いかけた。


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