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これは12世紀に建てられたクトゥブ・ミナールと呼ばれる石の塔です。鉄骨もコンクリートも使わずに73メートルの塔を仕上げています。たいした技術です。
上の2層だけ色が下と違って白っぽいのがおわかりになるでしょうか。これはこの塔があるとき壊れたのを宗主国である英国が新たに作り直したことによります。だから,この2層だけ材質が違うわけです。
ちなみに,インド人の青年とちょっとした会話をしたのはここから少し離れた木陰のベンチででした。

これはあの立派な塔の隣にある中途半端で崩れてしまった塔です。
先のクトゥブ・ミナールは石を丁寧に重ねて作ってあるのですが,こちらはクトゥブ・ミナールを作った王様の息子が「あんな塔,簡単に作れる!見てろ」とばかりに,砂と土の混合物(今で言うコンクリートのようなもの)で柱を作り,その外側をきれいな石でかためて作ろうとした,いわば「手抜きの塔」です。
こんな手抜きの塔が長持ちするはずがなく,建ててすぐにあえなく崩れ落ちました。今は見るも無残な残骸しか残っていません。その後息子は「やーめた!」と塔を作るのをあきらめてしまいました。

これはクトゥブ・ミナールと同じ時期に立てられた鉄塔。なんとステンレスでもないのに錆びていません。すごい精錬技術です。
このあと観光客用のデパートに行ってお買い物をしてきましたが買い物から帰ってくると調子が悪かったので,そのあと次の日の昼までホテルで寝ていました。その間の写真はありません。予定ではガンディーの火葬された場所,晩年暮らしていた家を訪れた後,敷地内にあるガンディー財団で平和のお祈りをささげることになっていました。
昼食後,予定通りに行動してきた集団と合流し,あるムスリム寺院の跡に行ったのですが,良い写真がとれてませんでした。唯一まともに撮れていたのは以下の写真だけ。

これはその寺院のシンボル。
この国を統治するには多くの宗教に寛容でなければならないと知っていた王様が,ムスリムの寺院のいたるところにこのシンボルを掲げました。
真中のハスはヒンドゥーと仏教のシンボル。ダビデの星はご存知のとおりユダヤ教のシンボルです。
多宗教であるヒンドゥーにも寛容を示したこのムスリムの王様,なかなかたいしたものです。(確か通常ならムスリムは多宗教に対しては不寛容なはずですから)
この後は,インド政府公認土産屋で買い物。ここで自分は銀メッキのティーセットを,父は母と妹にジュエリーを買いました。
その後はバスで市内をぐるぐる。以下はその写真になります。

こちらはインド大統領官邸。旧インド総督府です。
総督というのは国王(又は女王)が任命する彼(又は彼女)の名代。その総督が執務を執る場所として恥ずかしくないよう立派な建物が建てられています。
ちなみに最後のインド総督はルイス・マウントバッテン卿。東南アジアで日本と戦いました。
現在の英国女王エリザベス2世のプリンスコンソートであられるエジンバラ公爵フィリップ・マウントバッテン殿下の伯父にあたります。

いかにも貴族といった顔立ちであらせられます(ちなみに男色家だったそうです)。
この方は日本人嫌いだったそうですが,「軍は純粋に政治的な性格の裁判にかかわるべきでない」と,東京裁判を批判していたそうです。
ネット上では結構有名な話なので,より詳しいことが知りたい方は検索かけてみてください。

バスの中から撮ったインド国会です。

またリスがいました(笑)。大統領官邸前の並木道です。

最後の一枚。貧民の人たちが住むことになるアパートです。
お久しぶりです。近況報告 2007年04月08日 コメント(7)
おかげさまで77777アクセス突破 2007年03月25日 コメント(7)