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稲葉忍

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May 22, 2021
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カテゴリ: テレビ番組
今週の「にっぽん歴史鑑定」のお題は織田信長と正親町天皇。
信長と正親町天皇の関係を掘り下げ、戦国時代における武士と天皇の関係を紹介していく内容。

戦国時代になると足利将軍家はもとより、天皇家も衰退していた。ひどいときは書を売って費用に当てる有様だったとか。
正親町天皇は1557年、父・後奈良天皇の崩御に伴い即位したが、当時の皇室の経済は逼迫しており即位後約2年もの間即位の礼を挙げられなかった・・ってほど。永禄2年(1559年)春に安芸国の戦国大名・毛利元就から即位料・御服費用の献納を受けたことにより、永禄3年(1560年)1月27日に即位の礼を挙げることが出来た。
こういう話を聞くと戦国大名は将軍や天皇に献金したり、官位をもらうことで力をつけていったわけか。

 将軍・足利義輝が松永久秀や三好家の襲撃で命を落とすと、弟・義昭は将軍になるため各国の戦国大名に助命を請う文書を送っていたが、信長が義昭を奉じて上洛すると正親町天皇が根回しをしていたり、信長が戦で苦戦すると天皇が助け舟(停戦命令)を出してたり、信長は朝廷に対して献金を何度も行って天皇の権威回復の手助けをしていたほど密接な関係を築いていたけど、天皇は「イエスマン」ではなく意見するときはちゃんと意見していたとか。

信長の「魔王」ぶりを示すエピソードとして正親町天皇に譲位を迫ったこと、無断で正倉院の秘宝「蘭奢待」を切り取った・・・って話を紹介
「蘭奢待」は勝手に切り取ったのではなく、天皇の許可をもらった上で切り取ったとのことだが信長が律儀な人だとわかる。
譲位の件は譲位は天皇自身の意志で、父と祖父は死ぬまで天皇の座に就いていたが、即位式だけじゃなく葬式にあたる大喪の儀にも莫大な費用がかかるってことで譲位はしなかった。譲位を決意したのは信長の援助で経済的な余裕ができたから・・・だが本能寺の変が起こったので先送りになり、秀吉が天下を取ってからも譲位の話が持ち上がったが、地震で京が被害にあったり、皇太子にしていた息子が早死して・・・という事件が起こって先送りにされてしまったって話は初耳。






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最終更新日  May 22, 2021 12:00:10 AM
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