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オーウェン@ <1973年>映画「セルピコ」 こんにちは。いつも楽しく、またワクワク…

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2010年08月22日
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セルピコ.jpg


アル・パチーノ   =フランク・セルピコ
ジョン・ランドルフ =シドニー・グリーン
ジャック・キホー  =トム・キーオ
ビフ・マクガイア  =マクレイン
バーバラ・イーダ・ヤング=ローリー (恋人B)
コーネリア・シャープ=レズリー(恋人A)
トニー・ロバーツ  =ボブ・ブレア(同僚)
エド・グローバー  =ロンバード


監督=シドニー・ルメット     製作=マーティン・ブレッグマン
脚本=ウォルド・ソルト、 ノーマン・ウェクスラー
原作=ピーター・マース      撮影=アーサー・J・オニッツ
音楽=ミキス・テオドラキス

<ストーリー>
1971年2月
ニューヨーク市警の警官「フランク・セルピコ」が重傷を負って病院に担ぎこまれる
「グリーン」地区総監は 早速 彼の病室に24時間の警戒態勢をを引かせる

それより11年前の「セルピコ」
警察学校を卒業、82分署に配属されたが・・・・・ 
理想と現実のギャップは みるまに彼の内部で広がっていった


犯罪情報課勤務に異動、彼は向上心の満足と息ぬきをかねてニューヨーク大学へ行く・・・
そこで会った「レズリー」というバレー・ダンサーと知り合い、やがて同棲

「セルピコ」訓練仲間の「ブレア」というプリンストン大学出の同僚と仲良くなり
訓練が終わると、2人は私服刑事として 
「セルピコ」は93分署に、「ブレア」はニューヨーク市長の調査部に配属されて・・・・・


配属された最初の日「セルピコ」は何者かにワイロの分け前を渡された
「ブレア」に相談し、調査部長に報告したが、部長はただ忘れてしまえと忠告するだけ

「セルピコ」は再び「マクレイン」に会い、ブロンクスの第7地区に勤務を変えてもらった
だがここも事態は最悪だった 

前の分署で顔見知りだった「キーオ」という男が近づき、
ここの分け前は今まででも最高だと耳打ちした

彼が受け持たされたのは、ルベルという同僚とワイロ回収の仕事だったが、
どうしても金をうけとろうとしないセルピコの立場は徐々に孤立せざるを得なかった

ブレアとセルピコは、市長の右腕として働いていたバーマンに実情を訴えたが、
市長としても警察と対決するわけにはいかないという理由でとりあげてもらえない

今やセルピコは地区中から異端者扱いで、第8分署に転任することになったが、
彼を相棒として引き受けてくれるのはロンバート警視ただ1人だった

ブレアやロンバートの応援で、ついに意を決したセルピコが汚職の実態を
ニューヨーク・タイムスにぶちまけた・・・・・・

   ---------------------------
昨日に続き「シドニー・ルメット」監督作品映画「セルピコ」

昨日の映画「評決」が「ポール・ニューマン」の最高傑作なら
この「セルピコ」の「アル・パチーノ」が 最高傑作だと オイラは思ってる
映画そのものじゃなく「アル・パチーノ」の 芝居がだ
アル・パチーノ.jpg「アル・パチーノ」まだ若々しい34歳の警官スタイル

前年1972年「ゴット・ファーザー」での マイケル・レオーネ役で一躍有名になったが
この「セルピコ」では 依怙地で頑固 融通の利かない一匹狼の警官「セルピコ」役

私服刑事役なので その後 制服を脱ぐと 口髭のスタイルを色々変え 
当時流行のヒッピー・スタイルも如何にもらしく決めて・・・・
その表情の豊かさは・・・・アル・パチーノの本質・・・・真髄を見せる

オイラが もし「セルピコ」の立場に居たら・・・・どうなんだろう?と 自問した

間違いもなく 悪徳警官の仲間に取り込まれ その”収賄”や”さぼり”の一員になってる
そして 毎日罪の意識に苛まれ 悶々として 夕方から仲間と居酒屋で自分を誤魔化して

なんと情け無い・・・・一般市民からは「この税金泥棒!の悪徳警官野郎!」って罵られ

「セルピコ」みたいに 「正義感」に生きるって・・・・
物凄い勇気と 揺ぎ無い信念がないと絶対に無理 署内では誰一人相手にしてくれないし
警察署幹部も同類 ただ世間体が気になって 宥めてはいるが 真剣には取り締まらない
その上 大勢の同僚警察官に 命を狙われるんだぜ・・・・

今のアメリカ警察官は どうなんだろう? 
今でも時々 悪徳警察官が 映画ネタにされてるよネ・・・・

「あんたら 一体どんなつもりで 警官に成ったの?」って 
一人ひとりに 聴いて見たくなったぜい

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家の前の雑木林の手前 雑草の中に例年花をつける
 「ひがんばな科」の一種「きつねのかみそり・狐の剃刀」
オイラ的花言葉:「長いものには巻かれろ」「負けるが勝ち」「触らぬ神に祟りなし」等
         自分の意志を貫き 正義を行う事を避ける様な「諺」が多いのは 何故?

DSC_0379.JPG















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最終更新日  2010年08月22日 18時23分26秒
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<1973年>映画「セルピコ」  
オーウェン さん




この「セルピコ」はご承知のように、ニューヨーク派の名匠シドニー・ルメット監督の作品で、アル・パチーノは、アカデミー賞で主演男優賞の受賞はできなかったものの、ゴールデン・グローブ賞のドラマ部門の主演男優賞を受賞しましたね。

この「セルピコ」が公開された1974年頃のアメリカでは、クリント・イーストウッド主演の「ダーティ・ハリー」あたりから、警官ものの映画が、ブルース・リー(李小龍)の「燃えよドラゴン」のカンフー映画と共に流行となっていましたが、この警官ものは、ジーン・ハックマン主演の「フレンチ・コネクション」のような派手なアクションを売り物にする、ショッキングな実録タッチのサスペンスものと、ジョージ・C・スコット主演の「センチュリアン」のような、社会派警官の苦悩を描くものとの二つの系統に分かれていたように思います。

この「セルピコ」は、当然、後者の社会派警官の苦悩を描く系統に属する作品になっています。
ニューヨーク市警察の汚職を内部告発した、実在の警官をモデルにしているこの映画は、アメリカ社会の腐敗をリアルに描いて、とても迫真性のある映画になっていると思います。

しかし、このような映画が製作され、また率直に新聞を通して世論に訴えるところに、アメリカの伝統的な自由が生きており、忖度と腐敗だらけの、どこかの東洋の島国と違って、腐敗を腐敗に終わらせない社会の根強い復元力を感じさせます。

かのワシントン・ポスト紙の記者であったボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインによる、ウォーターゲート事件の新聞キャンペーンもその一つの例とみるべきでしょう。

1971年2月、ブルッキング・サウスの麻薬担当刑事のセルピコは、麻薬犯を逮捕しようとして、犯人に戸口から顔面を直撃されて倒れます。
同行の二人の刑事は、意識的にか支援をためらったのです。
セルピコが撃たれたとの報に、警察の同僚と上層部が、すぐに警官相互の殺しではないかと思ったほど、セルピコは警察内部で恨みを買っており、孤立していたのです。

というのは、その前年の4月25日、ニューヨークタイムズ紙の第一面は「ニューヨーク市警の汚職数百万ドルに及ぶ」との大見出しを掲げ、その後、連日にわたって、関連の暴露記事で強力な論陣を展開しました。
この報道は、セルピコの告発に基づいた調査結果であり、それだけに、彼は警察内部では異端者として忌避される存在になっていたのです。

当時のニューヨークのリンゼイ市長は、世論に応えるため、5人の委員からなる調査委員会を設ける事を宣言し、その調査が進んでいましたが、一方、セルピコは、最も危険な麻薬担当への転出を上司に強いられていたのです。

瀕死のベッドから、画面は彼が11年前に希望に燃えて、警察学校を卒業する場面へとフラッシュバックします。
正義感の強い仕事熱心な彼が、同僚たちが不感症になっている収賄、さぼり、暴行などの汚れた環境の中で、外見的な変貌と内面的な苦しみを重ねてゆく推移が、早いテンポで描かれます。

人間的に一般市民との繋がりを深めようとすればするほど、職場である警察の閉鎖社会からは次第に遊離していくのだった。
そして、裸のつき合いを持つヒッピー的な友人の間から現れた優しい恋人も、彼の人間性には魅せられ、愛しながらも、余りの潔癖さとその苦悩を見るに耐えかねて、別れていってしまいます。

組織の全部が狂ってしまったその内部からの、外部に向かっての社会的な告発が、それに至るまで、どのように深刻な人間的な苦悩を踏むものであるか、そして、内部告発に踏み切らせるものは、その組織の上層部の硬直化した問題処理の態度に起因している事を、セルピコは強く訴えているのです。

しかし、組織の内部での真剣な解決への努力と内省の苦しみを欠いた、安易な内部告発は、むしろ、うとましい一種の卑劣感が伴うものであり、社会に強く訴える力は、到底、持ちうべくもありません。

やむにやまれぬ正義感に立って、しかも、あらゆる内部解決の努力を払った、最後の手段としての苦悩の告発であり、一方においてはそれと並行して、あくまでも、その組織内にあって忠実勇敢に、日常の職務執行に献身するセルピコのような姿にこそ、我々は心を打たれるのだ。 (2024年09月11日 16時10分59秒)

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