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愛らしいタイトルな割に、かなり濃い写真からスタートをします。前回から更新が開きましたが、娘と岡崎の息子のアパートに泊まった次の日に、二人で岡崎から電車で出かけた静岡県浜松市の旅の続きです。写真が多いので、前回とは別にまとめて紹介をするのは、見ての通り「浜松城」です浜松市にはゼロ戦を見に来たり、餃子を食べに来たり、砂丘に来たりと何度か来訪したのですがここ浜松城には今回が、初見参となります。浜松城と言えば、やっぱり家康ですよね。最初のワイルドな武将ですがやっぱ家康です。タヌキじじなイメージ強いのですが、こんな時期もあったんだろうなぁ~そういった意味からも英傑が、まだ天下に名をとどろかす前の、普通に若かった頃を描いている今年の大河「麒麟がくる」は楽しみでもありますそれにしてもマムシの道三がイケメン信長みたいだし松永弾正は、ちょい悪オヤジだし(笑)鉄砲から道三推しの、彼の畳み込むようなスピーチには圧倒されました急遽の濃姫は、勝気な姫ぶりが道三の娘っぽくて良かったです日曜のお昼過ぎには、浜松城で彼らに出会えるみたい。それにしても直虎から、トラの耳と尾浜松のピアノの袴と、みかんの紋ドジョウのちょんまげな家康とは三方ヶ原(浜松市)の戦いとは、家康と信長の連合軍が、信玄に挑んだものだが家康軍は大敗。有力な武将も討ち死にし家康自身も命からがら、浜松城に敗走をしたそうだ逃げ帰った家康が、鎧を掛けたというそんな松が今も残っているかと思えば流石に、三代目の樹であるらしい家康が浜松城にいたのは29才から45才だそうで、天下取りへの足掛かりにも繋がる重要な城でもあった無論、戦国期の城である為、攻め込まれた時の防御なども考えられていたようだ結構、今どきの庭石を使ったような綺麗な石垣であるが、当時のものであるようだこの城を見て、やっぱ石垣が一番印象に残ったし天守が見えてきた。ここで浜松城の概要をウィキペディアでを丸写しで説明をさせていただくと・・・・>浜松城の前身は15世紀頃に築城された>曳馬城であり、築城時の城主は不明で>ある。16世紀前半には今川氏支配下の>飯尾氏が城主を務めていた。この頃の>引馬城は、江戸時代の絵図にみられる>「古城」と表記された部分であり、>現在の元城町東照宮付近にあたる。>徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に>入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や>改修を行い、城下町の形成を進めた。徳川>家康在城時における浜松城の具体像は>不明確であるが、古文書や出土遺物から>現在の本丸に向けて城域が拡張された>ことが窺える。>また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの>城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったと>される。拡張・改修は天正10年(1582年)ごろに>大体終わったが、その4年後の天正14年(1586年)>家康は浜松から駿府に本拠を移した。家康の在城>期間は29歳から45歳までの17年になる。>慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、>江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城と>なり、浜松城から豊臣色は失われる。江戸>時代の浜松城主は九家二十二代に引き継が>れていき、歴代の城主によって城域の改変・>改修が進められた。>堀尾氏在城期に創建された天守は、17世紀の>うちに姿を消し、天守台のみが現在に伝わる。>以降、天守門が浜松城の最高所に位置する>建造物といえ、江戸時代を通して浜松城を>代表する建物であったことが窺える。>明治6年(1873年)の廃城令により、浜松>城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、>二の丸の宅地化が進行した。天守曲輪と本丸の>一部は大きな開発を免れ、昭和25年(1950年)の>浜松城公園開設に至るではでは城内へ。といっても陳列品が並んでいるタイプなので、展示室とか撮影禁止でした。天守の地下には井戸籠城では水は大変に大事でしょうね天守台よりも少し高いところがありここには八幡台といって、城を守る神社があったそうだ二の丸御殿跡や、三の丸御殿跡などの発掘調査が行われているそうで、江戸時代の絵図にもない、家康時代以前の引間城時代の堀も見つかったようだ天守からは東方向に富士山(向かって左側)も見ることが出来たこのリアルな家康の像は、撮影がOKだったので。戦国も前半の今回の大河では家康はまだ若造なんで、風間俊介さんが演じます。(検索中) えっ?彼ってジャニーズだったんだ。知らなかった~徳川家康の天下取りの足掛かりになった浜松城は、その後の歴代城主も後には幕府の要職に就くことが多いので、別名「出世城」とも呼ばれているそうだし↑最近は、石垣でも人気を集めているわかります?ハートの石がちょこんと乗ってますよね。自然石を使う野面(のづら)積みだからこそ、こんな石もあるのかもしれませんこちらの石垣にもありますが、わかりますか? なんだかどれもがハートに見えてもきますが大きなハートの上に、小さなハートがちょこんと寄り添った、夫婦ハートと呼ばれる石です浜松城主時代の壮年期を思わせる徳川家康像。手に持っているのは「勝草」という名のシダだそうです今年の初旅行が徳川家康がテーマというのも、何だかめでたそう頭の上でガサゴソと音がするので見上げたら、大きなリスがお花を食べていた(右上)駅に戻る途中にもハート。なんだかハート探しがクセになりそう。昨年の上海に続き、今冬は北京にでも行こうかと、最終候補に入っていたが国内の別観光地にしたので時期的に助かりました。過去にサーズが流行した時、コカ・コーラの懸賞でペアでベトナム旅行が当たって、国内どこでも好きな旅先へという事になり、湯布院や黒川、別府などに姉と出かけた事があり姉はその方が良かったと喜んでいました 2020年1月4日に浜松城で撮影にほんブログ村
2020年01月21日
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お正月の初売りのデパートの福袋は高価なものが多く買った事はないが地元のスーパーでも、購入が出来る全国チェーンや食品メーカーの福袋は手頃なので、私もよく購入をしている人気のスターバックスや無印良品などは事前にネットで申し込み、当選した人が福袋を購入出来たり、店頭販売のものも短時間で売り切れてしまったりで、このミスタードーナツのポケモンとコラボの福袋も大人気早速、販売日に出かけ3000円の福袋を購入してきた。ポケモンのひざ掛けや手帳カレンダー、エコバック、ファイル、テープの他に、ドーナツ30個分のプリペイドカード(6月末までに利用)~160円(税抜)のドーナツが30個となると、最大で5000円弱のドーナツが3000円で買える事、自体がお得だし↑そして、お次に紹介をするのは日清のチキンラーメンのひよこちゃんの福袋だもはや袋すらかわいい。1000円で日清の袋めんや、カップラーメン、ひよこちゃんのぬいぐるみがついてくる。これも人気ですぐ売り切れていた雑巾代わりに、普段から利用をしているユニ・チャームの山ほどのシルコットの除菌シートやマスクのセットも、これはもう買うしかない!という感じで。殆ど1000円ポッキリの福袋が多かったがコーヒー系などは1500円のもあったデカフェにこだわる娘がいるので、このごぼう茶や、ルイボス茶、シナモン茶のセットもありがたい。これらの福袋だがどれも年末のスーパーで買ったものです最近は年前に販売をしているので要注意お正月には売り切れいてるものも。千円飲料系の福袋は、先ほどのデカフェのセットとこのお湯を注ぐだけのもの&娘の好きな菓子セットだけだったが、事前応募で当たった人だけが購入ができるスターバックスの福袋の内容が、今年のは私好みだったし応募しとけばよかった。次はチャレンジしようかな。千円かたや昨年(3年前も)購入したタリーズの福袋は一番安いタイプのが、3000円から3500円に値上げしたので断念。昨日は前々から購入をしたかった、お得な1万円タイプのものに初めて遭遇、購入をしようか迷ったけど今回はパス。やっぱ1万円は・・・そして今年のおせちです。うちの地域では大晦日の31日の夜に食べます。テレビで北海道や東北も31日におせちを食べると言ってましたが、旧暦では日の入りをした夜は新しい日(次の日)と考えられていたので、一年の初めの食事は31日夜だったからだそうです31日の午後には、三食98円になってたお蕎麦も、おせちを使って正月らしくなりました。とりあえず紅白、ゆく年くる年を見て、午前0時に地元の神社に参拝をして1時くらいには就寝。翌朝には娘と二人で家を出かけて、元日営業のマクドナルドへ例年は遅くまで売られているマクドナルドの福袋も、年末に内容が公開されて、ネットでみんなが買いたい!と、人気を集めてました3000円ですが、バーガーや様々な商品券だけで3270円分あります(6月末までに利用)おまけグッズのポテトの形をしたタイマーはティロリティロリ♪とポテトが出来た時の音だそうで大人気。更に10袋に1袋の割合で500円の商品券が入っていたが、うちは×毎年買うのがサーティワンアイスクリームの福袋で、2000円だが500円の券が4枚あって元が取れる。しかも利用期限がなくてお釣りも出るギフト券なので使用がしやすく財布にいつも1枚入れている寝具の西川の5千円のまくらに、980円のまくらカバーが付いて3000円というのは娘が購入。写真を撮り忘れたが娘は半額処分の羽毛布団19800円も購入してご満悦だここからの福袋は、お手頃な1000円ポッキリ。普段使いの実用的なものばかりなので有難い。ここの味噌や鍋の素もよく利用をしているバスクリンも1つあたり250円で購入が出来ると思うと、これも買うしかないです息子の家に行くときに、これやレモンティーラーメン、除菌シートなどもお土産に少し持って行きましたし。 千円様々な日用品がセットになったのもあってこれも無駄がない福袋だ。今年はいつになく福袋を購入したような気もするが、最近の福袋は中に何が入っているかがわかるのでどんなものがいくら入っているのか事前にわかるのが多いので失敗はないです。千円そして福袋以外にも、お正月のスーパーの売り場はお得なものがいっぱい。この三品どれもが100円の見切り品。しかも賞味期限が結構あるお歳暮や迎春ギフトも半額処分になっていてこの迎春用のお祝いの日本酒(一升瓶2本)定価は5000円だけど、半額価格で買えたこちらのお高めのお酒(720ミリリットル2本)も定価で4500円位のが、半額だし冬場のお晩酌は、日本酒がメインになるのでありがたい実家では1月2日の朝には自然薯をすりとろろ汁を食べるのだか、正月過ぎには自然薯も398円で売っていて、正月用の高級なお肉もお値打ち価格なのが、更に30%オフで購入、美味しいお肉でした最高級の5等級の飛騨牛の小間切れお肉も良い霜降りで、思ったより大きな肉で流石飛騨牛という感じ。これで数百円とは岐阜県に住んでいるからこそかもさて1月10日はテレビでは、兵庫県の西宮神社の福男のニュースをしているが中津川市に、明治期にその西宮神社から御分霊をした西宮神社があって、十日恵比寿が行われる今年は、9時前に舅と姑を整形外科に連れて行って、そこに置いてきてから参拝に出かけたので、いつもより早い時間だった為なのか、とても空いていた千円でお札を頂戴すると、くじを引けておまけの福箸を貰うだけのが、今年はお神酒が当たった。しかも娘の好きな恵那山だ和菓子屋の多い中津川市街、夏に娘とかき氷を食べた、御菓子所しんでもお店の前に、商品などを並べておりだるまの絵の入った、550円の開運迎福袋を購入した。えびす饅頭は先程の西宮神社の境内で500円で購入したものだ。和菓子の街は、やっぱこれがないと・・・えびす饅頭は、上品な味わいの酒饅頭でぺろっと1個、食べてしまった。しんの方はどら焼き、饅頭、かりんとう、金箔入りの昆布茶のセット。おみくじもあり吉だった西宮神社の近くに、かつては地元スーパーのチェーン店舗があったが、今はなくなってしまったが、十日市には同じ場所に出店をしていて日本ハムの焼き豚やハムなどの、ギフト解体品と思われるものが、どれでも5つ500円だったので、安すぎ♪と購入した商店街では、広告にあったくじ引き券でガラガラ~、今年も末等袋めんを貰った市街中心地は歩行者天国となり、様々な出店などもあり、暖かな日差しの中をてくてくしてから、スーパーで買い物して病院へ舅や、姑を迎えに行った十日市での収穫だが、まだまだ沢山あって国内産の干し芋というのが4袋で1000円だったので姑と半分こした。黒ニンニクも小ぶりだが500円で、かなりの量があって毎日、一粒ずつ食べているスーパーでは、お正月の福袋が売れ残り半額処分になっていたので、4袋合計で2000円ちょいで購入ができたオタフクの福袋は一番高くて1500円が半額の750円で、商品の他にもしっかりした生地のエプロンがおまけに入っていた1000円の福袋も500円。お釜にポンというのに、興味があっても買えなかったのでお試しにもよさそうだ去年も半額で購入できた浜乙女。これで500円はお得すぎる。無駄の全くないラインナップだ♪そして、スガキヤのスーちゃんタオルの入った福袋も400円以下になっており鍋の素や、みそ煮込みスープとか楽しみこれは13日、成人式の祝日に娘と出かけた時に、ピアゴに立ち寄って毎年恒例の小さな袋に入浴剤の詰め放題300円。チャックをちゃんとしめないといけない。家に戻ったらもう開いていた。これをやらないとお正月を迎えた気がしないです日記で確かめると3年前は小さめの入浴剤ばかりで25袋。昨年は色々タイプを揃え17袋。今年は18袋だった。まっ少しはお得だろうし(イオンはよりどり〇〇円の店舗ばかりだったんで残念だった)更に、タイムセールにちょうど居合わせてギフト品の割引がされ、↑4000円のと↓3000円の二箱の合計で、2200円程で購入ができた。消費期限も春から夏と長めなので有難い最後に。殆どの福袋が、税込みのポッキリ価格ですが、一部のものは税抜きでしたが面倒なので表示を略させていただきました外食もですが、内税と外税で色々あるので料金がわかりにくいです 昨年末から2020年1月13日に地元で撮影にほんブログ村
2020年01月14日
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1月ですが桜です。大晦日に帰省してた息子が1月3日に、転勤先の岡崎に帰るというので、その車に娘と同乗をして今年初めての行楽先は三河です。下道を岐阜県瑞浪市から、愛知県豊田市へとその途中の豊田市小原地区の道沿いには小原四季桜が今も咲いてました。この桜は春と秋の二度咲くそうでして、前にセントレアに行く途中にも冬の時期に桜を見たのですが、その時もピークは少し過ぎてましたピークは11月半ばで、紅葉とのコラボなども楽しめるようです。豊田の市街地に出てきました。中津川ではいらっしゃいをおいでんさいと言うが、三河弁はおいでんというらしいイオンスタイル豊田に行くと、来店者にねずみの絵の描いてあるどら焼きを一つずつ配っていたので、三人で一つずつ朝食はタリーズで。入り口でコーヒーの試飲もあったので、そちらもミニカップで貰った。お正月らしい店内を一通りまわり今度はイオンモール岡崎へ息子の車に乗せて行ってもらって、ここからはバスでも息子のアパートに行けるので、息子を解放。娘と二人でイオンモール岡崎をうろつくお昼ご飯はフードコートで、京都北白川ラーメン魁力屋でラーメンを食べました夕刻にイオンモールから路線バスで東岡崎駅へ。ここで路線バスの乗り換えが必要なのだが東岡崎駅に、新しいショッピングスポット「オト・リバーサイド・テラス」が出来たばかりだと娘がいうので立ち寄ってみたどこで、そんな情報を得たんだろ。正月でまだお休みのお店なども。パンケーキのお店が繁盛してたが、ラーメンも食べたし今日はパステラスにはどど~んと、徳川将軍初代の徳川家康の騎馬像が。岡崎は徳川家康の生誕地である。岐阜県可児市の彫刻家で日本芸術院会員の彫刻家神戸峰男さんが制作したものだそうだこの奥に家康の生まれた岡崎城があるせっかくだから、夕刻の岡崎城下を散歩してみた新しく橋を架けていた。桜城橋(さくらのしろばし)といい、「乙川リバーフロント地区整備計画」の目玉施策だそうだこちらは西の方を流れる矢作川にかかる矢作橋で、日吉丸(秀吉)が蜂須賀小六に出会ったという橋で、かつては東海道。今は国道1号線の橋である夕刻の岡崎をてくてく歩いて、岡崎シビコの食品売り場で特売品を買い込んでから、路線バスで息子のアパートで、簡単な食事を作り次の朝は娘と二人で、JRを利用して浜松まで、餃子を食べに行こうという話となったJR岡崎駅前には、若き日の松平元康(徳川家康)像。最近、テレビで母親と引き離され、人質生活を長く続け、父を早くに失った苦労続きの少年期をやっていたがこちら静岡県浜松市は青年期の29歳から45歳までの17年を過ごした城下であるJRの駅ビルメイワンの奥には地上45階建最高部の塔屋上ヘリポートの高さ、212.77メートルの超高層ビル、浜松アクトタワー駅ビルメイワンの最上階にあるのが本屋に併設された「エクセルシオールカフェ浜松メイワン店」で本を3冊、持ち込めるので景色を眺め1時間ものんびりしてしまったエクセルシオールカフェはドトールコーヒーよりもちょっぴり高級路線な、イタリアンエスプレッソを中心とした系列店だ今回は餃子を二店舗は食べたいと思っていたので、ランチ営業が始まったばかりの「初代しげ」へ。ここは浜松餃子まつりのG1餃王座グランプリにも輝いた実績がある他にも食べたいので、一人前を頼んで半分こフードコートなので、こうゆうこともできるビールは娘がぐびぐび飲んだ餃子の町として、その消費量を宇都宮とトップ争いを繰り広げている浜松餃子は肉の使用量が多く、ジューシーで使われる野菜は白菜よりもキャベツがメイン、玉ねぎを刻んで入れる店も。餃子を円形に並べ、中央にはもやしをのせるお腹も一杯になったので、地元の小さな神社に次いで参拝に来たのは、五社神社諏訪神社。五社神社は、太玉命、武雷命斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし家康が浜松城主時代、三男の長松(後の徳川秀忠)が誕生すると、当社を産土神とし現在地に社殿を建立した。家光の命により諏訪神社は、五社神社の隣に社殿が造営され遷座をしたが、共に浜松空襲で全焼した国学者の賀茂真渕が幼少の頃、師と仰いだ五社神社の神主である森暉昌の功績を記した顕彰碑東海道五十三次の江戸から数えて、29番目京から数えて、25番目にあたる浜松宿は東海道最大規模の宿場で、本陣が6軒あり旅籠も94軒もあったそうだネットで浜松のスターバックスがおしゃれだと娘が見つけて、立ち寄ることにした。「浜松城公園店」といいまして、名のごとく直前には浜松城に出かけたんですが、次回の日記で紹介します娘がスターバックスの会員になっているのでコーヒーのおかわりを100円(税抜き)で一緒に購入できるので、二人の場合はいつもこうしている。(会員外のおかわりは税抜き150円)ここ最近はちょっとな~という感じだった抽選で当選しないと購入ができないスターバックスの福袋、今年はなかなか良かったみたいで、だったら抽選に申し込んでたら良かった。来年は応募してみようかなタミヤやバンダイなどの国内プラモメーカーの大半が静岡県に生産拠点があるそうだが、昔家康が腕利きの宮大工や彫刻士師を、駿府に集めたことから木造模型が盛んになったとかかつてはテレビチャンピオンでも名をはせたプロモデラーの山田卓司さんは、浜松出身だそうで、その作品が展示されていた静岡県磐田市のイメージキャラクターの悉平太郎(しっぺいたろう)をモデルにした「しっぺい」君。怪物退治のために信州駒ケ根からやってきたワンコだ「浜松魅力発信館ザ・ゲート・ハママツ」は 遠州鉄道高架下に設置されており、つい最近まで、いだてんの展示がされていたそうだ後半の主人公である田畑政治は、浜松の出身だったそうだ。↑もはや家康ではなく田畑に見えてくる。そして女城主の井伊直虎もまた浜松北部だし「ガヴリールドロップアウト」というアニメの聖地が浜松らしいが、「苺ましまろ」「干物妹!うまるちゃんR」「クラシカロイド」といったアニメも浜松が舞台らしいこの人が何者かわからないけど、繁華街で絵馬が沢山あった浜松と言えばさわやかハンバーグ。駅前のお店の前は通ったが、今回は餃子を食べに来たのでパス。静岡おでんとか、マグロや日本茶、メロンなどと静岡県には美味しいものがいっぱいなのだけど午後も遅くなったので、浜松を離れる前にもう一軒の餃子店に出かけた。このお店は以前に、ドライブで立ち寄った事があるが今回は、居酒屋的な「浜太郎」駅前店へと言うのも、夕方のハッピーアワーにはレモンサワーとハイボールが、何杯でも99円になるというので、もはや餃子より酒が目当てな娘であった無論、お酒のあてに餃子も頼む。ここも浜松餃子まつりで、餃王座グランプリを受賞 している。美味しいのでガンガン食べれるしマツコの知らない世界の餃子激戦区で迷ったらここで食べろ!のコーナーで紹介もされた赤餃子と、黒餃子も食べてみた。完食~!と言うわけで、ハートな浜松編へ続きます 2020年1月3、4日に三河&浜松で撮影にほんブログ村
2020年01月08日
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正月(むつき)立つ 春の初めにかくしつつ 相(あひ)し笑(ゑ)みてば 時じけめやも令和の出典ともなった万葉集にある、大伴家持が天平勝宝2年(750)年に、宴で詠んだ歌ですその意は、お正月の春の初めなのだからこのように、皆で笑いあえるのは楽しいものですね。との事で、令和2年のスタートです。今年もよろしくお願い致します!今年最初の日記は、前回に続き地元の馬籠からご紹介します。昨年11月3日に開催をされた和宮降嫁行列です。皆さん、知ってらっしゃいますよね。幕末の孝明天皇の異母妹で仁孝天皇の第八皇女であった和宮親子内親王ですが公武合体(朝廷の権威と、幕府を結びつけて幕藩体制の再編強化を図る)の懸け橋として江戸幕府第14代将軍である徳川家茂の正室(御台所)になるべく、中山道をご降嫁されたという行列を再現したものです既に和宮には有栖川宮 熾仁親王という許嫁がいたのを反故にされて、東国に下ったのですが、皮肉な事に王政復古後の新政府によって、有栖川宮は東征大総督に任命されて東征に際しては、明治天皇から錦旗と節刀(天皇が出征する将軍や遣唐使の大使に持たせた任命の印である刀)を預かり、京都を出立し江戸開城を成し遂げたのであるさて和宮降嫁行列には、地元の有志や中津川の中京学院大学や、名古屋外国語大学の学生さんたちが当時の装束に身を包み、馬籠宿を下から上へ(東国へ)と練り歩いた和宮は、16才で降嫁をされたそうだがこの行列では、地元の中学3年生の女の子が和宮をやっているので、年齢的にもぴったり。こんな少女が、知らぬ世界に飛び込んでいくのは、さぞかし心細かった事だろうお付きの女官たち。中津川の中山道歴史資料館には、降嫁行列で和宮のお世話をした家に、礼の品物などが贈られたとして展示がされている文久元年10月20日に京都を出立した降嫁行列は京都方が一万人、江戸方が一万五千人京都からの通し人足が四千人というもので、その長さは50キロにも及んだそうである行列の先頭が通過してから、最後尾が通過し終わるまで4日間もかかったそうだ。和宮を奪還すべく過激な攘夷派が行列を襲撃するという噂があり、御輿の警護に12藩、沿道の警護に29藩を動員し、幕府の威信をかけての大行列となったのだ馬籠宿では行列の為に、街道沿いの石垣を2尺引っ込めて、道幅を2間(約3.6m)に拡幅する工事がされたそうだ迎える宿場、街道でも様々な約束事もあり伝馬役以外は一切の外出禁止前後3日間の遊興と売り物禁止女は姿を見せないこと通行を上から見下ろしてはいけない正座して迎えること看板を取り外し、2階の雨戸は閉めること寺の鐘などの鳴り物を鳴らしてはいけない犬猫・牛馬は、鳴き声が聞こえないよう遠くに繋いでおくことその降嫁の道中に、和宮が歌ったのが 落ちて行く身と知りながら、もみぢ葉の 人なつかしくこがれこそすれこのような経緯があったにも関わらず和宮と同じ年の若き将軍、家茂とは仲睦まじい夫婦であったそうだが、僅か4年後に、家茂は脚気衝心のため亡くなってしまうそんな中山道には欠かせない和宮ですが私が知ったのは、替え玉説の有吉佐和子「和宮様御留」の大ヒットからです。中学くらいでした。私にとって中山道を旅したといえば、西行法師で、その次は新選組といったところでした今回の御降嫁行列は100名程のもので地元有志や、大学生が美しい装束を身にまとって、再現をしているものだけど皆さん、なかなかお似合いですよね宿場の中ほどの藤村堂記念館で、お昼の休憩の前には、しばし写真撮影タイムちょっぴり現代人の表情にも、戻ります和宮を中心にハイ、ポーズ和宮そっちのけでハイ、ポーズ扇子使いも様になり現代人にまじっての休憩タイムお侍が小さく樹の奥に。この写真なかなか好きです。タイムスリップしたみたいさてさて、後半戦のスタートです幅が広くて、ここって奥まで行列が綺麗に観れて、なかなか良いですね歩くより、正座して輿に揺れるというのも大変そうな気もしますさてさて前回の燈籠やライトアップの準備もですが、今回の時代絵巻にも地域役員の旦那は参加をしておりますハリボテですが刀も持てて喜んでました図柄を決めるのも面倒なので、うちの今年の年賀状は、この行列での旦那の時代装束姿です。まっ、正月らしくていいんじゃないかとこれはないなと思った、くしゃくしゃの宝くじマークご祝儀も募ってました子供たちは後半だけ、行列に参加をしてました馬籠は左右に並行して脇道(車道)もありそれを使ったりして、行列の先回りも出来ます。このあたりまで来ると見物客も随分少なく、見やすいです緑も多くて、下の方より良い写真が撮れるかも今回は旦那も出るので、気合を入れてあちこちで、写真を撮りまくったので行くところ、行くところにお前がいるから恥ずかしいと旦那に言われましたが次は、上の方と展望台だけでいいな。あっ旦那の写真はたくさんあるけど、ここでは特に紹介しませんいよいよ行列も終盤。陣場の急坂ですキツイ勾配で、普通に歩いていてもふ~ふ~言います(ここと、最初の大きな水車のところ)草鞋なんでしょうね。歩き心地はどうなんだろうキツくても、顔には出しません宮様もあと、わずかゴールの展望台が見えてきました既に展望台にいた娘が、スマホで上から撮影した行列。私も次回は先に上に行っていようかな車の前を、御輿に揺られる和宮行列も無事に終え、表情が明るい和宮その背後には恵那山もよく見えます令和の世になっての、幕末の時代絵巻楽しませてもらいました。皆さんお疲れさまでした♪という事で、皆様。今年もよろしくお願いします 2019年11月3日に中津川市馬籠宿で撮影にほんブログ村
2020年01月01日
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たぶん今回の日記が、今年最後となります。旦那も明日より年末年始の休暇(9日間)入ります。形だけでも家の事でもしないとね日記の方は、11月の紅葉の写真の紹介が続きます。毎年恒例の馬籠の宿場まつりが11月に行われまして静かな宿場の夜も、華やかにライトアップされました宣伝が下手なのか、まだ知名度が少なく中津川や恵那の近場の人も、こちらにはこず、曾木公園あたりのライトアップにでかけている模様。私は曾木公園は昼間向かいにあるの日帰り温泉に行く位で会場は東京オリンピックの聖火ランナーも坂を走るという馬籠宿の中と、少し離れた(徒歩数分)島田公園の二つがありましてまずは島田公園に行ってみましょうか娘と二人でてくてく歩いていきました旦那は設営側です。ほんと幾つ役員をしてるんだろう?って、感じですけど高齢者家庭は役員は出来ないというし家族が病気だとか、本人が病気という家庭もあっておのずと役員を出来る人は限られてきます以前の様に60歳定年ならば問題もないのですが、今は高齢者雇用で65歳まで働けるので、安くなった給与でも貰えるならばと仕事を続けており、平日の昼間にある会合とかは有休をとったり私も旦那のかわりに、あそこに行ってこれをやってと頼まれたりしています島田川に沿うように、綺麗な燈籠地元の幼稚園や小学校の子供たちの手作りみたいです。無邪気でかわいい絵柄です。自分の顔なのかな?島田川に沿うような小さな公園にはモミジが植えられて、かなり大きくなってきたので、紅葉も綺麗ですよ夏には川のホタルを見る催しなどもやってますこのイベントですが、11月の中頃の週末毎に行われてまして、娘とは最初の時と、後半の週の2度出かけてまして。写真はいっしょくたになってしまっています最初に行ったの時に緑色の多かったモミジも、一週間後には真っ赤になっていたりしてまして、見頃になってました島田川にうつる逆さモミジです。結構綺麗だと思いませんか? カメラですがかなり前に購入した望遠レンズも込みで数万円のキャノンの一眼レフを使用しています手持ちでオート機能利用です。モードもそのままで、ブレることもあまりなかったです。歩きながらは流石にブレました竹に穴をあけて、このような幻想的なライトアップもされていました。冬の都会のイルミネーションには、かないませんが、静かな山里にキラキラとやっぱ宣伝下手なのか、地元の中津川付近の人もあまり知らないんじゃないだろうか。ネットニュースに日本人の京都離れが書かれてました外国人の増加による混雑や、ホテル不足などで、京都に出かける日本人観光客の数が減っているそうで。もともとが京都はリピートする人が多くて、私も年に2度は出かけてましたが、足が遠のきました国宝展とか無料の日帰り旅行など、目的がある時に行く位で。せっかく日本に行くならといった海外から来られると、やっぱ京都浅草、富士山といった著名な観光地が人気なのでしょうねまっ、ここ馬籠宿も海外からの観光客が多い方ですが京都に比べたら、かわいいものです。大昔にアンアン、ノンノだのディスカバリージャパンが騒がれていた時には、日本人がわんさかと来てましたあのころに比べたら・・・静かなものです宿場には、中山道の宿場の名前が書かれた燈籠が置かれています宿場のお店なども、店頭にぼんぼりを置いているところもあるので、そんな灯りもあって、暗闇も程よく明るくてより幻想的にもさてさて平成から、令和にかわった今年の我が家を振り返ますと・・・旦那、前から地域の役員をしてたけど春からパワーアップ。週末は地域行事参加で壊滅好きなドライブも行けず(いいとこ松本に夏と冬に出かけた位)、舅は旦那が家の仕事をしないとおかんむりでした~。消防団の年末夜警の激励や消防の出初式とかで年末年始も忙しいみたいです息子は高卒10年目にして、愛知県に転勤になって、会社の借り上げ社宅(自分で選べた)での一人暮らしを夏から始めました。当初は娘と二人月イチで出かけてましたが、最近はご無沙汰1DKで、息子の寝室には入らずにしているので、あまり嫌がれる事もないし、たまに来てくれると部屋を綺麗にしようと思うから歓迎というスタンスらしいので、お正月に帰省した息子が戻る時に娘と便乗息子の運転で、娘と今度は浜名湖方面に出かけようかと話してますそして娘ですが、前からアマゾンで通販とか利用をしてましたが今年のアタマに、アマゾンプライムにデビューしまして、居間の大きなテレビ娘の部屋のテレビで、アマゾンプライムを視聴で来るようになったら、旦那が少し前のアニメとか喜んで見ています来年の年会費(5千円弱)は、たぶん旦那が払う事になりそう。私はBSや地上波のドラマや映画を録画したのを見るので精一杯だし。娘は春には本をダウンロードできるタブレットを購入毎月千円弱の定額で本を読み放題出来るプランを夏の間はやってたみたいです。そして最近になって「アレクサ」ですよ。数千円する本体が、千円以下で購入できるというチャンスがあってうちにもアレクサがやってきました娘はテレビよりも、音楽聴いている方が好きなタイプなので、ケルトやミュージカルや、Jポップとか色々聴いているみたいです送料の問題などもあって、そういえば楽天とアマゾンはライバルでした(汗)更に娘は、春の老後資金3千万円に感化されまして。というか前から老後が心配タイプでしたが今春から個人型確定拠出年金(iDeCo)も娘は始めましたよ。その開設に手数料の安いネットバンクやネット証券など。扶養家族も個人保険も入ってない娘には、減税効果にも期待しての加入です。そんな娘でもあまりわからないようで電子マネーはやりませんクレジットカードもガソリンの給油カード(旦那の口座落ち)1枚で。おこづかいに毎月3万円を下ろして、そこから使った方が支出もわかりやすいそうだし、アマゾンで買う事の方が多いし。最近は電子マネーとか支出が把握できず、無駄使いに繋がる人も多いのかもしれないしかも5%還元だなんだとスーパーなら78円の飲み物をコンビニで128円で購入でもしてたら本末転倒。私はというとやっぱ東京オリンピックのチケット予約に翻弄をされた年でした。どの競技にするかああでもない、こうでもないと・・・・一次、二次予約で、数日はそれにかかりましたし、それに伴っての首都圏のホテル予約も。来年早々は東京ディズニーやUSJ大阪など人ごみに行くので、娘とインフルエンザの予防接種を受けたところがカユイです最後にオマケをひとつ。予約をしないままショートケーキでも買ってこようと思ってた24日の昼前姑が近所のスーパーで買い物をしてきてケーキセットをくれました。娘の好きなチョコケーキも、旦那の好きなイチゴのショートもあるしで、それをイブに頂戴しての次の日の午後に、コンビニに料金の支払いで立ち寄ったら、25日午後だけどクリスマスケーキがどれも3割引きになってましてミュゼ ドゥ ショコラ テオブロマの土屋シェフ監修によるテオブロマ ル ショコラジャンドゥージャ。税込みで3千円弱のが3割引きで購入でき、本格的なお味で美味しかった♪ 良いお正月をお迎えください 2019年11月に中津川市馬籠で撮影にほんブログ村
2019年12月27日
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来春から全国をめぐる東京オリンピックの聖火だが、岐阜県は県内を走るランナーに内定したとして、岐阜県出身の伊藤英明や鈴木ちなみ、流れ星ちゅうえい、辻本達規ら所縁があるとして竹下景子や、紺野美沙子山本耕史、佐藤弘道、みやぞんといった芸能人の名がずらずらと。あれれ?岐阜県出身の高橋尚子は走らんの? 違うとこで? 目をひいた二十六代藤原兼房は関の刀鍛冶の方のようです。アーティストの日比野克彦も岐阜出身だ。岐阜県のスタートを切る地元の馬籠宿はニュースにもなりそうだし有名な人とか走るんだろうか?(敬称・略)肝心の東京オリンピックのチケットですが、春の最初の抽選申し込みでは、娘の見たかった男子のバレーや、前夜のテコンドーのメダルセッション次週には、姉と男子水球(女子バレーの第2希望)といった3競技のチケットを取ることが出来たがせっかくなら、あと1つ、2つ。特に水球だけで東京にまた出ていくのも勿体ないし、今回の2次募集も応募をしてみました春のオリンピックチケットの時の日記↓ 6月20日「2度目のオリンピック観戦なるか? ミライトワとソメイティに遭遇!」最初の時には私だけがID取って、それだけで応募したんだけど、他の人とかは家族総出でID取っていたのを知って、娘と出かける週のは娘のIDで、姉と出かける週のは私のIDで申し込み合計で36枚、50万円超えだし(汗)娘は既に2種目を観れるので、どうせなら人気の競技が見たいというので、水泳、バトミントン卓球・・・しかも週末だし難しいだろうな。無論カスケード(欲しいランクの席がない場合、一つ下のランクのチケットにも申し込める)もして第二希望に現実的(当たりやすそうな)な競技も申し込んだ訳ですがははは~。案の定、娘のIDの方は開会式や人気競技ばかりだったので全滅でした。まっやっぱ、そうだろうなぁ~という感じです。そして、前にも当たった私のIDの方を見るとわ~い。当たってました。しかも既に当たっていた、男子水球(昼間)の当日の夜と、前日の競技だし、効率よく観戦も出来るというもの。バラバラに当選しても、滞在日数が増えてしまい地方住みは逆に困りますから当初は、実施が危ぶまれていたボクシングですが前回は販売をしてないので、ごっそりチケットが残っているので当たりやすいと予想してました。しかも国技館のB席は大相撲の升席の2人席分を使って座布団で観戦というジャパニーズスタイルなのが面白いし。テコンドーといい格闘技は好きです。柔道も見たいけど人気なので避けました更に本命が落選しての第二希望、しかもカスケードというギリギリッで当選したのは、女子ホッケーの準々決勝です。女子ホッケー日本代表の愛称ですがさくらジャパンといいまして、その代表候補らが岐阜県の聖火ランナーに選ばれる程、県にゆかりのある競技です。午後の水球の競技会場から近いので移動もしやすいのもナイスです♪既にオリンピック中のホテルも予約を押さえてまして、首都圏はカード前払いでキャンセル料即時100%という悪条件ですが、山手線駅前の二人で税込2万5千円のを2日分。テコンドー会場最寄りの幕張のホテルを1日。姉と行くのは2日とも試合開始が遅いし、東京まで1時間程の千葉県佐倉市の兄宅に泊めて貰えます。佐倉からJRと京成の2路線があるので安心ですさてさて、ここからは懸賞の10月末からの当選報告です久々に東京ディズニーランドが当たりましたしかも冬場に行われるスポンサー企業による貸切りナイトは初めてです。寒い夜3時間程ですが、まっ、東京方面へ出かける為の方便みたいなものですしね金曜夜なので、娘は会社から有休を貰って金土日。舞浜と横浜のホテルも取っており久々に横浜も楽しもうかと。この懸賞ですがキリンビバレッジのペットボトル飲料のバーコードで応募をするもので、まだ家にはこんな生茶が・・・・旦那は生茶が好きで、いつも会社に持っていく時には、こんなカバーを使ってます水筒に作ったのや、大きなペットボトルを小分けにするとか、そうゆうのは旦那は嫌がるので、68円とかの特売時にまとめ買いしてますはごろもフーズのシャキッと!コーンの商品1つを入れて千円以上のレシートで大阪のユニバーサルスタジオジャパンのパスポートも当たりました。こっちのは3月末までいつでもOKなので、春先に娘と出かけます前回の報告で商品券が少なかったと書きましたが、今回は商品券の当選が多かったです。ドラッグストアではライオンとタイアップで5千円分の商品券スーパーでチョコを買って2千円こちらはポテトチップで2千円永谷園のお茶漬けで3千円。お昼も梅茶漬けを食べました。美味しいです明治のお菓子だか乳製品で3千円各メーカーの釜めしを買って2千円〇穀米とかを買って千円一週間のルビットタウンの買い物によるレシートで5千円毎でガラガラをまわして娘は末等のティッシュペーパー1箱だけど私は500円分の商品券が当たりました永谷園ですが商品のバーコードを送り親子パンダのぬいぐるみリュックも当たりました。背負う事なく、家に飾ります。あさげ、ひるげなどの即席みそ汁をよく利用するので、これも158円の特価でまとめ買いしてますよく、同じ時期に重複当選はありませんと言われますので、うちは私の他に旦那とか娘とか家族の名前でバラバラに応募してますさすがに同じ懸賞には家族で1つしか当たりませんよサントリーでラグビーワールドカップのグッズ。前に当たった時と違う小売店とのキャンペーンでも当たりました昨年も当たった三幸製菓の新米キャンペーンは本来は2キロだったのに、間違って3キロのになってしまったそうで、当選者は逆に嬉しい日清の小さめの即席めん。このサイズ何気にいいかも前に選べる国産牛のカタログが当たったというの、すき焼き用の仙台牛を選びました決め手は松坂や飛騨も4等、5等の肉質で名乗れるのに、日本で唯一、仙台牛は最高の5等級しか名乗れないというので。柔らかでむちゃくちゃ美味しかったです最近は商品券ではなく、お店のメンバーズカードのポイント(1ポイント=1円)が当たるものも増えてきましたしかもお店で、レジでメンバーズカードを使って指定の商品を購入すれば、それで応募が完了。当落もネットでお知らせをしてくれるというのも増えてます。これはリプトンの紅茶で当たりましたアサヒビールは、購入時のレシートの写真をネットに送信し応募するタイプここでも、よく登場をしているフジテレビのめざましじゃんけんで、たまにある毎日プレゼント、また当たりました。ひと月後にも同じプレゼントをしていて、今度も当選♪今しがた千葉の兄から電話があって、一次を外した兄に平日、東京以外の会場がおすすめB席が狙い目と教えたら、鹿島でサッカーと幕張のテコンドー(うちの次の日)が当ったそうで、いゃぁ~良かった、良かった 2019年晩秋から冬に中津川市内で撮影にほんブログ村
2019年12月18日
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さて11月の話となります。遠くまで紅葉を見に行く暇もないので、近場で紅葉狩りに出かける事にしたのですが一応は紅葉の名所なので、駐車場が心配だったので朝早くに出かけると週末とはいえ、中津川の山奥にまで紅葉狩りに来る人もおらず、シーンとした秋の渓谷。先日の日記でも紹介をしたマツコの番組で紹介をした秘境の道の駅五木のやかた川上から、奥へと更にすすんだ所にある平成の大合併で中津川市になったのは長野県から越県合併をした山口村の他に木曽川の北側に位置し旧恵那郡にあたる坂下町、川上村、加子母村、付知町、福岡町、蛭川村の3町3村で、恵北(けいほく)という西隣の恵那市に合併したのは、南の方の旧恵那郡から岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作町の4町1村で、恵南(けいなん)という。マツコの番組でも紹介された山奥の道の駅。この合併前に川上村時代に作られたもので同様に旧坂下町や、旧山口村、旧加子母村旧付知町などにも、それぞれ道の駅が出来今も存続をしている。テレビで近くの病院が無くなるという特集をしていたが、合併によって、自治体に複数の公立の総合病院が出来、集約が求められているという中津川市でも、合併の4年前の旧坂下町にも立派な総合病院が出来て、恵北地区や木曽郡南部からも受診している人もいるが、経営の悪化と、中津川市市街に市民病院があるので存続も危ぶまれているおりしも道に中津川市長選のポスターを貼る掲示板が設置されており、前回同様恵北地域など周辺部と、市街地の候補の対立の構図となるのだろうか。それにしても、2012年に既に工事の始まった図書館建設を税金の無駄使いだなんだと当時の市長を辞任に追い込んで、建設を中止して更地に戻したのに、今更になって同じ土地に、新たに図書館を建てるとしれ~と計画がされているらしい。しかも以前の工事での基礎杭が残っているのでそれを使うらしい。あの騒動ってなんだったのだろう?反対派の人が、新聞広告を毎週のように出していたが、これからはタブレットで本を読んだりするから、図書館で本など借りなくてもいいとか言いきってたのが忘れられないし。夕森公園の駐車場には大きな岩の上には樹齢100年と言われるド根性モミジ夕森公園手前の橋梁跡には、森林鉄道で活躍をしていたディーゼル機関車が展示されていた川上からは、中津川市街から下呂へと抜ける裏木曽街道(国道257号線)へと。山里の何気ない風景の中にも、綺麗に彩った樹がさてさて、こちらにまわった理由は・・・苗木城にでもでかけようかと。最近やたらと人気が出てきたので駐車場がいっぱいにならない朝早くに行こうかとこの時点で午前8時台です。まだそれにしても今年はクマの目撃例が全国的に多かったですね。建物の中で冬眠しようとした親子とか、波消しブロックに挟まったクマとか。中津川や隣接の恵那でも熊出没があちこちでありましてしかも熊に人が襲われる事件が相次いで起きていたので、先ほどの夕森公園でも「熊、出るかも」と娘に言われて、我にかえってすぐに駐車場に引き返しましたそうそうマムシもいるんだよね。ビンに入ったのしか見た事ないけどしかし週末の苗木城は、クマが近寄るのを躊躇するくらい、観光客がいたので安心して登城も出来そうです。熊が潜むような茂みもないですしまだ8時台なのに、一番近い駐車場も2番目の広い方も8割は埋まっててしかもクラブツーリズムの団体バスも来てましたよ~なるべく人が入らないように写真を撮っていたけど、数十人以上は城跡にいたと思う一度、ブームになると知名度って格段に上がるんだね。五平餅を売る出店も出来てましたし馬籠に行く海外のお客さんも、駅からも近いし、苗木城にも足を運んで欲しいものだと思ったら、外国人家族も発見!いよいよ国際的な観光地に?ふと思いました。紅葉の時期に苗木城に一度も来た事がないような・・・。春も夏も、冬もあるけど。やっぱ秋はグルメイベントなどもあって、そちらに出かけてしまいがちだし先週末も、はざま酒造の蔵開きがあったので旦那と娘の二人で出かけて、3時間以上!私が送迎の運転手をしてましたし、松本2度に菓子祭りに、農業祭に、馬籠での和宮行列の写真もまだ整理できず、紹介出来てません週末は家でのんびり、ゴロゴロするよりどこかに出かけて、綺麗なものを見たり美味しいものを食べたいという行楽が好きな家族なので昔はパチンコ好きで、儲けたお金で家の仏壇を買った程の舅も、外出が好きで、朝8時位のバスで街に出かけお土産をいっぱい持って、夕刻5時過ぎのバスで帰宅し、殆ど家にいませんでしたがですが、足腰が弱り去年あたりからはバスも使えなくなり、私の車で病院や床屋などに出かけるだけです。でも家の中にいるのが嫌なので、冬でも家の裏手の方で、椅子に座って遠くを眺めたり、兄ちゃん、あれしろと指示したり姑はまだバスが使えますが、行きつけの病院には、駅からまた乗り継がなきゃいけないし車の方が便利なので、やはり私が送迎をしてまして。ただし田舎では美容院は車で送迎もしてくれるんですよスーパーも配達ついでに、買い物の帰りに乗せてきて貰える事もあるしそんなんで先週は、月曜に舅と姑の整形外科、水曜に姑の皮膚科(この日は旦那の忘年会の送迎も)、金曜は私の車の車検(旦那に頼まれ地域のお仕事も)とたてこんでまして定期的に通っているのは舅は整形外科、内科、床屋。しかも春には歯科に毎週通ってましたし、姑の方も整形外科(これだけ舅と同じ病院)、内科皮膚科。姑も頬に腫瘍が出来て春に皮膚科で除去手術ありまして、こちらも毎週通ってましたし。姑の眼の手術も、ここ数年で4回しました更には、私自身も内科と歯科(予防)があるので、春の舅の歯科と姑の皮膚科の通院が重なった時期には、なにがなんだかで自分の歯科予約を忘れて、お医者さんに叱られました。旦那が地域の役員を幾つも兼任してますが、結局は平日の昼間は仕事で、かわりに私が動く事に。高齢者家庭にお弁当を配ったりとかも舅はパチンコ帰りをしていた時の様に病院の帰りには、いつものスーパーで家族一人一人にお弁当を買ったり、総菜などを自分のお金で買って土産にするのが今の楽しみです 2019年11月17日に中津川市内で撮影にほんブログ村
2019年12月15日
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10月下旬に姉と出かけた東京2泊3日の旅最終日は目的の一つであった、御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」を見る為に、上野の東京国立博物館(トーハク)に朝からやってきました姉は上野では、美術館とかは行ったけどトーハクは初めてだというので、正倉院展を見てから、常設展もまわる事になりまして、今日はここをゆっくり見学して帰宅をする事にしました私も姉も車の運転もあるので暗く前に戻りたいので、午後3時前の新幹線に乗車をしたい。だから最終日の観光はここだけをゆっくりと見て、東京駅に向かう事にした少しでも早い時間の新幹線に乗りたいからランチはパスして、東京駅で買った駅弁を新幹線に乗車してから食べる事で、時間を節約。新幹線は東京駅も名古屋駅も到着をしてから指定席を取るようにしているといった訳で、最終日は正倉院展をやってた東京国立博物館(トーハク)で、名だたる文化財をゆっくりと鑑賞。ここまでの仏像は私の好きな法隆寺宝物館ですなんだか、この仏さんはシルクロードの先って感じですよね。どういった由来のものなのかは忘れました。なんと言ってもここトーハクはほんの一部を除いて写真撮影が出来るのでガラスケースに入っている展示品をいかに映りこみなく、綺麗に写真に撮れるのかとワクワク。とは言っても姉と一緒なのでどれを撮るか手際よく決め、短時間でパシャっと。もちろんフラッシュは不可です私のカメラは、普段からフラッシュ禁止の設定になってます。これは!という目についたものを写真に撮るので、同じものの写真をいつも撮っていたりもします。しかも同じアングルで似たような写真なんですよね今回も最初の写真も、二番目のものも前に来た時に同じような写真を撮って、紹介もしてました。好きな仏さんなんでしょうねやっぱり。むろん、ここに並ぶ仏さんとか文化財も殆どが重要文化財で、中には国宝級ものも並んでいました沢山の宝物や、収蔵品があるので展示品も入れ替えがされている物もあるので、何度出かけても楽しめます。例え同じものでも何度だって楽しく拝見も出来ますけどもね今回は楽器なども幾つか並んでました。名の通り、明治の廃仏毀釈の厳しい時期にお寺の存続の為に、法隆寺の宝物を皇室に献上したものが、戦後に国に移管されて今はこちらで並んでます写真の使いまわしになりますが、朝一番で出かけた正倉院展を見た平成館の1階には日本の古代のお宝がたくさん並んでいますハニワのコーナーは何をおいても、ここだけは外せませんよ~。一つ一つ丁寧に見ます。大好きですからしかも、このど真ん中のハニワさんたちはガラスケースに入っていないので、ガラスの映り込みが~という心配もなく、好きなようにカメラもむけられます。ちょこんと座ってますね。短い足だし(かわええ)あとアジアなどの展示品の方は時間なく今回はパスをしました。といった訳で作品の一つ一つを、紹介していくのもなんだし、トーハクでの写真は続きますが、ここ最近の話題でもしてみましょうやっぱり一番気になるのは、スポーツでしょうね。ウィンタースポーツも始まったので、女子のジャンプとかもテレビ観戦をしてましたし。なんといっても、フィギュアのグランプリファイナルでしょう羽生とネイサンの頂上決戦も見ごたえありましたが、ロシア4回転娘たちに立ち向かう紀平とザキトワ。女子も男子同様に、4回転時代が到来するんでしょうかでも成長期の4回転娘たちが、背も伸び体重も増えた2年後に、今の様に4回転跳べるものなのでしょうか。なんだか安藤美姫を思い出しました。浅田真央も年齢が87日足らず、冬のオリンピックに出られませんでしたが15歳ながら、出ていれば金メダルがとれたのでは?と言われてましたしね体操のコマネチ、競泳の岩崎は14歳技も、体型によって左右する競技とかあるので仕方がない事かもしれませんが平野美宇と伊藤美誠が、ダブルスを組みみうみまコンビとして、2014年3月にはドイツオープンで優勝し、13歳160日の伊藤は史上最年少記録。13歳350日の平野は3番目の記録となり2人の合計の年齢(27歳145日)が、史上最年少記録としてギネス世界記録に認定をされたそうだ。二人は幼い頃から切磋琢磨してきたライバルでもある訳で、卓球女子黄金世代の一員である一番有名なところでは野球のハンカチ王子世代のマー君や、マエケンや、坂本とかを思い出すし、今年の女子ゴルフでのシブコブームでも、同世代の台頭が話題になっている。やはり一人じゃなくライバルがいてこそなのか来夏に迫った東京オリンピックの代表の選考レースも行われており、あちこちで代表入りを喜ぶ声や、ランキングの点数が接戦して最終戦まで目が離せなかったりこのところのスポーツは目が離せなくて先ほどの黄金世代の平野美宇も、前回リオオリンピックで、石川、福原、伊藤に次いで4番目であった為に代表入り出来ずに悔しい思いをしたが、それをバネにし世界選手権で48年ぶりに、女子シングルスのメダルとなる銅メダルを獲得した東京オリンピック選考では、伊藤美誠が女子シングル代表権を確実にして、残りの1つは石川佳純(世界ランク10位)と、平野美宇(11位)の接戦で、直接対決となっ試合はネットのユーチューブの生配信で見たが、流石東京五輪代表がかかっているだけに、鬼気迫るものだった試合は接戦の末に石川が勝利し、12日に中国で開幕するグランドファイナルで一つでも先に進めた方が、女子シングル代表(二枠)になるそうだ。この試合はかなり強い選手(殆ど中国)しか出場せず、くじ引きのトーナメント方式で最初に誰と当たるのか、その次は?と言う甲子園で、しょっぱな大阪桐蔭に当たってしまったとかいう、運がモノを言いそうな気もする。まっ団体戦やダブルスなど卓球女子代表の枠もあるんだろうが、シングルで出るのは、一段と大っきな目標なんだろう東京オリンピックといえば、世界反ドーピング機関(WADA)が臨時常任理事会を開いて東京五輪・パラリンピックを含むスポーツの主要大会から4年間、ロシアを除外する処分を全会一致で決定したそうですねドーピングで潔白な選手は、個人資格で出場できるそうですが、ロシアの国旗や、国歌は使用禁止だそうで。18年の平昌冬季五輪もそうだったんですが、皆さん覚えてました?あと東京五輪とパラリンピックの1千万枚を超えるチケットの販売分のうち130万枚が主に都内の学校の生徒に割り当てられており自治体が購入し、学校に配布するそうだけど多くの学校で辞退をしているそうだなんでも公共交通機関の利用が決まりらしく移動の時間がかかる多摩地区とか、小学校の低学年の辞退が多いそう。そりゃ熱中症とか交通事故とか心配もあるしね。これも仕方のない話だと思う年末になって特番も多い中、長時間の歌番組も増えてきてますよね。それらもガッツリと会場沸かしての歌唱ばかりじゃなく、事前収録とか過去の映像だったり、ダンスがメインの大人数グループとかは 、リアルタイムでネット検索をすると口パクのオンパレードミュージカルやディズニーの特集が必ずあったりで今年のヒット曲はないの~とか思ったら、ビルボード全国CD売上枚数、ダウンロード回数、ラジオ放送回数、ツイート数、YouTube再生数、カラオケ歌唱回数などのデータを合算したランキングで史上初2年連続で米津玄師の「Lemon」が1位だったそうで紅白などで存在を知った人もいるそうだ。娘は紅白の大塚国際美術館の中継映像を、録画しておけば良かったと後悔してた。5位の「馬と鹿」ラグビーのドラマの主題歌で、子供の歌唱する「パプリカ」もあるし、今年も米津な年だったなぁ米津に続くのがあいみょん、Official髭男dismで4位に入ったのが、ドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」の主題歌だったKing Gnu(キングヌー)の「白日」で。結構、注目をしています。と言うのもキングヌーのメンバーだが、↑の作詞作曲もしてる中心メンバーの常田大希と、↑でボーカルをしてる井口理の二人は南信州の伊那市の出身だから(他のメンバーは徳島と、東京出身)年齢的に娘が伊那市に住んでいた頃、彼らもちょうど高校生で、同じ伊那市内をうろうろしてたんだ~なんて、思うと親近感も沸くというものだ。大晦日の紅白歌合戦にもOfficial髭男dismとともに、初出場が決まっている10月の下旬に、東京に出かけたきっかけになったのはNHKの「うたコン」の観覧に当選した為だけど、この番組は直前にならないと、番組のテーマも出演歌手もわからないのだけど11月下旬に放映された「スター集結!冬の星空ソング」の回はかっこよかったなぁ~寺岡シトーン、奥田シトーン、斉藤シトーン浜崎シトーン、キングシトーン、トータスシトーンによるロックユニットの「カーリングシトーンズ」と言ってもなんのこっちゃという感じだけど寺岡呼人のソロ25周年を記念して結成したそうで、奥田民生、斉藤和義、浜崎貴司YO-KING、トータス松本とかなんか凄いしかもね~、今は亡き忌野清志郎に捧げて彼の「雨上がりの夜空に」を、宮本浩次(エレファントカシマシ)が熱唱。また宮本自身のソロ曲で、ドラマ「後妻業」の主題歌「冬の花」も、むちゃくちゃ熱唱してまして、NHKの歌番組って侮れないしちょうど録画してたんで、宮本浩次のところだけ録画を残しています。やっぱ完成されたミュージックビデオにはない、生ステージの迫力とか、面白さみたいなものがありますしいやぁ~、この回を生で見たかったな・・・応募してなかったけど今夜はBS放送で、日本歌手協会歌謡祭というものをやっていて、かなり戦後直後の歌なども歌われていたが、還暦を超えた年金生活者の方も演歌よりもグループサウンズ、フォークアイドル・・・などが懐かしの歌となりジャンルも様々。フォーリーブスの江木俊夫と他の歌手で「ブルドック」 私は・・・今まで少年隊の歌だと思ってました。知らなかった~フォーリーブスもジャニーズの大先輩ですしねうちの旦那の好きなのは、月曜夜のBS日本こころの歌(フォレスタ) 今は午後7時という早い時間に放映されるので、録画をして後から見ている本文は、写真に関係ない近況ばかりでしたがトーハクのお宝はいかがでしたか? 今度はいつ行く機会があるのかな? 写真後半は↓本館に展示されています 2019年10月23日に東京で撮影にほんブログ村
2019年12月10日
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さてさて、姉と10月下旬に出かけた東京の旅。浅草、日本橋とやってきて2日目の午後には渋谷のスクランブル交差点にきました渋谷は、やっぱ若者が闊歩する街ですね浅草や日本橋、渋谷に、池袋、六本木どこもそれぞれに個性的で、そこに集う人たちもいろいろですNHKの観覧の他に、渋谷文化村と何度となく、姉も渋谷にやってきているというのにハチ公は見たことがなかったそうですこれは、街中にいた招き猫です雨も降っていることだし、早くから、ホテルにチェックインが出来るので、まずはホテルへとNHKホールから徒歩圏内で、という理由から選んだホテルなので、昨夜に比べて宿泊代金もお高めです夜にはNHKホールでうたコンの観覧があるので、姉はホテルの部屋でお昼寝私は一人で渋谷の街に出かけましたやってきたのは東急百貨店。の中を通り抜けて渋谷文化村ミュージアム。今までにも、何度かやってきた事もありますが建国300年、世界で6番目に小さな国を治める、由緒あるリヒテンシュタイン侯爵家の世界屈指の規模を誇るというコレクションが展示をされていたのだ侯爵家に秘蔵をされているルーベンスやヤン・ブリューゲル(父)、クラーナハ(父)を含む北方ルネサンス、バロック、ロココを中心とする油彩画や、ヨーロッパでも有数のウィーン窯を中心とした陶磁器など名品揃い「ヨーロッパの宝石箱リヒテンシュタイン 侯爵家の至宝展」神聖ローマ帝国の領邦(ルートヴィヒ2世のバイエルンも)であったリヒテンシュタイン侯国だが、潤沢なお金があり皇帝にお金を貸した事もあったそうで、ウィーンに2つも豪華な宮殿を持ってるそうだ。最後の展示室の花の絵画と、陶磁器コーナーは写真撮影がOKでしたよ♪入り口の方から、何やら外国語の話し声が聞こえてきて・・・。背の高い素敵な男性が幾人もの人に囲まれて、作品の妙に詳しい話をしていましてもしやと思って、学芸員のお姉さんにどなたなのか聞いてみたら、即位の礼で来日をされていたリヒテンシュタイン侯国の皇太子殿下であるそうでしてその時のご様子は↓の公式ホームページに写真入りで紹介されているので、ご覧になって下さいリヒテンシュタイン侯国アロイス皇太子殿下が本展にご来場!即位の礼のパレードは中止になりましたが、偶然にしてもグッドタイミングでした。そうそう前日の浅草寺でも、SPを連れた海外の賓客の姿を見かけましたよといった訳でヨーロッパの絵画や、食器などを堪能してから、ホテルに戻って姉と二人で、徒歩で10分もかからないNHKホールに出かける事にしました早くから並ばないように、前から良い座席というわけではなく、前も真ん中も、後ろもバラバラに座席チケットを渡されての入場となる訳ですが、昨秋の歌番組観覧に続き今回も1階席ではありませんでしたあぁ。。。ついているのか、ついていないのか。応募をする時には10月22日のうたコン観覧申し込みとあるだけで、ゲストもテーマもまったくわからず、直前の予告で出演者が誰なのかわかる訳でして「おんな港町」八代亜紀「もしかしてPartⅡ」小林幸子、大江裕、竹島宏、徳永ゆうき「夢やぶれて -I DREAMED A DREAM-」島津亜矢、濱田めぐみ「瞼の母」島津亜矢、朝花美穂「絶体絶命」石丸幹二、濱田めぐみ、水樹奈々「One more time, One more chance」石丸幹二、平野綾「時をかける少女」「いちょう並木のセレナーデ」原田知世「王手!」杜このみ「こうもりバットはグッドな紳士」水樹奈々「青春トレイン」ラストアイドル(映像のみ)こんな感じでした。テーマは「8時だヨ!全員コラボ」で、将棋のひふみん(加藤一二三)もゲストで来られてましたよ。谷原章介さん司会のこの番組、演歌もアイドルも様々なジャンルの歌が飛び出し、さながらミニ紅白のようでしてその日もミュージカルナンバーもあればNHKみんなのうたのナンバーも。大好きな石丸幹二2曲あったけどミュージカルではないのね・・・まっ、山崎まさよしの歌も好きではあるけど生放送で番組をまとめ上げるスタッフや、出演されている方もさすがだなっとそして、生放送が終わってのステージには出演をした歌手の皆さんが並び、拍手を受けてお辞儀をされるのですが、その後に若手の演歌歌手2組の歌をアンコール(?)で披露して下さいました竹島宏の「夢の振り子」は一度聞くと、なかなか頭に残る曲だけど、今見ているNHKの時代劇「大富豪同心」の主題歌でして、ユーチューブの動画を↑のせておきますので、よければ聴いてみてくださいませといった訳で夢の振り子のフレーズが頭に流れたままでホテルに戻り、素泊まりであったので、次の日の朝早くに山手線に乗って、再び上野駅にやってきましたここで一昨日も利用をしたコインロッカーに大きな荷物を預け、構内のお店で朝食を食べました。お隣のテーブルは海外からのお客様お腹もいっぱいになりましたし、今回の旅のもう一つの目的を果たしに行きますか。NHKうたコンの観覧が当選して、やった~これで東京に行って〇〇が見れる~!と、喜んだ訳でして。朝早くから多くの人たちもそこへと向かっていましたよやってきたのはお馴染み、東京国立博物館で愛称はトーハクといいます。昨日は常設展は他の多くの公共施設同様に即位の礼の記念で無料公開をしていたので、混むだろうと予測あえて次の日(最終日)に、開館前に並んでじっくりと観覧をしようと思いまして、早朝ホテルを出て上野にやってきた次第ですここでは、御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」が、10月半ばからひと月あまり開催をされていたのです。もちろん貴重な所蔵品は撮影禁止ですが、一番最後に正倉院や貴重なお宝のレプリカ(模造品)があって、それは写真撮影が出来ましたどのようなお宝が並んでいたのかは、このような動画があったので↓からご覧下さい貴重なもので数も多いので、前期と後期にわかれていて、私は前期の方になりましたが後期も近くであれば見れたのになぁ・・・国家珍宝帳記載の楽器「螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)」の模造品ですが、とっても美しい細工をしてますよねそして、こちらは世界に現存する唯一の五絃琵琶として名高い「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」の模造品でして↑のものと同様に、明治期に制作されたようです本会場には、これとは別に完成をしたばかりの模造品の琵琶もありまして、そちらの絃には上皇后さまが育てられた蚕「小石丸」の繭の糸が使用されているそうです。もちろん本物の琵琶も展示してありましたよ前にも一度、見たことがありますが信長など数少ない権力者が切り取ってしまったという香木の蘭奢待もありましたし、聖武天皇の愛藏の品など、さすがに天皇の御即位記念の特別展だけにプレミアムなお宝が並んでました開館前に並んだだけに、会場もさほど混んでいなくて、かぶりつきの最前列でじっくりと宝物を見学もできました会場にはこのような、ガチャガチャも置いてありました。正倉院展は若い時何度か出かけてまして、子供が大きくなってきて奈良に行けなくなりましたけど、好きな街です奈良市街もですが飛鳥とか、吉野や斑鳩、山の辺の道・・・。三輪そうめんもまた現地で食べてみたいなぁ・・・・まだトーハクの本館の撮影OKなお宝なども見てきましたが、それは次回の紹介という事でとりあえず建物など。皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して建てられた表慶館は、国の重要文化財に指定されています江戸時代末期の大名屋敷の門として格調が高い、旧因州池田屋敷表門も国の重要文化財指定です上野駅への帰りは、国立科学博物館の前を素通り。ここでは現在、世界のミイラ展をしているそうでして、見に行きたいけどさすがに続けては東京には行けないです(来年2月24日まで)1939年(昭和14年)に製造され、1975年(昭和50年)まで走行をしていた蒸気機関車D51の車両もあります正倉院展のお土産は、展覧会に出かけるとあれば買ってくるマグネット。今回の目玉となった螺鈿紫檀五絃琵琶のです日本橋のデパートでは全国の伝統工芸品の展示会をしてまして、姉が甲州印伝が好きで自分の娘の土産とともに、うちの娘にも印鑑入れを買って持たせてくれました初日の格安ビジネスと違って、宿泊料金が高めだけあって、渋谷のホテルは備品が充実をしていました。トーハクの所蔵品はまた次回! 続く 2019年10月22、23日に東京で撮影にほんブログ村
2019年12月03日
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NHKの歌番組「うたコン」のペア観覧が当たったのは10月で、街には秋の風物詩となってきたハロウィンのデコレーションもされていた頃に、姉と出かけた2泊3日の東京旅行の初日には午後から浅草で落語を見て、夕刻には浅草寺と浅草神社を参拝し、雷門近くの藪そばを食べ、コインロッカーに預けた荷物を取りにJR上野駅へ、東京メトロ銀座線で。なんかこの車両レトロじゃ東京地下鉄道が、1927年(昭和2年)に上野と浅草間の開業に合わせ製造をした日本で初めて設計をされた地下鉄車両の東京地下鉄道1000形電車を彷彿させるような1000系電車の特別仕様車だそうだ上野駅には巨大な熊手が飾ってあった。酉の市とは各地の鷲神社(大鳥神社、大鷲神社、鷲神社)の年中行事で、11月の酉の日に市がたち、縁起ものがたくさんついた縁起熊手が名物である一度、開運招福、商売繁盛を願うお祭りでもある酉の市にも行ってみたい。こういったその時期だけのイベントって、有名な札幌の雪まつりとか、神戸のルミナリエとか長崎の春節のランタン祭りとかいろいろあって行きたいなぁ~とは思っていても、時期も限定されるし、遠いしなかなか叶うこともない。全国47都道府県の旅も東北地方や四国(愛媛除く)と鳥取県には足を踏み入れた事がないのでそのあたりも攻め込みたいのだけどてな事で、JR神田駅からてくてくと歩いて宿泊するホテルに到着。目の前にはコンビニもあるので便利だしここはフロント前の共有スペース姉です。このホテルですが二人で泊まり1万円以下とお安いビジネスホテルですけど、とても快適でした安いけど、簡単な食事もついてましたよさてさて次の朝は生憎の雨でした。ある意味、パレードが延期になってよかったかもしれません天皇陛下が、御即位をされたのは5月1日ですが、即位礼正殿の儀で国内外に知らしめた10月22日には各国から要人も来日東京各所にはおまわりさんが警備をされてました。日本銀行本館は重要文化財ですよたぶん常盤橋じゃないかと思う。なんでも江戸城外角をなす常盤門に面し、江戸城の大手門から日本橋や浅草に通じる、重要な橋らしいが、常盤橋と、常磐橋との二つがあるそうで違いがいまいちわかりません常盤橋を渡り東京駅付近に来ると、何やら大きな区画を囲ってまして、日本中を沸かしたラグビーワールドカップの写真などもここは三菱地所がすすめている大型再開発常盤橋プロジェクトの舞台でして現在日本一の高さ300メートルのあべのハルカスを遥かに超える390メートルの超高層ビルが出来るそうですよ「常盤橋プロジェクト」三菱地所中東では1000メートルを超えるような超超高層ビルが、建設をされているみたいだけど地震や津波、台風などの自然災害が多い日本じゃ、そんな超超高層ビル建てる必要もないですしね新しいビルだとは思いますけど、どことなく、帝都東京を思い起こすようなレトロな建物。天皇陛下は象徴であるとはいえ、世界で唯一のエンペラー(皇帝)ですキング(王)と王国、エンペラー(皇帝)の帝国の違いは詳しくはわからないが、西洋などでは、神聖ローマ帝国(西ローマ帝国の後継者)皇帝と、ロシア皇帝(東ローマ帝国後継者)と、フランスのナポレオン皇帝といったところで中国(モンゴルも)皇帝であった。その始まりは始皇帝が中国を統一し、秦を建国したことからだ。古代では大王であった日本でも中国を意識して、天皇と名乗るようになったようだ大宝律令で天皇の号が法制化されたそうだが、順徳天皇(13世紀)から、光格天皇(18世紀)まで天皇の号は生前も死後も用いられなかったそうだ。江戸期国学が盛んとなり、尊王思想が広がって天皇の権威が見直され、明治維新に繋がる原動力となった将軍による江戸幕府が倒れ、明治維新によって天皇を頂点とする近代国家が出来政治的、経済的、社会的にも大変革が起きた。ちょんまげを切り、牛肉を食べ蒸気機関車も走った。そして大日本帝国と名乗り、江戸は帝都東京となった交通の要所であった日本橋の界隈には江戸期より越後屋(後の三越)などの大店が集まっていたが、明治になって近代的な洋風の建物には変わったがその賑わいはかわらなかった。この高島屋は昭和8年に建てられたもので国内のデパートとしては初めて、国の重要文化財に指定をされた。店内での写真撮影ができるのかわからなかったので、入り口エントランス部分のみを紹介しますが、これだけでもすごい日本初の冷暖房完備のデパートだそうでイタリア産の大理石をふんだんに使ってあって、中央の階段のゴージャスな事!手動式なので、エレベーターガールもおいでになって、もうワクワクしました明治44年にかけられた日本橋は、国の重要文化財である。あっ、下の方ですよ今の橋は20代目にあたるそうで、初代の木造の太鼓橋は、家康が道路網を整備をした慶長8(1603)年にかけられて五街道の基点となった帝都東京風に相応しい西洋風の橋には奈良の手向山八幡宮の狛犬や、西洋のライオンをモデルにした獅子と、翼を広げて日本橋から飛び立つ麒麟の像が映画化もされた東野圭吾の「麒麟の翼」で出てきたので、ご存じの方も多いのでは飛び立とうにも、ゴンと上空の首都高にぶつかりそうだが、首都高を地下に移設する計画があるそうで、いずれは青空が広がるそうだ日本の道路の起点ともなる日本橋の上空に無粋な首都高が覆ってしまったのは、先週のいだてんでもやっていましたが、昭和の東京オリンピック開催で道路整備を行いたいが、用地買収など時間が足らず、今のような形になってしまったそうだ国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号が集まる7幹線国道の起点となっている日本橋の「日本国道路元標」は道路上に埋め込まれているらしく、道路わきにはレプリカのモニュメントがあったここ日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、かつて魚河岸があって一日千両もの商いがされていたが、関東大震災で壊滅的な被害を受け、築地に移設をされた銀座とかは何度か出かけたけど、日本橋にはあまり縁がなくて、祝賀パレードがなくなってホテルから、あまり歩かなくても観光ができるからと午前中は日本橋散歩。荷物はチェックアウト後もホテルに預けてます天皇陛下の即位の礼による祝日で、三越日本橋本店前には、日の丸が掲げられていました。延宝元年(1673年)に、現金掛け値なしと、現金販売をいち早く実現し江戸で大人気だった呉服店「三井越後屋」が前身ですが明治後期に、英国ロンドンの老舗百貨店のハロッズにならったデパートメントストア化を目指し、大正3年(1914年)に誕生をしたのが、5階建て鉄筋コンクリート造りの日本橋三越本店ですルネサンス様式の外観や、採光天井の中央ホール日本初のエスカレーターなど当時の最新設備がされたデパートの入り口には、イギリス視察に出向いた当時の支配人が、トラファルガー広場のライオン像に感動したという事で、獅子の像先ほどの高島屋と変わらぬ、重厚感あふれるエントランスですが、こちらも国の重要文化財に指定をされてます公式HPなどには建物や獅子、天女像など、撮影が出来るようです(ただし人が入らないように注意する)三越の獅子の像の事くらいは、話には聞いていましたが、三越日本橋本店に来たことがなかったので、このようなゴージャスな吹き抜けのホールがあり圧倒されるような彫刻があるとは知りませんでしたサザエさん一家が休みにデパートに行くからと一張羅の服を着て、おめかししていたのを、名古屋レベルの天井の低いデパートイメージで、たかだかデパート位でと思っていたけど確かに東京のデパートはレベルが格段に違います。そりゃ~、おめかしして出かける訳だ。この巨大な天女の像であるが三越創業50周年の記念に作られたものだそうだが三越のお客さまに対する基本理念である「まごころ」の精神を象徴をするもので高さ約11メートルの木彫刻作品である名匠の佐藤玄々氏によって、約10年の歳月をかけ、1960年に建立されましたそれにしても圧巻です。天女像を見上げたり、背後に回ったり、上階から見たりと時間をかけて、じっくりと見物をさせて貰いました横から見ると、また違った印象ですね昨日も、今日も娘のところにアマゾンに注文した荷物が届いていたけど、小売業や金融、旅行業・・・・様々な分野においてインターネットビジネスが発達し、街中にある実質店舗は苦戦を強いられてますね百貨店業界も大変な時代を迎えているが新たな活路を開いていって欲しいものだが、私もスマホ決済すら出来ないしどうなっていくんだろね越後屋の跡地には三井財閥の本館が建てられ国の重要文化財になっている(昭和4年)本館の保存の為、すぐ脇には地下4階地上39階の日本橋三井タワーが建てられ、三井グループや関連企業が入居しているそんな、帝都東京の商業の中心地である日本橋のビルのはざまにある福徳神社は貞観年間(859~879年)には、この地に鎮座をしていたお稲荷さんで源義家や太田道灌、徳川家康も参拝していたそうだ徳川秀忠が参詣した際に、樹皮付きの椚(くぬぎ)製鳥居に、若芽が萌え出ているのを見て「芽吹神社」と命名したとか。富くじ興行が許された社寺のひとつでもあった時代が下り地域の開発により、ビルの屋上に小祠が置かれるといった有様であったのが、三井不動産を中心にして福徳神社の再興がされた日本橋再生計画によって、三井によるショッピングパーク「コレド室町」が幾つも出来ており、江戸情緒を思わせる演出もされている今秋にはコレド室町テラスがオープンしたので、たくさんの人でにぎわっていた。私も台湾雑貨のお店とか入っているとテレビで見たので出かけてみた生憎の天気だったが、素敵なテラス席もあって、夏場などは楽しそうだ。ここは地下鉄駅の真上にあるので、姉を残してすぐ近くのホテルに荷物を取りにいってここから地下鉄で渋谷に移動昼過ぎには渋谷に到着し、東急のレストラン街でランチにした。海なし県民には一番のご馳走であるマグロを食べる事にした私はマグロの丼で、姉はマグロの定食さてさて午後の渋谷では、どんな発見があるのだろ。続く! 2019年10月21、22日に東京で撮影にほんブログ村
2019年12月02日
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もうお忘れかもしれないが、10月の下旬にNHKの歌謡番組「うたコン」のペア観覧が当選したので姉と二人で東京に出かける事になった。ああいったものは転売防止のために直前に当選はがきが届くので、急遽の計画だ収録日(生放送)は即位の礼の行われる10月22日だったので、前日の10月21日には上京し、皇居に近いホテルに泊まって、即位の礼のパレード(中止になったが)を見てから夕刻に渋谷のNHKへ移動し、うたコン観覧を楽しもうと思って、ホテル予約もしてたのにパレード中止。せっかく上京もするのだし、当初の予定通りに行程は2泊3日。21日のお昼過ぎに東京到着新幹線のチケットは東京駅までだけども乗車券の方は東京都区内。それを使って降り立ったのはメジャーな上野駅でしてそこで遅めの昼食小じゃれたお店でカレーを食べたがさすがに駅舎にあるだけに、すぐに注文した料理が出てきた。さてさて昼も食べたし今日の観光は・・・と言っても長い人生で、私も姉も東京だいたい、どこでも出かけているし数年前に大病をした姉を連れているので娘と一緒にてくてく歩きまわるのも無理なので・・・・と、思いついたのは大河いだてんで、古今亭志ん生をやってるが落語って生で見たことがないし浅草演芸ホールなら予約もいらず、好きな時間から楽しめそうなので、落語を聴いてこようかなぁ~って事で、やってきました上野からは地下鉄を利用して、最寄り駅の田原町から少し歩きました昼の部、夜の部とあって長時間楽しむ事ができますが、うちは午後1時半位に入場、昼の部のラストまで3時間ちょい見物してきましたよ。落語だけでなくて漫才やマジックなども演目がありました私が子供のころの笑点では、この方が司会をされてました。さてさて戦国期でも幕末でもない久々の近代劇だった東京五輪がらみのいだてんですけども時代が移り変わって、登場人物もめまぐるしくかなり個性的な主人公たちには時代劇ファンの方の支持も得られず、視聴率低空飛行ですが、私も落語バージョンとか、若い時と年を取っての志ん生が交互に出たりで苦手だったんですけど中津川市出身の可児先生も出てくるし人見絹江選手のエピソードとか面白くて根本的にスポーツ観戦が好きなので観てきました。その中でもその回だけ独立をしても、単独ドラマとして成立できそうなのがラグビーワールドカップ日本戦に割を食った39回です普通のドラマは録画をして、暇な時間に観たら消してしまうのですが、この回は録画を残してしまう程、涙、涙の感動回しかもメインの役者さんたちが、みんな良いんですよ。そのいだてんの神回とは所帯持ちの古今亭志ん生が、太平洋戦争で思うように落語もできないし、三遊亭圓生らと、満州に関東軍の慰問興行に出かけたのだけど、終戦で現地は混乱。金栗四三の弟子で幼い子供を内地に残した兵士の小松勝と意気投合小松は「志ん生の富久は絶品」と書いた絵ハガキを投かんした直後にロシア兵に打たれて亡くなるのだが、小松を演じるのは、旦那は今日から俺は!ではまった中野太賀。私はゆとりですがなにがから目をつけてました古今亭志ん生役は好きな男優の森山未來だし、三遊亭圓生役は中村七之助(四三役の勘九郎の弟)で艶っぽ~い。初期の天狗クラブの面々も面白かったし、こう思うと、色んなエピソードをぶっ込んだまさに大河でしたねいだてんを見なきゃ、私も生で落語を楽しむ事などなかっただろうし。まっ前にも落語家がテーマの官九郎脚本のタイガー&ドラゴンも見てるけども境内には阿弥陀如来さん。他にも色んな仏さんがおいでになるようだが、今回はこの仏さんだけ目に入りました歴史ある大きなお寺さんだけに、時間をかけて、境内を隅から隅までまわれば色んな文化財もあるのだろうけど、ここ行くと、人の多さに飲まれてしまってかっこいいお手水場。高村光雲による沙竭羅龍王像(レプリカ)だそうでして天井には東韶光作による墨絵の龍の絵だそうです常高炉から立ち昇る煙を浴びることで体の悪いところが良くなるなんて言い伝えがあるそうで。身を清めるという事を書いている人もいたし浅草寺からのスカイツリー。よく晴れていたらスカイツリーに登るのも良かったかもしれないし浅草寺の横には、観光客の姿も少なくひっそりと浅草神社があり、こちらも必ず参拝に出かけている。かの有名な三社祭行う神社である。簡単な説明をウィキペディアで紹介をさせて貰うと>推古天皇36年(628年)、漁師の檜前浜成・>檜前竹成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で>漁をしていたところ、網に同じ人形の像が>繰り返し掛かった。兄弟がこの地域で物知り>だった土師真中知に相談した所、これは聖観音>菩薩像であると教えられ>二人は毎日観音像に祈念するようになった。その>後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を>寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師>真中知の没後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、>そのお告げに従って真中知・浜成・竹成を神と>して祀ったのが当社の起源であるとしている。>実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて>三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると>考えられている。ご神体として前述三氏を郷土神と>して祀っている。明治の神仏分離により浅草寺>とは別法人になり、明治6年に現在の浅草神社に>改称した。>その後大化元年(645年)、勝海上人という>僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と>定めた。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の>金色の像と伝わるが、公開されることのない>秘仏のためその実体は明らかでない。>平安時代初期の天安元年(857年。天長5年>(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚>大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに>人々が拝むための像)の観音像を造ったという。>これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を>中興開山と称している。>天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に>任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えが>あり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの>時の創建といわれる。一説に本尊の聖観音像は>現在の埼玉東京の県境に近い飯能市岩淵にある>成木川沿いにある岩井堂に安置されていた>観音像が大水で流されたものとする伝承がある>浅草寺創建より100年程前に、岩井堂観音に>安置されていた観音像が大雨によって堂ごと>成木川に流され、行方不明になったという>成木川は入間川、荒川を経て隅田川に流れて>おり、下流にて尊像発見の報を聞いた郷の>人々が返還を求めたがかなわなかったという>浅草寺の文献上の初見は鎌倉時代の『吾妻鏡』>である。同書によれば、治承5年(1181年)、>鎌倉の鶴岡八幡宮造営に際し、浅草から宮大工を>呼び寄せている。また、建久3年(1192年)、>鎌倉の勝長寿院で後白河法皇の四十九日法要が>営まれた際、浅草寺の僧が参加している>後深草院二条の『とはずがたり』には、彼女が>正応3年(1290年)浅草寺に参詣した時の様子が>描写されている。天正18年(1590年)、江戸に>入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、寺領>五百石を与えた。浅草寺の伽藍は中世以前にも>たびたび焼失し>近世に入ってからは寛永8年(1631年)、同19年>(1642年)に相次いで焼失したが、3代将軍徳川>家光の援助により、慶安元年(1648年)に五重塔>同2年(1649年)に本堂が再建された。このように>徳川将軍家に重んじられた浅草寺は観音霊場と>して多くの参詣者を集めた。>貞享2年(1685年)には、表参道に「仲見世」の>前身である商店が設けられた。これは、寺が近隣>住民に境内の清掃を役務として課す見返りに開業を>許可したものである。江戸時代中期になると、境内>西側奥の通称「奥山」と呼ばれる区域では大道芸>などが行われるようになり、境内は庶民の娯楽の>場となった。>天保13年(1842年)から翌年にかけて江戸三座の>芝居小屋が浅草聖天町に移転し、そうした傾向は>さらに強まった。浅草は近代以降も庶民の盛り場、>娯楽場として発達し浅草寺はそのシンボル的存在>であった。明治23年(1890年)には商業施設と>展望塔を兼ねた12階建ての「凌雲閣」(通称「浅草>十二階」)が完成している。>関東大震災では浅草区は大半が焼失する被害にも>かかわらず、避難民の協力によって境内は一部>建築物が延焼するだけの被害で済んでいる。しかし>昭和20年(1945年)3月10日、東京大空襲で>旧国宝の本堂(観音堂)、五重塔などが焼失。>第二次世界大戦後の浅草は、娯楽の多様化や東京>都内の他の盛り場の発展などによって一時衰退した>しかし、地元商店街のPR活動等によってかつての>賑わいを取り戻しつつあり、下町情緒を残す街と>して東京の代表的な観光地となっており、羽子板>市、ほおずき市などの年中行事は多くの人出で>賑わっている。雷門の裏側には、金龍と銀龍の像があった。西の金龍(女神)は仏師、菅原安男の作であるそうで東の天龍(男神)は彫刻家、平櫛田中の作。昭和53(1978)年に奉納されたものであるそうだ現在の雷門は昭和35(1960)年に、松下幸之助が浅草観音に祈願をして、病気平癒した報恩のために寄進したそうだ。松下電器産業(現パナソニック)の寄贈の大提灯があり、三社祭の時と台風到来の時には提灯が畳まれるそうだ表参道入口の門は、切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置をしており正式には「風雷神門」というが通称の「雷門」が有名だ風神雷神像であるが、頭部のみが古いそうで、体は慶応元年(1865年)の火災で焼失してしまい、明治7年(1874年)に作られたものだそうだ。昭和35年(1960年)の門の再建時に補修と彩色が加えられているんだとか昼間の浅草も良いが、夜のとばりが徐々に降りて明かりがともった夕刻、観光客の人出も減ってて雰囲気がとてもよかった浅草神社の境内には、隅にこのようなかわいい相体の夫婦狛犬の石像もあったそして、浅草寺は何度も焼失をしているがすぐお隣の浅草神社は家光公が寄進をした本殿が、関東大震災や太平洋戦争でも焼失を逃れているが、このご神木の銀杏の大木は↑このような由緒のある樹であるらしい。このように、初日のお江戸見物は浅草を満喫して以前にも食べた事があった、雷門近くにある並木藪そばに夕ご飯を食べに出かけた1735年(享保20年)の「続江戸砂子温故名跡志」には、藪の中にも蕎麦屋が一軒あったとあって藪蕎麦は、更科 、砂場と並び江戸期の蕎麦御三家だそうだ。更にはかんだやぶそば、池の端藪蕎麦並木藪蕎麦が藪蕎麦御三家であるそうで・・・まっ、由緒ありげな老舗蕎麦屋である。落語に「時そば」や「そば清」という演目があるけど江戸で蕎麦は大人気。庶民のファーストフードだったみたいですね。二八蕎麦は蕎麦が八で小麦は二の分量からだそうですが江戸後期に蕎麦は十六文だったそうで九九の二八は、十六だからだという説もあるんだとか。姉はかけそばでさてとホテルに行くとしようか。中止になってしまったが、パレードに行くのに便利だからと東京駅近くのホテルはJR神田駅の方が便利がよさそうだ。まずは上野駅のコインロッカーに預けた荷物を取りに行くとしよう地下鉄の浅草駅には、三社祭のお神輿が飾ってあった。ふと美空ひばりのお祭りマンボの歌が頭の中に。東京というより江戸情緒の残る浅草、楽しい一日でした 2019年10月21日に浅草で撮影にほんブログ村
2019年11月27日
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遅かった秋もすすみ、紅葉も街の方へと下りてゆき、うちのあたりでは、0度といった、冬の厳しい寒さも感じるようになったが、ブログの方は少しさかのぼり10月の最終日曜日。臨時駐車場からバスに揺られて向かった先は、毎年恒例の地元中津川の菓子祭りである行くか迷ったけど、ついつい暇だし娘と二人で出かける事にしたまずはジグザグと、列の進みの早い行列に並んで・・・・先着無料の栗入りのぜんざいを貰って一服してから向かったのは菓子祭りのメイン会場。夏にはアメリカ女子レスリングチームが事前の合宿練習を行った体育館である中津川には栗きんとんをメインにした和菓子屋が幾つもあり、すやや川上屋といった有名どころや七福、満天星一休といった売り出し中のところなどは、市価の2割引きで販売がされているので、長い行列ができていたまっ、地元だからいつでも食べれるし箱買いをする必要もないので、行列が短めのところに私も並んで、お土産に和菓子を購入むろん和菓子以外の中津川の美味しいグルメもいろいろと販売をされていてここは素通りは出来まい。私は運転があるので無理だけど、娘はいそいそと試飲をさせて貰って、帰りに1本購入美味しいものにつられたのか、ネズミ?かと思いきや和菓子の材料で作られた工芸和菓子の、来年の干支のねずみで川上屋さんが制作をされたようであるそして屋外でも様々な出店がされていて何やら、奥の方にでかい栗きんとん栗きんとんをモチーフにしたゆるキャラにゃかつがわ君だ女の子たちに囲まれてご満悦のようだしNHKの朝ドラで全国に名を売った郷土食の五平餅のお店も何店舗も出店をしており、食べ比べもできるまっ、これもいつも、どこでも食べられるので並ばない地歌舞伎や文楽なども残された地域柄その当時の舞台小屋を意識したホールでは、地元の人たちの文化祭がされていたそんな訳で、2割引きの菊牛蒡漬とか恵那山のお酒に、加子母の笹寿司もちろん和菓子もいくつか購入。少しだけ並んだ、お気に入りの信玄堂で栗粉餅とか栗きんとんを使ったお菓子セット。梅園の栗きんとんも購入したお高い栗きんとんよりも、その日に食べなきゃいけないので、日持ちはしないが栗粉餅が美味しいので、2割引きはお得だと購入♪ ぜひ中津川まで買いに来てくださいませそして後日になりますが、歯医者に出かけたついでに駅前のにぎわい物産館で、幾つもの和菓子屋の栗きんとんが購入ができるので食べ比べしかし物産館に、すやは出店していないので、その近くの中山道沿いにあるすや本店に出かけて2粒だけ購入をしましたラインナップはすや、信玄堂、満天星一休恵那福堂、梅園。よく食べる事のある七福川上屋は今回はパスです1粒を三分の一に切り分けて、旦那と娘と三人でパクリ。息子が栗きんとん好きなので先日、冬用タイヤを交換に来たので土産に持たせました。3粒たけだけど(笑)これは11月の半ばの日曜日ですね。午後遅くに買い物の帰り、同じ会場に立ち寄りました。目的は公園のウォーキングですが駐車場に係員とかがいて、農業祭をしていたようです。とは言ってももう終了時間まで30分あまりでして片付け始める業者も多く、お客さんの姿も少なくなっていました。しか~しいましたよ!JAバンクでの粗品になることが多い有名なマスコットのちょリス! 膨らむほっぺ(ほお袋)に幸せをためているそうだし。かわええ。奥にもゆるキャラひがし君と、みのちゃんと言うことは地元のJAひがしみのから、命名したようだ。朝ドラの半分、青いでも架空だけども東美濃市でしたといった訳で思わぬマスコット遭遇の収穫を得て、いよいよウォーキングをする事にしました。ゆるい坂を登ると見えてきたのは自然豊かな中に陸上競技場。階段をテクテク登って、こんな感じですよ走っている人がいましたかなり高台まで、やってきましたよ馬籠宿や、苗木城や、恵那峡などにお散歩にいきますが、どこも坂道だったりするしさてさて紅葉の写真が続きますが、話題変えますね。明智光秀ですよ。岐阜県の出身者。裏切者ですけど、上司信長殿のパワハラがすごいから、同情的な見方もされ、ついに大河の主人公になりました大河、麒麟がくるでは美濃編からスタートするそうで、大河特需も期待してゆかりの地などは盛り上がっているのに、水を差すような濃姫交代。しかも新たに抜擢された川口春奈さんは、映画「謝罪の王様」の中では「ヘルシースケルトン」の清純派女優でありながら会見で「別に」という役柄である意味、代役が相応しいようなNHK側の笑いのセンスを感じた訳だけども大河などの降板続きは、対策をたてられないものだろうか岐阜市の公式チャンネルより↑川口春奈さんも、躍進の大チャンスと捉えてキュートな濃姫を演じて欲しいものです。災い転じて福となすってな事で・・・来年度の大河、期待をしていますテレビと言えば、中津川の老舗の川上屋からのれん分けをした形の恵那川上屋。洋菓子なども販売していたりしますが、秋には大行列が出来てまして、うちも一度、冬場の平日に娘と食べてきましたが前に南木曽から馬籠へと秘境路線バスとして紹介した、帰れマンデー見っけ隊で今度は秘境で大行列として、恵那川上屋での巨大モンブラン「栗一筋」をやっていたけれど、まだ南木曽から馬籠は秘境かもしれないが恵那川上屋は違うだろ・・・。市街地や駅まで歩いて30分程度だし、リニアの駅だって近くに出来るのに。このままではリニア中津川駅は秘境駅と言われるのか?まぁね~、近くではポツンと一軒家だってやってたけども「マツコの月曜から夜更かし」でなかなかお客の来ない観光地の自虐CMを作るというコーナーで、恵那峡ワンダーランドもやっていて、子供が小さな時にはお世話になった木曽川を見下ろす自然豊かな遊園地だけど、ゆるいわぁ~(笑)更には中津川市の、私もよくこんな山奥に道の駅を作ったな~と驚いた「五木のやかた・かわうえ」。ここならば秘境と言われても地元民は太鼓判を押します 2019年晩秋に岐阜県中津川市で撮影にほんブログ村
2019年11月23日
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はい。やってきたのは我が家からは車で2時間半。日帰りドライブコースとしてお馴染みの信州松本。国宝の松本城です10月中旬の松本そば祭が台風19号で中止になってしまいましたがやっぱ新蕎麦を食べてもみたいし、舅の菊も買いたいし、姑の長芋ももう発売をしているので買い出しがてらに、旦那の運転で娘と三人で、11月4日の祝日に日帰りで出かけてきたそして都内は行き尽くしたのか、最近は地方の観光地も紹介する、テレビ東京のアド街ック天国で、直前の11月2日に信州松本の特集をしたので、知ってた所ばかりだけど、余計に行きたくもなった木曽は、紅葉も遅れ気味でそれでも温度は3度とかなりの冷え込みで今日は温度も13度位にしかならない予報だったので、冬並みのダウンジャケットを着用してきた台風19号などの影響で、木曽谷と伊那谷を結ぶ国道361号「権兵衛トンネル」付近で土砂が崩落して、通行止めになってしまったので、かなり手前から告知がされていた権兵衛トンネルに向かう交差点は、車が間違って入り込まないように封鎖されていたが、この先に住む地域住民は通行が面倒そうこうして朝早くに家を出発し、2時間後の午前9時に到着したのは、塩尻市の東部にある三澤珈琲塩尻店だここでモーニングセットを食べてから松本市内に向かうのだ。オプションのヨーグルトはこのボリュームで80円娘と半分こして食べたモーニングセットは3種類あり、少しお金を足したタイプ。コーヒーは無料でお代りが出来るお腹も一杯になったので、塩尻東部から松本市街に抜ける、お気に入りの山麓の道路。今日は雲が出てアルプスは見れず奥に松本市街が見えてきた頃、あれこんなところに古墳。この道はもう数十回近く通ったのに、初めて気が付いた道の反対側には真っ赤な石仏。こちらは知っていたこうして松本市街に10時少し前に到着早く来た理由は、やっぱり駐車場が心配なので。最近は中心部も徒歩圏のイオンモール松本店の大駐車場を利用している日祝日と平日で違うが、3~5時間無料それ以上でもお買い物金額で無料になるイオンモール松本店に車を置いて、早速やってきたのは国宝松本城。太鼓門にある巨大な玄蕃石も、地元の苗木城を見慣れているので小さく見えるお久しぶりの松本城。ここで城を見ながらヒスイ蕎麦を食べたかったけど、台風には勝てない出かけた前日の11月3日、文化の日だったら、庭園は無料開放をしていたそうだが、今日は有料なので入らないちょっぴり秋らしいアングルの松本城ススキなどもあったアド街ック天国は、松本中心部だけでこのお城の本屋が、入るかと思ったがランキング圏外だった。私は前を通るといつも写真を撮りたくなる土産物屋のお城の自販機湧き水も欠かせないそして、大火で松本の中心部が焼けてしまった事から、商家がこぞって防火の為に、土蔵造りにしたという中町通りには行くたびに、新しいお店が出来ていたりするこの看板はそのままだがアド街ック天国で紹介をしていた、城に敵が攻めにくいように、道路をずらした食いちがいアド街ック天国で紹介をされた蕎麦屋の野麦には長蛇の列が出来ていたえ? 新蕎麦食べないのって話になるが蕎麦屋やラーメン屋の多い松本だけどもカレー屋さんも多い。ちょっと前になるがテレビ東京のワタシが日本に住む理由で松本市街のカレー店主が出てきてインド人店主が作る本格的なカレーを一度は食べてみたいと思って、やってきたのはドーン食堂印度山です。店主のアシシュさんと、奥さんとかわいい息子さんが切り盛りしてました3種類のカレーがあり、カレー単品もありましたが、せっかくだから2種類のカレーや他のものも楽しめるセットにしてみましたスパイスもきいてますが、辛くなくって食べやすいカレーでしたよお腹も一杯なので、紅葉の少し見頃になった四柱神社へ。この神社も松本市街に出かけた時には必ずお参りをさせて貰う紅葉をバックにした狛犬くん。日が良かったのか七五三のご家族が沢山来られていた真っ赤にはまだまだのモミジだが、これはこれで味があるかもむむっ。リンゴのように真っ赤っかな頭をした動物のまわりに、人だかりが出来ていた信州をくまなく歩きまわり、信州の魅力を発信しているという、長野県PRキャラクターの「アルクマ」出没身長はリンゴの木の半分位だそうで体重はリンゴ70個分。出身は日本アルプスのどこからしい好きなものは山、蕎麦、リンゴだとか信州のあちこちに出没するだけあって私も何度か遭遇をした事があるけどぬぁんと今年のゆるキャラグランプリでご当地部門の日本一になったそうだひこにゃん、くまもん、バリィさんさのまる、ぐんまちゃんといった歴代1位にも負けない愛らしさだアルクマが出没をしたのは松本の信濃毎日新聞松本本社のある信毎メディアガーデンで、イベントをしていたのでここの展望台から駅方向を見ると、長野市VS松本市で勝負のネタにされるパルコだこの前のケンミンショーでは松本市にはH&Mも出来た(イオンモール松本内)と長野市民がぼやいていたこの信毎メディアガーデンにも小じゃれたお店が幾つか入っていて、軽井沢に本店があり、信州を代表する珈琲店の丸山珈琲の支店も出来たお店でもテイクアウトでも珈琲が気軽に飲めるが、ここで丸山珈琲の数百円~のコーヒー豆を購入すると、カップ2杯までコーヒーをおまけに貰えるカップに半分ちょいくらいで、少なめとは言え、数百円程のコーヒー豆購入でこれは嬉しいサービスだ古いものを残すことを美徳とする信州において、松本市街には古い建物が大切に残されているアルモニービアンは、娘が松本から家に戻る日に泊まったホテルで、手前の古い建物は国の登録有形文化財で、ここでは朝食を食べることが出来たのが思い出タウンスニーカーバスに描かれているのは明治の擬洋風建築が美しい、旧開智学校で今年、近代の学校としては初めての国宝に指定をされた。と松本市街も堪能したのでイオンモール松本で買い物をしてから野菜の直売所や花屋も立ち寄ってから最後に訪れたのは山形村のアイシティで松本の榑木野の姉妹店の榑木野SINで旦那は普通のざるそばだが、手前の私のは発芽蕎麦で、念願の新蕎麦だそしたら開店一周年だそうで、お土産にお試しの訳あり乾蕎麦を貰った。そして舅の鉢植えの菊の花やシクラメン、姑の長芋も購入コーヒー2杯をおまけに貰った、丸山珈琲はデカフェのお豆。信州を代表するスーパーのツルヤオリジナルの林檎バターは、見切りで購入出来た午後遅くだったので直売所の加工品はどれもが半額祭り。信州リンゴも購入イオンモール松本ではカルディや、他のお店で食べ物を買ったり安曇野のお気に入りの日本酒、大雪渓イオンモールでは旦那のシャツなども買ったので、計4千円以上の買い物で無料3時間に、プラス2時間の駐車場利用が出来てのんびりできたアド街ック天国でも紹介をされていた板飴は食べたことがなかったので購入したが、娘がバリバリ食べてしまった北アルプスは見れなかったが、アルクマ遭遇で楽しい松本だった 2019年11月4日に信州松本で撮影にほんブログ村
2019年11月12日
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すみません。なかなか日記更新が出来ていません。まっ、だいたいが2年も前の千葉県香取市佐原へ出かけた時の日記の続きなので、その時の事も殆ど忘れてる状態で気も乗らなくてそれでも折角、写真はアップしてもいるし素敵な街なので、しっかり紹介をせねばとと言いながら、昨日もお正月明けの旅行とやっぱり行きたい!と思いが募って、急遽出かける事になった旅行の計画などをしていましたが個人で行くのならば、簡単に宿泊先とかも決めて予約もできるが、安さや内容に釣られ旅行会社の団体旅行にしようものなら、思うような希望日程に設定がない。あっても満席もしくは催行がされるかもわからないでは私や姉ならどうとでもなるけど、娘の連休考えると週末合わせで難しい。娘の会社の年間スケジュール(来年の)、この時期にわかるので、これから予約をするのだけど人気の台湾は日程によっては、もう満席も出てるし。厳しい!香港や、韓国を敬遠する近場マニアの人も台湾とかに出かけそうだし。更に前々から行きたいと思ってた国内の冬のイベントに来年こそ、出かけてみたいという気持ちもありまして。娘の休暇を考えるとベストな日程はまだ催行が決まってなくて、次の日なら催行なのだけど旅行代金も後の方が2千円安いけど、でも名古屋に着くのが夜遅くで、帰宅の次の日にまだ娘のお休みがあった方が、体が楽じゃなかろうかと。だから様子見です。これもうまくやらないと本命が催行が決まらずに次の日は満席で、行けなくなると辛いですそんな本命旅の前に、来週には姉と日帰りバス旅に出かけますが、名古屋駅から早朝出発なので姉も私も早起きもしたくないし電車がトラブルで動かないといけないので名古屋駅付近のホテルで前泊。どうせなら評判の映画ジョーカーも見たいし一石二鳥地方住みはこれがあるから辛いです。飛行機利用なども、愛知県常滑市のセントレアで朝7時台に集合とか絶対に無理。帰りも夜9時を過ぎて到着とか。前泊、後泊も必要で3日の旅行が5日! まぁ前泊は娘は会社帰りから出かけるにしてもねなんて旅行の計画でも、ドタバタしてますが毎年恒例の近場のドライブ旅とか、地元でのイベントなどもありまして、週末は出歩いてまして、最近の写真もどんどん撮り貯まっていますので、近いうちに紹介しますね。まだ記憶に残っているうちにそしてスポーツ中継もいろいろありましてラグビーが終わっても、野球もあれば卓球ゴルフ、プロボクシング。相撲も九州場所間もなく始まりますし。10月からの秋のドラマも思いつくものは録画して、昼間に見てたりしますしキムタクのドラマやニッポンノワールは録画し忘れてまして完全に見忘れましたが他のでも見ても1話目で脱落したものも・・・そんな中で毎週欠かせず見ているのはドクターX、同期のサクラ、大富豪同心G線上のあなたと私、4分間のマリーゴールド少年寅次郎、螢草~菜々の剣、スカーレットやっぱ、朝日系の定番のドラマはどれも強いですね。もう水戸黄門レベルなドラマばかりであきらさんのメロンとか印籠クラスなもんです録画をしたけど、まだ見てないのは相棒、シャーロック、ハル~総合商社の女おっさんずラブ、サギデカ、怪談牡丹燈籠あと深夜とかに、ドラマの再放送をしてて民王と、火の粉も面白いです。街でバームクーヘン見たらユースケ・サンタマリアを思い出しそうといった訳で旅行計画や、テレビドラマなど一昨年秋に出かけた、千葉県香取市佐原には何ら関係のない事を書いてきましたが、再び伊能忠敬の佐原の話に戻ります。ここ忠敬橋佐原町並み交流館は、大正3年に建てられた煉瓦造の旧三菱銀行を使用しています。明治時代になっても、佐原は栄えていたんですねだから、頑丈な金庫室もあります佐原の風情ある町並みの模型もありましたとても精巧に出来ていますこちらは、かわいらしい佐原張子の猫ちゃん親子。平成11年の年賀切手で佐原張子の絵柄使われまして、そちらは餅つきのウサギでした明治末期に和紙を重ね貼りし、亀車やかに車をつくったのが始まりで、佐原地方の人々に愛され今も縁起物がつくられているそうだこんな風情のある街並みだけど、やっぱ電線が気になるし。防災面からも地中化をした方がいいような気もする。せっかくの観光資源だし江戸期から書店をしていた正文堂の、明治13年に土蔵造りの建物は、さわら十三里屋というお店となりまして美味しそうなお芋のお店屋さんとなりましたそしてお昼には、昔は醤油醸造を家業にしていたが、天明2年(1782年)に蕎麦屋を開業したという小堀屋本店でここは昆布を使った黒切お蕎麦が、有名だそうだが、普通のお蕎麦を・・・おっ、この建物は飛騨高山とかでも見かけるあれが入った倉庫かな? やっぱり、立派な祭礼の山車が佐原の街を練り歩くようだ佐原の八坂神社境内にある水郷佐原山車会館には、佐原の大祭に関する展示がされており華麗な山車なども見学ができるウィキペディアによれば>古く佐原諏訪山近傍の天王台に創建。江戸>時代前期の天和年間(天正以前の説あり)に>現在地へ遷座し、佐原・本宿地区の総鎮守と>なった。>佐原の大祭(さわらのたいさい)は、千葉県>香取市佐原の市街地で行われる7月の本宿>祇園祭と10月の新宿秋祭りの総称。川越>氷川祭・常陸國總社宮大祭とともに関東>三大祭りの一つである。>2016年12月にユネスコ世界無形文化遺産に>登録されている。二層構造の山車の上部>(大天上)に、歴史上の人物の大人形や>町内で藁を用いて製作した大きな飾り物を>飾り付け、下段(中天上)に「佐原囃子」を>演奏する下座連を乗せ、>奏でながら町内衆により曳き回される。また、>山車の前では手古舞の流れをくむ手踊りが>披露される。飾り物の他に多くの山車の周り>には彫物が巡らされ、獅子や龍、物語等を>題材にしたものが彫られている>佐原は近世以降利根川舟運により河岸>として発展してきたが、江戸の祭礼>文化の影響のもと、享保年間には山車と>囃子を中心とする祭礼が行われるように>なった。>飾り物については、当初それぞれの町内で>趣向を凝らして製作していたが、近世末期に>大人形の飾り物が出現し(関戸区)、江戸の>人形職人に飾り物の製作を依頼するように>なった。それにしても写実的な人形だし最初のお人形は菅原道真公で、こちらは仁徳天皇らしいが、それにしてもすごい肌の質感とか。まつ毛ながっ!先日の火災で焼失をした沖縄の首里城だが平成時代に再建をされた際に、台湾の樹が使われていたが、もう入手は困難らしいし瓦を吹いた職人さんも亡くなって、復元は難航をしそうだとか一見、無駄のようにも思われる伊勢神宮の式年遷宮だが、日本の伝統技術の継続にも役に立っていると思われる。失われてこそそのモノの価値がわかる場合も大いにあるといった訳で、2年前に姉と出かけた東京千葉旅での香取市佐原を、やっと紹介出来ました。旦那と出かけた北海道旅はいつになったら・・・ 2017年9月19日に千葉県香取市佐原で撮影にほんブログ村
2019年11月08日
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一昨日、木曜日の朝はニュースで炎上をする首里城がテレビに映し出され、とても残念な気持ちであった。戦争で破壊された城は30年もの年月をかけて、今年初めに復元をされたばかりであった。私も10年程前に出かけた事があり、当時の日記を再録したいと思います 今年の3月に、旦那の勤続30周年の旅行券 &休暇で、二人で出かけた沖縄の日記は2回 のみ・・・・なんてハズもない。今まで紹介を する機会を逸していたが、本格的な夏を前に 琉球の風を~♪ 実際に出かけて、がっかり するという日本三大名所は、札幌の時計台に 高知のはりまや橋と、沖縄の首里城の守礼門 と言われているが、首里城の復元などもされ 石垣なども本土のそれとは違っており、異国 風で、なかなか見るところが多かった。以前 紹介をしたグスクやウタキと共に、首里城跡 (石垣、建物は含まれない)もまた世界遺産に 指定をされ、約450年にも及ぶ琉球王国の 王城として、その栄華を今に伝えているのだ 各地に按司(あじ)とよばれる豪族が現れて 力のあるものが衝突し、次第に淘汰をされ やがて15世紀前半に、尚巴志(しょうはし)が 主要な按司を統括し、統一王朝を成立させ 琉球王国を建国をした 王は明の皇帝に使いを遣わして、冊封(中国 王朝の皇帝が、周辺諸国の君主と名目的な 君臣関係を結ぶ事)国となった 冊封国は毎年の朝貢と、中国の元号や暦を 使用する事が義務付けられ、中国から出兵を 命令される場合もあるが、攻撃を受けた場合 中国に、兵の救援を求める事が出来たそうだ ハイビスカスの原種 しかし、統一後も地方の按司の勢力が強く 内乱が絶えず、わずか数十年程で瓦解をし 伊是名島(いぜなじま)の農夫出身の重臣の 金丸(かなまる)が、政権を奪取し尚円王と 名乗って、第二尚氏王統を築いた 1609年に、薩摩藩は明との交易利権を 狙って三千名の兵を率いて、琉球を侵攻し 琉球王国は、薩摩藩の付庸国とされ貢納を 義務付けられ、徳川幕府にも使節を送った まるでイタリアの広場を思い出すような ラテン系な雰囲気の正殿前の広場 その後も、明を滅ぼした清に朝貢を続け 薩摩藩と清の両属という苦しい立場で ありながら、琉球王国を維持し続けた しかし、明治の新政府は、明治12年に 軍隊を派遣し、尚泰(しょうたい)王を 首里城から追放し、沖縄県の設置を宣言 琉球王国は、ついに滅亡をした 最後の国王となった尚泰王は、新政府の 命により東京に移住させられ、華族令の 発令に伴って侯爵となったそうだ 沖縄とは、琉球に対する日本側の呼称で 日本の領土である事を明確化する為に 琉球から、沖縄に呼称が改められそうだ 沖縄県内最大規模の城(グスク)であり 戦前は、正殿などが国宝であったのだが 沖縄戦において、日本軍が首里城の下に 地下壕を掘り、総司令部を置いた為に アメリカ軍艦ミシシッピなどからの激しい 砲撃を受けて焼失をしてしまった 更には、戦後になって琉球大学の建設に よって城の多くの遺構が撤去、もしくは 埋められたが、大学が西原町への移転した 30年程前から本格的な復興が始まり 正殿などが復元をされ、大河ドラマの 琉球の風の舞台となった 琉球王国の歴代国王が葬られている陵墓が 玉陵(たまうどぅん)で、中室、東室、西室の 3つの建築物に分かれる 中室で葬儀の後に、遺骸が骨になるまで 安置され、のちに洗骨をした。王と妃の 骨は東室、他の王族は西室に納められた 沖縄戦で、玉陵も、東室と西室が破壊され 戦後に修復をし、世界遺産に登録をされ 全体が国の史跡、玉陵墓室石牆が国の 重要文化財に指定をされている 16世紀の尚真王時代の園比屋武御嶽(その ひゃんうたき)は、国王が旅に出発をする 際に拝礼をし、聞得大君が就任して、最初に 拝礼したという聖地で御嶽の礼拝所である その礼拝所である園比屋武御嶽石門は、戦争で 破壊をされたが、修復され世界遺産となった 平成20年3月12日午前に沖縄で撮影 <平成20年3月の沖縄旅行の日記>1 ニライカナイより命が生まれ来る・・・神を信じる島々2 沖縄ミュージックを堪能し、今帰仁グスクへ4 ジンベイにフジの泳ぐ美ら海と、ゴジラ戦う島5 託されたバトン。沖縄県民かく戦へり6 旅の思い出。日航アリビアとグルメ7 世界遺産。ペリー絶賛の城と、雅な庭園8 琉球王朝の名残。金城町の石畳と、黄金のサナギ にほんブログ村
2019年11月02日
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9月の台風15号に続いて、19号が関東地方に上陸し、関東、甲信越、東北地方などに多大な被害をもたらした。岐阜県中津川市でも北部の付知町では、民家や車庫の屋根やハウスが破損したそうである。そしてお隣の信州では千曲川の氾濫で、新幹線が水没もしたが南信州も伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルの道路が大きく陥没をしてしまった。我が家でも清内路を越えて飯田に入り、伊那谷を北上して伊那から権兵衛トンネルを使い、木曽路を南下するドライブコースが定番である国道本線 長さ5~6メートルにわたって落下 権兵衛トンネル入り口付近木曽から伊那、伊那から木曽の通勤通学、買い物などの生活面は勿論だが、中央道から伊那インター下車での木曽方面への観光面でも、大きな打撃になるのではなかろうか。台風19号は大規模災害復興法に基づく「非常災害」に指定されたそうで同法適用は2016年の熊本地震以来2例目だとかこの国道361号「権兵衛トンネル」入り口付近の崩落も含めた全国6カ所の自治体管理道路の復旧は被害規模が大きく、高度な技術が必要となるので地方自治体では対応が困難と判断、国の主導により復旧されるそうだ道路復旧を国が代行 権兵衛トンネル付近や東御「海野宿橋」旦那がよく出張に出かける宮城県の工場も冠水をしたそうだ。そして、その深い傷が癒えないうちに今週も、再びの豪雨が関東から東北地方を襲って千葉県などは各地で冠水し、交通網も寸断された私の次兄一家も千葉県佐倉市にいるので、様子を聞いたら、同窓会で東京にいたそうでだったら大丈夫だったのかな?と・・・。ブログの皆さんも一連の豪雨などで、ご被害などはなかったでしょうか? このように次兄が千葉県にいるので成田空港を利用をするときは前泊、後泊をさせて貰ったりとかまだ子供が小さな時は、九十九里で海水浴とか鴨川シーワールドに一緒に出掛けたりと、以前から千葉の観光地には少しは出かける機会も。一昨年の秋も、NHKの歌番組の観覧に当たって姉と東京に出かけたついでに、佐倉市の次兄の家にも遊びに出かけたそこで昼に次兄の打ったソバなどを食べて、夜は外食でもてなしてもらっての次の朝。次兄の家を後にして姉と二人で電車で出かけた先は、前から行きたいと思っていた、江戸情緒の残る佐原市だって、千葉県北東部に位置する佐原は平成の大合併で香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、香取市となったそうで、佐原市ではなくって、今は「香取市佐原」が正しいがうちのあたりも平成の大合併で、周囲の市町村と一緒になって、人口はあまり増えていないが、面積がべらぼうに増えている。中津川市の西南の阿木から東北の加子母などは、車で1時間以上は軽くかかるんじゃないかと思うしお隣の恵那市もテレビで紹介されると、たいていは岩村や明智で、そこが恵那というのは元の恵那市の出身者にはまだ違和感がある。たぶん佐原などでも江戸時代より栄えた街なので佐原を自治体の名前として残したかったんだろうな~なんて勝手に推測をするまぁ天下に名高い香取神宮にもあるように、香取という地名はとても由緒あるものなので、それはそれで誇りになっているのかも。ウィキペディアによれば>「かとり」という地名の語源については、>「梶取」「神鳥」「鹿取」など諸説ある。>「香取」という表記は、現存の文書中最も古くに>みえるのは、日本に現存する最古の和歌集である>『万葉集』「第11巻2436番」に寄物陳思(ものに>よせておもひをのぶ)として、「香取海(香取の>海)」と記されている。更に、佐原という地名は>佐原市の歴史は古く、古代から香取神宮が鎮座し>神官の祭典の時に使用する土器「浅原(さわら)」を>造って納めていたので「サワラ」という地名が>ついたともいわれている。>「サワラ」という地名は「浅原」、「左原」、>「砂原」、「沙原」などとも書かれるが、>建保6年(1218年)の古文書に「佐原」と>いう文字が最初に登場する。なお、「佐原」を>「サワラ」と読むのは珍しいほうであり、>「サハラ」と読み間違われる場合がある。その歴史も古く>古代の佐原の生活を示すものとして、下小野>貝塚(縄文中期)、大倉南貝塚(縄文後期)、>橋替貝塚(縄文後期)などが発見されている。>また、牧野と津宮では丸木舟が見つかっている。てな感じで、古くから人が住み着いていたようだ。西日本などでは京都のような町と言う事で、小京都があちこちに存在をするように、江戸のように栄えた町としてここ佐原は小江戸と呼ばれていた北総の小江戸、水郷の町と呼ばれた佐原は「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」とも唄われた商家町で、利根川水運の拠点として、醸造業や商業が大きく発展をしたそして、そんな商家の旦那が隠居をしてから日本全国をまわって、偉業を成し遂げたのは江戸後期の伊能忠敬で、彼が測量によって得た膨大な資料は、国宝に指定をされているそうだそれだけ凄い事を、ご隠居になってから始めたというのが、またすごい。興味のあるところなどを、ウィキペディアから抜粋して、伊能忠敬の人生を紹介します>延享2年(1745年)1月11日、上総国山辺郡>小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の>名主・小関五郎左衛門家で生まれた。幼名は>三治郎。父親の神保貞恒は武射郡小堤村(現・>横芝光町)にあった酒造家の次男で、小関家>には婿入りした。三治郎のほかに男1人女1人の>子がおり、三治郎は末子だった。>6歳のとき母が亡くなり、家は叔父(母の弟)が>継ぐことになった。婿養子だった父・貞恒は兄と>姉を連れて、実家の小堤村の神保家に戻るが、>三治郎は祖父母のもとに残った。10歳のとき、>三治郎は父のもとに引き取られた。>三治郎は神保家には定住せず、親戚や知り>合いのもとを転々としたと言われている。>常陸の寺では半年間そろばんを習い、優れた>才能を見せた。また17歳くらいのとき、>「佐忠太」と名乗り、土浦の医者に医学を>教わった記録がある。>ただしここで習った医学の内容はあまり専門的な>ものではなく、余興の類だったといわれている>下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)にある>酒造家の伊能三郎右衛門家(以下、伊能家と)>では、当主の長由(ながよし)が、妻・タミと>1歳の娘・ミチを残して亡くなった>そのため伊能家は親戚の手で家業を営むことに>なった。伊能家・神保家の両方の親戚である>平山藤右衛門(タミの兄)は、土地改良工事の>現場監督として三治郎を使ったところ、三治郎は>若いながらもいい仕事ぶりを発揮した。>そこで三治郎を伊能家の跡取りにと薦め、>親族もこれを了解した。その際大学頭の>林鳳谷から、忠敬という名をもらった。>宝暦12年(1762年)12月8日に忠敬と>ミチは婚礼を行い、忠敬は正式に伊能家を>継いだ>このとき忠敬は満17歳、ミチは21歳で、前の>夫との間に残した3歳の男子が1人いた。忠敬は>はじめ通称を源六と名乗ったが、のちに三郎>右衛門と改め、伊能三郎右衛門忠敬とした。>忠敬が入婿した時代の佐原村は、利根川を利用>した舟運の中継地として栄え、人口はおよそ>5,000人という、関東でも有数の村であった。>舟運を通じた江戸との交流も盛んで、物のほか>人や情報も多く行き交じった。このような佐原の>土壌はのちの忠敬の活躍にも影響を与えたと>考えられている長年にわたり様々な事業や、地域もまとめあげ>妻・ミチが死去してから間もなく、忠敬は内縁で>2人目の妻を迎えたが26歳で死去。寛政2年、>忠敬は仙台藩医である桑原隆朝の娘・ノブを>新たな妻として迎え入れた。寛政6年(1794年)>忠敬は家督を長男の景敬に譲り、通称を勘解由>(伊能家が代々使っていた隠居名)と改め、江戸で>暦学の勉強をするための準備にとりかかった。>そのさなかの寛政7年(1795年)、妻・ノブは>難産が原因で亡くなった。佐原の町は昔から>大雨が降ると利根川堤防が決壊し、大きな被害を>受けていた。いったん洪水が起きてしまうと>田畑の形が変わってしまうため、測量して>境界線を引き直さなければならない>忠敬は江戸に出る前から測量や地図作成の技術を>ある程度身につけていたが、それはこうした地で>名主などの重要な役に就いていたという経験に>よるところが大きい。寛政7年(1795年)、50歳の>忠敬は江戸へ行き、深川黒江町に家を構えた>同年、忠敬は高橋至時の弟子となった。50歳の>忠敬に対し、師匠の至時は31歳だった。弟子入り>したきっかけについては、昔の中国の暦『授時暦』が>実際の天文現象と合わないことに気づいた忠敬が>その理由を江戸の学者たちに質問したが誰も答え>られず、唯一回答できたのが至時だったからだと>いう話が伝えられている>弟子入りした忠敬は、19歳年下の師・至時に>師弟の礼をとり、熱心に勉学に励んだ。忠敬は>寝る間を惜しみ天体観測や測量の勉強をして>いたため、「推歩先生」(推歩とは暦学のこと)と>いうあだ名で呼ばれていた。>忠敬は、自ら行った観測により、黒江町の自宅と>至時のいる浅草の暦局の緯度の差は1分という>ことを知っていた。そこで、両地点の南北の距離を>正確に求めれば1度の距離を求められると思い、>実際に測量を行った。そしてその内容を至時に>報告すると、至時からは「両地点の緯度の差は小さ>すぎるから正確な値は出せない」と返答された。>そして「正確な値を出すためには、江戸から蝦夷地>ぐらいまでの距離を測ればよいのではないか」と>提案された。忠敬と至時が地球の大きさについて>思いを巡らせていたころ、蝦夷地では帝政ロシアの>圧力が強まってきていた。寛政4年(1792年)に>ロシアの特使アダム・ラクスマンは根室に入港して>通商を求め、その後もロシア人による択捉島上陸>などの事件が起こった。>至時はこうした北方の緊張を踏まえたうえで、>蝦夷地の正確な地図を作る計画を立て、幕府に>願い出た。蝦夷地を測量することで、地図を作成>するかたわら、子午線一度の距離も求めてしまおう>という狙いである。そしてこの事業の担当として>忠敬があてられた。忠敬は高齢な点が懸念された>が、測量技術や指導力、財力などの点で、この>事業にはふさわしい人材であった>忠敬一行は寛政12年(1800年)閏4月19日、自宅>から蝦夷へ向けて出発した。忠敬は当時55歳で、>内弟子3人(息子の秀蔵を含む)、下男2人を連れての>測量となった。富岡八幡宮に参拝後、浅草の暦局に>立ち寄り、至時宅で酒をいただいた。千住で親戚や>知人の見送りを受けてから、奥州街道を北上しながら>測量を始めた。>第一次測量にかかった日数は180日、うち蝦夷滞在は>117日だった。なお、後年に忠敬が記した文書に>よれば、蝦夷滞在中に間宮林蔵に会って弟子にした>とのことであるが、このときの測量日記には林蔵の>ことは書かれていない。11月上旬から測量データを>もとに地図の製作にかかり、約20日間を費やして>地図を完成させた>蝦夷測量で作成した地図に対する高い評価は堀田正敦の>知るところとなり、正敦と親しい桑原隆朝を中心に>第二次測量の計画が立てられた。今回は蝦夷地は測量>せず、伊豆半島以東の本州東海岸を測量することに>決められた。地図は第一次測量のものと合わせて、>大図・中図・小図の3種類が作られた。そのうち大図・>小図は幕府に上程し、中図は堀田正敦に提出した>享和2年(1802年)6月3日、忠敬は堀田正敦からの測量>命令を、至時を通して聞いた。測量地点は日本海側の陸奥・>三厩から越前まで、および太平洋側の尾張国から駿河国>までで、これと第一次・第二次測量を合わせて東日本の>地図を完成させる計画である。また、8月に起きる日食も>観測するよう指示されたといった感じで、日本全国あちらこちらを測量をして正確な地図を次々と作成していったのだ。ところが>文化14年秋頃から喘息がひどくなり、病床につく>ようになった。それでも文化14年いっぱいは、地図>作成作業を監督したり、門弟の質問に返事を書いたり>していたが、文政元年(1818年)になると急に体が>衰えるようになった。そして4月13日、弟子たちに>見守られながら74歳で生涯を終えたと言った訳で、「伊能忠敬」の生涯で興味を持った所などを抜粋して、ウィキペディアを丸写しさせていただきました。加藤剛さん主演の映画「子午線の夢」もあるので興味のある方はご覧ください小江戸、佐原の町並み、いかがでしたでしょうか自然豊かなイメージの千葉県には、このように素敵な歴史の町並みもあります。今秋の台風・豪雨で被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます 2017年9月19日に千葉県香取市佐原で撮影にほんブログ村
2019年10月27日
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この時間、テレビでラグビーのイングランドとオーストラリアの試合中継を見ている。日本の快進撃もあって盛り上がった大会となったし来日をしている選手の皆さんも、キャンプや試合会場のある自治体や、フリーの時間に日本でのおもてなしや、観光などを楽しまれているさて7月の話となってしまうが、来年の東京オリンピックを控えて、中津川に合宿にやってきたのは、アメリカの女子レスリングチームの皆さんだ。既に日本各地の自治体で、東京五輪に向けて各国のナショナルチームのキャンプ地を、誘致している地元の中津川市は、日本のお家芸とも言われる女子レスリングの有力国であるアメリカのチームの誘致に成功。市長さんも、1年前の合宿のための来日に歓迎会を市役所で開き、一般の人でも参加できるというので出かけてきた市内の子供たちが、監督やコーチに花束贈呈はかわいらしく選手の皆さんも、その様子をスマホで撮影しかも子供たちとも写真をパチリ数年前に岐阜県で行われた清流国体の為に作られたマスコットのミナモも顔を出してのおもてなし~。日本とアメリカの懸け橋となった方も一緒に記念撮影アメリカの選手もメダルに絡んできてかなり強いみたいですよ。来年の夏に東京で、日本選手と共に表彰台にのぼる選手もこの中にいそうな気もします私は東京オリンピックのチケットを取る作戦の一つとして、日本人選手が金メダルを狙える競技は、人気があるので、あえて避けた為女子レスリングは申し込みをしなかったけどこうやって実際にオリンピックに参加をされるだろう選手に触れあう事が出来て良い経験となったうちの近くの温泉ホテルで滞在するそうで滞在費用などはホストタウンの中津川市が負担をしたようだそして毎年恒例の菓子祭りで、このブログにも登場をする東美濃ふれあいセンターで数日にわたり練習を行っていたが、それは一般公開をしていたので娘と見に出かけたここは↑ぎふ清流国体でレスリングの試合開場になった体育館なので、今回の誘致につながったのだろう週末に娘と二人で出かけた時には時間が早かったので、ストレッチとか事前練習も見る事が出来、練習では寝技を仕掛けたり逃れる事をやっていた。市役所での歓迎会は写真撮影OKだったけど、練習風景は不可だったので写真はない試合形式の実践風景も見たかったので平日に自分だけで見にも出かけて、既に1年前からオリンピック気分。それにしてもこの段階でマラソンの会場変更どうなるんだろうね東京オリンピックのチケットが当たるというアース製薬の懸賞では、W賞のタオルが当たり送られてきた。ここにきてオリンピック関連の懸賞も増えてきているこちらはピアゴで丸大ハムを買って応募し東京オリンピックのカフェタンブラーが届いた。娘がタンブラーを欲しがっていたので有難いそして日本中が熱狂しているラグビーのワールドカップの関連グッズもサントリー飲料で当たったお~!と思ったのは、ジャパンラグビートップリーグのラグビーチームで、松島幸太朗も所属するサントリーサンゴリアスがバロー主催のラグビー教室の為に、岐阜にやって来た時のメンバーが応援ユニホームに直筆サインを入れたもの森川由起乙選手、中鶴隆彰選手、芦田一顕選手竹下祥平選手、飯野晃司選手、そして日本代表キャップもかつて務め、今春退団した長友泰憲元選手はサンゴリアスの広報兼普及をされているそうだあとスポーツ系のタオルも当たった。結構生地も良さそうだ。スポーツの秋といったところか今回は9月から最近までの懸賞の当選品を紹介してるが、珍しく商品券がない。唯一このW賞のクオカードくらいなものだしかし食欲の秋。お肉のカタログが当たりましたよしかも全国各地のブランド牛を選べるもんだから、どれにするか迷ってしまう昨年も当たったキッコーマンとゲンキーの懸賞で、今年も新米が届きました。農家でも他地方の美味しいお米は食べてみたいもの購入したトリスウィスキーの1サイズ大きなボトルをプレゼントして貰えるというのでは左のトリスを数百円で購入、1.8リットルの大きなボトルが当たったオークワの当選人数も多く商品が60品から選べるものは、日本酒が当たりそうだと思って応募して、当選野菜嫌いの一人暮らしの息子の方には、野菜ジュースの詰め合わせ。これは息子も飲める600円以上のクラシエ商品で応募できるというのでいつものシャンプーを購入した昨年も当たった少しお高いラーメンの詰め合わせで、食べ比べも楽しめるそして前にも紹介をしたスマホのヤフー!アプリの懸賞ではチーズハンバーガーが当たって今度はチキンナゲットが当たり更に吉野家の200円割引券が当たったので、久々に吉野家へGO更には、アサヒのお酒の缶も当たった毎秋、この時期にはなぜかNHKの歌番組の収録観覧が当たり、渋谷に出かけているが今年は、谷原さんが司会のうたコンの観覧が出来るので姉と、来週は渋谷へGO! 題名のない音楽会の司会をされているミュージカル歌手兼俳優の石丸幹二さんが出るので楽しみ生放送の番組なので、来週火曜日の夜8時地上波のNHK総合テレビで、放映されますので、ご興味のある方はご覧下さい。おぉ将棋のひふみんも出るのか!懸賞じゃないけど火曜日から金曜日の午後から夜にかけてマクドナルドで、コーヒー無料のキャンペーンがあったので、どのサイズでも150円のフライドポテトを購入時に貰ってきた。流石に無料のコーヒーだけを注文できなかったしネスカフェのドルティグストの会員さんだけ簡単なアンケートに答えるともれなく60個も入ったアメリカーのリッチアロマ(3千円程)が貰えたが応募の人数が多く、足りなくなったので、ここのポイントを貰った人もいるようだといった訳で、60杯もあるので毎朝のように家族で飲んでいる。他のもあるし当分は買わなくてもいいや今日から日本シリーズで、セ・リーグの巨人と、パ・リーグのソフトバンクをしているので巨人ファンの旦那とテレビ観戦。今シーズン限りで引退をする巨人阿部がホームラン(写真は8月のナゴヤドームで)昨年の根尾選手(岐阜県出身)に続いてドラフトで与田監督が、石川選手(愛知県出身)を他球団競合の中で引き当てたしなかなか運を持っている監督だし。近い将来、彼らがナゴヤドームで活躍をするといいなにほんブログ村
2019年10月19日
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台風前にもう一つ、アップ出来そうです。前回のと一緒にここに写真を登録をしていたので、後は水族館には無縁な文章を、だらだらとつづりさえすれば良いのですから簡単です今年6月半ばに娘と出かけた名古屋港水族館ですが小さな魚や深海魚だけではありませんやっぱり人気抜群なのは巨大な「クジラ目」の仲間たちですねクジラ目ハクジラ亜目マイルカ科シャチ属の鯱(シャチ)です。オスの体長は5.8~6.7メートル、体重は3,628~5,442キログラムでメスの体長は4.9~5.8メートル、体重は1,361~3,628キログラムですが、これよりもかなり大きな個体もいるそうです私がシャチの事を知ったのは、子供の頃に見た映画「オルカ」でした。「ジョーズ」といい海怖いなぁ・・・と山の人間は思ったものですお城の屋根の鯱(シャチホコ)は、姿は魚で頭は虎という伝説の生物なので関係ないです地球上で最も広く分布する哺乳類の一種だそうで日本近海にも出没をするそうですよ。好奇心も旺盛で、興味を持ったものは近づいて確かめるんだとか。なんだか愛くるしい顔をしてますねそして、こちらはベルーガです。北極圏に生息する偶蹄目(鯨偶蹄目との説も)イッカク科シロイルカ属に属す哺乳類です。北極海や、ベーリング海北部オホーツク海、クック湾、セントローレンス湾など生息域らしいです最大のオスの体長は5.5メートル、1,300キログラムメスは4メートル、600キログラム位になるそうでシロイルカの別名のベルーガは、ロシア語で白いというの意味があるんだとか。サイズが他のイルカと比べ大きいので、シロクジラと呼ばれる事もあったベルーガを見る事ができる国内の水族館は名古屋港水族館の他には、鴨川シーワールド八景島シーパラダイス、しまね海洋館上越市立水族博物館うみがたりといった5ケ所があるそうだやっぱイルカの仲間であるだけに、賢いので簡単なショーのようなものもあった。何でも鴨川シーワールドの「ナック」は簡単な人の言葉をまねて覚えたそうで、おはようとかさよなら、ぴよぴよなどオウム返しをするそうだまた口をひょっこっと突き出すことができるので、口をすぼめて口腔内に溜めた空気を噴き出して空気の輪(バブルリング)を作る事もできるベルーガも島根県立しまね海洋館などにいるそうだ名古屋の子たちもいろいろ芸(?)をしてくれましたよこんな事だってやっちゃえますやっぱ私的に、名古屋港水族館のアイドルナンバー1はベルーガたちですね♪ そのメンバーを紹介すると、オス3頭メス3頭いまして、ナナちゃんとミライちゃんはここ名古屋生まれですあとロシアからやってきたのがホドイとニコ、タアニャ、グレイです。健康状態などによって、展示は入れ替わるようでどのこがどれかは、全くわかりません東海から関東地方への上陸が懸念される台風19号は別名ハギビスといい、フィリピン語ですばやいという意味だそうだ。北西太平洋、南シナ海で発生する台風は、防災に関する台風委員会に属す14カ国等の固有の名前が付けられるそうだ過去最大級の強さと、大きさを持つハギビスは昭和33(1958)年9月に伊豆や関東地方を直撃し、多大な被害を出した狩野川台風に匹敵していると言われてもいる。被害規模が大きいとして、気象庁が名称を付けた台風は数が少なく伊勢湾台風や室戸台風と同様に、狩野川台風は恐ろしいものであったラグビーワールドカップ史上初めて、明日の横浜と、豊田の2試合が中止となり引き分け扱いで、それぞれに勝ち点2が与えられたがそれによって、イタリアが予選敗退となってしまったそうである安全面から鈴鹿のF1予選や、様々なイベントが中止され、新幹線や飛行機も計画運休となって不要不急な用事がない限りは、外出を控える様相。でも、少し離れているのでうちの娘や息子も会社があるみたいだが。先月の千葉に多大な影響のあった台風も影響が無かったし去年の関西直撃の時は、台風の東側にあたったので、うちのあたりも倒木で停電が長く続いたけど、今度は雨台風でもあるそうなので進路方向は勿論、少し離れた所の方も用心はした方が良いと思ううちは伊勢湾台風で屋根が半分、吹っ飛んだので、舅や姑は台風に敏感で、今回もテレビなどで台風の情報ばかりなので、既に昨日に車庫のシャッター下してるし。一応は停電に備えてアイスは食べる。チーズなど冷蔵品を食べるテレビでやってたけど停電時、冷蔵庫を冷やす手段として水の入ったペットボトルを凍らせるというのは実践して凍らせてます。あとは充電ですよね。ご飯も余分に炊いて、おにぎりでも作っておこうかと・・・そのあたりは明日の朝様子見です前に娘が静岡県にいた時に台風が直撃をすると聞いていたので、私がアパートにいってたけど食品系の会社で娘は仕事に行って、会社の帰り車の目の前を、大きな鉄板がかすめて飛んでいったと恐怖を語っていたが私は外出せずに、田んぼに面した南向きの雨戸のない大きな窓の娘のアパートで待機していたが、駐車場にたつ布製のぼり旗がびりびりとやぶれていき無くなってしまい驚いたものだ松本で1時間に数十センチも降るような大雪の朝も食品関係の娘の会社は出勤で週末で他の入居者は休みで家でくつろぐ中で、娘と二人で早起きし車を掘り出し大きな駐車場を雪かきし道路まで出れるようにしたけど道路も雪で狭い中で、対向車をよけなければならない中で、娘は雪に突っ込み他の車の人たちに出してもらって、散々な思いで出社しそんな大雪に往生して、地元に戻って転職をするきっかけになった訳だけどもやっぱ、明日もお仕事に向かわれる関東の皆さん、ご苦労様です。くれぐれもお気をつけください。そんな中で十二国記という人気シリーズの小説が、久しぶりに新刊が出るというので娘も楽しみにしており私が朝イチで、書店に買いに行く予定だったけど、台風の状況でやめておこうっと。会社帰りに娘が買えばいいし。こういった日にはスーパーとかもお安くなっている場合があるので、大雨の日、大雪の日の会社帰りに娘がいそいそ寄ってきたりするそうそう、以前に大雪の中で大変な思いをして、出社をして作った娘の会社の食品は道路が雪で壊滅状態で配送トラックが来ずお店に並べられず、廃棄ももったいないというので、社員が山ほど家に持ち帰ったのでした物流も寸断するんだし、無理してまでお店を開けても、お客さんも来ないと思う・・。テレビでは停電時の豆情報やってて、スマホは画面を暗くしたり機内モードにするとかバッテリー持ちをよくする方法を紹介している今度は養生テープを窓に貼ると、ガラスが割れても飛び散らず、あまり跡が残らないというもの。近所の方が窓にガムテープで米印に貼ってて、舅が真似をしたがって困ったけど、台風も難なく過ぎて。あれからそのお宅の窓はガムテープの跡がくっきりしっかりシャッターとか無い車庫に車入れてるけど、舅が風が吹き込むと言って勝手に青いシートをつけたら、こすれて車が傷ついたし。気持ちはわかるけど詰めが甘い舅の台風の準備には、毎回ひやひやさせられる昨年の停電だって、懐中電灯やランタンがあるのに電気街が勿体ないからと、ロウソク使ってたし。やめてほしいわ。倒して火事でも起こされた方が怖いですもん買い物は少しでも安くなってから購入をしたいので、これから買い物に出かけますが、菓子パンとかの日持ちをしてそのまま食べれるものも買ってこようと思います前回の日記でもスポーツの話をしましたが昨夜も大変でした。なにせ夜にはプロ野球クライマックスシリーズ2試合と、サッカー男子バレーといった試合があるので、少し他の状況もチャンネルかえながら把握してメインは男子バレー見てました。息子が愛知県岡崎市に赴任して、岡崎にちょくちょく顔を出すようになったんですけど男子バレーのニュースター、石川祐希選手岡崎市出身らしいですその石川選手にあこがれる西田有志選手は三重県出身なので東海地方の地方ニュースでも、男子バレーの快進撃は伝えられてます昨夜はワールドカップ史上初のロシアに勝利しましてラグビー並みに大金星なんですが世界ライキング11位の日本が、ワールドカップで5勝2敗と、勝ち点15で4位につけてます。私がスポーツの生観戦をしたのは、大相撲の次にバレー男子の全日本とロシア戦でして、中学生の頃でした東京五輪でもどこの国の試合になるかは全くわかりませんが、予選のチケットをゲットしたので、特に注目をしてバレー見てます。そして日曜日にはいよいよラグビーの日本対スコットランド戦ですけど、主力温存なのにスコットランド強っラグビー代表でも田村優選手が、愛知県岡崎市出身だそうなので、さぞかし岡崎はお祭り騒ぎでしょう。バレーの石川選手同様に、田村選手も活躍されてますしね明日は勝つしかないですね。頑張れ日本!こうしてラストはイルカショーでしめてみました。さて今夜もクライマックスと男子バレーボールを見ますか。東北出張だった旦那も無事に名古屋から中央線に乗り換えられたようです 令和元年6月14日に愛知県名古屋市で撮影 日記の更新を先にさせていただきましたが、皆さんの ブログにも本日、明日中に伺わさせていただきますにほんブログ村
2019年10月11日
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随分と、日記更新の間隔があいてしまいました。9月から10月になり消費税も10%と、軽減税率だのなりましたし、キャッシュレス還元なども世の中では始まっているようです。普段から大手チェーンをよく利用してるんですが先週末に出かけた田舎のケーキ屋さんでペイペイ支払いなら5%オフのポスターがありまして、私はスマホ決済はしないしなぁ5日限定でペイペイの20%ポイント還元があったらしくサイトがパンクで利用できないユーザーが多かったとか思った事は、やっぱオンラインは怖いし東京五輪のチケットは手数料が高かったけど紙チケットを選択して良かったかもという訳で、今年6月に名古屋港に娘と出かけた時の写真を紹介します。南極観測船ふじ(二代目)がお出迎えしてくれました今日の目的は名古屋港水族館ですけどねウィキペディアによって概要を紹介すると>愛知県名古屋市港区の名古屋港ガーデン>ふ頭にある公立の水族館。一部事務組合の>名古屋港管理組合が設置し、指定管理者と>して公益財団法人名古屋みなと振興財団が>管理・運営を行っている>日本の水族館における延床面積ランキング1位。>平成29年度には、年間来場者数2,221,822人>(当水族館の歴代2位となる記録)となり、>日本の水族館の入場者数ランキングで3位。>1985年4月 - 名古屋港水族館計画立案が発表>される。1992年10月 - 開館>コウテイペンギンを飼育している(コウテイ>ペンギンは国内で2か所、名古屋港水族館と>アドベンチャーワールドでのみ飼育されて>いる。シャチを飼育している。(シャチは>国内で2か所、名古屋港水族館と鴨川シー>ワールドでのみ飼育されている)>1995年、日本で初めて屋内の人工産卵場で>産まれたアカウミガメの人工孵化に成功。>2003年より米国海洋大気局 (NOAA) と>共同で、成長過程のアカウミガメの子ガメを>放流、人工衛星追跡システムにより北太平洋に>おける回遊ルートを調査・研究している>ジェンツーペンギン、ヒゲペンギン、アデリー>ペンギンの繁殖に成功(ヒゲペンギン、アデリー>ペンギンについては日本初)。シロイルカ>(ベルーガ)の研究・繁殖。2004年7月17日、>日本で初めての出産に成功した。>シャチの繁殖生理学的研究および環境エン>リッチメント。2012年11月13日「ステラ」が>メスを出産し人工授精・繁殖に成功。さらに>死亡した「クー」の卵母細胞が神戸大学>農学部に保管されているほか、シャチの発情>周期の把握、環境エンリッチメントの研究>など、数々の成果を挙げているといった感じの水族館で、名古屋の主要駅からも地下鉄でアクセスも手軽だ。かなり前にいつものジョイセブンで入場券を安く購入していたので、娘と二人で久しぶりに出かけようという話となったアニメ映画「海獣の子供」の公開を記念しコラボで、劇中音楽を手掛けた久石譲とタッグを組んだ「マイワシのトルネード~『海獣の子供』スペシャル~」が期間限定で行われていたのも来場の決め手となった久石譲による映画音楽に乗せて、約3万5千匹のマイワシの群れがいっせいに泳ぐ光景は、とっても美しいものだった。さて長く日記更新をしなかった理由の一つがテレビでのスポーツ観戦が忙しかった事もある4年に一度のワールドカップ絶賛開催中のラグビーの日本快進撃は勿論のこと、プロ野球も、クライマックスシリーズに入っているし、灼熱地獄のドーハの陸上競技とかワールドカップバレーに、女子ゴルフとか見たりしたけど知らぬ間に、大阪なおみが優勝してたりもこの時間はメジャーリーグの地区シリーズをテレビで見てるし。それにしても秋の行楽ど真ん中の三連休に、またもや超大型台風が日本を直撃をしてしまいそうだ。今の段階で関東に上陸しそうで、被害がなければいいがうちは、松本のそば祭に行こうかと話していたが土曜日はきついかもしれない。明日から旦那は東北出張だけど、帰宅時の交通機関、動いているかな? 台風に備えてか東北新幹線の予約は満員ばかりのようだし今度の三連休には様々なイベント予定がありF1日本GPが鈴鹿サーキットであるそうだけど13日の本番はまだしも、土曜日あたりの予選あたりは影響をかなり受けそうだし、前述のラグビーも8試合が予定されているそうだしかも各国チームが、決勝に行けるかどうかの正念場となる試合ばかりで、もし悪天候で中止なんて事になると、引き分け扱いで勝ち点2が各チームに与えられるが、格下相手だった場合あてが外れてしまう場合も。日本と同組であるアイルランドは優勝候補だけど「静岡の奇跡(静岡ショック)」とも言われる日本相手の敗戦もあって、台風で試合が中止になると予選敗退の危険すらも。福岡は進路から外れているが、離れた所でも大雨が降る事もあるかもしれない。日本とスコットランド戦は13日夜に横浜なので試合は出来そうな気も前回大会では予選リーグで3勝をしながら勝ち点などで敗退をした日本。中7日で休養十分のスコットランド相手に、中3日という悪条件で挑んだ日本は、敗れたという因縁の相手だが、今回はその逆ですよスコットランドは、今日の夕刻にロシアと戦い、中3日の疲労の残った状態で日曜日には、中6日の日本と戦うという状況下でロシア戦では、先発メンバーを大幅に入れ替え、主力は温存をする戦法だそうだしかし前回大会で日本が3勝したけども予選敗退をしたように、ボーナス点での勝ち点を上乗せしなきゃいけない状況で主力入れ替えは。日本がサモア戦で終了直前のトライにより、1試合4トライでのボーナスの1点上乗せは大きかったという事で、日曜日の試合の行方を占う意味からも、今日のスコットランド戦も注目ですよ。両者同店の場合は直接対決での勝者が勝ち抜けするそうなので勿論日本に勝って欲しいものですまるで自分が、海の中にいるような気持ちにもなれるような水族館の美しい光景とかかわいい魚も見れますが、名前もいまいちわかんないので省略します何せ山国の人間ですから、海にはあまり馴染みがないです。ハワイやグアムにも行きましたが、浜辺をお散歩する位しかしませんでした最初に泳いだというより、浜辺の浅い所でちゃぷちゃぷしたのは小学校から出かけた愛知県の知多半島にある、内海海水浴場で砂で海水は濁ってるし、海藻がただよっていたりで綺麗だなんて、思いませんでした子供が出来て、夏休みの家族旅行で何度か出かけた先は北陸。福井県や石川県の綺麗な日本海で、夜には北陸の温泉。やっぱ浜辺あたりでちゃぷちゃぷしていました忘れられないのが、人気の少なめの海水浴場で、真っ黒な洋服に日傘の女性が浜辺でのんびり。子供たちは救命胴衣を着けて、パパの背中には立派な刺青のグループと一緒になりましたが泊まった温泉旅館でも、男風呂には立派な刺青のお兄さんたちが入っていたそうで、次の朝には旅館の近くの水族館前にも黒塗りの車がずら~と並んでまして高級そうな着物を着た中年女性が、沢山の若いスーツの青年たちを従えて、車に乗るところは、まるで映画のようで今でも忘れられない夏の思い出です。もう20年以上前の話ですが次兄が千葉県にいるので、九十九里の海水浴場に連れて行ってもらった事もありました鴨川シーワールドにも。沖縄の美ら海とか海遊館、鳥羽水族館、葛西・・・いろいろと水族館も出かけましたが深海系が好きですね。ダイオウグソクムシメキシコ湾や西大西洋の深海にすむ等脚類世界最大(20~50センチ)だそうでしてちょい小さめのオオグソクムシは日本近海の深海にもいるそうですよ死んでます。標本ですが竜宮の使いでしょうか硬骨魚類では世界最大の大きさを持ち、日本での人魚伝説はこの魚に基づくといわれているそうだもう、こうゆう珍しいのを見るとワクワククラゲ(海月)もですが、暗い水の中をゆらゆら揺らめく姿は見飽きないですね水族館の醍醐味ですが、お子様連れにはやっぱ、こうゆうペンギンパレードとか人気みたいですね。次回で紹介しますがイルカのショーとか↑これまでの文章を書いてから、数時間経過しました。台風の来る前に病院へ出かけてきました。停電がきたら怖いので、せっせとアイスクリームも食べておきたいところですテレビをつけると週末の台風情報を詳しくやっています。この時間は名古屋制作の地方ニュースなので、より具体的なこの地方に即した情報なので有難いですといった訳で出口付近のお土産コーナーにやってきました。これだけ?とお思いの皆さん、ご安心ください。後編もあります名古屋港水族館の一番の人気者も、次回の紹介となります何やらサイン色紙もいろいろとありました水族館の前には、かわいらしいペンギンの郵便ポストがありました近くの名古屋税関にはマスコットらしきものがいました。麻薬探知犬をモデルにしたカスタム君です。登場は1993年というベテランらしいですその日は名古屋駅でモーニングを楽しむ事にしました。名古屋駅構内になるのかなイタリアンカフェのマカロニ名古屋店ドリンク付きモーニングですが、手前のエッグベネディクトは790円で、奥のエッグトーストは550円(税抜き)といった感じです水族館を出てから、少し遅めのランチは近くにある中華食坊凛でランチメニューは700円~で、幾つかありましたこれは他の日のものです。名古屋駅近くのミッドランドスクエアシネマで映画を見た時のランチかな。まだ紹介をしてなかったみたいなので、この機会にキリンシティのセンチュリー豊田店ですが期間限定で、ランチのご飯&パンをビールに無料で交換が出来るというので、娘と交換私のビールも殆どを、娘に飲まれてしまったとさなんて書いているうちに前述のラグビースコットランド対ロシアの試合が始まりました。結局、スコットランドが大勝しました。クライマックスシリーズを見てましたが、男子バレーに移動します忙しい~ 令和元年6月14日に愛知県名古屋市で撮影にほんブログ村
2019年10月09日
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前回に続き、息子と娘と出かけた渥美半島ドライブでやってきたのは伊良湖岬。うちのあたりでは朝夕のチャイム(今は違う)が島崎藤村の椰子の実であったので、前から馴染みがあったりもしてる30年以上前にも出かけてたし、何年も前には、懸賞で当たったメロン狩り×ホテルバイキング(写真の高台のホテル)の家族家族で立ち寄った事も。そんな伊良湖には恋路ケ浜という、椰子の実が流れ着いた美しい浜があるネットによれば、なんでも>昔、恋ゆえに都を追われた高貴な男女が>おりました。女はこの恋路ヶ浜に、男は>裏浜に人目をさけて住み、2人は逢瀬も>ままならないまま病に倒れ、>お互いの名前を呼びながら亡くなりました。>その女の心は女貝に、男の心はミル貝に>なったという伝説が、恋路ヶ浜の由来ですなんて伝説もあるのだけど、名前からなのか恋人聖地にも認定をされている更に、この海岸線は渥美サイクリングロードがあり日本の道100選にもえらばれていて、その日も、サイクリングを楽しんでいる人たちの姿もあった。他にも日本の渚百選、日本の音風景100選、日本の白砂青松100選にも選ばれている幸せを呼ぶという四つ葉のクローバー(シロツメクサ)って、子供の頃に道端で見つけて、押し花にしたりしませんでした? あれって恋路ケ浜で最初に見つかったそうで、発祥の地なんだとか 日本では、四つ葉は「希望」「信仰」「愛情」「幸福」の象徴だと言われていますクローバーとかは見かけませんでしたが、浜辺には、うちの辺りでは見かけないような色んな花が咲いていましたかつてはコククジラをはじめ、ザトウ、セミ、ナガス、シロナガスクジラ、マッコウ、シャチなど、数多くのクジラがよく見られたそうで日本の商業捕鯨の発祥の地であるとか。今でもオキゴンドウなど小型のイルカ類なら見る事もあるそうだもともとは、旧海軍の第一機動艦隊の生存者と遺族の発起により、全国海洋戦没者伊良湖岬慰霊碑委員会が建立をした大東亜戦争における海軍機動艦隊戦没者の招魂慰霊碑があった昭和19(1944)年に編成された第一機動艦隊だが同年6月に行われたマリアナ沖海戦が初陣となり、翔鶴・大鳳・飛鷹をはじめ多数の艦船と航空機を失い、その後に解隊となったそうだ「君今ここに甦る」の慰霊碑は昭和47年に建立、慰霊祭が行われ、昭和49年には11月3日を全国海洋戦没者合同慰霊祭の日と定めたそうである椰子の実も流れ着いたこの岬の先に広がる大海原の彼方には、故郷の地も踏むこともなく、若くして命を失った青年たちの激戦の地がある差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり金子兜太の句碑があった。差羽(サシバ)とはタカ科の渡鳥で、全長は約50センチ、体の上面が灰褐色で、腹には白地に褐色の斑がある日本では夏鳥で、秋になると大群をつくり東南アジアへ渡るそうだその近くにも石碑があったが、ネットで検索をしたが、いまいちわからなかったそんな石碑とか興味のない息子や、娘がガンガン先をすすむので、後からネットで調べればいいや程度で、近くにも行かず写真だけ撮ってきたのだ行きの海岸線の道と違い、小さな山を越えるような帰りの道は、趣も全く違っていて、植生もうちのあたりとは違うので、これはこれで面白いどことなく南の島のジャングルみたいというのは、言い過ぎかこの海を渡るのはタカだけではなくって小さな蝶もまた海を越え、暖かな地方へむかうというここのブログでも、北信州にお住いの方がアサギマダラの事を日記で書かれていたばかりだこれは、日本最大級の蝶のモンキアゲハ(紋黄揚羽)だと思うがその為、こういった立て札もあった樹のトンネル。楽しい散歩道だった振り返ると、こんな感じ1時間程を要して、車を停めてある道の駅伊良湖クリスタルポルトに戻ってきたその脇には、何やら説明版があって古墳らしいが、草ぼうぼうで全容もわからない他の地にあったのを移動、復元したものなのか~。ネットでは綺麗な時の写真があり、石組があるそうだけど草、刈ろうよ・・・・道の駅の中には、椰子の実博物館というものがあって、無料で見学ができる伊良湖に流れ着いたという椰子の実。明治31(1898)年の夏に、伊良湖で1ヶ月半程滞在した柳田國男から、浜に流れ着いた椰子の実の話をきいた島崎藤村の詩が、世に広まり歌にもなったアサギマダラ(右上)など、この地で舞い飛ぶ蝶の標本やタカなどの鳥類の標本化石とかクジラとか出土をした遺物もあった島崎藤村は来たかどうかはわからないけども、松尾芭蕉など古くから文化人にも愛された伊良湖であるが、古くには天武天皇時代に、麻積王が配流された地でもあったそうで万葉集には、王の「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す」との歌が残されている。恋人の聖地のレプリカという訳で、伊良湖からの帰り道には電柱にまじって風力発電の大きな風車娘がネットで調べて人気があるという「渥美の丼屋まるみ」に行くと、午後1時半程なのにこの行列。名前を書いて待つこと50分! 席について出てきたのが、娘の頼んだのは、海鮮ミルフィーユ丼(中盛)で1270円。小盛りでいいじゃないかって言ったけど、見た目が良さそうだと頼んで、ふ~ふ~言いながら食べていた横からはこんな感じで、ちらし寿司が隠れていて、いかにもインスタ映えをしそうだし私は手軽な価格の海鮮バラちらし寿司(小盛り)の690円。刺身の苦手な息子はとんかつにしたが、こういったメニューがあるのも有難い店を出るともう午後3時。私の車の置いてある岡崎城付近の24時間で700円の駐車場で下して貰って、そこから下道で自宅に帰ると午後7時近くになっていた 令和元年9月1日に愛知県田原市で撮影にほんブログ村
2019年09月25日
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旦那は家の他に、地域の仕事もあって引っ越しにしか行けてない息子の家に娘と二人で出かけた9月1日の日曜日は息子もお休みだったので息子の運転で、愛知県三河地方に位置する渥美半島まで海を見にドライブに出かける事にしました。岡崎からは国道1号線を利用さほど時間もかかりません途中には、きゅうりのキューちゃんの工場がありましたよ。東海漬物のロングセラー商品のキューちゃんは、ここで作られているのか渥美半島に来たら必ず寄るのが、道の駅田原めっくんはうす温暖な渥美半島はメロンの産地で、数千円の高いもの(といっても、5玉入り)もあれば一玉1000円以下のお安いマスクメロンも購入が出来るのだお土産に2つで1800円のメロンを購入しメロンのソフトクリームをおやつに、ぱくっと車など、工業製品で有名な愛知県だけども農産物もいろいろあって、うちのあたりのスーパーも愛知県産が多い。愛知県が日本一の生産量の農産物が紹介されていたので、書きだすとキャベツ21.7% (田原市、豊橋市)しそ 70.3% (豊橋市、豊川市、田原市)ふき 37.9% (東海市、知多市、愛西市)とうがん 41.7% (豊橋市)いちじく 27.3%(安城市、碧南市、常滑市)ぎんなん 40.0%(稲沢市)きく34.6% (田原市、豊川市)洋ラン類(鉢)16.5%(豊橋市、西尾市、東海市)観葉植物(鉢)34.4%(田原市、西尾市、岡崎市)ばら 14.0% (豊川市、田原市、西尾市)うずら卵 69.6%(豊橋市、豊川市、阿久比町)あさり類 23.1%と、いった感じでして今回やって来た渥美半島は、田原市にあたり、道の左右にはハウスとかも多かった。そして最初の目的地に到着息子がネットで見つけて、行きたいなぁと、漠然と考えていた道の駅あかばねロコステーションそこに広がる海岸には、サーフボードを持つ青年たちの姿も。赤羽根海岸は全国有数のサーフィンポイントであるらしい生サーファーを見るのは、生まれて2度目。前は湘南あたりで靴に砂が入るのが嫌なので、近くまで行く事もなく遠くから見物赤羽根漁港に帰ってくる漁船気分だけ、漁師さんにもなれるらしいあかばねロコステーションでは、この地域で作られた鉢植えの花とか農産物もいろいろ。先程ほどではないけどメロンも売られていたハワイアンカフェルルモアナで、娘が買ってきたのははやりもののタピオカドリンク今度は気分だけ、サーファーになれるみたいだこういった南国風の街路樹を見るとリゾート気分周囲はハウスとか農地なんだけど。海を見に来たのに、なかなか見れないやっと先端付近まで来て、海岸線の道になった。ちょっぴりだけど眼下には伊良湖岬と、恋路が浜だぁ~島崎藤村の椰子の実で有名だが、実際に拾ったのは友人の柳田國男であるらしい3つ目の道の駅は、伊良湖クリスタルポルトで、伊良湖港の旅客ターミナルも兼ねているここに車を置いて、伊良湖岬を少し散策をしてみよう。海沿いに遊歩道なども整備されている伊良湖出身の江戸時代後期の漁夫歌人糟谷磯丸の銅像があった。貧しい漁夫で読み書きが出来ないので無筆の歌よみとも呼ばれている35歳で歌の道を志し、生涯で数万首をうたったようだ。磯丸は旅が好きで近隣どころか京都や、伊勢、江戸まで出かけたそうで、渡辺崋山にも会ったうである磯丸が作ったまじない歌は、掛け軸にしたり、歌碑にすると願いが叶うというので人気があったそうである磯丸よりも少し遅くに生まれた渡辺崋山だが、ここ渥美半島にあった田原藩の江戸詰めの藩士の家に生まれ、後には家老にもなった。画家としても有名だが幕府の対外政策に批判的であった為に蛮社の獄で責めを負って、自死をした海無し県の岐阜県生まれの息子、海の間際までいき、スマホで写真を撮っていた伊良湖岬の目の前にあるのは、神島で三重県鳥羽市になる。三島由紀夫の小説潮騒の舞台だ。この小説はギリシャの古典「ダフニスとクロエ」をヒントにしているそうだ。潮騒は万葉集からで潮騒に伊良虞(いらご)の島辺 漕ぐ舟に妹(いも)乗るらむか荒き島廻(しまみ)を伊良虞は、伊良湖岬もしくは神島のことだそうだ。(柿本人麻呂作)小さな山の上には、伊勢湾海上交通センターがあり、通航船舶に対して航行管制を行ったり、航行情報を提供しているそうだそして見えてきたのが、渥美半島の先端にある伊良湖岬灯台で、日本の灯台50選になっているそうだが、流石に良い灯台を100も選べなかったのか1929(昭和4)年に、設置された灯台は2002(平成14)年に改築されたそうだやっぱ海岸線では、灯台は絵になるが興味がないので先を急ぐ息子や、娘に遅れないように、写真を1枚、2枚と簡単に撮って急ぎ足でとは言っても、こんな道端の大きな石もなんか絵になるなぁ~と、またカメラをむけたりも。二入が行った先は食事とか土産が出来るお店が、幾店か並んでいて大アサリなども食べれるが、まだ時間も早いので、ここでは食事はせず。今度は違うルートで道の駅に戻る事にした 後半に続く 令和元年9月1日に愛知県渥美半島で撮影にほんブログ村
2019年09月21日
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前回の日記でも少し紹介をしたが、今夏はかき氷がマイブームで、娘と二人でやってきたのは、お馴染み名古屋フードの代表格コメダ珈琲の夏の人気グルメであるかき氷↑看板にあるクリームあずきも食べてみたかったが、そのチャンスはなかった秋にも食べれるかなぁ~これは通常サイズのりんごのかき氷だが二人食べれるようにとお皿とスプーンも最初から持ってきてくれた。アイガーの北壁のようなソフトクリームは120円でトッピングしたもの。合計750円とはお得食べきれない人の為に器が少し小さいミニサイズ(100円安い)があるが、それでも他所のお店のかき氷よりも、でかいらしいトッピングは名古屋らしく小倉もある(他に練乳、コーヒーゼリー)二人がかりで食べ終わる頃には、体が冷え切っていたので外の蒸し暑さが心地よかったはま寿司でもかき氷を食べたけど、写真は忘れてしまいました。とにかく外食先でかき氷が定番化しててジョイフルでもかき氷。コメダ珈琲のを食べた後では、サイズはいたって普通だが美味しかったよそしてかき氷ではないが、岐阜県土岐市にある道の駅のどんぶり会館の名物ソフトクリームは400円ぐらいだったかなここのどんぶりソフトは、かわいいミニサイズのどんぶり(新品で柄も選べる)がお土産に貰えるので、前々から日常用に愛用しているのだ更に、この時期から栗きんとんでも賑わいを見せる恵那市の和菓子&洋菓子の恵那川上屋でも、美味しいかき氷を食べてきた値段が650円とお得な事もあって、娘と一つずつ頼んだのは桃(手前)と、あんず杏仁。しかしここでは、インスタ映えする違ったかき氷があって、その日も隣のテーブルのお客さんが食べていたのが1080円の贅沢生メロンかき氷で、昨夏娘と、半分こして食べた写真↑なのだけどこのブログでは紹介をしてなかったと思う中津川市街に新店舗を構えた、御菓子所しんでも、かき氷が食べれるというので青夏れもん(手前)と、野いちごを注文どちらも600円で、ふわっふわの氷でほろほろ溶けていったもちろん本業は和菓子。しかも中津川の店なので、この時期は栗きんとんで大忙しをされている事だろう今年の大河ドラマ「いだてん」で前半でよく出ていた可児先生は、中津川市出身であるという事で駅前には、そののぼりもあったけどいまや栗きんとんに、変わっているここ中津川市は栗きんとんの発祥の地と言われるが、県内の八百津町でも発祥の地だと言っているそうで駅前のにぎわい物産館では、中津川市内の和菓子屋の栗きんとんが1粒買いが出来て食べ比べも楽しいが、老舗のすやのものは置いてはいないので、ここから徒歩数分のすや本店に買いに行かねばならない石鹸の栗きんとんも売られていたし50キロの砂糖と、もち米で作られた栗の作品は「中山道落合の石畳」というそうで一昨年に伊勢市で行われた菓子博では、優秀工芸賞を受賞した作品だそうで、中津川菓子組合に加入した和菓子屋の職人らで製作したものであるそうだ2013年の広島での菓子博で、全菓博工芸賞を受賞した作品は、七福の御主人の製作なんだとか。このほかに幾つもの工芸菓子の作品が、にぎわい物産館で見る事が出来る今シーズン初の栗きんとんは、舅が野菜をおすそ分けしたご近所さんからいただいた川上屋の栗きんとん。すやと並ぶ中津川の老舗和菓子屋である。それにしても野菜が栗きんとん・・・随分と大化けしたものだ9月9日は重陽の節句であるが、栗節句でもあるそうで、栗餅や栗飯を食べてお祝いをするという。中津川市では栗きんとんの日として神事を行い神事の後には、市内の和菓子屋で作られた栗きんとんを中津川駅前で、先着300名に無料で配布をしてくれる前にも1度出かけた事があるが、久々に参戦以前は140円程で購入出来た栗きんとんも今では250円弱・・・・。残暑の中で並ぶ中津川の菓子組合に加入している和菓子屋の栗きんとんは、どこのお店のものになるかはわからないが私は運よく、娘の好きな七福のものだったが娘にパクっと食べられたので、お味は???まっ川上屋の食べたからいいけど、高級な値段だし、1年で3粒食べれたらいいほうだ少しは手軽に食べられる、栗粉餅でも買ってこようかなこのようにお財布のひもが緩む事のない我が家では、丸亀製麺もごくまれにあるお得なイベント日にしか出かけない今夏7月には、冷やしぶっかけを購入するともう1杯おまけに貰えて、二人でシェアも出来るというので、娘と半分ずつ。なすの天ぷらも二人で半分こ同じイベントが8月にもあったので再び、娘と参戦大きなかき揚げも二人で半分こそして9月には丸亀月見祭。満月を玉子に見たてて、釜玉(各種)を頼むと、釜玉が貰えちゃうというのでまたまた、娘と参戦しました。浮いたお金で天ぷら、今回は一人1つずつ他にも毎月1日には釜揚げが半額になるのも、たまに利用している名古屋のソウルフードであるスガキヤでは喫茶店のコーヒーチケットにヒントを得てラーメンチケット(利用は11月末まで)を10杯分2000円で販売をしており、もう売り切れになっているお店もあるそうだ普段でも320円とお安い価格のラーメン(ノーマル)が、このチケットを利用すれば1杯200円で食べる事が出来るというので2冊(20食分)を購入そんなスガキヤで、紹介しきれなかったと思う今春の頃の写真。↑コーヒーゼリーがこぼれんばかりの盛り方には絶句。落とす事無く食べる事が出来た。コメダのかき氷といい、名古屋グルメはデカ盛りで勝負?オマケです。この夏らしいヒマワリ柄のマンホールのふたがあったのは、9月に息子の家に行く途中の愛知県豊田市です9月に息子のところに出かけた目的だったのが、豊田市美術館で開催をされているクリムト展を見たかったから娘は興味がないというので近くのイオンスタイル豊田店に残して、私だけてくてく歩いて美術館で鑑賞。クリムトと言えば愛知県立美術館の常設にある、人生は戦いなり(黄金の騎士)でも身近な存在日本オーストラリア友好150周年の記念だそうで、19世紀末のウィーンを代表するクリムト、国内過去最高25点の油彩画展示は圧巻でした。土産はいつものようにマグネット私は娘を残して、すぐに美術館に向かったんですが、娘が興奮気味に試食がすごすぎ~とラインをよこしまして。その日は冷凍品の試食が山ほど出来るイベントをしてましてアイスもこんな量で貰えました結構、新しめのイオンスタイル豊田は飲食コーナーも充実していて、こじゃれたものも食べれますし、車で息子のところに行く時には必ず立ち寄ってたりします 令和元年春から秋にかけて撮影にほんブログ村を
2019年09月16日
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10年近く辞めていた懸賞を、再び始めてからちょうど1年程となった。今回は7月からの夏の当選報告。この時期は世間的に夏休みがあるので、お出かけ行楽が多いようにも思う特に、親子での参加というのも多いけどもそんな場合には、別コースの商品券に応募できるようになっている。そんな訳で我が家の場合にも、8月のナゴヤドームで巨人VS中日の観戦ペアが当たった当日は舅の病院の予約があったので、お昼近くまで病院に出かけて、午後から私だけ先に名古屋に出かけた。バスで中津川駅へ出て、JR中央本線で大曾根駅へと。帰りの切符を購入して、てくてくと歩いてナゴヤドームへまだ開場前だったので、お隣の大きなイオンモールのフードコートで桃氷をパクリ。ここにはドアラとかの絵柄の入ったテーブルなどもあったスーパーでリケン商品を購入をして、そのレシートで応募した懸賞で、観戦チケットを貰った訳で、その日はリケンデーで、先着のくじではわかめスープ(残念賞)を貰ったり入場時にうちわなども配っていた試合は午後6時からだけど、2時間前には開場をするので、練習などをのんびり見ているのも楽しい。望遠レンズなので遠くの選手も、結構見える。今週の東京ドームの巨人戦では中日3連勝。3年ぶりらしい8月8日の試合は、巨人の菅野が先発最近は腰痛らしいが、大丈夫だろうか私は子供の頃から中日ファンで、舅は阪神ファンだが、旦那が生粋の巨人のファンなのは巨人大鵬玉子焼き時代に育ったから?その日は、旦那が会社を終えてから駆けつけての観戦で、旦那がナゴヤドームに合流した午後7時位頃には、もう4回表だったかな。しかも次の日も会社があるというので、あまり遅くなりたくないと言うので、午後8時15分には席を立った午後8時40分大曾根発の電車に乗って駅から旦那の車で、自宅に到着したのは午後10時位になっていた。この次のは有料のホームライナーなので使えないし午後9時20分のでは遅すぎる。まっ私は練習から見てたからいいけども、旦那の観戦時間1時間ちょい(泣)そしてお盆明けには、よしもとのお笑いライブで、キリンビバレッジのジュースなどのバーコードで応募をする全国区の大きな懸賞で、全国各地の会場から選ぶ事が出来た会場は鶴舞公園にある名古屋市公会堂で漫才やコントの他、間寛平や石田靖らによる新喜劇もあったので、吉本新喜劇で育った私には、楽しいひと時であった平日の昼間だったので、今回は姉と観に出かけた事前に、座席指定がされたチケットが送られてきたので、開始の15分位前に会場入りをすればいいので、ランチも時間に余裕をもって食べる事が出来たかなり前に1度出かけた事があった鶴舞駅から程近い「蕎麦春風荘」でたっぷりのとろろに、蕎麦をつけて食べる「とろろそば」。やっぱりこの組み合わせが一番好きだし更には8月の終わりに、3度目の名古屋は懸賞をしていた頃には、何度か出かけてたエステーの毎夏恒例の「赤毛のアン」のミュージカルだ。クイズに答えて応募するタイプで、やはり全国各地の会場から選択が出来る今回は当日に座席指定席券に交換をするタイプなので、家族が出勤して家事を終えてから、電車で金山駅でスターバックスのアイスコーヒーを手にして、私だけ交換の行列へと1時間半くらい並んで、前から数列目の良席に交換でき、お昼に現地で合流した姉とランチを食べて観劇。やっぱアンは元気一杯。元気を貰えるミュージカルだ帰りには土産の芳香剤のセットも貰った座席チケットに交換をして、姉と合流するまで時間があったので、すぐ横のイオンを時間つぶしにのぞくと、おっ大好きな詰め放題を発見。春にやった青汁の詰め放題500円に再チャレンジするぞ~パンパンに詰め込んでの27袋は、前よりほんのちょっとだけど、余分に詰め込む事が出来たみたいだ。娘が毎朝、飲んでいるので1ケ月分をゲット金山駅前のアスナル金山には、映画の人間失格・太宰治と3人の女たちで使用された衣装や小道具が展示されていた店頭で応募はがきを見つけて、これは欲しいと思って応募をしたミッフィーのイラストの入ったル・クールゼのお皿やっぱカワイイですビックリしたのはチョコレートで当たった24金のゴールドマスクで、これ1枚で5000円近くするそうで、まだ使えてませんよ。自分では絶対に買わないものが当たるのも懸賞の醍醐味です家族から喜ばれたのは、またもやグルメです。宇都宮の本場の餃子がやまほど届いたのですが、とても美味しくっておかずに助かりましたこちらは、激辛好きな娘が喜んだ名古屋名物の「赤から」の様々な食品。夏は辛い物も良いですねそして明治のお菓子の詰め合わせとヨーグルトの引換券2枚。コーラパンチは初めての味なので、楽しみです森永製菓からは、キョロちゃんのぬいぐるみ春にも当たったクラフトボスのペットボトルで当たるユニクロのTシャツの色違いのが、また当たり娘が着てますここからは商品券。最近のユニーとメーカーとのコラボキャンペーンは特賞が、1万円の商品券というのが多いですで、ほ7本賞に外れてW賞には、大人数で千円分か、500円分の商品券というのが殆どですやっぱW賞の当選が多くなりがちですね当選人数も多いですしね商品のマークを送って当たる全国区の懸賞で、JCBのプレモカードというのが当たりました。世の中、キャッシュレスになりつつありますね朝日新聞のホームページのプレゼントではフィギュアスケートの雑誌が当たりましたここでは本や雑誌の当選がたまにありますコンビニで700円以上購入すると、くじがひけるのでは、2回に1回は商品が当たる程高確率でして、今回は日清の純豆腐でしたスーパーでクラシエの商品を購入して応募したのはサンプルでした。こうゆうのも日帰り温泉とか、旅行で便利ですヤフー!のアプリで、期間中に引けたくじですが、かなりの高確率で当たりましていろいろおやつを頂戴しました。今もしてまして、今週もハンバーガーが当たったばかりですハンバーガーは、自前で飲み物を購入しランチに利用しましたよサーティワンのアイスクリームも貰いました何度も紹介をしているフジテレビのめざましじゃんけんでは、7月にはコンビニスイーツを貰いましたよ 令和元年7月から夏に撮影にほんブログ村
2019年09月10日
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息子が愛知県岡崎市に単身赴任をして3ケ月が過ぎて、夏も終わり秋を迎えようとしている。昨日は休みのようでアクアトト岐阜へ行ってきたと写真をラインで寄越していた旦那は地域と、家の農作業で忙しいので引っ越しの当日しか出かけていないけど私と娘は月に1回程度は遊びに出かけている。先週末は息子の運転で渥美半島へ三人でドライブ。その写真はまた今度岡崎では花火大会も見たし、お城にも出かけたが、まだまだ紹介したい事は色々とあります。今回は岡崎で食べたものとか紹介しようかと思いますこれは6月の引っ越し当日。旦那の運転でワゴン車(レンタカー)に、荷物を積んで高速で岡崎へと向かいます。豊田あたりで矢作川にかかるカッコイイ「豊田アローズブリッジ」を過ぎたら、いよいよ岡崎ですこちらに来て思うのは、やっぱガソリン代金が安い! うちの辺りよりリッター10円位安いので、車で出かけた時には豊田あたりで、ガソリンを満タンにして帰ります。勿体ないので高速ではなくて下道を使ってますそして岡崎に来て驚いたのが、ゴミの分別袋がいっぱい~。うちの方は燃えるごみと燃えないごみ袋しか売ってないし、値段も岡崎より4倍位は高いです。別にゴミ袋がなくても、こちらでも雑誌&新聞、ペットボトルとかトレー、衣類などリサイクルに出してますけどね娘が松本で使っていた家電もあるので、今回新たに購入したのは単身用の冷蔵庫と、電子レンジのみ。引っ越しの当日に岡崎のヤマダ電気で購入(電子レンジは持ち帰り)をして一緒にカーペットやカーテンを購入をしたら喫茶コーナーで、パンケーキとドリンクのセットをタダで食べる事が出来たそして引っ越しと言えば、やっぱりお蕎麦と言う事で、ランチはお蕎麦私は、お餅ものっかったぶっかけの蕎麦さて前回、前々回で紹介をした岡崎城はガスの引き込みの立ち合いを終えたので私だけで岡崎城の観光を終えて、電車で帰宅しましたが、その時にお城の近くにある老舗和菓子店の「和泉屋」さんへここには、岡崎市の非公式キャラクターの「オカザえもん」と、名古屋のSKE48の松井珠理奈さんも来店した模様ここではみたらし団子が有名なようだけどやっぱ気分的にかき氷が食べたいと思って生いちごミルクを注文しましたとってもジューシーな、生のいちごのソース(?)をかけて、さくさくっと今夏は、娘とかき氷の食べ歩きをしてまして、恵那川上屋とかコメダ珈琲などここで紹介できればいいのですが、もう季節は秋・・・これから出かけるお城でも、何か食べたいと、思って抹茶のシュークリームも購入し岡崎公園のベンチで、早速、パクっとみたらし団子が名物だというのに。私は高山のシンプルなしょうゆ味のみたらし好きなんで。それにショーケースに入ってたおっきなシューが、むちゃくちゃ美味しそうだったしね岡崎城の観光を終えて、名鉄の東岡崎駅に向かう途中に、乙川(菅生川)に面して「菅生神社(すごうじんじゃ)」があってウィキペディアによれば>起源は第12代景行天皇の時代にさかのぼる。>110年10月、景行天皇の子の日本武尊(やまと>たけるのみこと)が東国平定のために菅生の>地を通過した際>高石(たかいわ)に伊勢大神を勧請し、神社を>建て「吹矢大明神」と称した。菅生神社が>岡崎市最古の神社と言われるのはこの言い>伝えをもとにする。(中略)江戸時代文化・>文政の頃から、乙川(菅生川)に提灯を>付けた鉾船を浮かべ金魚花火や手筒花火等を>打ち上げ奉納している>1818年(文政元年)には岡崎藩主上覧花火が>催され、城下各町や近在の村々が技を競った>という。8月第1土曜日の祭事は現在、「岡崎>城下家康公夏まつり」の花火大会との共催で>行われている徳川家康公や、岡崎城主などにも関わってきた神社だけに由緒もありそうだし。最近はやりの御朱印も、ここでは限定のものなどもあって人気があるようだ。私は集めてはいないが乙川(菅生川)にかかる「殿橋(とのばし)」から見えた岡崎城。このあたりで仕掛け花火などもあり、高価な有料座敷席はたもとの河川敷(岡崎城&神社側)に設けられている1645(正保2)年に、水野忠善が岡崎藩主だった頃に橋がかけられ、当初は菅生橋と呼ばれていたが後には殿橋と呼ばれた。その橋は今より100メートルほど下流にあったそうである明治38年に先代の木造橋梁が完成し、馬車鉄道が橋上を通っていたそうだ。1927(昭和2)年には最新鋭の技術(鉄筋コンクリート構造)で現在の橋が完成した。中央には複線の市電が走り、その両側には車道、さらにその外側に歩道が作られて後には耐震工事、修復工事も行われてきた名鉄の東岡崎駅に到着すると、徳川家康公の手形のモニュメントがあった駅舎には岡崎の産業品などが展示されていたお土産は家康公ではなく、オカザえもんのキーホルダーを岡崎城の土産物屋で、↑で紹介をした和泉屋さんのどら焼きも購入これは先週末に岡崎に娘と出かけた時に立ち寄った「道の駅藤川宿」で、東海道の三十七番目の宿場の「藤川宿」(岡崎市藤川町)の国道1号線沿いにある徳川家康公の石像が、お出迎えをしてくれるご当地サイダーのコーナーには、岡崎市出身の内藤ルネのイラスト入りのものも戦国武将で有名な岡崎市だが、現代でも世間でも名の知れた人物が出てきている中日の近藤貞雄元監督や、木俣達彦捕手相撲力士の琴光喜関にレーシングドライバーの中島悟もだし俳優の杉浦直樹に、平泉成もしぶいよガロの大野真澄に、兄弟デュオの狩人あみんの岡本孝子、お笑いのキンタロー。天野ひろゆき。シンセサイザーの冨田勲は岡崎にある父親の実家で小中学生時代をおくったそうだこれは後日、娘と車で出かけた時に行った喫茶店「あおい珈琲」で、外壁には葵の御紋広い店内には落ち着いたソファーなどもあり、スマホの充電用のコンセントなどもあったりで長居が出来るもちろんモーニングタイムの利用で、ここでは様々なドリンクの料金にモーニングをセットをするもので、トースト&ゆで卵は無料で付けられるモーニングセットの種類も多く、これは娘が頼んだフレンチトーストのセットでドリンク代に280円プラスこっちはホットドックセットで330円プラスおにぎりの和食セットで180円プラス最初に出かけて気に入ったので、その場で直ぐにコーヒーチケットを購入したので後日、娘や息子とリピートもしました娘と車で岡崎に行った時の帰り道に午前中に、豊田市のイオンスタイルに立ち寄って、早い時間での帰宅だしいつものルートと違う足助町方面へこのあたりは自然薯が有名でして「とろろ庵」で、自然薯のとろろがたっぷりかかったお蕎麦を注文。しかも定食などを頼むと、セルフで麦ごはんが食べれるのでそちらにも、お蕎麦のとろろをかけてパクッ 平成元年6月から夏に、愛知県岡崎市で撮影にほんブログ村
2019年09月05日
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ここ最近になって夏の終わりを思わせるようなお天気で、夜の涼しさに閉口して長袖のパジャマを持ち出してきましたし街では栗きんとんの販売も始まりましたさてさて前回に続いての「岡崎城」ですが前にちゃんと内部も見学をしてました。が忘れてました。復興天守は特徴がなくってそんな訳で、見学した時の日記もブログで紹介してましたので、松平郷などと共に↓リンクからご覧くださいませ2010年05月17日「松平! 将軍ではなく、情熱のミューズにひかれる」2010年05月14日「飛騨の三大桜と、ジンヤ」2007年11月03日「金龍昇天、三河の家康の城。」ではでは前回の続き、岡崎城の紹介をします空堀にかかった石橋もまた、見た目もかっこいいですね。愛知県よりも名古屋の方が有名みたいですが、名古屋のあるのは尾張で織田信長や、豊臣秀吉の故郷でもあります徳川家康が生まれた岡崎があるのは、愛知県東部にあたる「三河(みかわ)」で、尾張と違う国でしたから人の気質も、文化も違っていたりもします。更には岡崎などの西三河と豊橋などの東三河といったように分かれますし奥三河という岐阜県寄りの区分もされます尾張の人は見栄っ張りで利に聡い、短気な商人ぽい気質なら、三河は辛抱強く堅実でおっとり頑固な農民気質って、信長&秀吉と家康の性格そのまんまのような気も。この石像はしかみ像といいます浜松の三方ヶ原での戦いで武田の大軍に大敗し多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れることが無いよう「徳川家康三方ヶ原戦役画像」を描かせたのですが、それを元にした石像です「われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。 われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。」神君だけあって家康が残した言葉はどれもが心に響きそうである家康は能が好きだったそうで、二の丸があった場所に建てられた本格的な屋外能楽堂もあった家康は「宝の中の宝といふは人材にしくはなし」との言葉も残しているが信長などは戦いで破った相手の武将などは容赦なく殺してしまうが、家康は敵方であった武将らも助けて、自分の配下としたそうだ。流石に人材こそが宝。出自の悪い秀吉は信頼のおける家臣を作るのに大変だったが、家康には苦労を共にした三河家臣団がいたから、天下が盤石となったのかも若かりし頃の家康、「松平元康」の像だそうだが彼を支えてきたのが「三河武士」たちで、三河衆とも呼んでおり、三河国時よりの家康の家臣らで忠誠心が強く、江戸幕府の創業は彼らの貢献なしでは出来なかった彼らは譜代大名となり徳川宗家を支えていく訳であるが、中でも有名なのが本多忠勝。平八郎かもしれない。彼は徳川四天王のひとりで、信長には「花も実も兼ね備えた武将」、秀吉に「日本第一古今独歩の勇士」と称賛もされた戦国武将だこの像では鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍蜻蛉切を携えています。その奥には家康の出生から天下統一までと、それを支えた三河武士達をわかりやすく紹介してくれる「三河武士のやかた家康館」です勇壮果敢な平八郎は、徳川秀吉の懐刀として映画やドラマなどでも登場するが、私が一番印象的なのは大河「真田丸」の藤岡弘、さんかなぁ~。生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及んだそうであるところが、どの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったそうである。その名采配ぶりを配下のものらは「忠勝さまの指揮で戦うと、背中に盾を背負っているようなものだ」と称えたそうだ本多忠勝(平八郎)がなぜ、岡崎城でたくさん紹介されているというと、江戸時代の後半には彼の子孫がここの城主であった事と、出生地が岡崎でもあったので。他の市町村であれば学者芸能人などがならぶ出身者も、流石に家康公のおひざ元だけに徳川家康、本多忠勝の他に松平氏、細川氏大久保氏、鳥居氏、板倉氏、酒井氏、渡辺氏青山氏、内藤氏、水野氏、蜂屋氏、大須賀氏植村氏といった名だたる武将、大名などやあの服部正成(服部半蔵)も、岡崎出身だ顔出しパネルの本多忠勝公の横にいるのは娘の稲姫(小松姫)で、真田丸では真田幸村の兄の信之の正室として登場をしたので、覚えている方もおいでいなるかもしれないこの婚姻は徳川方と真田氏を結ぶものとして家康の養女として信之に嫁いだそうだけどこんな逸話も残っている。ウィキペディアより>小松姫が家康の養女であったとする話の中に>婿選びの逸話がある。家康が若い武将達を>列座させて小松姫の相手を選ばせたところ>家康を前にして委縮している中で、小松姫が>平伏している一人一人の髻を掴んで面を上げ>させて吟味していたところ、髻に手を差し>伸べられた瞬間に信之は叱咤して、鉄扇で>小松姫の顔を打った。小松姫はこの気骨に>感動して信之を選んだといった伝承があるそんな勝気な稲姫がのんびりと、令和の世の岡崎城で散策をされていた。武将隊のメンバーは、徳川家康の他に徳川四天王の酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝と稲姫で、交代で岡崎公園で記念撮影や案内などをしており、週末には演舞もあるとか酒井忠次は徳川四天王、徳川十六神将のともに筆頭で、家康第一の功臣とされている。家康の父の松平広忠に仕え、竹千代(家康)が駿府へ今川の人質とされた時には、最高齢(23歳)で同行して以来、家康の配下として主な戦いには全て参加をしている大河「おんな城主直虎」で、イケイケな若武者であったのが井伊直政で、最初は外様であったのが江戸期には譜代大名の筆頭となった為、三河衆に妬まれた事も。徳川四天王。徳川十六神将、徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣であった武田氏の旧臣約120人が配属をされた際に、武田の赤備えの将であった山県昌景の意志を継ぐという意味合いもあり、直政は兜や鎧をはじめ装備を赤色で統一させた。赤色だと目立つので、戦さの最中にどこに自分の部下がいるのか直ぐわかるからだとか徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられる榊原康政は、13歳の時に松平元康(家康)の小姓となり、三河一向一揆鎮圧戦では初陣を果たし、家康から武功を賞されて「康」の字を与えられた。武勇では本多忠勝に劣るが、部隊の指揮官としての能力では、忠勝に勝り井伊直政に匹敵するとされているともなると他の武将も気になるので、徳川十六神将なども名を挙げてみると・・・酒井忠次、本多忠勝榊原康政、井伊直政の他には、米津常春、高木清秀内藤正成、大久保忠世、大久保忠佐、渡辺守綱、蜂屋貞次(または植村家存)、鳥居元忠、鳥居忠広平岩親吉、服部正成、松平康忠(または松平家忠)まっ、ようわかりませんですが、家康一人で徳川幕府を樹立したわけでもなく、彼を支えた沢山の人たちの手で勝ち得た勝利と言う訳で早朝に、大河ドラマ「葵 徳川三代」の再放送ご覧になっている方は、あ~いたいた、とかなるのかななんかすごいです。既に20年近くも前の作品になるんですが、特に女性陣が映画みたいな重厚感あって。山田五十鈴とか岩下志麻、小川真由美、草笛光子というベテラン陣が品があるというか。圧倒をされます。江守徹の三成はちょっとジジむさいような・・・(こそっと)浄瑠璃の語源ともなった御伽草子の「浄瑠璃姫物語」では三河国矢矧(今の岡崎)の長者の娘浄瑠璃姫が、奥州へ向かう途中の牛若丸と恋に落ち、叶わぬ恋に悲観をして菅生川(乙川)に身投げをしたという話ですが、岡崎城の脇にはひっそりと浄瑠璃姫の供養塔がありましたよ岡崎の出身で世界的な地理学者の志賀重昂氏がテキサス独立戦争のアラモの戦いと、戦国期の三州長篠城の戦いが似ていると、感銘を受けて岡崎と長篠の石を使っ、大正3(1914)年サンアントニオ市アラモ砦史跡の一角と、ここ岡崎公園にアラモの碑を建立したそうですなんでもアラモの砦から援兵を求めて、友軍の下に走った青年ボナムが、武田の大軍に取り囲まれている状況下の長篠城を、脱出をして岡崎城の家康に危急を知らせた鳥居強右衛門の両者の「強い使命感」に、東西の別はないと感動して建碑を思いたったのだとか鳥居強右衛門は夜陰に乗じ城の下水口から川を潜って武田軍の包囲網を突破し、無事に岡崎城にたどり着いて援軍の派遣を要請をした。織田の援軍も岡崎城に到着しており、連合軍は長篠へ向けて出発する手筈となっており、強右衛門はこの朗報を長篠城の味方へ伝えようと戻る途中で武田軍に捕らえられてしまった取り調べで、織田と徳川の援軍が長篠に向かう事を知った勝頼は、援軍は来ないから諦めて城を明け渡すよう、偽の情報を伝えるように命じた。長篠城の見通しのきく場所へと引き立てられた強右衛門は、間もなく援軍が来るから持ちこたえるよう城に向かって叫んだので勝頼は部下に命じ強右衛門を殺してしまったところが強右衛門の報告のおかげで、援軍が近いと知った長篠城の城兵らは、強右衛門の死を無駄にしてはいけないと奮い立ち、援軍が到着するまで武田軍の攻撃から城を守り通す事が出来た。信長は、強右衛門の最期を知ってその忠義心に報いる為、立派な墓を建立させたそうである「忠義護邦家の碑」の忠義は、名のごとくであるが、邦家とは国家の事だそうだ。日露戦争直後の明治39(1906)年に建立されたそうで山県有朋が書したとの事だ「鎮魂の錨」は、今までの海戦のものであるとは思うけど、どういったものなのか詳しくはわからなかった。城は戦いの為のものであってそこでは沢山の兵士らの命も奪われてもしまうやっぱり、戦いのない平和な国であればよいのだけど小瀧喜七郎は、かつて岡崎藩士であった家に生まれ、日清・日露戦争に従軍をした。明治41年に岡崎町役場の書記となり、行政面で手腕を発揮し、昭和8年には第四代岡崎市長に就任をした。助役時代より岡崎公園の修築や改修に力を入れた為、公園助役、公園市長の異名をとった人物竹下景子さんは尾張名古屋の出身ですが、NHK朝ドラの「純情きらり」で主人公の母親役を演じ他の演者と共に手形が、舞台となった岡崎に今も残されているそんなこんなの岡崎城と、岡崎公園はいかがでしたでしょうか。今回の訪問ではうかつにも龍神神社の境内にあった竜神の井戸を見てこなかったのが残念です。またリベンジしますでも家康が能を舞うからくり人形は、見る事が出来ましたそして今は使う人も殆どいなくなったであろうお城の公衆電話は今も健在です自動販売機も葵の御紋。家康仕様ですしお城の真横を通る国道1号の歩道橋にも葵の御紋がきらびやかに徳川家康が江戸へと下ると、豊臣方の田中吉政が岡崎城に入城し、城下の整備を行い矢作川に初めて橋をかけ、東海道を城下へ引き入れた。外敵から城を守るように道を幾度も曲げさせた二十七曲がりが作られた 令和元年6月4日に愛知県岡崎市で撮影 ブログの日記更新を先にさせていただきましたが 皆さんのブログには、本日&明日中に伺わさせて いただきますにほんブログ村
2019年08月29日
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そういった訳で、息子が単身赴任で岡崎で暮らすようになって、早3ケ月が経とうとしている。なんだかんだで月に1度は娘と顔を出しているのだが引っ越し初日に、息子は家から荷物を運んだレンタカーで旦那と家に帰って後から自分の車で岡崎入りをする事になっていたが、私はガス開栓の設置の立ち合いをする為に、一晩泊まった無事に電気、水道、ガスのライフラインも整ったので電車で家に帰る前に、折角だし岡崎市の観光をして行こうと思い、行った先は「岡崎城」。岡崎は前に数度は来てたけど、岡崎城の観光は実は初めてだ(と思ったら2007年に登城してた)1993年に再建された「大手門」は高さ11m幅16.4m、奥行6.3mで、石垣には地元産の御影石を使用し、入母屋造り。本来は現在の浄瑠璃寺の南にあったそうだ江戸幕府時代には岡崎城は「神君出生の城」として神聖視されており、家格の高い譜代大名が歴代の城主となったそうだ。神格化された君主との事から徳川家康が東照神君として有名だが源頼朝は鎌倉神君であるそうだもともと神々の子孫である天皇は、神君と名乗る必要はなかったそうである。中国や東アジア地域では王朝の建国者を「高祖」「太祖」「神祖」などとして廟号をおくり信仰の対象としてきた江戸幕府を開いた神君家康公は、「権現様」とも呼ばれて信仰され、「神祖」、「烈祖」などとも称されていたそうだウィキペディアの記事を引用させていただく>三河国の土豪である松平氏の第8代当主・>松平広忠の嫡男として天文11年12月26日>(1543年1月31日)寅の刻(午前4時頃)に>岡崎城 にて誕生。母は水野忠政の娘・於大>(伝通院)。幼名は竹千代(たけちよ)>3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主と>なった水野信元(於大の兄)が尾張国の>織田氏と同盟したので織田氏と敵対する>駿河国の今川氏に庇護されている広忠は>於大を離縁。竹千代は3歳にして母と生き>別れになる。>天文16年(1547年)8月2日、竹千代は数え>6歳で今川氏への人質として駿府へ送られる>こととなる。しかし、駿府への護送の途中に>立ち寄った田原城で義母の父・戸田康光の>裏切りにより、尾張国の織田信秀へ送られた>だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、>竹千代はそのまま人質として2年間、尾張>国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。>2年後に広忠は家臣の岩松八弥の謀反に>よって殺害された。今川義元は織田信秀の>庶長子・織田信広との人質交換によって>竹千代を取り戻す。>しかし竹千代は駿府に移され、岡崎城は>今川氏から派遣された城代により支配>された。 墓参りのためと称して岡崎城に>帰参した際には、本丸には今川氏の城代が>置かれていたため入れず、二の丸に入った。>天文24年(1555年)3月、駿府の今川氏の>下で元服し、今川義元から偏諱を賜って>次郎三郎元信と名乗り、今川義元の姪で>関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶る。>名は後に祖父・松平清康の偏諱をもらい>蔵人佐元康と改めている。>永禄元年(1558年)2月5日には今川氏から>織田氏に通じた加茂郡寺部城主・鈴木重辰を>攻めた、これが初陣であり、城下を焼いて>引き揚げ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・>伊保を攻めた。この戦功により、義元は旧領の>うち山中300貫文の地を返付し、腰刀を贈った>永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで>先鋒を任され、大高城の鵜殿長照が城中の>兵糧が足りないことを義元に訴えたため、>義元から兵糧の補給を命じられた。しかし>織田軍は大高城を包囲しており、兵糧を>運び込むには包囲を突破する必要があった。>そこで5月18日、鷲津砦と丸根砦の間を突破>して、小荷駄を城中に送り込み、全軍無事に>引上げた。翌19日、丸根の砦を攻め落とし、>朝比奈泰能は鷲津の砦を攻め落とした。義元が>織田信長に討たれた際、大高城で休息中で>あった元康は、大高城から撤退。>松平家の菩提寺である大樹寺に入り、自害>しようとしたが住職の登誉天室に諭されて>考えを改める。その後、今川軍が放棄した>岡崎城に入ると独自の軍事行動をとり、早い>段階で今川からの独立を果たそうとする。といった訳で幼くして母と別れ、尾張国に人質にされ、父も殺され、今度は駿河国に人質にされて苦労の末、やっと岡崎城に戻ってきた訳ですが、まだまだ苦労も絶えません。三方ヶ原の戦いでは武田信玄に大敗を期し、信長の配下となり、秀吉を称えて天下分け目の関ヶ原で、大勝利をおさめ大坂では真田幸村に本陣に攻め込まれた事もありましたが、やっと家康が天下を手に入れたのは、高齢になってからです岡崎城天守をバックに、そんな家康公にあやかった出世ベンチに座って、一休み次はウィキペディアで、岡崎城について>菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山と>いう丘陵を利用して造られている。元は、>龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代で>あった西郷稠頼、そして、その子頼嗣が>北方に対する防御として築城したもので>ある。>当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と>呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平>昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが>岡崎城である。龍頭山はもともと小高い丘で、>山頂に本丸が置かれた平山城として築かれて>いた>1531年(享禄4年)岡崎松平家を破った松平>清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を>整備して勢力を広げたが家臣の謀反により>命を落とす(森山崩れ)。1542年(天文11年)>城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。>当時、櫓や門の屋根も茅葺で、当地は石の>産地ながら石垣などもなく、ただ堀を掘った>その土をかきあげて、芝を植えただけの土塁が>めぐっていた。1549年(天文18年)松平広忠が>家臣の謀反によって殺害されると、岡崎城は>今川家の支城として城代が置かれ、山田景隆、>三浦義保、糟谷備前らが城代を務めた。>1560年(永禄3年):桶狭間の戦いで今川義元が>敗死すると、松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は>岡崎城を取り戻し、今川家から独立する。1570年>(元亀元年)徳川家康は本拠を浜松城に移し、>岡崎城は子の松平信康が入った。しかし、信康は>謀反の疑いをかけられて自刃。以後、重臣の石川>数正、本多重次らが城代を務めた>1590年(天正18年)家康が関東に移封となると、>豊臣家臣の田中吉政が入る。家康に対する抑えの>拠点の一つとして、吉政は城を拡張し、強固な>石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。>また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の>郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を>通るように変更し、>岡崎の二十七曲がりといわれるクランク状の>道に整備され、現在の岡崎城の原型を造った>本多康重から3代忠利にわたる改修によって>平城となっている。この際、本丸に複合連結式>望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が>建てられた。>存城当時の東海地方の城では3番目に数え>られる規模であったが、1873年(明治6年)の>廃城令によって廃城となった。城内の天守>以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切の>建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居>曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を>残すのみである>敷地は龍城神社、岡崎公園として整備された。>1959年(昭和34年) 鉄筋コンクリート造で>天守が再建される。2007年(平成19年)材木町で、>マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が>見つかり、日本国内で4番目の規模の城である>ことが判明した> 三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した>際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて>天に去っていたという。以降、天守に龍神を>祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と>称したという。徳川家康が誕生した際にも>金色の龍が現れたという。>徳川家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀る。>藩主本多忠粛により東照宮は岡崎城三の丸に遷座。>本丸には本多忠勝を祭神(映世大明神)とする>映世神社が創建、1876年(明治9年)に東照宮を>岡崎城本丸に遷座、映世神社と合祀して龍城神社に>改称する。社殿が造営される。>1964年(昭和39年):社殿が再建される。>このさいに天神地祇、戦没者を合祀した。といった訳で、ウィキペディアの記事によって徳川家康と、岡崎城についてコピペをさせていただきました当時は 出産に際して、えなと呼ばれるへその緒や胎盤などを埋めて祀ることで、その子の健康を願ったとの事から、家康公のえなを埋めたと伝えられる塚。もとは本丸南にあったものを、今の場所に移したそうだ岡崎城内で生まれた竹千代(徳川家康)の産湯に、この東照公産湯の井戸の水が用いられたそうだ現在でもこの井戸の水を汲み上げ、浄水設備を通したあと触れることができるように、井戸のすく隣で常時流れているこっちは二の丸御殿の井戸その説明です↑東隅櫓について、ウィキペディアによると>2010年(平成22年)3月、東隅櫓が再建>された。望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階>建で、入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を>務めた本多氏の家紋立ち葵が刻まれた本瓦>葺き。壁は白漆喰塗り。>高さ約9.4メートルで、かつて東曲輪だった>岡崎公園駐車場の南東角に位置する。1781年>(天明元年)の「岡崎城絵図」を基本資料と>しているが、東隅櫓の図面は現存しなかった>ため、愛媛県松山市に現存する同時代の松山城の>野原櫓などの形式を参考にして、江戸時代の>工法を忠実に再現し建設した>城内で発掘された石材を使い、空積みの石垣も>築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの>城壁と合わせ、総工費は約1億円。年中無休で>内部を公開している。やっぱ当時の工法で復元をしているので、見応えあるなぁ~。ところで岡崎城があるあたりの地名だが、愛知県岡崎市康生町(こうせいちょう)といって、江戸期は岡崎城の郭内であった1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、岡崎康生町となったが、やはり家康の生誕地であった為に名付けられたらしい。最後に、岡崎城のある岡崎公園は日本さくら名所100選に選ばれているそうなので、来春にはお花見に行けたらいいな8月にビル越しに岡崎の花火を見た広大な広場はここでした。何せ家康公のお城だけあり中身が濃いので、後半に続きます。次回姫も登場します 平成31年6月4日に愛知県岡崎市で撮影にほんブログ村と
2019年08月23日
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5日間と短かった娘の夏休みも終わって今日からお仕事に戻ったが、前半は台風縦断でお出かけも、母娘の近場の日帰りドライブ位なもので何だか消化不良気味(↑音の花火で、ド~ン!と周囲のビルに反響した音がとても迫力があった)旦那とかは前後の土日を含めたら、9日間お休みがあったのに、ぬぁんと全日皆勤で田畑へ出勤だった(↑夕日に染まる東隅櫓は、復元総工費1億円)夏休みが始まった初日の土曜日の午前中旦那は地域の役員会に出かけたが、体調が悪くなり、会議を抜け出して病院に行くと胃腸風邪と軽い熱中症だと言われ、注射を打って貰って少しは回復ところが家に帰ると舅が午前中に、家の農作業をサボったとブチぎれて、旦那は仕方なく、午後は体調不良のまま田畑へ病院にもいけんのかよ!とぼやいてるが認知じゃないかと思う舅に理屈も通じず仕事を休んで家の農作業をやれと言う始末そりゃ舅の頃は60歳定年でもスグに年金貰ってたけど、旦那は定年後も働かなきゃ年金満額支給時の65歳まで、舅が養ってくれるとでも言うのだろうかお盆の台風もこちらでは、夕刻から朝にかけて影響があったので、雨でも降って堂々と家でのんびりしたかった旦那の夢叶わず。結局は9日間、農作業で終わった旦那の夏だった(このビルの向こう側の川べりに仕掛け花火の会場があり、抽選で高額な指定席を当てた人たちは目の前で見る事が出来る)旦那が春から、地域の大きな役員を受けてしまったので、週末などに地域行事に参加しなきゃいけないので、農作業をしなきゃいけなかったのだけど私も二人でやらなきゃいけない田んぼの農薬散布で朝5時から駆り出されました舅のアタマが、イカレちゃているので「兄ちゃん、ココはやらんでもいいぞ」と言った5分後に「なんで、ココやらんよ!」という有様で舅は自分では体も不自由で出来ないが自分の思うように人を動かして、仕事をさせたいので、旦那も姑も朝から怒鳴られ血圧上昇。もはや私は関わり合いしたくないけど足が不自由で一人で歩くのもままならずバスも乗れなくなったので、整形外科や内科などの病院や、床屋など半日返上で私が車で乗せていく。しかも姑も3つの病院があり、そちらも連れて行かなきゃいけないので毎週のように病院への付き添いをしてる舅などは、両杖で段差を登るのも苦労をしてるし、右手は効かずスプーンとかで食事をしてるが、これ位じゃ要介護にはならないと姑が言い切るので、二人とも介護認定とかも全くしてないが寝たきりになろうが同居する息子や嫁が看るのが当たり前って時代の人たちだしそんな舅に振り回されている我が家だが今夏に一大事が起きました。長男だから家を継ぐのが当たり前だと、本人も認識していて3年前の家の建て替えでは、旦那の貯金と息子の住宅ローンを2:1で、共同名義で建てたのに、会社内の仕事の都合で転勤が決まりました。前述のように旦那は忙しいので、引っ越し当日のみレンタカー出してくれたけど息子の住むアパートには、それから1度も顔を出してないです。かわりに娘と私とで8月上旬の結構、大きな岡崎の花火大会に出かけてきました。息子は仕事だったけど岡崎までは電車で行けるし、花火会場からバスでアパート近くまで行けるので息子のお部屋は、会社の借り上げの形で確か6万円?まで、家賃補助して貰えるみたいだけど、娘の賃貸5回(今話題のレオパレスも、ワンルームも。古いのも)経験から、ワンルームはダメ。2部屋は必要だとか暑いのでエアコンは必要、オール電化がいいお風呂もボタン1つで出来るの、ワイファイ使えなきゃなどなどと。予算をオーバーした分と駐車料金は自腹です。壁一面の大っきな収納に、私と娘のお布団もしまってあるので7月にも、車で二人で出かけて泊まらせても貰った何せバローとゲンキー位しかない我が町と違って、それなりに岡崎は大きな街なので大きなイオンもあれば、大きなバローとか大きなアピタとか、全国チェーンのお店もいろいろ出店しているし、途中の豊田とか立ち寄るのも楽しいのでお金も時間もままならず、宿泊旅行もここ当分は難しそうな我が家にとって松本と同じ位で車や、電車でも行ける岡崎の息子のアパートは、かつての娘のアパート位、行楽先にはナイスだけど松本からは長野や、安曇野、白馬、諏訪八ヶ岳、軽井沢とか魅力的なリゾートが揃っていたけど、岡崎からは豊橋、豊川浜名湖、知多半島とか、ちょっとばかしおしゃれ度はなさそうな・・・今の所は目新しい岡崎や豊田のあたりをウロウロ娘の時は水回りとか、行けば結構なお掃除をしなきゃいけなかったけど息子の方は昨日入居した位に、綺麗ピカピカ。手の入れようがないですやっぱ家で、食事を作るのが面倒のようだけど徒歩2分でコンビニもあるし、会社の帰りにスーパーで、見切り弁当とか買うようなので昔に比べ男の一人暮らしも困らないようですこの前は、車で名古屋まで行ってきたそうで夏休みには、海に行きたいと言ってたけどお盆の休みには、1泊2日でうちにも戻り田畑の農作業のお手伝いも、少しだけして戻って行きましたけど、果たしてどれ位の転勤になるのだろうか~。この家を建てる時も家族の暮らしなんて、先はどうなるか予想も出来ないと言ってたけど、息子の転勤。そうきたかって感じです。旦那の同僚も会社の近くにマンションを買った途端に転勤で、新居に嫁と子供を残し、単身赴任になったままだそうだし。年齢的にそうなのか家を建てたタイミングの転勤は、よくある話のようだよくある話ではないのが、今夏の甲子園お隣の長野県は、予選で常連校は敗退し決勝で伊那の高校を破って飯山の高校が甲子園に出るというので、地元は大騒ぎバスを連ねて応援に出かけたそうだし愛知県でも中京大中京や、愛工大名電東邦と言った名門が敗れ、小牧にある誉高校が初出場を果たし、選手宣誓もしたり、吹奏部がないので近隣高校や東邦が甲子園の応援をかって出たりと話題にもなったそして、いよいよ明日はベスト4による準決勝で、第1試合は大阪の履正社と兵庫の明石商の地元対決。第2試合には岐阜の中京学院大中京と、隣県の石川の星稜と言う訳で、またまたテレビの前で観戦せねばなりませんまさか地元の中京学院大中京が、並み居る強豪を倒してベスト4まで勝ち進むとは!それでもベスト4となった今でも名の似た愛知の名門、中京大中京と勘違いをしてる人がいるし(汗)実は「野球に強い岐阜県」のお話は、ここでも紹介してきましたが中京学院大中京は軟式野球では日本一。同経営の中津川市にある中京学院大学も、大学野球で日本一になったばかりだし(広島の菊池、巨人の吉川など)社会人野球で大垣市の西濃運輸が日本一になったのも、それほど昔の話でもないです甲子園を沸かした大垣日大もありますしねそれだけに名前が似ている中京大中京とか一緒くたにされるのも残念でこの機会に「岐阜の野球の強さ」を全国に知らしめて欲しいものです。ところで愛知中京大中京は、稲葉や堂林の母校だそうで岐阜の中京学院大中京は巨人の吉川の他にソフトバンクの熱男、松田宣浩の母校でもありますよ硬式野球部の成績は明治神宮野球大会 平成14年優勝(全国優勝)国民体育大会 昭和48年 沖縄国体 ベスト4全国高校選抜大会(春)5回出場全国高等学校野球選手権大会(夏)7回出場昭和50年(第50回大会) ベスト8ちなみに軟式野球部の成績の方は全国高等学校軟式野球選手権大会22回出場優勝9回、準優勝2回国民体育大会 優勝7回 だそうです野球以外のスポーツも盛んで、プロボクサーの田中恒成選手(第16代WBO世界ミニマム級王者、第19代WBO世界ライトフライ級王者現WBO世界フライ級王者)や、急逝された人気プロレスラーの橋本真也さんもここのOBだそうだもともとは愛知の中京大中京の創業者である梅村清光さんで↑の校長も務めた次男である安達壽雄さんが創設したのが中京学院大中京そんな親族関係からなのか、中京高校だったり中京商業だったり、どちらも校名がかわったりしてまして愛知の中京大中京とは違う、軟式の強い岐阜県の中京学院大中京とせっかく世間で認識されたのに来年は校名が「中京高校」になるそうですよいつか甲子園で、愛知と岐阜の中京高校が対戦したら面白いのにね中京学院大学が地元の中津川市にある事から身近な存在である中京学院大中京高校ですが全寮制の私立なので、関西などの県外の選手もいて、岐阜のおかわり君として人気の1年生小田康一郎三塁手は東京都八王子市の出身でU18日本代表候補に選ばれ藤田健斗捕手は滋賀県出身、U15日本代表の不後祐将投手は神戸市出身な訳ですけど、結構、県内出身の選手も野球部で頑張っています作新学院(栃木) 戦では逆転満塁ホームランを打って、勝利の立役者となった2年生の元謙太外野手は暑い街、多治見市の出身だし、ぬぁんと18名のベンチメンバーに、中津川出身の選手が4名もいるそうで地元自治体で激励会もあった地元の子供たちの応援に中津川市からも、応援バスが甲子園に出ているそうだ。中津川第二中からは一塁の二村洸生選手と、布谷陸人選手が坂本中からは吉田直哉投手と、鈴木浩介選手がメンバー入りをしているこうなってくるとテレビの前で応援するしかないです。ブログで岐阜の野球の事に触れたのリンク貼るので、もし興味があればポチっとしてご覧ください2014年08月30日付け「蜻蛉とまりし大輪の蓮花。今年はここで・・・・」第59回全国高校軟式野球選手権大会の準決勝の中京(岐阜)×崇徳(広島)の試合について2014年09月01日野球(捕手?)王国・岐阜、復活の今夏。岐阜県が野球王国となぜ呼ばれてきたのか2017年01月08日2017年、迎春もお得がイッパイ! 今年もよろしくお願いします 中京学院大中京の近くにある瑞浪市の大衆食堂の「一徳」にあるOB選手らの色紙などについてと言った感じでして、久々に舅の話と息子の転勤話に、高校野球の話などを岡崎の花火の写真に添えて、紹介をさせて貰いましたが、どんだけ写真並べるんだという感じでスイマセン岡崎市の花火大会ですが、東海地方では2番目の50万人近くの人出があります息子がいなきゃ、縁のなかった花火大会ですけど、これは行くしかないと。私が見たのは無料で楽しめるメインの川沿いから通り1つ北側の大きな広場です花火の打ち上げ場所は、有料席の目の前の川べり(ビルの向こう)と、その少し西の河べりで、こちらの花火はここからでもよく見えます。更にそれより西側の矢作川河畔で打ち上げたものは、右下に小さく花火が見えました何せ初めてだったんで、どこで見たらいいものか、どう見えるのかもわからず。早い時間から場所取りもしたくもないし、ネット口コミでも、〇〇から見た花火、△△からの花火とか載せてくれたら参考になるのだけど花火のクライマックスは、大きな広場からバス停のある通りに向かう出口の付近へと移動して立ち見で花火を楽しみ、終わった途端に小走りでバス停へ向かいました(真ん中の青いスクリーンで仕掛け花火の中継を見る事が出来る)そのおかげで、待ち時間もなくバスにも乗れ少し道は渋滞してましたけど、無事に息子のアパートに着きました。 令和元年8月3日に愛知県岡崎市で撮影にほんブログ村
2019年08月19日
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今年のお正月明けに出かけた東山動植物園ですが、動物の飼育数が日本一という事でまだまだ紹介しきれていません。といった訳で、前回に続いての後半戦です見る方向が変わると、動物の表情も随分と変わりますよね。梅雨明けもして、さぞかし今頃には動物たちも暑い思いをしているかもしれませんが東山動物園に出かけたのは真冬なので動物たちも涼しげです甲子園も始まりました。愛知県の初出場ノーシードの誉高校は、初戦敗退をしてしまいましたが、吹奏楽部がないという事で、東邦高校と、近隣の工業高校とが甲子園で応援演奏をしてたそうです立命館宇治も試合日が、コンクールと重なったので、中等部やOBらが応援にかけつけたのだとか。二回戦では同校吹奏部が京都アニメーションの「響け!ユーフォニアム」を演奏するそうです甲子園は何も高校球児だけで戦っているものではない。子供のころからお弁当を作ったり送迎をされてきたご家族や、様々なカタチでチームを支えてきている大人たち、周辺の人たちそんな人たちもスタンドや、テレビの前で固唾を飲んで、白球の行方を追っているのだろう。暑い中で球児や応援する人たちの姿を、冷房が効いたお部屋で今も見てますあっ、サヨナラホームランだ(熊本工業)劇的な幕切れでした。きちんとした格好でバックネット裏で観戦をしている少年野球のチームの子供たちも間近で良い試合が見れて良かったね特に動物たちについて説明をする事もなさそうなので、時事ネタという事で高校野球を取り上げてみました。時間許せば付けていたりします。昨日など延長もあって、午後7時を軽く回っていたし。良い試合が多い飼育数日本一と言われる、名古屋の東山動植物園には、めだか館という施設もあって、雨の日や、夏の暑い時冬の寒い時などに、出かけると良いポイントになるここの他にも爬虫類や、夜行性動物の屋内施設もあって、ここも行くたびに必ず立ち寄るようにしている淡水の河川などにいる身近なお魚たちも見る事が出来る。そうそうNHKの朝ドラは昔から午前7時台の歴代朝ドラの再放送と今の朝ドラと続けて見ているが今春から海外でも大人気だった「おしん」の再放送をやっていて、今朝は関東大震災で東京が壊滅。新たな事業を起こしたばかりのおしん夫婦の新工場も失われ、身内同然のじいも命を落としてしまったかたや朝ドラ100作目の「なつぞら」は主人公と義姉妹の同時結婚式で、縁戚一同が笑顔で北海道十勝で集うシーン。全てを失い逃げまどうおしんを見た後では、あまりにも状況が違いすぎて気持ちが切り替えられない「この動画は YouTube でご覧ください」をぽちっとすると見えますしかも、おしんには佐賀での執拗な嫁いびりが待ち構えていると思うと気が重いし。なつぞらの主人公は戦災孤児で、父の戦友の家に引き取られ実子同然に育てられて、高校にも行かせて貰って好きな仕事につけてとっても恵まれているように感じるのは、おしんの後に見るからなのか。いや漫画映画の「火垂るの墓」での節子とにいちゃんが親を失い、家を失い野宿の末に野垂れ死にをしてしまうというのが、頭の中にあるから前に名前を出したタイガーマスクを被る伊達直人も孤児院で育ったけども、当時は戦災孤児が多かったそうだ。いつしか孤児院は児童養護施設と名を変え両親を失った子供よりも、親がいるけど養育不能であったり、虐待などで預けられる子供の数の方が多くなったそうだ「この動画は YouTube でご覧ください」をぽちっとすると見えます昭和50年代に私が京都に住んでいた時に、近所で友達だった10代のかわいい女の子は高校に行かず販売員で働いていた。一時はおばあちゃんの家で暮らした事もあるそうだけど、再婚をしたお父さん夫婦と、母親違いの小学生の弟と暮らしていた用事があって夜、その家に行くと居間で家族は楽しそうに夕食をとっているようだが、友達だけは一人暗い中を、2階の屋根裏っぽい部屋から降りてきた早く一人暮らしをしたいとも言っていたし、肩身の狭い思いをしているんだろうなぁ~と愛がいっぱい溢れたなつぞらの家族や、周囲の人に比べて、おしんは父に殴られ、兄にののしられて姑にいびられ・・・実際でも平成の世も終わったが歪な家族。虐待、事件・・・毒母だとかなんだとかせめて朝ドラくらいは、夢のあるおとぎ話をと言う趣旨なのかもしれないがいい人ばかりな十勝の人と違って、ちょっと毒のある東京の人は好きです。カレー屋の支配人とかいっきゅうさんもかなりな癖ものですし、先輩のアニメーターの麻子先輩とかね。誰からも好かれ誰からも褒められ、いい人ばかりに囲まれている絵空事よりも色んな人がいるけど、それもまた個性と割り切り嫌われても、まっそれも人生と達観出来れば随分と生きていくのも楽なのに。民放で、凪のお暇という漫画が原作のドラマが注目されてます。私も注目していますくるくるパーマの主人公の凪が、毎朝1時間もかけ体裁の良い、サラサラのストレートヘアに整えて会社ではひたすら空気を読んで、相手が嫌がらない言動でいたけど、同僚の女性らには体よく扱われて彼氏の言動も誤解から、過呼吸で会社で倒れて病院に運ばれても、心配だというお見舞いの言葉も全くないのにプッツンして、会社を辞め、家財一切捨てて、布団一つを背負って自転車で東京郊外の安アパートに引っ越し。もうくるくる天然パーマでも適当な服だって、誰も何も言わないしと・・・主人公は毒母に育てられたそうだし、元カレも愛人が何人もいる父とか、行方不明の兄もいて崩壊した家庭に育ったみたいで、安アパートの住民も、シングルマザーで懸命に働く母親と安アパート暮らしがばれないようマンションで友達とバイバイする娘目の前の人は誰にだって優しくしちゃうメンヘル(精神的に不安定)製造機のゴンちゃんとクラブ仲間たち。他にも色んな人生をおくる個性的な人たちが出てきて、なつぞらよりは、しっくりくるようななんでも夏ドラマは韓国ドラマのリメイクが3本あるそうだし、あいかわらず警察モノ、医療モノばかりだし。硬派な企業系も苦手だし、見たいと思うドラマが限られてしまう。学園ものもないし妙齢の女子主人公の、恋愛と家族の絡んだドラマばかりを見ているルパンの娘や、朝顔とか、偽装不倫といった感じその中では、↑凪のお暇が一番好きで録画をしたものを見たらすぐに消すのに、今回は見てもそのまま消していない。秋にもう一度、見たいなぁ~なんて思ったりもしてるそうそう7月下旬に、午後の紅茶のセミナーで名古屋のホテルに出かけた時、午前中の時間があいていたので、ヒット中だというディズニー映画の「アラジン(実写)」も見てきましたよスピード感あふれる映画でした更に8月に入って、娘のお付き合いで新海監督のアニメ「天気の子」も見てきましたよ~。画像は綺麗ですね。雨の表現とかさて明日はいよいよ地元の岐阜県代表の中京学院大中京の登場だ。テレビ観戦に熱も入りそう 平成31年1月5日に撮影にほんブログ村
2019年08月10日
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やっと、長かった梅雨が終わった(東海地方)既に今期の夏ドラマも3話位は終わってるし夏の高校野球の代表校も決まった(東海地方)岐阜県代表は、お馴染みの中京学院大中京で3年ぶり7度目(春の選抜は5回)の出場だが愛知県代表は、愛工大名電や中京大中京といった強豪を打ち破って、ノーシード校で小牧市にある私立の誉高校が創部37年目にして初優勝。甲子園の舞台へと駒を進める事となった監督就任10年目の矢幡真也監督は「信じられない。野球の神様っているんだなと。勝ち上がっていくごとに付けた力は本物だった」と答えたそうだが、この監督は岐阜県美濃加茂市で家業の電気屋さんを営んでいるそうだ電気機器の納入で誉高校に出入りしている中で監督に就任して、電気屋さんと二足の草鞋を履いているそうだ。1990年には自身もエースとして甲子園に出場をされているんだとか。そんな縁から誉高校も注目しているさてさて写真の方は動物である。夏場の暑い時期の動物園などは、暑さで動物がだらぁ~~~~~と寝てるくらいだけどこの写真の動物たちは、真冬の今年1月5日に出かけた時のものだ月に数回くらいしか日記更新をしない中今年は上海旅行や、北陸のお花見旅行も複数回だったので、結構な写真がお蔵入りしてしまっている。世の中では夏休みも始まっているので、動物園の写真を放出春の名古屋港水族館の写真も、涼しげなクラゲやイルカの写真もあるし、二本足でユニホームを着たコアラ・・・いやドアラのナゴヤドームの写真だって、オープン戦もゴールデンウィークの試合も出かけており8月にも行くのにお蔵入りう~む。昨年春の北海道旅行のはどうするつもりなんだ! もう旅行の内容も忘れかけているというのに。腕組をするシャバーニ鼻がカユイ足の指も嫌な感じ何気にオランダ生まれのシャバーニだけど他のゴリラファミリーの名前は、普通っ!寧々に清正?流し目がおちゃめなシャバーニだった。この時には新しくなったゴリラ舎でくつろいでるシャバーニを見に、東山動植物園に出かけた訳でしてまるで回転寿司だか、国民的アニメのサザエさんを思い出すような海鮮系の名前が付けられたサルたちこの子はなんて名前なんだろうマレー熊なんでしょうかねかなりワイルドです爪もすごいし。木登りや穴掘りが得意なんだって木登りをするタヌキ。へぇ~タヌキって木を登るんだ!と見ていたら、これって珍しい事らしくって。ネットによれば力の弱い2匹が木に逃げるうちに、登れるようになったそうだが下手くそ。降りるのは更にモタモタ冬のお天気の良い日などに、運が良ければ見ることができるそうだ。地味なりに東山動植物園で話題になっているタヌキさんを見る事が出来て良かったうちのあたりでも野生タヌキもいたりするが東アジアの一部地域しか生息せず、海外では希少動物。シンガポールではパンダ級の人気があるそうだでかい猫ちゃんにしか見えませんがなんでも世界最古の猫であるマヌルネコという珍しい猫ちゃんで、国内で5つの動物園でしか飼育されていない上が気になっているようですこちらは大阪のおばちゃんが好きな柄のねこちゃん大あくび~こっちは大阪のおっちゃんが好きな柄のねこちゃん。私は幼稚園から帰ってきた夕刻にトラだ!トラだ!トラになるのだという覆面レスラーを思い出しますがこっちはわんちゃんですね。(狼です)東山動植物園には、かなり狼がいます象です。最近、新聞に象がダイエットに成功をしたという記事がありましたがどの象かわかりません。4600キロと太り気味だったのが1年間で260キロ痩せたそうですごろんとサイ隅が好きみたいですカバは中に入りたいのかなヤギもシマウマも隅の方でのんびりと野球観戦くらいでしか使わない望遠レンズ動物園でも大活躍。とはいってもお得なスターター一眼レフセットに付属してるような望遠レンズなので、あまり大きくは撮れませんが入場料も安いし、名古屋の地下鉄駅にも近く交通の便も良いので、何かの用事のついでに年に1度は東山動植物園に出かけます丘陵地のアップダウンもある広い敷地をてくてく歩くので健康にも良いですしね望遠レンズも使えますしやっぱ小動物はかわいいですね。プレーリードック、耳、小っちゃ! 暑い夏がやってきました。皆さん、ご体調には十分に気をつけて、お過ごしくださいませ 平成31年1月5日に撮影にほんブログ村
2019年07月30日
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さてさて以前に、片岡物産とスーパーとの協賛キャンペーンで当たり、名古屋駅前のホテルで開催をされた、トワイニング紅茶セミナーに姉と出かけたのだが(詳しくは↓リンクからご覧下さい)13日の金曜日にマリオットアソシアでトワイニング紅茶教室。そして落花生と大魔王。今度はキリンビバレッジとスーパーの協賛キャンペーンが当り、午後の紅茶セミナーの為、名古屋の金山駅前にあるのANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋に、姉と出かけてきた。午後の紅茶だけに午後1時~3時(終了予定)と午後の開催だネット検索をすると、かなりボリュームのあるアフタヌーンティーだというので昼のご飯は抜いての参加。なんでも、この懸賞の当選倍率は1690倍!だって言っていたような。そんなに? それとも応募総数が1690通だったのかな? かなりの狭き門だったそうである応募はスーパーで午後の紅茶(各種)3本を購入したレシートをハガキで送るタイプで私は2口、応募をした。キリンビバレッジの午後の紅茶の製造担当の方が、使われている茶葉や製造過程の様子などを、詳しく説明をしてくれたウェルカムティーは午後の紅茶と同社販売のトロピカーナのグレープフルーツを使用したアイスティーを貰った。こういったひと工夫でおうちカフェもグレードアップもするだろう紅茶コーディネーターの女性が、茶葉を使った美味しいミルクティーの入れ方を実践して教えてくれた。わかりやすいよう透明容器だが、本当は陶器のポットがさめにくいので良いそうだ勢いよくポットに水を注ぎ、酸素を多くし適温は、大きく表面が波打ってきた沸騰の寸前である97度。ポットにお湯を入れてからちゃんと測った茶葉を入れ蒸らしますするとポットの中で茶葉が浮いたり沈んだりジャンピングをするそうで使用するミルクは低温殺菌牛乳がおすすめだそうで、先にカップにそそいでおき、後から紅茶を入れて完成。砂糖とか無くてもそのままでも、ミルクティーは飲みやすいですね。食べ物にも合うそうだ午後の紅茶のパッケージの貴婦人であるが七代目ベッドフォード侯爵夫人のアンナマリアといい、英国でアフタヌーンティーを広めた実在の女性であるそうだ。それまで英国貴族は男性は狩りなどに出かけるので朝食と夕食の二食だったそうで、小腹が空く午後遅くに軽食をとり始めたそうでスコーンやサンドイッチ、様々なものが紅茶に添えられており、昨今は日本でもホテルや喫茶店などでも食べる事が出来ますが、お値段もそこそこするので私は利用をした事がなかったんです。お昼を抜いて良かった~名古屋のホテルだけに、名古屋市西区則武(のりたけ)新町に本社・工場のある世界最大級の高級陶磁器メーカーであるノリタケカンパニーリミテドのティーカップを使用一人一人に、様々な午後の紅茶ボトルのお土産も貰った。そんなご招待での紅茶セミナーの他にも少し前に娘と出かけたのは、いつもの娘の会社が入っているジョイセブンでの有料(二人分で3700円)のコーヒーセミナーで、お馴染みのスターバックスパッケージ地元で行われたセミナーは、幾つかあるスターーバックスセミナーのうちで初級おいしい入れかた編。老若男女かなりの方が参加をしていたテーブル毎、数名にスターバックスの方がついて下さり、コーヒープレスを利用してのものだったけど、うちはペーパードリップだしなぁ。コーヒープレスならまず誰でも失敗なく美味しく入れれるそうだもちろん入れ方だけでなく、初級編だけにコーヒー豆の産地や、その特徴のような事も詳しく紹介をしてくれたこのような様々なコーヒーの飲み比べとかなかなか出来ないかも。冷めてくるとまた味も違ってくるそうだし最初の午後の紅茶の時もだけど、今回もお菓子とかのマリアージュ。チョコが使われたお菓子にはこのコーヒーとか食べ合わせがあるそうだアメリカンスコーンチョコレートチャンクこだわりのチョコは、コートジボワールやインドネシアに、タンザニア、コロンビアドミニカ産のカカオを配合したものだとかセミナーではこういった種類のコーヒーを飲むことが出来たが、このシールだけども実際に飲んだり、お豆を購入するとお店で貰えるそうで、コーヒーパスポート(これも貰えるらしい)に貼ってコレクションするこちらでもお土産に東京ローストというコーヒーを貰ったけど、今春にオープンしたスターバックスの話題の新店舗であるスターバックスリザーブロースタリー東京で焙煎されたものだそうだおうちカフェ。そうそう春先にドラッグチェーンで、娘からこれはお得かもしれない♪とねだられ、半分ずつお金を出すという事で買ってきたのがネスカフェ・ドルチェグストのシリーズでインフィニッシマ本体とカプセル3箱に付録マット付きスターターセット2980円也ドルチェグストのカプセル自体でも、一箱900円位はするので、そう思うと本体代は300円とそちらがおまけのようなモノだしお湯で溶かすだけのブレンディステックに飽きてきたので、これいいかもキッチンテーブルの横に、前からあった引き出し付きのミニテーブルが、そのままドルチェグスト専用のテーブルとなったし横にコンセントもあるので、ちょうど良いやっぱ美味しいですよ。そんな訳で春から本格的におうちカフェも、グレードアップこのドルティグストの専用カプセルですが前々からスーパーや、ドラッグストアの特売コーナーで見かけていたので、それ購入すればいいやと思っていたら案の定ひと月に1回程度で半額のものを近くで見つけられて、お得に利用も出来るし♪定価で普通のものは16杯(ラテ系とか8杯)なので、1杯単価は50円ちょい(ラテ系100円ちょい)かかるけどそれが半額で購入出来たら、うち的にはありがたいし名古屋へ出かけた時に大手電化品チェーンでたくさんの種類のカプセルの売り場があって見切り品が3割引きになっていたので、購入見切り品の消費期限だが一番短いものでもニケ月はあり、長いものでは秋以降のもめんどくさがり屋の私でも、マシンのお手入れや操作は、超簡単なので嬉しいこの耐熱グラスとか、ネスレの景品だし大活躍をしているとか言いながら、朝から食後にカフェタイムな我が家なので、高価なドルチェグストだけじゃ間に合わないし、味も飽きるといけないので今まで通りに色んなものも。春にスーパーのオークワでコーヒーなど、どれもこれも半額になってたので大人買い。消費期限も1年以上のものばかり更に、午後からはカフェインレス(デカフェ)娘の好きなハーブティーなども半額だったので、こちらも大人買い。しかも消費期限は2021年夏と、2年以上先なのはありがたいウィスキー人気で原酒不足となって、各社の安めの商品が販売休止になったが、そういったサントリー白角や、キリン富士山麓がドラッグチェーンストアの売り場からなくなる前、お~3割引きになってるし~!3月15日、スーパーのホワイトデー用の売り場の撤去前に、普通の酒売り場には置くスペースがないのか、ワインとかがどれもが半額♪日本酒だって2割引きで購入。加賀鶴・・金沢のお酒らしく、加賀藩の御用達の酒蔵だったらしい。こうして我が家の今春は半額祭りだった 令和元年春から初夏にかけてにほんブログ村
2019年07月25日
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なかなか梅雨明けしません。昨年7月のあの猛烈な暑さが嘘のようです。うだるような暑さの大相撲名古屋場所も、嘘のような涼しい梅雨空の下で行われましたそんな7月の半ば、17日のお話です旦那の運転で、娘も乗せてのいつものメンバーで、朝早くから出かけた先はいつもの三澤珈琲塩尻店午前9時をちょいまわってのモーニングサービスで、これは580円の一番高いセットです。コーヒーも付いておかわり1杯出来ます旦那は480円のセット。100円の違いはサラダと果物のあるか、なしか娘はトーストのみ付いた380円セットにヨーグルトをトッピング。これ100円もしないのに、すごくボリュームがあります無論、みんな珈琲のお代わりをしてノンビリ昨今の原材料高騰で、ちょっぴり値上げをしてました朝ごはんも食べたので、まずは直売所で目的の一つの果物の買い出しを。やはり午前中に出かけないと果物もなくなってしまいますし、道の駅今井恵の里へGO!1000円以上の購入で、くじを引いたら農産物の収穫体験のチケットが当たりましたそして今回のメインイベント、松本市波田のこの時期に開催されるスイカ村へ。ここにこないと、我が家の夏は始まりません。というか梅雨明けいつになるやら・・・JAまつもとハイランドの販売所の他にも地元の農家さん3軒が、直売されておりそれぞれで試食出来るのですが、売り子のお母さんの、美味しい?との問いかけに小さな子供の、向こうの方が美味しかったという忖度なしの返事には、苦笑スイカ村を後にして、最初は松本市街地のイオンモールに出かけるつもりでしたけど市街に入る道がぴたりとも動かないような大渋滞で・・・これは無理だ~とわき道にそれてやってきたのは、美ヶ原温泉の近くにあるワイナリー。駐車場に運がつく場所がここも松本に来たら、ついつい立ち寄りしちゃいますここの試飲コーナーは一番、飲みやすい失礼、ワインが美味しいのです3000円クラスのもありますし、普及品は年度別のもあるので、飲み比べも出来ますし今回は利用しませんでしたが併設をしているレストランで手ごろなランチをワイン付きで楽しめます野菜の直売所もあります。既に今井で購入したのに、ここのブルーベリーの方がでかくて安い!と、買い足しも次は安曇野に出かけたいので、松本市街に入らないように、東端の美ケ原温泉から浅間温泉に抜けて、岡田から北へ抜けたのですが、たぶん岡田神社の参道のものかな立派な樹や鳥居安曇野へやってきた目的は、娘がネットで見つけたもので、大雪渓酒造の蔵元直営店「花紋大雪渓」がなかなか良いというのでこれは行くしかないなっと・・・お~奥様たちで賑わっているよ何を賑わっていたかというと、店頭に甘酒の試飲コナーがあったので。これなかなか美味しかったです♪もともと大雪渓は、お気に入りのお酒ですしね平成30酒造年度の全国新酒鑑評会では出品857点からの入賞酒416銘柄のうちで特に成績が優秀だという金賞酒237銘柄にも選ばれたようですこれが金賞受賞酒のようですね。桐箱に入っているんですか! 税込み4860円みたいですよこちらは全日本国際酒類振興会レギュラー酒コンクールで、特賞第一位になったお酒のようですよ。今年のワイングラスでおいしい日本酒アワードのプレミアム純米部門で最高金賞も受賞(素晴らしき平成・純米吟醸)したようですが色んなコンクールがありますねこちらはレジ横に試飲コーナーがあり右側のお酒も、お店の方からついでもらえます明治31年(1898年)創業の大雪渓酒造ですがアルプスの銀嶺の下で、豊富な湧き水と 広大な安曇野の穀倉地帯で「桔梗正宗」「晴光桜」の銘柄で地元で親しまれてきたそうです昭和24年に「大雪渓」と改め、昭和28年には全国新酒鑑評会で最優秀賞に輝き、当時の皇室献上酒に選ばれたそうで、当時の杜氏であった方は後に黄綬褒章を受章されたそうですよ3年前に築150年の蔵元の主屋が、蔵元直営店花紋大雪渓としてオープンしたそうで、安曇野に新たな観光&お買い物スポットが出来ました♪そのすぐ北側にあるのが道の駅池田でして、時期的にラベンダーが咲いていそうなので、立ち寄りましたこんな感じでした。香りもしてましたこれで天気が良ければなぁ~北アルプスなども綺麗に見れただろうに・・・ラベンダーのソフトクリームを食べてみました。ハーブがいい感じだと言いかなり娘に食べられました敷地内にはてるてる地蔵も。童謡のてるてる坊主の作詞者の浅原六朗は、池田町の出身だそうですよ。それにしても長野県には童謡の作詞作曲者が多い。作詞家では他に小鹿のバンビの坂口淳や、お猿のかごやの山上武夫作曲家の方は、お猿のかごやとかからすの赤ちゃんの海沼實、夕焼小焼やゆりかごの唄の草川信、てるてる坊主やシャボン玉の中山晋平。童謡ではないが、オリンピック東京大会ファンファーレの今井光也とか東京ディズニーのパレード曲の岩垂徳行そしてジブリ映画で有名な久石譲も信州出身だ。ラベンダー畑の横には足湯もあった国道19号線は、松本付近で大渋滞をしそうなので、スイカ村などもある西の方の道を南下する事にした。この道沿いには、かんてんぱぱの安曇野店などもあるのが楽しみだ最近は伊那の方ではなくて、こっちに来店する方が多い位だ。ここにくるといつも新製品などもあって、楽しいが善光寺参道の唐辛子で有名な、八幡屋磯五郎によるかんてんぱぱコラボ缶があった。直営店限定販売のようだし試食コーナーには黒ゴマ水ようかんという食べたことのないのがあるので早速、試食させていただいた。無料のコーヒーや、お茶なども用意がされて雑誌もあり、のんびりと一服できる山辺のワインも大雪渓も、かんてんぱぱ商品もまだ家に在庫もあるので、今回は購入を見送りましたが、ブログで紹介をさせていただく事で、試食&試飲のお礼とさせてください(オリンピックチケット代金の支払いで金欠)試食だ、試飲だとやっているうちにもう午後2時過ぎ。ランチ営業も終えているけど、こんな時間でも蕎麦屋はよく開店してたりする。スイカ村の近くに前からこのお店があるのは知っていたが、一度も立ち寄った事が無かった、新村の松花へきっかけは最近やっていた「出発!ローカル線聞きこみ発見旅」のアルピコ交通上高地線でこのお店が紹介され、ボリュームがある上にしかも安い定食に家族は釘付け。気取ってて量の少ないお蕎麦が嫌いな旦那の行きつけになりそうだ。これで800円台だったかな更に、番組中の蕎麦屋なのに松本平のローカルフードの山賊焼きがうまい!とのフレーズに肉好きの娘が反応。単品で山賊焼きを頼んで私の丼いっぱいのとろろ飯を、半分食べてた娘や旦那いわく、今までで食べた山賊焼きで一番好みらしい。山賊は旅人の物を取り上げ鳥を揚げるので=とりあげる山賊焼きであるこうして今年もスイカ村で試食をし、お安い訳ありスイカ(形が悪かったり、中が割れている)を1600円で購入。中は割れていたがとても甘くて美味しかった更に道の駅で採れたての桃や、ネクタリンラズベリーなど果物をいろいろと買ってブルーベリーは最初の道の駅の他、でかくて安いからと山辺で買い足し、更にはツルヤで見切りの安くなったアメリカ産までも買って食べ比べ状態に。最後のお菓子はラベンダーの咲いてた池田の道の駅で買いました 令和元年7月14日に松本平で撮影にほんブログ村
2019年07月22日
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日帰り旅だった割に、中身が濃かったので3回に分けての旅日記。今回は伏見稲荷の後半戦と、八つ橋屋さんへの立ち寄りを紹介したいと思います。更に帰路では・・・前回のスタートに紹介をした表参道にある大きな鳥居の下の狐の像は、本当は参拝の後の帰り際に立ち寄っただけで、実際には北側の神幸道(浦参道)から、伏見稲荷に向かいましたきゃ~、なんだこれは!といった混み具合で千本鳥居は、人だらけになるんじゃないかと心配をしたが全員がそちらに行く訳でもなく知らないのかな? 興味がないとか? 鳥居は願い事が「通った」というお礼で奉納される千本鳥居とか言うが、実際には奉納をされた鳥居の数は1万基位あるらしい。そんなお金はないというなら、気軽に、鳥居の絵馬を買って奉納するのも良いかもしれない。朱色は魔を防ぐと言うが、伏見稲荷では稲荷神の力である豊穣を表す色であるそうだ白狐さんの絵馬は馬みたいなのや、ジャニーズみたいなのも、思い思いに描かれている。時間があれば、私もイケメンのお狐様を描きたいのに羽生ユズや及川ミッチーとか、星野ゲンあたりかな。お公家さんの烏帽子が似合いそうな気もさてさて奥社参拝所の境内には、おもかる石があり、願い事をしてから石を持ち上げて思ったよりも軽いと感じれば願い事が叶うし、重いと感じれば叶わないというので、幾人も並んで順番を待っていた私も持ち上げてみて、軽くも重くもなくってま、これ位だろうな~ってのはどんなもんでしょうね。業の深い人はどんな力持ちでも持ち上がらないんだとかこちらは利き腕でない方で、小石を投げてうまく穴を通れば願いが叶うという「投げ石占い」で、こちらはやらなかった。利き腕でも入りそうもないし江戸期の国学者で伏見稲荷大社の社家の出の荷田春満(かだのあずままろ)を祭っている春満は賀茂真淵の師であり、本居宣長らと並び国学の四大人の一人でもあるそうで、学問の神様となった前回のコメントで、お稲荷さんは怖いというものがあったが、これは神仏習合の荼枳尼天(だきにてん)は白狐に乗る天女の姿で表されるが、起源であるインドのダーキニーは裸身で虚空を駆け、人の心臓を食らう夜叉であった為である(なんだか鬼子母神を思い出す)無論大日如来(毘盧遮那仏)が化身した大黒天にの霊力に心服して善神となり、名だたる戦国武将が信仰していたあとお稲荷様は願い事が叶うと、ちゃんとお返しをする必要があると言われ、それで伏見稲荷大社でも沢山の鳥居が建っている訳だが、私の子供の頃も失くしものを探す時に、近くのお稲荷さんで願って出てきたら油揚げを(袋から出し)お礼にお供えしていた日本三大酒どころといえば、兵庫の灘に広島の西条、そして京都は伏見という訳で月桂冠や松竹梅、黄桜など全国でも名の知れた日本酒の酒蔵が並ぶ。でも大関や白鶴、沢の鶴とかは灘のお酒だけど。その飲み口の違いから灘はキリッとした辛口の男酒で、伏見は柔らかな甘口の女酒らしい明治期に建てられた能舞台(神楽殿?)ではこの後に、ちょっとした神楽?の演奏がされ演者の写真&動画撮影は禁止だった何やら、由緒ありげな日本家屋があった↓詳しくは、このような感じだそうである社家(しゃけ)についてウィキペディアによると・・・・>社家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々>特定神社の神職や社僧の職を世襲してきた家>(氏族)のことである。明治維新後、現代まで>世襲している神職家のことをいう。有名なのは出雲大社の千家で天穂日命を初代とし84代の千家尊祐氏の長男である、千家国麿氏が高円宮憲仁親王の次女の典子女王と結婚をされた伏見稲荷大社の社家の場合、前に紹介した荷田氏と、渡来系の秦氏の両家の分家を合わせ15家があった。3家は境地に居住し、12家は社頭に居を列ねたそうだ現存する旧社家は大西家である。そうそう海外の人に千本稲荷が知られたキッカケだが、ネットによるとチャン・ツィイー主演の映画「SAYURI」で主人公が子供時代に、ここを駆け抜けるシーンがあったからだとか↑ユーチューブ予告編でも千本鳥居のシーンがある他に嵐山の竹やぶも出てくるし。それにしても中国女優がゲイシャを演じるとは・・・伏見では粘土を産しており、古くから土師器が焼かれ稲荷山の土に物を利する霊験があると言われ、江戸期には、京都を経由する旅人や商人、西国大名の参勤交代行列により伏見人形は日本各地に伝わって、それぞれの土地の土人形・郷土玩具の原型となったそうだ。蔵元はかつては数十あったが衰退し、今では「丹嘉」一カ所だけらしい伏見稲荷の名物グルメは小鳥の丸焼き(雀)だけど、それは苦手なので、ガイドブックで見つけた、いなり煎餅を購入する事にしたキツネのお面は、よく名古屋のどまつりで豊川方面の踊り手が、つけていそうな感じ鳥居のマスコットの横には、相撲レスラーのTシャツがどすこい。名古屋場所が始まっているが大関が次から次に離脱で、結局は横綱になってしまうのかこちらはJR奈良線の電車で踏切では、レンタル着物女子も待っていたそして今度の踏切は、京阪本線の電車のだ踏切の横にあった京阪電車の伏見稲荷駅にはこんなカワイイ、看板キツネがちょこんとお出迎えしてくれていた駅横には、どど~んと白狐のコインロッカー白狐の自動販売機駐車場の近くには忍者~。特に伏見稲荷に関係もないと思うが、外国人受けするのだろう。でも近くの伏見城には甲賀忍者も馳せ参じているそうだから、まっいいかそういった訳で、最後に立ち寄ったのはお買い物タイムと言う訳で、江戸後期の文化二年創業の老舗「井筒八つ橋本舗」だ生チョコレートとか生キャラメルと同様で本来の八ツ橋はカタイおせんべいであった箏曲の祖である八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説や伊勢物語の第九段「かきつばた」の舞台である「三河国八橋」にちなむとする説などがあり聖護院八ツ橋総本店、本家西尾八ッ橋、聖光堂八ツ橋總本舗、八ツ橋屋西尾為忠商店、おたべといった総本店や本家や本舗がいろいろ・・・「夕子」は、 水上勉の小説「五番町夕霧楼」の主人公、片桐夕子から名付けられたそうだ京都八つ橋商工業協同組合に属すのは14社で聖護院八ツ橋総本店のお嬢さんが伏見の酒蔵の御子息と結婚したとか、昨年の葵祭の斎王は本家西尾八ッ橋のお嬢さんだとか京都においてかなりウェートの高い業界、お家柄らしいうちの娘はあんこが苦手なので、短冊形の生の八つ橋や、カタイ本来の八つ橋の方が好きだ店舗の前のお水だが、ちょっと読みにくいが↑こんなお水らしい店の前にはなぜだか坂上田村麻呂像についてネットニュースに紹介がしてあったのでリンクを↓。詳しくはこちらをご覧ください「滋賀と京都が一丸に」 坂上田村麻呂像が除幕式そして天智天皇(中大兄皇子)の石像もあった白村江の戦いで大敗し、飛鳥より近江国大津に遷都をした天智天皇は、「扶桑略記」によると馬で山科に行き行方不明になり、そのまま戻らなかったとされ、沓が見つかった山科に陵墓が造られたと言われてもいる>東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭>茶屋追分)を発祥の地とする。寛永年間(1624- >1644年)のころに仏画として描かれ始めた。当初は>信仰の一環として描かれたものであったが、やがて>世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・>風刺的な道歌を伴うようになった。ウィキペディアより八つ橋の他に大津絵も売っていた。ちょっと欲しかった>大津算盤(おおつそろばん)は、日本式のそろばんの>ルーツ。かつては「算盤といえば大津、大津といえば>算盤」と全国的に名を馳せた。現代のものと異なり、>五つ玉が2つある。(中略)現代において生産高8割を>占める播州そろばんは、 天正年間の三木城落城に>際して大津に避難してきた人々が、技術を習得し>持ち帰ったものである。 ウィキペディアより江戸期の京都付近の街道は、人や馬の通る人馬道とは別に、二列に花崗岩の車石が敷かれている一種の軌道(車道)があり、その上を牛車の車輪が通ることから輪通り石、輪石、輪形石などと呼ばれていた石の右上に恵比寿さんが浮き出ているそうだこうして宝石店、宇治で昼食、伏見稲荷大社井筒八つ橋本舗追分店(本店は京都祇園)とまわって、京都東インターからバスは名神に入ったが10分もしないうちに大渋滞となり、全く動かなくなってしまった。すぐ先で、外国人観光客を乗せた大型観光バスが渋滞する車列の最後尾に突っ込み、死傷者も出た大事故が起き救急車や消防車が幾台も路側帯を走って行った遠くに赤色灯が見えるくらい事故現場は近くであと時間が少し違えば、事故に巻き込まれていたかもしれない2時間程の通行止めとなったが、1時間ほどしてすぐ横の草津パーキングエリアにバスが駐車したのでトイレなどの心配はなかった。通行止めが解除されると、パーキングエリアから本線へと戻ったので、事故の現場を通過する事もなかった本当に事故は他人事じゃない。今回も500円の任意の保険に入ったが、これからも保険はかけておこうと思った予定よりも2時間程遅くなって、夜遅くに自宅に到着。無料で貰ったのはパックシートが3枚と八つ橋1つ自腹で購入したのは井筒の八つ橋と、生八つ橋蕎麦ぼうろと、伏見稲荷で購入したおみくじの入ったいなり煎餅。最後にお稲荷さんに油揚げをお供えするというのの由来は、ウィキペディアによれば>俗に「キツネの好物」とされ、故に稲荷神には>油揚げを供える。キツネの好物とされた由来には>諸説あるが、昔話などではキツネの好物はネズミの>油揚げとされており、殺生を禁じた仏教の影響も>あってかわりに豆腐の油揚げを供えたものという。 令和元年5月24日に京都で撮影にほんブログ村
2019年07月16日
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コンコンコン!と、このキツネが見たいと思っていた。伏見稲荷は以前にも何度か出かけた事があるが、いつも京阪電車の伏見稲荷駅からのルートで、このキツネの像のある入り口には行った事がなくってガイドブックか何かで、伏見稲荷の紹介でこのキツネの像が載っているのを見つけて一度、見てみたいなぁと思ってましたが今回は見つけられましたよ。口には金色の稲穂が・・・なかなか愛らしい顔をしてますこっちは前回で紹介したJR奈良線の稲荷駅の目の前にあるようですね。真横には大っきな鳥居があります。それをくぐって参道へとかなりの参拝者がおいでになるようですね。既にインスタ映えをすると、外国人観光客からは日本有数の観光スポットでしたし、修学旅行の生徒や日本人団体客などなど・・・さて今回のバス旅行では、徒歩10分近くはかかる観光バス用の駐車場で下車して、ほとんど一本道を自分たちで伏見稲荷(途中まで添乗員さんが引率)まで出かけ、集合時間前に下車した観光バス駐車場まで戻ってくるという自由行動で、時間も少し長めあまり広いとは言えない、街中の観光バス駐車場は次から次へと団体バスがやってくるので、下車時に10分以内に駐車場から出て、他の所で時間を潰し今度は集合出発時間の10分のみ、また駐車場に入車が出来るというシステムで添乗員さんから、早く戻ってきてもバスはいないし絶対に、集合時間には遅れないようにして下さいと念を押された。伏見稲荷までは迷う事はないにしても途中に京阪電車とJRの線路の踏切があるので、そのあたりの時間も考えて戻ってくる必要がある日本人は神社もお寺も、教会すらもあんまり抵抗のない宗教観だから、神社も平気で参拝をしてる人が殆どだと思うけど、様々な宗教を持つ海外の皆さんは神社仏閣、どんな気持ちで参拝されてるんだろうやっぱり文化財みたいな感じで、参拝ではなく鑑賞目的なのだとは思うが、伏見稲荷は京都の世界遺産には選ばれていない。赤い鳥居での写真がSNSで話題になって、海外の皆さんが押しかけているのだけど京都での世界遺産の神社仏閣は、次の通りで賀茂別雷神社(上賀茂神社) 賀茂御祖神社(下鴨神社)教王護国寺(東寺) 清水寺 延暦寺 醍醐寺仁和寺 平等院 宇治上神社 高山寺 西芳寺(苔寺)天龍寺 鹿苑寺(金閣) 慈照寺(銀閣) 龍安寺 西本願寺 二条城唯一、苔寺だけ行ったことが無い。ここは予約も必要だし、拝観料もお高い事もあって、なかなか行こうという気持ちにもなれなくて。修学院離宮や桂離宮とかも事前に予約が必要だが、無料なのでしっかり出かけた事があるうちの息子など友達と奈良に出かけた時に、東大寺大仏殿の前まで行きながら拝観料が高いので、入るのやめたそうで、あそこまで行きながら~。奈良まで行ったのに・・・と呆れたものだがわざわざ海外から京都へやってきた観光客には、予約も必要なく、参観時間もなく、しかも無料で、アクセスも良い神社は良い観光先であろう。ここ伏見稲荷と他にも八坂神社とかは、私も近くに行くとまず参拝をさせて貰っているし・・・さてさて、寺の門には阿吽の仁王さんがおいでになるが神社では「随身像(ずいじんぞう)」となる。向かって右が左大臣で、左は右大臣だそうで、左大臣の方が高位なので老人の姿をしており、右大臣は若かったりもする仁王同様に阿吽の口元をしているが、これはウィキペディアによれば>阿吽(あうん、サンスクリット語: अहूँ 、a-hūṃ)は>仏教の真言の一つ。古代インドのサンスクリットの>悉曇文字(梵字)において、a(阿)は全く妨げの>ない状態で口を大きく開いたときの音、m(hūṃ、>吽)は口を完全に閉じたときの音である。>悉曇文字の字母の配列は、口を大きく開いたa(阿)>から始まり、口を完全に閉じたm(hūṃ、吽)で>終わっており、そこから「阿吽」は宇宙の始まり>から終わりまでを表す言葉とされた。宇宙のほか>にも、a(阿)を真実や求道心に、m(hūṃ、吽)を>智慧や涅槃にたとえる場合もある。>阿吽は宗教的な像にも取り入れられ、口を開けた>阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の>一対の像は、神社の狛犬(本来は獅子と狛犬の一対)>などにみられる。また、寺社の金剛力士像(仁王像)や>沖縄のシーサーなどにも口を開けた阿形と口を閉じた>吽形がみられるキツネばかりの伏見稲荷でも、普通の神社のように狛犬もいた。さてさてお稲荷さんでキツネがいるのは前回の宇治神社でのウサギみたいなエピソードでもあるのだろうか。そんな訳で伏見稲荷大社についてウィキペディアにどう書いてあるかを紹介すると>伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府>京都市伏見区深草にある神社。旧称は稲荷神社。>式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。>旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない>単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を>神域とする。>全国に約3万社あるといわれる[1]稲荷神社の総本社>である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を>集める(日本国内第4位〔2010年〕)。現存する旧>社家は大西家。祭神は以下の五柱。これらの神々は>稲荷大神の広大な神徳の神名化とされている>主祭神である宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦>大神を中社、大宮能売大神を上社に据え、明応8年>(1499年)に本殿に合祀された左右の摂社、田中>大神・四大神とともに、五柱の神を一宇相殿(一つの>社殿に合祀する形)に祀っている>稲荷神は元来、五穀豊穣を司る神であったが、時代が>下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・>芸能上達の守護神としても信仰されるようになった>摂社の祭神、田中大神と四大神については由緒が>はっきり分かっておらず、伏見稲荷大社では「稲荷神と>何らかの深い関わりがある地主神、あるいは土着神>的傾向が濃厚」としている>下社の摂社に祀られる田中大神は、その名のとおり>田の神ではないかと考えられるが、かつては大己貴神や>猿田彦神、鴨建角身命などとも同一視された。中社の>摂社に祀られる四大神についても諸説があり、一柱の>神名なのか、四柱の神の総称なのかも明確には分かって>いない>「イナリ」の縁起としては『山城国風土記』にあったと>されるものが有名である。(中略)秦氏と賀茂神社との>関連や、秦氏が和銅年間に稲荷社の社家となったことを>伝えている。社伝には、当時に全国的な天候不順で>作物の不順が続いたが、勅使を名山大川に遣し祈請>すると加護があって山背国の稲荷山に大神を祀ると、>五穀が稔って国が富んだ、とも伝えている。>上述の『山城国風土記』に見られるように、「イナリ」の>表記はもともと「伊奈利」の字が当てられていたが、>『類聚国史』にある淳和天皇の天長4年(827年)正月>辛巳の詔で初めて「稲荷」の表記が用いられた(中略)>また、東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』では(大意)>ある書物では、100年の昔の和銅年間から竜頭太という>者が稲荷山の麓に家を構えて住んでおり、昼は田を>耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。>その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり>夜でも昼のように明るかった。姓は荷田、名は竜頭太と>いった。これは稲を背負っていたからという。(中略)>空海はその顔を面に写し神体として祀り、それからは>収穫が絶えることがなくなった。この面は東寺の>竃戸殿に祀ってある。この竜頭太という山の神こそが、稲荷神であるそうだちょっとまて。弘法大師は出てきてもキツネは出てこないという事で、ウィキペディアで続きを・・・>稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、稲を象徴>する穀霊神・農耕神。「稲荷」とは食物の神(ウカノ>ミタマ)、キツネ(御食津神)、油揚げ、稲荷寿司>旅芸人が町回りで立てる細長い旗などを指す言葉。>「稲成り」の意味だったものが、稲を荷なう神像の>姿から後に「稲荷」の字が当てられたとされる。>もとは古代社会において、渡来民の秦氏から伝わった>氏神的な稲荷信仰であり、秦氏の勢力拡大によって>信仰も広まっていった。本来の「田の神」の祭場は>狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の>穴)だったと推測されるが、>近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が>広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった。五穀を>つかさどる神・ウカノミタマと稲荷神が同一視される>ことから、伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社では>ウカノミタマを主祭神としている>稲荷は穀物・農業の神だが、現在は商工業を含め産業>全体の神として信仰されている。稲荷神は神仏習合>思想において仏教の女神である荼枳尼天とも習合した>ため、仏教寺院で祀られることもある。稲荷神を祀る>神社を稲荷神社と呼び、京都市伏見区深草にある伏見>稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本宮>となっている。伏見稲荷大社では、狐は稲荷神の神使と>される>伏見稲荷大社は狐を稲荷神の神使とし、稲荷神そのもの>ではないと述べていたり、また最上稲荷は白狐を稲荷神>(最上位経王大菩薩)の御眷属(お使い)と述べて>いたりするように、一般的に寺社においては祭神と狐は>区別されている。民間伝承においては、稲荷と狐はしば>しば同一視されており、例えば『百家説林』に「稲荷と>いふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が>記されている。>また、稲荷神が貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・>御食津)、野狐、狐、飯綱と呼ばれる場合もある。 日本>では弥生時代以来、蛇への信仰が根強く、稲荷山も古くは>蛇神信仰の中心地であったが、平安時代になってから>狐を神使とする信仰が広まった。稲荷神と習合した宇迦之>御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の>古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と>当て字したのが発端と考えられ、>やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。なお、>「三狐神」は「サグジ」とも読む。かつて「シャグジ(石神)」>または「三狐神(シャグジ)」であった岩屋(神)が、後に>稲荷神・ウカノミタマを祀る神社となった事例もある。時代が>下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の>格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と>呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。>上記されているように稲荷神は元々は農業神であるが、>狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や>尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の>使いに位置付けられたとも言われる。江戸時代に入って>稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるように>なった。またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、>流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。>また仏教の荼枳尼天は、日本では狐に乗ると考えられ、>稲荷神と習合されるようになった。今日稲荷神社に>祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)であると言った事らしいです。ハイ・・・・。といった事を長々、説明しているうちに写真は有名な千本鳥居へこのフォトジェニックな朱色の千本鳥居が大人気でトリップアドバイザーで日本の観光地ランキングでは1位を誇っている(2位は広島の原爆資料館)。海外の方の姿も多かったけど、老若男女を問わずたくさんの人で、この子たちは修学旅行中の男子学生みたいだがレンタル着物で京都をまわるのも楽しそうあちらの着物のお嬢さんは、海外からのお客様のようだ。外国の若い人に日本が人気なのも、このレンタル着物も一役買っているのかも。気候的に京都は夏はむちゃくちゃ暑いし、冬は底冷えだし桜の春に、秋の紅葉。5月も観光には適していたしかもかなりの良い天気日差しが鳥居の隙間から、差し込んで良い感じだしたくさんの人が訪れる伏見稲荷の鳥居だけど、狭い一方通行の千本鳥居の奥の方も、ずっと鳥居が続きそちらの方は人も少ない。まず海外の皆さんだけだ千本鳥居も、人がぱっと少なくなるタイミングもあったりするし、私はぐるっとまわってきて入口からもう1度・・・前に紹介した境内図にあるように、社殿の背後にある標高232メートル。一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰と三つの峰がある稲荷山が神体山で、朱色の鳥居で結ばれた先に様々な神様が祭られている。千本鳥居の奥にあるのが奥社参拝所(奥の院)からお参りが出来る前に娘と稲荷山をぐるっと参拝をさせて貰ったが今回はそのような時間がないので、ここまでで引き返すことにした。と言っても千本鳥居をもう一度、ぐるっと出来るだけの時間はあったけど表からなだと朱色だけで無地な鳥居も、帰りに裏側から見ると参拝者の名前と、奉納した日が書かれている。人の名前の入っているのとかはどうもなぁ~と思うところだが、漢字の読めない海外の方は、漢字がクールだとこちらの方が人気だそうだウィキペディアによれば>鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が>住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への>入口を示すもの。一種の「門」である。稲荷神社などの>鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を>表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、>これが鳥居にも影響しているとされる>鳥居の起源については諸説あり、考古学的起源に>ついてはっきりしたことは分かっていない。単に>木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると>考えられる。文献に徴すれば古くは「於不葦御門>(うへふかずのみかど)」(皇太神宮儀式帳)と>称して、奈良時代から神社建築の門の一種として>いる。いずれにせよ、8世紀頃に現在の形が確立>している。と言った訳で、前回にもましてウィキペディアによる説明文ばかりになってしまって申し訳がありませんでした。稲荷や狐、鳥居については少しは興味持たれたでしょうか。中身が濃すぎる無料招待の日帰りバス旅行、まだ1回あります! ではでは 令和1年5月24日に京都で撮影にほんブログ村
2019年07月11日
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さてさて前回の懸賞当選報告でも、少し紹介しました、いつもの日帰りバス旅行無料招待いつものように一人で出かけたけど、今回もとても良い方がお隣で、楽しい一日でしたよまずは、お決まりの宝石屋さんで90分間のショッピングタイム。誕生石クイズで当たりパックのシートを今度も貰いましたが、お隣の奥さんも当たった♪と、ニコニコされてましたこの宝石は、コンクールとかに出すやつらしく撮影が出来る入口の部屋で今回はお買い上げになった方がいるらしくその手続きなのか、バスの発車が遅れたので先程のパックのシートをバス全員にも配ってくれました。バスは木曽川を超え名神高速を西へと向かい昼頃には、昼食場所の京都の宇治に到着!家族旅行などを含めて、宇治は今までに数度は来ているが、嵐山同様に風光明媚でいいところだなぁ~川の畔の喜撰茶屋で、団体料理をいただきますが、今までは早くに食べても、土産物屋を見物する位でしたが、ここならお散歩に行けそうだし!お店のホームページを見たところ、たぶん1500円位のお料理かな。冷たくなった天ぷらは湯豆腐に投入し、温かで美味しくなりました。お散歩時間確保の為に早食いしちゃいまして集合時間までの時間はありますし、早足ではありますが、宇治の散歩に行くぞ~宇治に来ると、平等院が満足度が高いし抹茶パフェとか食べに行くので、実の話川の向う(東側)は行った事が無いのだまずは朱色の喜撰橋を渡る鵜飼いと言えば、岐阜市の長良川が有名だけど、ここ宇治でも鵜飼をやっているようだ。私は岸からだけど以前に嵐山で泊まった時に、遠くから鵜飼を見た事があるお~~、鵜がいるよ♪ 鵜飼についてウィキペディアで、紹介させて貰うと>鵜飼い・鵜飼・鵜養(うかい)は、鵜(ウ)を>使ってアユなどを獲る、漁法のひとつ。中国、>日本などで行われていた。現在では漁業という>より、観光業(ショー)として行われている>場合が多い。 また、ヨーロッパでは16世紀>から17世紀の間、スポーツとして行われた。>鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の>条に「梁を作つて魚を取る者有り、天皇これを>問ふ。対へて曰く、臣はこれ苞苴擔の子と、>此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり」と、鵜養部の>ことが見え、『古事記』にも鵜養のことを歌った>歌謡が載っている。>天皇の歌に「しまつとりうかひかとも」とある。>また中国の史書『隋書』開皇二十年(600年)の>条には、日本を訪れた隋使が見た変わった漁法と>して『以小環挂鸕鷀項、令入水捕魚、日得百餘頭』>(小さな輪を鳥にかけ日に100匹は魚を捕る』と>記されている。>延喜年間(901年 - 923年)には長良川河畔に>7戸の鵜飼があり、国司藤原利仁により鮎が献上>された。そして、それを時の天皇が気に入り、>方県郡七郷の地を鵜飼に要する篝松の料として>賜り、鵜飼七郷と読んだ>『和名抄』には美濃国方県郡の鵜飼が掲げられ、>『集解釈別記』には鵜飼37戸とあり、『新撰>美濃誌』には方県郡鵜飼の郷9箇村とある。>文明年間(1469年 - 1486年)、一条兼良が>美濃の正保寺に滞在し鵜飼を見物した記録が>ある。>永禄7年(1564年)、織田信長は長良川の>鵜飼を見物し、鵜飼それぞれに鵜匠の名称を>授け鷹匠と同様に遇し、1戸に禄米10俵を>当て、給与した。う~む、古くから鵜飼されていたんだ。しかも美濃国の長良川河畔でされていたとは。岐阜県民だというのに見物したことが無い「浮島」「浮舟ノ島」などの人工島の一つである「塔の島」には、現存をする近世以前の石塔では日本最大(約15.2メートル)の十三重石塔が建つこれは鎌倉時代に、宇治橋の大掛かりな修造がされ宇治川の川中島として、大橋の南方に舟を模した人工島を築き、放生会を修する祈祷道場とした宇治川で漁撈される魚霊の供養と、橋の安全の祈念を旨にして島の中央に大塔婆が造立されたそうである島は宇治川の氾濫にも耐えて、激流に浚われる事が無く「浮島」「浮舟ノ島」と呼ばれるようになったが大塔は氾濫の被害を受けて、倒伏と修復を繰り返し江戸時代に起きた氾濫で倒伏し、川底の泥砂に埋もれ明治末に発掘されて再建をした。国の重要文化財だ近江より奈良へ帰る途中、宇治川付近で歌われた柿本人麻呂の歌碑があった。「宇治川の網代木で一時停滞し、やがて行方知らずとなる波のように滅びさった近江の都に仕えていた人々はいったいどうなったのであろうか」との意で、もののふの八十氏河(やそうじがわ)の網代木(あじろき)にいざよふ波の行く方しらずもこちらは橘橋と言うらしい。時間がないので渡らず遠くから、眺めて拝観終了宇治川の向こう岸には、道元が興聖宝林寺を建立した事に始まる、日本の曹洞宗としては最初の寺院となった興聖寺。宇治川に面した総門より本堂に通じるまでの緩やかな参道は「琴坂」と呼ばれ、宇治十二景の1つにも数えられている更に、源氏物語の宇治十帖に縁があるという「手習観音(聖観音)」が安置されているというので、いつかは参拝に出かけたいけど今回も時間的に無理のようだそして宇治川と言えば、源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣をされた源範頼、源義経との宇治川の戦いとしても有名で、佐々木高綱と梶原景季の宇治川の先陣争いなどもそれに先んじて、以仁王(高倉天皇の兄宮)と源頼政が平氏打倒のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発したが、準備不足の雨に露見し追討を受けて、以仁王と頼政は宇治平等院の戦い(橘合戦)で敗死をしてしまった単に風光明媚な土地と言うわけではなく、交通の要所がゆえに、歴史に幾たびか登場する宇治だがやっぱり、その名が一番知れ渡ったのは紫式部が執筆した「源氏物語」の存在が大きいと思われる私も子供の頃に、これで宇治の名を知ったとは言っても現代語訳のものだし、光源氏の物語は真剣に読んだけど、亡くなったのちの宇治十帖とか流し読み状態だったが。ここでの主人公は薫の君で光源氏(本当は柏木)と女三宮の息子で、生まれつき体から良い薫がするので、そう呼ばれているこちらは匂宮と浮舟が、小舟の上で愛を語らう場面らしい。匂宮は今上帝の三の宮(第三皇子)で、母は光源氏の娘である明石の中宮で、光源氏の孫となる薫の君に対抗し、薫物(たきもの)に心を砕いており二人は世間から「薫る中将、匂ふ兵部卿」と呼ばれ世間の評判はこの二人に集中していたそうだイケメンでイケイケな匂宮は、薫の君から宇治八の宮の姫君たちの噂を聞き、薫の手引きによって中君と結婚するが、夕霧の娘六の君を北の方に迎えると、中君をないがしろにしてしていた。しかも中君の異母妹である浮舟が、薫君の恋人と知りながらも薫になりすまして契りを結んだ為、浮舟は苦悩のあまり入水を図ったのだもともとが昼食タイムなので、あまり時間がないけどこの神社位なら参拝が出来そうだ。このすぐ近くには世界遺産にも登録されている、宇治上神社もあるが時間のある時にゆっくりと参拝をさせて貰おうかと思う。先程の曹洞宗のお寺や源氏物語ミュージアムなども行きたいしといった訳で今回お邪魔をしたのは、かわいらしい「宇治神社」である。普通であれば龍の口からだがここではウサギだし。中世に宇治茶の象徴としての宇治七名園が作られて、お茶には不可欠な水として「宇治七名水」も定められ、現存する唯一のものがこの「桐原水」で、宇治上神社の境内に沸いているこの樹は「兎楽の樹(うらくのき)」といい、簡単な説明は下の写真をご覧下さい。宇治神社と宇治上神社の御祭神は、ウサギに導かれた菟道稚郎子命である彼は第15代応神天皇の皇子(日本書紀では皇太子)で16代仁徳天皇の異母弟であるそうだ。宇治の地名は古くは宇遅、莵道、兎道などとも表記されており菟道稚郎子の宮があったウィキペディアによると>『日本書紀』によれば、百済から来朝した阿直岐と>王仁を師に典籍を学び、父天皇から寵愛された。>応神天皇28年には、高句麗からの上表文に「高麗王、>日本国に教ふ」とある非礼を指摘し、これを破り>捨てている。応神天皇40年1月に皇太子となった。>翌年に天皇が崩じたが、郎子は即位せず、大鷦鷯尊と>互いに皇位を譲り合った。>そのような中、異母兄の大山守皇子は自らが>太子に立てなかったことを恨み、郎子を殺そうと>挙兵した。大鷦鷯尊はこれをいち早く察知して>郎子に伝え、大山守皇子はかえって郎子の謀略に>遭って殺された。>この後、郎子は菟道宮に住まい、大鷦鷯尊と皇位を>譲り合うこと3年に及んだ。永らくの空位が天下の>煩いになると思い悩んだ郎子は互譲に決着を期す>べく、自ら果てた。>尊は驚き悲しんで、難波から菟道宮に至り、遺体に>招魂の術を施したところ、郎子は蘇生して妹の八田>皇女を後宮に納れるよう遺言をし、再び薨じたという>『播磨国風土記』には「宇治天皇の世」という記載が>あり、事績は見えないがこの「宇治天皇」は菟道稚>郎子を指すと見られている壬申の乱を前にして大海人皇子(天武天皇)も近江を後に吉野へ向かう途中で、ここ宇治にも立ち寄っていたという。宇治川のあたりでの別れ際に、舎人たちは大海人皇子の吉野行きを「翼をつけた虎を野に放したようなものだ」と言ったそうだそんなこんなの歴史の端々に登場する宇治、歴史ファンならば妄想モード最強になれるのは間違いなし。宇治川の東側のこの道をさわらびの道といい川の西側はあじろぎの道で、良い散策路になっている万葉集にある詠み人知らずの歌宇治川は淀瀬無(よどせな)からし網代人(あじろひと)舟呼ばふ声をちこち聞ゆ現代においては宇治と言えば、やっぱお茶という事で、さわらびの道沿いに「福寿園 宇治茶工房」があったので、次に来た時には立ち寄りたいが時間もないので、そろそろ戻るとするかお昼をいただいた喜撰茶屋で、50円の割引券を貰っていたので、喜撰ソフトをぱくり。八つ橋がささっているよ自分が喜撰ソフトになる事も出来るし♪ と言った訳で集合時間になったので、バスに乗車して、今回のメインの伏見稲荷大社へと向かう事にするバスの車窓からは宇治の縣神社。大和政権下における県(あがた)に関係をする神社と見られ1052(永承7)年に、藤原道長が別業(別荘)を寺院である平等院とする際、鎮守としたそうだ「宇治橋」は「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に日本三古橋の一つに数えられ、日本霊異記に道登が宇治橋を架けたのは、646(大化2)年と伝えられている。古今和歌集や紫式部の源氏物語に登場し、能の「鉄輪」で登場する橋姫伝説でも有名である現在の橋は、1996(平成8)年に架け替えられ長さは155.4m、幅25m。橋の姿が宇治川の自然や橋周辺の歴史遺産と調和するよう、擬宝珠を冠する木製高覧という伝統的な形状を使用している宇治へは京都から京阪宇治線と、JR奈良線があり京阪は宇治が終着となるが、JRは宇治川を渡って奈良へと。この電車はJRの「みやこ路快速」だ昨日あたり、娘が最近は奈良に行っていないし、久しぶりに京都や奈良とかに行きたいなぁ♪なんて嬉しい事を言っていたので、この夏は関西地方に出かける事が出来るかも♪秀吉が隠居の為に建てた伏見城は、戦いも経て、関ヶ原の戦いで勝利した家康が再建をしたが、一国一城令で二条城を残し伏見城は廃城となり、一帯には桃が植えられ桃山と呼ばれたそうだ。戦後になって遊園地が出来模擬天守も作られた 令和1年5月24日に京都で撮影にほんブログ村
2019年07月02日
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来夏の東京オリンピックで、世界からの注目を浴びて、ますます日本に来られる外国人観光客が増えそうな気もする。もはや日本人参拝者よりも外国人の方の姿が多いというのが、ここ京都の伏見稲荷大社であろう。その日は修学旅行生の姿もあり、グループ行動中の男子中学生に写真を撮って欲しいとカメラを渡された久しぶりの京都は、5月下旬に高価な宝石直営販売所に、立ち寄らなければならないいつもの無料招待の日帰りバス旅行の写真で今回も一人で出かけての伏見稲荷。宇治では昼食、あと八つ橋の工場見学といった内容でお天気も良かったし、なかなか充実した内容で良い写真も撮れたので、旅行記をここでも紹介しようと思っている。今回は今年3月から、最近までの懸賞の当選品をずらずら~と並べてみようと思うまずは毎年恒例の「日本香堂」主催の観劇公演で、全国各地で開催をされている。今回のは熊谷真実さんが座長をされおり、コメディタッチでほろりと泣ける舞台だったどうやらお香を売っているような小売店なども招待をされているようだが、一般では日本香堂の商品のバーコードを送る懸賞で、かたりべ白梅ミニのバーコードを2回応募しての当選だった観劇には、お弁当と仕出し屋の幕の内弁当と日本茶が付いているので、観劇前にもぐもぐ。ペア招待なので今回も姉を誘ってみた。来年の東京五輪でも前半の男子バレーとテコンドーは娘と観戦するが次の週の水球は、姉と一緒に出掛ける事になった。このフレグランスは日本香堂からのお土産で、一人1個ずつだこっちは姉が買ってくれたお土産で、千円で1500円分の商品でお得らしい。来年用の応募にバーコードも使えそうだここからは商品系の当選。まずはウィスキーと高級チョコの詰め合わせが当たって、旦那と娘かなり喜んでいたこちらもグルメな賞品で、クラシエのスーパーでシャンプー&リンスを購入したら夏らしいスイーツが当たったこっちはリラックス系の当選品娘が喜んで着ているのはBOSSの紅茶でユニクロのTシャツ。オリジナルカラーらしいそんなBOSSの紅茶のボトル自体も、ネット懸賞で当選したキシリトールガムのディスペンサーといったものもさてさてフジテレビのめざましテレビでじゃんけんを2度すると、応募が出来るというのをたまにやっていると、前にも紹介をしたが、最近も一週間やっていて初日の月曜日から当選!そしたら木曜日のも、またまた当選して賞品は午後の紅茶無糖のペットボトルでローソンで引き換えられる更に金曜日の朝にも当たった。全部が私がスマホで応募して当たったものである。次の週は東京五輪も当たったしこうなったら宝くじでも買うしかないかこういった飲料系の新商品とかはラインなどのネット懸賞で、多く見かけられて結構な確率で当たるので、ラインをしている方は飲料系メーカーのアカウントとお友達になって、応募されてみて下さいとは言っても、それだけを引き換えるのも抵抗があるので、何かしら1品くらいは購入したりもするけどと、これは懸賞当選ではないけども参考までに。コンビニでよくあるのが指定のペットボトル飲料を購入すると、関連をしたペットボトル飲料(新製品が多い)の無料引換券が貰えるというものコンビニは、スーパーとかより高めの価格だけど。こういった無料引換券を貰えたら1本あたりにしたら、かなりお得なのでよく利用したりするまた懸賞当選品の報告に戻ります。ここからは家計にも嬉しい商品券です♪中津川にアピタがなくなったので、お隣の恵那のユニー系列のピアゴまで行かないと応募が出来ないがここって懸賞が結構あるので、今日も車で遠征をしてきた。中津川市街からは車で15分程で、ちょっとした遠征ですこちらは中津川と恵那の中間位にある国道19号線沿いのオークワで、ここもなかなか行けないが、先程のウィスキー高級チョコセットなど、楽しい懸賞もこれもウィスキーのトリスを購入してのものだ商品券の額面が少なめだけど、当選者数6000名って、どんだけデカイんだろっ創業は和歌山県だとかこれもオークワで、豆乳を購入してのものでも家から一番近い、中津川のバローを一番使うというのに、懸賞自体も少なくしかも、あんまり当たらない。アピタ!カムバ~~ック!そんな中で、ドラッグストアなども懸賞をしていて、そっちの方もそこそこ当たるあとは、お酒の懸賞によく当たっていたような・・・ 2019年3月から6月下旬まで にほんブログ村
2019年06月27日
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現在、NHKでは大河ドラマのいだてん!ではオリンピックや、スポーツの黎明期を紹介をしている。マラソンの金栗君はアノの箱根駅伝も始めた人らしくって、そっちを打ち出した方がオジサンの食いつきが良かったかも。他局中継だけどもね(汗)まだ生まれたばかりだったので、昭和の東京五輪の時の記憶は全くないが、長野五輪では観戦する気満々で。当時は長野県だった馬籠にも聖火ランナーがやってきたりもして、地元開催で盛り上がってましたところが、開催の1年程前に行われた郵送による抽選の販売では購入出来ず、直前の旅行会社の店頭での追加販売で、朝から並び(2番目)男子フィギュアスケートのショートと、ノルディック複合のジャンプ(これはこの時の購入か?)も購入が出来ました。一番最初の人はジャンプ団体のラージヒルゲットで喜んでましたっけその長野五輪の抽選時の当選倍率は、平均では17.7倍(フィギュアスケートは81.9倍)だったそうです。当時からフィギュアスケートは冬の五輪の花で、それを観戦出来て嬉しかった冬ですらこうですから、ニッポンのど真ん中の東京で、しかも気軽に応募が出来るネットでも応募なら、かなりの超・高倍率になる予想長野五輪は、スポーツ好きな友達と行ったけどなんで、私も連れて行ってくれなかったの?と当時は小学生低学年だった娘が、後から怒っていたので、来年夏の東京五輪は娘との観戦がメインで、子供や60歳以上のいるグループが応募出来る激安の応援チケットには姉や、千葉の兄夫婦も誘えばいいかって感じでしてオリンピックだから会社も休んでいけるだろうとか娘も言っていたので、一番当たりやすいと思われる週の半ばの平日(火曜日~木曜日)のあたりで、娘の見たいという男子バレー予選を中心に組んでみて、これでパーフェクトだぁ~などと申し込んだんだけど(↓最初の申し込み)会社なんて休めても月曜か金曜の1日位だってと娘からダメ出しがあって、申し込みを白紙にして今度は週末の土日に金曜午後から夜。月曜の朝と昼をチョイスして、バレーは当たりやすいように月曜に組み込んでのやり直しの二度目の申し込み↓2度目のは最初の平日オンリーよりも、当たる可能性は低くはなってしまったが、社会人の娘の事情も考慮をしなければなるまい。当初は体操柔道、レスリングなど日本人のメダルが期待が出来たり、バスケットやサッカーなどの人気がありそうな競技などは避けていたけどテレビやネットで情報を見ているうちに、娘がやっぱバスケットとか野球も観てみたいなんて言い出したものだから、今度もキャンセルしてやり直し。それでも人気競技なんて当たる確率も少なそうだし、本命ではなくって第二希望の方でとりあえず、野球と男子バスケットも入れての決定分です益々当選確率は下がりそうですが、まぁ長野もその後に、見たい競技のチケットが取れたので今回のネット抽選の後にも、先着での販売とかリセール(購入した人が行かないからと公式のHPで再販売をする)というのもありますしね最初のと比べて開会式の座席がグレードアップしたので、トータルで26万越えしましたそれにしても今回の抽選によるチケット申し込み難しかったです。まずは一般のチケットがあって開会&閉会式で2枚、決勝が4枚、予選が6枚とそれぞれに申し込み上限があるんですが、もしも自分の欲しい座席に外れても、その下の座席でも空きがあれば抽選に申し込めるというカスケードなんてのもあるんで、全部、それにしました更に行きたい競技自体に外れてしまっても、第二希望として違った競技にも申し込めるというのも出来て、それもカスケードが出来るので、1つの応募でも、合計で4回抽選が出来るんだそうです例を言えば、ある夜に卓球をC席で2枚申し込んだけど外れて、カスケードで卓球のD席でも外れたので同時間帯にある第二希望の水球のB席も外れたけどカスケードで、水球のC席を2枚購入が出来たって感じでして、何度もチャンスがありますそして高倍率になるのは必至なのが、車いすの方や子供や、60歳以上の人がグループにいる場合には僅か2020円でチケットが購入できるという応援チケット2020。こちらは開会&閉会式が4枚でうちも閉会式を4枚申し込みました(開会式は一般2枚) 応援チケットでは決勝が6枚、予選8枚といった感じなので、姉か千葉の兄夫婦とか動員して娘と私3枚で観るといった感じで。予選は3枚、3枚、2枚申し込みました。旦那も60歳オーバーですが、オレは行かん!と言ってて最初から数には入ってないです応援チケットは2020円で一番、価格の安い席が割り当てられるので一般のようなカスケードはないですけど、こちらでも第二希望も出来るのは嬉しいお子さんやお年寄りのいる家族が、敬遠をしそうな平日の夜遅くの競技にしぼってみましたただ応援チケットの決勝は、かなり少ない競技数で陸上しか応募ができませんでした。オリンピックスタジアムも観てみたいし。こうして一般と応援の合計の30枚いっぱいを申し込み、総額は26万円越えですけど、これは開会式でカスケードを使う為下から2番目の座席45000円×2のチケット代がでかいので5月下旬はノートの切れ端に、日時が重ならないように、会場移動とか入場も時間が必要だからと交通機関調べて、チケットの種類が規定数であるように、もう何度も吟味をして確かめた上で期限内に申し込みました。丸で囲んだのは2020応援チケットで、☆印は決勝、()内は第二希望ですやはり決勝はチケット代が高めでした、ABCDという座席があれば、近くで観たいという一番高いA席と、お金がないが生で観たいという一番安いD席が人気があるんじゃないかと予想。で先程のカスケードもしたいので、A席程ではないけどもほどほど高いB席狙いでいた。まぁ座席数や位置なども考慮もしての話だがやれ10万だ、4万だといった高額料金を見てると1万円越えの席でも安く感じてしまう。恐ろしや~今朝の国分のワイドショーでは、人気チケットをオークション式にして、一番高い値段をつけた人に売ればいいと真剣に言ってるし、恵のひるおびでは芸能人がコネクションを使うとか堂々と言ってるしネットとか見てると、どうせ当たらないしと決勝開会式など高額チケット連発で総額が100万円を優に超えたと書き込む人がかなりいるみたいだが当たったら大丈夫なんだろうか。沢山当たったからこれは買うけどあっちはキャンセルなんてのは無理で全部買うか、全部キャンセルという選択肢しかない更に30万円未満であれば、コンビニ現金払いも出来るけど、30万円を超えた支払いはスポンサー企業のVISAカードでの支払いでしか出来ないし限度額が100万越えなんて人はザラにいないように思う。それも一括支払いのみで、ローンは出来ないそうだいざ高額のチケットが当たっても期日までに払えなければ話にならないが、そのあたりの事とかもちゃんと知ってて、応募されているんだろうか?そうそうお金に余裕のある方であれば、豪華客船に乗船しオリンピックを観戦するツアーもありますよ結構、開会式とバスケ決勝とか人気競技に応募が集中しているのと、ネットに限ってか近代五種や馬術、射撃が観たいといったマイナー競技が注目されているような。日本戦がどこになるか現時点で全くわからないような球技の予選は、運ですよねだからやみくもにバスケだけ、サッカーだけと同じ競技ばかりを申し込んだりする方も購入をした事はいいが日本戦ではなく、イマイチな組み合わせの場合は、リセールに出てくる可能性が高いので、その競技自体に興味があれば購入をする事は出来そうな気も。ただね自分でも行きたくもないようなカードを果たして、ほかの人が買ってくれるものだろうか? ↑なんて事を5月末に書いたんですけど、北陸の城の日記が長引き・・・オリンピックチケットの当選通知がされる6月20日になった。未明には当落がわかると聞いて、昨夜はなかなか寝付かずそれでも、うつらうつらとしてのZZZZZ・・・・深夜2時近くに目を覚まして、枕元のスマホの画面を見ると、ツイッターでチケットの当落のつぶやきが並んでて、その殆どが沢山応募したのに全部、落選をしたというものばかりでしてやっぱ東京だし、ネットだし私も無理かも・・・と半ば諦めモードで、公式ホムペでログインすると30枚の応募総数のうちで、3種目(×2枚)合計6枚が当選してました。そこそこお高いB席に狙いを絞ったのが、功を奏したのかもしれません。落選をした人の中にはカートに入れただけで、申し込みが完了してなかったという書き込みが幾つもあった元バレー部の娘が楽しみにしてた「男子バレー」予選も当選していたので良かったです。なにせ娘と出かけるオリンピックなので。目標達成という感じです。月曜日の朝早い試合だというのも良かったかもしれません。普段の懸賞で鍛えた当たりやすいというカンを働かせましたその前夜には、私は格闘技が観たかったんで(他に空手も申し込んだが落選)「テコンドー」の決勝も申し込んで当選。決勝戦や表彰式なども楽しめそうですしね。娘とは7月末の日&月曜の男子バレー予選と、テコンドー決勝の観戦ですが次の週の月曜日は女子バレーが落選して、第二希望の「水球」の予選が当選したので、こちらは姉か千葉の義姉あたりを誘う予定でいます。これだけでは何なので、後日のチケット販売で観戦する種目を1つ位は増やしたいですが、2日朝の女子マラソンを組み合わせてもいいですしねという事でオリンピック観戦のチャンスは、まだあります。秋にネットで先着販売、来春には都内での店頭販売や、必要ない人が公式ホムペで欲しいという人に販売もしますので。私も長野五輪では抽選は外れて、直前の追加販売で希望の競技のチケットが購入ができたので、まだ諦めるには早いですよ地方在住なので、東京での宿泊も課題になりますがたぶん正規料金ですけど、既に予約できるホテルがあったので、当日テコンドー、翌日の男子バレーの競技場へも交通の便も良いので、予約をしました♪水球は昼位だし、千葉の兄の家に泊めて貰おうと思ってます最期に、今回の風景写真はゴールデンウィーク中の地元での写真です。とっても空が美しかったです!先週末(6月16日)は偶然、名古屋のミッドランドスクエアで、東京オリンピックのマスコットであるミライトワ(青)とソメイティ(赤)に遭遇しましたにほんブログ村
2019年06月20日
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さてさて、4月上旬に出かけた桜咲く北陸の七名城のバス旅も、最後の城となった。締めを飾るのはご想像通り「北ノ庄城」である。本能寺で信長が亡くなった後の戦国を大きく動かした羽柴秀吉と柴田勝家の戦いの場であるルイス・フロイスは「信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人」だと勝家を評している。武骨の性格と、秀でた武勇から鬼柴田と呼ばれもした戦国を代表する武将の一人だ本能寺で横死したは信長の後継者を決める清須会議で秀吉と対立。織田家臣団は二分にわかれ賤ケ岳の戦いに敗れた勝家は、北ノ庄城に逃れ、お市の方と共に命を絶った。勝家だが妻も持たず、子供も養子ばかりだったようで浅井長政の未亡人で、三人の娘の連れ子を持つお市の方(信長の妹)と、勝家は初婚だったのか短い期間でありながらも、仲睦まじく暮らしていたようだ。逃れようと思えば幾らでも城から出られたお市の方が、勝家と共に北ノ庄城で命を果てたのは、何かしら考えるところがあったからに違いない更には戦国を彩った浅井三姉妹だが、特に長女の茶々(淀君)は、信長軍に攻められた小谷城の落城で父親の長政を亡くし、秀吉軍に攻められたここ北ノ庄城では母親のお市の方を亡くし、更に家康軍に攻められた大阪城で息子と、己の命を散らしたという、戦国の悲劇のヒロインだ女城主直虎とか、松陰の妹をする位なら、なんで茶々を大河の主人公にしないのかな。結果的には豊臣家を滅ぼしたヒールイメージが強いんだろうかでも三度の落城と、その相手が三英傑(信長、秀吉家康)って、すごいシチュエーションじゃないかとさて織田信長の親族は美形ぞろいだったようでして妹のお市の方は、戦国一の美人だったそうで、モテ祈願も出来るという柴田神社。前回の福井城が元は北ノ庄城だと書いたように、かなり広い城だったようで、このあたりには当時の天守があったらしい柴田神社は勝家を主祭神とし、妻のお市を配祀する。二人の辞世の句は、お市の方が「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の別れを誘ふほととぎすかな」で、その返句として勝家は「夏の世に夢路は儚きあとの名を雲井にあげよ山ほととぎす」との事だ北ノ庄城について、ウィキペディアによれば>朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向>一揆(越前一向一揆)を平定した功績に>よって、越前国北ノ庄を与えられた柴田>勝家が、天正3年(1575年)に自らの>縄張りによって築城を開始する>同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が>敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が>放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することに>なるが、その後も青木一矩が北ノ庄城に封じ>られたという記録が残っている>1601年より柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新たに>結城氏によって北ノ庄城が築城されたため>現在では柴田氏の遺構を見ることは出来ない>平成5年(1993年)から6度にわたるの発掘>調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の>地下から、石垣の跡と思われる石が出土したが>本丸の正確な位置を完全に特定するまでには>至っていない>城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流>した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用>していたと推定されており、天守は7層(一説>には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城で>あったと伝えられている。柴田時代の建築を>しのばせる史料として、宣教師のルイス・>フロイスが1581年(天正9年)に北ノ庄を>訪問したときの記録があるが、それによると>「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく>立派な石で葺かれており、その色により>一層城の美観を増した」とある。この「石」>とは、城に程近い足羽山で産出される笏谷石の>ことであり、現在発掘調査で見出された柴田>時代の石垣は笏谷石であるし、北ノ庄城と>ほぼ同時期に勝家の養子、柴田勝豊によって>築城された丸岡城の天守も笏谷石製の石瓦で>葺いている>また、町の規模が安土の2倍ほどもあること、>勝家によって足羽川に架橋された九十九橋に>ついても言及がある。次に、勝家を攻め滅ぼ>した羽柴秀吉が戦後間もない1583年(天正>11年)4月25日に毛利氏の重臣・小早川隆景に>送った書簡には、「城中に石蔵を高く築き、>天守が九重」であった旨の記述があるとの事で、安土城にも負けなかった戦国の城跡は今は街中でひっそりと。その殆どは結城氏による北ノ庄城(福井城)になって官公庁の庁舎が建っている。こうして北陸七名城の旅は終わった午前中に既に出かけてる越前大野へ戻りそこから九頭竜湖のある油坂峠を越えて岐阜県に入るようだが・・・、越前大野結構、移動に時間がかかるのに丸岡城→大野城→昼ごはん→福井城&北ノ庄城→再び越前大野→九頭竜って、時間ロスが帰路にあたる越前大野を最後の見学に出来なかったのは、本来なら金沢城が最後の観光先だった為だろうか。もしかしたら、当初は九頭竜ルートじゃなく行きと同様に北陸自動車道から、東海北陸自動車道が利用されるはずだったんじゃないかとだったら最初からそうゆうルートにすれば越前大野の無駄な往復をしなくても済むのに安い旅行は宿や、食事、観光、日程などで何かしら、しわ寄せのようなものがあるような気もする長野県松本市から福井県福井市までを結ぶ高規格幹線道路である「中部縦貫自動車道」油坂峠道路が建設されており、これが出来れば高山方面から福井方面もアクセスが楽になるまだ開通をしていない九頭竜付近は、福井市から岐阜県高山市を経由して長野県松本市に至る国道158号を利用する事になり、スキー場などもあった道の駅九頭竜で、トイレ休憩でバスを降りた時刻は午後4時頃だったが、高山までは道半ばと言うか、福井市からそのまま米原経由の高速利用で名古屋に帰った方がずっと早いと思うがバスは高山発着の濃飛バスだし、名古屋からは高山までのワイドビュー飛騨を利用することが外せないのかもしれない高山からは午後7時近くのワイドビューで名古屋には午後9時頃着。ネット検索をしたら福井から特急ではなく、JRの普通電車を利用しても、午後3時に出れば午後7時には名古屋駅に到着できる費用も3020円で済むし、お金を出せば特急で所要時間は2時間だう~む。7つの城に目がくらんだけど、やっぱり個人旅行では考えられない、へんてこなルートだまぁ、そのおかげで(北陸道&名神利用なので)今まで来ることがなかった、名前だけは知っていた九頭竜というような所に来れた訳だが何でも鉄道ファンには憧れのJR西日本越美北線(九頭竜線)の終点である、九頭竜湖駅のログハウスっぽい駅舎も見学が出来た。ここからは越美南線の北濃駅(岐阜県郡上郡白鳥町)まで鉄道が繋がるはずだったが実現はしなかった。岐阜県側は第3セクター化をされ長良川鉄道となっている越美北線は福井市の越前花堂駅から、大野市の九頭竜湖駅に至る22駅、路線距離は52.5 km愛称を九頭竜線という。2004年の福井豪雨で九頭竜川水系の足羽川にかかる5つの橋梁が流失越前花堂駅と越前大野駅間が不通となり。莫大な費用による全線の復旧には、数年を要したそうだ九頭竜湖駅は福井地域鉄道部が管理し、隣接する道の駅九頭竜の指定管理者である業者が窓口業務を受託する簡易委託駅である。どれくらい利用者があるんだろうか道の駅九頭竜には、24時間利用が出来るEV充電スタンドもあった。休憩を終えてバスはいよいよ九頭竜湖へと九頭竜湖は、高さ128メートルのロックフィルダムの九頭竜ダム(洪水調節・発電が目的。元は長野ダム)によって、九頭竜川がせき止められ出来た広大な人造湖である九頭竜湖は面積890ヘクタールと、日本全国有数の広さを持ち、春は万本桜が咲き、秋は紅葉が美しい風光明媚な湖である。しかしバスの奥様らは女性の遺体が入れられた冷凍庫が遺棄された殺人事件の舞台として認識しているようだ湖に架けられた箱ヶ瀬橋は瀬戸大橋の試作として建設をされた吊り橋だそうで、愛称は夢の架け橋なんだとか湖畔には二つの慰霊塔があり、ネット検索をすると日本語の他に英語やハングルの碑文もあり、どうも戦没者のものであるらしいが、正しくは判らない更に幾つかのふるさとの碑もあり、ダム建設によって湖底に消えた集落の人たちの、故郷の記念碑であるようだ。旧和泉村(現大野市)の上半原、米戸、箱ヶ瀬、大谷、野尻(字)集落計500世帯あたりが湖の底に沈む事となり、更にダム湖の造成で孤立する集落を含めると800余名が立ち退き、主に中京圏に転居した九頭竜川の語源であるが、寛平元年(889年)6月平泉寺の白山権現が衆徒の前に示現され、その尊像を川に浮かばせると、一身九頭の竜が現れて尊像を捧げたからだとか色んな説があるそうだ湯坂峠を越えて、いよいよ岐阜県へ突入。岐阜県もクローバーみたいな形をしてて、東端に住んでいる私には、西の果てはあまり縁がない。というか全く未開の地であったお~、これがスーパーによく置いてあるひるがの高原牛乳の牛舎なのか!! バスの車窓からだけど名前だけは知っていた地名を見て感動白鳥からそのまま、東海北陸道を南下して名古屋に出た方が良さそうだが、まぁ珍しい地域を車窓から眺めれるだけいいか。もう来ることもないかも車は北上し、旅の起点であった飛騨高山へと向かう道路脇には残雪なども東の彼方に岐阜県と長野県にまたがる北アルプスの白い峰が目に飛び込んできた夕刻に高山駅に無事に到着。午後7時近い特急の時刻近くまで、自由時間となったが遠くまで行く時間もないし、とりあえずコンビニで軽食を購入駅のベンチで少し早い夕食をとる事にした間もなく春の高山祭だという事で、駅前にはのぼりもたっていた福井のお土産は、昼ごはんを食べた土産物屋で購入高山でも好きな塩せんべい越前大野城では登城証明書を貰った。31897名目みたいだ。行きには名古屋駅で集合をして、特急に乗車をしたが、帰りには途中下車をしてもいいので中央線を利用する人たちは、我々も含めて高山線の美濃太田駅で特急を下車し、太多線で多治見に出てそこから中央線へショートカット名古屋駅に着くのと、さほど変わらない時間に中津川駅に到着し、近くのスーパーで激安価格になっていた総菜を購入出来て、良い土産となった 平成31年4月6日に福井市と、九頭竜から飛騨で撮影にほんブログ村
2019年06月17日
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さてさて、春に娘と出かけた桜咲く北陸の7つのお城の中で、一番、桜が見事だなぁと思ったお城は、この福井城である。広いお濠越しに石垣を彩っている桜は、とても華やかだ1泊2日の盛りだくさんの弾丸ツターももう終盤。このお城も今までに来た事はなかったし、もし今回の旅行が無ければ今後も行く機会もなかったかも知れないと思うと、こういう企画旅行は一押しをしてくれたようにも思えるいつかは行きたいとずっと思い続けているままの東北や、四国に、鳥取、日光だって行こうと思えば、スグにだって行けるとは思うのに、これだ!と思うようなツアーがあればいいのだけど桜の花にも負けないような、素敵な和服の女性もお花見なのだろうか。土曜日でもあるので花見客も多く、様々なイベントも行われていた横井小楠と由利公正(三岡八郎)が一緒に熊本に旅立った際の「旅立ちの像」。横井小楠は熊本藩士だったが、藩主の松平慶永(春嶽)に招かれて、福井藩の顧問として藩政改革に関わったそうであるし、春嶽を通じて幕政にも深く関与したそうだ由利公正もまた、春嶽に認められ横井小楠とともに藩財政の立て直しを行ったそうだ。更に坂本龍馬と親交があり、龍馬が福井に訪ねて来た事もあり、維新後は「五箇条の御誓文」の起草にも関わった人物だ島津斉彬(薩摩)、山内豊信(土佐)、伊達宗城(宇和島)らと並んで、幕末の四賢侯と称された。松平慶永(春嶽)は、田安徳川家第三代徳川斉匡の八男として生まれ、徳川将軍徳川家慶の従弟であるが、松平斉善の養子となって、わずか11歳で福井藩主となった肥後熊本藩主、細川斉護の娘である勇姫が正室となっている事から、横井小楠とも繋がりが出来たのかも。公武合体派として名を馳せたが、米国からリンゴの苗木を取り寄せ、日本で初めて栽培をした人物でもあるそうだ。自転車に初めて乗ったのも彼らしいまた明治や、元治などの元号の選定にも大きくかかわっているんだとか。幕末のファンとしては、春嶽の側近であった福井藩士、橋本左内も特筆すべき逸材だ西郷隆盛の盟友でもあったが、安政の大獄で若くして命を落としてしまったそんな訳で幕末の頃には、松平春嶽公や横井小楠、由利公正、橋本左内といった志を持った人たちが日本の行く末を憂い語ったであろう福井城に、私も出かけてみよう。今回もガイドの女性による団体行動だ現在、福井城の本丸内には福井県庁や福井県警察本部、県議会議事堂などが所狭しと並んでいるが、この日は土曜日であった為か花見の一般市民の姿が多かった。御本城橋を渡いよいよ城内へお城については、こんな感じです↑ ウィキペディアで補足すると・・・>1600年(慶長5年)に家康の次男である結城>秀康が68万石で北ノ庄を拝領すると、翌>1601年(慶長6年)9月には知行割を実施し>築城に着手した>1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され>名実共に御家門の居城にふさわしい城となる>よう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の>歳月をかけて完成する。完成した城は東が>新堀川(現在の荒川)、南は足羽川、北は加賀口>馬出までの2キロメートル四方に及んだ>石垣の積み方は、天守台、大手門、櫓台、隅角>部等の重要な部分は切込はぎ積で、その他の>城壁は打込はぎ積である。また、横線が波立って>いるが布積である。福井市小山谷町で産出した>笏谷石を用いている。 石垣の構築には、穴太積で>有名な穴太衆も携わったことが推測される>明治維新後、1871年(明治4年)、福井藩は>福井城の解体を幕府に願い出、旧城地は1873年>(明治6年)陸軍省の管轄となったが、旧藩士>たちが1879年(明治12年)同地を借り受け、>開墾を進めた > 現在は外堀は埋められているが、内堀、石垣、>天守台などの遺構が残り、本丸跡には福井県庁、>県会議事堂、県警察本部などがあり、公園と>しても整備されている(中略)本丸御殿の一部は>(市内足羽5丁目)瑞源寺本堂及び書院に移築>されているさてさて、この城は徳川家康の次男の結城秀康が初代城主であるが、それについて説明してみると家康は正室の築山殿との間に、嫡子の松平信康がいたが、信長の命令で切腹をさせられてしまった本来であれば秀康が継ぐはずであったが、生母の身分の違いから、西郷局の子で三男の徳川秀忠が二代将軍となった徳川でもなく、松平でもなく、なぜ結城を名乗る事となったのか、ウィキペディアによれば>天正2年(1574年)2月8日、徳川家康の次男>として遠江国敷知郡宇布見村で生まれた。母は>三河国池鯉鮒明神の社人・永見吉英(永見氏)の>娘で、家康の側室の於万の方(長勝院、通称>おこちゃ、小督局)幼名を於義伊(於義丸/>義伊丸/義伊松)と名づけられた秀康は、父・>家康とは満3歳になるまで対面を果たせなかった。>その対面も、あまりの冷遇に異母弟を不憫に>思った兄・信康による取りなしで実現したもの>であったという。天正12年(1584年)の小牧・>長久手の戦いの後、家康と羽柴秀吉が和睦の>条件として、秀康は秀吉のもとへ養子(実際は>人質)として差し出され、家康の後継者は異母>弟の長松(後の徳川秀忠)とされた>母親の身分は秀忠の方が上であり、信康切腹>前に生まれた秀忠が当初から後継者だったと>考えられる。羽柴秀吉の養子として「羽柴三河>守秀康」と名乗る。秀吉に実子の鶴松が誕生>すると、秀吉は鶴松を生後4ヶ月で豊臣氏の>後継者として指名。そのため他の養子同様に>再び他家に出される>秀吉は、関東平定の功労者である家康へ更なる>加増として、秀康を北関東の大名結城氏の婿養子と>することを考えついた。結城氏は下野国の守護に>任命されたこともある名家であった。秀康は関東に>下り黒田孝高の取り成しで結城晴朝の姪と婚姻>して結城氏の家督および結城領11万1,000石を>継いだ>関ヶ原の後、秀康は家康より下総結城10万>1,000石から越前北庄68万石に加増移封>された。慶長9年(1604年)には松平氏に>復することも赦されているとする史料も>存在する僅か34歳で、梅毒で亡くなったそうである梅毒の日本での最初の記録は、1512年の記録で、南蛮からもたらされたそうであるが加藤清正、浅野幸長、前田利長、黒田官兵衛といった名高い戦国武将も梅毒で亡くなったという説もある。キリスト教や鉄砲以外にもそんな迷惑な南蛮渡来もあったなんてさてさて本丸御殿と、天守は内堀の中にあるが何代目かの藩主から、西三の丸に屋敷を構えてそこで暮らしながら、政務は本丸御殿の政庁で行う為に通うようになった藩主がその移動の際には、雨のなどで濡れないよう、橋にも屋根がつけられて、本丸と西三の丸御座所を結ぶ「御廊下橋」が、往時の姿に復元をされていた、は2008年3月に完成橋の長さ14.5メートル。幅3.6 メートル総工費は約1億5900万円だそうだそれに続く「山里口御門」も、復元整備を開始し2017年10月末、櫓(やぐら)門、棟(むな)門の建物と白壁の土塀が完成をした完成をした櫓門は、木造2階建ても切り妻造りで笏谷石(しゃくだにいし)による瓦葺きである2階部分の櫓の外壁は漆喰塗りで、梁(はり)はマツ、床、壁板、柱にヒノキを使用しているそれにしても何だかんだいっても、徳川家康の次男の城だけあって、その辺の大名のものとは違った、凝った造りで目を見張るものがあるウィキペディアによれば、その天守は>本丸北西隅に天守曲輪と天守台の2段の石垣を>ついて望楼型4重5階の天守が建てられた。>高さは、天守台も含めて約37メートルにも>及んだ。白漆喰総塗籠の外壁仕上げで、最上>重には、外廻り縁高欄と西面に向唐破風が>あり、元和大坂城天守に見られるような配置に>破風が並べられていた>寛文9年(1669年)に焼失した後は、同じように>類焼した本丸南西隅の2重巽櫓を3重に再建し>天守の代用としている。古写真では、複合式>望楼型で1重目と2重目の窓が上下にあること>から、3重5階の櫓であったと見られている>福井地震(ふくいじしん)は、1948年(昭和23年)>6月28日16時13分29秒に発生し福井県を中心に>北陸から北近畿を襲った地震である。福井大地震>ともいう。震源は福井県坂井郡丸岡町(現坂井市>丸岡町)付近。戦後復興間もない福井市を直撃し>都市直下型地震。規模はM7.1(Mw 7.0)>大正関東地震(関東大震災)、兵庫県南部地震(阪神・>淡路大震災)、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)>などと並ぶ日本の災害史上最悪クラスの震災となった>2015年現在も東日本大震災、阪神・淡路大震災に次ぐ>戦後3番目の規模の震災である。死者の大部分が、当時>あわせて人口15万前後にすぎなかった福井市および>現在の坂井市、あわら市に集中しており、その被害率は>日本の近代史上でも類をみない。>福井市中心部は昭和20年の福井空襲で壊滅してから>数年後、復興途上でバラック建築が多く、不安定な>構造だったためにかなりの建物が倒壊している。福井市内の死者930名、負傷者は10,000名。建物は全壊12,425棟、半壊4,418棟、焼失1,859棟といった有様であった。福井地震で崩れた石垣がそのままに残されていたもともと福井にあったお城は、戦国ドラマでもとても有名な北ノ庄城であった。しかし福井藩第三代藩主の松平忠昌が、北は敗北に通じるとして嫌って、縁起の良いよう「福の居る場所」という意味で「福居城」としたのが、後に今の「福井城」と改められたそうだ福井城の天守台には、北ノ庄城(後の福井城)築城当時からあったという「福の井」があり、こちらが福井の語源では?なんて説もあるそうだ。そこで汲まれた水を使ったお茶を振舞って貰えた福井県は、フクイサウルスをはじめとして恐竜の化石が多数発掘をされたことから「恐竜王国」と呼ばれおり、恐竜をモチーフにしたマスコットがいろいるようで、この子は昨年の福井で開催をされた「福井しあわせ元気国体」のマスコットの「はぴりゅう」ステゴザウルスをモチーフに、やる気を表現するために赤いツノを付けた架空の恐竜で、国体のキャラクターなので、ジャージを着ているそうで福井工業大学の学生さんのデザインが、公募で採用されたようだ恐竜王国だけに、福井の駅前にも巨大な首長竜がお出迎え。という訳でいよいよ北陸の7つの城も最後の訪問先へとバスは向かった 平成31年4月6日に越前福井城で撮影にほんブログ村
2019年06月13日
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雲海(朝霧)に浮かぶ姿が、まるで天空の城のようだと、竹田城址が知れ渡ったのは平成24(2012)年の高倉健の最後の主演作品となった、映画「あなた」からで降籏康男監督は、今年5月20日に亡くなられたそうだ今でこそ鉄道員(ぽっぽや)を代表として高倉健とのコンビが有名だけども、多岐に渡る作品を監督されており、へ~この作品もなのかと驚かされる。山口百恵のTVドラマ赤いシリーズにも参加されていたそうだ降籏監督は信州松本出身だそうで、3丁目シリーズの山崎貴監督もまた松本だ。城の話からそれたが、天空の城としてブームとなった竹田城に続けとばかりに、全国各地の城も名乗りを上げた岐阜県などは山と川しかないような地形が功を奏して、郡上八幡城、岐阜城、苗木城岩村城と4つの城の名が、天空の城として挙がる場合が多い。全国的には現存天守が雲海の上に浮かぶ「備中松山城」がお勧めらしい。行ってみたいなぁ4月に娘と出かけた桜咲く北陸の7名城巡りにも、前から行ってみたいなぁと思っていた天空の城で売り出し中の越前大野城がコースに入っていたので、参加をする決め手となった(あと越前丸岡城も)。JR西日本の越美北線(九頭竜線)の越前大野駅。さて越前大野をウィキペディアで紹介すると>天正3年(1575年)、織田信長より一向一揆>討伐の命を受けて、金森長近が美濃から大野に>進攻。一揆平定後、長近は大野盆地が見渡せる>亀山に大野城を、その東麓に城下町を造り始めた。>これが現在の大野市街地の起こりである。以後>今日まで、大野市は奥越地方の中心地として>栄えてきた>山頂にそびえる天守と短冊状に区切られた>町並み、中世から近世にかけて築かれた寺院が>甍を連ねる寺町通り、城下町誕生のころから>続くとされる七間朝市など、400年を超える>歴史を彷彿とさせる景観を今も色濃く残して>いることから「北陸の小京都」と呼ばれている>1888年4月8日、大野市(当時は大野町)で>1000棟以上を焼失する大野大火が発生。以後>この日にあわせて消防訓練が毎年行われている。>また、2008年には40年ぶりに消防隊のラッパ>隊が復活した。川の水がとっても綺麗だ。山頂に城のある亀山のすぐ下にあるバスの停車場からは、それぞれのペースで山を登り、旅行代に入場料が含まれているので、みんなが揃ってから城の中を見学するそうだ。城と言っても中は資料館だ越前大野城がそびえる亀山の南側を流れるのは金森長近が、天正4(1576)年頃に越前大野城を築いた際に、外堀として掘られたという新堀川で川沿いに湧く新堀清水は、ふくいのおいしい水に認定されている見上げた先には越前大野城。ウィキペディアによると・・・>1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を>平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を>与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした>戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を>築き始めたのが越前大野城の始まりである>築城に数年間を要した。その後、越前松平家が>3代続いた後天領となり、土井氏で定着するまで>目まぐるしく城主が替わった。城は1775年(安永>4年)に焼失し、1795年(寛政7年)には天守を>除いて再建されたが、明治維新後に破却されている>山頂の石垣および堀が現存し、山麓部にも内堀および>外堀の一部が残る。建造物としては、不明門が市内>中丁真乗寺山門として、櫓門であった鳩門の門部分が>光明寺山門として、それぞれ移築され現存する。また>8代利忠の隠居所が柳廼社社務所として移築現存する>天守は、亀山の山頂にある天守曲輪に建てられた。>本来は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、>天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が>付属された複合連結式の天守であったが、1795年に>焼失して以降、再建されないままであった。>現在山頂に建つ天守は、1968年(昭和43年)に元>士族の萩原貞の寄付金を元に、往時の絵図や創建当時の>同時期の他の城の天守を元に、鉄筋コンクリート構造に>よって推定再建されたものである。しかし、小天守が>天狗の間の位置に建てられていることなど、史実に>基づいた復元再建ではない>復興天守の内部は、金森氏や土井氏など歴代の城主に>関する資料を展示した資料館として利用されている。>12月から翌年3月までは閉館となっている。2014年に>有志による「ラピュタの会」が結成され、「天空の城>大野城」の知名度向上に努めている狭い山頂部に石垣が、築かれての天守なのでなかなか天守の全貌を、まじかに眺められる事がなかったが、どこかにそんなポイントがあるのかもしれない。今回はガイドがいないので、バスの最短ルートからの往路、帰路はかんな感じで遂にここで銅像ゲット。第七代藩主の土井利忠である。藩政改革、教育制度の整備、軍制改革などで大きな実績を挙げて、樺太開拓を目指すなどスケールの大きい名君であったそうだ日本の瓦屋根に桜が良く映えてます。とは言っても、天守脇にあった和風なおトイレの屋根なんですがこちらは、天守の上の方から見たおトイレの屋根越しの桜。それにしても良い瓦を使っているなぁ~。いぶし銀?それにしても桜の一番良い時期に、この城にも来れて良かったです。最初の富山県北部の舟川、春の四重奏以外はどこも桜は満開と言った感じでした今回の桜咲く北陸のなつの城の団体旅行はまだ10日近く後の日程もあるので、それに参加される人も桜が楽しめるように、時期がズレそうな、遅めの桜の名所も組み込んであるのだろうこのお城は戦後に建てられたもので、中は資料館なので、写真撮影も出来なかった遠くに見える東側の白い山々。あの向こうは岐阜県だ。高山もその彼方そんな訳で越前大野城について、大体説明も出来たので、ここからは近況という訳で、来年夏の東京オリンピックで全国をまわる、聖火のコースが発表になりましたね長野オリンピックの時には、長野県内をまわりまして、その当時は長野県だった「馬籠宿」もコースになって、私も見に出かけました。娘や息子らは越県通学で岐阜県中津川市の小学校に、通学をしていましたがすぐ近くなので学校から、みんなで応援に来ていました。その時にスポンサーなんでしょうか。あったかな缶コーヒーを配ってまして、娘は缶コーヒーを初めて飲んだと今日も話してました平成の大合併で「馬籠宿」は、岐阜県になりましたが、今度は岐阜県のスタートとして聖火がやってくるそうです。しかも週末のようで、娘も見に行けると喜んでますよ結構、全都道府県のあちこちに聖火がまわるようなので、皆さんもお近くでご覧になれるかもしれませんので、要チェックです。それにしても馬籠宿はかなりの坂の宿場町なのですが馬籠宿の一番下側でセレモニーがあってラストは、宿場の一番上のはずれにある展望台って、あの坂を上るんだろうか?箱根駅伝の山の神クラスの人じゃないときつそうだけど、どんなんだろう皆さん、時間前には下山されてお土産屋をのぞいたり、のんびりしたり・・・・再びバスに乗って、お昼を食べに福井市方面へ戻りますそれにしても、日本の田舎町と言った風情があり、なかなかのんびりとした素敵な町ですね私も周囲を山に囲まれた田舎町で生まれ育ち、今も住んでますので、こういった風景は親近感もわきますあの山はなんていうんだろう。4月になっても白いまま・・・。今年の春は遅くまで寒かったので、恵那山も白い時期が長かったです走行中のバスのからの風景写真ですがなかなか良い感じで撮れました遠くに見える銀色に輝く丸いのが、勝山の世界三大恐竜博物館とも言われる福井県立恐竜博物館だそうです。見に行きたいなぁ~富山城、高岡城、金沢城、丸岡城、大野城と、5つのお城をまわりました。残す所はあと二つ、どこのお城でお花見が出来るのだろう。続く 平成31年4月6日に越前大野城で撮影にほんブログ村
2019年06月05日
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前の日記にも、城に桜は似合うとのコメントを幾つも頂戴したが、高岡城と同様に、日本の桜名所100選に名を連ねる城は27つあり、日本100名城にも兼ねている城も多い今回の日記で紹介をする越前丸岡城もどちらにも選定をされている桜の城だ別名を霞ケ城といい、桜の名所の方は霞が城公園の名称となっている。そして何と言っても日本でも数少ない、江戸時代の天守が残る城でもある娘と出かけた桜咲く北陸の7名城のツアー2日目はここ丸岡城からスタート。こちらも桜が満開であり、しかも雲一つない晴天で青空に桜と城が良く映え絶好のお花見日和だ坂井市丸岡観光協会キャラクターの城丸くんは、丸岡町町制100周年と町村合併35周年を迎えた平成元年に誕生をして丸岡城のPRキャラクターとしても活動中だこちらもボランティアガイドさんがお城の説明をしてくれ、まずはガイドさんお勧めのお城と桜の写真スポット。入口から反対側に回り込んだ所なので、もし個人で行けばここから写真を撮る事はなかったと思うやっぱ現地の事を良く知るガイドさんがいてこそといった事も多い。こういうガイド付きのツアーというのも面白いかも。さて現存天守をおさらいをすると、世界遺産の姫路城を筆頭に松本城や彦根城、犬山城が国宝だが、最近には重要文化財だった松江城が国宝に昇格をした弘前城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城宇和島城、高知城が重要文化財に指定されている。戦前には20の城が残されていたけど空襲などで焼失をしてしまった。ここ丸岡城は戦前は国宝であったそうだなんでも、昭和4(1029)年に施行をされた国宝保存法にもとづくもので、現在の国宝と区別する為に、一般的に「旧国宝」と呼ばれている。昭和25(1950)年に国宝保存法が廃止され、文化財保護法に切り替わったて、旧国宝は全て重要文化財となったそこの中でも価値が高いものが、改めて「国宝(新国宝、現国宝)」に選ばれているそうだここ丸岡城も以前は旧国宝だったが重要文化財のままだ。というのも昭和23(1948)年の福井地震で天守が倒壊古材を用いて、元のように組み復元されているそうで、そんなあたりも理由であるかもしれません。小さなお城ですしね。それでも日本で一番古い天守であると言ってましたが、それも今春になって、柱などの部材を調べた結果から建てられたのは江戸期の寛永年間(1624〜44年)だった事が判明。1593〜94年に大天守と渡櫓、乾小天守が完成したとされる松本城の方が古いそうだ。続くのは犬山城の1601年、彦根城の1606年なんだとかしかし、松本城は乾小天守のみが先に造られて天守は江戸時代からだとか、犬山城は1537年には現存天守の2階部分までが完成をしていたといった説もあるので、一概にには断定出来ないてこてこと坂を登れば、あっという間に天守が目の前に現れた。岩村城とか山城なのでふ~ふ~は~は~と言いながら登城をせねばならないが丸岡城は年配観光客にも優しいお城であった元は木彫銅板張りの鯱であったが、戦時中に銅板が不足をしており、この石製のものと差し替えられたそうだが、福井地震の倒壊による修復時に、再び木彫銅板張りの鯱が屋根に乗せられたそうだではでは入城をしてみようか。添乗員さんの了解を得て、この時点でガイドさんから離れ娘と二人で先行をした形で見学をしていた。ウィキペディアによると・・・>福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い>独立した丘陵に築かれた平山城である。>近世に山麓部分が増築され、周囲に五角形の>内堀が廻らされていた。安土桃山時代に建造>されたと推定される天守は重要文化財に指定>されている>その他、石垣が現存している。移築現存する>建物として、小松市の興善寺および、あわら市の>蓮正寺に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の>民家に、不明門と伝わる城門がある>ほかに土塀が現存する。「霞ヶ城」の名の由来は>合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したと>いう伝説による城の変遷は・・・>1576年(天正4年) 織田信長の家臣で、越前ほぼ>一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により>築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に>移った。>1582年(天正10年) 本能寺の変の後の>清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に>移された。代わって勝家は安井家清を>城代として置いた。>1583年(天正11年) 柴田勝家が豊臣秀吉に>よって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は>丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主と>して青山宗勝(修理亮)を置いた。>1600年(慶長5年) 丹羽長秀死後、領地は>そのままに豊臣秀吉の家臣となっていた青山>宗勝とその子・忠元は、関ヶ原の戦いで敗者>である西軍方につき改易された。越前国には>勝者の徳川家康の次男・結城秀康が入封し、>丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6千石を>与えられ入城した。>1612年(慶長17年) 今村盛次は越前騒動に>連座し失脚した。幕府より附家老として福井藩に>附せられた本多成重が4万3千石で新たな城主と>なった。>1624年(寛永元年) 福井藩2代目の松平忠直が、>不行跡を理由に豊後配流となり、福井藩に減封>などの処分が下された。同時に本多成重は福井藩>より独立。大名に列し丸岡藩が成立した。>1695年(元禄8年) 4代重益の治世、本多家の>丸岡藩でお家騒動が起こり、幕府の裁定により>改易となった。代わって有馬清純が越後国糸魚川>藩より5万石で入城。以後、有馬氏丸岡藩6代の>居城となり明治維新を迎えた。>1871年(明治4年) 廃藩置県により廃城となり>天守以外全て解体された。1901年(明治34年)> 残された天守は、丸岡町により買い戻され解体を>免れ、城跡は公園となった。本丸を囲んでいた>堀は、大正後期から昭和初期までの間に徐々に>埋められ消滅した。>丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も>崩れて工事が進行しなかったため、人柱を>立てることとなった。城下に住む貧しい片目の>未亡人「お静」は、息子を士分に取り立てる>事を条件に人柱となる事を申し出た。>その願いは受け入れられ、お静は人柱となって>土中に埋められ、天守の工事は無事完了した。>しかし、柴田勝豊はほどなく移封となり、息子を>士分にする約束は果たされなかった。それを>怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ回ったという>毎年4月に堀の藻を刈る頃に丸岡城は大雨に>見舞われ、人々はそれをお静の涙雨と呼んだ。>現在城内にはお静の慰霊碑が残っているウィキペディアから転載させていただきました大蛇はここから出た話なのですか・・・松江城に行った時にも人柱の話が出ていたし全国各地のお城でもよのような話はよく聞く城の周囲には様々な碑があったが、顕彰したものとかいろいろのようだこちらは戦争で亡くなった方たちの忠魂碑時代がかわろうと、お国の為、大義の為に尊い命をささげた人たちの事は忘れてはいけない下城して、今度は城の表側から桜越しにお城を見上げてみた。ここの桜は殆どが染井吉野のようだ。手前のピンクの濃いのは枝垂れ桜かな?その日は土曜日でもあったので、お花見時期の週末でイベントなどもやっており地元の皆さんもご家族で遊びに来ていたようだのんびりと、浅い池で泳ぐ鯉をのぞくお父さん旧国宝であった丸岡城を、再び国宝にするのは、地元民の悲願でもあるようだお城のふわふわ遊具や消防車も、お城のイラスト入りだし城下町らしい古い門は、移築されて北国ものだが、この門をくぐった先にあるのが一筆啓上日本一短い手紙の館である。一筆啓上とは,簡単に申しますと・・・と言う手紙の書き出しに使う言葉であるが武勇に秀でて気性が荒い事から「鬼作左(おにさくざ)」と呼ばれ、三河三奉行の一人である本多重次(丸岡藩初代藩主成重の父)が、天正3(1575)年の長篠の戦いの陣中から、妻に宛て書いた手紙が、日本で一番短い手紙として有名でその書き出しが、一筆啓上なのだ「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」でお仙とは、跡継ぎの仙千代(成重)で、男子はこの幼子しかいなかったようだ。後に仙千代は豊臣への人質として、秀吉の養子となった結城秀康(家康の子)の小姓として大坂に送られた時期もあった越前北ノ庄藩初代の藩主となった結城秀康の子の松平忠直の附家老として、本多成重は越前丸岡藩4万石を与えられている。そんな事から一筆啓上賞日本一短い手紙コンクールが、毎年行われて、昨年のテーマは先生で、国内外から4万近い応募の中から大賞5作が選ばれたその受賞者は7歳から86歳と幅広い年齢層から支持されているようだ。という訳で2日目の最初に出かけたのは現存天守、丸岡城であった。次はどんなお城へ向かうのだろうか。続く! 平成31年4月6日に越前丸岡城で撮影にほんブログ村
2019年05月27日
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さてさて開催中の信州花フェスタの日記を優先し紹介をしましたが、再び4月上旬に娘と出かけた、桜咲く北陸7城巡りのバスツアーの日記に戻るとする。富山城に続き紹介をするのは「高岡城」であるウィキペディアで紹介をすると>1605年(慶長10年)6月28日、富山城に>隠居した初代加賀藩主・前田利長は4年後の>1609年(慶長14年)、富山城下の町人地>から出火した火災の類焼により、城内の>建築物の大半を焼失したため、利長は魚津>城に移り、>大御所徳川家康と将軍徳川秀忠に火災の>報告と、関野に築城の許可を貰う。利長は>築城の方針に伴うため、資材調達を小塚>秀正ら、現地奉行を神尾之直らに命じ、>魚津城から築城の指揮を取り、同時に>城下町の造成も始めた>縄張(設計)は当時の前田家の客将だった>高山右近とされている。同年9月13日、利長は>「関野」を「高岡」と改め、未完成の高岡>城に入城した。殿閣は先代利家が豊臣秀吉>から賜った豊臣秀次失脚に伴い破却された>伏見城秀次邸の良材を使って建てられた>とも伝えられる。>しかし、1614年(慶長19年)5月20日に>利長は死去(享年53)し、隠居城として>使われたのはごく短期間であった。その>翌年の1615年(元和元年)には一国一城>令により、大坂夏の陣からの利常凱旋を>待って高岡城は廃城となった>(その代わり加賀国に小松城を築くことが>ゆるされた)ただし、廃城時期については>1638年(寛永15年)とする異説もある。>しかしながら、廃城後も高岡町奉行所の>管理下で、加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・>番所などが置かれ、軍事拠点としての>機能は密かに維持された>これは加賀藩の越中における東の拠点で>あった魚津城も同様であった。街道の>付け替えの際には、濠塁がそのまま残る>城址を街道から見透かされるのを避ける>ため、町屋(定塚町)を移転して目隠しに>したといわれる>また、廃城後に利長の菩提を弔うために>建立された瑞龍寺や周囲に堀を備える>利長の墓所自体も高岡城の南方の防御>拠点としての機能を併せ持つものとして>配置されたと考えられている>郭は、本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶>丸の五つからなるが、現在では「御城外」と>されている小竹藪や梅林も、これに加える>ものと考えられている。(中略)基本的な>プランは利長の先の居城であった富山城>との類似性が見られ>その発展型とみることができる。今なお>築城当時の濠塁をほぼそのまま残して>おり、総面積の約21万m2(71,261坪)の>内、約3割(24,400坪)が人工の堀である。といった感じで、ウィキペディアを丸写しさせていただき、高岡城址を紹介させていただきました。日本100名城の他に、桜の名所100選にも選ばれている。江戸時代には前田家の防衛を担っていた高岡ですが、ここ最近は違った意味で脚光を浴びてますよ。「令和」で~鶯(うぐひす)の鳴き散らすらむ春の花 いつしか君と手折(たを)りかざさむ 天平19年(747年)2月29日、病気であった大伴家持が、大伴宿祢池主に贈った悲しみの歌です。万葉集を編纂したと伝わる大伴家持は、越中の国守として高岡に赴任5年間の在任中、高岡で様々な万葉の歌を残しました。中には私が学生の頃から好きなもののふの八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ 寺井の上の堅香子の花なんてものもある。堅香子(かたかご)とは今はジャガイモで代用される片栗粉を、本来根茎からとる、かたくりの古来の名前である高岡城址にも、愛らしい堅香子の花が咲いていた令和は万葉集の大伴旅人(家持の父親)による歌からとられており、その舞台となった大宰府が注目されているが、その子の大伴家持の赴任先だった高岡もまた、万葉集がらみで盛り上がっているようだったこの花は染井吉野ではないんです。固有の桜というと信州高遠城に咲く高遠コヒカンザクラが天下第一の桜として有名ですが、こちらの花は10年ほど前に、新種として認定を受けた「タカオカコシノヒガン」桜だそうですもともと富山県南砺市に自生地がある「コシノヒガン(越の彼岸)」という桜は知られていたのですが、「タカオカコシノヒガン」は花びらの丸みが強く、やや波打った形状をしているが特徴だそうだそれにしてもノッポな桜だ。高岡城築城の際に太田村の宗右衛門という者が砺波地方の山桜を献上して植えたのが始めで、高岡城に隣接して馬場が設置され、その両脇には宗右衛門由来の山桜が植えられ、歴代の藩主の手厚い保護のもとで育成されたそうですその他にも高岡城址には「コシノカモザクラ」という新種の桜も咲いているのだという。桜の園では、華やかな衣装の花婿さんと花嫁さんが記念撮影を行っていた高岡城址にはこのような新種の、珍しい桜の花などの他にも、ソメイヨシノ、オオシマザクラ、エドヒガン、ヤマザクラなど18種、1800本もの桜が春には咲き乱れている今回の北陸の7つの名城を巡るバスツアーでは幾つかのお城で現地ガイドがつくのだが、私の班の担当の女性は、お濠とお花や万葉集が中心だったので、ぬぁんと前田利長の騎馬像なども観る事なく終わる・・・堅香子の花の近くの、こんな猿の写真は撮れたのだけど。。。娘も暇そうで添乗員さんが別行動をとってもいいですよ~と言ってくれたの、素直に聞いておけばよかった。でも別行動だった場合「タカオカコシノヒガン」に気が付かなかった可能性は高そうだと言った訳で、本来であればこれで山中温泉へ向かうはずだったが、最終日に行くはずだった金沢城に急遽立ち寄る事となった。その方が明日のルートが戻らなくて効率が良いらしいだったら最初からそうゆう日程で組めばいいのに・・・と思いつつ金沢城に着いたのは午後5時半近くで、近くのバス駐車場から、添乗員が城の前まで送ってくれて、そこからはフリータイム。集合時間までには、自分たちでバスまで戻るという話だったけども城門に着いた時点で、閉門の30分前~~たった30分しか時間がないのか。これでは櫓の中の見学どころか、満足にお城の中もまわれるか心配だ。他の奥様方は最終日の金沢が楽しみだったようで、時間はないしこんな夕暮れに!と、かなり文句が出ていた娘も、目の前の兼六園も行ってみたかったと言うので、入口の灯篭位しかないぞとか、冬の雪吊りがないとな・・・と。駆け足の金沢城もとりあえず石川門や三十間長屋、鶴丸倉庫の重要文化財は、外観をおさえたいところだ30分しか拝観時間がないので、とにかく速足でてくてくと・・・石川門は一番最初に入場をした桜に囲まれた門なので、まずは1つ目をゲット~!。再びウィキペディアに説明をお願いすると>金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野>川とに挟まれた小立野台地の先端に築か>れた、戦国時代から江戸時代にかけての>梯郭式の平山城である。櫓や門に見られる、>白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)>壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、>櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋>破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。>この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の>寺院である「尾山御坊」であった。寺とは>いうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と>同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞>でもあった。>織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を>築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の>戦いで羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城を>前田利家に与えた。利家は文禄元年(1592年)>から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の>天守や櫓を建て並べた>兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に>付属してつくらせた大名庭園である。なお金沢の>地名は室町時代の文明年間には既に存在していた>ことが知られているが、尾山御坊時代は金沢の>小立野台地の先端すなわち山尾(尾山)にあった>ことから尾山の呼称が使われていた>佐久間盛政が新城を築いた時に一向一揆の印象が>強い尾山ではなく金沢を城名に用いたが、前田>利家が入城すると羽柴秀吉(豊臣政権)に敵対>して滅ぼされた盛政命名の金沢城ではなく自身の>出身地の尾張国にも通じる尾山を採用した。>だが、金沢の地名が広く知られていたために>尾山城の名前は普及せず、利家自身も再び>金沢の城名を用い始めたと推測されている>城址は明治以降、存城とされて軍施設が>置かれたため建物の一部を残して撤去され、>第二次世界大戦後には金沢大学が平成7年>まで置かれていたこんな薄暗くなって!と奥さんたちに不評の閉園間近の金沢城フリータイムだが、私は結構好きかも。「逢魔時(おうまがとき)」というような薄暗くなってきて、人もひいた時の静けさは、より印象深く感じる事も出来るこれまでにも閉まる間近の夕刻に出かけた奈良の東大寺大仏殿や、京都の三十三間堂などは拝観者がいなくなり、独り占め気分かけがえのないひと時となった。この城もお花見客も多く真昼は大変な人出であっただろうにこちらが2つめの重要文化財の「三十間長屋」安政5(1858)年に再建されたもので、金沢城には、この他に全部で14の長屋があったと伝えられている。元は軍備倉の堅固な造りで千飯が貯えられていたらしいが、後には鉄砲蔵とも呼んでいたそうだ加賀百万石の前田家の居城である金沢城であるだけに、城内には見どころなどもあるけど時間がないから、横目で眺めつつも早足でスルー。さて金沢城には天守閣はなかったのだろうか。どうやら当初は天守閣を造ったのに、僅かな年数で落雷のため焼失その後は天守閣が再建をされないままで、廃藩置県を迎えたそうだ。理由は財政的に厳しい事と戦いに直轄をするような天守を作ることで幕府に対して反乱でも起こす意思でもあるのかと疑いをかけられたらいけないので。それに江戸期などは天守がなく、櫓を代用した城が多かった第一、江戸城自体の天守も、明暦の大火により寛永度天守が焼失してしまい、今も残る御影石の天守台が、加賀藩主の前田綱紀によって築かれれ計画図も作られたが、保科正之が「天守は織田信長が岐阜城に築いたのが始まりであって、城の守りには必要ではない」と言い、江戸の復興が優先された江戸幕府が盤石になったので戦いの為の天守はもう時代に合わなくなったのかもしれない。とは言っても江戸期に作られた天守もあったようだがさてさて重要文化財の金沢城土蔵の「鶴丸倉庫」武具蔵として嘉永元(1848)年に建てられた大型の土蔵で、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で加賀藩大工の山本勝左衛門が普請を手がけた、明治以降には、軍隊の被服宗箇などとして利用がされていたそうだこのようにお城の塀などは作られているといったわかりやすい実物模型とか時代による城の石垣の変遷なども。初期の野面積みなどから、後期の切石積みなどを、石垣の内部がどうなっているのかなどもわかって参考になった金沢城は天守はないが、石垣も見どころだそうで時間があればそれらを楽しみもしたかった。それに前田利家の像もあったらしいが、気が付かなかった高岡城の利長に続いて、金沢城の利家も・・・(泣)閉門時間の午後6時ちょうどには、石川門に戻ってきました。ここからバスの駐車場まで数分。集合時間は6時10分です。石川門の説明を最後になりましたが・・・金沢城の搦手門(裏門)として、重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに「三御門」と呼ばれた。櫓と櫓を長屋でつないだ重厚な枡形門で、宝暦の大火で焼失したが後に天明8年(1788)に再建をされた金沢城の中には入れないが、石川門の真下とか周囲では、お花見客が宴会などをして賑やかだった。金沢らしいお店もいくつも並んでいたが素通り、写真だけパトリ。そんなんで集合時間前にはバスに戻ったが、慌ただしく添乗員さんがバスから降りて。。。石川門から反対側に行ってしまい、戻ってこないお客さんがいるようで、携帯電話で連絡しあって10分程で、バスに戻ってきた。携帯電話が無い時代は大変だっただろうなぁ・・・こうして舟川と富山城、高岡城、金沢城の見学を終え山中温泉へ向かった。ではでは、続く~! 平成31年4月5日に高岡城、金沢城で撮影にほんブログ村
2019年05月21日
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ある熊です。いえ「アルクマ」といいます前にもここで紹介したと思いますが、名刺貰ったので、それを読めばどんなクマかはわかると思いますもっと詳しく知りたい人は、ネットで↑からご覧ください。とにかく信州で大人気のクマさんです。本当の熊には会いたくないけど、アルクマは大歓迎カメラに向かってポーズもしっかりとってもくれました。前回の日記に続いて、信州花フェスタ2019で松本のスカイパークに出かけた日の後半を紹介しますこちらは開催地の松本市のマスコット「アルプちゃん」で、帽子は北アルプス服は豊かな自然を表す緑色、楽都をイメージしたバイオリンを持っていて松本市が、花いっぱい運動の発祥地である事から花の飾りを頭につけてます戦後で荒廃し人々の心にも余裕を持てない中、社会を美しく・明るく・住みよくする事と、花を通じ人々の気持ちを豊かにとの願いを込めて花いっぱい運動は、昭和27年4月に松本市の小学校の教員であった小松先生によって始められたそうですよこの子は大町市の「おおまっぴょん」大町市にもサブ会場がありますので最後のはブドウのアタマの塩尻市の食育推進キャラクター「グレータス」ここ松本空港のある松本スカイパークですが一部分は塩尻市にあたります他にも、サブ会場のある安曇野の「みずん」もよく登場するみたいですよ。会いたかったのにな後ろ姿はこんな感じです会場内には、他の自治体のマスコットもうろうろしておりまして、高遠城もある伊那市の「イーナちゃん」は市の花でもあるさくらの花を身にまとった水の妖精だそうですよう、わからんマスコットです・・・・高原の爽やかな風が吹く松本で沖縄島唄を楽しんだりEXILEのTETSUYAがプロデュースをした「AMAZING COFFEE」も出店(~GW)ご当地グルメなども楽しめる飲食ブースやお花も購入が出来るこんな、こじゃれた休憩スペースもあればまだまだお花見も楽しめそうな休憩所お花の好きな人には、のんびりと過ごす事が出来そうな、信州花フェスタだが雨の日も大丈夫。様々なイベントでも使用をされる「やまびこドーム」でおっきな屋根を見上げながらサボテンを見る。なんでも長野県はサボテンの産地の上位に入っているそうである。ダントツなのは愛知県岐阜県、埼玉県のようだがご当地の物産ブースもあり、試飲もさせて貰えるので、娘が嬉しそうに塩尻のワインを飲んでいたそして、見逃せないのが「劇団四季企画展」(~5月19日)で、様々なミュージカルの衣装や小道具などが展示をされているのだ(撮影OK)「キャッツ」は名古屋で見たけど、ごみも都市によって、ご当地色が出ていると聞いたことがあるような仮面だぁ~。オペラ座の怪人のだなタイトルは知っているが、内容は判らない結局、劇団四季で見たのはキャッツとライオンキング位なものだけど・・・李香蘭かな。上海のブログを書く時に劇団四季のミュージカルのも動画であったんでライオンキングっす。もともと大町に劇団四季の稽古場があったり、舞台の大道具とかの倉庫が大町に出来たりとかなり以前から、大町市との関係が深かった為の展示のようです今も大町市には劇団四季記念館がありこういった舞台衣装や小道具が観れるようですよその日は午後から劇団四季の俳優さんのトークショーもあったけど、昼前に退場しちゃいましたあっ、アルクマブースだ。なんだかパイプ椅子に座りたいらしい世話役の女性に、なにやらヒソヒソしゃべれるのか!色鉛筆を手にして、塗り絵にチャレンジするみたい先着来場者に貰えた花のクッキークイズで花の種を貰えたり、ブラブラしてただけで貰った粗品など。菓子はその日に泊まった安曇野のホテルでといった訳で朝早くから出かけた事で存分に信州花フェスタも、楽しんだしそろそろお腹も空いたので、退散するかなメイン会場は赤い飛行機の上のあたりで現在地のあたりに車を停めました。最初の芝桜は一番右側のあたりです駐車場へ向かう道は大渋滞。有料のピストンバスも渋滞に巻き込まれて全く進まずに、横を歩いた私の方が早く駐車場に戻れたくらいですやっぱイベント開催時は、開始時間の1時間~30分前には着いていないと駐車場が心配です。飲食系イベントも午前が勝負です。昼には大行列必死日テレのケンミンショーで、信州の回転寿司店では、長野県民はこぞって「サラダ軍艦」を食べるというのを見たので、長野市創業のかっぱ寿司で食べました。私は山かけマグロが一番好きですそんな、ほのぼのとしたケンミンネタならまだしも、全国放送で「松本走り」(松本ルール)なる危険な運転方法が紹介をされている。交差点での右折車の危険運転で、幼い子供を含む歩行者が犠牲となった痛ましい事故の関連による城下町で、狭い道に右折レーンが取れず慢性的な渋滞に悩まされる為、右折車が強引に右折をするのを、直進車も黙認をしているので、他府県ナンバーは注意が必要だ私などは片側2車線の国道19号線の右折レーンから右折をしようとしたら対向車(直進車)が来たので停まったらその直進車も停まったので、えぇ~っ?なに~??と、何が起こったかとビビる片側2車線の国道の直進車が、右折レーンの車に遠慮をして停まるなんて? 普通は右折矢印青信号(対向の直進は赤)でも突っ込むバカ車が多いのが当たり前なのに。そんな目を疑うような体験が松本で2度ありました。でもでも直進車に先に行って貰いましたよ~「前の車が行けたから自分も行く」といった今回の大津での事故の右折車みたいなのも松本ではよくある運転なので、要注意ですそんな「松本走り」の他にも「名古屋走り」では、赤信号で右折レーンの一番最初に入り青信号になると強引に直進を行うというのうちのあたりは愛知県の観光客が一番多いので、よくやられるんですよ~。交差点の事故は一番多いし、私も中津川市内ですが脇道から大きな道に入ろうと停車してたら目前で無理な右折車と直進車が接触、うちの車にぶつかってきたという事もあったので他人事じゃないです一瞬の出来事なのに、車が来る~来る~来る~~と車が迫ってくるのが、スローモーションのように感じました(同乗してた娘も) 車の斜めにぶつかってきたので怪我はなかったです。すぐ横は川だったし(汗) そんな交通事情の悪い松本市街ですけど色んなお店などが出来ていて、女子とか外国人観光客でにぎわってました。この信毎メディアガーデンもこじゃれたお店幾つもありましたよ。軽井沢の丸山珈琲とか、長野駅みたいに試飲も出来ます安曇野のホテルは素泊まりだったので少し早めの夕食を松本駅前の居酒屋でハッピータイム。娘は1杯100円の日本酒や、ビールなどをご当地グルメ山賊焼きをさかなに、ぐびぐびと私の方は安曇野まで車で行かなきゃいけないので、お酒は飲まずにお得な価格のまかない丼。よく考えるとお昼には回転寿司だったんだけど、お酒のおつまみのようなのはどうも食べる気にもならないゴールデンウィーク中は松本市街のホテルは満杯で、仕方なく松本から車で、約15分そこそこの安曇野のホテルは素泊まりで二人で1万円強でした。朝8時台にチェックアウトしまして行きたかった三澤珈琲の松本店が臨時休業だったので、全国チェーンの星乃珈琲店でモーニングを食べ、山形村のアイシティの映画館(レディースデーでお得)に出かけお昼過ぎには、よく出かけていた国道19号沿いの南松本のイトーヨーカドーと、イオンモールをハシゴイオンモールで、新潟からしラーメンチェーンの「ちゃーしゅうや武蔵」で遅めのランチ。ツルヤなどいつもの店で買い物もして車で2時間、自宅に午後6時台に帰宅して夕飯の準備! ではでは~ 平成31年4月29日&30日に信州松本で撮影にほんブログ村
2019年05月15日
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どうもどうも久しぶりでございます。ここ10日程の間に、世の中は平成から令和へとかわり、10日間もの長期休暇で家でのんびり旅行でリフレッシュとお過ごしだった事でしょうね皆さんはどこかにおでかけされましたか?海外旅行など論外で、国内も高い宿泊代金渋滞も嫌いな我が家としては、平成最後の旅行先に選んだのは、勝手知ったる第二の地元の松本で北アルプスのいつもの風景をと、言いたいところですが・・・・よくここでも紹介をする信州まつもと空港の松本スカイパークが、芝桜で彩られて何やらド派手な事になっていますこれは、「北アルプスの麓から広がる花と緑に包まれたしあわせ暮らし」をテーマにした、第36回全国都市緑化信州フェア「信州花フェスタ2019」を見に出かけたのですよウィキペディアによりますと>全国都市緑化フェアは、日本の地方博覧>会のひとつで、花と緑の祭典である。>1983年、建設省(現在の国土交通省)の>提唱で都市緑化基金(現在の都市緑化>機構)が主催する第1回全国都市緑化>フェアが大阪府で開催された>公式見解によれば目的は、都市緑化>意識の高揚、都市緑化に関する知識の>普及等を図り、緑豊かな潤いのある>都市づくりに寄与することである。>その中で全国都市緑化祭は最大の行事>であり、現在は式典には眞子内親王が>出席する。主催は公益財団法人都市緑化>機構と、開催地の地方公共団体である。この最初の大阪の花博は、結構な賑わいであったようで、花好きの今は亡き母親も大阪まで見に出かけ、綺麗だったと喜んで話していた。ちなみに来年は広島らしい旦那は田植えの準備などもあるので、それが終わらないと行楽などはいけないと言うので娘と二人で出かける事にしたが、電車も混みそうだし、高速道も怖いので一般道を使って私が出かけられるといったら、やっぱり信州更に決め手になったのがゴールデンウィークに合わせて公開をされた「アベンジャーズエンドオブゲーム」を松本にある3つの映画館で見るという心づもりもあったのだ。しかも日程的にレディースデーで1100円と安く見れそうだ行こうと決めた3月下旬には、既に松本や諏訪での宿泊先は全滅だったが、安曇野あたりではまだ宿泊先に空きもあって、しかも宿泊料金が通常価格。素泊まり5千円程×2名の宿発見!娘が数年はいただけに、最新店舗はともかく普通に飲食店などは頭にインプットもされているし、道だってカーナビがなくても大丈夫こうなったら、あそこにここにと行きたいと思うお店やスポットも色々出てきて心配だったのはお天気位。でも初日はまだ雨も降らず、西から怪しい雲が湧き出てもきたが、まだ屋外の観光に支障もなさそうだし、天気が崩れる前にメイン観光である「信州花フェスタ2019」を見て回ろうそのメイン会場はいつもの松本のスカイパークでして、駐車場も熟知しているがこうゆうイベントは、開始時刻の30分前には、会場入りをしていた方が安心だ朝ごはんを作り、洗濯も干して午前7時ちょい過ぎには家を出発し、車で2時間程で会場到着。開始時間の30分以上前なので、思った駐車場に車もとめられて最初に出かけたのが先程の芝生の公園だあそこは、松本空港の一番端っこにあたり有料の乗り物で、広い会場も移動もできるが節約志向の母子は歩く。てくてく。そんな節約・・・いや「健康志向」の来場者も北アルプスを見ながらひたすら歩く普段から、花壇などに綺麗な花も咲かせているのでチューリップやいろいろな季節の花が道中を楽しませてもくれた。今回の信州花フェスタ2019について紹介をするとメイン会場場ここ、長野県松本平広域公園(信州スカイパーク)ですが、他にもサブ会場として、国営アルプスあづみの公園(堀金・穂高地区)と(大町・松川地区)長野県烏川渓谷緑地などで6月16日まで5月25日~ 6月8日の期間限定で、松本市サテライト会場などでも開催をされます花がテーマになりますが、期間中は様々なイベントなどもあるようで、春の信州を満喫できそうですよあと1回くらいは行きたいけど、今年の5月はむちゃくちゃ予定が入っているのでもう行けそうにもないかもしれない・・・うちは南端の芝生の公園を先に見てきたが駐車場からは、この滑走路下の歩道を歩くルートの方が近道だ。私も帰りにはここを歩いて駐車場に戻ったといった訳で、メイン会場のある松本空港脇のやまびこドームに着いた同時に、開場時間の午前9時半。一斉に会場入りをする人たちについて入場まだ松本では、桜の花も咲いてましたよ流石に、染井吉野ではない遅咲きの桜だとは思いますが。これが平成最後の花見となりそうです桜の咲く一角には、全国の観光地の写真パネルと花壇が並んでおり黒いお城の仲間、修復中の熊本城こちらは姫路城。やっぱ城仲間が集うようです。首里城とかもありました大掛かりな花壇は向きが変わると雰囲気も変わります近くにある松本山雅のホームグラウンドアルウィンの大きなパネル山野草なども植えられたアルプスの風景を再現もしてましたこちらは茅野の国宝の埴輪のレプリカ真田氏の上田城もありました軽井沢の白糸の滝イメージだったかな酒樽も花壇化してます。夜明け前は小野宿ですねそんな感じで、長野県内の市町村の特色も花壇で紹介されていましたさてさてメイン会場で、一番の見どころなのが、いつも飛行機の離発着を眺める図書館横の小高い丘で丘全体に花が植えられて、メルヘンタッチ溢れる風景となってました。この前、朝のワイドショーとくダネ!のお天気コーナーここから生中継をしてましたし西の空にはワイルドな分厚い雲が広がってきていましたが北アルプスはなんとか、まだ見れてましたまぁ、当初は雨予報だっただけにお天気が崩れるのが遅くなって良かったですそうそうNHKのBS放送でやっている火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」ですが今週は長野県で、昨日は伊那のみはらしファームから娘の好きなラーメン屋「じゃげな」も映って今朝はここ松本空港からスタートと見慣れた懐かしい風景ばかりなので見ていても、余計に楽しいですねとうちゃこ版も観なければ~一日に3便しかないので、残念ながら飛行機の飛ぶ時間まではかなりあって離発着を見る事は出来そうもないです普段はよく利用をしている駐車場にはお花の手入れをする建物などが臨時に作られていましたこうして平成も僅かとなった一日、始まったばかりの「信州花フェスタ2019」に娘と出かけた訳でして、後半ではやまびこドーム会場や飲食ブース、マスコットを紹介します つづく 平成31年4月29日に信州松本で撮影にほんブログ村
2019年05月08日
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いよいよ今日から平成から令和へと、年号をまたぐ連続10日間のゴールデンウィークだが低気圧が続けてやってくる関係から、芳しくなく、お勧めなのは28日、2日、5&6日であるらしい。娘とのお出かけ予定は雨予報今更、ホテルをキャンセルするのも気の毒なので雨覚悟でドライブ。曇り時々雨レベルだったらいいけど。北海道は雪予報だとか雷とか不安定な天気みたいですよね。今日もすごく冷たい風で、冬物残してて良かったしさてさて、4月5日に娘と出かけた1泊2日の北陸三県のバス旅ですが、最初にバスが向かったのは富山県の一番、東に位置する朝日町で、真っ白な北アルプスを望む海辺の街だ今回の旅行の最初の観光先は「あさひ舟川春の四重奏」といいまして、地元の皆さんの手入れで素晴らしい春の景色が望めるというもので、チューリップと菜の花、桜並木、残雪の朝日・白馬岳による四重奏なのだが寂しい会場にあった看板によればピーク時にはこのような素晴らしい四重奏となるそうですが時期が少し早かったみたいですね今年の場合、あと数日後の10日あたりから見頃だったみたいでチューリップも、いろんなのが植えてあったんですが早咲きなのか、この花だけが綺麗に咲いてました。あと数日もすれば、他の花も咲きだして花の絨毯になるみたいです菜の花は、この一角だけ咲いてましてこの後、畑の一面が菜の花畑になるのだろうか。フェイスブックとか見ると確かに、ピーク時には今年も綺麗だ肝心の主役の桜が、まだ咲きかけなのをアジア系外国人観光客の団体客も、残念そうに写真に撮っていた。私が参加をした1泊2日の北陸三県の桜旅は、旅行日程が4月上旬~中旬にかけての10日間から選択するタイプだったのでうちのように早い時期のお客さんも中旬を選んだ遅めのお客さんも桜が楽しめるように、早咲きのものから北部の遅めのものを、チョイスしていたんじゃないかと思います。桜が全く見れないのはサイアクですからですから後半の日程の皆さんは、きっと看板通りの素晴らしい四重奏を楽しまれたんじゃないかと思いますよ。まぁ雪も降るような4月アタマの寒波到来がなければ、もう少し咲いていたんじゃないかそんな気持ちもあります舟川の桜並木は、松山ケンイチ主演の山岳映画「春を背負って」のタイトルバックにも使われたものです。あれを見て、見に行きたいなぁ~とは思っていたんですが、わずか数日のずれでも桜は見れませんいかに、事前に予約をしている桜の旅が難しいのか。うちからは高山経由で車で4時間程度で行けると思うし、直前までキャンセル料のかからないホテルの予約でもしておいて、咲き具合から個人で行くしかなさそうですねでもね、そこの係の人が言ってましたけど昨日まで雨が降ったりして、空気が綺麗になったから、今日の北アルプスはとっても美しく見えるそうでして。う~む、これで桜が咲いてたらさぞかし素晴らしい風景が行きの高速では、山の反対側に座っていたので見れなかったが、今度は逆向きになり車窓から、散居村の向こうに北アルプスがバッチリ見れて、もう釘付けだ飛騨から砺波に出て、富山県の西から1時間はかかって、東端の朝日町まで桜がまだ咲いてない舟川まで行ったがこのような素晴らしいパノラマを見たのだから文句などない。山を楽しむ為出かけたようなものだ楽天ブログを始めた頃から知っている越中おわら節をされてい富山県の方がよく、北アルプスの写真を載せられていて、いいなぁ~と写真では眺めていて数年前の夏に、家族ドライブで出かけてそれ以来の山の光景。しかも高速道路からなので、街中を走る一般道より高い位置から、ずっと山を眺められていられるし奥の鉄橋は新幹線朝日町から富山市までを、撮った順番に写真を載せてます。どのあたりからとか山の名前はサッパリわかりません。さて今回の旅行は、1月に上海旅行で利用をした、阪急交通社トラピックスのメール広告で知りました本当は春には中国の北京旅行で、娘と万里の長城や紫禁城、パンダを見に行こうと思ってましたが、この桜の旅行を見つけて乗り換えました。それ程、自分の琴線に触れるものがあった訳でして名古屋発1泊2日で、3万円ポッキリで桜咲く7つの北陸の名城と、舟川四重奏ここでも、100名城の話をしたばかりですが北陸地方のお城って、北ノ庄城と金沢城しか行った事が無くって隣県であっても、なかなか行く機会にない北陸三県で、あちこちに点在する城を今後も、全部見る機会はなかなかないだろうし、この機会に一気に見てしまおうと。しかも桜の咲くお城って一年で一番、華やかではなかろうか天空の城で売り出し中の地元の苗木城址のライバルの「越前大野城」とか、準地元的扱いの松本の、松本城の日本最古ライバル現存天守の「丸岡城」は最近もニュースでやってたばかりだし、もうワクワク富山城、高岡城、金沢城、丸岡城、越前大野城、北ノ庄城、福井城との富山、石川、福井三県にまたがった桜咲く北陸の7名城、その中には日本さくら名所100選に選ばれた城もありますといった訳で、富山県の県庁所在地の富山市街に入りました。このあたりは神通川の下流域で、複合扇状地の恩恵を受け、大化の改新よりも前から北陸道における農作地であったそうだ旅情をそそるレトロな路面電車が走っていましたよ。富山地方鉄道が運営をする路面電車(軌道路線)は大正期に始まり地元では「市電」「富山市電」と呼ばれ親しまれているそうだ北陸7城のうちの最初の訪問先の「富山城址公園」に着きました。ウィキペディアによると>富山の地は北陸街道と飛騨街道が交わる>越中中央の要衝であり、富山城は16世紀>中ごろ越中東部への進出を図る神保長職に>より築かれたとされる>神通川(現在の松川)の流れを城の防御に>利用したため、水に浮いたように見え、>「浮城」の異名をとった。当時の神通川は>富山城の辺りで東に大きく蛇行しており、>その南岸に富山城は築かれていた。>室町時代の越中守護は三管領の畠山氏で>あったが越中には来任せず、東部を椎名氏、>西部を神保氏を守護代として治めさせて>いた。富山城は1543年(天文12年)頃に>越中東部の新川郡への進出をもくろむ>神保長職(じんぼう ながもと)が、椎名>氏の支配地であった神通川東岸の安住郷に>家臣の水越勝重(みずこしかつしげ)に>命じて築城したとされる。しかし最近の>発掘調査により室町時代前期の遺構が発見>され、創建時期はさらにさかのぼると>考えられている>長職は1560年(永禄3年)、椎名氏を支援>する上杉謙信の攻撃により富山城を追われ、>神保氏の在城は僅かな間であった。その後、>富山城は上杉氏と一向一揆の争奪の的と>なったが、1578年(天正6年)、長職の子と>される神保長住が織田信長の後ろ盾を得て>富山城に入城した>しかし、1582年(天正10年)3月、長住は>上杉方に内応した家臣に背かれて城内に幽閉>されて失脚し、替わって富山城主となった>のが佐々成政である。富山城に拠点を構えた>成政は富山城の大規模な改修を行った>本能寺の変の後、豊臣秀吉と離れた佐々>成政は1585年(天正13年)8月、秀吉>自ら率いる10万の大軍に城を囲まれ降伏し>(富山の役)、富山城は破却された>越中一国が前田家に与えられると、前田>利長が大改修を行い金沢城から移り住み>隠居城としたが1609年(慶長14年)に>建物の主要部をことごとく焼失したため、>高岡城を築いて移り、富山城には家臣の>津田義忠が城代として入った。1639年>(寛永16年)、加賀藩第三代藩主前田>利常が次男の利次に10万石を与えて分家>させ、富山藩が成立した>1661年(万治4年)、幕府の許しを得て>富山城を本格的に修復し、また城下町を>整え、以後富山前田氏13代の居城として>明治維新を迎えるまでの基礎となった。>1858年4月9日(安政5年2月26日)、飛越>地震が発生した。富山城も被災し、本丸や>二の丸、三の丸が破損したほか石垣が崩れる>など大きな被害を出した>1871年(明治4年)廃藩置県により廃城と>なり、翌年建築物は払い下げられた。>1954年(昭和29年)4月11日より富山城>跡の敷地一帯で富山産業大博覧会が開催>され、鉄筋コンクリート構造による模擬>天守が記念に建てられることとなり、>1953年(昭和28年)7月に着工>翌1954年(昭和29年)4月3日に完成し、>通称「富山城」と呼ばれることになった。>この模擬天守は同年11月17日より富山市>郷土博物館として運営が始まった。2003年>(平成15年)6月より、富山市郷土博物館>(富山城)の耐震補強工事に着手、>2005年(平成17年)11月3日に、展示内容も>見直しリニューアルオープンした。2004年>(平成16年)「地域の景観の核」との評価に>より富山市郷土博物館(富山城)が、国の>登録有形文化財(建造物)に登録されたとの事で富山城址公園には、様々な石碑なども建てられていた。ここではフリーでの見学時間が20分程しかなく速足でぐるっと見て回るだけだったせめて30分はくれないと、門とかも遠目で見ただけだったしこちらは砺波出身の実業家である佐藤家が戦後に建てた佐藤記念美術館で、茶道具類古陶磁、日本画、墨蹟など千点以上に及ぶ収蔵品の殆どが佐藤家から寄贈され、今は富山市が先ほどの富山市郷土博物館と共に運営にあたっているそんな感じで、一番最初の富山城址では桜も良い具合で、市民の方ものんびりとお散歩をされていた。次は令和で盛り上がる万葉集にゆかりの高岡市の高岡城へと。令和に続く~ 平成31年4月5日に富山県で撮影にほんブログ村
2019年04月27日
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さてさて4月のあたまに、娘と出かける花見旅で桜の開花具合が心配だと言ってた4月5日&6日の旅日記をスタートさせます。この旅行では名古屋駅に午前7時チョイには集合だというので集合時間までに、名古屋駅に着くには5時台の始発に乗る必要があり、その為には、家を5時出発だなんて辛すぎって事で、娘が仕事が終わった夕刻に名古屋に出て、駅前のビジネスホテルに安く前泊をするという事でホテルにチェックインをしてから、夕食を食べに出かけた先は、ユニモール地下街でビールと餃子とおつまみのセットで千円というのを、私と娘でそれぞれ注文をしたが私のビールは、殆ど娘が飲みましたちょっと足りないなぁ~と、ラーメンを1杯頼んで二人で半分こ。お腹も一杯になったので、そろそろホテルへGO名古屋駅付近にも新しいホテルが出来ていますが、ツイン(二人価格)で9千円以下に設定したので、古めビジネスしか検索で出なかった中で、朝食にはパンと飲み物付きで、二人で8千円程で普通に宿泊できました同じように、初日の仕事に間に合う為には5時台の始発なのはキツイからと、息子が岡崎の出張に前泊をしてるが、出張費とか出ない個人の宿泊になるんで、ポイントも貰えるし私がネットサイトで予約を取っている狭い部屋で素泊まりの4300円と、広くて快適な朝食付き6680円の二つでどちらがいいかと息子に聞くと、6680円と、躊躇なく答える息子だ。私なら安い方だろうなぁ~さてさて自分の旅行の話に戻すと、午前7時チェックアウトをして、無事に集合場所へと向かうと添乗員さんがリストにチェックをしてから「お昼ご飯を買えないので、ここで食べるものを買ってきてください♪」 安い旅行ではお昼頃にフリータイムを作って、各自食事をとる事が多いけど、そうゆう時間もないのか。ホームにはJRのワイドビューしなのと、ひだ今回参加したのは、1泊2日の団体旅行で基本的にはバス旅行なんだけど、途中までJRを利用するタイプで、今回は初めてのワイドビューひだ。車ではよく通る道だが今回は高山線でというのが、物珍しくって電車から見る風景はどんなかな?高山線は、まずは岐阜へ向かいますが岐阜駅でスイッチバックを行って方向転換をするので、座席は後ろを向いてセットされてます。車窓からは金華山にそびえる岐阜城が遠くに見えた反対側に座ったので、写真は撮れなかったけど途中で犬山城も見えました。ちゃんと右側に見えますとか車内アナウンスしていましたよ。そして、いよいよ七宗町に入って飛水峡のゴツゴツした岩場が見えたウィキペディアによれば>飛水峡を含めた飛騨川流域一帯は、飛騨>木曽川国定公園区域の河川公園である。なお、>飛水峡のうち、JR高山本線上麻生駅の東>約600mの飛騨川に架かる「上麻生橋」から>上流約2kmの間の峡谷部分は、甌穴(ポット>ホール)が河床の岩盤の上に数多く見られる>ことから>「飛水峡の甌穴群」(「ロックガーデン」とも>称される)として、国指定の天然記念物となって>いる。初夏に飛水峡の岩肌に花咲く岩躑躅>(イワツツジ)も見所。この付近一帯の地質帯は、>「美濃帯・上麻生ユニット」に属し、採集された>チャートの礫から中生代の三畳紀からジュラ紀の>放散虫化石が発見されている国の天然記念物、日本の地質百選だそうだ。ここも車でよく通っているので、お馴染みの光景だが電車からだと、また違った感じだし偶然、なんかカッコイイ写真が撮れたどちらも窓際に座りたいので、娘とは30分くらいで交互に交代をした。帰りの方はもう暗くなってたので、娘がずっと窓際だ。圧迫感がないので通路際の方が好き同じワイドビューのしなのと、ひだは何が違うのか。しなのは制御付き自然振り子式車両の383系電車が使用されているのだが高山線は電化されてないので、ひだの方はJR東海のキハ85系気動車を使用している1989年の通商産業省グッドデザイン商品(日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞)1990年のブルーリボン賞は次点となった通路より20センチ程高い位置に、座席が設置され、窓の縦寸法も95cmに拡大して眺望をよくしているそうだ普通車の座席の前後間隔(シートピッチ)もキハ80系の91cmから100cmに拡大しているので、足元も広々。居心地の良い列車でひだは下呂を抜け、どんどん北へ臥竜桜は、この時点でまだまだつぼみで先週あたりに綺麗に咲いていたようです一度、桜の時期に出かけた事があります名古屋駅で乗車をしてから、2時間以上かかって午前10時頃に終点の高山駅に到着しました。うちから下呂経由で下道を普通に車でくるよりも、時間がかかった。しかも前泊までしてるし富山までそのまま行けたらいいのに、次のひだなら富山まで行く事が出来たけど、それだと遅くなってしまう。それ以前に名古屋から高山までワイドビューを使って、そこから、濃飛バスをチャーターする事が何かしらメリットがあるんだろうさて、ここからは濃飛バスに乗車をしていよいよ本格的に出発だぁ~。なんかもう旅行しちゃった感もあって、何をやっているんだろうね。ホント。ともかく岐阜県(東の端っこ)にとって、愛知県発着での旅行は、それだけでハードルが高い高山から見た乗鞍岳は、北アルプスの南部にあり、北は「安房山」から南の主峰「剣ヶ峰(3026m)」の23峰の総称だ。およそ128万年前程前から活動をしている火山で火山としては富士山、御嶽山に次ぐ日本で3番目の高さがあるバスの方は、高山から反対側の西へと向かい東海北陸道で富山に入るようだ。この道路は前に、家から下呂経由で2時間で車で来てそこから白川郷に足を延ばした時に利用をした事がある富山に出かけた事は1度だけあって、その時はまだ娘が松本にいたので、前日に旦那と娘のアパートに泊まって、松本から白馬、糸魚川に出て、そこからは日本海に沿って魚津に出かけた富山からの帰りは飛騨神岡、奥飛騨温泉の安房トンネルを通り松本に戻ったら、すぐ帰ってこれたので、松本から富山って近いもんだなぁ~と驚いたものだ。今回は高速利用と言う事で、新たな富山ルート開拓だおとなり金沢には、名古屋から高速バスを使った事があり、名神から北陸道を使ったものだった。そんなんでお隣の県でも富山県は山深い飛騨を挟んでいるので地理的にも結構、遠い行く機会も少ない地域である途中で1度だけ、トイレ休憩を行って名古屋駅で昼ごはんを買い損ねた人はそこの併設コンビニで調達をして下さいという話だった。バス2台なのでレジにはツアー客の大行列そして山深い飛騨から抜けて、何やら風光明媚なところにやってきましたよここは砺波平野。昭和46年の歌会始ではてもなき砺波のひろの杉むらに とりかこまるる家々の見ゆとの昭和天皇の御歌が披露された。これは前年度の富山県植樹祭に臨席をされ、砺波平野の散居村において、カイニョ(屋敷林)に囲まれた家々に感動され歌われたそうである散居村は、ウィキペディアによると>広大な耕地の中に民家(孤立荘宅)が散ら>ばって点在する集落形態。一般的には散村>(さんそん)と呼ばれる。集村と対比して>語られることが多く、一般には集村が普遍>的で散村は比較的少ないと考えられているが、>実際には世界的に広く見られる集落形態で>ある。砺波平野の散居村>この景観が成立したのは、16世紀末から17>世紀にかけてであると考えられている。砺波>平野を流れる庄川は江戸時代以前にはしばしば>氾濫したため、この地域に住みついた人々は>平野の中でも若干周囲より高い部分を選んで>家屋を建て、周囲を水田とした随分と北上しました。もう長野県まですぐ近くと言う感じ。もう昼も過ぎてやっと一番最初の観光先に到着しそうです。その様子は次回で・・・さてさて旅行日記の構成上、初日の観光を全部すっとばし、先ずはこの旅行の宿泊先である山中温泉の温泉ホテルについて紹介します。名前の通り、山中温泉は山の中でした(↑次の朝の写真)子供が小さな頃に、うちは泊りで北陸方面に出かけていたので、片山津とか粟津温泉は利用した事があるが、ここ山中温泉はまだなかったので、それも楽しみの一つだったここも、かつては社員旅行の団体さんが沢山やってきてたんだろうなぁ。まるでクラブみたいなシャンデリアは、大浴場のだだっ広い脱衣所にもあった。更にそこに電動の岩盤浴の機械が物珍しくて、利用してみた初期のウォシュレットがあったりと、建てられた頃にはお金をかけ、最新の設備を誇っていたのだろう。泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性低温泉)昼ご飯もないような格安旅行の、団体料理なので、あまり期待はできないが高齢者が多いので、量が少なめなのはかえって良いのかもしれないアワビの踊り焼きは、しっかり踊っていたし。冷たい天ぷらを横に並べて暖かくしてから食べた。まぁ天ぷらが冷たい宿は、個人でもたまに見かけるしかしお肉のたれが、うちで普段から食べているのにそっくりな味だったので完全お残し。娘が私の肉を食べてくれたしかし次の朝食は、海辺の県であるのかひものがよりどりのブッフェで、これはなかなか、面白い新鮮そうなひものを焼いて、自分で選んだとはいえ、やっぱ高齢者向きのヘルシーな朝食だった。なかなか観光豊富、移動時間の多い旅行だったので山中温泉に着いたのは夜7時半になりそれからの夕食あったし、疲れもあって朝は散歩より温泉につかったので、もう行く事はないかもしれないだろう、山中温泉の温泉街は散歩できずに残念2日目はランチがありました。こちらは焼き鯛まぶし丼御膳という事で、越前のお蕎麦がセットされていた。なんと高山7時近くのワイドビューひだ利用で、夜遅くの9時前に、名古屋に到着なのだが夕食は自分で調達をしなければならないしかし格安バス旅行によくある、事前にバスの中で、千円程のお弁当を注文して夕刻に受け取るというので半数近い人がお弁当を注文していたが、私らは高山駅での空き時間にコンビニで調達できたが初日のお昼といい、コンビニおにぎりな旅だった。次回から肝心の観光の紹介を 平成31年4月5日に愛知、岐阜、北陸で撮影にほんブログ村
2019年04月23日
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平成最後の桜も当地方に咲きだした、4月も半ば。毎年必ず桜の時期にお花見に出かけるのが、清内路を超えての信州伊那谷。昨年も出かけたが、韓国の旅やお相撲の日記が多くお蔵入りをさせてしまった4月15日月曜日、娘が会社がお休みだったので、どこかに行こうという話となったが名古屋はよく出かけてもいるし、やっぱり今年も伊那谷の桜を見に行こうと。うちのあたりが咲いてるし、あちらもバッチリだまずは、花桃も咲きだした昼神温泉を過ぎて旧杵原学校へ。吉永小百合の映画「母べぇ」でロケに使われた、今はもう廃校となった学校の校庭に咲く枝垂れ桜で樹齢は70年程らしい国の登録有形文化財にも登録された校舎前には若い桜の樹も植えてあり、これは樹齢350年という、飯田の麻積の里の舞台桜のものであるらしくやっぱり花弁がむちゃくちゃ多い。これは「半八重枝垂れ紅彼岸桜」という花ごとに花弁が5~10枚とまちまちで、平成17年に新種と断定された大変に珍しい桜なのだ今回の伊那谷ドライブは、桜が目当てだとは言っても、冬物の見切りなどがないかと飯田市街のイオンモールやアピタなどで買い物をするのも目的で、今回も大収穫防寒機能もありそうな、厚めのパンツ類は4000円近くのものが1000円どころかそこからの半額の「500円ポッキリ」でいやぁ~良い買い物が出来ましたイオンモールの雑誌コーナーで、久々に信州のタウン雑誌などをペラペラしてた娘が、道の駅が出来てる~!というので昼も近いし、そこでランチを食べようと出かけました飯田市街から少し北に行って、天竜川を越えた豊岡村に昨年春に「南信州とよおかマルシェ」が出来たそうで、観光客が目当てというより地元車ばっかだし。それもそのはず、スーパーマーケットがメインだしここにある「kitchen そらら」は広々として大きな窓の向こうには山々が広がって、長居出来そうな感じ。ランチ以外での利用にも良さそうだ。今日も年配のお客さんを中心に大盛況娘は、平日ランチの牛すじ醤油ラーメンとミニカレーとサラダというがっちりなのをカレーと、ラーメンを少し食べてくれといわれて、私もパクリ私の方は南信州牛合挽きハンバーグトマトソースチーズ風味と、パンと、ラーメンのと同じがっつりサラダのセットだ。もちろん娘にハンバーグもおすそ分け。ハンバーグの上にはコロッケも乗っていたスパーマーケットの他に、直売所とかパンや、ジェラードのお店もあるので次はそちらも食べてみたいお腹もいっぱいになったので、天竜川に沿った国道153号線を北上し、目的地である、アルプスの見える桜の城に到着天下に名高い高遠城の桜よりも、風光明媚でもあるので娘が大好きな、中川村にある大草城址だ桜の向こうには中央アルプス(木曽山脈)早かったりしがちな、ここの桜も今年はベストの満開で、むちゃくちゃ綺麗だしここには、定番の染井吉野以外にも様々な桜が咲いているのが良い城址については、↑で南朝ゆかりのお城であるらしい。うちのあたりも南朝の伝承が幾つも残されている特に書くこともないので「宗良親王」について、ウィキペディアによると>歌道の家であった二条家出身の母から>生まれたことにより、幼い頃から和歌に>親しんでいた。妙法院に入り正中2年>(1325年)妙法院門跡を継承。続いて>元徳2年(1330年)には天台座主に任じ>られるも、元弘の変により捕らえられ>讃岐国に流罪となる。>父後醍醐の鎌倉幕府倒幕が成功し、建武の>新政が開始されると再び天台座主となるが、>建武の新政が崩壊し、南北朝の対立が本格化>すると還俗して宗良を名乗り、大和国吉野>(奈良県)の南朝方として活躍をするように>なる。(中略)>暦応3年、興国元年(1340年)に足利方の>高師泰・仁木義長らに攻められて井伊谷城が>落城した後、越後国(新潟県)の寺泊(現・>新潟県長岡市)や、越中国(富山県の放生津>現・富山県射水市)などに滞在した後、興国>5年/康永3年(1344年)に信濃国(長野県)>伊那郡の豪族香坂高宗(滋野氏支流望月氏の>一族)に招かれ、大河原(現・長野県大鹿村)に>入った。>宗良はこの地を文中二年(1373年)までの>約三十年間にわたり拠点とし、「信濃宮」と>呼ばれるようになる。その間に上野国や>武蔵国(武蔵野合戦)にも出陣し、駿河国>(静岡県)や甲斐国(山梨県)にも足を>運んだことが『新葉和歌集』や私家集で>ある『李花集』の内容から判明している。>拠点となった大河原は伊那谷に属し、南に>下れば井伊谷(井伊氏)から東海地方へ、>北上すると長谷(後述する終焉の地の一つ)を>経由して諏訪(諏訪氏)や関東へと通じる>位置にあり、別名「南朝の道」とも呼ば>れる後の秋葉街道の中心に位置していた>そのため、劣勢が続く南朝方にとっては>最重要拠点となり、各地で破れた南朝方の>武士達(新田一門など)が逃げ込む事も>多かった。(中略)応安2年/正平24年>(1369年)には信濃守護を兼ねる関東管領>上杉朝房の攻撃を受け、文中3年/応安7年>(1374年)、ついに頽勢を挽回できぬ>まま36年ぶりに吉野に戻った。>この頃から南朝側歌人の和歌を集めた和歌集の>編集を開始していたが、再び出家している。>宗良の編集していた和歌集は当初は私的な>ものであったが、長慶天皇は勅撰集に准ずる>ように命じた。弘和元年/永徳元年(1381年)に>完成した『新葉和歌集』である。>晩年については、新葉和歌集の選集がほぼ>終わったと思われる天授4年(1378年)に>大河原に一度戻った事が判明しているが、>弘和元年/永徳元年(1381年)に吉野に>戻って新葉和歌集を長慶天皇に奉覧して>以後は、確たる記録が残されていない。>終焉場所については、天文19年(1550年)に>作成された京都醍醐寺所蔵の「大草の宮の>御哥」と題された古文書の記述から、長らく>拠点であった信濃国大河原で薨去したとする>説が有力とされている他にも諸説があり、遠江国井伊城や入野谷郷浪合、河内山田、美濃国坂下、越後や越中などなど。大鹿村大河原や中津川市高山には宗良の墓が、静岡県の井伊谷宮は宗良親王を祀っているそうだ低気圧と東日本上空に強い寒気が流れ込んだ影響で、4月10日はうちも雪が降ってたが伊那谷は積雪に見舞われた為、桜の花にも雪どころか、枝に積もった雪の重みから折れてしまってこんな無残な姿となってしまった。なんとか修復して、これからも美しい桜花を咲かせてくれたらいいのだけど。江戸彼岸桜のようだ平日なので地元の方などが、のんびりとお花見をしていた大草城址。出店などもあって鹿肉とか、やっぱジビエな伊那谷だ中川村には様々な桜の名所があり、西丸尾の枝垂れ桜などは、もう一度見たいとは思うけど、アクセスが一車線山道で行く勇気はないでも、天竜川にかかる坂戸橋付近の桜は道沿いに駐車場も完備してあるので、私でもこんな写真が撮れるのがありがたい駐車場へと向かう階段は、桜の下で坂戸橋は1933年に建設された、鉄筋コンクリート製の単アーチ橋で、橋長77.8m、橋高20m、幅員5.5m、スパン70m、アーチライズ12m。建設当時は国内最大スパンを誇り、1965年(昭和40年)以前に造られた、現存する鉄筋コンクリート製単アーチ橋では日本一の長さを有する。橋の向こうには桜並木前にも紹介をした、国道153号線の伊南バイパスの立派な橋からの、中央アルプスやっぱ、この道はおすすめの絶景ドライブロードだ伊南バイパスの道沿いに、2016年夏にオープンをしたのが、飯島町の「道の駅田切の里」で地域の農産物や特産品などを販売し、地元産食材を使ったレストランもこの道って何度も通っていたのに、私は反対側の中央アルプスばかり見てたので、道の駅の存在は全く気が付かなかった。しかも桜の名所みたいだし道の駅のすぐ近くに、このような桜並木もあったので、しばしのお散歩タイム桜越しの中央アルプスも、雪があって美しいこの後には、駒ケ根の馬見塚公園でお花見をしようかな~なんて、車で向かうが娘が駒ケ根にパンケーキのお店が出来ている!と、ネットで見つけた「ルビーカフェ」の看板が道路にあったので、行先変更~。1年半程前にオープンしたみたいだけど赤そばの花も咲く広い敷地を持つ、ルビーの里にあるカフェからは南アルプスも眺める事が出来る。次は、赤そばの花の咲いている時に出かけたい名古屋で食べるようなこじゃれた、パンケーキが伊那谷でも食べる事ができるなんて。しかもこれ700円(ふわしゅわパンケーキ)なんですよ~更に100円で飲み物をセットできるので、娘はコーヒーを一緒に注文。これはお得だしとりわけ皿も貰って、二人でパンケーキを食べたので、私の方はアイスコーヒーを300円で頼むが、かわいいミニケーキがおまけについていたこのお店はおすすめです。このブログによく登場する養命酒の工場にも近いです。といった感じでいろいろお店もオープンする伊那谷ドライブ最後はやっぱり、信州のスーパーと言えばツルヤ駒ケ根にあるツルヤ赤穂店からも、南アルプスが見えましたうちの方では売っていない、娘の好きなプチトマトも購入し、いろいろと赤札になったものを購入道の駅の直売所や、大草城跡の出店でも果物を購入しました。ジュース用の林檎もおやつにかじりましたが、普通においしかったですよ 平成31年4月15日に信州伊那谷で撮影にほんブログ村
2019年04月17日
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中国旅行の日記が続いたので、まだ紹介が出来てなかったのが、一足早く我が家の春を告げる、恒例のあれですよ、あれ節分を過ぎて、恵那市の山間にある霊験あらたかな妙法山満勝寺(飯高観音)に厄除けの参拝です。今年は旦那は後厄で娘は前厄にあたりますある年に厄年にも当たらないし、寒いしめんどくさいから、参拝はいいかぁ~と言ってたら、体調も悪いまま兄に誘われ買ったばかりの株価も落ちるし、散々で慌てて、ここにお参りに行ってから特に災難は起きませんでした以来、毎年出かけてお札を貰ってきています。さて参拝も済んだし、前から来たかった岩村近くにあるパン屋へとうちのあたりのパン屋は、市街地ではなく山間部にあるので行くのも大変だ前に、テレビでも取り上げられていた夫婦で営む小さなパン屋さんは評判も良いのか、店の前に行列も出来ていましたよでかいパンは買ってすぐに、車の中でちぎって食べました。これからランチだし、これで我慢。もっちり、しっとり美味しいですまた行けたらいいけど、恵那市街から車で15分、うちからだと50分位はかかるので、来年の飯高観音に参拝をする時になってしまうかなぁ~ランチもテレビでやっていたとんかつ屋でこんなところがあるのかぁ~と、行きたいと思っていた店で、駐車場には他府県ナンバーも無性にとんかつが食べたくなる時がある値段も手ごろだし、また来たいけどここも遠いし、チャンスでもあればお腹もいっぱいになったので、今春も参戦しますか! 岩村醸造の「蔵開き」500円(ここのおちょこ持参の人は300円)でお酒をガンガン飲めるというもので、300円は商品の割引に使えるのだが以前は500円以上のもので、300円割り引けたのに、今年は1000円以上になっていた。まぁ世の中、値上げの嵐だしアマゾンプライム年会費も予告なく値上げしたくらいだし(3900円→4900円)娘は前から入るかを迷っていたが年明けに年間会員になったばかりなので「良かった~、駆け込みで入っていて」とそれでなくてもBS放送で映画やドラマを録画して見なきゃいけないのに、アマゾンプライムで、少し前の映画やドラマとか見放題なので大忙しだお正月頃に、レンタルDVDで初めの方を借りたスーツのシーズン6もアマゾンプライムにあったのでドラマの続きを見る事も出来た。そんな訳でうちのBS放送のドラマはどんどんたまるばかりで地上波の方は、すぐに見るようにしてるんだけど先週は借りようかなぁ~とか、迷ったままだったサバイバルファミリーを鑑賞。旧作は100円だから月に4本でも見れば、アマゾンプライムの会費の元は取れる。娘はアメリカ系ドラマ、旦那はガンダムシリーズを見てるしさて息子は、出張で岡崎に行っていないので今年も、私がドライバー役を買って出ました試飲会場の様子は、娘に撮って貰いましたよ直ぐに出てくるとか言ってた旦那は、会社の人たちに会って宴会になってしまい、寒い中岩村の中をうろつきましたわアルコールの入っていない「甘酒ソフト」を娘とはんぶんこ今年から1000円以上のお酒でしか、割引券を使えないので、旦那と、娘の300円を使って前より大きな瓶を買ってお土産に。まぁ、あんだけ飲ませて貰ってるし、酒屋さんも慈善事業ではないんだから仕方あるまいでは、旦那と娘が宴会状態になってご機嫌だった頃に、私は岩村の街を毎年のようにうろつきまして、やってきたのは明知線の岩村駅ですわとりあえず来ました。蔵開きなのでJR中央線恵那駅を経由して、ここに降りたつ人たちも沢山いました。私は1回だけ、前に乗った事があります。普通車を使いますが明知線のマスコット「てつじぃ」と、その横には、岩村の悲劇の女城主おつやの方なのでしょうか岩村駅にはグルメショップも併設をしており岩村駅丼は、お城盛りなるものも・・・さてさて商店街の方に戻ります。最近は真田丸の真田昌幸を彷彿するような草刈正雄の朝ドラ「なつぞら」の泰樹おんじ登場して2週間程なのに、もう神回だの名シーンに涙する人もいるそうだがいいキャラクターだなぁ。おじいちゃんだ~い好き!となつが抱きつくシーンとかハイジ思い出しちゃいました。ネットによると今回の朝ドラは子供や、高齢男性の視聴が多いそうだが、泰樹おんじの影響もあるのかもお忘れでしょうか。1年前の朝ドラはここ岩村が、ロケ地となった「半分、青い」のふくろう商店街でした。恋愛ドラマに強いという女流脚本家さんだけに、歴代朝ドラ名シーンのリクエスト番組では律と毛布にくるまるという胸キュンシーンが選ばれてました。私はやっぱり「うんまっ!真実の食べ物だ」と五平餅をほおばる漫画家秋風先生でしょうね。岐阜(&愛知、長野)のローカルフードであった五平餅が、全国に知られフクロウ商店街のロケ地となった山間の城下町岩村も、少しは知名度が上がって良かったように思います。たぶんドラマで使われた商店街のシンボルが、そのまま残されてました町の人たちにも良い思い出になったと思いますし、街の活性にも少しは結び付いたようにも思います。とは言っても岐阜県恵那市自体は、既に来年の大河「麒麟がくる」の主人公、明智光秀にシフトしてますね。これは恵那市街の図書館の入り口にあったノボリですでもでも岩村の女城主は織田信長の叔母武田に攻められて降伏したのを、今度は織田勢に攻められ、逆さ磔にもされたという悲劇は、信長のドラマにも出てくる事もあるし、1年の長い大河だから出てくるかもしれないでも光秀の前半生メインらしいし。どんなもんだろ。信長も染谷将太といった若い俳優を使っているから、本能寺はないのかもしれないし。道三が本木雅弘というのもイメージが違って新鮮。今までとは違った戦国が観れるかも斎藤道三というと、過去には昭和48年の大河「国盗り物語」(原作は司馬遼太郎)で平幹二朗が演じたのを子供ながらに覚えている。信長は高橋英樹、濃姫は武士の娘の松坂慶子だった光秀は近藤正臣、家康は寺尾聡で、秀吉は火野正平と、今でも朝ドラや大河ドラマ、そしてチャリンコで全国でまわる旅などNHKで活躍中の役者さんたちだしそれにしても、時代を飛び越えてしまったような昭和の時代を思い起こさせる町並みだこれは、何に使うもんだろう?山里のひな祭りは、旧暦に近い4月3日で、3月では花がまだないからなんていうのを何かで読んだ昔ながらのお雛様が3月1日からひな祭の4月3日まで飾られて山間の里を華やかにしている岩村駅に近い町並みは、昭和チックだけど、お城に近い上手は江戸時代の建物も幾軒か残されて、公開もされている武家ではなく、商売をしていたお宅などだろう。そうそうお札がかわるそうで、女性は作家の樋口一葉さんから次は教育家の津田梅子なんだとか武士の娘として生まれ、僅か6歳で米国に留学。ウィキペディアによれば>(帰国後)外務卿・井上馨の邸で開かれた>夜会に招待され、伊藤博文と再会し、華族>子女を対象にした教育を行う私塾・桃夭女>塾を開設していた下田歌子を紹介される。>このころ父・仙との確執もあったこと>から、梅子は伊藤への英語指導や通訳の>ため雇われて伊藤家に滞在、歌子からは>日本語を学び、「桃夭女塾」へ英語教師と>して通う。と言ったわけでお札になる津田梅子と同様に女子教育の先駆者であった下田歌子は、ここ岩村藩の出身です。ウィキペディアによれば>岩村藩士の家に生まれる。幕末に勤王派の>藩士だった父は蟄居謹慎を命じられるが、>苦難の中、鉐は祖母から読み書きを習い、>5歳で俳句と漢詩を詠み、和歌を作るなど>神童ぶりを発揮した。書物を読んで善い>事だと思うと、すぐに行動にうつす事も>多かった。(中略)>元号が明治になり祖父と父は新政府の>招聘を受けて東京に出るが、17歳になっ>た鉐もその後を追って上京。そのとき、>故郷の国境、三国山の峠で「綾錦着て>帰らずは三国山 またふたたびは越えじ>とぞ思ふ」という歌を詠んでいる。>明治5年(1872年)、女官に抜擢され>宮中へ出仕する。武家の子として身に>付けた礼儀作法や、儒学者の祖父仕込みの>学識、和歌の才能で皇后・美子から>寵愛され「歌子」の名を賜る。 宮廷で>和歌を教えるようになる。木村家は問屋にして苗字・帯刀が許された士分待遇で、藩の財政困窮のたびに御用金を調達してその危機を救い、藩主より特別な存在として認められ、藩主自身が幾度となく訪れたそうですそんな優遇からか、岩村城で使われた欅も床板にしているとは・・・岩村のご城下は東農地方随一の賑わいであったとか今回も500円で数百円相当のグルメなどが楽しめるおとくーぽんを購入しお土産に活用する事とした女城主の岩村醸造の真ん前で、かすてらの試食も美味しい松浦軒本店で、おとくーぽん3枚(500円)で交換ができるのは470円のかすてらと、半分、青いのフクロウ商店街にちなんだ「ふくろう焼き」150円で、合計620円分とお得にお土産が購入できた更に岩村にやってきたら、必ず購入するのがかんから餅。黒ゴマ味のは息子が好物だしこうして春の兆しは2月の岩村で始まり花粉症の旦那がはっくしょん!と始めてあぁ平成の終わりに・・・固定資産税の納付書が、市会議員の選挙入場券と一緒に届いた。間もなく車4台の10万円越えの税金の納付書も届くし・・・お金がいくらあっても足らない。というかゴールデンウィーク前にガンガン、お金払わさせられたら、行楽も行く気が失せる年に数度のジャンボ宝くじは10枚買っていたが、今年はジャンボとミニと1枚ずつ300円×2でも、宝くじの夢は見れるし 平成31年2月17日に岐阜県恵那市岩村町で撮影にほんブログ村
2019年04月14日
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今年70歳となって、あまり遠出もしなくなった姉だが、姪が結婚する事になったと弾んだ声で電話をよこしたのは昨秋だったで、年を越しての1月半ば、良く晴れた日お相手が名古屋の方でもあるので名古屋の老舗の料亭で挙式と、披露宴を行い、旦那と夫婦で参列をさせて貰った千葉の次兄のところの甥も、奥さんの方が四国出身で、私らはみんな岐阜県。で次兄家族は千葉という事で、中間の名古屋で式を行った姉が「夕方からの式だけど、名古屋で泊まるか?」と言うので、「そんなん家に帰れるよ」とそのまま帰るつもりでいたが、千葉の兄夫婦は遠いからと姪が手配した、名古屋駅のホテルの超高層階ホテルに泊まると当日に聞いて旦那が羨ましがってた千葉の兄夫婦は新幹線代とか、お金もかけてきているからまだしも、うちら夫婦で参列、ホテルの宿泊代までをとなったら、どんだけご祝儀が必要となるんだぁ~?と、想像しただけで諭吉がひらひらと頭の中で舞う実家の長兄夫婦と式場から徒歩で、近くの地下鉄駅から名古屋駅に出て、普通電車に揺られて帰宅をした。今回の結婚式場は名古屋の「料亭河文」で、結婚式場とかホテルなどの式と披露宴はあるが、こういったところは初めてだ私の実家は二階にお蚕様も飼育していたので部屋が15位もあって、座敷も表から奥まで4つあるんで、長兄の結婚式は自宅で行った。三々九度を子供が行うというのも私が行った。姉の方は、嫁ぎ先で結婚式を行うというので私は家で見送っただけで、式には父母と長兄だけが参列をしたそんな昔ながらの結婚式などが、現代風に変化したのは、やっぱり大阪万博の頃でテレビがどの家にもやってきて、農業だけでは生活出来ず、田舎でもサラリーマンが増えた時代であるだろう。新婚旅行も宮崎とか、熱海といったところか私の頃はチェーン化した、どこの都市にもあるような結婚式場で、新婚旅行先はグアムだった。偶然、巨人キャンプをしていたので気を利かせて、観光コースにも入っていたので江川や、桑田を目の前にして旦那が大喜び果たして、姪夫婦がどこに出かけたかは判らない。テレビとかである、ライスシャワーってのはやった事はないが、神式、仏式、人前式などなど今回のお式は夕刻スタートで、午後7時前にお開きになったのは、この後に友人や同僚とカジュアルなスタイルの披露宴(二次会)が行われるようで、玄関先にはドレスを着込んだ妙齢の女性らが集まってきていたなるほどね~。お友達もご祝儀に気を使う事もないし、予算的にそうゆうのもいいかもしれない。呼ぶ方も、呼ばれる方もお財布に優しいうちの場合はネットで、一般的な姪に対する叔母夫婦が参列する時のご祝儀を、調べた上で、銀行でピカピカの新札を用意して包みました子供の頃に家で牛や豚、鶏を飼育していた事もあってか、どうもお肉が苦手で次兄の披露宴は京都ホテルで行ったんですが、私がステーキに手を付けず残したので、ホテルの方が「お召し上がりにならないんですか?」と、驚かれたが今思えば、隣席の親族とかに食べて貰えばよかったしかし20歳の頃に、母親と参加した50万円もしたヨーロッパ旅行で、名物料理だという事からスイスのミートフォンデュは、牛肉しか出てこなくって、おなかがすきすぎて仕方なく食べたら意外に旨くて、それから肉は食べれるようになったけど、今でも鶏肉は苦手ださて今回の結婚式場は、老舗の「料亭河文」で名古屋政財界の迎賓館みたいな存在だったようです。 ウィキペディアによれば>清須越えにて移り住み、魚の棚通りに魚屋と>して寛永年間に河内屋文左衛門が創業。 江戸>時代は、尾張徳川家御用達として利用された。>明治時代には、伊藤博文など歴代の総理経験>者も訪れ、博文の書が掛軸として残されている>(中略)2011年にプラン・ドゥ・シー(東京都>千代田区)に経営権を譲渡した。建物の改装を>行い、同年9月30日より再オープンした。2005年に>主屋、表門・塀・脇門、新用亭、渡廊下、用々亭、>厨房が登録有形文化財に登録された。という事で、歴史ある建物と同じ敷地に建てられた近代的な結婚式場の利用となりました料亭河文の伝統を受け継いだ、お出汁の鯛茶漬けは、ここの名物料理だそうだ。あっデザート写真を忘れました今年は名古屋に出かける機会が、毎月のようにあり、この結婚式を始めとして、ここでも紹介した、あれやこれやという感じですがまだ紹介してなかったのが、例のジョイセブンの安く購入していたミッドランドスクエアシネマのチケットを利用しての、娘との映画鑑賞は、それだけの為に名古屋へ出かけましたこれは映画までの時間つぶしで、名古屋駅前をうろついていた時に大名古屋ビルヂングで、お花畑~とはいっても造花でして、冷たい強い風にゆらゆら揺れてました映画の為だけとはいっても、せっかく名古屋まできたのならランチぐらいは楽しみたい。しかもその日は平日なので、お得な「平日ランチ」も食べることが出来るからと、前の日からネットで娘が検索~「名古屋駅前 平日ランチ」で見つかったのは大名古屋ビルヂングのすぐ近くにある「中国料理王宮 OHKYU」で、幾つかある千円程~のメイン料理を選ぶと点心やスープ、お粥、サラダ、デザートなどがブッフェタイプで楽しめるという平日ランチだ杏仁豆腐が好きなので3つも食べてしまった~さてさてお昼も食べたし、腹ごなしでウィンドウショッピングも楽しんだので、そろそろ映画館に行きますか。名古屋駅に着いてすぐに指定席券に交換したので、真ん中あたりでばっちり楽しめたマーベルが大好きな娘が、海外で大ヒットしたという、この映画は家のテレビではなくて映画館のでっかいスクリーンでこそだというので、公開がされると早速、出かけてみたのだ(2月)子供の頃に海のトリトンを見て育ったんで、懐かしくもゴールデンウィークには、アベンジャーズエンドゲームも公開をされるので、5月にはどこかに観に出かけなくっちゃ!!そんな訳でうちのDVDレコーダーはこんなんばっか録画保存されています映画を見ているうちに夕暮れになったので名古屋駅の新幹線口側の地下街にあるお店で好物のとろろ飯を食べて、電車で名古屋に出かける時にはよく利用する瑞浪駅へすると、秀吉様のイラストのある電車がとまっていた。瑞浪ならば中津川までより電車賃もかなり安く済むし、瑞浪止まりの電車もあるので利便性が高いのだ名古屋で紹介をしていなかったと言えば昨年の春に、名古屋市の科学館で開催をしていた「マーベル展」にも、娘と出かけました。その時もジョイセブンのお安いチケットが利用できましたよ入り口には巨大なハルク。息子からレンタルDVDで「ハンコック」を借りてきてと頼まれ間違えて「ハルク」を借りてしまい、思ったのと違う・・・と叱られたのも、つい昨日のようだし。あの当時は、マーベル系ヒーローはかけだしだったそれまでのヒーロー映画と言えば、やっぱバットマンとスーパーマンあたりだったのがアイアンマンはお金持ちとはいえヒゲの中年のおっさんと異色だった。あれからマーベル系のヒーローが続々、増殖中で今年は5作品も公開されるそうでアイアンマン、ハルク、キャプテンアメリカマイティ・ソー、スパイダーマン、アントマンブラックパンサー・・・もう、次から次に出てくるヒーロー軍団。その縦軸にアベンジャーズなんてシリーズもあるしマーベル展では、そんなかっこいいヒーローたちのコミック原画とか、映画の衣装とかいろんなモノがところせましと展示をされており、基本的に撮影禁止だが、SNSなどで拡散もして欲しいので、撮影コーナーも用意されていたこれらはアイアンマンのマークⅠ、マークⅡマークⅢ、マークⅦだそうだ。どんどん進化。それにしてもアベンジャーズエンドゲームの内容が気になる。エンドだなんて・・・米国も日本と同じく4月26日の公開らしい科学館なので、科学的な展示物もいっぱいあり、こちらは写真撮影がOKだったので恐竜なんぞも撮ってみたアンモナイトもついつい撮りたくなる素材です。1個、こうゆうのを家にも欲しいほど、化石とかも好きだ。とお蔵入りだった昨春のマーベル展を紹介が出来た再び今年の3月半ば。今度は舅の弟の娘(旦那の従妹)が名古屋で式をあげるというので、旦那が参列をさせて貰ったのだが、帰りがけに義叔父さんが花嫁さんのブーケをうちの娘に持たせてくれた昔は白砂糖の入ったビニールの大きな魚や赤飯とかだったけど、最近は洋菓子や鰹節調味料やギフトブックなど。姪の事だからとこちらのご祝儀は、舅姑が包んでくれたので助かりましたここからはオマケ。4月7日、息子が出張で出かけていた愛知県岡崎市での休日、花見写真をおくってくれた。楽天ブログのお友達の方も、複数の方が岡崎城の桜の写真を紹介されていたが、私自身は桜の時期には行った事がない写真はスマホで撮ったのをラインで送ってくれたけど、それを自分のスマホにダウンロードが出来るので本当に便利岡崎城について、ウィキペディアによると>岡崎城は、三河国岡崎藩(現・愛知県岡崎市>康生町)にあった日本の城。徳川家康の生地>である。別名、龍城。戦国時代から安土桃山>時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の>藩庁であった。>存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる>規模であったが、1873年(明治6年)の廃城令に>よって廃城となった。城内の天守以下の建物及び>土地を払い下げ、現在は一切の建物を失い、本丸と>周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と>石垣、堀などの遺構を残すのみである。>敷地は龍城神社、岡崎公園として整備された。>1959年(昭和34年)3月、天守が復興された「城なのにエアコンの室外機がぁ~笑」と息子。やっぱ、新しい名古屋城はエレベーターは無い方がいいと思うけど(私見ですが)岡崎城は江戸時代に「神君出世の城」とも言われていたそうだ。また城のある岡崎公園は「日本さくら名所100選」に選ばれた桜の名所でもあるそうだそれにしても半端ない寒さだった。4月10日朝起きたら、平成最後のなごり雪。道には雪が積もらなかったから通勤にも支障はなかったが冬ものをしまわなかったのが、功を奏した 平成30年5月 マーベル展(名古屋・科学館) 平成31年1月 姪の結婚式(名古屋・河文) 2月 映画アクアマン(名古屋・駅前) 3月 旦那の従妹の結婚式(名古屋) 4月 岡崎城の桜(息子が岡崎市で) 雪降り(自宅で・10日朝)にほんブログ村
2019年04月11日
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令和と新元号が発表された、4月1日ですが赤福の朔日餅目当てで、名古屋へ出かけたついでのお花見ハシゴ。鶴舞公園から山崎川そしてラストにやって来たのが「名古屋城」3年前のお花見は雨だったが今回は絶好の花見日和で、お濠の菜の花も色鮮やかだった。先日も利用したばかりの地下鉄、市役所駅で下車すると、もうそこには名古屋城。満開とまではいかないけど桜の咲き具合もいい感じださて江戸城は別格として、大阪城、熊本城と並び名古屋城が「日本三大名城」と言われており、更に三大天守閣名城(熊本城、姫路城名古屋城)、三大城郭名城(江戸城、大阪城名古屋城)と、正に天下の名城の名古屋城だ慶長17(1612)年に天守が完成後は何度かの震災、大火や明治維新後の廃城も免れた。明治期の推定マグニチュード8の濃尾地震にも耐えながら、第二次世界大戦で昭和20(1945)年5月14日の空襲で大小天守や建物の殆どが焼失してしまった焼失を逃れた建物は、御深井丸戌亥隅櫓、本丸辰巳隅櫓、本丸未申隅櫓、二之丸西鉄門二之門本丸南二之門、旧二之丸東鉄門二之門(現在は本丸東二之門跡に移築)の6棟でいずれも国の重要文化財に指定をされている (昨年7月の撮影)旧二之丸東鉄門二之門は別名を東黒金門といい、もとは二の丸にあったが昭和38年愛知県体育館が建設をされる事になった為解体をされて保管。昭和47年に現在地へ移築されたそうだ二之丸西鉄門二之門は、別名が枡形御門で切妻造り本瓦葺の高麗門の形式のものだ表二之門は門柱、冠木とも鉄板張りで、用材は木割が太く堅固に造られている。この内側には表一之門があったが、空襲で焼失してしまった再建されたものだが、この門はかつて榎多御門と呼ばれる西の丸の門で、明治24(1891)年の濃尾地震で大破した為、江戸城の蓮池御門が移築されたのだが空襲で焼失。天守と共に再建をされた名古屋城の本丸付近が明治期には「離宮」となり準皇居だったので「正門」と名づけられたそうだウィキペディアによると>名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏>築城の那古野城の跡周辺に、徳川家康が天下>普請によって築城した。以降は徳川御三家の一つ>でもある。尾張徳川家17代の居城として明治まで>利用された。大阪城、熊本城とともに日本三名城に>数えられ、伊勢音頭は「伊勢は津でもつ、津は>伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠っている>大天守は層塔型で5層5階、地下1階、天守台19.5>メートル、建屋36.1メートル、合計55.6メートルで>18階建ての高層建築に相当する。高さは江戸城や徳川>大坂城の天守に及ばないが、江戸城、大阪城天守は>江戸時代前期にいずれも焼失しており、江戸時代>通期で現存した天守で名古屋城天守が最も高かった>延べ床面積は4424.5m2で史上最大の規模である。>体積は姫路城天守の約2.5倍で、柱数・窓数・破風数>最上階規模・総高・防弾壁・防火区画など14項目で>日本一である。>大天守の屋根の上には徳川家の威光を表すものとして>金の板を貼り付けた金鯱が載せられた。>1612年(慶長17年)名古屋城天守が竣工した当時の>金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3>キログラムの金が使用されたといわれている。高さは>約2.74メートルあった。しかし、鯱の鱗は藩財政の>悪化により、1730年(享保15年)・1827年(文政>10年)・1846年(弘化3年)の3度にわたって金板の>改鋳を行って金純度を下げ続けた。>そのため、最後には光沢が鈍ってしまい、これを隠す>ため金鯱の周りに金網を張り、カモフラージュした。>徳川の金鯱の中では最も長く現存していたが、1945年>(昭和20年)に名古屋大空襲で焼失した。現在の金鯱は>復元されたもので、(中略)一対に使用された金の重量>は88キログラムである。現在の鯱の大きさは、雄2.62m、>雌2.57m。昨夏の大相撲名古屋場所のついでに、本丸御殿に出かけた時のことはお正月の日記で詳しく紹介をしているので、下記リンクからどうぞ新年を寿ぐ。黄金に輝くピッカピカッの名古屋城本丸御殿さてさて名古屋大空襲から逃れたお宝は他にもあるこの小さな倉庫に、本丸御殿の障壁画などが外されここに保管をされていたので、焼失を逃れたのだ狩野探幽ら狩野派の絵師による旧本丸御殿障壁画331面(附16面)や、旧本丸御殿天井板絵331面(附369面)が難を逃れて、国の重要文化財に指定をされているウィキペディアによると>清須城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の>戦い以降の政治情勢や、水害に弱い清須の地形の>問題などから、徳川家康は1609年(慶長14年)に>九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築く>ことを定めた。1610年(慶長15年)、西国諸大名の>助役による天下普請で築城が開始された>普請奉行は滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行に>大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。縄張は>普請奉行の一人である牧長勝。石垣は諸大名の分担>によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した>天守台石垣は普請助役として加藤清正が築いた。>天守は作事奉行の小堀政一、大工頭は中井正清と伝え>られ、1612年(慶長17年)までに大天守が完成する。>名古屋城築城普請助役としては、加藤清正以外に、>寺沢広高、細川忠興、毛利高政、生駒正俊、黒田長政、>木下延俊、福島正則、池田輝政、鍋島勝茂、毛利秀就、>加藤嘉明、浅野幸長、田中忠政、山内忠義、竹中重利、>稲葉典通、蜂須賀至鎮、金森可重、前田利光の外様大名>が石に刻印を打って石垣工事を負担し、延べ558万人の>工事役夫で4カ月余で石垣を完成した>清須からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施>した1612年(慶長17年)頃から徳川義直が名古屋城に>移った1616年(元和2年)の間に行われたと思われる。>この移住は清須越しと称され、家臣、町人はもとより、>社寺3社110か寺、清須城小天守も移る徹底的なもので>あった。石垣の改修工事が行われおり、石が置かれていたが随分と奥に長細く大きなものを使っているんだなぁウィキペディアによると>現在、名古屋城の全体整備計画があり、整備計画>では史跡としての名古屋城の保存活用と価値を>高めたいとしている>平成30年現在、計画されている整備計画では、本丸>御殿の復元整備、天守閣の木造復元の整備、東北隅櫓の>復元整備、本丸表一之門と本丸東一之門と二之丸門の>復元、馬出の復元、本丸多聞櫓の復元、二之丸庭園の>保存整備と二之丸御殿及び向屋敷の復元整備、大手門>東門と二之丸の櫓の復元整備、展示収蔵施設の整備、>石垣補修などである再び、天下の名城としての往時を取り戻してくれるものだろうか。という訳でさくらまつり絶賛開催中という訳で車いすのお年寄りも、名古屋城のお花見に信長様もにこやかなお顔だ。NHKでやっていたが、物語などで面白おかしく描かれた為今のような信長像が出来上がってしまったが実は、マジメすぎて融通が利かない人だったみたいだ一部の歴女を除いて、多くの老若男女は信長様よりもグルメに夢中。花より団子!さてさて天守は空襲で焼けてしまったがけど、門意外にも焼失を逃れたのが、3棟の「隅櫓」である(残念ながら、東北隅櫓は焼失)隅櫓とは↑、こういったものだそうで本丸の南西隅(未申隅櫓)は、慶長17(1612)年に建てられたもので、外から見ると屋根は二層だが内部は三階の櫓という珍しい形式で、二階西面と南面には敵を攻撃する為の石落しが張り出している (昨年7月の撮影)本丸の東南隅櫓(辰巳隅櫓)は、西南隅櫓と同じ構造で三階東側の屋根の軒には弓なりになった軒唐破風(のきからはふ)という格式の高い装飾が施されているそして西北隅櫓(御深井丸戌亥隅櫓)は、御深井丸の北西隅に位置し、元和5(1619)年に建てられたもので、外観三重、内部も三階の構造。江戸時代から現存する三階櫓の中で、全国で2番目の大きさである江戸時代から「清洲櫓」とも呼ばれ、織田信長の居城だった、清洲城の古材を転用をした可能性があるそうだ↑こんな、感じ普段は、非公開の西北隅櫓だが、名古屋城春まつり(~5月6日)期間中は、内部の特別公開をしていた内部に人が溢れないように、人数制限をしていたので、中もこんな感じでほうほう・・・・なるほどね。この古い木材は↑こうゆうものらしい石落としもあったやっぱお城に使われている木材は、どれもぶっとくて立派なものだなぁ~。などとあっちをきょろきょろ、こっちもきょろきょろ最上階から、外ものぞいてみました。空堀のイメージの名古屋城ですが、反対側には水もはってあります。特に隅櫓も書くこともないので、一般的なお城について紹介したいと思いますかつて日本の城は、2万5000以上もあったそうだが、現在は一般的に見学が出来る城郭は200城ほどで、その中で江戸時代以前からの天守が現存をしているのはわずかに12城のみである。これは江戸幕府が、諸大名に一国に一城しか持たせないようにした為、かなりの城が減ったうえ明治維新で前政権(江戸幕府)の象徴でもあるような諸藩の城を破却させた事、そして戦争や地震、火災などなどといった事情で・・・貴重な現存天守12城のうち、国宝に指定をされているのが、姫路城、松本城、犬山城、彦根城、松江城の五城で、一応は全部出かけている国の重要文化財に指定をされているのは、弘前城丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城高知城で、一つも行ったことはないという有様だ文化財的には、このようなお城が貴重であるけど歴史的だったり、絶景だったりと人気面では色々トリップアドバイザーによる「旅好きが選ぶ!日本の城ランキング(2018)」の1位は3連覇世界遺産の「姫路城」であるが、2位 二条城3位松山城、4位松本城、5位岡城阯、6位中城城跡、7位犬山城、8位備中松山城、9位松江城10位岩村城址って、岩村城址が入ってきてるしまさかの朝ドラ半分、青い効果?昨夜のBS放送「出発!ローカル線聞き込み旅」で再びの「明知鉄道」をしていたけど、前回より今回の方が観光っぽいメジャーな内容で、岩村の町並みやお雛様、かすてら、山岡の寒天、そして終点の明智町は、大河がらみの明智光秀推し最初の東野のお寺は、今は亡き母親の実家のお寺さんですし、「極楽駅なんて何もないのに~」とか、地元民ならではの突っ込みも入れられますそれにしても田舎でした。まっ、山と川しかない岐阜県ですのであしからず脱線しました。いろんなランキングがありますがGPSアプリ「ニッポン城めぐり」の16万人もの利用者データから見た「お城ファンが実際に訪れたお城ランキング」の2018年度の順位の方ではやっぱり姫路城が1位ですが、2位に松山城で3位松本城、4位高知城、5位犬山城、6位松江城7位彦根城などと現存天守が上位陣にずらりと8位会津若松城、9位竹田城、そして10位には名古屋城ランクインですよ。市内の苗木城が24位で、続100名城の中では最上位となりましたよ。岐阜県からは岩村城や苗木城の他に郡上八幡城、美濃金山城も続100名城にも入っていて、城めぐりに力を入れているので明智光秀の来年の大河「麒麟がくる」がらみで歴女や城好きな皆さんを、岐阜県におもてなししようと万端整えているような。大河の主人公明智光秀の他、斎藤道三や、斎藤義龍、濃姫といった父子や、土岐頼芸といった美濃国も前半舞台になるしという割に、2011年4月に光秀に加え細川幽斎忠興、細川ガラシャのゆかりの地として京都府亀岡市や福知山市などの8市町や、兵庫県2市福井県1町で、光秀を主人公にした大河ドラマの誘致推進協議会を設立し、署名活動を行ってきたそうで、岐阜県はゆかりのある岐阜市など8市町でドラマの推進協議会を昨年10月に設立って、遅っ次回からは、先週末に出かけたお花見旅行の日記スタートです。花は咲いていたりまだだったりという感じでしたがお天気に恵まれなによりでした 平成31年4月1日に名古屋で撮影にほんブログ村
2019年04月09日
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さてさて平成最後の名古屋のお花見。鶴舞から地下鉄で向かったのは、桜通線の瑞穂区役所だちなみに東西に延びる桜通の地下を通っており桜通線だけど、正式名は名古屋市高速度鉄道第6号線だそうだ沿線には桜本町駅や、名古屋市立博物館訪問時によく利用する桜山駅などもあるが、今回は桜山の次にある「瑞穂区役所」駅で下車。お堅い名前の駅だけど、ここの壁画「四季の旅」は近くにある名古屋女子大学から寄贈されたものだとか駅からキャンパスへと向かう道は、汐路桜ロード(桜のトンネル)と呼ばれておりこの時期には、なおさら華やかな雰囲気を携えているとは言っても、春休み中なので女子大生はおらず前を行く女性らは、外国人の観光客のようである何もない魅力のない街と言われていたナゴヤだが最近は、外国人観光客の姿があちこちで見られる栄のオアシスなどは、夜のライトアップがフォトジェニックだと言うので大人気らしい思うに世界遺産の白川郷や熊野古道とか、高山木曽など外国人ウケをする観光地への交通での拠点でもあるのも影響があるのかもしれない今回の名古屋のお花見でも、鶴舞公園以外ではかなりの外国人の方がお花見をされていた日本を代表する桜の花が街や、野に咲く春それを目当てに、来日をされているのかも。日本人でも、桜と紅葉シーズンの京都には激混で近寄れない位だけど、日本全国にはあちこちに桜の名所もあるので、お花見も時期さえ合えば出来るというもの個人で行くならネットなどで花の咲き具合を調べてから現地に行く事も簡単だが、かなり事前の予約が必要なツアーの場合、その年の天候次第で早かったり、遅かったりもあってまさか、冬並みの寒波到来で雪が降るなんて既に咲いている地域では、桜が長く楽しめて良いらしいがまだ桜も咲いてなかったりすると、寒さで開花もどんどん遅れてしまう状況で、明日娘と出かけるお花見旅行も期待が出来ない開花状況を見ては、ため息ばかりでしてそう思うと、赤福の朔日餅目当てで出かけた名古屋のお花見はお天気も良くて、桜の咲き具合もいい感じのお花見日和だ。次にやってきたのは「山崎川四季の道」の桜で、ここもさくら名所100選となっている実はここは初めて来たんですよ。テレビのニュースで山崎川の桜は・・・と知ってはいたんですが、どこにあるのかも知らないままで。何せ忙しい季節だし、飯田とかの桜も見に行きたいしとか言う以前に、肝心の岐阜県でさくら名所100選となっている所もひとつも出かけた事がないし、全国となった場合桜のシーズンに行ったのは14つだけでその多くが東京、奈良、大阪、奈良とか長野くらいなものでだいたい桜の季節が短すぎなのと、年によって花の咲き具合が、前後もするし忙しい時期なのがね・・・。週末のお花見旅行でも100選のうち3つランクインをしているので、ぜめて5分咲き位には山崎川だが、ウィキペディアによると>愛知県名古屋市千種区の平和公園内に>ある猫ヶ洞池などに源を発し、南西方向の>昭和区、瑞穂区、南区へと流れ、港区で>名古屋港へ注ぐ。>約1万年前の縄文時代には現在の瑞穂>陸上競技場付近が河口であったが、海面の>後退や土砂の堆積によって平安時代には>現在の新瑞橋付近が河口になっていたと>推定されている。西暦717年の尾張古図>には、星崎のとなりに山崎の地名があり>川の名の由来にもなったと考えられる。>江戸時代には下流部で新田開発が進んで>次第に流路が延長された。(中略)上流>域では1953年(昭和28年)頃から宅地>開発が進み、道路の冠水や宅地の浸水が>発生。1959年(昭和34年)には伊勢湾>台風によって下流域を中心に破堤が発生した。>1964年(昭和39年)から1974年にかけて>猫ヶ洞池から矢田川への排水設備が整備>されたのに加えて、池の環境保全を目的と>して山崎川への水の流入は1979年(昭和54年)>から2010年(平成22年)2月までは池の>水位を元に制御されており、冬季や夜間には>停止されていた。>2010年2月に山崎川への導水施設の損傷が>発生、施設の修繕・新設を経て2012年(平成>24年)7月以降は通年導水が行われている。>なお、かつては愛知県によって管理されて>いたが、2007年(平成19年)4月に管理>権限が名古屋市に移譲されているさて世間では桜の季節だが、ここ数日の寒波到来でアラレは降るし、みぞれだ雪だと寒い日が続いているが「香炉峰(かうろほう)の雪」というのを覚えておいでだろうか。これは清少納言による「枕草子」にあるもので、雪の降った寒い朝に、中宮定子が「香炉峰の雪いかならむ」とおっしゃったので清少納言が御格子や、御簾を高く上げさせたので、中宮定子が流石だと喜ばれたというものだ。というのも中国旅行の日記で紹介したばかりの白居易(白楽天)が、詠んだ漢詩に「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き香炉峰の雪は簾をかかげてこれを看る」とあるからだ 中宮定子は外を見たいと言わずに、白居易の香炉峰の雪で表したというように平安時代の高貴な女性ですら、漢籍に馴染んでいた日本において、シルクロードの終点として栄えた平城京に持ち込まれた海外の文物や、遣唐使が学んできた知識などが最新の流行であった中で平城京の知識人が漢籍を読みこなし、優れた文章を取り入れるというのも、当たり前の事らしいです。中国では梅や桃、牡丹のお花見が昔から盛んで、その席では花見の詩を順番に作るというのが、こっちに伝わっての大宰府で大伴旅人の邸宅での花の宴。だったらなおさらでしょうはい、万葉集からと言われる「令和」ですけども万葉集の注釈から、もとは漢籍を取り入れたものだったようだ。中国の蕭統が編集をした「文選」に載っている張衡(ちょうこう)の「帰田賦」にある「仲春令月、時和気清」からの万葉集の「初春令月、気淑風和」であるらしい昨春の韓国のお花見旅行でも、韓国人ガイドが日本のお花見は桜ですが、こちらでは梅ですと言ってたしなぁ・・・だいたいが太宰府だしね有名な菅原道真といい、都から遠い太宰府って左遷されるイメージもあるし。しかもネットで検索をしたところ ウィキペディアによれば>『歸田賦』は後漢順帝永和三年(紀元138年)に>作られた。張衡は首都洛陽の腐敗した政治から>退き、河北河間の行政官の任を務めた後、138年に>喜んで引退を迎えた。張衡の詩は、彼の儒家教育>よりも道教思想に著しく重きを置きながら、引退>して過ごすことを望んでいた生活を反映しているある意味、大宰府にいた人たちが「歸田賦」を愛読していてもおかしくないような、符号性を感じてもいる。しかも万葉集を編纂をした大伴家持(大伴旅人の子)が左遷された因幡国の庁の新年の宴での「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」が万葉集の最後の歌だしねまっ、この家持のうたは私のお気に入りで年賀状やこのブログでもお正月に何度も使った事もある。上海、蘇州、無錫の旅日記でも書いたように古代中国から様々なことを学び、今の日本が作られてきた事実は変えようもないし、今回の年号だって漢籍からとっていたんだからいいんじゃないかとFUJIは日本一の山だから~(大伴家持と万葉集)だいたい数十年足らずの今の中国の政権とは古代の中国大陸にあった王朝は、関係がないように思えるし。日本のものでと言う心情もわかるけど。他の元号の候補の中には読みが私の甥の名前まであったし、エイコウもなぁそれどころか読めそうにないものもあるし結構、レイワはすっきりしてて読みやすいし家族の名前が1文字あって、本人も喜んでるし年号に限らず良い漢字って限られているのでうちも数人の家族の中で「仁義礼智忠信孝悌」から2人いるし、私の名前も有名な天皇の諱(〇仁の、〇)と同じ漢字を使っているそれもそのはず、八卦見みたいな人に名前を付けて貰ったそうで、もう一つの候補は聖子だとかで、そっちじゃなくて良かった。更に古代史の少女マンガにはまった旦那が、本気で息子の名を不比等(藤原)としたいと言い出し当時はフヒトなんて~と、ごく普通の名前にしかし今となれば、とんでもないキラキラ☆ネームが多いから、逆にかっこ良かったかもこの道を行きかう人が「レイワ」「レイワ」と言ってるのを聞いて、新しい元号を知った。名古屋市瑞穂公園陸上競技場、またの名を「パロマ瑞穂スタジアム」は、Jリーグの名古屋グランパスエイトのホームスタジアム(豊田スタジアムも)。私もここも豊田もどちらも観戦に来た事がある名古屋と言えば、やっぱ・・・・ドラゴンズいえいえ、第91回センバツ高校野球大会でセンバツ史上最多の5度目、30年ぶりでしかも平成最初と、最後に優勝をしたという「東邦高等学校」が話題となって、今も地元のワイドショーに生出演中だ学校法人東邦学園が運営する私立の高校だが東山動物園や高速の名古屋インターのあたりに学校があり、プロ野球選手もたくさん輩出しているけど、天知茂 、奥田瑛二、伊武雅刀などの男優さんも。天知茂の芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来だそうですよ~知らなかった最近は山田裕貴で、海賊戦隊ゴーカイジャーでデビューを飾り、今春からの朝ドラ「なつぞら」では、主人公の友達で一緒に上京をするという重要な役どころの小畑雪次郎役で出演の売れっ子イケメン男優さんで、その父親は山田和利といい名古屋市出身で東邦高校から中日ドラゴンズに入団したけどレギュラーに定着できず、広島に交換トレードになり広島で活躍した元プロ野球選手で、引退後は中日や広島のコーチを勤めている方ですって(現広島1軍内野守備走塁コーチ)いやぁ~なんだかすごい。「なつぞら」での草刈正雄。真田丸を彷彿するようなワイルドな爺さんで、ハイジのおんじも思い出すような。今度のは、北海道の酪農農家で育った少女が東京でアニメーターを目指すみたいだ。漫画にラーメンと続いて、アニメとは・・・しかも、朝ドラ100作目の記念作品らしくて歴代のヒロインも登場するそうで、第1作目の「娘と私」のヒロイン、北林早苗の他に小林綾子(おしん)とか、山口智子(純ちゃんの応援歌)松嶋菜々子(ひまわり)、比嘉愛未(どんど晴れ)貫地谷しほり(ちりとてちん)の6人だとか更に、十勝が舞台と言う事で北海道出身者によるTEAMNACSから安田顕、戸次重幸、音尾琢真の3人の出演が決まっており、残りのメンバーである大泉洋や森崎博之の出演の交渉もありうるのかな?今朝の安田顕演じる菓子屋の息子(今は子役)が前述の小畑雪次郎だひよっこの奥茨城の農家の父母が、沢村一樹と木村佳乃というのもどうかと思ったが、今度のなつぞらも十勝の酪農家の養父母が藤木直人と松嶋菜々子で、おんじは草刈正雄とは顔が良すぎるような・・・・いや、そうゆうイケメンに美人の農家さんもいるとは思うけど。まっ、女性のハートを掴む為にはイケメンを揃える必要もあるのだろう山田裕貴君には注目だ。そうそうBS放送ではあの不朽の名作「おしん」の再放送も始まり「なつぞら」と一緒に見始めた戦前と、戦後の時代が違いこそすれ世間の荒波に立ち向かう女の子たちの成長に期待する。街で争奪戦となった号外だが、中日新聞では朝聞におまけとして付いていた 平成31年4月1日に名古屋で撮影にほんブログ村
2019年04月04日
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