しろねこの足跡

しろねこの足跡

墓場の安息5,6


放課後は、墓場は楽器倉庫だった。
私が自分のフルートをとりに倉庫に入ると、クドー先輩が調弦をしていた。チェックのハンカチをあご充てに添えて、心持ち首を傾け、目を伏せて音色に集中している先輩は、私には気づいていなかった。
Aの音。低く、高く、ポジションを求めて彷徨う音色。安定している音質。正統派の音色。つややかで、繊細。バイオリンの音色は人の声に一番近いらしい。クドー先輩の穏やかな声に似ている。バイオリンパートの人みんながあこがれる音色。
 モトノ君の音色とは大分違うな、と思った。
 彼の音色は、その顔立ちやスタイルとはかけ離れている。大胆。時にはずしてしまうくらい強く、そしてなぜかネガティブな感情を掻き立てる。♭のついた曲がよく似合う。感情のふり幅の激しい音色。
でも知っている。
時々、高価なクリスタルのように繊細なピアニッシモを繰り出す。他の人と話したことはないけれど、私はモトノ君のそのピアニッシモの音色を入学したときから気にしていた。
沢山の女子の注目を浴びて、何人もの告白を受けながら、彼が未だに誰かと付き合っているという話は聞いたことがなかった。あまりにも、マイペースなため、格好いいけどちょっと変わった人、というのが最近の評判らしかった。
 私は、クドー先輩の音色を聞きながら自分の楽器を組み立てた。管楽器特有の、冷えた感触が唇に張り付いた。教室でのおしゃべりに用を成さなくなっていた私の唇は、少し強張っていた。

音色がそのひとの資質を暴露しているのなら、私はなんとおもわれているのだろうか。
きっと、譜面に忠実で、テクニカルな運指でつまらないとか、陰口たたかれている予感がする。恐いのだ。女同士の陰口と、裏腹な表面上の愛想のよさみたい。おなかにこめている粘度の高い澱が、音色にすると繕いきれずにあふれていくのが。感情をだして、得したことがなかったから、音でさえ感情を込めるのを恐れてしまうようになった。
矛盾しているのは自分でもよくわかっていた。人間に対して感情を込められないから、楽器を選んだのに、それすらできなくなっていた。
 なによりも、そのことに気づかれることを恐れて私はひたすらテクニカルな奏法に邁進していたのだ。
「トモってそんなに経験者って訳じゃないのに、随分腕あげきたよね。練習、さぼらないしね。まじめだし。」
 バイオリンパートのカナエが不意に話しかけてきた。3歳からバイオリンをしている彼女は、とても高校生にはみえない大人びた印象の人だった。隣のクラスだから、あからさまに無視されることはなかった。
でも、人気者といった風情の彼女は、ほとんどのクラスに男女問わず友達がいた。だから私の噂だってとっくに承知しているはず。
大人っぽくて、いつもボリュームのある胸を強調するようなリブ網のカットソーをきている。ボトムは足が太いのを気にしいるらしく、マキシ丈のロングスカート。これが彼女の定番スタイル。自分の見せ方をよく知っているな、と思っていた。自分が男性に一番効果的に見える見せ方を本能で知っている感じ。
体育大会や修学旅行で記念写真を話したこともない男子から、おずおずねだられたりしても笑顔で気さくに応じるようなタイプ。隠し撮りにもしっかり気づいていて、振り向きざまにキメ顔をしてしまうそのナチュラルな自意識過剰。
普通はこういう女子は、女子の間では嫌われるのだろう。実際嫌われているのかもしれない。けど、あそこまで男子に人気があるから、あからさまに陰口たたいて自分が返り討ちに遭いたくないがために取り巻きもおとなしい。私は、彼女には特に何の感情も持っていなかった。そもそも彼女と何かを取り合うほどの身の程でもないのだ。せいぜい、学年でも人気者のカナエとお近付きになれて、なんかいいことでもあるかも、というくらいに醒めていた。
カナエへの返事に、それしか取り柄がないから、といいかけて、こういう言い方がろくなことを招かないのかなと止めた。
「3歳から習っている人たちと一緒に演奏しなくちゃいけないし、演奏会も近いし。」
カナエは満足そうに、微笑んで自分の練習場所に戻っていった。どうやら彼女の望んだ答えを出せたようだ。ちょっとうれしくなった。そのあとすぐに、楽器を床にたたきつけたくなった。
 だから、こういうところが、自分の大嫌いなところだった。



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