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もしかしたら元気になる前の通り道なのかもしれませんけど、未だに毎日母を想いつらいです。というか、地味なつらさが増してきた気がします。7年半も経って、母はいないんだなと思うからか母の事が少しづつ遠くなってきているからなのか母がいないのが当たり前になっているからかそれが全部合わさっているからからかもしれません。それからここ7年半で、またはそれ以前から母と親しかった叔父叔母達が次々亡くなってしまったその寂しさもあるのだと思います。先日、お月様に母がいるんだと思えばいいのかなと思ったと書きましたけど、今日、お月様を見ながら、そうだね、母はお月様に引っ越しして会いには行けないし、電話で話すことも出来ないけど、いつも見てくれているそう思えば少し気持ちが楽になるなあと思いました。不思議なことがいろいろあったから今もいてくれる可能性はあると思うけどでもそれってわからない事だらけだから、ちゃんと見えるお月様にいてくれるという事にしたいのかも。母はお月様をよく見ていたので今はお月様から見てくれていると思うことにします。しばらくしたら、そんなわけない、なんて思うのかもしれませんけどとりあえず今はそうやってみます。
2024.11.11
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携帯に母の番号が出た話の翌日だったと思うのですが、寝る前に携帯を見たら、今度はなぜか普段開けないSNSが開いていて(偶然押した可能性はあります)友達の可能性がある人が出てくるページでした。そしてなぜか、一番最初に母と同姓同名の名前が出ていたので驚きました。そんなこと初めてです。私の携帯の住所録には母の携帯番号が登録したままになっていたはずです。母の名前で登録していたので自動で同姓同名の人と友達の可能性として繋がったのかと思いましたが、確認してみると母の携帯番号は、『母』で登録していて母の名前では登録していません。登録されてない母の名前なのにどうしてSNSの同姓同名を自動で拾ってきたのか、それも一番上に出てきたのはどうしたらそうなるのか全然わかりません。ちょっと妙な話でしたけどたぶん何かの偶然なんだと思います。でも、不思議な事があるから母はいてくれるかもしれないと思って頑張っていこうと思います。下:タイマーで自動的に灯りがつくので無人のお仏壇にお供えしています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.10.29
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昨日夕方、知人と電話でちょっとおしゃべりしよう、長電話になるし、ちょっと疲れたからとベッドに横になりながら携帯で電話をかけました。でも何か知人の電話が調子が悪いようで上手く繋がらず、他の人数人にかけたらやはりこの日に限って誰も出ず、なんだかちょっと寂しく、疲れて、一瞬うたた寝し、携帯をパタンと胸元に落としました。慌てて携帯を胸元から抱きかかえるように取って画面を見ると、なぜかわからないけど、お母さんと登録してある実家の番号が表示され自動的に実家に電話がかかっているところでした!そんな事ってあるんでしょうか。うたた寝は一瞬で、うたた寝前に実家の番号を触ったとかそういうことはないので、なぜお母さんという画面が出たのか不思議です。電話帳の一番上にあるとか、そういうわけでもないし。なので、ちょっとだけ不思議な事がまたあったんだな、最近、母はもういないのかなって寂しいのでちゃんといるよって言ってくれたんだなと思うことにします。下:タイマーで自動的につく本物の蝋燭のような灯り。これも実家の無人のお仏壇にお供えして、夕方になると灯りがつきます。インテリア用、クリスマス用はこちら。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.10.27
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母が亡くなって7年半が経ちますが、いまでもふと、というか毎日のようにあれをすればよかったな、今ならもっと知識があったのにな、もっとよく出来たかもしれないのにな、と思います。今日はヨーグルトを食べながら、今ならヨーグルトは手作りだし、もっと知識があるからもっと栄養になるように食べてもらえたのにって思いました。他にも、なぜもっと葡萄を買わなかったんだろうとかお寿司をもっと買わなかったんだろうかとかもっと点滴してもらえばよかったのかとか栄養剤処方を頼めばよかったのかとかいろいろ思います。でも、大抵のことがそうなんですけど、当時もヨーグルトは毎日食べてもらっていて、ヨーグルトには必ず季節のフルーツとかジャムとかベビーフードとか何か美味しくて栄養になるものを添えていたのでその時考えられたやれることは全てしていたんですね。だから数ヶ月おきの血液検査で栄養状態が良いから栄養剤を処方されることもなかったし(補助食品としてカタログ購入はしていましたけど味が人工的で美味しくなかったのでたまにしか使用しませんでした)抱えるようにして歩いてもらったり、プチ運動していたので医師に足にはちゃんと筋肉がついていると言われて何か特にこうしなさい、ああしたほうがいいと言われなかったんですね。あれだけいろいろしても、こんなに毎日思うんだなあって思いますけど、大事に思っていたからしょうがないです。最近何度か夢で、お母さんにあれをしてない、これしてないって心配するけど、ああでも大丈夫、お母さんちゃんといるから大丈夫って思いながら目が覚め、亡くなったんだなって思うことがあります。今でも諦めきれないし、あれこれしたいんでしょうね。きっと今もどこかにいてくれるかもしれないと思ってがんばって行くしかないんだなと思います。下:全部本物そっくりのキャンドルです。実家の無人のお仏壇にお寿司もステーキも他にもいろいろ並べてます。父母が見て楽しめるように、お腹が空かないように!大手蝋燭メーカーの仏事用キャンドルなので見た目も綺麗で安心しておけるし使えます。安全なように実際燃える部分は少なく早めに消えます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.10.27
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今日、ほんの2秒くらいうとうとした時に母の夢を見ました。シルバーカーを押している母と一緒に外出していて、オレンジ色の家の前の道路に細長い三角の小さなスペースがあり丁度腰をかけられるような場所があるので、ここで少し休んだら?こういうところで休み休み歩くといいよ、とそこに母に座ってもらう夢です。母はいつものように、小さく頷いてゆっくり座ろうとしていました。母と散歩していた時は、そんな感じで母が疲れないように休み休み、椅子に座ったりコーヒーショップに入ったりしてたのでそれが夢に出ただけなんだと思いますけど、シルバーカーの時の母、もう10年以上前の母を身近に感じ良かったです。後で考えるといくつか偶然が重なっているのでちょっと不思議な事だと思って母はやっぱりいてくれるのかなと思う事にします。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.10.04
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このブログを書きながら、眠くて一瞬居眠りして母の事を考えている軽い夢を見ました。夜遅い時間だったせいか、母の帰りを玄関で待っている夢です。母はなかなか帰ってこなくて最近母の気配がないんだけど母はいないんじゃないかって思います。そんなことはない、母のものが沢山あるでしょう、スカーフとか上着とか、靴とか、沢山あってそれを見れば母がいるのがわかるでしょうって誰か身近な人と話をしながら、母のものが沢山あるから母はいると安心し、母が帰ってくるんだと懐かしい気持ちになりました。でも目が覚めながら、母は亡くなったんだと気がつきました。夢でも母が帰ってくる気持ちになれて懐かしい気持ちがして嬉しかった。母はいつも私と一緒にいてくれるからがんばっていかなくちゃいけないですね。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.10.03
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母が亡くなって7年半近くになりますが、最初の4年位に比べるとわんわん泣くこともほとんど亡くなりましたけどかといって悲しくなくなったわけではなく未だに生きていてほしいと思うし何かもっと出来なかったのかなとも思います。大事に思っていた人はたぶん10年どころではつらさはなくならないし、何十年たってもつらいのだと思います。母だって父の事をずっと大事に思っていました。5年以上経って、少しづつ、幸せだったな、楽しい時間が過ごせたな、ありがたかったな、そういう幸せな気持ちが出てはきていますけどまだ悲しさやつらさのほうが強いです。実家のことや母の事やいろんな事はまだまだ手をつけられないものも沢山あります。少しづつ前に進まなくちゃとは思っているんですけど、悲しかったりつらかったりするとなかなか出来ないですね。母が応援してくれているのは知っているからどうにか前を向いていこうと思います。少し涼しくなってきたので、綺麗な色の洋花をお供えに買ってきました。いつも和菊などのいかなにもなお供えだったんです。やっぱり供養のためだから仏教的なお花が良いと思って。やっと普通のお花もいいかなと思えるようになりました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.10.01
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災害のこととかで気持ち的に何も書けませんでしたが書きかけのものがあったのであげておきます。どうということはない、思い出話です。このお店の事の覚え書きで長い話になりましたので先におことわりしておきます。もう25年位前の話ですが素敵な年配向けの婦人服メーカーをデパートで見つけ時々母にプレゼントしていました。売り切れている色やサイズを取り寄せてもらうようになったり素敵なので叔母にもプレゼントしたり、そのブランドが若向けのブランドを出すようになると私のものも購入したりするうちに、ファミリーセールの案内が来るようになりました。場所は普段行かない、家からは離れた所にあって平日に休みを取れないことも多かったので行ったのは数回でしたけれど、戦後の混乱の中、地域の主婦達を雇って女性達の経済状況も向上させようと女性が立ち上げた会社なのだそうです。その一連として、ファミリーセールも会社のある地域の方にサンプル品やシーズンオフ品を安価で販売し還元するという位置づけだったらしくて、私が初めて行った15年位前は会社の敷地でお餅つきをしたり、物産販売をしたり、購入額でくじが引けたりと楽しいイベントをしていました。デパート定価の3割引き位のものが多くまとめると結構な金額だったのであれもこれもは難しいと悩みながらいつもお買物してましたけど、撮影などに使われたサンプル品等は10分の1位だったようで、それは近場の人達が数時間前から並んでぱっと買っていってしまっていたようです。外のイベントは私は最初はよくわからず、お餅つきもやってるの?みたいな感じで素通りしていましたが、つきたてのお餅だから母が喜ぶかな、と2回目に行った時買ってかえりました。その次は、お餅つき自体を高齢になってきた母に見せたら良い刺激になるかな、それにその場で母に合うかどうか服も選び易いし、と母と一緒に行くことにしました。その時は母はもうシルバーカーで駅からお店に行く出口を間違えたので、ぐるっと回るよりは、とタクシーに乗ったら運転手さんも近所の方でなく私もその場所は駅とお店間しかわからないので逆方向から行くと全然わからず、当時はナビがあるのに使えない運転手さんが多くて住所を伝えたら運転手さんの感覚で勝手に進んでしまいものすごく大廻りして本当はワンメーターくらいの距離が2500円位になってしまってショックでしたが、母が疲れずに良かったのが一番大事だと思ったので、母のあまり体力がなくなっていた頃ですね。2012年頃だったかもしれません。ファミリーセールは通常はショールームらしい会社の1階を開放して行われていて、沢山のラックやワゴンが並び、沢山の人が行き来しごちゃごちゃ状態なんですけど、お客さんが一息つけるように隅に大きな丸テーブルが2つと椅子が沢山と、お茶や飴が置いてあり、(すごく感じの良い会社ですよね)母にはそこにいてもらって、あちこちで見つけた服を母のところに持っていってあててもらっては選んでを繰り返して3~4時間はいたと思います。母はいつもなら自分でもあれこれ見に行って選んでくる人なんですけど、そのときは疲れやすくなっていたのでしょう、ただ椅子に座って、黙って周りを見ていました。でも私が一生懸命いろいろ見て母にあてるのがわかっていたので、黙って、文句も言わずに何時間も座って待ってくれていたのだと思います。勿論私もこまめに母のところに行ってお茶を入れたりしていました。先にお餅つきをやっている外に行ってきなこ餅か何かになっているのを買って、気をつけて食べてねと言いながら小さくお箸でわけて食べてもらったりもしていました。外でお餅をついているから見に行ったら?と勧めましたが、座っていると言ったのは疲れていたのか、それとも遠慮していただけで見に行ってもらった方がよかったのか今もわかりません。でもお餅つきは今まで沢山見ていたのでしょうから別に見なくても良かったということにしておきます。つきたてのお餅を食べてもらえたのは良かったです。その日、お店から駅までの帰り道、行きはタクシーで散財してしまったので帰りは駅が近くでわかるからと歩くことにしたら雨がパラパラ降ってきて、当時いつもバッグに入れていたビニールの折りたたみのレインハットをスプリングコートを着ていた母にかぶってもらいました。いつもバッグに入れていたけど使ったのはその時が初めてです。私はパラパラの雨で濡れたけど、母は濡れず、私が濡れないために持ち歩いていたけど母に使えて良かった~と思いながら、でも母はその時はもう、自分だけ濡れないで私が濡れていることに気がつかないようでした。いつもなら、私が使うようにと何度も言ってくれていたはずなんですが、多分シルバーカーを押して歩くのに精一杯だったんだと思います。あのころはもう、はあはあ言いながらシルバーカーを押していたかもしれません。母一人では道路の凸凹でシルバーカーが真っ直ぐ押せないので私も片手でシルバーカーのハンドルの端を押して歩いていたら、お餅つきの手伝いが終わったので帰るところだという店員さんが、「お母様とご一緒で良いですね」と後ろから急いでやってきたようで声をかけてくれて、他愛のないおしゃべりをしながら駅までご一緒したのも楽しい思い出でした。私が高齢の母を連れているので嬉しくなって(多分その方のお母様を思い出された)声をかけたとおっしゃってましたが、その方、長年そのお店に勤めていたそうなのでたぶんお店が近々廃業されるのをご存知で(私は知りませんでしたが)ファンのお客様に話しかけたかったんだとも思います。母と一緒に歩いているとそういうことって時々ありました。男女問わずに、年配の方が、お母さんを思い出されたと、何か声をかけたくなるようでした。その数年後、母が骨折で転院したばかりの時もファミリーセールがあり、骨折の治療で治って退院してくると思ったので退院時のおしゃれにも良いかなと、お見舞いに行く前に、急いでファミリーセールに寄って母が好きな色合いの素敵なブラウスを購入しました。でもそれをベッドの母に見せると朦朧としてよくわかってなくて、普通とは違う感じで、声も発せずに震える手で布地を何度も触るんです。目が見えてないような感じがあり、どうしたんだろう、おかしいと看護師さんに訴えて、そこからやっと検査が始まり、翌日脳梗塞とわかりました。そんなわけで、母との思い出もいろいろあるお店のファミリーセールなんですが、母と行った翌年あたりにイベント部分はなくなりそれから急にデパート撤退が決まり、そのすぐ後会社自体も閉鎖するということで、最後のファミリーセールのお知らせが来ました。その時初めて知ったのですが、創立者の女性は高齢でしばらく前からご親戚の若い方がブランドを管理していたようですが、(それで若向きのデザインが出てきたりしたのかもしれません)このブランドを手放すことにしたそうです。でも長年のファンがいたからなのかどういう形態かはわからないのですが、そのブランド自体は未だに継続していて今までとは違った雰囲気のものが出ています。そして未だにファミリーセールのお知らせが年に1回来て、最後の在庫品と思われる服も出ているのですがが、入手困難品とわかっているので販売するほうも定価に近い価格で販売しています。それでも、もう入手出来ないから気に入った物があったらと2年前に行き、今回、と言っても数ヶ月前の事なんですが、また行ってきました。選んで購入したのは、スカートに会わせるときちんと見えてスーツ風になる、丈が短めのジャケットと以前のブランドらしい雰囲気のカーディガンの2枚だけ。でも母との思い出のお店で買い物できたのでちょっと幸せな気持ちでした。感慨深いって言うんでしょうか。母と手をつなぎながら歩いたり、母に服を選んだり美味しい物を食べてもらえたのが宝物です。下:畳んでバッグに入れておけるレインハット。傘がさせないときのちょっとした雨よけにあると便利です。
2024.09.23
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今日は中秋の名月だね、と何人からかラインをもらい、一応お月様を眺めよう、お母さん、お月様を見るのが好きでいつも、綺麗だから庭に出て見てご覧!って言ってくれたから、と重い腰を上げてカーテンを開けました。この時期この時間帯、お月様が出ている方角が正直全然わからなくて、外に出ないと見えないかもしれないと思いながらとりあえずカーテンを開けたんです。すると、真ん前に、それも丁度見える位置にまん丸の光り輝くお月様が出ていました。まるで私が見るのがわかっていて丁度良い位置にいてくれたようで、ちょっと不思議でした。それもいつもの銀色のお月様ではなくて、金色っぽく縁がひときわ明るくて、それが眺めているとキラリ!キラリ!って光るんです。何か大気の関係とかあるんでしょうけど。で、月の影というんでしょうか、あれが何かの形に見えたことは今まで一度もなかったのに今日はなぜか、右端に人のような形に見えて、それもなんだか手を振っているように見えます。最初は、うさぎがおもちつきしてる形?初めてうさぎみたいな形にみえたなあってよく見たら人のような形なんです。お月様に対して小さめなので、人がいるように見えます。本当に人だったら巨大過ぎるので、違うのはわかるけど何かの形に見えたのは初めてなのでちょっと不思議な気もしました。寂しい思いをしているから、母が元気づけてくれたのかな。そう思うことにしましょう。偶然と言えば、先日和菓子をいろいろ買ってきた際、月餅もお供えして、先ほどたまたま頂いたんです。月餅って中秋の名月に食べるものなので偶然お祝い出来て良かったです。追記:後でもう一度お月様が見えた場所を確認しました。遅い時間なのにカーテン開けた時間に、すぐ前=部屋の真ん前の丁度見えるところにお月様が出ていたってすごい偶然で、やっぱりそれは不思議なことだったかもしれません。母が、綺麗だから見なさい、って言ってくれたのか私の家に遊びに来てくれたのかお月様から手を振ってくれていたのかもしれません。お月様みたいな遠いところにいるけどこうやって部屋の前まで来てくれて手を振ってくれる、綺麗なお月様を見せてくれる、今母はそうやっていてくれる、そういう事なのかもしれません。内閣総理大臣賞褒賞 月餅4種12個セット 横浜中華街で行列 お中元 月餅セット ギフト げっぺい mooncake 菓子 食べ物 誕生日 手土産 プレゼント お祝い 内祝 出産内祝 結婚内祝 国産 中秋の名月 中秋快楽 敬老の日 グルメ 送料無料楽天で購入画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.09.17
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母と一番仲が良くて私も気兼ねなく親しくしていたこんなに善い人はめったにいないと言う位優しくて心が綺麗だった母の妹の話です。叔母の事はなくなってずっとしても大事に思っているのですが、先日、ふと、従兄弟である叔母の息子に電話しようと思いました。かけてすぐ、その日が叔母の誕生日であることに気がつきました。しかし従兄弟は気がついていないようでした。その後電話を切って考えてみたら今年は叔母の節目のお誕生日だったんです。それでまたその話を伝えたので、叔母は可愛い息子(相当ぼやっとしているので私はいつもどうかと思っているけど叔母にとっては大事な一人息子)にお祝いをしてもらえたので良かったです。従兄弟はとりあえず毎日お供えは欠かさないそうで(従兄弟は叔母が苦労した夫のほうに似ていて虚勢を張るところがあるので、本当かどうかわかりませんが全くの嘘はさすがにつかないと思います。)それだけは良かったなと思いました。叔母が亡くなって長いですけどお祝いを私も遠くから心の中でできたのは良かったなと思いました。ふと思い出して電話をして、従兄弟に節目のお誕生日だと知らせる事ができたのはやっぱりこれは不思議な事の一つなのかもしれませんしこの週末毎日母の夢を見ていたり電話しないと、と夢で思っていたのはこの話につながっていたのかもしれません。
2024.09.17
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15年位、毎年買っているとっても便利なポケット付の花のカレンダーですが、最初は花の写真が、学習帳みたいな図鑑みたいなアップの写真ばっかりだったんです。まるでカメラ好きのカレンダー会社の人がはいはい、花の写真ですね、って単にアップで撮っているような写真ばかりで、もうちょっと雰囲気ある方がいいなあと見てもらえてない確率高いけどアレンジメントなどの写真もあると嬉しいと購入したお店の商品レビューに書いていたら少しづつ素敵な写真が増えてきて今は毎月楽しく見ています。で、今月、カレンダーをめくったらいつもと違う和の雰囲気で洋花なのに秋草の感じ。敬老の日を意識したのかもしれないし、秋らしさもあるけど、ちょっと寂しい感じがして、またこれはこれで、9月らしさ、敬老の日らしさが出ていいんですけど、やっぱりちょっと寂しい。母がいない敬老の日。お母さんにプレゼント買いたいな。美味しい物食べてもらって、素敵な服着てもらって綺麗なところに一緒にお出掛けして楽しい思いしてほしいな、と思います。今年の敬老の日は16日なので今週末出かけた際に、デパートの花屋さんで綺麗なお花を母に買ってこようと思いつきました。いつもの仏花ではなくて、華やかなお花を。今丁度、綺麗なお花が出始めていますから。敬老の日がお祝いできるって幸せです。下:とても便利なポケット付カレンダー。売っているお店がほとんどないのと売り切れが早いので、早めに注文しています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.09.09
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朝起きた時、お母さんに電話しようなぜかずいぶん長く電話してないけど大丈夫かなと無意識に思いそれから母が亡くなったことを思い出しました。母が亡くなって7年が経ちましたが、やはりこの位ではまだ心の中は混乱しているし納得もしていないのでしょう。母の様子を心配した時期が長かったし母が一人暮らしの時は電話も毎日して様子を見ていたので習慣として残っているというのもあるのでしょうね。まだ気持ちは何も考えられないし何もできないけどそれは母が望んでいることではないので元気に前に進まなくちゃいけないなと思います。下:冷凍お弁当セット離れて暮らす方にも、忙しいときの非常食にも。
2024.09.08
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現在、九州から近畿地方にかけて停滞している台風10号の影響で、九州などをはじめ豪雨による被害がでています。私は空き家の実家もありあれこれ心配はつきませんし、災害に遭われた方の気持ちを思うと自分も災害にあって家と家財をなくしたので又、母を亡くしたつらさもあるのでどうしたらいいのかわからなくなります。ですけど、それだけになってしまうとどうしようもなくなってしまうのは経験上わかっているので、あえて台風の話からそれた普通の豪雨の話を書きます。今年は蒸し暑いせいか、スコールのような豪雨が多かったように思います。今年は仕事を始め、通勤時、昼食時(往復)、帰宅時と毎日決まった時間に1日4回は外を歩くので以前よりも雨に遭う確率は増えます。しかし今の所朝は偶然雨が上がっていることがほとんどで強雨豪雨はなし。昼も上がっていることがほとんどですが、1回だけレストランから出るときに突然の豪雨になったことがあります。しかしその日は早めに昼食が終わり時間に余裕があったので10分ほど雨宿りして雨が弱まってから帰ることができました。帰宅時は最寄り駅についたらものすごい豪雨(雨雲レーダーで赤になってるレベル)になったことが2回ほどあります。どちらも傘はもっていたものの、1回はコーヒーショップで雨宿り20分、1回は駅で雨宿り10分で雨が弱まってから帰り、都合良く雨が止む不思議な事はなくなってきたのかな、母は遠くになってしまったのかなと寂しい気持ちがしていたんですね。でもその後は都合良く雨が止んでいて、1週間ほど前も雨雲レーダーではずっと雨のはずなのにちょうど雨雲の切れ目だったらしくて傘をささずに帰れました!そして先日も朝起きたときは豪雨が通勤時には普通よりちょっと強い雨、昼食時は小雨、帰宅時は豪雨予報が丁度雨の切れ目で傘いらず、私の家に着いたとたんにぽつぽつ降り出してその後豪雨になりました。やっぱりちょっと不思議なタイミング。丁度上手い具合に濡れずに帰れたと言うと、母の顔がぱっと明るくなり、ああ~良かった~っていつものようににこにこ笑ってくれる気がします。そんなに都合良く雨が止むなんて事はないと思うので偶然なんでしょうけど母がいてくれると思えるのは大事な事なのでこれからも母のおかげかなと思うことにします。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.08.31
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本当は母の事を思って悲しいんですけどちょこっとだけ前向きな話を書きます。でもその前に思い出のデパートの話があるので先にそちらを書きます。個人的な思い出話で覚え書きで書いているので、つまらないと思いますのでお断りしておきます。悲しかったので何かしら楽しい事をとその日のお惣菜を買おうと仕事帰りにデパ地下に寄りました。お盆休み明けだからか、ターミナル駅のデパ地下は混雑していて、この人混みの中、一度位、母が歩いていたりしないかな、とまだ諦めきれないんでしょうね、そんなことないのはわかっていながらぼんやり歩きました。そこは母がよく来たデパートで、私も子供の頃母とよく来て、当時は屋上の遊園地が楽しみでした。大人になると、仕事帰りに寄ることもよくありました。2000年頃だったのか、あるときこのデパートの催事場で母に良いかなあと思った紺色に小花柄のワンピースを似合うかな、サイズ的にどうかなと迷いながら眺めていました。このデパート、母は月に2回位来るから今、ここに来ないかなあ、そしたら似合うかわかるのに、でも今日は別の場所に行ってるからここにはこないよね~そんな偶然あるわけないよね~と思いながら何の気なしにぐるっと催事場をみまわしたら、なんと、母がエスカレーターに乗って下から上がってきてこちらに向かって歩いてくるじゃないですか!そんな偶然あるの?って思いながら母に声をかけると、母もびっくりで、でもとにかくそのワンピースをあててもらったら、思いがけず顔映りが地味で、サイズも大きめで似合いません。母に会わなければ、買っていたところだった、丁度通りかかってくれて似合わないのがわかって良かった、と偶然に喜びながら言いました。でも本当に不思議な偶然で、20分時間がずれていたら同じ階にはいなかったし、あそこであのとき振り返らなければ、母が丁度上がってこなければ、服のラックが沢山並ぶ催事場で母には気がつかなかったと思います。そういう意味では30秒ずれていたら会えなかったかもしれません。母はデパートが好きで、私に会っていなければ何かしらいろいろと買ったはずなのに、たぶん遠慮して、特に見る物はないと言うので、他愛のない話をしながら一緒にエスカレーターを降りたのまでは覚えています。それから多分一緒に食事をしたのだと思いますけど全然覚えていません。当時そのデパートにはお気に入りの和食御膳もある甘味屋さんや鰻屋さんが入っていたので、そこで食べたのだとは思いますしそこで母と何度か食事をした記憶はあるのですが、催事場で会ったあとどこで何をしたかは一緒に歩いた事以外忘れました。忘れてしまった位、母と歩いたり、食事をしたりは何でもない、いつもの事だったんですね。幸せだったんだなあって思います。沢山の沢山の両手一杯に抱えきれないほどの両手に抱えてるだけじゃなくて、空気のように包まれている母との幸せな時間を今でも持っているんだなあって思ってがんばっていこうと思っています。で、この後のブログで、きのこセットの話に移ります。母とは関係ない、きのこである理由もないこのブログの半分によくある、どうでも良い話です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.08.23
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ふと思い出したので書いておきます。この話は可愛い動物パンがちょっと出てきますけどそれがメインの話ではなくて只の個人的な思い出話なので、先にお断りしておきます。母が遠方のリハビリ病院に転院した翌日位の話です。母に一番良いと思われたので選んだリハビリ病院は私の家から片道1時間半、仕事先からも片道1時間半かかる場所にあり、仕事帰りにお見舞いに1時間半かけて直行しそれから1時間半かけて帰宅していました。(リハビリ病院を選ぶ経緯やコツについては別に書いています。私は片道1時間半以内なら通うのが可能と考え他の条件を優先したので遠い病院を選びましたが、リハビリ病院を選ぶのは大抵の方にとって初めてなので気がつきにくいポイントなどいろいろ参考になる話が入っていると思うので、このブログの右端下の検索ボックスにリハビリ病院と入れてみてください。)仕事先から電車を乗り継ぎ、平日は週4日位、病院へ通っていたのですが、乗り継ぎの駅は動物園がある駅で駅中のお店には、ガラス越しに沢山の動物パンが山積みして飾ってありました。とても可愛くて、思わず、これはお母さんに買いたいなあ!と思ったのですが、母は見せてもわからない位朦朧としている事をすぐ思い出しました。当時、小さじ半分のゼリーさえ飲み込めない嚥下障害で、鼻から差したチューブで栄養を胃に入れて3ヶ月で、この丸くて可愛い大きな動物パンが食べられるのは別世界の事になってしまっていたんです。ほんの数ヶ月前まで、いつも母の為に美味しそうなパンを選んでいたのに、ハロウィンの時はジャックオーランタンの形のかぼちゃのパンを食べてもらったのに、幼児でもできるこの可愛い動物パンを食べることさえ全く無縁のものになってしまったのです。これから回復するのかどうかも全くわからない状態なので暗闇の中を歩くような気持ちでパンの前を通り過ぎ、その後毎日のようにその場を通って4ヶ月ほどお見舞いに通いましたが、早足で通り過ぎていたからか、その動物パンをショーウィンドウ越しに見た記憶は2回くらいしかありません。その後、母は毎日のリハビリと声かけと努力の末柔らかい食事が出来るようになったのですが、退院の際に、推奨しない食べ物のリストの中にパンが入っていました。パンは嚥下状況が悪い人には飲み込みにくいとのことでした。その後小さくちぎってスープに浸して少し食べられるようになったときに、あの動物パンを見せてあげたい少しだけでも食べてもらえたら幸せだな、買いに行きたいな、と思ったものの、あんなに大きなパンは食べるのに無理があると思ったし、仕事しながらの介護で、普段行かない駅まで行く暇もなく結局その動物パンを買いに行くことも食べてもらうこともできませんでした。なんで無理してでも買いにいかなかったのだろう、と亡くなってしばらくは思いましたけど、やっぱり嚥下に良くないと思ったからというのはあったなあと思います。でも縁が無いものだった夢の話だったパンが食べれらるようになったこと、買ってきて食べてもらいたいなと思えた事は本当に幸せでした。いつかあの駅を通りかかったらお土産に買ってお供えしよう母は笑ってくれるかな、と思っています。何とヒョウ柄パン!ヒョウ柄マダムにお勧め。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.08.21
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短期間でのお盆の支度&猛暑に加え台風接近で電車が止まる心配で早めの帰宅といろいろ疲れましたが、金曜から家でのんびり休んでいます。沢山寝たからだと思いますが母と買い物している夢を見ました。夢の中で結構会話して嬉しかった。時間があるので掃除、洗濯、炊事とピアノの練習もちょこっとしてゆっくりしてます。夏もあと2週間、これから残暑厳しくなるしたぶん9月いっぱい真夏なんでしょうがうまくやり過ごさなければ。日傘は日本製が丈夫で遮熱効果も正確で安心。下は軽量のリバティ生地製と男性用。
2024.08.18
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今年は仕事&プチ仕事、お盆の最終日は台風接近で長期帰省はできずに、ばたばたのお盆でした。でもお盆はきちんとしたいのでお墓の掃除と新しいお花のお供えをしてお盆の飾り付けやお供えもし、迎え火を焚き、昨日は台風が接近する前に送り火を焚きました。台風が来ると交通機関が止まるし混雑しているので家でゆっくりすることもできませんでしたが基本的な事はできて良かったです。ちゃんとお盆もしているのを母が知ったらとても喜ぶだろうなあ、でも、無理しなくて良いからって言うだろうなあ、でも本当は嬉しいだろうなあって思います。不思議なことが本当なら母はちゃんと来てくれているしわかってくれているから心配しなくていいんですけどね。最近は不思議なことはほとんどないのですが、不思議なことは確かにあったから、母はいてくれるのかもしれないと思って頑張っていこうと思います。最近ずっとデスクワークだったので今回のバタバタで軽くあちこち筋肉痛と軽い腰痛さらに台風の低気圧で疲れていますが、台風を避けるために早めに帰宅してのんびりすごし、疲れをとっています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.08.17
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母を亡くして7年が過ぎましたが、未だに、何か親戚の事とか、母が知っていそうな事であれはどういう事なのかな、どういう関係なのかな、と疑問があったときに、これは今度母に聞いておこう、と無意識のうちに思うことが時々あります。そして、ああ、母はいないんだった、と気がついて、これを知っている人達ももう誰もいないんだ、と悲しく思うんですけど、もしかしたら、親戚のあの人が知っているかもしれない、今度会ったときに聞かなくちゃとできるだけ前向きに考えるようにしています。
2024.08.04
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しばらく前に途中まで書いたブログです。先日、定時で帰れたのですが、母の月命日だったので、スーパーにも寄らずに直帰することにしました。マッシュルームと人参と馬鈴薯と小葱があるからカルピスバターで簡単グラッセして、備蓄兼用で買い置きしてる冷凍ハンバーグに添えて月命日のお供えにしようと思いながら。デザートは月命日のお供えも近いからと先日書いた、半額とはいえ思い切って購入した大粒さくらんぼで彩りも良いし、良かったなと思いました。ここらへんまで書きかけていました。母と過ごすと言ったって何をするというわけではないですけど、家でゆっくりするとお供えもバタバタでなくてゆっくりできるので落ち着くんですね。お供えするときは毎回、「今日はハンバーグに人参と・・・」「美味しいと思うから食べてね~。」と母に食事の介助をしていたときのように話しかけてます。月命日の時は、「今日は月命日だよ。寂しいね。でも頑張ってるからね。」とか特に長い会話をするわけではないんですが。どこかで聞こえているかもしれないし。世の中不思議なことってあるみたいですから。よく、特に何をするわけでもないけど、家が一番、とか、家が一番落ち着く、とか、そういう事なんだと思います。そして、母がにこにこしてくれたことを思い出してこれからもにこにこしてもらおうと思っています。下:毎月季節の和菓子蝋燭がお供えできます。お供えに差し上げても喜ばれます。下: 本来は殺傷に繋がる生ものはお供えにはしないものですけど、栄養をとってほしいので、こういうキャンドルも実家にはお供えしてます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.07.27
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お盆の三連休は家でのんびりしています。雨なのでお墓参りは8月のお盆にする予定。最近仕事から早く帰れるので(時間給なのでその分収入は少ないのですが)帰りにデパ地下に寄ることができるようになり週末の買い出しはしなくても良くなりました。早く帰る、といっても直帰でも家に着くのは早くて7時とかですけど、家でゆっくりできるので、やっぱり翌日が楽です。今週末は3連休なので、どこかに出かけることも考えましたが家でゆっくりしながら掃除洗濯などで家を整えて気持ち的にも余裕を持とうと思っています。下:どちらのお店も何度か利用していますが包みも配送も勿論中身もとても良く、お供えに送るととても綺麗で嬉しいと喜ばれ、実家のお供えにもとても良い感じがします。果物と日持ちの良いゼリーなどあり、送り先の好みを聞いて選んでいます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.07.15
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ここのところずっと、一日中大雨の予定だったところが小雨で済んだ上にお昼には上がっていた、という経験をしていたのですが、毎日通勤&梅雨の時期だからもうしょうがないけど、先日は朝から雨脚が強く昼も土砂降りになった日がありました。朝はそこまで外を歩かなくて良いのでまあまあでしたが、雨の中お昼に出かけたら、帰る直前に土砂降りに。それでお店で少し雨宿りして、まあまあ落ち着いてから帰りました。お昼もそんなに歩かないお店だから良かったんですけど、でもこんなふうに大雨の日があるのは仕方ない。ただ、夕方、雨が上がっていたのでやっぱり不思議かも、と思うことにしました。雨が上がるのは偶然でしかないのはわかってるんです。ただ母が見守っていてくれると思った方が嬉しいし、それに本当に妙に雨が上がることが多いのは事実なので。その後又、予報は大雨でも小降りだったりお昼になると上がっていたりが続いています。気温も毎日30度越えの予報ですけど25~28度位の日も週に2日位あることが多いので助かります。といってもまだ6月だったので、暑いと言えば暑いですよね。普通雨だと気温低くなること多いはずなんですけどね。7月になって、夏もあと2ヶ月半、頑張ろうと思います。お昼はちょっと歩いて気分転換しようと思っているので気持ちの良いお天気だと助かります。夏バテにお酢が効きます。こちら柿だけで作った昔ながらの健康酢。このメーカーは老舗で母がよく物産展から買ってきてくれました。重いのに、大変だったね、ごめんね、って思いますが子供の健康を願う一心だったんでしょうね。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.07.02
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覚え書きのため書いておきます。今朝、夢を見ました。母は亡くなって悲しいけど、でも私にはおばあちゃんがいる、おばあちゃんが生きていてくれて介護して大事にできるから幸せだなあと、隣の布団に寝ている祖母を見ながら思い、祖母の痩せて皺の多い手をさすりました。今から起きて、祖母を介護しなくちゃと祖母を抱き起こそうと祖母によりそって幸せな気持ちで目が覚めました。毎日、母の隣に寝ていて、起きて母の介護しなくちゃ、がんばろう、と前向きに起きていたから、ごっちゃになったのだと思います。さらに、年をとっておばあちゃんになった母を夢の中で無意識に祖母と一緒にしちゃったのでしょう。祖母にお世話になったし大好きだったので夢の中でもお世話ができて、祖母の腕や手、体がはっきりと思い出せ、手をさすれて良かったです。
2024.06.30
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仕事をして毎日忙しいですけど母を想わないことはありません。さすがに仕事中は業務で頭がいっぱいなのですが、お昼休みとか、家への往復とか、家に帰ってからとか母を思い続けていることには変わりありません。忙しいけど、お供えは毎日しています。といっても、朝食にヨーグルトだけでも食べるからそれを母の分も入れるだけなのでほんのちょっとの時間と努力でできます。努力というのは、お供えする器の数が多いので(お水、スムージー、お茶、ご飯、汁物、おかず、フルーツ、ヨーグルトやパンなど)それを洗うのが面倒だという、どうしようもない理由なんですけど、洗わないと翌日お供えができないから頑張って洗っているという。本当はお水とご飯だけで良いんだと思いますけどあれもこれも食べてほしくて、自分の食事をいつも少し取り分けてます。これで母がお腹を空かせてないのは確実だと思うので安心になるんですね。陰膳っていうのがあって、留守の人や行方不明の人に食事を備えれば、きっと困らないでいてくれるという考え方なんだそうですけど、そういう考え方でお供えしてるんだと思います。何というか、諦めたくないんですね。いくらしたってしょうがないかもしれないけど他にできることが少ないし、それに写真の母がにこっと笑いかけてくれているので、ほっとするんです。母に喜んでもらうためにもうちょっと頑張らなくちゃいけないな、幸せにならないといけないなって思います。毎日忙しくて、簡単な家事するだけのことが多いけど週に1つは前に進むことしなくちゃね。まだ延び延びにしている用事が沢山あるので。楽しい事としては、あと2日で週末なので、この金曜日、寄り道して帰ろうと思います。どこかで美味しい物でも食べて帰ろう。そして土曜は用事を一つしようと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.06.26
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先日、美味しそうな瓶入りのプリンを買ってきて食べるのを楽しみにしていました。先ほど食べようと出して、美味しそうだからお母さんにも食べてもらいたいと、蓋を開けてお供えすることにしました。ケーキとか和菓子とかお寿司も食べる前に5~10分位お供えしています。「これ美味しそうなプリンだから先にお母さん、食べてね。」とお供えしました。母はいつも、自分はいいからと周囲に勧める人だったので、私に食べなさいと言うだろうなあ、と思い、「私、お母さんの後頂くからね。」って付け足して、でも、結局全部私が食べる事になるんだなあってぽつんと思いました。毎回、美味しそうなもののお供えはこの繰り返しですが、お供えしないより、お供えしたほうが絶対いい!きっとわかっていてくれる!きっと味わってもらってにっこりしてくれてる!毎日お供えしているから困ってることはない!って心を強く持っています。亡くなった人にいくらお供えしたってわかるはずない、という理屈はわかるんですが、お供えする側の自己満足だけじゃなくて、不思議な事ってあるようなのでもしかしたらわかってもらえているかもしれないからその可能性がある限りお供えした方がいいと思っているんですよね。昨日寝る前に、母の事を考えていて悲しくなったその時、隣の部屋の机のあたりから小さな本が少しずれて落ちるようなコトンとした音が聞こえました。普段はそんな音聞こえませんが、書類をざっと重ねてあるところがあるから何かがずれてそんな音がしたのかなあとは思います。でもそういう音って、母が亡くなって1~2年は悲しくなった時に、いるからね、って言うようにしたことが何度もありました。その音で、あ、やっぱりいてくれるのかなって気持ちを切り替えることができてありがたいなあって思ったので、やっぱりお供えだって届くのかもしれません。美味しく味わってもらえたら、父母だけじゃなく先祖に気持ちが届けられたら嬉しいです。下:日持ちするし見栄えも良いので無人のお仏壇に命日やお盆にお供えして飾っておき、次に帰省したときにいただいています。親族などへのお供えにも喜ばれています。味も良くて、品質的にも良品です。こちらはさらに見栄えがし、先方から感謝されました。急な注文になることが多いのですが、お店の対応はとても丁寧で、果物も良質だったそうです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.06.09
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今日はお昼は最近探訪中の方面へ行きでもあまり遠くへ行くと時間内に戻れないので近場に綺麗な(=清潔感のある)落ち着けそうなお店はないかなと歩いていると、遠くに綺麗な漢字3文字の看板が出ているお店がありました。何と書いてあるのかわからないけど雰囲気的に綺麗めの中華料理かな、とあそこまで行ってみようと楽しみに行くとなんとそこは、お花屋さんでした。ちょっとがっかりしながら反対側の道路を見るとチェーン系の回らないお寿司屋さんがあります。初めて行くお寿司屋さんです。中はちょっとがちゃがちゃした雰囲気でしたが、混んでいるし、大丈夫かなと覗いて、お店の方に、「あぶり頼めますか?」と聞くと、大丈夫ですとのことで、入る事にしました。本格江戸前のお寿司屋さんだとあぶりなんか頼んだら嫌だと思うので一応聞いてみました。お店ではセットがどんどん出ていましたしセットの方がお得のようでしたけど好きな物を多すぎずが良いので単品でお願いすることにしました。単品のお値段を見ると、チェーン店にしてはまあまあします。うには1貫1650円だったかな。で、却下。子持ち昆布はなくて、数の子が400円位なので同価格のいくらとかには頼むことにして数の子は却下。それよりもっとするけど中トロあぶりとサーモンあぶり、あとは卵と岩のり、あおさお味噌汁で2000円位でした。やっぱりチェーン店だからかかにや岩のりは冷蔵庫から出したばかりの冷え冷えで、ちょっと酢飯に合わない。中トロとサーモンもあぶる前に出してたのを見たらすごく薄くて美味しそうにも見えない色でした。でもあぶったのは美味しかったです。たぶん寿司職人の腕は良いのだと思います。酢飯が良かったかも。職人さんやお給仕の方は感じよかったです。う~んでも次は別の所かなって思いつつ出て、そして夕方、早く帰れたのでデパートに寄りました。デパ地下で昨日買い逃した野菜を少し、と思っていたら、閉店時間で、帰り際の通路で出店中の北海道のお店が海鮮丼というのでしょうか、物産展でよく出ている、酢飯の上に海鮮を山盛り載せたお弁当を「1000円引き!」と売っています。ちょっとのぞくと、美味しそうなうにが2切れぐらいのったのも1つ残ってます。すると同時に、私より前にいて迷っていた人に「この2500円のは残り1個で、ミョウバンを使っていないうにですよ」と説明してるじゃないですか。これは買いたいけど、私の前の人が買うのかなと待っていると、その方まだ迷っていて、私にどうぞ、と言います。「私が買いたいのこれですけどいいですか?」と聞くと迷っていたのは別の物らしくて、無事うに入りが買えました。ここのところずっと、うにパスだったのでわ~い、うにだ~と嬉しいです。でも考えてみたら今日はお昼も夕飯もお寿司だよね、なんでまたこんなにお寿司になったのかな、別の物にすれば良かったかな、と思ったけど、ふと、母はお寿司が好きだった、と思い出しました。母に食べてもらうためにお寿司三昧になったのかもと思い当たりました。お寿司は可愛いピンクの平紐で大きくリボン結びされて渡されました。まるでプレゼントみたいに。お供えにとても可愛らしい包みになりました。母がお寿司好きになったのは、祖父が晩年お寿司が特に好きだったから、と言っていました。祖父を大事に介護していたから、祖父を想ってお寿司をよく食べるようになったみたいです。今日は母にお寿司をお供えできて良かったです。追記:お供えしてからリボンをほどいて蓋を開けてみました。うには蒸したうにでしたけど美味しそうに軽く蒸してある感じ、そこにいくら、かに爪、かに、甘海老、ほたてたたき、海藻がはいってて素晴らしいので、蓋を取ったところをもう一度お供えして父母にも祖父母にも見て味わってもらってからいただくことにします。甘エビも帆立も母が好きなものでした。普通こんなにいろいろ入ってないのでやっぱり母の為に買えたのかもです。下2つは嚥下食のお寿司。一番下は冷凍保存の、備蓄にも一人暮らしにも便利なお手軽巻き寿司。買物が難しくなったご年配の方へ送っても喜ばれます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.06.04
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昨日は全国的に集中豪雨が予報されていて、私の住む関東地方でも、午後から雨、夕方から大雨、夜から豪雨と出ていました。お昼も雨かな、帰りは大雨になりそうだから、と今回は長めのレインコートとレインブーツと長傘を持って出かけました。お昼は曇りだけど雨じゃないので歩くのが楽でした。近場と言ったら近場ですけど、片道5分位歩くのを気分転換にしているので雨じゃないのは嬉しいです。そして夕方、外はずっと雨ですがビルから外を見る限りは小雨のような感じ。でも帰宅時の予報は大雨なので雨雲レーダーを見ると真っ赤な巨大な集中豪雨がまさに現在地にかかったところ。どうしようかと思ったんですけど今ならまだ間に合うかなと外に出たらほぼ止んでいるので駅に急ぎました。でも最寄り駅でまた大雨になっていそうだし、今日は早く帰れたのでスーパーに寄っていきたいけどスーパーにいる間に大雨になると困るなあ、でも野菜とか卵とか買っておきたいしと寄ることにしました。駅に着くと、集中豪雨はしばらく前に通り過ぎたようで、びしょ濡れといっても今までのように降ったばかりではなく少し乾いてきた感じだけど水たまりがあちこちにある感じ。で、傘もささないでスーパーに行きついつい長居をして、雨かなあと出ると、すっかり上がって夕焼けまで見えていました。予報だと雨が降ったりやんだりなんですけどなぜかいつも止んでいました。やっぱりお母さんのおかげかなあと思いながら帰りました。今日の夕飯はいんげん、葱、玉葱、もやし、小エビ、卵、紫蘇の炒め物。デザートにいちじく。朝は人参ジュースとバナナと牛乳のスムージーカッテージチーズのはちみつがけ、青汁。昼はトマト入り牛すき焼き、とろろ味噌汁、豆腐そぼろサラダ、漬物デザートにヨーグルトとお芋これで野菜・肉・魚・海藻・大豆・乳製品・果物・卵・芋・油でパーフェクトでした。なかなか10品目ってとれないので嬉しいです。お供えもいつもに大体こんなかんじですがてんこ盛り。お水、スムージー、青汁、ヨーグルト、ご飯、おかず、いちじく。お菓子も沢山。今日は鮎の日らしくて、鮎解禁と札が立って、和菓子の鮎が沢山桶のような容器に入れてあったので私も一匹捕まえることにして、お供えにしました。中に求肥が入っていて美味しいですよね。下:岐阜の銘菓、上り鮎。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.06.04
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今朝、ニュースで線状降水帯&強風の話を見たのに忙しくてしていて、聞き流してしまい、外に出ると雨が上がっていたのでレインコートもハーフコートでいいかな、と雑な雨対策で出かけてしまいました。外は水たまりも沢山出ていましたが、傘を差していない人もいる位にあがっていて鳥もさえずっています。そしてお昼に外に出ると、これまた大雨の後のようで水浸しなのに、日が照ってきてやはり鳥のさえずりが聞こえます。お昼から帰る時もお天気で良い気分転換になりました。しかし夕方以降忙しくしていると、これから強風を伴う大雨になるから早く帰るようにとのお達しがあり、帰ることに。しかし駅までは小降り、自宅の駅についてから雨脚は早まって風も強くなったもののずぶ濡れになることもなく、大雨になる前に帰れて良かったです。母が良かったねとにこにこしてくれるだろうなと思いながら、感謝しながら帰りました。これからの季節ロングのレインコートは持っていると安心なのでバッグに入れっぱなしにしようと思います。折りたためる人気の長靴画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.05.29
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今日は暑くなりそうな日だったので綿のシャツブラウスを着たのですが、スカーフで襟元を明るくしようと手持ちの物を見たら今まで1~2回しか使ったことがないリバティのスカーフに気がつきました。何十年も前に、初めてイギリスに行った時にリバティに寄って、リバティの良さを感じたくて買った物です。当時リバティって日本で知っている人はあまりいませんでしたし、今のような可愛らしい綺麗な小花柄も当時はほとんどなく、茶色とか深いオレンジ色とかかなり暗い色合いの中から顔写りが良さそうな柄を選んだのがこれでした。落ち着いた雰囲気のカーネーションが描かれています。カーネーションだから、お母さんにプレゼントしてもいいなと思い私には別の柄でと探したのですが他に良い柄がなく、値段も学生の身には結構したので迷った末に1枚だけ購入しました。そして母に見せてプレゼントに買ったことを言ったのですが、私が大事そうに見せていたからか1枚しか買わなかったと伝えたからかもしれないですけど自分はいらないから使いなさい、と私に言ったのだと思います。カーネーションの柄だし、お母さんにプレゼントしようと思って買ったの、と2回ぐらい母の襟元にあててみたりしたのですが、私に似合うから使いなさい、と言われ、確かに母には違う雰囲気のスカーフがいいかなと結局私もしまいこんだままでした。今朝これを見て、今週末は母の日だから今日使おう、丁度良かったと思いました。偶然にしては良いタイミングなので母がいてくれると思うことにします。母にはいろいろなスカーフをプレゼントしましたが、一度も使わずにそのまま仕舞い込んであるものがほとんどで、普段は母が買った普段使いのもの何枚かを愛用していました。スカーフって気がつかないうちに落としたりすることもあるので、なくしたら申し訳ないから、と仕舞い込んでいたのだと思います。なので私は自分のスカーフを母が寒そうにしている時や襟元がさみしいときにその場で巻いてもらって、似合うときはこれは母のにしよう、と母の分も用意して出かけることが多くなりました。リバティのスカーフも、プレゼントしていたらそのまま仕舞い込まれていたんだと思いますし、綺麗なスカーフはいろいろ使ってもらっていたから大丈夫、と思うことにします。下:リバティの綿生地はとても優秀で着心地良くアイロンいらず、すぐ乾き場所をとらないので大切な方へのプレゼントにも喜ばれます。下は本物のリバティ生地を使っていながらお手頃な既製服。(リバティ風生地や、デザインだけ提携したものは生地の良さが全然ないので気をつけてください)リバティって生地だけでも価格が高いので既製服を買った方が手間分だけお得ってことあります。勿論作る楽しみは別ですけど。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.05.12
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最近はどこの郵便局でも販売中の記念切手を壁に展示して注文しやすくしたコーナーがありますよね。郵便局に寄ると、習慣でつい記念切手の販売コーナーを見てしまいます。「ついでに綺麗なのをお母さんへの手紙用に買っておこう」と習慣的に思い、記念切手コーナーを見てからはっと「お母さんはもういないんだった」と気がついて悲しくなり、踵を返し、記念切手を見ずに帰る事が続いています。未だにそれを繰り返すのは、一つは郵便局に寄るのは最近は年に7~8回だけなのでまだ習慣的に繰り返してしまうことと、もう一つは、一人暮らしを初めてから何十年も母に記念切手を貼った手紙を毎週のように出すのを楽しんでいて習慣になってしまっていたからです。記念切手ってシートにいろんな絵柄が入っていますが、一番綺麗な記念切手はいつも母用にしていました。母は、綺麗なのはお友達に使いなさい、といつも言ってくれましたが、やっぱり一番素敵なのは母に見せたかった。母がもともと記念切手をわざわざ入手して(私が子供の頃は記念切手が人気で、郵便局に行列が出来たりすぐ売り切れたりしていたんです)手紙に貼っていたので、母が喜ぶ物を見せたかったからかもしれません。それで未だに、記念切手を見ると母用に、と思ってしまうわけです。でももう7年もたったから、しばらく経てば記念切手を見ても、少しづつ平気になるかも。音楽だって聴けるようになったし、テレビだって見られるようになったし、甘い物だって食べられるようになったから大丈夫だと思うけど、それぞれに時間のかかり方が違うもんなんですね。それにしても最近は手紙を書く人が少なくなりましたよね。私も友人達も、手紙のやりとりが多くて週に何通も受け取っていたのに、今は手書きの切手を貼った個人的な手紙は月に1通あるかないか位になりました。書こうとは思っても、書いていないとなかなか書けなくなったりしてもっと気軽に書かないととは思います。そうそう、亡くなった大事な家族にもう手紙が書けないって思うけど、実は書けます。自分の住所とか実家宛に書いて出せばいいんです。私は母や祖母あてにバースデーカードとか、年賀状とか出してましたし、未だにたまに出します。すごく綺麗なバースデーカードとか、母の日や敬老の日の立体花束のカードとかとても綺麗だから贈りたいなあと思ったのを送ってお供えしました。だから手紙だって送れます。どうしても悲しかったら書いて出せると思うともう二度とできないわけではないと少し気持ちがやわらぎます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.05.03
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先日実家に行った時の話です。私の部屋に積み重ねてあったものを少し取り出して片付けました。6年半前(当時)、母の葬儀で実家に帰った際、私の部屋に沢山の箱や衣装ケースが積み上げられていて中に入ることさえできない状態になっていました。その後数年は法要の準備や、掃除や片づけで忙しく(いまだに忙しい)私の部屋は後回しにしていたので何がそんなに積み重ねてあるのか全くわからなかったのですが、晩年片付けられなくなった母がとりあえず物を空いている私の部屋に積み重ねたのだろうか、と最初は考えていました。でも、母はそういう事はしなかったし、母を介護中に帰省した時にはなかった荷物です。母が亡くなったという急な連絡を受けた親族が母の葬儀前に急遽片付けるためにしたことなのだろうと気がつきましたが、帰省のたびに庭や居間や仏間の掃除などで忙しく6年半、手がつけられずにいました。とりあえず部屋の入り口にある物を出してみると一人がけのゆったりした椅子がありました。私が家で使っていて座り心地が良いので、実家にも送った物です。埃よけにかけていた布を外すとそこに、パッチン留めと呼ばれる髪留めが開いたまま1個と、切った黒い髪ゴムが1本、はずしたままの、座席ベルト(安全のためにつけていた)が椅子のカバーの上にありました。この椅子に最後に母が座ったのは亡くなる1年位前に帰省したときで、その時は要介護5だったので椅子に座ったり立ち上がらせたりは全て私が抱えるようにして介助していました。椅子に座ったまま身支度をするので、使っていた髪留めや髪ゴムが落ちたりなくしたりは今までも何度もありました。でも考えて見るとおかしいんです。母を抱えるように介助して、カバーも皺がないように(皺があると座っていて当たるので)いつも気をつけていたから、あったらすぐわかるはずです。わからなかったという事は母と実家から帰る時に落とした物だと思われます。母が最後に実家にいた日です。でも、母が切った髪ゴムを使っていたのはまだ自分で歩けた時です。母が要介護5になってから、デーサービスのスタッフさんも簡単につけられ、また、褒めてもらいやすい可愛い飾りがついた髪ゴムを使っていたんです。しかもこの時、母は髪を短めにしていたからゴムは使ってなかったはず。それとも実家で伸びてきた髪をまとめようとして以前使っていた髪ゴムを出して使ったのかも。そうだったかもしれません。でも元気な時の母の愛用品を置いて、ちゃんといるからね、って伝えてくれてるのなら嬉しいなって思いました。ずっと前のブログに書きましたけど、母が亡くなって間もない頃、母のお返しに添える挨拶状を書くため親族宅に行った帰りの駅の椅子に、開いたままの大きなパッチン留めが落ちていたことがあります。そのパッチン留め、ちょっと特殊でなかなか売っているところがないもので母も持っていて大事に使っていたのですが、使っている人を見たこともないのでそれが普段は来ない駅の椅子に、それも私がたまたま通りかかったときにあったのは驚きでした。しかも母がよく座っていた椅子だったのでなんだか母が元気を出すように励ましてくれたような気がしました。実家に母が一人で暮らしていたのはもう10年以上も前の2012年まで、母はそれから3~4回帰省しただけでその時は自分で何か出来るような状態ではありませんでしたし、6年半前に亡くなってからは私が滞在しながら片付けをしているので、母の生活の痕跡は薄れてしまっています。それを寂しいなあとずっと思っていました。それが、母が席を立ったばかりのように、今朝、デイサービスに行くために席から立ったばかりのように、ベルトや開いたままの髪留めや、ヘアゴムが座席にあったので、当時の気持ちがそのままよみがえってきて、もったいなくて、そのベルトや髪留めなどはそのまま袋に入れて、引き出しに保存しました。母が身につけていたそのままなので。6年半もよく、そのままで残っていてくれたな、手がつけられないままで、気になっていたけど、こうやって後で励ましてくれるために後回しになっていたのかなって思いました。
2024.05.01
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先日、東南アジアのフェリー事故のニュースを見て一番最初に思った事は、まず母に救命ベストをつけてもらって、と確認し、でもそれだけで半身不随の母は大丈夫だろうか水を怖がらないだろうか、とかいろいろ考え、やっぱりまだ母を守ることを考えてしまうなと思いました。お店に行けば、やっぱり無意識に母に似合う服を探しているし、柔らかい食べ物を見れば、ああこれならお母さんに食べてもらえると思ってしまう。今まで一生懸命、無我夢中でやっていたから仕方ないんだと思います。少しづつ元気になっていくんだと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.04.15
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この春で母を亡くして7年が経ちます。桜の真っ盛りの中で亡くなった母、毎年、母の命日は春の花が満開のぽかぽか日和で母らしいなあと思います。まだ母が元気だったとき、親族の葬儀から帰ってこんなことを言っていました。ある親族の葬儀は遠方だった上に大雨でみんなが大変な思いをしたらしく、自分の時は暑くなく寒くなく、雨も降らずに来てくれる人に迷惑がかからない日がいいけれどそんなにあれこれ勝手も言えないねえ、でも大変な思いをしてもらいたくないからやっぱり良いお天気の日がいいね、と。また、母のクリスチャンの従姉達が数十年前の当時はまだ珍しい花一杯に囲まれて見送られていて、そういうのも良いなあと思ったと言っていましたが、今は仏教でも沢山の花で囲むので母の時もそれはそれは綺麗に花に囲まれて微笑んでいる母はまるでお姫様のようでした。なので春に満開の桜や花々を見ると母の為に咲いているようで心がやわらぎます。母に届いていると良いなといつも思います。そんなこんなで7年経つのにいまだつらいけど、この春ようやく仕事について一歩進むことができました。母は喜んでくれていると思います。介護離職して母と一緒にいられ大事にでき母の法事や実家の片付けがじっくり出来てゆっくり休めたのはとても良かったのですが、なかなか仕事に戻る気持ちになれずにいたので良いタイミングでした。仕事を始めて、天気予報で雨が続く日が何度かあって、ああ今日はお昼外にでると濡れるなあと思っても外に出ると止んでいて歩くのが楽だったり、残業で帰るのが遅くなったのでどしゃぶりを避けられたりとまだそんなことがあります。今、お昼に出る場所を開拓中ですが、お弁当も余裕が出たら持っていこうとは思っています。でも気分転換に外を歩くのは大事ですよね。近くには桜が満開の公園もあります。それを見渡すカフェもあり、ありがたいなと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.04.04
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夕方一瞬居眠りをし、その時母の事を考えていたわけではなかったのに唐突に母が実家で布団に寝たきりの状態になっていてあ、母にお金をずいぶん長い間送っていなかった、大丈夫だろうか、と焦る夢を見ました。母は実家で寝たきりになっていたことはなく私が生活費を送金していたこともなかったので実際にあったことではなかったのですが、母の晩年は私が母のお金を管理していました。最初はあえて管理に関わっていなかったのですが、母が親族宅に滞在すると、年金が毎月空になっていて母が混乱する状態が続いたので、私が管理することにしました。それから母が現金に困らないように、母の年金をおろしてまとまった金額を母のお財布に入れていましたが親族宅に滞在して帰ってくるとお財布の中には2千円も残っていません。それが毎月1~2回起こり続けました。最初は母がなくしたのか、母の勘違いかと思っていたのですが、私がお金を管理するようになっていくらお財布にはいっていて、何にいくら使ったのかはっきりしたので、誰がこっそり母から長年に渡って、大金をまきあげていたのかわかりました。その他にもその人がした悪事は沢山ありますがすべて嘘で塗り固めて、隠し通そうとしているけどその罰は絶対その人に降り注ぐでしょう。母の話に戻りますが、そんな事があって、母が現金が手元になくて困ったことが晩年何度もあったのと、一人では動けなくなって、母の介助がまず第一とずっと思っていた事と、そういう心配事がふと無意識に出てきたのかもしれません。母が寝たきりの状態の夢なんてもう何年も見ていないので頭の奥にあったものが、出てきたのでしょう。一瞬の居眠りなのに、何で母の世話をしばらくしなかったんだろうなぜ忘れていたんだろうお金をしばらく送ってないなんて母は大丈夫だろうか、と焦って目が覚めました。夢って頭の中の整理や掃除のために見るので母の介護をしなくちゃという心配事を忘れるために見たのかもしれませんね。今でもこうやってふと母がいたときの気持ちになるとまだ母がいてくれるような気がして宝物の時間のような気がします。でも一応、夢の中の母、困ってなかったか確認。つらそうでも、喉が乾いたり空腹そうでもなかった。実際は、母が困るようなことはなかったので大丈夫。今もお供えはしっかりしているし困ることはないはずだから大丈夫。今日は帰りに大雨が降ったようですが、駅についたら道路はびしょ濡れで傘をまだ差してる人が数人いたので雨が上がったばかりのタイミングのようでした。そういうこと、よくあるので不思議です。最近は雨が多いのに、小雨か上がったばかりで歩くのが毎回楽なので母が助けてくれているんだなって思います。その話は又今度します。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.04.03
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今日はお彼岸の中日、ご先祖様が一番近くなる日だそうです。綺麗な春らしい和菓子がお重のように詰め合わせてあるお彼岸菓子をデパートで見つけてお供えしました。ぼたもちはお彼岸の入りにお供えしました。私はあんこのぼたもちは好きではないのですが、母に味わってもらえるようにお供えしたのを食べてます。こんなにあんこがついた餅米って贅沢なものだったんだろうなご先祖様に届きますようにって思います。こんなに贅沢な物がごく普通の身近にある生活ができるのは皆、ご先祖様と先人のおかげ。下:ぼたもち・おはぎにそっくりなお供え用蝋燭。日本の有名メーカー製で安心。留守にしている実家のお仏壇に長くお供えしておけます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.03.20
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母を亡くして7年近く経ちますけど、未だにつらいです。無意識の時に、母のいた時と同じ事を考えますし(これだったら食べられるとか寒くないだろうか、とか、母の介助をしなくてはとか)、防災対策みたいな大事な事を考える時は母を守るためにはこれでいいだろうか、とかつい考えて、母はもういないとわかっていながら母を守るにはこれとこれをこうして、とかあれこれ考えて、これなら大丈夫と落ち着きます。母とよく行った場所、通った所を通るとああ、ここをこうやって通ったなあとかここに座ってもらったなあとか、あっちでもこっちでも沢山思い出します。未だに、どうやったら助けられたんだろう、長生きしてもらえたんだろう、といろいろ考えます。当時から考えられること、出来ることは何でもしていたけど、それでももっと何かできなかったのかと考えます。お供えは毎日しています。お水とご飯とお茶と他に3品位とお菓子いろいろ。できるのはそれくらいしかないので。以前のように歩きながらも涙がこぼれてどうしようもない、ということはなくなりましたし、歩いていてふらふらくらくらするとか、何も食べる気持ちになれずに無理に食べるとか何もする気になれないとか、そういうのは少しづつなくなりましたが、何をしても母を思うというのは変わりません。いろいろと人として立派だったなあ、心が綺麗な人だったなあ素晴らしいお母さんだったなあと気がついて心の中で母にそう話しかけると母がにっこりしたり、今頃気づいたの、と嬉しそうに笑う気がすることが助けになりました。あとはいろんな不思議な事が助けになっています。全部偶然かもしれないけど、偶然すぎるみたいな。ちなみに不思議な事は実際あるらしくて、これは以前にも書きましたが黒柳徹子さんのお母様は、戦時中ご主人が南方にいた時ご主人が怪我したと言いに来られた夢を見たそう。それをカレンダーにメモしておいたところ、同日にご主人は怪我していたそうです。また黒柳徹子さんは学生の頃、街角の占い師に全国津々浦々に知られるようになると言われたそうです。デザイナーのコシノ姉妹のお父様は旅先で亡くなった日近所の知り合いのところに現れて娘をよろしくと話したそうです。なので母はどこかにいるかもしれないと思ってどうにかやっていっています。
2024.03.20
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帰り道、ふと見上げると目の前にそれは綺麗な細い三日月が上むきに浮かんでいました。静かに光った美しい三日月、母に見せたいなと思いました。こういう月を、父と母は仲良く見てとっても幸せに暮らしていたので、良かったなって思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.03.14
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ここのところ忙しいので料理をする暇がほとんどないのですがどうにかお供えはできました。玄米ご飯(昨夜炊きたて)抹茶青汁浄水器のお水ヨーグルトとリンゴ牛乳、人参ジュース、バナナ、リンゴのスムージー茄子とマッシュルームとアスパラガスの鴫焼きいちご毎日こんな感じの普通のご飯のお供えです。私が食べるものをとりわけて先にお供えするだけ。10品目で言うと乳製品、野菜、果物、油、海藻(出汁)の5品目だけ。私はお昼に外食して+鶏肉の6品目だけ。足りないもの卵・魚・大豆・芋類でした。芋類は青汁がすいおう(甘藷のつる)青汁なので、一応OKなのかなあ。すいおう青汁はどろどろしてなくてさらっとしてとても飲みやすい栄養価の高い青汁。他にもお菓子と飲料いろいろ、バレンタインデーに知人に頂いた高級友チョコ(さすがにもう食べます)頂き物の桜のお菓子などなど盛り沢山のお供えなのでちょっと安心できます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.03.14
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急須とか紅茶ポットとかって形が複雑でぶつけやすく毎日洗っていると、数年位で壊してまた買い替えなくちゃ、ってなりませんか?私はなります。昨年もガラスのポットを壊しました。以前はお店で気に入ったものを購入したり実家で母が買ったものの中から気に入ったものをもらってきたりしてたんですが、実家の片づけをしていたら母が買い集めた急須やポットが沢山あって、それを楽しそうに見ていた母を思い出すので処分できず、私が使っていくことにしました。といっても母のお気に入りっぽいものはそのままで、う~ん、これは別にいいかな、というのからもらうことにしました。前回は銀行の名前が英字で入った一応見た目はおしゃれなガラスポット。今回はうさぎの絵柄の陶器のポット。通好みの母にしては子供っぽい柄のを選んだとちょっと意外だったのですが、持ち帰ってよく見たら、伝統的な和柄のうさぎでああ、これなら母が気に入ったわけだと思いました。うさぎは跳ねるし前進するので縁起の良い柄だそうです。母は昭和初期の昔気質の文化の教育を受けているので私は当時はわからなかったけど今思えばとても縁起の良い色柄のものをいつも選んでくれていました。うさぎを見るたび、お母さん、縁起の良い柄なんだね良い事あるといいね、ありがとう、と思います。母が選んだものはまだまだ沢山あるので心おきなく使えるのは、幸せだなと思います。下:こちらうさぎのマークの有名琺瑯ポット。人気すぎてステンレスもあるようです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.02.27
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今回帰省から帰る前日に起こったことのもう一つは久々にテレビが勝手に点いたことです。テレビは確実に消したのですが、今回はリモコンを布団の真横に置いていたので間違って押している可能性が全くないとは言えません。押してはないと思うんですけど。夜ふと目が覚めて、明るいので見たらテレビが点いていました。テレビは以前のように、違う画面設定画面の一つだと思います、が点いていました。帰省中は天候が悪かったので何かそういう事が原因でテレビが点いた可能性はあります。と言っても、普段テレビが勝手に点くことなんてまずないし、寝ている時に(これでたぶん3度目)点くのも変なんですけどね。寝る前に母へ話しかけていたと思うので母が返事をしてくれたのかもしれません。このテレビ、母が使っていたテレビですけど、勝手に点いたとか、夜中に点いていたという話は全然聞いたことがありません。つけっぱなしで数時間経つと自動的に消える機能があるらしく、それは問題なく機能していたので、タイマー的なものがおかしくなっているわけではないと思います。今回はリモコンを押してしまった可能性がありますが、テレビが勝手に点く話は結構あって、『運び屋ゆきた』さんという、宅配便やウーバーの配達員をされていた方の漫画(とってもまっとうなお人柄を感じます)でも経験を書かれています。普段はそういう不思議な話は書かない宅配便の仕事あるあるとかを書かれている方なんですけどやっぱり不思議で書いておきたかったのだと思われます。この、ゆきたさんってお人柄の良さだと思うんですけどとっても「持ってる人」で、読んでて楽しいし奥様とかも最高だし、お薦め漫画です。ネットでも公開しているので検索してみてください。
2024.02.26
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母を亡くして最初の1年位は毎日泣いていたから目が潤んでいたからなのか全然わかりませんけど、白い煙のようなものがふわっと見えることがありました。それからぱったりと見なくなったのですが、私が大変だったとき1回とそれから昨年も1回くらいぱっと見えたことがありました。母が亡くなる前に白い煙のようなものが見えたこともなく、又、何か見間違いをしたとかないものが見えたということは以前書いた親戚宅の話以外はありません。何かふわっと見えたけど、何?と見たら台の上に置いていた布が落ちていたとか、そういう事は何度かあるので、想像で見えた気がするわけではありません。ネットで調べると、白い煙のようなものが見た人は結構いるようです。私はそういう話は本当かなあと思うし、ネットに書いてある見えたという人の半分位は何かの見間違いじゃないかと思っているので私が見えたと思うのも何かの見間違いとか目がかすんでいるとか、そういう可能性があるかとは思いますけど他にも不思議な事がいろいろあるので本当に不思議なことかもしれません。今回は、父母の法事の為に帰省した時の話です。帰省から帰る前日にはよく虫が現れるのですが、今回虫は見かけませんでした。しかし帰る前日の夕方、外出して疲れていてお風呂の後に椅子に座ってうたた寝していました。ここのところ寒かったので椅子の前にはデロンギの、上部に通気口なのか蒸気孔なのかが開いているタイプのパネルヒーターを置いていました。ふと目がさめると、パネルヒーターの左上から右上に白い煙のようなものがかなりの幅広さで流れているのが見えました。驚いてよく見ると、白い煙のようなものはパネルヒーターの上部に先ほどより薄く見えるので、あ、これは寒い時息が白く見えるようにパネルヒーターの暖かい空気が白く見えているんだな、初めて見たけれども、と納得したのですが、すぐに白い煙のようなものは見えなくなりました。それから少しパソコン作業などしてすぐにまたうたた寝してしまいました。そしてまたふと目が覚めるとやはりパネルヒーターの上部に、先ほどよりもうっすらと白い靄のようなものが見えるので、ああやっぱり暖かい空気が白く見えるんだなと思ううちにその靄のようなものはすぐ見えなくなりました。さっきもそうだったけど、不思議だな、暖かい空気が白く見えたなら今も見えるはずだけど?それにパネルヒーターが点いてたにしては寒いしお風呂に入ったばかりだから、点けてなかったのではと触ってみたら、点けていませんいませんでした。なので上部に見えた白い煙のようなものは蒸気とか暖かい空気ではなくて何かの見間違いか、夢か、不思議なものだったと思います。見間違いにしては2回続いたので、違うと思うし夢にしては起きてじっと目を凝らして見たので違うし、起き抜けやうたた寝から目が覚めた時に実際はないものを見たような気がした事は一度もないし、幻覚を見たこともなければ(親族宅の話は別として)何か薬を飲んでいるわけでもなく目も体も健康診断では問題ないのでやっぱり不思議なものなのかも。白い煙のようなものって説明ができないものなので、目が霞んでた(から白い煙が見えるというのも説明がつきませんけど)とか不思議ではない理由がちゃんとあるかもしれないし、他にも見ている人が沢山いるのでそういう不思議なものがあるのかもしれないしわかりませんけど今回、帰省から帰る前日の夜にはこんなことがあったと記録として書いておきます。雨が上がるのも偶然にしては続いているし不思議な事ってあるみたいなので父母が見守ってくれているんだな、供養をしてくれてありがとうと言ってくれているんだなと思う事にします。私にとっては世界一の素晴らしい両親でした。子供がこんなんで申し訳ないけどがんばってるのと感謝しているのはわかってくれていると思います。ちなみに、他人には???としか思えないけど不思議な事がある話としては航空機パイロットや空軍のパイロットがどう考えても不思議なUFOのようなものを昔から見ていてその話は関係者には当たり前であるとか、お医者さんや看護婦さんが結構な割合で不思議な話を見聞きしているという話とかですね。なので不思議なことは実際あるのだとは思いますけど実際少しだけ体験している私でさえも本当なのかなという気はします。ちなみにこういう話をする人を頭がおかしいと言いたがる人というのは、自分がした数々の悪事を隠蔽するために人の事を悪く言いたい人ですので気をつけましょう。
2024.02.26
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ぽかぽか日よりから一転し、急激に冷え込むはざーざー降りになるわで大変だった今週、父母の法事が予定されていました。雨でも何でも行かなくてはならないのでちょっと大変だなと思っていたのですが、天気予報は一日中雨なのに、なぜかお寺に行く前後はずっと雨が上がっていて、タクシー乗場まで行くのも楽だったし、帰りは叔母と少し散歩して楽しい時間を過ごせませした。お墓参りも雨がやんでいたし、実家までの往復も雨が上がっていて移動が楽でした。でもそれ以外の時間帯は雨や時にはみぞれが続いたので偶然にしてもちょっと不思議だなとは思います。そして不思議な話は続きます。
2024.02.25
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母と一緒にいる夢を見ました。日常的な実家の居間かどこかの場面で母が何かを私に言いました。何かを説明するちょっと長い文章。それを聞いて、「あ、お母さんこういう声でこういうふうに説明をしてくれた」とはっきり思い出して嬉しくて目が覚めました。母の声を忘れたわけでも、話し方を忘れたわけでもないし、母の事は明確に心の中にあるけど、ぱっと思い出すのは晩年の母なので昔の母とは違っているんですね。夢の中で見たのは、母がまだ元気なころの声と話し方でした。60代位の頃の母でしょうか。夢で改めて気が付いたけれど年代で声や話し方も少し変わっていたんですね。当時の母の話し方はもとの母の声よりも少し低くて落ち着いていて普段は口数は少ない母ですが、物事を説明する時は穏やかに丁寧に話していました。でも夢だから、どんなに大事にしたくても写真や動画のように残せないけどでも見られてありがたいなと思います。話の内容は覚えていません。家の事を教えてくれていたのか、何か私に教えてくれました。覚えていなくても、きっとそれは私に知恵を授けてくれたのだと思います。幸せな事だなと思います。母が話している夢はしまい込んでいた記憶が夢で出てきただけでしょうが、この日は実は、父母の供養をした日だったので母が来てくれたのかもしれないと思って幸せになりました。下:母に贈ろうかなと思っていたネット通販できる桜の盆栽。
2024.02.23
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今年は新年早々石川県で大きな災害があり未だに被災地では大変な思いをされているし、お元気でエネルギッシュだった方々の訃報も続くし母の命日も数ヶ月になったからか寂しいし落ち着かない気分が続いています。やらなければいけないことはいろいろあるのになかなか手につかないのでとにかく小さなものから先に少しでも進もうとまずは一つ郵送しなくてはいけない物を2つ出し、ついでに出し損ねていた友人への葉書2通と割引券のある通販注文を2つ出してきました。郵送しなくてはいけないものがまだいくつかあるんですけどとにかく1歩まず踏み出す、と、そんな感じ。そんな状態なのに、人の世話のほうは頼まれてもいないのにどんどん焼いている。成人病だとわかった知人に評判の良い病院を探したり、役に立ちそうな物を探して送ったり高齢の親族や知人にこまめに電話してみたり小さなプレゼントを送ったりして、今年に入ってからだけでもざっと考えても5人の世話を焼いています。たぶんもっと多いと思う。それはそれでいいんだけど、自分の事がおろそかでこれは違うんじゃないと思ったり。うん、でも先日二つ用事が出来たから、今週末もう一つしようと思っています。とにかく細々とでも、小さな一歩を踏み出していかないと。心の中で、お母さんがんばろうね、と以前と同じように声をかけながら、やっていっています。お供えは毎日しているから、母は困ってはいないと思う。お供えが出来ているということは、とりあえず食事はしているから、母は喜んでいると思う。一番基本の部分はどうにかやれています。来週からお出かけ予定が急にいろいろ入ったのでこれで気分転換して、やる気を出せればと思います。暖かくなるようだし、外出=運動にもなるし、おしゃれも楽しまないと。本当は母におしゃれしてもらって暖かくて素敵な服を着てもらって出かけたい。美味しい物を食べてもらいたい。でも、沢山したから大丈夫だよねお母さんと過ごせて幸せだよねそう思ってやっていこうと思います。上:遠方の親族に送ったら一族から感謝されました。配送も早くとても良かったです。下:母の命日は日持ちするこういったタイプを注文しています。実家のお仏壇が華やかになるので寂しくないかと。お盆まで飾って親族でわけてもらいます。ゼリーやジュースは高齢者が喜びます。こちらも配送が早いです。
2024.02.10
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2019年のお盆頃に実家で書いたままになっていたものです。忘れないように載せておきます。なかなか寝付けない時、母に語りかけをしています。母に語りかけることで少し安心した気持ちになったり、よくわからない状態の自分の気持ちが少し整理できたり、語りかけているうちに眠くなってきたりします。数日前も、寝付かれなくて起きてブログなど書き始めいつまでもこれではいけないと思い、自分の状況を整理するため母に語りかけを始め、気がつきました。そうだ、私、未だに母の事を諦めきれていないんだ。まだ、何か出来なかったかと思い続けているしまだ、何か出来る事はないかと探し続けている。でも母は亡くなってしまっていて気持ちと現実のギャップがまだ受け入れられない。だからこんなにつらいんだ。以前からわかってはいたことですが、最近やっと、状況が客観的に見られるようになってきたかもしれません。それは一歩進んだ証拠かもしれませんが、でも、気持ちは以前と同じで母の事を諦めきれないままです。諦めてしまったら急にものすごく寂しくてたまらなくなるのかもしれません。と、諦めてしまったらと書いた時、突然急に背後からカナブンがブーンとすごい音を立て私の横すれすれを部屋の照明目指して飛んできました。カナブンは金色の強いコガネムシでこの時期、窓を開けておくと照明の周りを飛ぶことはありますしぶんぶん音を立てる事もありますが、こんなふうに部屋の端の床から急にすれすれに飛んでくるのは初めてだし、タイミングも変だし、やっぱり、いるから悲しまないでいいんだよと言ってくれているのかもしれません。これを書いている数分のうちにさっき飛んできたカナブン、私のパソコンデスクの上にある目の前の携帯に止まってすぐいなくなってしまいました。あんなに音を立てて来たのに。やっぱり変かもです。普通カナブンって、電灯をぐるぐる飛び回るので。携帯には母の写真や動画も入っています。寂しかったらここを見たらって言ってくれたのかな。まあ、そうやって考えて元気にやっていくしかありません。母にはいつもお供えを欠かしません。もしどこかで役立てば、食べてもらえればと思っているからです。本当に楽しい気持ちにはなれないし何か楽しい事があっても本当に楽しんでほしい母はいないし無意味に思えるな、って書こうとしたら足に軽いチクッとしたものを感じて蚊かな?と触ったら、なんとカナブンでした。さっき携帯にとまったカナブンだと思います。キャーと手で払いのけたのですが、こんな事普通はないし、タイミング的にも、母がそんな風に思うものじゃないと言ってくれたような気がします。
2024.02.03
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母が亡くなった時あまりに急でとにかく母のためにできる限りの事をと法要や実家の片づけ、庭の手入れで忙しく、母を介護していた私の家に戻ってきたのは初七日を終えて少し経った後でした。その時はまだ母がいないことがよくわからない状態で、することをしなくてはいけないというせかされたような気分だったのだと思います。母の脳梗塞の状況について検索していた時、介護していた脳梗塞のご主人を亡くしたブログがありました。その方の話では介護していた大切な人が亡くなった時早く物を処分しないといつまでたっても片付かないとのことで、コメントでも賛同の声が多くありました。初めてそういう話を聞いたので印象に残っており母のリハビリのために使っていた絵本やおもちゃの一部を、母を治すことができなかった、役に立てなかったと思いながらつらい気持ちを忘れるように捨て、オムツや介護食は親戚やデイサービスに使ってもらい綺麗な衣類や生活用品は親戚に形見わけして沢山の物を片づけました。でもすぐ、母の思い出は全部取っておけばよかったと思いなおしたりして、残っているものはそのままにしておきました。居間を出るところには、忙しい朝、さっと持てるように前日に用意したデイサービス用のバッグをかけていましたが、母に最後に持たせたまま替えのオムツや着替えや連絡帳を入れたままいつもの場所に何年もかけたままでした。こうしていたら、母がいつでもデイサービスに行けるので準備は全部してあるから母は何も困らないようにとせめてできることは全部して、もうかなわない気持ちをほんの少しでも和らげていたのだと思います。いないから処分したらもうそれで諦めてしまった事、それで自分のほうでも区切りをつけたという事なので、それを避けたのだと思います。居間の出入り口にかけてあるので、毎日目に入りますが、母がいた時と同じであることで、落ち着けるというか、母が困らないように準備はちゃんとしているという安心感がありました。そう思うかどうかは人それだろうと思いますが私の場合はそうでした。他の事も、母が同居することになって母のために買った大きな箪笥には綺麗な色柄の肌触りの良い四季の服が入れたままでした。実家に送ろうかとも思ったのですが、着る服がないと母が困るだろうとなぜか思ってしまいそのままにしてありました。介護している時、母が寒くないように、暑くないようにおしゃれを楽しめるように、といつも心配していたから、その気持ちが残っていたんですね。キッチンには母の介護用のスプーンや吸い飲みカップがさっととれる場所に置いてありました。毎朝忙しくでも時間がなくてもとにかく母に何か食べてもらって脳梗塞の再発を予防する薬を飲んでもらうことが絶対忘れてはならないことの一つだったので大事な食器だったのです。これらを片づけてしまうことは母がいなくなったことを認めることなのと、これらの物がちらっと眼に入る事で母がいた日常がそのまま継続しているようで安心感があったので、片づけられずに何年もそのままにしていたんだと思います。無理に片づけて寂しい気持ちになることはないと思っていたので、しばらくそのままでいいと思っていました。たぶん、このままあと4~5年、もしかしたらそれ以上、ずっとそのままでいい、母のいた記憶のままでいいと思っていたのでそうしていたのかもしれません。どの壁を見ても、柱を見ても、床を見ても、ここに母に寄りかかって立ってもらっていたなここにつかまってもらっていたなここをすり足で歩いていたな、と母の面影がはっきりとよぎる大切な場所でした。家具や家電もマットやスリッパでさえ同様で、とても買い替える気にはなれません。母が綺麗だね、と言ってくれた、使っていたとかそんな些細な思い出が全て大事だったんです。ところが、大変すぎて未だ書けないのですが突然災害にあって、全てが泥だらけで残していた、母がいた時のままのものも多くを失くしてしまいました。それで母がいた時の状態はなくなってしまいましたが母が、元気にやっていきないさいと言っているのかなと思う事にしてどうにかやっています。災害に遭った人でないとわからないと思いますが何年経っても大変すぎてさらっとしか書いていませんが何年もたってどうにか立ち上がろうとしているところです、画像をクリックすると詳細が見られます。6
2024.01.30
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先ほど、お茶を飲もうかな、緑茶を淹れよう、と思いました。緑茶だけではないのですが、新しく飲み物を淹れる時は母にもお供えしているので、朝上げていたお抹茶のような飲みやすい青汁のカップを「今から緑茶入れるからちょっと待っててね」と言いながら下げました。下げるとき、私の斜めうしろのほうで母がにこにこしながら失語症で聞き取ることが出来なくなったもつれた言葉で何か言っている風景がさっと浮かびました。母の小さくて高い優しくて可愛らしい声を思い出しました。母を介護していたとき、母は居間の椅子に座ってもらっており、私が隣のキッチンに食事の用意に行ったり食事や飲み物を持ってきていたりしていたのですが、居間からキッチンは見えなかったので不安になったのか、一度私が食事の支度中に立ち上がってキッチンの方向に1~2歩踏み出してそのまま倒れてしまったことがありました。リハビリ病院から退院して一ヶ月位の時だったと思います。リハビリ病院では、肘掛けなどを支えにして立ち上がるコツを練習していたので、非常にまれですが、とても調子が良い時には自分で立ち上がれたのだと思います。幸いコートやデーサービスに持っていく衣類等をバッグにいれて置いている場所があってそこの上に倒れたので、怪我はなかったのですが、階段が近くにあったので、そちらの方向に倒れたら大変なことになるところでした。それを防ぐためにちょっとでも母から見えないところで用事をする時は一つは、自作のピンクのシートベルトをつけてもらいもう一つは、何々してくるからすぐ戻るね、ちょっとまっててね~と母に安心してもらうように説明していました。「お茶煎れてくるからちょ~っとまっててね~」というのは一日に何回も言っていた言葉です。そんな時、母が調子が良いときはにこにこしながら何か言っていました。母が何か言葉を発するとき、寒いとか、喉が渇いているとか、どこか痛いとか、何か不調を訴えているのでは、と理解しようといろいろ聞いていましたが、にこにこしながら、用事をする私に何か言うときは「ずいぶん頑張ってるね。感心してる。」みたいな事を笑って言っていたのだと思います。それを私の斜め後ろから言っているのを思い出したのは、母がそんな言葉をかけるときには私がキッチン等に移動しかけている時だったからで、今回思い出したのも、その時の事なのだと思います。一瞬、母がいたときに気持ちを思い出したのと、母の明るくて優しい嬉しそうな声を思い出せました。そういえば、倒れる前にはよく、お茶だのお菓子だのあれこれ出す私に、「ここはサービスが良いねえ」と冗談で笑って言っていました。だから失語症になってもそう言っていたのかもしれないですね。脳梗塞でも失語症でも今までの母がいなくなったわけでも何もわからなくなったわけでもなくていつもの通りの母がずっといてくれたのだと後になって気がつくことが沢山ありました。介護中は母が少しでも良くなるために目の前の事をするのに無我夢中であまりそういったことに気がつく余裕がありませんでした。今日ももしかしたら、いつものようにお茶をお供えし直す私に「ここはサービスが良いねえ」と嬉しそうに言ってくれたのかもしれません。下:おままごとサイズの小さなカップと受け皿。お供えに使っています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2024.01.12
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災害のニュースを見ると、未だに無意識に母がいたときと同じように、母を助けるための方法を頭の中でおさらいします。こうやって介助してこうやって避難して、とか母の分の避難用品の確認もしよう、コートは私のあの暖かいコートを着てもらおう、とか。そして、今は寒くないだろうか、お腹が空いたりのどか乾いたりしていないだろうか、何か困っていないのだろうか幸せでいてくれるだろうかと考え、母の髪や顔や手を撫でて安心してもらいたい、抱きしめたい、抱っこしたいと想います。街中に出ると、沢山の人がいるのでこの中に母がいたっていいはずなのに何でいないんだろう、と思います。深く考えるとつらくてたまらないからそれ以上考えないようにしています。似ている人さえいないので母はいないんだなあってことはわかっています。それにしても、似ている人さえいないほど母は特別な人だったんだなあ、あんなに綺麗な人、いないものなんだなあって今更気がついています。こういうことをいくら考えたってどうにもならないのもわかっているので前に進む方向にいくようにはしています。なのでこの後、新年福袋のささやかな楽しい話を書こうと思います。
2024.01.06
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先日デパ地下でかに足が売っているのを見た後、レストラン街でかに雑炊を見たからだと思いますが、母が大事にしていた親族が立派なタラバガニの足が綺麗に並んでいる四角い大きなお皿を母に食べてもらってと送ってきた夢を見ました。かにを食べてもらえる、と嬉しくて右側にいる母に、かに雑炊にするね、と言いお互いにっこりしたのですが、すぐ、母はいないんだった、もう母に食べてもらえないんだな、と気がついて目が覚めました。こういう夢はよく見ているのですが、寂しがっても良くないので大丈夫、かには食べてもらってた、とか大丈夫、美味しいものは食べてもらってたとかそう思うようにしています。母とかに料理の思い出はいくつかあるので思い出して感謝します。夢で見たって事は母に夢の中で食べてもらっているって事だから大丈夫と思うようにします。下:そういえばこの嚥下食も食べてもらってました。このシリーズは以前ベビーフードの老舗メーカーが作っていたのが別会社になったようですが、いろんな味の嚥下食があって、味も香りもちゃんとしていてとても重宝していました。量は少なめなので、1回に2種類とか副菜(嚥下食)やスープとろみ飲料、ゼリーや果物などで美味しく食べてもらっていました。下:祝い膳用の嚥下食材カットや盛り付けで下の写真のようになるそうです。
2023.12.29
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しばらく前に書いたファミリーセールの話の続きです。この話は個人的な他人にはどうでも良い思い出話なので先にお断りしておきます。母親に買い物を頼んだ時のあるある話なので「うちでもあった、あった、そういう事」って懐かしんで読んで頂ければ嬉しいです。20年位前、時々買い物をしているお店の本社からファミリーセールの案内が届いたのですが、セール開催日は平日で、仕事をしていたので行きたくても行けませんでした。その会社で扱っているバッグが欲しかった私は、セールになっているかもしれないと思い、母に代理で行けるか聞いてみました。30代だった私は母に頼み事をすることはほとんどなく、特に買い物に関しては私と母の好みとは全然違っていたので私の物は買ってこないでといつも言っていました。たぶんこの年代の母娘の関係としてはよくある話だと思います。そんな娘から珍しくお願いをされたので、母はとても張り切って二つ返事で嬉しそうに受けてくれました。当時母は元気でしっかりしていたものの、一応体調の事など大丈夫か聞いてみましたがとても張り切っていて、バッグも重たいものではなかったので私も安心して頼めたんですね。ただ、母の事だから、必要ない物まであれもこれも買うんじゃないかと思い、次の事を何度も伝えてお願いしました。1.買うのは○○というブランドのバッグだけ。2.店員さんに○○のバッグはどれですかと聞けば教えてくれるのでそれだけ買って。3.できたら大きめのショルダーバッグ。4.色はあったら薄いピンクか黒。5.他のブランドのバッグは買わないで。ブランド名は忘れると困るので、紙に書いて渡しました。そして当日、ワクワクして家に帰ったのですが、とっても嬉しそうに、楽しそうに母が並べてくれたのは!希望のブランド○○とは全く関係ないバッグがなんと5個!!え~?思わずへなへなな気持ちになる私。あれだけ、他のバッグはいらないと言ったのに、しかもなぜ5個も??その内容は・真っ赤な大きなバケツ型ショルダーバッグ・黒のフリル付大きなトートショルダー・濃いピンクの薄型トートショルダーそして極めつけが・高級爬虫類革小型手提げピンク・それと同じデザインの色違い黒どれも欲しかったブランドのものとは似ても似つかないものだし爬虫類のバッグなんて触るどころか見るのも嫌だしどうしたらいいのって感じでした。「店員さんに聞いたの?どうして全然違う物をこんなに買ったの?」と聞くと、若い店員さんに相談したところ、とっても親切にこれらを勧めてくれたから店員さんと一緒に選んで購入したと言うのです。とっても感じの良い店員さんだったと言います。「○○ブランドの事は聞いたの?」と言ったのですが総合商社のセールでブランド名は沢山あるので店員さんが知らなかったのか、母は聞いたけどこのバックを勧められたと言い何だか的を得ない答えしか返ってきませんでした。店員さんは、そのブランドは知らないけど親切な方だったので、母に付き合ってくれて買い物の手伝いをしてくださったのでしょう。母も、親切にしていただいて嬉しくて、若い人が選んでくれたから間違いないだろうと喜んで勧められた物をいくつも購入したのでしょう。楽しみにしていた私はとてもがっかりしたんですけど年をとった母がとても嬉しそうに見せてくれるので感謝しなくちゃいけないなと思いました。せっかくだから使おうと思ったのですが、好みと違う物ばかりで結局赤いのはそれが気にいった友人にプレゼントし、大きめのショルダーバッグは数回使ったきり、爬虫類のバッグは黒は母が使うと言ったものの仕舞いっぱなしになりました。当時はあまりのショックで、全然違う、これじゃないばかり印象にあったんですけど今考えると、どれも一応、私のリクエストの大きめショルダー、ピンクか黒、に沿ったものではあったのだと思います。爬虫類のバッグもピンクのと黒でした。良い物だからとベーシックな黒も購入したのでしょう。爬虫類は好きじゃないから2個も困ると言うと、母はこれは気に入っているから黒は自分が使うと言い実家に持って帰ってもらいましたが、多分一度も使わないままだったんだと思います。そのバッグは今も実家に仕舞っています。母はどんな気持ちだったのかな、娘のリクエストで頑張ろうと思って張り切って母なりに喜んでもらおうとあれもこれも買ってきちゃったんでしょうね。選んでいるとき楽しかったのだろうから良かったのかな。もっと嬉しそうに喜ぶふりをしたら良かったのかな。お互い正直に接してきたのだし、いつも母を気遣って母が倒れてからは、笑って幸せに介護してたから大丈夫と思うことにしてます。当時はあまりのショックで、全然違う、これじゃないばかり印象にあったんですけど今考えると母は優しかったな良くしてもらったな頼み事が出来る元気な母だったんだなありがたかったなって思います。
2023.12.26
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12月25日の早朝に一瞬見た夢の話です。お店にいて、なぜか若い親戚にシャツブラウスを選んでいます。2枚ほどこれは?と見せたのはグレー系の柄ものでした。ところが3枚目の青系の濃淡の糸に黄色の糸もアクセントに入った複雑な柄の綺麗な織地で作られたシャツを肩から羽織るようにあてたのは後ろを向いた若い母の背中で、これがとても素敵で似合うね、これにしようと母に話して目が覚めました。若い顔立ちの母はにっこりしていました。元気そうで楽しそうでした。シャツブラウスとしても着られるけど薄手のジャケットとしても着られるような母が好きそうなデザインと色。見たこともない色合いや織地なのでどこからそんな夢を見たのかわからないけど、あ、これはもしかしたらクリスマスに母へプレゼントを選べたんだなと思って少しほっとしました。
2023.12.25
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