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USM1さんComments
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仏果圜悟禅師碧巌録 巻第五
第六五則 外道、仏に有無を問う
垂示に云く、無相にして形れ、十虚に充ちて方広たり。無心にして応じ、刹海に偏くして煩しからず。
挙一明三、目機銖両。直得棒は雨の如く点り、喝は雷の似く奔るも、也た未だ向上の人の行履に当得せざる在。
且道、作麼生か是れ向上の人の事。試みに挙し看ん。
(垂示。特定の形に捉われず融通無碍にして、世界に遍在す。宇宙一杯に満ち満ちそれでいて余計な物は無い。機に応じて働き目先が効く。例え厳しい修業を積んでいるとして、尚向上に至らない。では向上の人とはどんな人か、試してみる。)
【本則】 挙す。外道、仏に問う、「有言を問わず、無言を問わず」。
世尊良久す。
外道讃歎して云く、「世尊の大慈大悲、我が迷雲を開いて、
我をして得入せしむ」。
外道去りし後、阿難、仏に問う、
「外道は何の所証有りてか、得人すと言える」。
仏云く、「世の良馬の、鞭影を見て行くが如し」。
(仏教以外の教えを信奉する人が、お釈迦様に教えを請うた。言語以外で私をお導き下さい、と。するとお釈迦様は、黙っておられた。其処でその問者は有りがたく感じられ、お釈迦様の限りない優しさが私のこれまでの迷いの雲を払ってくれた、と喜び勇んで帰って行った。其れを見ていた阿難陀(Aananda。釈尊の従弟。)は、彼は何を感じて納得したのですか、と、お尋ねすると、お釈迦様は、例えば、優れた馬は鞭を打たなくても走らなければならない時と感じれば、走り出す。そのように予見、想像力がたくましい彼は、私の所作を見て納得したのでしょう。と)因みに()内は私訳。
【頌】 機輪曾て未だ転ぜず、
転ずれば必ず両頭に走らん。
明鏡忽に台に臨むや、
当下に奸醜を分つ。
奸醜分れて迷雲開く、
慈門何処にか塵埃を生ぜん。
因って思う、良馬の鞭影を窺い、
千里の追風喚び得て回ることを。
喚び得て回らば、指を鳴らすこと三下す。
(有無以外の答えをと問われてそれに応えようとすれば、必ずどちらかに偏る答えに成る筈。天下に明鏡と云われる物でも影を写すと必ず白黒、美しいと醜いを写してしまう。全部が白或は美しく映すものではない。黒白が顕わされると、其処に思いが生じる。つまり悩みが生じる。それを思うと黙せざるを得ない。だからお釈迦様の優しさが黙す事になる。それを覚った問者は、ああ悪いことをしてしまったとお釈迦様の前から一目散にかき消える事になる。すたこらさっさと帰って行った、彼はなかなかの切れ者だ。)