元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ

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カテゴリ: 日本社会
ほとんどの日本人、そして多くの中国人が、日本の近代化は明治維新から始まったと思っているのではないだろか。

中国の近代化は、1864年に曽国藩・李鴻章が太平天国の乱を鎮圧する少し前頃、洋務運動として始まります。
日本では、一般的に明治維新(明治改元1868年10月)頃と考えられていますが、そうすると近代化を早くはじめた中国よりも日本の方が早く近代化が成し遂げられた事になります。

このように考えると日本が大変優秀であったように思えます。そして、この事が中国人に劣等感をいだかせ、日本人に優越感をいだかせるのです。

私は、日本はもっと前の江戸時代からすでに近代化は始まっていたのではないかと考えております。考えているというより、そう考えた方が歴史的事実に辻褄が合ってくるのです。

横井小楠「国是三論」という文章をご存じでしょうか。横井小楠(1809-1869)は、熊本藩士ですが、熊本藩ではあまり待遇がよくなかったようで、松平春嶽の政治顧問として福井藩にまねかれ「国是三論」を書いています。


まず世界の形勢のうちで、航海が盛大となり、それよりして海軍が専要になってきた事から説明しよう。本邦の事はしばしおくとして、五大州の内アジアの中の中国は東面を海に臨んだ巨邦である。文物は早くから開け、稲、麦、稗をはじめとして人類の生活に何不足するものはない。その他知巧・技芸・百貨・玩好に及ぶまですべて内地で生み出され足らないものはないほど豊饒の国である。それ故、上朝廷より下庶民に至るまで誇大驕傲の風習が生まれ、来航した海外諸国には貿易は許可するが、中国自身で海外へ出向き事物を求めようとする積極性はない。これが中国の兵力を衰弱させ、世界各国から凌辱されるゆえんである。

ヨーロッパは中国と違い、その領土は当面のみアジアの地に接し、他の三面は海に面している。地球の西北に位置し、アジアに比べれば最も小さな領域であり、事物には欠けるものがあって他に求めなければならない。それ故、ヨーロッパ州内の諸国が各々航海を主としなければならないのは自然の勢いである。百般の貿易はもちろん、時としては、軍艦の威力をもって互いに掠略刧奪し領土属地を開拓するのを努めとしている。

ポルトガルがアフリカの南端喜望峰を周ってインド洋へ航海し、イスパニアのコロンブスが北アメリカの東辺に行き着き、アメリゴ=ヴェスプッチが南アメリカを発見した事等をはじめとして、競って航海遠略を求めている状況である。

なかでもイギリスはヨーロッパ州の西辺に属する孤島で海に囲まれた国であるから、最大限に航海に努め植民地を広めてもっぱら富強を国策としている。わが国の文禄年間オランダがはじめてインドに通商して大利を得てから、そえを羨んだイギリスがついで侵入し、その他フランス・アメリカ・ルソン・ポルトガル等もまた相継いで商館を設け販売を行った。

インドはアジア南部の広大な地域で、東・西・南・北・中の五つに分かれている。土地はよく肥え、物産は豊饒で各国にまさっている。それ故イギリスは遂に多数の軍艦を率いて侵略し、数戦の後その王を放逐し国土を奪い、現在では南・東・中の三部は既に英国の属地となり、西・北の二部のみ各々自立の国王が存在するばかりだ。西洋人はかつてインドの豊饒な産物が万国に冠絶するのをみて「世界の中の宝物蔵」と称したが、イギリス一国がその利を専有した。それゆえ英国は本国以上にインドを重視し、駐屯兵備を最も厳重にしている。英国は世界の強国でヨーロッパ・アジア・アメリカ・アフリカ・オーストラリアの諸州で併呑した植民地が三十五あり、世界の人口の五分の一を有し強大無比とするのも、その基礎は印度の富庫を掌握することでその勢力を伸長させることができたのである。

すべて西洋諸国は古より今に至るまで大小の戦乱やむ時なく、なかでも文化年間におけるフランスのナポレオン・ボナパルトの乱を古今未曾有と称し、ヨーロッパ諸州の陸軍の制はこの時以降一変した。しかし近年ロシアとトルコ・イギリス・フランスとのクリミア戦争はそれ以上の戦乱であったという。

そもそもロシアの領土は東アジアより西ヨーロッパにわたり、東西南北四百五十万里の領域でその強勢は諸州に冠たるものである。しかしその地勢は、北は氷海面し、南は黒海・トルコに至り、東はアジアの藩属国接し、西はヨーロッパの諸州に連なり、ほぼ東西に長く南北に狭い。このように広大で、黒海のオデッサ・白海のアルハンゲリスク・バルト海のタリン・リガの諸港と、東北偶にカムチャッカがあるが、ともに海運には便ならず遠略を計画するのに不利な場所である。それ故裏海に沿って陸路から西北の西インドを侵略し、遂に東・南・中のインド三地域を奪って英国の富庫インド植民地の一片をそぎ、インド洋に向かって大いに海路を開き雄図を世界にほしいままにしようとし、コーカサスの大山脈を隔てて英国とアフガニスタンを争い、戦乱は数年続いている。ロシアがもし勝利すれば英国は必ず衰亡する事が目に見えており、英国も全力を尽くしてロシアと対峙する。これが英・魯が仇讎たる原因である。

近年、ロシアはまだトルコに侵入し地中海から大西洋に至る航路を開こうとしたが、英・仏がトルコを助けてロシアと対戦し、黒海および地中海で開戦した。紀元前以来海戦の大規模なものはこのクリミア戦争以上のものはなく、海軍の制は一変し、英国は新規にカノン砲装備の軍艦を建造しロシアのセヴァストポール要塞を攻撃しその鋭気を砕いた。戦いは数年にわたり、戦闘の死傷者は数十万人。和約成立し、魯国軍艦が地中海を航海しないことを約して相互に停戦した。しかし大志をくじかれたのに激したロシアは、なおスパイをインドにはなって各地域の国王を慫慂し戦乱を引き起こさせ、その混乱に乗じて英国の植民地を略取しようと策謀した。さらに満州と条約を結び黒竜江の地を租借し、ウラジヲストックを開き、日本海に向かって大いに航路を通じ、宿志を朝鮮海より南大洋に遂げようとしている。すでに議は決して黒竜江から首都ペテスブルグ迄七千余里にわたる鉄道を設置しおわったという。


「国是三論」の一部です。いかがでしょう。すでに19世紀中頃には、これだけ世界の情勢に精通している人がいたのです。どれだけの欧米の本が翻訳されていたのでしょう。







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Last updated  2009.06.17 21:25:24
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