殿上人日記

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2017年11月30日
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カテゴリ: 京都の旅



寒かったりと日替わりな寒暖差もあって
風邪で体調悪化だったも、なんとか乗り
越えられたようで、ふと気がついたら
11月も最終日になっていた




レンタルビデオは安いし、地域行事も
あれば、新蕎麦も食べに行きたいしと
どたばたしてしまって、何が何だかと
いう感じの11月だったが、ある意味
中身が充実していたという事で




さて国宝展の為に2期の10月下旬と
4期の11月半ばの2度に渡って姉と
出かけた京都だけど、国宝展以外にも
もちろん観光にも出かけたので、その
紹介。まずは10月下旬の方の1日目




新幹線で昼前に京都駅に着いて、祇園で
お昼ご飯を食べてから、国宝展が空いて
くる午後遅くまでを、お天気も良いので
時間つぶしに出かけたのは、東山界隈で
ここであれば外れはない




祇園祭でも有名な八坂神社からスタート
するのが私の東山での散歩の定番であり
その日も、沢山の観光客で賑わっていた
八坂神社の主祭神は素戔嗚尊やその妻と
8人の子供だそうである




斉明天皇代2(656)年に、高句麗から
来日をした調進副使の伊利之使主(いりし
おみ)の創建とされる。貞観11(869)年
疫病が流行をした際に神泉苑で行われた
御霊会を起源とした祇園祭は、天禄元
(970)年頃から八坂神社の祭礼として
毎年行われるようになったそうだ




境内には縁結びにご利益があるという
大国主命が祀られた大国主社があるが
本殿前は外国人観光客が参拝など全く
せず記念撮影に興じて途切れなかった
ので少し離れた所での参拝となった




美御前社(うつくしごぜんしゃ)には
素戔嗚尊が所持していた剣から生まれた
美女と誉れの高い宗像三女神が祀られて
おり、社殿の前に美容水が湧き出ており
お肌につければ効果抜群であるんだとか




東西南北を守護する四神によって護られた
地の京都。北は玄武、南は朱雀、西は白虎
そして八坂神社がある東は青龍が守護して
おり、八坂神社の本殿の下には池(龍穴)が
あり青龍が住んでいるそうで、その本殿下
から湧き出る水が祇園神水(力水)である




歴史ファンに見逃せないのが、その脇に
ある忠盛灯篭で、由来については下部の
説明板の文章をお読み下さい。このように
京都のあちこちに、千年の王都の歴史が
見え隠れしている




この褒美に、寵姫の祇園女御を与えた
白河法皇は女子が生まれれば朕の子と
するが、もし男子が生まれれば、忠盛の
子として育てよと命じるが、その時に
生まれたのが平清盛であったとも伝わる




その他には清盛の母親(祇園女御の妹)が
白河法皇の子を産み、祇園女御が養子として
育てたなんて説もあるんだとか。八坂神社の
近くにある祇園女御の住居跡に、その菩提を
弔う供養塔が建てられている




まるで祇園祭の鉾のような建物は、祇園閣
(銅閣)といい、大倉財閥の設立者である
大倉喜八郎が建てた、別邸の真葛荘の一部
なのだが、この地への大雲院の移転により
伽藍の一部となった




本能寺の変で自害した織田信忠(信長の子)の
菩提を弔う為に、二条御所跡(烏丸御池)に
創建したもので、信忠の法名から名づけられ
長らく四条に位置しており、市中を引き回し
されていた市石川五右衛門が大雲院の門前で
亡くなった為、五右衛門の墓もあるそうだ




周囲が繁華街になったので、大倉氏の別邸を
買い取って東山に移転したんだとか。その為
書院にも、大倉邸をそのまま利用をしており
祇園閣ともども、国の登録有形文化財に指定
されている




平家物語から、戦国。そして幕末へと・・・
司馬遼太郎の燃えよ剣で新選組ファンに
なった私には、御陵衛士(ごりょうえじ)の
存在は忘れられない。思想の違いから伊東
甲子太郎一派が新選組から離脱し、名目上は
孝明天皇陵(後月輪東山陵)を守る為にと
作られた組織である




高台寺塔頭の月真院を屯所とした為、高台寺党
とも呼ばれている。江戸以来の盟友であった
藤堂平助や、新選組側のスパイとも言われる
斎藤一なども参加。後に油小路事件で伊藤らは
新選組に惨殺され、生き残りの衛士が伏見で
近藤勇を狙撃し重傷を負わせた




更に、後に近藤勇は関東の流山で大久保大和
(剛)と称し新政府軍に出頭したが、元衛士
らに正体を看破されて捕縛をされて、斬首と
なったのだ。高台寺へと登る参道をてくてく
ここは紅葉時のライトアップを見たり、桜の
頃など馴染みのお寺だ




高台寺は秀吉の菩提を弔う為、北政所が
建てたお寺で、落飾した北政所の院号を
寺の名にしたもので、伏見城の建物を
移築した女性らしい華やかな寺だ




特に霊屋には、高台寺蒔絵は施され
一見の価値があるが、今回は内部は
パス。何か囲まれた石の周りには
おみくじが結んであるが、ただの石
なのか、由来でもあるのかは不明




第二次世界大戦の戦没者や犠牲者の
追悼の為に、帝産グループ創設者の
石川博資によって建立された、鉄筋
コンクリート造りの霊山観音だが
高さ24メートル、重さは約500トン




高台寺所蔵の涅槃図のデジタル複製画が
内部に貼り巡らされた利生堂では法要や
講演会を催すものだが、無料での拝観が
出来た。そこからの京都駅前方面の展望
すぐ脇には、SLOWJETCOFFEE高台寺が
あり、娘ときたら寄ってみよう




そのカフェ前からの眺め。いつまでも
変わらぬようで、かなり変化も感じる
京都。行くたびに、お~っこんな新しい
お店が! 寺の宝物館がピカピカだよ!
と驚く事ばかり




今も昔も観光客で溢れている二寧坂
(二年坂)、三寧坂(三年坂)界隈は
京都観光の目玉スポットの一つである
とりあえず、このあたりをうろつけば
京都へ来た感が半端ない




その多くは外国人観光客や、修学旅行生
団体観光客などなど。したがって年配の
人よりも、若い人たちに好まれるような
お店が、どんどん増えているような気も




暖簾の奥には三つ指をついた世界的な
アイドル、キティちゃん。うちの姉も
一時期はキティを集めてたみたいだが
還暦を過ぎて興味も薄れたようだ




いわゆるインスタ映えしそうなキティの
パンケーキも食べれるようだが、お昼を
食べたばかりだし、店頭のサンプル品の
写真をパチリ




こういった割引は好感が持てる




今夏オープンしたばかりなのが、左側の
スターバックス京都二寧坂ヤサカ茶屋店で
純和風の誂えでお座敷なんだとか。娘と
ならたぶん行ってたかも




坂がきついし、この先の清水寺も大規模
改修中なので引き返す事にしよう。とか
いってもいつもそんな感じで、坂を登らず
ここから右手の八坂の塔方面へと向かうと




インスタ映えをすると観光客に大人気の
日本における庚申信仰発祥の地とされて
日本三庚申の一つ八坂庚申堂。正式には
大黒山延命院金剛寺といい、本尊の青面
金剛は、飛鳥時代に中国大陸より渡来を
した秦氏の守り本尊であったんだとか




中国道教の説く三尸説(さんしせつ)では
庚申の夜には睡眠中に体内の三尸虫 が逃げ
出して、その人の罪を天帝に告げ早死にを
してしまうので、虫が逃げぬよう徹夜をして
身を慎むと、長生きが出来るとされており
平安時代には貴族が行っていたのが、広く
庶民も行うようになった




くくり猿は、お猿さんが手足をくくられて
動けなくなった姿を現していて、欲に走る
者を戒める事を意味しているそうで、願いを
書き込んで一つ欲を我慢すれば、願いが叶う
ものなんだとか。八坂界隈ではご縁がある
よう、家族円満の祈願で5つのくくり猿を
軒先にぶら下げている




こちらの塀の上には、這うようにして立派な
松の枝。何メートルあるんだろっ。その先に
八坂の塔があり、592年に聖徳太子が
如意輪観音の夢告により建てたとされる




その際には仏舎利を三粒を収め、法観寺と
号したというが、平安以前に朝鮮半島系の
渡来人の八坂氏の氏寺として創建をされた
のが真相みたいだ。何度となく焼失をし
今の塔は永享12(1440)年に足利義教の
援助によって再建されたもの




戦国時代には地方より、上洛をした大名が
当寺に定紋入りの旗を掲げる事で、誰が
新しい天下人になったかを世人に知らせた
そうである。このあたりは以前は人など
少なかったのに、穴場的な場所は外国人の
人の方が多いような気もする。SNSの
力ってすごいし




間もなくバスの通る東大路通に出るという
あたりのレトロな建物で、何のお店なんだ
ろう? そろそろ京都国立博物館へ向かう
べく市バスに乗るが、東山界隈から京都駅へ
向かうルートは午後など観光客でいっぱいだ




まだ国宝展に入るには早いようなので、向かい
側にある三十三間堂(蓮華王院本堂)で沢山の
観音様を拝観させていただこうと思った。元は
後白河上皇の離宮である法住寺殿内に、創建を
された仏堂で、御本尊の千手観音の別称である
蓮華王に由来して蓮華王院という




後白河上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて
完成したといい、創建当時には五重塔なども
建つ本格的な寺院であったのが、火災で焼失
間面記法による三十三間四面に由来し、三十三
間堂というが、法華経等には観音菩薩は三十三
種の姿に変じて衆生を救うと説かれている




堂内の中央には、鎌倉時代の仏師湛慶による
本尊の千手観音坐像を安置し、その左右には
計1,001体の千手観音立像を安置されており
木造二十八部衆立像や、木造風神雷神像など
圧倒される光景だ。どれもこれもが国宝だ




           平成29年10月27日に京都で撮影

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最終更新日  2017年11月30日 22時48分33秒
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