引き寄せの法則 【成功のシークレット】

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河辺節子@ Re:ナグプールの仏教を視察したい。(05/30) 関口道潤さん もう出発されましたか?…
2004.05.30
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カテゴリ: カテゴリ未分類
仏教はインドから来ました。いや中国を通じて、朝鮮から入って来ました。


しかし、今仏教は一回完全に消滅させられたと思って下さい。あのお釈迦様が悟りを開いた、ブッタガヤの菩提樹のあるところ。そこの大菩提寺もヒンズー教によって管理されていた程です。
これイスラム教がインドに入って来たときに、徹底的に仏教は破壊されたのです。

さて、今日のテーマは仏教でもありますが、海外で活躍する日本人の紹介です。
インドで最も有名な日本人の一人であるのが、佐々井秀嶺氏です。
日本では殆ど知られていません。しかしの下層階級には絶大なる支持を得ています。

日本の仏教界で生きて行けなくて、インドに渡り、それでも失敗しそうになった時に龍樹菩薩の啓示を受けます。龍樹菩薩とは空海に連なる密教の開祖です。

そして佐々井氏は 不可触民を相手に、カースト制度の根本原因であるヒンズー教徒であっては、このカーストは解放出来ない。



今 佐々井氏が改宗させたインドの奴隷制度 不可触民は

      ★ 一億人 ★

とされています。  一億のインド人の心を動かした日本僧 佐々井秀嶺氏凄いと思いませんか。 日本の人口に少し欠ける程の人をして 改宗させてしまったのですから・・・・・


この佐々井氏の事を、インドのカースト問題の大家である山際素男氏が「破天」一億の魂を掴んだ男 という本を 南風社から出されています。その破天荒な生き方は 凄まじい程です。
少なくとも インドの不可触民からは、 ガンジーよりも尊敬されていることは確かの様です。 昨日紹介した アルベールカル氏の後継者とされている程ですから。

その佐々井氏の事を 紹介した ホームページから引用して
佐々井氏の紹介をさせて頂きます。


佐々井 秀嶺(日本名)  1935年生まれ。岡山県・日本国出身。
31歳の時、インドへ渡り仏教復興に尽力。3度の国外退去命令を受け、逮捕される。これに対して、佐々井秀嶺の地元ナグプ-ル市民が抗議デモを起こし、嘆願書を持って 時の首相ラジブ・ガンディに直談判。その結果、1987年インド国籍を取得。




 インド中部ナグプ-ルを拠点として、被抑圧カ-ストの人々の教育・福祉の向上、仏教 遺跡の発掘、寺院建設、 ブッタガヤ奪環闘争 に挺身するかたわら空手道の普及など日印 交流にも取り組む。

 1994年アンベ-ドカル博士国際賞を受賞。この賞は、過去にダライラマ、ネルソン・マンデラ、マザ-・テレサ、アラファトPLO議長などが受賞している。




 1964年にタイに渡り、約2年間の修業の後、インドへ行きたくなって1966年に渡印。インド東北部ラ-ジギ-ルの日本山妙法寺(日蓮宗)にて約1年半の修業。帰国前日の満月の夜、佐々井秀嶺の目の前に竜樹菩薩が突如として出現したという。竜樹(ナ-ガ-ルジュナ)とは紀元2世紀ごろに大乗仏教を集大成した人物。白くて長いヒゲをはやした竜樹は光をはなちながら、かなしばり状態にあった佐々井秀嶺に、次のように日本語で語ったという。 


         「我は竜樹なり 汝すみやかに南天竜宮へ行け

         汝が法城は我が法城 我が法城は汝が法城  

         汝すみやかに南天竜宮へ行け」

このお告げを信じた佐々井秀嶺は、地図を広げ、南天竜宮とはインド中心部にあるナグプ-ル(竜の都)であると確信。そしてナグプ-ルへ行く。その時から約30年間、インドに住み続け、仏教復興に尽力している。







1956年マハ-ラ-シュトラ州ナグプ-ルにて、アンベ-ドカルによって挙行された改宗式によって、約50万人の被抑圧カ-スト(不可触民)のヒンドゥ-教徒が仏教徒となった。その後の仏教人口は、インド政府の発表によれば、1981年に465万人、1991年に632万人、このうち約8割はナグプ-ルのあるマハ-ラ-シュトラ州に集中している。実際のところ仏教徒の正確な数は不明だが、ここ数年、人権意識の高まりとともにヒンドゥ-教から仏教へと改宗する被抑圧カ-スト民があとを絶たず、政治的な発言力もましつつある。

インドの仏教事情に詳しい作家の山際素男氏によれば、1996年現在、仏教人口はすでに5千万人を超えているという。また、アンベ-ドカルの遺志を受け継ぎ、インドの仏教復興に取り組んでいる仏教僧・佐々井秀嶺師は「最近になってブラ-ミン(最上位カ-スト)の中からも改宗者が出ている。仏教に対する考え方が変わってきたようだ」と語っている。





日本名、佐々井実。インド名、アーリヤ・ナーガルジュナ(聖・龍樹の意味)。

昭和10年岡山県新見市別所村の奥深い山村の生まれ。父の不倫現場を目撃したことがきっかけで、自らの色情因縁に苦しみ、自殺の旅に出るが、止められ諭されて田舎に帰る。父母の別居もあり坊主になろうとまたも出奔。延暦寺、身延山久遠寺、総持寺などに入門を頼みに行くが玄関払いをうける。失意のあまり再度自殺を図るが、勝沼の真言宗智山派大善寺住職『井上秀祐』に拾われ修業見習いとして置いて貰うこととなる。卓抜した行者である師の下で「大善寺の小天狗」と呼ばれるようになった2年の修業を経て、1960年8月秀祐の兄弟子である高尾山薬王院貫首『山本秀順』の手により得度し、仏僧『佐々井秀嶺』となる。


 日本放浪の旅、鹿児島の寺での修業、大学での仏教研究、浪曲師、易者の修業等を経て、タイに仏教留学。しかし、現地での女性問題が原因で2年で途中帰国。師に合わせる顔がないとタイで知り合った伝手をたどり、インド仏教発祥の地ラージキルにある日本山妙法寺へと向かう。インド在住30年を越える八木天摂上人の下で、多宝山と言う岩山に宝塔を建てる工事に従事し、工事の人夫達から始めてインドにカーストという身分制度があることを聞かされる。

 妙法寺関係者との軋轢から宝塔完成直前で工事を離れ、インドの仏跡巡りの旅を終え、八木上人に帰国の挨拶するため妙法寺に立ち寄った日のこと。本堂の本尊仏の前に二人仲良く布団を引いて横になった深夜2時頃、急に金縛りにあった秀嶺の前に、白髪白髯巨躯に白衣をまとい右手に杖、左手に巻物を持った老人が現れ、「我は龍樹なり。汝速やかに南天竜宮へ行け。汝の法城は我が法城。我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り。」と告げて消えた。驚愕して、八木上人を起こし、内容を告げたところ最初は夢でも見たのだろうと相手にしていなかった八木上人も真剣に考えてくれ「南天竜宮」とはインド大陸の真ん中にある「ナグ(龍)プール(宮)」のことではないかと教示し、そこには大勢の仏教徒が居るらしいことを話す。佐々井師は龍樹と名乗る老人の指示に従い単身ナグプールへと旅立つ。

ナグプールに着き、八百屋の中「インド仏教センター」に案内され、そこにあった「アンベードカル博士」の肖像画が龍樹と名乗った老人とそっくりなのに驚く。早速、太鼓を叩きナムミョウホウレンゲキョウと唱えて裸足で歩き回ったが反応は鈍く、石を投げられたりしたが、懲りずに続けるうちに仏教徒の顔見知りも増えた。12月6日のアンベードカル入滅日に合わせ8日間の「断食、断水行」を敢行。さすがに死にかけたが、意志の強さで完遂したことで、人々の敬意と信頼を得た。

彼のためにお寺を建てようと言う気運が起こり、後に皆の寄付で断食を行った地に最初のお寺が建てられた。ガンジーとアンベードカルの対立を知らなかったことから、仏教徒の間に反佐々井運動が起こったこともあったが、インド下層民の生の生活に接し、ボンベイの仏教センターでアンベードカルの思想を深く学んだこともあり、次第に周囲の反目は無くなり、アンベードカルの師からも彼の後継者として期待されるようになる。


アンベードカルこそが地湧菩薩であると確信し、彼の主要な主張、教育の重要性、迫害とは断固闘う姿勢を仏の教えと共にナグプールを中心としインド中に説いてまわった。1974年、インディラ・ガンジーの選挙違反事件に端を発し、彼女の息子、サンジャイ・ガンジーの下でインドには反動の嵐が吹き荒れた。インド社会党党首のジャヤプラカシュ・ナラヤン等反体制勢力の指導者を次々と拘束し、1975年6月非常事態宣言が出されマスメディアの統制により、1977年2月の宣言の解除まで佐々井師もすべての布教活動を禁止された。

その後、仏教改宗25周年記念祭等仏教の布教活動を続けると共に、BAMCEF(指定部族カースト及び全インド後進少数コミュニティ被雇用者連合)、BSP(大衆人民党)のカンシ・ラム氏ら被支配カーストの生活向上運動を影ながら支援した。しかし1985年頃から佐々井の勢力が大きくなりすぎるのを嫌った日本及びインド仏教組織の陰謀により、国外退去の危機に立たされた。1987年7月、ついに不法滞在で逮捕されたが、これを期にナグプールでは10万人の全市民抗議集会が起こり、一触即発の危険な情勢となった。1ヶ月で60万人の署名が集まり、ついには国籍取得運動に盛り上がった民衆の声を無視できなくなったラジブ・ガンジー首相は、翌年4月、佐々井師のインド国籍取得を正式に認め、自ら「アーリヤ・ナーガルジュナ」の名を送った。

その後、釈尊成道(悟りを開いた)の地であるブッダガヤーの大菩提寺をヒンドゥー教団『ギリ・マハント』から仏教徒の手に取り戻すための運動を展開。十次にわたる大菩提寺解放闘争の末、大菩提寺管理委員会は実質的にインド仏教徒の手により運営されつつある。現在はナグプール一円の龍樹連峰及び大乗仏教の創始者ナーガルジュナ(龍樹菩薩)の根本道場跡と目される、ナグプール近郊のマンセル仏教遺跡の発掘を続けている。そして、いつか龍樹老人の言った「南天鉄塔(大日如来より伝えられた密教の根本教義を秘蔵したと言われる塔、空海はその実在を明言している)」と相まみえる日を待ち望んでいる。


注目理由

20世紀の出来事とは思えない、日蓮や親鸞といった日本仏教の先覚者たちを連想させるような反骨心に富んだエネルギッシュな人物。夢のお告げに導かれて、見たことも聞いたこともないインド大陸のど真ん中の町にたどり着きそこで絶望と混乱の中にあったインド仏教徒と出会い、そのままインドに住み着いて、不可触民と呼ばれる下層民衆の指導者となった人物。数千年に及ぶ差別と無知と貧困に喘ぐ人々と共に生活し、命がけで解放運動の先頭に立って奔走する姿は不思議と感動に富んでいるが、陽性で常に明るさがつきまとうのは、本人の人柄とインドという国の国民性に因るものでしょうね。今や潜在的には1億近いと言われる仏教徒の指導者であり、政治的影響力も大きい。


真言宗の僧なのにいつも団扇太鼓をたたき「南無妙法蓮華教」を唱えているのも、仏教教理学を深く学んだ上で(師はパーリー語もわかるので、仏教教典を原語で読むことが出きる)、法華経の教えと日蓮が好きだからと言うのが理由らしく、宗派にこだわらないキャラクターが良く出ていて可笑しい。人望が非常に大きいため、彼の死後インドの仏教組織が大混乱になるような気がしてちょっと心配だったりもしますが、単純故にシンプルで強い、大変面白い人物ですね。





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Last updated  2004.05.30 08:06:25


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