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夢中で仕事した11月~3月が過ぎて、4月。今少し波が引いた感があり。波が引くと、いろんなことを思うようになり。。編集者としてはこの半年、結構楽しかった。ある意味、鍛えられた。自分のいまできること・できないことを確認することができた。そして、これからなにをどのようにしてスキルを積み上げていくかはまたまた見えなくなった。生活のためだけに働いていた頃からいま、そのわけやこの労働の行く先を考えられるようになったことは、幸せだと思う。
2008.04.17
今日からまた新しい仕事に取り組む。さぁどうなることだろう?昨日は、懐かしい先輩編集者の方から連絡があった。うれしかった。元気な声が聞けた。近々、ひさしぶりにかつてのホームグラウンド・表参道に出かけることに。これから、どうなっていくだろう。。いろんなことを考えて、秋の夜長、久々に眠れなかった。一日一時間この時を逃さず、大切に。楽しいことも、苦しいことも、すべて味わいつくそう。
2007.11.08
先週末、原稿がとうとう印刷所に入りました。8月の終わりから大いに悩ませてくれた、この仕事。28枚ほどの冊子でありながら、それを作るのがいかに大変か・・しばらくネットの仕事をしていて忘れてた紙の大変さを思い出しました。そもそもコピーライターでない自分が、今回初めて冊子全部のライティングをやり、力のなさを思い知りながらそれでも目の前の文字を作ることに費やした2か月間。「文章は書けば書くほどそれなりにうまくなっていくからやらないよりはどんどん仕事していった方がいい」パートナーの言葉にも励まされた。辛いこともあったけど、冊子を作るために取材した人たちから元気をもらって、「私もがんばろう」と蘇生もした笑。もう何十冊も雑誌や冊子を作ってきたけれど、作るのにこんなに何度も「できない」「もうだめ」と思った冊子はめずらしかった。↑たぶん、自分が企画にほとんどかかわってなくて、ライティングだけにかかわったからだと思うけど↑それでも、印刷所からあがってきたモノを見ると、うれしく、新鮮な気持ちで一枚、一枚、ページをめくるだろう。誤字をみつけて冷や汗!!となりませぬように・・。一人でも多くの人に、見てもらえるといいな。
2007.11.06
「お仕事第2章」について書きたいことが たくさんあるものの、現在進行形のため 書けないこともいっぱい。 「第2章」の生活も、はやいものでもう まる2年間。 来年春あたり、第3章かもしれないな、 なんて思いつつ、毎日をつらつらと過ごして います。 (他の仕事の経験もあるので)合計すると編集者 としての生活がもっとも長いのですが、 またここのところは正直ライターの仕事が多く、 「うわぁ、できねえ」とか思いながら、 そして「締め切りきらいだ」 と逃げ回りながら、数ヶ月すごしてきました。 ライターと編集者って全然別の仕事で、 求められるものも違うと思うのですが、 わかって依頼しているのか、 やる人がいないから回ってきているのか。 「編集」の仕事の中でも、私は仕事の組み立て 部分やまとめあげ、ページのコンセプトづくり を得意としているので、そこについ目がいって、 しきりが甘いとつっこみたくなる。 きわどいことを言うと・・一度ディレクターの編集者に 成り上がると、人から作られたものを「はい」 とおとなしくきっちりつくりあげることが難しいのかも。←私の場合。 相手が求めるものが分かれば、そのとおりに つくるけど、その仕事は肩が凝る。 その部分まで考えてよ、とまわされると 遠回りさせられて、結局勘違いだったという こともある。 編集者でありライターであるなんてできるの かなあ。 ライターってなんでも文字化すればいいって 仕事ではなくて、その人が得意とするテーマや 追求したい企画があるから成り立つ仕事だと 思うけど。 私は以前から自分がライターやるんだったら テーマがすっごく狭くなって、しかもお金に なるか分からない、 適性からいって編集だと思っていたんだけど。 でももうそんなの、古い考え方なのかなぁ・・。 媒体も変わっていってるし・・。 いまさらながら、自分の適性と方向性について 思い悩み中。
2007.09.25
私は、今年のお彼岸の日を間違ってしまったのだろうか・・。子供をスリングにいれたまま、おはぎを探して町中をめぐったが、ついにおはぎはみつからなかった。代わりにみつかったのが「月見だんご」。9月25日の今日は中秋の名月だとか?おだんごを買って、月でも見て食べてみようか。昨年の今頃、今住んでいるところに越してきた。鍵を受け取った日に、運河に浮かぶ月がとてもきれいだった。今年はこの部屋で、子供と一緒に家族で月見をしたい。一年前、今の自分を想像することができなかった。同じように来年の自分も想像できない。この町に越して、いろんなことがあった。いいことも、悪いと思っていることも、不思議なことも。だから美しい月を見て、幸せであることを感謝し、来年の「今日この日」をイメージしてみよう。
2007.09.25
5月に2か月ぶりに更新し、また2か月ぶりの更新です。あっというまにこのBLOG開設から2年間たっていました。いろいろ思うところ・感じるところ・変化もあって、取り扱うテーマも少し変えて、ネットの様々なトレンドも試してみたいと思い、別途新BLOGを本日OPENしました。開いたばかりということもあり、まだ文字ばっかりで読みにくい状態ですが、よかったらこちらもご訪問ください!「働くことと、育てること」
2006.07.28
夜眠れなくて、夜明けまでゲームをやったり。朝、なんともいえない違和感でめざめたり。これまでなんとも感じなかったことが急に鋭敏に感じられたり。思うと、目頭が熱くなるような思いがわきあがる。心はどんどん落ち着いていくけれど、身体で感じる感覚はどんどん変わり、外見もそれ以上にまた変わっていく。人間っておもしろいなあ、と思う。命の存在に気がついて、まる二週間が過ぎた。BLOGにも新カテゴリ「はぐくむ」を追加。このサイトにこれはミスマッチ?とうてい出産・子育て日記になれそうにない。
2006.06.22
今日は携帯から日記してみる!激調子ワルカッた日々から約一週間。あれはがらにもなく休みをとって海外旅行した反動だったのかなあ…。でももう無理しない、できないってすなおになれたからよしとしよう!昨夜は「レベッカ」を観た。なんつうこわさ!!ひえっとなった。血が出たり、怪物でるのもこわいけど、人間のこころがやっぱりいちばんこわいかも。
2006.05.17
まる二ヶ月くらい、日記をつけてませんでした。この二ヶ月間は移動中にmixiモバイルで日記を書いていることが多かったのでこちらはとんとごぶさた。失礼シマシタ。この二ヶ月の間、・まだ雪の北海道に行った(3月)。・仕事がゲキ忙しかった(4月)。・生まれて初めて中国・上海に行った(5月)。というニュースがありました。おいおい書いていこうと思います~。この二ヶ月間は、忙しすぎて毎日毎日がめまぐるしく不安定な感じ。毎日の〆きりに終われ、なんだか「こころ」を忘れてしまったかのような。こころと行動が一致しない(一致することがかなわないように思った)個人の気持ち的にはぽっかりとあいた空白期間でもありました。そんな時ってへんな話、ふだんの言葉もうまく出てこず、自分がなにを思っているか、なにをしたいかも良くつかめずもどかしい気ですごしていました。そんないそがしーっ状態でばたばたと仕事してゴールデンウィークに初の中国旅行にいき、そこではカルチャーショックも受け、帰ってきてからもいろいろ考え事をしています。今もまだやや迷宮状態にはありますが少しずつ落ち着くように自分で調整できるところは調整してやってます。なんとか自分を復活させ、再起動させたいです。
2006.05.16
今日は春の訪れを感じさせる日だった。朝、香しい沈丁花の前で思わず足をとめた。そして午後、返す言葉が出てこないほど、不思議な話を聞いた。今夜はどーも眠れなくなりそう・・電車ではしっかり居眠りこいたけど・・・。それもそのはず昨日も朝5時まで仕事。10時にとりあえず再起動したけど、職場には遅刻。今日も終わるのは何時になるやら。いつまでこの状態が続くのだろう?と思っていた。いや、続くのかもしれないけど。こんな結末?になるなんて、想像もしてなかった。いや、私は当事者では今はないけれど、そのうち当事者になるかもしれないし・・。なに言っているか全然分かりませんよね??いつか分かるように書きます。ちょっと今はマズイのでこのへんで☆
2006.03.15
この週末は、パソコンから離れられない! 状態で過ごした。金曜日の夜は夜通し朝まで、土曜日もほぼ一日。日曜日は昼から確定申告の提出のための準備をし、そして夜・・また再びパソコンと向かい合う。時々電話をかけてくる母から、「なんでそんなに忙しいの」と言われる。私も自問自答している。もっと勉強したい。もっと家族と一緒にすごしたい。終電なんて嫌いだ。。しかし、仕事はなんであんなに楽しいんだろう。やればやるほど、結果がついてくるし、深くなる。新しい出会いが、次から次へと。そうしていろんな世界につながっていく。辛いこともいっぱいあるのに、なんでかなあ? このままいくと仕事中毒になりそうだ。
2006.03.12
「Google アラート」という機能を使ってみたらば、情報取得がとても楽になった。収集したい情報のキーワードを登録するだけで、毎日のように(何日間隔かは選択できる)情報が送られてくる。ここのところ忙しくて、大好きなアジア映画の情報あつめも思うようにできなかったが、今日もアラートで素敵な情報をみつけた。六本木に日本初のアジア映画専門映画館がオープンしたそうな☆ その名もシネマアート六本木。 ▽産経ウェブより http://www.sankei.co.jp/news/060312/bun024.htm私がアジア映画の魅力にめざめて、はや12年。その頃は、アジア映画については、NHKで日曜日午後に放送されていた「アジア映画劇場」や、福岡市で開かれている二つの映画祭「アジア映画祭」「アジアフォーカス 福岡映画祭」での最新情報が情報源だった。つまり、超マイナー。変わった趣味だね、と言われることもしばしば。 それがいまや、六本木の映画館で見られるなんてびっくり。まだ行けないが、そのうち必ず!! 駆け付けたい場所・・。 ★シネマアート六本木: http://www.cinemart.co.jp/theater/index.html
2006.03.11
弱くてもろくて、誰にも知られずにひとりで痛みを抱えている女性がいた。がりがりにやせたソフィー。彼女が図書館で恋人となるネイサンと初めて出会うシーンが美しい。映画『ソフィーの選択』の中で、この図書館での出会いシーンが一番好きだ。ソフィーのなかの人間らしいあったかさが再び浮かびあがってくる一瞬を、繊細に描いていて、好きなのだ。この映画を初めてみたのはたしか、高校生の時・・だったように覚えている。劇場で見たのではなく、テレビかビデオで見た。当時はみても全然理解できなかった。どういう映画、という要約さえできないほど。そしてずっと見る機会がなかった。<それからはや20年近く・・。おっそろしい>忘れていた映画だった。が、ここのところCSで何度もかかるのでいきおい眺めるようにみていた。偶然だった。胸をつかれ、泣きに泣いた。一度みてえっ!?と思い、それから続いて2回みた。要約すると、ソフィー(メリル・ストリープ。この作品の演技でアカデミー主演女優賞を受賞)というおそらく30代くらいの女性がブルックリンのアパートに製薬会社で働く研究者ネイサン(ケビン・クライン)と住んでいた。そのアパートに南部出身の若者スティンゴ(あの「アリー」の弁護士事務所の経営者ジョン!ピーター・マクニコル。カレは『ビーン』でも良かった!!)が越してくる。 スティンゴは南部の裕福な家の出身だが、小説家になりたくてニューヨークに出てきた。そしてなぜかブルックリンのこの下宿に住み始めたのだ。スティンゴは、激しい喧嘩をした後、愛し合うソフィーとネイサンのカップルに興味を持ち、三人は仲良くなる。スティンゴはソフィーに好意を持っているが、ソフィーは「ザ・DV男」のネイサンにひきつけられている。スティンゴはやがて、ソフィーがポーランドからの移民で、アウシュビッツの生き残り。ネイサンは統合失調症で、製薬会社で働いているが本人が言っているような研究員ではないということを知る。ネイサンのソフィーへの妄想と暴力が激しくなるなか、スティンゴとソフィーはある日命のキケンを感じて、ふたりで逃亡する。その逃亡先で、ソフィーとスティンゴは結ばれる。彼はソフィーに結婚をせまるが、ソフィーはこばんむ。その理由は・・なぜ彼女がアウシュビッツで生き残ることができたのかということと絡んでいて、クライマックスで語られる。ソフィーはネイサンのもとに帰る。そして二人は心中。スティンゴは、ブルックリンをあとにする・・。時代は1947年。人々が戦争後の新しい世界を生き抜こうとしている時。生き疲れて命を落とした人たち、敗れた人たちの物語だ。ソフィーの行動は、なんというか、追い詰められた生き物がもがきころび苦しみながらうごめく姿を思わせる。彼女はとても不器用な人だ。自分にうそがつけない。弱くて美しいごく普通の感性を持った女性だ。もし彼女がナチスドイツの支配下にあったポーランドに生まれなかったら流転の人生を歩まずに済んだのだろうか。・・私は戦争という暴力に翻弄されて、ずたずたに傷つけられたソフィーの人生を思って泣いた。生きる価値がない、と何度も何度も自分を責めたソフィーの夜を思って、胸が張り裂けそうになった。そんな狂いに狂った時の果てで生きながらえながらソフィーは、病をかかえたネイサンをすがりつくように愛し、その孤独に寄り添っていた。そのことが哀しくて。でも人間ってどんなに傷つけられても、踏みにじられても、きっかけがあれば人によりそい愛することができるんだね・・と、ソフィー、最後の最後で悪かったようでよかったね、と語りかけたくなった。ソフィーは、もう私の中の「忘れられないヒロイン」だ。原作も読んでみたい。じっくり一日少しずつ読んでみたい。
2006.03.08
今日は、時々息抜きしながら仕事をちょぴちょぴやってます。静かな、ひとりの週末です。外はとってもいい天気。もう春がすぐそこまで来てます!◎朝、隣に新しい住民の方が引越してきました。あいさつをきっちりする大人な感じの方でした。住み心地についていろいろ聞かれて、なんて応えたらいいか分からず、焦った・・! なんせ、あんまり私は家にいない人・・・。近所の会社で働いてるらしいその人のきびきびした動きをみていて、モクモク!と部屋を片付けよう、という気になり、洗濯&お掃除できれいにしました。。◎午後は焼きたてのパンを買い、おいしいコーヒーを飲み、ひたすら谷山浩子さんのCDを聴く。そして資料もななめ読みまくりました。。◎夕方になると、アマゾンに頼んでいたアウトドア用「寝袋」が到着。これをもって、韓国行きの船に乗り込んだり、北海道でキャンプにいくぞ! ・・と妄想が広がります。そんな夢のアウトドアニーズより先に、まず「家族の引越しの際に布団がない夜がどうも一日あるらしい・・」という超実用的目的にまずは使われるのですが。相変わらず地味ですが、私なりに幸せな一日であります。
2006.03.04
地上波デジタルに備えて、および最近タワー型マンションの建設による電波障害対策で、集合住宅全体がケーブルテレビに加入することに。今日はその設定に業者の人がやってきた。いきなり多チャンネルになり、おずおずと番組表を調べてみる。良かったのは、レンタルビデオ屋に借りにいかざるを得なかった海外ドラマが苦もなく見られるということだ。朝からアリー、夜はSATCを毎日見られるなんて、すごく幸せだ。
2006.02.26
すとんと、静かな週末がやってきた。嬉しい。月曜日からまた大変なんだろうけど、、。たまった用事を片づけ、勉強をし、同居人と久々に同じ時間を過ごす。とにかくこの人とつくって食べるご飯はおいしい。ここのところずっと忙しくしていたりして、ひとりで食べているか、あるいはわりと手のかかった料理を他の人と話しをしながら外で食べることが多かった。ひとりで食べるのはすぐあきるし、話に気がいっていると、せっかくおいしいものを食べていても、おいしい感覚がどうも鈍くなる。家で、なにげないばかばなしをしながら、ごく普通の和食をつくって食べる。これはかなり幸せだ。
2006.02.25
CSの「スター・チャンネル」で見たい映画を選択してお知らせメールを送るよう設定しておいた。そうすると、みたい映画を見逃さなくなった。私はビデオ録画はほとんどしないので、その時見なかったらそれまで。メアドを登録する時、「これってどうかな」と思っていたけれど。今ではメールをチェックし、「あ、今日はこれがあるんだ~」と、楽しみにしている自分・・だったりします。
2006.02.23
今日食べた華麗な料理とお酒は、なぜかおいしくなかった。お酒はおいしかったけど、きっと雰囲気が楽しめなかったのだろう。比較するなんて申し訳ない、品がない。でも飲み終わっても、ずっとそのちくはぐな後味が残っている。
2006.02.22
未練はないとはいっても。後ろを振り返らず歩いてはいるけど。きもちだけが後ろを振り返る日もあり。今日も少し眠れなくて、後ろの方を見ていた。すると、振り返ったはずなのに、私の方がきっと振り返られているかもね、と思って、はっとした。このままじゃいけない。。
2006.02.21
ずっとアレルギーのせいでのどがいたむと思っていたのに、本日、風邪と診断され・・。のどの炎症をおさえる薬と風邪薬を処方される。週末は、寝たり・起きたりになりそう・・。映画が見に行きたかったのに、残念。しかし風邪薬のおかげで、ここのところ眠れなかったのが改善?され、なんかたっぷり眠りました。
2006.02.18
一ヶ月ほど、勉強を休んでいた。休まざるを得なかったからなのだが。再開すると、さびた部分があったみたいで、なかなかまだ集中できない。今回の工程は、とても重要な工程。ここでしっかり学習習慣をつけねば・・。
2006.02.15
夜中に仕事のメールを片づけながら、映画をかけていると、バレンタインのせいか、「ショコラ」が何度もかかる。ジュリエット・ビノシュが不思議な雰囲気の女性をそのまま演じていた。衣装の色使いやスカート姿がかわいらしい。チョコレートの甘さやその誘惑が、見ていて伝わってくる。なかなかいい映画でした。ところで、今年のバレンタインは2回チョコをプレゼント。なぜかというと、・・1回目は、アイスクリームにチョコレートをかけるタイプのチョコをプレゼントしようとして、あたためる時に手抜き。チョコを大(沸騰)爆発させてしまい、チョコレートソースは、あえなく失敗。わずかに残ったチョコをすくってソースに・・・。これではとてもバレンタインとはいえない。だから翌日、会社の近くでおいしいショコラを買って、再プレゼント。同居人は連日のチョコ(一応)で大喜び。最近は、チョコが豊富に輸入されるこの時期に、男性が自ら珍しいチョコを買い求めたり、女性は友達とおいしい高級そうなチョコを交換しあったり、また自分用に1コ1000円近くもするチョコを買ったりする、新しいバレンタインの潮流があるとか。私はといえばとにかく本命に渡す。食べてもらう、それだけ。それさえも結構どじって、やり直していたりするので新しいありようにはとてもついていけそうにないです・・。
2006.02.14
同居人が福岡に行くたびにおみやげに買って差し入れてくれるもの、それは、博多の辛子明太子と長浜ラーメン。これに焼酎を加えると、私の大好物のふるさとの味3点セットとなる。一大とんこつブームが去った今となっては、東京でおいしい博多の食材を仕入れることはおろか、本場の味を楽しめる店も少ないようす・・。焼酎はブームのおかげで他の県のものも含めて、いろんな種類が飲める。というより、福岡より豊富に選べ、飲める。インスタントラーメン「うまかっちゃん」http://housefoods.jp/products/catalog/index.php?cat=1,1011,1010でさえ、手に入らないのだから!! イタすぎる。「お休みの日、長浜ラーメンをすする」のは、私の人生の喜びのひとつといっても過言ではない。人生の喜びリストをつくったら15位くらいにランクインしそうだ。なお、私の大好物のふるさとの味3点セットには入らないが、福岡ならではの大好きな食べ物は他にもありまして。・筑前煮 参考URL :筑前煮の作り方まで解説してます。http://www.daiei.jp/sukoyaka/recipe/s.cgi?md=rc&id=20030818・うどん(特に「牧のうどん」が・・) 参考URL: 牧のうどん愛好会というホームページがありました。この中の「牧のうどんとは」というコーナーでなんとなく雰囲気が分かるのでは。。あ、あとメニューもみてほしいな。私は小学校に上がる前から肉うどんが大好物でした。・おきうと 参考URL:南里商店※私はここで買ったことないとですが・・地元スーパーや食品店で無印のばっかりですけん・・ http://www.konnanodo.com/shop/nanri/・お城納豆 ※これは熊本の会社の商品らしいですが 参考URL:丸美屋 http://www.marumiya-g.co.jp/product/teiban.htm・みどり牛乳、デカ牛乳 参考URL:九州乳業 http://www.kyusyu-nyugyo.co.jp/new/framepagegyunyu.htm・高菜漬け 参考URL:http://www.shin-shin.co.jp/mam05.htmlなどなど。加工物でない食材としては、・いちご・みかん・ぶどう・玄界灘の魚・いかの刺身などが、全国偏差値以上(と私は思う)で、おいしい。筑前煮はこの間、博多の味にかなり近い店をみつけた。それはなんと渋谷にあり・・・東急東横線の改札近くののれん街「音音」(おとおと)、ここの筑前煮はいけてますっ。http://www.tokyu-dept.co.jp/norengai/shop/otooto/index.html驚きかつ喜びまくり。おきうと、納豆、牛乳、魚・・・は流通のせいか、まず東京には入ってこない。野菜は「福岡産」は結構みかける。博多万能ネギ
2006.02.12
本日オープンの表参道ヒルズを眺めながら、あたたかいコーヒーを飲んでいる。大変な混雑で、入場者を入口でローブでくぎって制限中。2月11日(建国記念日)という日のせいもあるのか、祝日のついでに明治神宮から流れ出てきた感じの・・思ったより年齢を重ねた人が多い。表参道がますます大人の街になった感じ!さて、私もそろそろなかへ・・。▽写真は表参道ヒルズ外観。右端が旧・同潤会アパートあらため同潤館。▽関連ニュース:表参道ヒルズ開業http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/omotesando_hills/
2006.02.11
仕事で1月から日報を書くようになった。はじめは書くことなんかないやーと思っていたらば。だんだん毎日これが楽しみになった。スタッフのみんなの状況が伝わってくるし、より身近に感じられるようになった。自分も、「今日はこんないいこときいた!」とか、アピールできるし。コメントが返ってくると嬉しくて、また書きたくなる。そんなこんなで、プライベートblogの更新頻度が減ってきたかも・・。あと、仕事では、とにかく書く(キーボード打つ?)ことが増えた。毎日たくさんの報告書や指示書や成果物をあげる。少ない日もあるけど、それはなんだか・・もうずっとやってないけど「マラソン」に似てる。打って、打って、一日が終わる。そうして終わってしまうと自分の言いたいことはそんなになくなっていて、からっぽで、風通しがいい。
2006.02.09
※写真は、国立中央博物館 National Museum of Korea。私が訪れた11月当時はオープンしたばかりで、入場無料でした・・★昨年秋の韓国旅行をきっかけに3Gの携帯にした。最初は、3Gにしてよかった、ことなんてあんまり感じなかった。海外で使える!「携帯つながりますので」とえばっていたくせに、根がドメスティックゆえ、「海外発信の通話、メールの着信拒否」を設定していた私。ゆえに、日本からのローミングを使っている人とは、まったくつながらなかったのだ。。使いこなせず、日本にメールを送るだけしかできなかった。機種変更時に、「3Gにするなら、デュアルパケット定額はいかが」と強く勧められ、言葉のとおりだまされた気持ちで入った。これが、最近効いてきた・・!仕事で移動時間が長くなり(プライベートでオンライン時間が少なくなり)、やおら携帯を使うようになった。電車でパソコン使うのはなんだか苦手なので・・。3Gは、PHSなんかでつなぐより、よっぽどさくさくはやい。パソコン開いてバッテリー時間きにして、なんてやってるの面倒くさい。飛行機の予約も、乗り換えも終電検索も、メールチェックも、SNSも。。ブログ更新はキーボードの方が楽しいからまだ手を出さないけど、風景を携帯で撮って送るなんてことやってたら。あれー、びっくり。とんでもないパケ代に!!! 今月も「定額」ゾーンにとっくに突入。もうこれ以上はとられないから、と安心しつつもほんと大丈夫か?と葛藤しながら、重たい写真データを送信・・・。入っててよかった~、とほっとするとともに、なんだこれってプロバイダにいっこ別に入ってるのとおんなじくらいとられてんだ、とも思う。便利だけど、やっぱりおさいふ的には油断ならないキケンな存在、携帯。
2006.02.06
昨日から東京は、春のような天気。寒いは寒いのだけれど、日差しが春なんだなあ。2月1日に降った激しい雨も、春の雨のようだった。気候が変わりつつあるのを年ごとに感じる今日この頃。ぽかぽかと暖かい日差しにあたりながら、気分はうつらうつら、手と目はネットサーフィンに忙しい。●今日は、昨年の夏くらいに私が思い描いていた理想の部屋にそっくりの部屋を検索でみつけ、申し込みをしてみた。理想の部屋とは、、旅先の函館で泊まった一室。こんなところに住みたいと強く思うほど、落ち着ける部屋だった。その魅力の発信源は窓。寝室はもちろん、浴室にも大きな窓があり、港と街が見えた。しかも、申し込みをした部屋のキッチンは、「学校の家庭科の教室」にあるみたいなどの角度からも使えるタイプ。言うことなし。●インターネットラジオを聞きながら、さらに2~3月に観たい映画をスターチャンネルの番組表でチェックする。ヴィレッジモナリザ・スマイル恋愛適齢期愛人/ラマン怒りの葡萄カレンダー・ガールズ箪笥<たんす>モナリザ・スマイルソフィーの選択ドリーマーズ暗殺の森[完全版]砂と霧の家失踪モンスターガタカコラテラル追想ガス燈さらば青春の光イン・ザ・カットモンスターなどなど。。みたいものがたくさんあるって幸せだ。●さて、三月の旅の予約もおさえなくては・・。検索しながら、いろんな新しいサービスをみかける。こういう手法があるのか、とメモって、すかさず仕事にフィードバックしようとする自分に、今日はお休みだよ、とつっこむ。ふと数年前は、部屋探しや番組表は雑誌でみていたし、旅の予約は窓口まで行っていた。ラジオは、「ラジオ」できいていたことなどを思う。今やネットでいろいろ済んでしまう。。ネットの便利さは手放せないが、では、省略できた時間を使って自分がなにをするか、どう行動するかが大事なのだと思う。
2006.02.04
1月の終わりの静かな週末。朝から、韓国映画「スカーレット・レター」を見ていたら、イ・ウンジュがあまりに美しくて、可哀想で、堪らなくなった。この週末には、今週やり残した仕事がたくさんあり、片付けていくつもりなのだけれど、実は金曜日の夜から調子がでなくて、「やる気」がでるまでのんびり過ごすことに・・。やれやれ。結局「スカーレット・レター」をそのまま2度見てしまった。なぜ2度もみてしまったかというと、ひとつにはイ・ウンジュの演技の一貫性を確認していた。彼女はまさにこの役を生き切った、としかいいようのない役になりきり。観客にとっておかしな、演技に迷いのあるような表情はいっさいなく、こわいくらいに的確に役柄の感情を表現・・。イ・ウンジュが出演した「パンジージャンプする」「永遠の片想い」を最近みた。イ・ウンジュは、確かにきれいで魅力的ではかなげですばらしいのだけれど、「スカーレット・・」での役に憑かれたような表現ではなかったように思う。なぜ、この作品でこんなレベルにまでいきなり到達してしまったのか、不思議でならず・・・。もうひとつは、この映画の展開の中にある「女性同士の関係」についてドラマ的になぜそのかせが必要なのかを、考えていた。みているうちに、昨年11月に訪れた韓国の街の風景が浮かんできた。97年から99年、私は韓国によく旅行に行き、そしていろんな街を訪ねた。そこでよくみかけたのは、女子学生の腕組。女の子たちはいつも二人組。腕をくみあい、身体を密着してあるいている。そして私が覚えているかぎり制服をきていたような・・。2005年、女子学生の腕組みは激減。さらにカジュアルな私服をまとい、今度は同じ年頃(か少し上)の男の子の腕にぶらさがっている。そして二人ではなく、三人から四人のグループ行動。日本の女の子たちのように。女の子たちになんの変化があったのでしょ? また、これは私の思い過ごしかもしれず・・。ただ、街の光景が明らかに変わってみえたことは確かで。日本人的感覚では、なぜに女同士?の関係をここで持ち出す、という突っ込みがあると思う。ただ、韓国の光景を思い返すと、そりゃあ、思春期にあんなに密着して特定の女子だけでつるんでいて・・、基本的に上昇志向の強い国民性があり、教育熱も高く・・キリスト教信者が多い、男子はある年齢で兵役・・とという条件が加われば、いろいろあるかも、と妙に納得してしまうのです。あまりに気持ちが乗り移って、ただでさえ疲れている気持ちがさらに沈んでしまった。。気分をかえるために今度は「ロング・エンゲージメント」を。映画の美術、フランス語の台詞、そしてハリウッド大物女優のからだをはった突然の出演・・。映画好きにとっては、映画好きの好みのおもちゃばかり入った箱をひっくりかえしたような、素敵な映画。切ない映画なのだけれど、心が少しだけあたたかくなった。
2006.01.28
今日は仕事、午後で終了。(でも日曜日は出勤)引き上げると、銀行の用事を済ませ、本屋で参考書を買い、おいしいビビンバを食した。俄然元気がみなぎってきた。キムチのにおいをぷーんと漂わせせながら東京いきの電車に乗り込む。さらに役場で用事を済ませ、面倒くさがっていたコンタクトレンズを予約した。家では、夕食を一緒に用意して、洗濯物を片づけた。ゆっくりお風呂につかっていると、毎日がこんな風だったらいいのになあーーと幸せを感じた。夜。ここのところ夜型がしみつき、のそのそおきだす。仕事の下準備をしておく。さて、今日の締めくくり。「セックスアンドザシティ」シーズン6を最後までとうとう観た・・。ますます眠れなくなった~。なんていいラストなんだろう。このかろやかさ、ハッピーさ・・。正直、シーズン2をみていた頃なんて、こんなエンディングになろうとは思っていなかった。大人になる、年齢を重ねるってやっぱりすてきなことだ。
2006.01.20
今夜は、ワインを飲み過ぎた特別おいしいワインではないけれど、昨夜たくさんのワインの中から楽しんで選んだ一本をかなり流し込んでしまった。これはお誕生日に飲もうと思っていたワインの代償。お誕生日の夜に、酔っぱらうほど飲めない事情(急な仕事)が入り、その時のうっぷんがいまごろ爆発したのかも!?不本意だったけど、そのうっぷん、発散できてよかった。ワイン片手に「セックスアンドザシティ」をみる。画面では、「キャリーがポストイットで別れを告げられた、その夜の出来事」が展開中。この回のキャリーには悪いけど、こっちは最高に楽しいひととき。ごめん 無理だ 恨まないでなんて。ほんと、ひどいよ。この別れ方!! でもこんな最悪の一日のさいごに4人で笑えてよかったね、と。このドラマの締めは軽く後味が悪くなくて、しかもきりっと印象に残るのだ。
2006.01.18
仕事を3時に終えて、福岡に向かった。この間、北海道から戻ったばかりなのに、また羽田空港に逆戻りだ。モノレールに乗り込むと、車窓に見入った。そしてまた「誰も知らない」の1シーン、1シーンを思い出していた。北海道からの飛行機は遅れていた。スターバックスで一杯、ラテを飲んでいると母が歩いていくのが見えた。その夜の飛行機は、最新機でグッドデザイン賞を受賞したシート。なかなかよかった。東京から福岡へはあっというまだった。懐かしいふるさとの道をタクシーで走り抜けながら、PCを立ち上げ仕事のメールが来てないかチェックする。母は、運転手相手に博多弁でまくしたてている。街の変わった部分と変わらない部分をみつけては興奮しているのかも。通夜の斎場につくと、入院中の祖母も来ていた。つきそいがあるなら、と許可が出たらしい。祖母に会えたことが私はとても嬉しかった。ずっとあっていなかったいとことも再会した。いとこは夫と子供ふたりをつれてきていた。子供たちは子供だった頃のいとこに実にそっくり。特に話を始めると、思考回路までが似ていて、思わず吹き出してしまうほど。別れが悲壮でないのは、その命が、生き通した証。それで、よいのだと思った。夜。祖母、母、私は、伯母一家の家に泊まり、ふとんを並べて、話通した。不思議な一日が終わろうとしていた。
2006.01.10
静かな祝日だった。青山で用事をすませ、渋谷で「セックスアンドザシティ」と「バンジージャンプする」を借りて、部屋に戻った。「バンジージャンプする」をさっそくみた。こんな映画だと思わなかったー。なんなの、このタイトル。そしてあの日本での劇場予告編。なんとも不思議な映画。そして、すてきなイ・ウンジュ。うとうとしながら、「お金もうけの哲学」的本を読んで、さあ、来週からの仕事を円滑にするための予習にかかろう・・というところで電話が鳴った。それは、親戚の死の知らせだった。私は飛行機の予約を調べ、喪服がわりになる服を買いに行こうとしたが(夏用の喪服は持っていた)、動いている間も、まだその死が信じられず、気持ちが浮遊していた。とんでもない買い物をしそうだったので、一緒に生活している人に付きあってもらった。夕方になり、母と連絡がとれ、2人分のチケットを手配した。会社のボスにも連絡のメールをした。夜、8時。ようやくすべての支度がととのった。それでもまだ、その死を実感できていなかった。
2006.01.09
免許の更新に行った。正月あけの最初の日曜日のせいか、ものすごい混雑。約1時間強、立ったまま待っていた。持ってきた日経をひたすら読む。Google で個人の映像を配信するビジネスが開始したことを知る。あまりに待ちくたびれて、写真を撮る時も完全に気が抜けていた。3年前の運転免許写真と比べると、10歳くらい年とったように見えた。ありえないー。でも、たしかに以前より疲れてるのかもしれないな。今回は運転歴10年目にしてようやくゴールド免許をゲット。それだけは嬉しかった。ゴールド免許を手にした私は、寒い日だったので、車を運転しながら、青山の街をウィンドウショッピング。ポール・スミスで、ピンクのニットを購入し、さらに多摩川を渡り、川崎まで記念ドライブした。
2006.01.08
東京に戻って、仕事始めの一日は、あっという間に夜になった。やることは一杯あるけど、とにかく休もう。くたくた~。不思議だけれど、北海道の一日は長く、東京での一日は短く感じられる。今日もあっというまに日が暮れた。やりたいことはたくさんあるのに、身体がまだ元の生活のリズムになじんでない。今日はビデオで「ロスト・イン・トランスレーション」と「誰も知らない」を見た。「ロスト・イン・トランスレーション」はなにか感慨があって選んだわけではなく、なんとなく眺めていた。「誰も知らない」を観てからというもの、羽田空港への行き・帰りに、この映画、物語を思い出さないことがない。それで、観た。羽田空港を行き来しながら、この映画について思っていたことはこんなことだ。「羽田空港」は明(「誰も知らない」で俳優・柳楽くんが演じた役柄)にとって、「唯一父を感じる場所だった」。・お父さんは羽田で働いていた(と母親)。一度ふたりで父親に会いに羽田に行ったらしい(明は覚えていないと否定)・いつかモノレールに乗って羽田に行こう(明が母親を待ち続ける妹に語りかける)・そしてふたたび羽田へ羽田は東京の「異界」への入り口であり、国際空港なので、国境でもある。明がその場所に父の姿をもとめ、心のどこかに「羽田空港」を置いていたのだろう、と思うと切ない。ほとんどの人にとって、羽田空港は通過地点にすぎない。そこに止まるなんてまず考えない。しかし、明にとって、そこは特別な港だったのだ。どこにも行くことのできない明は、父親と、小さなアパートや街からの旅立ちを夢見て、「羽田へ行こう」をよりどころにしていたような気がする。映画のラストで。聞こえるはずがない飛行機の飛び立つ音に、明は立ちつくす。妹・ゆきちゃんの事件とともに終わったのは、「家族」のあこがれや将来への淡い希望。見上げた弟のまなざしは、今目の前にある「水をくみにいかなければいけない現実」。明のような悲劇を、二度と生んではいけない、と思う。どんな子供で、どんな境遇であっても、生きようとする姿を、制止し、さまたげ阻害することは基本的に悪。彼らの不幸は、両親のせいだけではない。狭くて、優柔不断で、優しいから冷たい、私たちが生きるこの場所が生んだのだ・・・胸が痛かった。
2006.01.07
■稚内の日暮れ時は、東京より30分強~1時間ほど早い。東京の空・5時くらいが、稚内の空・4時くらい。今日は雪が舞っていたので日没は見られなかった。雪あかりで白く青く光る町をみていて、明日の今頃は、私はここにいないんだーーーと思うと、切なくなった。あまりにきれいで。いいかげん帰りたいなーと思っていたのは昼間のこと。夕暮れになると、気持ちが逆転。部屋の窓から見る景色がすっかりなじんで気に入ってしまったし、猫たちも昔みたいになつくようになった・・。もう東京に帰らねば。■今日は、とても音のいいBOSEのデッキから、東儀秀樹さんのCD「MODE OF RISING SUN 」を一日中、流していた。東儀秀樹『MODE OF RISING SUN』朝、テレビで生演奏していたのをみかけて、猛烈に聴きたくなったのだ。96年に東儀さんが音楽を担当した映画「風のかたみ」の記者会見で、私は東儀さんを初めておみかけした。東儀さんにも映画音楽デビューについて質問をしたかったのだが、あまりにかっこよすぎて(その上初々しい感じだった)、なるべく見つめすぎないように、と映画監督の方に質問をなげかけた。<駆け出し丸出し・・>記者会見後の試写会で初めてその演奏を聴いた。美しく、あたたかい音楽だった。その時は、まだ正直、雅楽の現代的な演奏がものめずらしい感じがしたのだが、あれから10年がたち、東儀さんの音楽はいたるところに流れるようになった。感傷的な気持ちではなく、東儀さんの音楽の美しさと広がりが今も営々と続いていることこそすばらしいと思う。■稚内の夕暮れを見るのは、あと1回を残すのみになってしまった。この最北の地を、もう訪れることはないかもしれない。そう思うと、あまりにきれいで切なくてもすべてのものをしっかり見ておこう、と思う。★東儀秀樹さんの「風のかたみ」↓1曲143円で聴けます。東儀秀樹『風のかたみ』
2006.01.04
午前中は快晴。暖かい日差しで雪が解けていく。が、午後から吹雪。外は真っ白で、なにも見えなくなった。暖かい屋内で、猫とテレビを見ながら、コーヒーの香りを楽しみながら一年の計をたてる。今年1年~5年にわたるものもある。年末に出した「欲望リスト」をずらり並べて、それらの目標までにかかる推定金額を割り出し、かかる時間で割っていく。望みが叶うのか叶いにくいものなのか、数値化する。こんなのあくまで目安なのだけれど。計画を立てるのは好きだし、楽しい。期待はずれのハプニングを想像するのもまた、楽しい。
2006.01.03
■外は一面の雪景色。 明るい太陽の光がまぶしい。窓の外には遠く、「初すべり」のスキーヤーが、みえる。 別の窓からは「初売り」の買い物客が押し寄せている ショッピングセンターが見える。なんてにぎやかなんだろう。私は、といえば雪の上での歩行が苦手なので、 外には出ない。 3が日は仕事を休み、本を読んだり 音楽を聴いたり、猫とじゃれたりして すごそうとしている。 母がつくった新鮮な材料のおせちやお正月の料理を つまみ、 栄養が全部頭にいってくれればいいのになあ、 と申し訳程度にストレッチ体操をする。 かつてないほど穏やかな一日の始まりだ・・。■朝から、小説を三冊、ビジネス書を一冊、映画解説の本を 一冊読んだ。 冊子をつくる仕事から離れて2か月。そのせいか、 ここのところ落ちていたようだった読書スピード。 たった一日で戻ってきた。嬉しかった。 まだにぶってはいない。 ■午後は、テレビで舞台の「放浪記」を母と鑑賞。 思い出や林芙美子ファンの私による原作解説や、なんやかんやがごっちゃになって、後半はふたり涙ぐみながら見る。 わが母は、戦後の貧しさを語ることについてはエキスパート。 幼い頃に感じたそのイタさが、大きくなってある程度成功としてもどこかに残り、今もちくりとイタくなり、思い返すと「貧しかったね」と泣けてくる様子。徹底的に貧しく苦労したという記憶は生涯、消えないものなのだろうか・・? ■テレビ舞台鑑賞のあと、泣きつかれて?昼ねしていると、 親戚からの新年の挨拶が電話であった。 それ自体は大切なことなのだ。にぎにぎしくあいさつする。遠く離れた親子はのんびりしているが、ふるさとではいろんなことが起きていた。生死ふくめたニュースがどん、と。 <<<イメージ:静かな水面にたくさんの波紋が浮かんだ。>>>新年はやはりいつもの休日とはかなり違う・・、どんなに気をつけていても、避けていても(避けるからか)、いろんな方面からやってくる情報で 家族をめぐるさまざまなことをあらためて考えさせられる。 ぐったりする。けど、仕方ない。それが私の生れ落ちた環境なんだもん、とあきらめる。その繰り返し。だから、お正月があけて、努力して自分で望んで与えられた人間関係に戻るとほっとする。休日はもう少しで終る。明日もたくさん本を読もう。そして一年の計をたてよう。
2006.01.02
初日の出を見た。何年ぶりのことだろうか。北海道の雪原野にのぼる大きな光り輝く赤い太陽は美しくて壮大で・・・二日酔いの頭へ容赦ない光線をふりそそぐ。おとそが迎え酒になって気分すっきり・・というお正月は、まったくもって私の人生にはなかった。あたたかい太陽の光を浴びながら、午前・午後と読書に没頭する。今日読んでいたのは、「羊をめぐる冒険」を読み終わり、なんども読み返して満足したあと、三浦綾子著「ひつじが丘」に入った。4時間ほどで熟読完了。その後、ずっと興味をもってきた北海道・東北の民族的な歴史について書かれた本をとばしよみする。「ひつじが丘」は、「氷点」を超える小説だと言われているらしいが、私はまだ「氷点」を読んでいないので、どう超えたてるのかはわからない。ただ、この小説は非常に読み応えがあって、また読みやすくて、登場人物の顔やしぐさが浮かんでくるような圧倒的な存在感まであった。内容は、つまりは三角関係が5つもあるのだ。ひとつの小説に。この小説の終盤に夏目漱石の「三四郎」について触れるところがある。私はこのテーマなら、と即座に漱石の「虞美人草」「こころ」を思い出した。今はこの小説にあるような枷が、なくなった世界になってしまったのだろうか?と思いながら、この作家の、巧みなストーリーテーリングに賛嘆する。枷をうまく使いながら、女から見た、男のいろんな弱さやずるさをいろんな角度から切り取っては読者に差し出していく。その手際に躊躇がない。この小説には贅肉がない。あるとすれば、小説の最初の教室での合唱シーンだけだ。それにしても「ひつじ」が続いた。明日もひなたで読書三昧のお正月をすごす予定。
2006.01.01
今朝から、大掃除。やり続けだと疲れるので、時々休んで読書。地元の図書館で借りた「羊をめぐる冒険」を熟読。この本、もう何度読んだか知れない。この小説のメイン舞台となった北海道で読む小説の味は格別。除夜の鐘は百八つくというが、私の「煩悩リスト」(実現可能かは別として)を年内につくり、年初に具体的な5年計画を冷静に練ってみようと思った。・・・さて、夕方。ひとあし早い年越しそばを食す。稚内温泉・童夢で、今年の疲れをザバーっと流す。こころはおだやかに、テレビをBGMがわりに、ボンノーモードいっぱい!で、108までボンノーを打てるかやってみた。で、・・・簡単に打てちゃった。その時間、30分もかからなかった。軽く200リストくらいいきそうだ。つまりは煩悩いっぱい、果てしなき欲望ってことだ。。自分の欲望をリスト化すると「なんだ、ボンノーいっぱいじゃん」と認めざるを得ず、また、それがお金で解決できるボンノーが多かったのに逆に安心・・。気持ちも軽くなった。。来年は節目の年(←と勝手に自分が思っている)。本当はもっとまじめにならなきゃいけないが、自分のボンノーの数の多さに苦笑しつつ「よし、こい! 2006年!」となぜか強気で迎えられそうな気がしてきた。
2005.12.31
つい、まとめに入りたくなってしまいました!あくまで極私的な事件です。ちょっとだけおつきあいください。では、カウントダウン形式で。10位 ドラクエに、ますますはまる ★ようやく7をクリアしたのが、春。 終わった時はさびしかった。さびしくてついぐちった。 今はのろのろと8をやってます。クリアしたい。 でもしちゃうのがおしい。ああ、ドラクエ大好き!! 下手の横好きの遅咲き・初心者ゲーマーです。関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200502200000/9位 急性アルコール中毒もどきを体験 ★上野の森でお花見をしていて、目の前がドット柄になり へたりました。年を感じましたし、修行のたりなさを痛感。 これだけでなく、今年の花見はかなりイタかった。 桜は、もう通りすぎて見たり、パシャッと撮るだけでいい・・! 関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200504100000/8位 門前の「困ったおばさん」が退去 ★近所との激しい戦いの末、出て行きました。 引越しの時、ほうきで追い払われたおばさん・・・。 どこにいったか?大丈夫?とも思うけど。 やっぱり、神様はいたんだわとも思う。ほっとした。 7位 こんにちは赤ちゃん ★なんかあやしいタイトル。。 私のまわりで生まれた赤ちゃんには、 もれなくネームいりアブちゃんプレゼント!! 昨年も出産ネタがあったが、今年もちらはら。 赤ちゃんとその家族の笑顔、まぶしくて嬉しかった。 関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200506170000/ また、友だち一家とその子供とご一緒できた短い休日GWは、 私の最近の人生にはめずらしい、きらきらした思い出!関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200505020000/6位 東京の映画館で九州時代の同僚に偶然再会したこと ★その映画は、「南極日誌」。 なんと前後の席で鑑賞していた・・。 同じ業界(当時は)、近しいポジションの二人、これは運命の再会!関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200509040000/5位 SHIBAKOさん、英国に行く ★2004年の夏、 GREEの「亜細亜電影倶楽部」に入ってみたきっかけは SHIBAKOさんという方をネット越しに遠くからおみかけ したからでした。 その後、いくつかの映画をともに見、ともに食べ、語り、 メールでblogでやりとりし・・。 そのSHIBAKOさんが英国へ。 今もずっとお慕いしています。関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200503260000/ SHIBAKOさんのblog:「時には、淑女のように。」 http://blog.livedoor.jp/kobamika/4位 転職したこと、および転職活動にまつわる思い出がいっぱい ★今度の所属会社は尊敬する人の経営する、大好きな会社。 契約上は個人事業主。これは私の人生計画にはなかったこと。 日々楽しいし無理してないからいいと思ってますが・・! 経費は自分を磨くために盛んに使うぞーい。関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200511100000/ 3位 通院したこと ★眼科その他の病を得て約半年の間なにかしら通院してた。 今年は病院のあたり年。ひたすらリペアの年だったらしい。 社会人10年目にして初。健康のありがたさを実感。関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200511120000/2位 旅ざんまいで幸せも哀しみもいっぱい!だったこと ★今年はいっぱい旅行した! ほとんど国内。8割が家族がらみ。 嬉しいこともあったけど、どこか切ない、ほろにが~い旅でした。。 少子高齢化・・というものを身をもって感じてました。 しかし、たまったマイルで今回の北海道帰省は無料!! またいっぱい旅しよう。 関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200505020000/1位 夢の実現へ第一歩を踏み出したこと ★今年、18年ごしの夢を実現するため、遅い1歩を踏み出し。 この夢に挑戦しようと決めたのが3年前。 第1歩を踏み出すまで、まる2年かかってして。 締め切り時間は決められてしまっているので、 悩んでる暇なし、走り続けるしかない、あとがない挑戦に。 家族、親戚、親しい人たち、関係者の方々、 応援を感謝しています。 かならずこの夢、果たしちゃーけんネ!関連blog:http://plaza.rakuten.co.jp/shibako269/diary/200508030000/以上、・・・・。最後は博多弁まで飛び出す始末・・、劇的でもなんでもない、ささやかな"地味編(地味な編集者)の略"の極私的1年のまとめでした。それでは、皆様。よいお年を!
2005.12.30
久々に・・、一緒に生活している人に愚痴り、「中」喧嘩をはってしまいました。その日の私には自分の力のなさに対する忸怩たる思いがあり、それをつい漏らしてしまったのです。そして、暴走すること約1時間。話題は仕事のことでしたが、勢い、生き方やこれからのことにまでおよびました。喧嘩が下火になった頃、火種となった案件についての連絡がすでに入っていたことを知り、「これを喧嘩開始時に見ておけば、ここまで荒れなかったのに・・・」と自分の愚かさに呆然としました。まだまだ修行が足りません。仕事ってかっこいいもんじゃない。姿勢としては地を這い、逆風にさらされても吹かれたまま、ひたすら目標に向かって、負けずたゆまず一歩ずつ積み上げていくものだ・・。家に仕事を持ち込むな、という言葉の意味も、その言葉の裏にある現実もだんだん分かってきました。仕事は個人生活とは別のキャリアなんだ、と改めて思う週末でした。
2005.12.16
今週は緊張を伴うワークシーンが多く〈でも喜びも結構あった〉、また夜も長々と働きづくめ。そんなこんなで、気分が暗い方向に落ちかけていたので、今夜はアジアのノリノリの映画を見ようと、新宿にでかけました。偶然にたまたま入った映画館で、私にとっては懐かしい顔ぶれのケリー・チャンが主演している香港映画をみました。「ブレイキング・ニュース」。http://www.breakingnews.jp/上映ぎりぎりで入ったので、久々に一番前の席でした。見上げながら見るスクリーンからは、激しい銃撃の音やアクションや・・。めまぐるしい展開にびびりまくりでした。内容は、香港警察×強盗殺人犯の捕物帖。見終わった頃には頭の中は真っ白にクリーニング完了、まさに緊迫の展開にボー然という感じでした。さすが、香港アクション映画。演出力はすさまじかった。限定された舞台、内容で1時間半ひきつけるっていうのは、すごい。いいなあ、と思ったショットは、数知れず。特にくいいるように見たのは、●犯人が立てこもった一室でつくる中華料理の調理シーン。●ケリーのどアップが美しい、犯人と警察司令部とのチャットシーン。ひとこと、辛口の感想をつけるなら、ケリー・チャンの演じた司令官の役柄がいまいち。その人となりが芝居から感じられず、女優があまりにも不釣り合いに美しいこともあってお飾り人形みたいに見えてしまったこと。・・え?そもそもそういう役柄・・??映画を見終わった後、外に出ると、新宿駅までの道は、忘年会らしき人の群れでごった返していて。かなり酒臭いが、私にとっては、「ああ、東京の年末なのね」、というなんだか奇妙に懐かしく、暖かい光景にも感じたり。今年もあと残すところ22日というわけか、と。名残惜しいような、嬉しいような。微妙な気持ちを抱えて、ぼんやりと雑踏の中を歩いてました。関連作:世界の涯てにケリー・チャンの名前を覚えたのは、この作品がきっかけ。しかし内容はほとんど忘れてしまった。覚えているのは、やたら画面が美しかったこと。ケリーさんと金城くんはかなり絵になる、華やかな組み合わせであったこと。
2005.12.09
ここのところ、週末は福岡、北海道、ソウル、富士・・と旅烏でした。久しぶりの東京の週末を静かに過ごしています。今日はコリアンシネマデーと決めこみ、日比谷で「親切なクムジャさん」、そこから移動して「私の頭の中の消しゴム」を鑑賞しました。至福の時間でした。「親切なクムジャさん」、最高でした。「オールド・ボーイ」がまた見たくなりました。ちなみに昨年のナンバー1映画はダントツ、「誰も知らない」でしたが、今年は・・、難しいです。「スカーレット・レター」も良かったけど、この「親切なクムジャさん」の自由奔放なストーリーテーリング、画面使い、端正な展開。まさに魅了されました。女優イ・ヨンエの演技がまたうまいですね。本当に、クムジャさんが実在するように思えました。「オールド・ボーイ」のユ・ジテ、すばらしい特別友情出演でした。大好きなチェ・ミンシクもなんていうか、怪演でした。あんなに人間味たっぷりの味のある顔の俳優が、あんな嫌な不気味な役を淡々とやりとげるのが「役者だのうー」というひたすら感心しました。「私の頭の中の消しゴム」では、後半かなり泣かされました。20代のまだ若い人なのに、頭の中が痴呆症の老人と同様になってしまう〈つまり行動も・・〉って、老人のそれより哀しく・・。前半は安っぽいトレンディドラマそのもので、それはそれでみていて別の意味で辛かったのですが、後半の悲しみを思うと、前半はあれだけ脳天気でも仕方ないか・・と。帰り道、夜風に吹かれてゆっくりゆっくり歩いていると、ふいに、背中が軽くなって、今自分、幸せなんだなあ、と実感がわいてきました。その幸せをまっすぐに受け止めて、他の誰とも比べない、このまま自分らしい生き方をさりげなく貫いていけばいいんだ、そんなことを思ってました。
2005.12.03
本日は仕事の後、青山の行列をつくっているお粥のおいしいお店へ。閉店まぎわに入ったので、ほとんど食べられず。そこで、おつぎは二次会のメキシカンヘ。ブルー・マルガリータをいただきながら、楽しいおしゃべりとおいしいメキシコ料理を味わった。メンバーは同じ会社で働く女性5人。仕事の後の一杯がこんなに楽しいなんて、ずーっと忘れていた。私が働いたり、暮らしていたりする間、ずっと工事中だった表参道の駅が、明るく賑やかに改装されていた。まるで別の駅みたいに。エチカ表参道、というらしい。哲学書の名前?? エキチカを省略したの??正直、このネーミング、表参道ラシクない・・。地下鉄のホームでこの集まりは定例にしよう!と言い合った。部屋に帰って、外は冷えているけれど、あたたかくして、「高慢と偏見」を眺める。なんて笑える、楽しい作品なんだろう。俳優の表情がいい。衣装が新鮮な感じ。そして、なによりミスター・ダーシーの一途な目が素敵~。
2005.12.02
今年の12月はなんだか、いろんなことがありそうな予感がする。毎日、新しい出会いがある。そうして毎日、いろんなことを思う。少しずつ元気を取り戻している気がする。仕事内容も変わる。場所も変わる。新しい気持ちで、わくわくと取り組むつもり。
2005.12.01
私が北を旅していた間、一緒に生活してる人は、九州を旅していました。私のおみやげは写真の通り。サッポロビール、男山、現地のポテチ、塩・豚骨のラーメン。相方のおみやげは、新鮮やさい、くだもの、干し魚、そして私の「ソウルフード」2種、明太子と長浜ラーメン・・。ふたりのおみやげを寄せ合うと、しばらく、北と南の味が楽しめそうな感じでした。さて、九州ラーメンと北海道ラーメン対決もやりました。その結果は、・・・長浜ラーメンは大好きだけど、さいじょうの塩ラーメンの方がおいしかった。皆様、旭川のおみやげは「さいじょうの塩ラーメン」がおすすめですよ!!!
2005.11.15
旭川旅行記の続きです。さて、羽田行きの飛行機が飛ぶ時間は19時すぎ。午後の6時間は、まるごとひとりの自由時間です。雪の降る中、ほかほかの湯気を立てているコーヒーを飲みながら、カーナビに立ち寄り場所をばしばし登録・・したはずが、いざ出発後、なかなか目的地に着きません。よそ者として走ってみると、旭川は中心部は碁盤の目状、しかしその周辺は不思議な作り・・中心部に向かってまるで円陣になっているようでした。おなじところをぐるぐる回ったりしてようやく、おめあての「北海道立旭川美術館」に到着しました。落ち着いた、ひっそりとしていながらも美しい建物の美術館で一目で気に入ってしまいました。美術館では、常設展示だけ見るつもりでしたが、その常設展示数があまりに少なかったため、物足りなくて特別展「小野州一展」も見ました。こんな風に偶然に出会った「小野州一展」、これがまた、心ひかれる絵との出会いになりました。小野画伯は、北海道出身。画家を志して上京し、独学で絵画を学んだとか。その後、パリ、南仏、ベニスの風景を描き、帰国後は室内画、そして北海道に移住して丘の風景を描いた・・今回の展覧会はその生涯を見渡せる、一連の作品が一堂に会したようでした。一見、ストレートな直球の展示でありながら、広く・深く、画家の人生をうかがい知る丁寧なつくりにも感動しました。この日は特別展が始まって最初の日曜日。私が立ち寄って絵を見ている時には、地元の絵画グループの方たちも絵を見に来ていたらしく、普段ならしん、としているのであろう美術館がそこはかとない、あたたかい感想のささやきでいろどられて、そのクリエイティブでちょっとアカデミックな雰囲気がまたよい感じ。私が特に心ひかれたのは、前日車で駆け抜けた、美瑛、富良野の丘の絵でした。紫色の、パッチワークのような丘。見ていると、目の奥があつく、あたたかくなってくるような力強い、生命力のあふれた丘の絵でした。この丘の筆使い、どこかで見たタッチだ・・と、思い出せないでいると、やがて特別展のおしまい近くに、小野画伯は脚本家・倉本聰さんの隣人であり、その本の表紙の画も手がけられていたことを知りました。どおりで見たことがあるはずです。★関連作:「谷は眠っていた」さて、旭川美術館でおいしいコーヒーをいただいた後は、丘の絵の絵はがきを買い、旭川空港までの楽しいドライブとなりました。途中、雪がどんどん降ってきて心配になりましたが、雪の勢いがつよくなると、FMラジオのボリュームをあげ、平井堅とかマドンナとか・・毎日東京のFMから流れてくるなじみのはやり曲に元気づけられ、空港にたどりつきました。無事、レンタカーも返却。空港でラーメンやらビールやらと買い物をしていた頃、母から電話がかかりました。もう家についた様子。私はこれからフライトです、と伝え、楽しい思い出をいっぱいの美しい雪景色の道央をあとにしました。
2005.11.14
旭川2日目は、朝から雪でした。どんどん真っ白くなっていく世界を、びっくりして眺めていました。今日のドライブどうしよ~・・とかなり心配だったのです。しかし、昼近くなると雪もやみはじめ、街が明るくなってきました。さて、行動開始です。■旭川市博物館博物館には、縦穴住居とチセ、屯田兵屋の復元があり、内部を中に入って見ることができました。チセは、一面のカヤ壁でできていました。そのカヤが黒くて分厚くしてあたたかそうなこと。そしてその真ん中にはあたたかそうな囲炉裏、敷かれた毛皮。人が入ってくると反応するのか、ふいにアイヌの子守歌がスピーカーから柔らかく聞こえてきました。目をつむりききいると、遠いおとぎ話の世界に引き込まれそうな感じでした。一方、明治時代の木造住宅はかなり寒そう、時代に逆行した感じでした。現地の事情をちゃんと把握しないで、本州の規格で立てた感じがありありでした。これでは身体を壊してしまう人が多かったのでは・・と胸が痛くなるような。数年間、祖父母や母が暮らした開拓地の「ほったて小屋」の実物はこれよりひどかったと聞き、切なくなったり・・。北海道の住宅は、本州のそれとはかなり違っているように以前から感じていましたが〈先進的で合理的〉、建物を体験でき寒さ対策を年代別に見ることができて、満足しました。その他にも旧石器、縄文時代、擦文時代から現代まで旭川の歴史について、ざっと振り返ることができるようになっていました。特に紀元前の遺跡や埋蔵物に大変興味があったので楽しい時間を過ごしました。■昼ご飯には、旭川ラーメンを体験。エアドゥの機内誌「ラポラ」に載っていた旭川ラーメンの開祖、「鉢屋」に行きました。12時になると、地元の人?も一斉に押し寄せて、店は人のぬくもりでいっぱいでした。味は・・白色の豚骨ラーメンで育った私には、ちょっと強烈。スープは醤油のはずが、味噌ラーメンのような茶色。和風スープと豚骨スープのブレンドとか・・・。麺がちゃんぽんのように太いのは、食べ応えがありました。■旭川駅のホームでは・・旭川駅で母を見送りました。ホームはかなり寒くて、雪もつもっていました。もう何度も旅の空の下、「東と西にさようなら・・そしてそれぞれ自分の暮らす街に帰る」をやってきたので全然寂しさはなく、思いっきり元気に手をふりあいます。こんな親子も珍しいよなあ、と、楽しいよなあとしみじみ幸福を感じながら見送りの後、しばしぼうっと歩いていると、駅弁を売るおじさんと目が合いました。おじさんは「旭川に来たならこれをたべなきゃ。名物だよ」と積極的に売り込みます。本日の夕飯においしそうな海鮮のもりもりの「蝦夷わっぱ」を買いました。・・・さて、午後の行程については、月曜日の日記にはみ出して書こうと思います。
2005.11.13
初めて、旭川を訪れました。初めて乗ったエアドゥ、初めての空港、初めてみる景色。睡眠時間2時間の目にもしみる新鮮さでした。山が赤や黄色で染まる。でもそのすぐ近くでは雪が積もってる。秋と冬の移り変わりとせめぎあいをを一目でみたのも初めてでした。富良野、美瑛、芦別へも行きました。どこまでも続く丘や川岸を半日ドライブしました。ふわふわの雪と霙混じりの雪にもであいました。旭川ラーメンなるものも初めて食しました。醤油なのに、油っぽい?不思議な味をしてました。旭川市内のホテルには、ジムとジャクジーがオプションでついてました。雪が降り出すとこれはとてもありがたいものです。ホテルのビッフェスタイルのレストランで食した海鮮フレンチ&イタリアンな味付けと調理にぐっときました。よいホテルでした。旭川駅のホームにも初めて立ちました。美術館にも博物館にも行きました。・・・あんまり寒いので超有名な動物園には行きませんでした。
2005.11.12
週末は、家族の用事で北海道へ行ってきます。今から雪が楽しみです(うそ)。道央には初めていきます。車も運転します。どんな景色に出会えるのか、わくわく、どきどき。おいしいラーメン、食べよっと!!!今夜は、暖かいコートを購入しにいくより、のびすぎた後ろ髪と前髪を始末したくて、ここのところ気に入って通っていた六本木のお店でなく、青山のあたりで、髪を切りました。よいお店でした。大人の人がきってくれました。けど、家に帰って鏡で詳細をチェックすると、六本木のお店のもう退職してしまった方のきってくれたカットの方がやっぱり断然うまかった・・ような気がして。今度はやっぱり六本木にいこうと思いました。深夜。東京もとても寒くなってきました。「私北海道行くのに冬用コートなしで大丈夫かなあ・・」と荷物をつめながら、全然大丈夫じゃない心配をしています。。。
2005.11.11
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