世界市民



数世紀の後には…
人種と言うものがなくなり
全ての国民が自由になり
暴君も奴隷もなくなり
植民地や本国もなくなり
正義が支配し
人間はすべて世界市民になる

(ホセ・リサール:ヒィリピン独立の父)

一九〇二年、アメリカの議会で、ヒィリピンの独立を認めるかどうかで議論した時、
一人の議員が、ヒィリピンのある人物の詩を満場に向かって朗読しました。

「私はわが故国の上に輝きいづる暁を見ずに死ぬ
暁を見られる諸君よ よれを喜び迎えよ
そして夜の間に倒れた人のことを 決して忘れるな…」

そして、議員は強く訴えました。

「世界中広しと言えども、このような立派な生き方をした人はいません。
このような人物を産んだ国に、
その民衆の未来、希望がないわけない。」

議場は、感動に静まり返り、そして、大きな拍手に包まれ、
ヒィリピンの独立が認められたのです。

その詩を書いた人が、ホセ・リサール博士です。
彼が亡くなって、1996年で百年が経ちました。

当時、ヒィリピンは植民地となっており、多くの庶民が苦しみました。
奴隷のように使われ、ヒィリピン人には、自由が与えられませんでした。
他国へ行く事も許されず、
読むことも書くことも教えられず、
心も頭も、喜びも悲しみも持たない人間となるよう教育されました。
民衆は、ただ従うしかありませんでした。

その時、立ち上がったのが、ホセ・リサールです。
理想の国を作ろうと必死で勉学に励みました。
医学や農学を学び、スペインに留学してからは、
哲学や文学も習いました。
そして、フランスやドイツ、アメリカに渡って、
ヒィリピンの独立を訴えました。
日本にも来たことがあります。

世界中で、
「私たちは、断じて自由を勝ち取らなければなりません。」
と訴え続けました。
しかし、民衆の力を恐れる権利者は、彼を捕らえ、
形式だけの裁判で無実の罪をかぶせ、
死刑の判断を下しました。
一八九六年十二月三十日の朝、
その時が来たのです。

(鈴木哲明作)

これも他の二つの文章と同じく…小6の時の担任の先生が作られた文章です。

今、アフガニスタンには自由が戻りつつあるけれど、
他の内戦の続いている国にはまだ自由などありません。
私たちから最も近い韓国でも市民に自由はありません。

一部の人たちの感情だけで、
尊い命をなくしてしまっている民衆や
苦しい生活を送ってる民衆の皆さんの事は
『世界市民』として、私たちも一人一人がちゃんと考えなければいけないと思います。

二十一世紀、皆が「世界市民」になるのは遠いかもしれないけど、
少しずつ、一歩一歩、世界中の皆の夢に近づいていけますように。


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