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昨日は、次の元号が「令和」と決まり列島が沸いたが、私はその報を名古屋で行き交う人たちの会話から知った。と言うのも、楽天ブログをされている方が毎月1日になると伊勢の名物である赤福の「朔日餅」を日記にアップされるので、私も食べたいなぁ~と思ってはいたのだが、ちょうど3月1日に名古屋で用事をがあり、デパ地下に人の行列を発見。これは!?次の月に、赤福の朔日餅を購入する予約が出来るというので、私も並び遂に4月1日に、わざわざ朔日餅を購入をする為に名古屋のデパ地下に行ってきたのだ。4月は桜餅だった伊勢神宮に1日に参拝をする朔日参りにちなんで赤福が、毎月1日に季節に合う違う種類の「朔日餅」を、販売しているのだが、毎月1日になかなか行けないし5月の予約はしなかった。でもお餅だけでは名古屋までの交通費が勿体ない!お餅を買うついでに、今が見頃となった名古屋のお花見の名所にGO!という訳でやってきたのは、構内のタイルでの鶴の壁画も美しい地下鉄「鶴舞駅(つるまいえき)」であるが、実際にはJR東海の中央線の鶴舞駅で下車をした地下鉄鶴舞駅の方は、ここから次の名古屋市内の花見場所に移動をした時に、写真を撮ったものだが、写真の構成上、地下鉄の方の鶴の壁画を紹介をさせて貰った。駅を出ると、駅の目の前にあるのが「鶴舞公園(つるまこうえん)」だお気づきの方いましたか? 駅の方は鶴舞をつるまいと呼ぶが、公園の方はつるま。ちなみに行政区は鶴舞一丁目でつるまいの方だし、鶴舞小学校はつるま二つの読み方が混在をしているウィキペディアによれば>字鶴舞は「ツルマ」とカタカナ表記>だったものが、適当な漢字を宛てた>ものであるという。『名古屋市史』>(1907年)は由来を不明であると>する>また、『金鱗九十九之塵』は、かつて>当地が海辺であり、鶴が多くいたことに>よるという伝承を伝えている。このほか>水流(つる)の間(水がよどむ場所の>意味)が語源とする説もある東京の上野公園での、お花見宴会がテレビニュースで流されるが、ここ名古屋では駅最寄りの「鶴舞公園」がお花見の代表格となっている。無料だし・・・1990年に公益財団法人日本さくらの会の創立25周年記念として、建設省、運輸省環境庁、林野庁、全国知事会、財団法人国際花と緑の博覧会協会の後援によって選定をされた「日本さくら名所100選」に選ばれてもいる各都道府県から最低1か所を選ぶといった9つの選定基準があったそうで、愛知県は4つ。そのうち2つが名古屋市内にあるし今日は、名古屋市内で桜の名所のハシゴだなんだかんだで、この時期に名古屋に出かける事もあるし、この鶴舞公園の桜も初めてでもないが、お天気も良くちょうど満開になった咲き具合かな?寒の戻りで寒い中、午前中からたぶん夕刻からの花見宴会の場所取りの人が暇そうにしていたが、カメラを構えたアマチュアカメラマンの姿もちらほら鶴舞公園であるが、翌年に開催を予定をしていた第10回関西府県連合共進会の主会場に使用する為、明治42(1909)年名古屋最初の公園として開設された共進会の終了後も公園は整備され、動物園(後に東山に移転)、図書館、普選記念壇(普通選挙制度の成立を記念)、名古屋市公会堂などが作られた鶴の噴水~。至る所に鶴のモチーフが明治43年の第10回関西府県連合共進会が鶴舞公園で開かれた際、当地方で活躍をした鈴木禎次の設計で造られた噴水塔は名古屋市の有形文化財に指定されている同じく、鈴木禎次の設計による奏楽堂は1934(昭和9)年の室戸台風で倒壊復旧された二代目の奏楽堂も、老朽化で解体撤去。今のものは平成9(1997)年創設当時の姿に復元されたレプリカである駿河の旧旗本で大蔵官僚の長男である鈴木禎次は帝国大学工科大学で学びフランス留学を経て、名古屋高等工業学校(名古屋工業大学)の教授を退官後に独立彼が設計をした建築物は80棟に及び、その半数が名古屋に集中しており、「名古屋をつくった建築家」とも呼ばれているそうだ半田市の中埜半六邸は、国の重要文化財に岡崎市の岡崎銀行本店や、徳島市にある旧高原商店社屋は、国の登録有形文化財に指定をされているそうだ。松坂屋百貨店はどこの都市のも彼の設計だったようだ昭和天皇の御成婚を記念した事業で、昭和5(1930)年に完成した名古屋市公会堂は第二次世界大戦中は、高射第二師団司令部として、戦後直後はGHQに接収され、連合軍兵士の専用劇場として使用をされていた昭和55(1980)年に市制90周年記念事業として大改修が行われ、 名古屋市都市景観重要建築物に指定され、名古屋市都市景観賞(まちなみ部門)も受賞をしたあちらの近代的なビルは名古屋大学医学部の附属病院で、通称は名大(めいだい)病院。ここの病院のレンガ造りの門と外塀が、国の登録有形文化財にも指定される、戦前のものだとか鶴舞公園は明治38年から始められた精進川(現新堀川)開削工事の土砂で造成をされたもので、それ以前にこの一帯は旧御器所村の水田や大根畑であったそうで、竜ヶ池は元は潅がい用のため池だったものが残されたこんな小さな滝もあったりするその近くにある巨大なソテツ鶴舞公園の奥の方まで、ぐるっと一周するのは初めてで、面白いものも色々あったりもするえ? これは何?と思ったらこうゆう事だったのか・・・・作り直す発想はなかったのかな。お金かかるし第24代内閣総理大臣だった加藤高明は尾張藩の下級藩士の子で、親戚に養子となり、東京大学法学部を首席で卒業して法学士の学位を授与された三菱に入社して頭角を現し、副支配人の地位につき、岩崎弥太郎の長女の春路と結婚。三菱の大番頭とも言われたが政界入りし外相等を歴任。大正13(1924)年明治憲法下における選挙結果で選ばれた唯一の内閣総理大臣となった憲政会総裁となって、第二次護憲運動をおこし、護憲三派(憲政会・革新俱楽部・政友会)内閣の首相となり、日ソ国交回復に努め、治安維持法や普通選挙法を成立させたそうであるこちらは、このような碑でLED照明灯を有する人工芝多目的グラウンド2面、立派なクラブハウスを要する、「テラスポ鶴舞(つるま)」があり、様々なスポーツ活動を中心に交流・憩い・価値創造の場として幅広い活用がされておるこの日も2つのグランドでは、スポーツを楽しむ青少年の姿が・・・・かたや、このような文化的な施設もあった玄関先には陶器の鶴の姿が・・・鶴舞公園を中核に、周囲には様々な施設があるので、いつも沢山の来場者の姿がありそうだ名古屋市の緑化センターは、緑化に関する相談や指導、各種資料の展示、講習会など行っているそうだこちらは名古屋市鶴舞中央図書館で、名古屋市内に21館ある、名古屋市立図書館の中央図書館機能を担っている。大正12(1923)年大正天皇御大典奉祝記念事業として開館した市立名古屋図書館を前身としている一番最後に紹介するのは、こんな感じでして駅前に戻るとジャグリングをやっており沢山の人たちが楽しそうに見物をしていたさっ、地下鉄に乗り次のお花見ポイントへ 平成31年4月1日に名古屋で撮影にほんブログ村
2019年04月02日
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さて近場の名古屋に娘と出かけた先週金曜日の話の続き。午後にはアサヒビールの工場見学、夜にはナゴヤドームで中日VS楽天戦を見ただけでなくって・・・・朝早くに、旦那に車で駅までおくって貰い、電車で午前10時前に名古屋駅到着。すぐに映画館で映画チケットを指定席に交換してから、近くの喫茶でモーニングコーヒー500円弱で一服いつものジョイセブンで昨秋に購入した映画チケットの使用期限が、3月末まで2枚あったので、野球の試合(&ビール工場見学)のついでに映画を見ようかと何せ交通費だけでも名古屋は往復3千円かかるし、一度に用事を済ませなければ地下街のマスコットだけにモグラらしいアカデミー賞の作品賞を受賞、日本での観客の口コミの点数も高いので、これを見るかぁ~と、いった感じで「グリーンブック」 なんでも実話を映画化したそうだけど深刻なテーマな割に、コミカルなノリの完成された娯楽映画になっていた黒人差別主義者であった白人の主人公が黒人ピアニストと時間を共にすることで人種に対する考えを改めて、2人の間には友情が芽生えていくという、白人目線の映画をよくは思わない人も多いそうだというのも、アメリカにおいて今でも深刻な黒人差別が行われているからだトランプ米大統領就任後、アメリカでは白人至上主義者の団体が、増加傾向にあるそうだ。更に驚いたのはアメリカで進みつつある分断の時代で、犯罪者ばかりが集まって住む街や、黒人ばかりのスラムの街などもなんでも地域の中心となり、企業なども多く収入の多い都市が、周辺の貧しい地域などへの行政サービスに、税金を使う事をよく思わずに独立。金持ちの白人有力者はお金を与える事は、彼らが働く機会を奪う事となるという言い分だ貧しい人たちは、彼らを受け入れてくれるゴミだらけでホームレスの多い、スラムのような街に住むようになり、そこでは黒人ばかりだったとレポーターが話していたカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した黒人のスパイク・リー監督の「ブラック・クランズマン」は白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」への潜入捜査の実話を、コミカルに描いたものだ。日本は大半が日本人で差別問題をあまり感じてはいないのかもしれないが、貧困問題は対岸の火事で済ませられない現状だ非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっており、いったん貧困のワナに陥ると抜け出せない「貧困強制社会」であるという中間層の可処分所得を減らす産業も、一因で家の新築、新車購入、豪華な結婚式などで貯えをはたいてしまい、更に大きなローンを組んで、もし何か起きたら貧困まっしぐら教育ローンも大きいよね。学生自体が何百万も借金をして、そこからの社会人生活スタートでは。ここまでの写真は野球観戦をした次の日土曜日の名古屋ですテレビで、早咲きのヒカンザクラが満開だと知って、お花見に出かけました3月の期間限定のじゃらんポイントの千円割引を貰った事もあり、そのホテル独自の割引も併用が出来ての、二人で8千円以下しかも朝食バイキングも付いているそうで名古屋の中心なのに、天然温泉だったりもこれはもう泊まるしかない朝食では味噌カツやえびふりゃ~、八丁味噌をふんだんに使ったものや、五平餅などもあり美味しかったです。名古屋駅と栄の間にある地下鉄の伏見駅から歩いて数分、伏見クラウンホテルの温泉に夜も翌朝もまったりつかりました温泉でホカホカして、朝ドラのまんぷくも見てのんびりと。うちから名古屋に行くのなら、とっくに家を出なきゃいけないけど今日はホテルを9時過ぎに出て、地下鉄でやってきたのは名古屋の市役所前。戦前の庁舎は京都市役所に次いで古いものだ愛知県庁や、名古屋市役所などのある行政エリアは、名古屋城のすぐ東側でお城のお濠も、市庁舎の外側にもあるてくてく東の方向に歩いていくと・・・前々から見学に来たいと思っていたのは、名古屋市市政資料館で、その建物は旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎で、国の重要文化財にも指定をされているが、なんと無料で見学ができるのだこんな無料スポットに、今まで一度も来る事がなかったなんて! しかも名古屋を代表する映画ロケの聖地であり岡田准一の「SP 革命編」で国会議事堂阿部サダヲの「謝罪の王様」で総理官邸「花より男子2」で大河原滋の財閥ビル「約束、名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯」「負けて、勝つ~戦後を造った男・吉田茂~」「坂の上の雲」「官僚たちの夏」等重厚感があふれるゴージャスな建物として更に地下の留置所も使われているようでしかも、その日は結婚式の前撮りもしていて、花婿と花嫁がこの階段で写真を撮ってたりしました。他にも質素な階段も他にあるので、撮影の邪魔をしないようにそちらから下へこの階段奥と、天井のステンドグラスがとても美しく、吹き抜けの階段ホールのアクセントになってましたよ。いつものように、ウィキペディアによりますと↓>1922年に名古屋控訴院、名古屋地方裁判所>および名古屋区裁判所を1つの合同庁舎>(名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)に>まとめるために建設され、戦後も、名古屋>高等・地方裁判所庁舎として利用され、長らく>中部地方における司法の中心であった。>1979年の裁判所移転に伴い取り壊される>ところであったところ、保存を望む声を>踏まえて、名古屋市により、保存修理等の>工事を経て名城公園内の名古屋市市政資料>館として利用されるとともに同資料館に>より保存・公開されることとなった。>1984年5月には、本建物(玄関、中央階段室>および三階会議室以外の内装を除く。)が>国の重要文化財に指定されている。所有者は>国。日本全国に8つ建設された控訴院のうち、>庁舎が現存するのは名古屋控訴院(本建物)と>札幌控訴院(札幌市資料館)のみである。>3階建の洋風建築で、玄関ポーチおよび>正面中央の塔屋を有する。赤い煉瓦と>白い花崗岩の外壁、緑色の上屋銅板、>屋根の黒いスレートが組み合わさった>荘重で華やかなネオ・バロック様式を>基調とする官庁建築。>内部の意匠は基本的には簡素である>ものの、2階と3階を吹抜けとした>中央階段室はステンドグラスの窓や>漆喰塗り・マーブル塗りによる仕上げが>施されており、3階会議室とともに>優れた意匠として知られる。>構造は煉瓦壁と鉄筋コンクリート造の>梁や床を組み合わせたもの。煉瓦造と>しては最末期の大規模近代建築であり、>日本の近代建築における大正末期の>建築物の特徴を忠実に備えている。2階には裁判に使った部屋や、豪華な会議室の他にも、市の資料を展示した部屋(撮影禁止)もあったり、市民への貸し部屋にも利用もされていた1610(慶長15)年に、清洲から名古屋へ尾張藩の中心が移され(清洲越し)、その時に、三百石級の中級武士が移り住んで武家屋敷が並んでいた。明治時代になると当時の財界の人の豪邸がならび、その名残から、今も立派なお屋敷がずらりと並んだ名古屋随一の高級住宅街ださらに名古屋城も燃やした空襲からも逃れ古い建物も数多く残っている事から、市の「白壁・主税・橦木町並み保存地区」や「都市景観形成地区」に指定され、景観保持に取り組んでいる愛知経済どころか、日本経済の牽引に一役買ったトヨタの創業者一族も、ここに屋敷を構えていたそうで、豊田自動織機創業者で発明王の豊田佐吉の弟で、経営面でも支えた豊田佐助の屋敷も、無料で見学できる当時、長塀町に佐吉邸が、白壁町に豊田喜一郎邸と豊田利三郎邸もあったのだが現存をするのは、この佐助邸のみであり利三郎邸は門と塀だけが残っているウィキペディアによると↓>建物は1923年(大正12年)に建築された>もので、木造2階建の洋館と和館から成る>白いタイル張りの洋館を主屋にこの2棟は>接続しており、和洋折衷の建築となって>いる>1945年(昭和20年)には、米軍に接収>され、高級将校用住宅として使用されて>いたが、1970年(昭和45年)よりアイシン>精機の所有となっている。また、1995年>(平成7年)より、名古屋市が無償で借受け>一般公開している豊田佐助は1882年に誕生し、菊井紡績専務、菊井織布社長、豊田光綿紡績社長などを歴任。長男がアイシン精機社長をしていたという経緯から、この屋敷もアイシン精機所有となったんだろうか鶴の絵柄の中に、とよだの文字をデザインした換気口。創業家の豊田はトヨタではなくて「トヨダ」であり、初期の乗用車に添えられたエンブレムは漢字の読みをそのままローマ字で「TOYODA」だったそれが後に「トヨタ」のほうが、濁音がなく、さわやかで言葉の調子もよい事と「トヨタ」と書いた場合、総画数が縁起がいいとされる8画にもなる更に創業者の苗字から離れる事で、個人の会社から社会的企業へと発展もするから、社名を変えたんだとか。廊下には当時でも珍しい、ガス灯があったさて、ここ「白壁・主税・橦木町並み保存地区」を中心に、東は徳川園、西は名古屋城付近までのエリアを「文化のみち」といい名古屋の歴史をもの語る建物などが点在をしているその中でも目をみはる存在なのが、電力王の福澤桃介と、日本の女優第一号の川上貞奴の邸宅であった「文化のみち二葉館」であるここは入場料が200円かかるので、少ないといえど興味がないと言い切る娘は、中に入らなかったので、駆け足の見学だ昭和60年のNHKの大河ドラマ「春の波濤」では、主役の貞を松坂慶子、桃介を風間杜夫川上音二郎を中村雅俊が演じていたのを、今も覚えている方もいるだろう。木曽川をせき止めダムを造った福沢桃介は、南木曽や恵那峡などうちのあたりにもゆかりの人物なので、私も欠かせず見ていたあのおきゃんな貞を演じた松坂慶子が、今や生前葬も行うキュートな「武士の娘」としてブレイク。前にNHKドラマ聖徳太子関連で推古女帝を演じた、松坂慶子さんのトークショーを生で見た覚えがあるが、とってもお美しくて上品だったウィキペディアによりますと>「電力王」と呼ばれた実業家福澤桃介と>日本の女優第1号である川上貞奴が、1920年>(大正9年)から1926年(大正15年)までの>6年間を共に暮らした旧邸宅である。>桃介が貞奴と居住するために住宅専門会社>「あめりか屋」に依頼し建設されたもので、>当時あった場所が東二葉町(現・白壁三丁目)で>あったことや、和洋折衷建築の斬新な外観や>その豪華さから「二葉御殿」と呼ばれていた。>しかし、桃介が隠居のため東京へ戻ると>貞奴も拠点を東京に移し、しばらくの間は>東京と名古屋を行き来する生活を送って>いたが、1937年(昭和12年)には貞奴に>よって敷地や建物が東西に分割処分された>このうち建物の東半部は取り壊されが、西>半部は大同製鋼(現・大同特殊鋼)の取締役で>あった川崎舎恒三に売却され増改築がなされた。>その後、大同特殊鋼の所有となり「大同特殊鋼>二葉荘」として使用されていたが、>2000年(平成12年)2月に株式会社大同ライフ>サービスから寄付を受けた名古屋市が現在地へ>移築復元し、2005年(平成17年)2月8日に>文化のみちの拠点施設「文化のみち二葉館」と>して開館した。>館内には川上貞奴に関する資料や坪内>逍遥や城山三郎、小谷剛など郷土ゆかりの>文学資料が展示されている。また、開館>翌日の2月9日には主屋と蔵が国の登録有形>文化財に登録された といった感じである結構、寒い日だったんで体も冷え切ったままで、久屋大通から栄の地下街に逃げ込む。タリーズの福袋のチケットで一息ついた。チケットだがショートサイズは何でもOKで、ショートサイズがないのでも50円を足せば利用できる優れものお昼ごはんは栄地下で「台所はせがわ」という和食の店で、ヘルシーな千円もしない定食をパクリ。今日はこのまま栄をうろつき家に帰る事にしよう名古屋の栄では、週末に出かけると様々なイベントを行っており、その日はテレビ局のもので、無料で観覧が出来るステージではテレビで見ない日はないような、大人気の和田アキ子のモノマネ芸のMr.シャチホコがミスチルを歌っていたしこうして1泊2日の名古屋旅は、交通費にホテル代、映画代、飲食代といった諸々を含んでも一人1万円ほどで十分に楽しめる内容だった。いよいよ来週末は花見旅だがまだ開花してないみたい。大丈夫だろうか? 平成31年3月下旬に名古屋で撮影にほんブログ村
2019年03月28日
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やっとブログの方も中国から帰ってきましたまぁ、旅行自体は1月下旬に出かけたもので既に二ケ月もたって、世の中は桜の開花宣言などもされる、春本番間近の日曜日の午後に静かな山里に、けたましくサイレン音がひびき、中津川市内あちこちから次から次へと消防車が幾台も集合馬籠宿のすぐ南側の山で、山林火災が発生したそうで、もうこれは1時間以上経ってかなり、煙もおさまってきた状態でしたがまだまだ放水作業をする消防士の人なども見えましたそしてパラパラパラと馬籠上空にやってきたのは「岐阜県防災航空隊」の防災ヘリ「若鮎I」 平成6年の機体は退役をして平成27年3月に運航を開始した川崎式BK117C-2型の消防防災ヘリコプターだ岐阜県の防災ヘリはもう一機、「若鮎III」(ベル式412型)もあり、365日体制で県民の安全を守ってくれている。更に近隣自治体とも消防防災相互応援協定を結んでいるそうだ馬籠宿の近くにある荒町の溜池に降下してここで水を補給するようである。邪魔にならないよう、少し離れた所にある農機具小屋の軒先で、その作業を見守る事にしたさて火事は、近所の男性が畑で伐採した木の枝を燃やしていたら周囲に燃え移り1万平方メートルが焼けたそうで、消防ヘリの他にも消防車が11台出動し、2時間40分で鎮火したゆっくり、ゆっくりと慎重に降下をしてまだまだ下がるのか!その姿は土手で見えなくなってしまった徐々に姿が現れて給水作業完了。ヘリコプターは火災現場へと日曜日の午後、近隣の人たちもみんな家から出てきて、その様子を見守っていた私と娘はちょうど、馬籠の散歩に出ていて消火作業の一部始終を見る事が出来たけど舅の買い物に付き合わされ、市街地へ外出してた旦那は見る事が出来ずえ~~、いいなぁ~~~と羨ましがる。これも人家火災ではなくて、山林火災も迅速に消火にむかっていたので、消火作業ものんびり見学もできたけど2012年秋の深夜に馬籠宿内で火災が発生し4軒焼失、死亡者も出てしまった時には夜空に真っ赤な火の粉が遠くまで飛びかい、言い知れぬ恐怖を感じた棟続きの宿場町である馬籠宿は、明治28年に78軒、更に大正4年には72軒が焼失をした大きな火災が起きているので、余計に火事は怖い存在である何度か水を撒いて、火もおさまったのか若鮎は給水散布に使っていた黄色の袋をよく、防災の訓練などで使われる広場で片づけてから現場を離れたありがとう若鮎。空を飛ぼうが若鮎!やっぱ、岐阜県は山と清流の国だからちなみに各県の消防防災ヘリの愛称は秋田県はなまはげ、名古屋市はのぶながひでよしなんだとかそんな、のぶながとひでよしが守ってる名古屋市に先週の金曜日に、娘と二人で出かけた先は、守山区にあるアサヒビール名古屋工場お馴染みアサヒスーパードライを作っている工場だけど、ここに来るのは何回目になるのだろう。ここで工場見学をして、試飲(3杯まで)してから、ほろ酔いでナゴヤドームに向かう事が多いのだ今回もいつものジョイセブンで、オープン戦「楽天VS中日」の試合のペアチケットが当選したので、その試合前に娘と出かける事にしたのだ1889(明治22)年創業。1949(昭和24)年に大日本麦酒株式会社が分割されてアサヒビールが設立された。キリンに次ぐシェアがあったアサヒもサッポロに抜かれ、1980年代には10%を切ってサントリーにも肉薄され、夕日ビールとも比喩をされたこれを打破しようとマーケティングを行い、若い人は、味わい(コク)と喉ごしの快さ(キレ)を求めているとのコンセプトから新商品を開発し1986(昭和61)年にアサヒ生ビールを発売販売数量は前年比11.9%増と、ビール業界でのシェアも10%台を回復更に新商品の開発プロジェクト、コードネーム「FX」を開始し、1987年1月21日に改称をした「アサヒスーパードライ」が発表され、首都圏での試験的な販売も大成功をおさめ、夏に予定していた全国販売を5月に前倒し販売予測からこれまでの生産能力を、1年間で5割増加させる設備投資計画を始動。その年の販売数量は1350万箱を達成。スーパードライは日経流通新聞「62年ヒット商品番付」で東横綱に選ばれる程のヒット商品となった1990年代からはスーパードライに特化した販売戦略と鮮度管理の強化を進めた結果、1998(平成10)年に、日本国内においてビール市場占有率が1位となった(発泡酒を含めると2位)2001(平成13)年に「本生」で発泡酒市場にも参入し、その年のビール類(ビールと発泡酒)のシェアでキリンを抜いて、1953年以来48年ぶりに首位に返り咲き、今もビール業界を牽引している昨年のビール類の「課税出荷数量」のシェア首位は37・4%のアサヒビールで、キリンビールは34・4%、サントリービール(16・0%)が3位で4位はサッポロビール(11・4%)だった。しかしキリンビールはイオンやコンビニなどで販売をしているPB商品を含めた数量でありアサヒビールはPBに注力しておらず、PB分を外して出荷数量を算出するよう求め、合意に至らずビール大手が一喜一憂してきたシェア(市場占有率)の数字は2019年分から公表されなくなるそうだこの黒箱のアサヒスーパードライは、一か月に1回程度しか製造されない、オーストラリアへの輸出用のもので、日本国内では出回らないそうだこちらはミニの缶ビールの製造用のもので作業を終えて洗浄中。小さなスーパードライは日本しか販売されないし、コンパクトで安いので海外からのお客さんがお土産用に買っていくそうだこのスーパードライのミニ缶の製造ラインは名古屋工場にしかないんだとか。といった1時間程の工場見学を、今回は4組8名でまわっていよいよお待ちかねのスーパードライの試飲タイム20分。最初は工場で出来たばかりのスーパードライを1杯ついでもらって有名料亭の「なだ万」の創業家から株式を買い今はアサヒビールの傘下になっているそうでおつまみは、なだ万のクリームチーズおかき2杯目、3杯目は先ほどのスーパードライの他にスーパードライドライブラックや、スーパードライプレミア豊醸の中から自由に選べる。その他にもノンアルコール飲料も幾つも用意されているのでお子さんとか酒が苦手な人も参加できる最近は好きと言う訳でもないが、普通にビールも飲めるので1杯目はビール、2杯目はカルピス飲料3杯目はブラックをもう1杯飲みたいという娘の為二人ではんぶんこにしたさてほろ酔いになった娘を連れて、すぐ近くにある名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)の川宮駅から乗車して、ナゴヤドーム矢田駅で下車てくてく歩けば、もうそこはナゴヤドームだ「楽天VS中日」のだ試合開始2時間前、そろそろ球場も入場出来るので、楽天側の練習も観たいし私は一足先に中に入るが、娘の方はすぐ横にあるイオンモールで試合直前までお買い物をして、後から合流買えたといえばいつものジョイセブンで、チケットが少し安く購入が出来るのだが、ゴールデンウィーク中の広島戦をゲット。こちらも今から観戦が楽しみだてな訳で、先週金曜日の「楽天戦」の様子はまた今度試合前に、東北楽天ゴールデンイーグルスの石井一久ゼネラルマネージャー♪ドラゴンズのマスコットのドアラは、ナゴヤドーム前でお出迎えと、サイン会をやっていた 平成31年3月下旬に名古屋&馬籠で撮影にほんブログ村
2019年03月25日
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2月からここで紹介をしていた、娘と1月下旬に出かけた、2泊3日の上海無錫、蘇州の格安旅行の紹介も遂に最終の日記となった一番最後に紹介するのは「新場古鎮」で上海市街を離れて、上海浦東国際空港に向かう途中でのフリータイム観光だけど豫園商城同様に、あまり時間は無かったような駐車場から細い路地を通って、主要な観光場所まではガイドさんに連れられそこで解散し、あとは集合時間までに駐車場で待つバスに戻るという訳で折りたたみ傘も用意したが、なんとか使う事もなく帰国が出来そうだ。こんな狭い路地で、傘はあまり使いたくないしカメラで写真を撮るのにも邪魔になる駐車場へ戻る角のお店をしっかりと覚え、集合時間まであまりないのでてくてくと歩く。向こう側にも平行して路地があるようだし少し歩くとお店屋さんもあり、何だか賑わったエリアに突入。前を行くのも同じツアーのご夫婦だこんな狭そうな通りでも、新場大街というらしくって、人通りもここだけは多いように思いましたこのようなお店やこんな食べ物やこんなのやこんなのも店頭に売っていましたさて新場古鎮は、上海の郊外にあり空港にも近い事から、こういった旅行でも観光先に利用もされるようだが、こういった水郷古鎮で有名なのは京杭大運河にも近い杭州とか、蘇州あたりにあるもので、西塘とか鳥鎮朱家角、周庄など街を巡る水路により水運で栄えていた往時の姿を、色濃く残していますここ新場は千年ほど前に、塩を生業に町が発展して、かなり栄えていたそうであるそして、明や清時代の古い建物なども残る町並みがある訳だが、こういった所が結構まるそうだけど再開発という話もなく、次世代に保存をされていくんだろうか?昼間だけの土産物屋ならともかく実際にこういった古い町の、古い建物だと最新の電化品に囲まれた現代生活をおくるのはかなり困難にも思えもする家と言うものも人が住んでいないと傷んでしまうし街も廃れるが、そこで暮らしてる人たちの暮らしもあると思うとね・・・とりあえずエアコンの室外機もあるようなので結構、快適にリフォームしているのかもしれないしさて今年のベネチア映画祭で最高賞の金獅子賞だったのは、ROMA/ローマだったけど、2007年にはアン・リー監督のラスト、コーション(色,戒)であったその映画でここ新場古鎮でも、ロケが行われたそうで、この第一楼も映画に出てきたらしいです。その映画は見た事はないですが、アン・リー監督の他の作品は幾つも観ましたグリーン・デスティニーや、ハルクとかいつか晴れた日に、ブロークバック・マウンテン、ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日と、どれも印象が強いですユーチューブにラスト、コーションの日本語版の予告編があったので、↑に貼り付けましたが、日本ではR-18指定だそうです。 ウィキペディアによると>アイリーン・チャン原作の小説『惘然記』に>収められた短編小説「色・戒」を映画化。>第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、金獅子>賞と金オゼッラ賞(撮影賞)を受賞。第44回>金馬奨にて最優秀作品賞・最優秀監督賞・>最優秀主演男優賞(トニー・レオン)を受賞。>第二次世界大戦中、日本軍による事実上の>占領下となっていた香港と上海を舞台に、>日本の傀儡政権である汪兆銘政権の下で、>抗日組織の弾圧を任務とする特務機関員の>暗殺計画をめぐって、暗殺を目論む女スパイ>(工作員)と、暗殺対象となった特務機関員>との間に芽生えた愛情のゆくえを描いた物語。人気男優のトニー・レオンと、オーディションで約1万人の中から選ばれたタン・ウェイ出演日本国内でも高い評価を受けた映画のようだこの登場する女スパイには実際のモデルがいるそうで、鄭蘋茹(テン・ピンルー)という。女スパイと言うと川島芳子が有名なのだが、李香蘭といい日中のはざまで激動の時代に翻弄された女性が他にもいたとはウィキペディアによると・・・>1918年(民国7年)、浙江省蘭渓市に>生まれた。父・鄭越原は孫文を慕って>中国同盟会に参加した事があり、母は>日本人だったこともあって、早くから>日本に対して、親近感を抱いていた。>1932年~1934年にかけて上海の明光>中学(民光中学とする説も)高等部に>在籍。後に自身の運命を決定づける>丁黙邨は同校の代表理事であった時期が>あり、このときに二人は出会っていた>可能性がある>美貌でしなやかな肢体を持っていたと>言われ、上海のグラビア雑誌『良友画報』の>表紙を飾った事もあった。やがて自身の>容貌を活かして、抗日運動に身を投じ、>その過程で近衛文隆(近衛文麿元首相の>長男)と知り合った>しかし、1939年6月4日に近衛暗殺未遂>事件があり、危険を察知した大日本帝国>陸軍幹部は近衛を日本に送還(その後、>満州へ召集令状が出された)し、二人の>関係は終わった。その後、重慶国民政府の>特務機関・中央統計局から重大な命令が>下る。>それは汪兆銘政権傘下の特工総部(ジェス>フィールド76号)の指導者となっていた>丁黙邨を暗殺せよというものであった。>鄭は丁に近づき、1939年12月21日、丁の>暗殺計画を実行するも失敗に終わった。>そして特工総部に出頭し、そこで構成員の>林之江らに捕らえられ、監禁された。>1940年2月の春節前林らによって上海郊外の>滬西区中山路に連行され銃殺された。享年22。>没後、中央統計局の後身である中華民国法務部>調査局より殉職烈士に認定され、また彼女の>悲劇と数々のロマンスは、多くの小説映画の>モデルとなっている最後の日。中国人官吏から「今日は映画に連れて行くから支度しなさい」と言われた鄭蘋茹は、金色の靴を履きおしゃれをして車に乗り込んだのだが、上海から郊外へと車が向かうと、自分の身に何が起こるのか気がついて泣き叫んだしかし二人の男に両脇を抱えられ引きずり出され、事前に掘ってあった真四角の壕の前に座らされ死刑宣告文が読み上げられた彼女は中国語で「顔を撃つのだけは止めて」と訴えたが、宣告文が読み終わると後頭部を撃たれたそうである鄭蘋如、川島芳子、李香蘭。立場こそ違うとしても時代に翻弄され、その難しい立場の中で必死に生き抜こうとしていたのかもしれない日中戦のはざまで 鄭蘋如(テンピンルー)の悲劇 前編日中戦のはざまで 鄭蘋如(テンピンルー)の悲劇 後編美貌のスパイ鄭蘋如 ふたつの祖国に引き裂 (単行本・ムック) / 柳沢 隆行 著美貌の女スパイ、鄭蘋如が闊歩した租界時代の上海の事を「老上海」と呼ぶそうであるまさに様々な姿、そして今は遠き時代の面影を垣間見せてくれた上海は、かつて魔都と呼ばれていたとしても、不思議はないだろう。この古鎮でも、かわいいわんこがうろうろしていた水路に浮かぶ小舟に乗る為の階段が今も残る通路にあったポストは緑色一期一会とあるところには、なにやらいっぱい下がっていた水路際の屋根のある通路を、ぐんぐん歩いてきた。もはやここまでやってくる観光客も誰もいないそろそろ戻らないとまずいかな。でもここまでやってきて良かった。なんか趣のある橋だし。こうして1月下旬に娘と出かけた2泊3日上海、無錫、蘇州の旅は終わったここからは近況。昨年秋の頃から姑が頬に出来たできものが治りが悪いと、市内の皮膚科の病院へと行くと、総合病院へ案内状を貰い連れて行ったら悪性腫瘍(癌ではない)だからすぐに、手術という事で部分麻酔のイボを取るものなので事前に、心電図などの検査が無く先週、手術をして貰って、術後に点滴などもあり、3月は姑の病院通いで何度も病院に出かけている経過もよく、次の予約は4月中旬でいいそうだ昨日は春のような陽気の中、車も窓を開けると花粉も飛んできそうなので、冷房を入れ病院に向かっていると、姑が唐突に恵那のお母さん(私の母親)のお墓参りに連れて行って欲しいと言い出した何でも私の母親が夢の中に出てきたので、お墓参りもずっとしていない事が気になったそうで、病院の後に途中で、お花とペットボトルの水とお線香と、ライターを買っていってきたNHKの朝ドラでも早くに亡くなった主人公の姉が、いつも家族の夢の中に出てくるが、私も長野五輪でジャンプ優勝に感動した2月下旬、春のようにうららかな日に亡くなった母親の夢を何度か見た事があるがつい10日ほど前にも、母親の夢を見たばかりだった。夢の中では母親といつも旅行をしている。旅の番組が好きで70近くになって膝を悪くし寝たきりになると、ベッド脇にあるテレビでいい旅夢気分と、旅サラダをいつも見ていたそんな母親とは実際には、ヨーロッパ周遊九州、山陰等10回程しか旅行してないが桜の好きな母親だったので、二人でお花見旅行に出かけた奈良の吉野山と、京都での哲学の道は良い思い出になっているそんな母親だが亡くなる少し前には妄想が始まり、家の2階に男と女のスパイが潜んでいるから、危ないし子供は連れてくるなと、真剣な顔で話していた。中国の旅はこれでお終い! 平成31年1月28日に上海で撮影にほんブログ村
2019年03月21日
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紹介が前後してしまったが、1月下旬に娘と出かけた上海、無錫、蘇州の旅での最終日の上海で、午前中に出かけたのは既に、地下鉄で夜景を見に出かけた外灘だった。今にも雨が降りそうな悪天候で空はどんより一番右のビルが中東に続いて、世界で2番目に高い632メートルの上海中心でランキング10位以内に、中国の高層ビルが4つ入っており、蘇州には高さ729メートルの超高層ビルが建設中ださらに上を行くのがサウジアラビアで建設中のジッダタワーで、完成すれば1000メートルを超えるらしい。実は日本でも、かつては超高層ビルの話も出ていたが、バブル崩壊でなくなったみたいだ現在日本一の300メートルの大阪あべのハルカスを超えるビル2棟が、東京都内に建設予定なんだとか。特に超高層ビルとか地震もあるし、羨ましいとか思わないけど近未来には日本以上に深刻なのが、中国の超高齢化問題のようだ中国における60歳以上の人口は2億人を越しているらしいが、近い将来には5億人になり、総人口の35%にも達するそうだ流行語になっている言葉に「未富先老」というのがあり、豊かにならないうちに先に高齢化を迎えるという意味だそうだあと「未備先老」は、制度が整備されないうちに先に高齢化を迎えるという意味で高齢者の医療、年金、介護の分野において高齢化が先行する日本に学べという意見も出ているそうだ中国で「日本に学べ」の声も…加速する少子高齢化さて上海最終日、外灘から市民がくつろぐ「古城公園」の中を歩いて、豫園商城に出かけて、そこでフリータイムとかランチを食べてから、観光バスに乗りこめる大きな道路まで、てくてくと歩いて移動前回紹介をした豫園とか、この周辺一帯は租界時代には「上海城」と呼ばれた中国人居住区であり、現在の上海の中で最も中国的な雰囲気を色濃く残すエリアである豫園商城が観光客用ならば、こちらの「上海老街」は、地元の人が買い物を楽しむごく普通の商店街と言った感じなのが良い。京都の中心部は町の名前ではなく、道の名前を使って地名にしているので、例えば縦の河原町通りと、横の四条通りが交差しているあたりは四条河原町、五条通りならば五条河原町といった具合だが上海の旧市街(浦西)の場合にも、路が重要で、1862年にイギリス租界当局がルールを決めたそうである。南北に走る道路は中国の省名で、東西に走る道路は中国の都市名なんだとか大きな南北の道路では、外灘から西方向へ「四川路」「江西路」「河南路」「山西路」「福建路」「浙江路」「雲南路」「西蔵路」・・・・といった感じで、蘇州川から北が「○○北路」で、蘇州川から延安路までを「○○中路」、延安路から南が「○○南路」となっているそうだで、都市の名の東西の道路は北から「北京路」「寧波路」「南京路」「九江路」「漢口路」「福州路」「広東路」といった具合で、やはり南北の西蔵路を基準として、東が「○○東路」西を「○○中路、又は○○西路」となっているらしいそうそうチャイナドレスだけど、これは>元々満洲人の遊牧衣装で、同じ遊牧民族の>モンゴルのデールから強い影響を受けた。>16世紀、満洲人が漢民族及び中国全土を>支配した後、漢服の文様や織法を取り付け>徐々にモンゴルの様式から離れ、満洲人と>漢民族を融合させた中国式な服装になった>17世紀、チャイナドレスは清国の属国で>あるベトナムのアオザイにも大きな影響を>与えた。19世紀に入ると、清国の弱体化と>西洋勢力の侵入より、中国色が薄く、西洋の>様式と融合された今のチャイナドレスが>生み出した。20世紀、社会主義国の中国>大陸では厳しく禁止され>香港と台湾では風俗業界や中華系ヤクザの>女性仕事服として広まれた。21世紀、中国>大陸はチャイナドレスの禁止令が消えて、>多くの中国の政治家夫人や女優が愛用する。>歴史の短い、満州人の民族服であった>チャイナドレスは、逆に全中国女性を代表>する服装になった。ウィキペディアより転載さてさて横浜の中華街などにもあるが、街中にある門を「牌楼(はいろう)」という。↓写真元の時代に、都であった「大都」(北京)では居住区の基本単位である「坊」によって区画をされており、管理の為に街の標識として牌楼が建てられたそうだ王城などの門は治安の為に、夜には閉じられて朝に開かれるものでしたが、常に開かれた門である牌楼は、邪気の王城への侵入を防ぐという意味も込められているそうで、古来より重んじられてきたそうである「四牌楼路」は、かつて路地裏に屋台がひしめく庶民派グルメストリートだったそうだが規制で、屋台は撤去されてしまい静かな町に戻ったらしい。そんなグルメストリート時代に行きたかった。ちょい残念そんな感じで速足で歩くガイドについていきながら、右を見たり、左を見たりとキョロキョロしながら、近代的なビルの並ぶ大きな道路に出てきた。そこから3日間にわたって慣れ親しんだ大型観光バスに乗り込んで、いよいよ上海ともお別れの刻が近づいた車窓には世界有数の摩天楼。重ねて言うがこれはスモッグとかではなくって、単にお天気が悪くて、今にも雨が降るようなどんより曇り空だから新しい高層ビル群が作られていく上海でも、かろうじて前時代を思い起こすような古い町並みも残るが、それも風前の灯火なのか?初日に空港から上海の街にやってくる時に通った道を、今度は上海を離れる反対車線で中国を思わせるような真っ赤な車の向こうに先ほどは見上げていた上海中心(センター)が小さく見えた黄浦江にかかる「南浦大橋」を渡ってそこからの上海センターも、これも最後の姿となろう。また上海へ来る事なんてあるだろうか。それ以前に台湾や香港にも行きたいし。テレビでやってたマカオも楽しそういやいや、それ以前に東北地方と四国三県(愛媛は行った)と、鳥取県とで全国制覇目指さねばならぬのに道遠し旦那が修学旅行でいってる四国や日光出張でお馴染みの仙台(東北と認識)は行きたがらないのだ東北地方はレンタカーで旦那に運転をしてもらって秘湯巡りとかしたいのに防虫効果なのか、街路樹の下の方はどこも白かったバスの中。今回は後ろの方で。旅も終盤オプションも、ショッピングも終わってしまうと、ガイドさん必要最低限のことしかしゃべらず、運転手さんと歓談する程度だったし実は、上海から空港に向かう途中でももう一か所、水郷古鎮(水辺にある古い町)を観光をしてまして、写真の枚数の関係で、次回で紹介しますのでお楽しみに無事に空港について飛行機に乗り込み夕刻の機内食。日本には時刻通りに到着し、後はセントレアの回で紹介をした通り、ホテルで泊まって映画など見て帰宅しましたお土産は、南京東路で購入したお菓子と田子坊、南京東路、豫園商城でそれぞれ購入したフレーバーティーとか、見ても綺麗でほんのり甘い「八宝茶」は、値段もとってもお手頃だったし、もうちょっと買ってくればよかったかな↓ 平成31年1月28日に上海で撮影にほんブログ村
2019年03月18日
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やはり出かける時期によっては、旅先で見る事が出来るものが違っており、1月下旬の上海は、来るべく豚年に備えての春節風景があちこちで見かけられ、普段よりも、たぶん華やいだ雰囲気だった前にも書いたが、日本の十二支は今年は猪だけど、本家の中国は「豚年」である娘と出かけた上海、無錫、蘇州の旅2泊3日。最終日は賑やかな「豫園商城」でフリータイムだその日の朝はホテルを出て、しょっぱな格安旅行では、お決まりのショッピング三連発。シルクのお布団屋さん、場所を移しての、豫園商城のすぐ近くのビルにあるラテックスの枕に、中国健康茶ランチもそのビル内のレストランなのでその食事タイムまでは、豫園商城でのフリータイムは1時間弱はあったような気もするが・・・色んなお土産屋さんもあって、沢山の人でにぎわっていたお馴染みのあのお店や、このお店もありいわゆる東京の浅草みたいなものだろうそんな繁華街の真横には、明代の庭園の「豫園」があるのだが、娘が一緒なので中に入る事は断念をしたウィキペディアによれば>「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」と>いう意。面積は約2万m2。もとは四川布政使>(四川省長にあたる)の役人であった潘允端が>刑部尚書だった父の潘恩のために贈った庭園で>1559年(嘉靖38年)から1577年(万暦5年)の>18年の歳月を費やし造営された。完成した時>には父は没していたといわれる>清代初頭、潘氏が衰えると荒廃するが、1760年>(乾隆25年)、上海の有力者たちにより再建>され豫園は南に隣接する上海城隍廟の廟園と>なり「西園」と改称された。当時は現在の>2倍の広さがあった。(中略)1956年、西園の>約半分を庭園として改修整備し現在の豫園と>なる。残りの部分が豫園商城となる>1961年に一般開放され、1982年は国務院に>より全国重点文物保護単位となる。龍は皇帝>以外、使ってはいけないとされる生き物で>あったが、皇帝が使用する龍は5本指に対し>龍壁の龍の指は三本指であり格下の龍とされる>装飾や様式は伝統的(中華-上海的)であり>つつ周辺は中華的な高層建築物が並んでおり>観光地として豫園商城と呼ばれている。>お土産物店や飲食店が軒を連ね、小籠包の>本家を名乗る南翔饅頭店などがあるもしも私だけなら、絶対に一目散に豫園に入場(有料)して、中で写真で撮りまくっていたけど、そんな庭園には興味がない上に蘇州で似たようなのを見たじゃないというだろう娘に気兼ねもあってそんな娘と同伴なので、行きたいという気持ちを我慢して、豫園商城をうろうろ何せかなりな繁華街だし、スマホが使えないので私だけが豫園、娘だけで豫園小城といった別行動を取ると娘がちゃんとランチの会場に戻れるのか不安もあったのだ。普段からスマホとかカーナビに頼りきった娘は、方向音痴のような気もするようなスマホも設定とかしたら海外で使えるかもしれないけど、もしも高額請求でもしたらなんて思うと電源も入れるつもりもないし(国内でのみ利用)クレジットカードも怖いんで、必要分と思われるだけ現地通貨に両替しての明朗会計ここでもスローガンが、高々と掲示をされていた。そしてここでも道行く人が真っ赤なかばんや、上着があちこちであと、ウサギのたれ耳をつけた小さな女の子たちがいたが、あれは韓国で流行したもので、日本ではティーンの子がやっているらしいでも中国のように小さな子供がつけていた方が嫌味はない。片隅で伝統的な楽器を奏でる人も既にガイドブックで行きたいなと思うようなお店もあって、そこで目当ての土産も購入できた。ここではないが↑小籠包の発祥は上海郊外にある南翔という街で、「日華軒」の店主黄明賢が清代同治年間に、古猗園の石船(水上建築)で売り出した「南翔大肉饅頭」だそうであるあちこちで美味しそうな香りが漂い湯気がたちこめてもいたが、これからランチなので、買い食いも出来ないやっぱ上海市内だけであれば、個人で動いた方が便利かもしれないそんな豫園商城で、事前にガイドブックを見て、ここには私も行きたいと思っていたのが「九曲橋」である。ウィキペディアによれば・・・>九曲橋は、太鼓橋と共に中国庭園によく>みられる人が通る橋で、上から見ると橋が>ギザギザに曲がっていて、歩く時に四方が>よく見えるようになっているもの。多くは>石かコンクリートでできていて、欄干が>きれいに装飾されている。>曲がる角度は直角のこともあるし>他の角度もあり、また稀に曲線の>場合もある特に宋代の庭園に顕著で>あるといわれる脇には南翔饅頭店もあるが、食べに入る暇もないこれらの春節の飾りが夜には明かりが入って、とても華やからしい。昨夜はこっちに来てもよかったかなともかく近代都市的な南京東路とはまた違った、楽しい上海らしい繁華街だった時間はあっという間に過ぎてしまってそろそろランチの時間なので、先ほどのビルに向かうが、この足場(?)がすごい建物を左に折れて・・・すたすたと娘が入った平凡なビル私はそのビルだと忘れてたし。迷子になるのは私の方だったか。娘と一緒に行動して良かったこの旅最後の食事は、飲茶だか点心みたいな軽めのものだった。それぞれ一人1個づつ人数分あったが、残ったのは娘に食べろと他の皆さんがすすめてくれた写真にはないが、小籠包もあった「上海炒麺(やきそば)」は、うどんよりも細く、そばよりは太い麺を炒め、中国醤油で味付けしたものである最終日の上海の午前中には構成上、ここでは後から紹介しますが、その他の観光先もあってそこから、この豫園商城までは歩いて移動をしたのですがこういった、ごく普通の路地のような所も歩きまして・・・。こんな素顔の街の姿がザ・観光地より好きですこういった門があちこちにあったりしますなんでも、どの辺だったか覚えてませんが再開発で立ち退きになっている区域とかもあるようです。どんどん古い町並みが消えピカピカの高層ビルが建てられていくんでしょうねなんでも米中貿易摩擦の余波で、段ボールが不足する懸念が広がって、段ボールの原料の古紙の調達先を、米国から日本に変えての「爆買い」で、日本での古紙流通量が減って品不足が起きたらしいそうそう紙と言えば、トイレットペーパーは中国のは品質が悪くって、トイレに流すと詰まってしまうので、ゴミ箱に捨てないといけないので注意が必要だ。上海市街はまず問題がないが、無錫や蘇州など地方に行く場合、トイレットペーパーが無いトイレも多く、携帯用のものを日本から持参をしたいお国変われば、いつもの常識が通じない事もあるので要注意。中国でキャッシュレス決済が急激に広がったのは、偽札が多いからだそうだが、その逆に日本では高度な印刷技術によって、世界一偽札が少ないそうだまもなく実施される増税に合わせて、日本でも、中小店舗においてキャッシュレス決済をするとポイント還元がされるというこれは訪日外国人観光客の利便性や、貨幣製造のコストダウン、盗難や麻薬、密売など犯罪防止。更には脱税防止につながるそうだ現金を狙った昨今のアポ電やオレオレ詐欺や盗難にもいいかもしれないけども、慣れないキャッシュレスを使った犯罪も増えそうな気もする。コンビニでアマゾンギフト券を買わせたりとか既に行われているようだしそれにしても今週の真冬並みの冷え込みには驚いた。うちのあたりも雪で真っ白になって昨日は早起きした旦那が、かえたばかりなのタイヤを冬用に戻して、会社に出かけたといった訳で上海の旅行最終日、まだ続く 平成31年1月28日に上海で撮影にほんブログ村
2019年03月15日
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視聴率は、一桁になってしまったそうだけど大河ドラマ「いだてん」、私的にはキャラが面白いし、地元の中津川出身の可児徳先生が出てるので見ている。特に人間味があるのが嘉納天狗、柔道の嘉納治五郎校長なのだけど唐突に挿入がされたエピソードに、母国で清朝が倒れ、中華民国が建国をされた辛亥革命が起きたので、清国の留学生の留学費用を、嘉納治五郎校長が私費で肩代わりをする事となり、莫大な借金を追ったというのがあった嘉納治五郎は教育者として東京高等師範学校(筑波大学)の校長を長年にわたり務め、旧制第五高等中学校(熊本大学)校長、旧制灘中学校(灘中・高等学校)や日本女子大学の設立にもかかわっているそうだが、更にはウィキペディアによれば>1882年には英語学校「弘文館」を>南神保町に創立し、また1896年には>清国からの中国人留学生の受け入れ>にも努め、留学生のために1899年に>牛込に弘文学院(校長・松本亀次郎)を>開いた>後に文学革命の旗手となる魯迅も>ここで学び、治五郎に師事した。魯迅の>留学については2007年(平成19年)>中華人民共和国国務院総理・温家宝が>来日した際、温の国会演説でもとり挙げ>られた1月下旬に娘と出かけた上海、無錫、蘇州の2泊3日旅行の日記の中でも、周恩来や孫文が若い頃に、日本に留学をしたと書いたけれど100年前には、中国人が日本へ留学をする大ブームが起きていた。ピーク時には年間で1万人弱とも言われる欧米諸国がこぞってアジアへ進出した19世紀日本は太平の世であった江戸幕府が揺さぶりを受け、開国に傾くのを良しとしない攘夷派らが尊王思想と結び付け討幕派となり、なぜか欧米の兵器などを手に取って幕府を倒し、明治政府をうちたてた幕末より、若い優秀な人材を欧米へ留学させて更に欧米の技術者を数多く招聘し、近代国家へと確実に足を進めていた中で、かつて世界の中心とまで豪語していた中国大陸は、清王朝が健在古い伝統や権威が災いしてか、近代化への道は遠く、不穏な空気が渦巻いていた前にも紹介をした浅田次郎原作の「蒼穹の昴」においても改革派の皇帝派と、保守派の西太后派の壮絶な政権争いを描いており、敗れた改革派の指導者らは、命からがら日本へ亡命をしていた国力の衰退につけ込まれ、先進諸国の軍事力による植民地化の動きに翻弄され、混迷が続き内乱時状態にもなっていた中で、一刻も早い先進化を目指し、欧米への留学を希望するが費用が高いのがネックとなり、近くて費用も安く済み、文化習慣も近い日本への留学が人気となっていった日清戦争後に本格化をした日本への留学生は年々増えていき、1905年に科挙の制度廃止がされた事と日本の評判の高まりから、急激に増えて年間1万人弱にもなり、様々な分野で学んでいたが、困窮や様々な事情から帰国をした者も少なくなかったそうである京城(ソウル)駐在の初代総監に伊藤博文が就任すると反日的な空気が本国や留学生の間に広がり始め、辛亥革命で中華民国が生まれると留学生たちの多くが帰国し、留学生の数は次第に減っていった1931(昭和6)年の満州事変、翌年の上海事変で一斉に帰国した学生が、翌年秋には再び戻り始め満洲事変後の日本研究熱の高まりや、為替相場の好転、新満洲国での就職の期待といった事の他に抗日救国の為に、まずは日本を見極めようという様々な意味合いも私ごとになるが私は親が40歳の時に生まれた末っ子で私が生まれた時に兄姉は高校生だったが大正末に生まれた父親もやはり末っ子で兄姉は明治生まれだったそうだ。そんな明治期に生まれた伯父(次男)は、私が生まれる前に、結核で亡くなったけどこの伯父はかなり優秀だったそうで、戦前に鉄道省に勤めていたが、東京の鉄道局教習所に通っていたそうで、運動会や、白馬登山、満鉄での満州への修学旅行の写真が残されているがその中には、箱根で行われた日華学生親和会の写真もあった。たぶん昭和に入ったばかりかな早稲田大学は清国留学生部を設けて、約300坪2階建て、44室の寄宿舎を設けるなど本格的に受け入れをしており、その当時に多かった短期速成の教育を排し、予科、本科3年制を目標とし多くの要人を育成した。その為に中国において早大の知名度は高く、今も中国からの留学生が多いようである孫文、魯迅、周恩来、郭沫若、陳寅恪、王国維李叔同、郁達夫、秋瑾、陳独秀、張聞天、夏衍田漢、周作人、蒋介石・・・あまたの人物がこのように、日本で学び近代中国を作り上げたのだが帰国後に武装蜂起で戦死をしたり、暗殺や処刑で志半ばで亡くなった者も多い「蒼穹の昴」に登場する主人公の梁文秀のモデルである梁啓超は、吉田松陰と高杉晋作を敬愛して日本では「吉田晋」、前にも紹介をしたが孫文も「中山樵(きこり)」と名乗っていたとか。そしてそれまでには中国になかったり、今までとは全く違った、日本的な意味合いを持つ「和製漢語」が広がって、今の中国にも広く根付いているというウィキペディアによれば・・・>和製漢語は特に近代以降、中国に逆輸出された>ものも少なくない中国が近代化を遂げる過程で>特に日清・日露戦争前後に、中国人留学生に>よって日本語の書物が多く翻訳されたことが>大きいともされる>中国語になった和製漢語の例として、「意識」>「右翼」、「運動」、「階級」、「共産主義」、>「共和」、「左翼」、「失恋」、「進化」、「接吻」、>「唯物論」など種々の語がある。中国でも自ら>西洋語の翻訳を試み、華製新漢語(中国語版)なる>ものを作り出していた。しばしば和製漢語と競合>するようになることもあった>「中華人民共和国」の「人民」「共和国」も和製>漢語であり、国名だけでなく中国の体制に必要>不可欠な概念までも和製漢語には含まれている。>また、同じく漢字文化圏である台湾、大韓民国、>ベトナムでもこうした和製漢語を自国語漢字音で>取り入れている。>文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、>階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、>意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、>原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、>電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義>など。このように、東北アジア各国で使われる>漢字でできた近代的な概念語の大半が日本製と>なっていると高島俊男(中国文学者)は主張>している>これら和製漢語の語彙は明治維新以後、中国人>留学生らによって、中国に逆輸出された。「社会>主義」「共産党」「幹部」などの常用語を筆頭に>800語を超えるという。(中略)現在の中国語に>多くの和製漢語が使われるようになり、その>端緒を開いたのは梁啓超であったと言われる>魯迅は自著で「万年筆」など和製漢語を多用の>ほか、日本語の「紹介」「写真」を多く使用>していた1月下旬に出かけた上海、2日目と3日目の朝の街の風景だが、泊まったホテルのある虹口には戦前に共同租界の一角に作られた日本人街があり一時は10万人もの日本人が住んでいたようである日本から帰国し、蒋介石軍閥から追われていた魯迅を匿ったのが、虹口で書店を営んでいた内山完造で、彼は晩年の魯迅の第一の友人で理解者だった。1936年に魯迅が持病の喘息で急逝した際の絶筆は、内山への日本語のメモで日本人主治医への連絡を依頼するものだった日本帝国の軍閥による戦時中の行為が歴史認識のずれを起こし、昨今は島の領有権に揺れる日中の関係であるが、近代中国を作る過程において、日本や日本人が少なからず中国の若者や政治活動家を教え導き、支援していたのも紛れもない事実である。孫文を支えた宮崎滔天しかり中国の商業、金融、工業、交通などの中心地として香港や北京と並ぶ上海は、世界的にも著しく発展をしており、雨後の筍のように高層ビルがどんどん建てられているが、その用地として、かなり古い建物が町並みごと姿を消しているこれもまた仕方もない事であるが、できたら古い町並みが、今より多く残っていた時期に上海で、そんな町並みをぶらぶらと歩いてみたかった。日本は小さな土地も個人の所有だったりするけど、中国は国の土地なので区域を再開発をするのは安易かもしれないそんな不夜城のごとき上海シティに、蘇州から戻っての旅行2日目の夕食です。その日の夜も多くのツアー客がナイトクルーズ(オプション)を控えているので早めの食事であったけど、家でゴロゴロしながら、おやつを食べているというのと違って間食がないので、お腹も空いていたこうやって円卓を囲んでの食事もこれが最後だ明朝はホテルのブッフェをそれぞれ食べて、午後早くには空港に到着だ。今夜のメイン料理はアレですよ、アレ。チュウゴクモクズガニ・・・漢字で書くと中国藻屑蟹ですわいわゆる、日本でいうところの「上海蟹」ですが長江流域を中心にして遼寧省から広東省まで広い地域の川に分布し、最も有名な産地は、蘇州市にある陽澄湖(ようちょうこ)で、他にも洪沢湖や高宝湖、白馬湖、射陽河などでも養殖が盛んだそうです地元では「大閘蟹(ダージャーシエ)」というそうで、海の蟹と比べると小さくて、足の肉も少ないのだが、蟹味噌の味は格別で、栄養価も高いといわれている。前もってネットで殻の外し方とか見たけど、今いち解体作業がうまくいかず、ちょっと食べただけで終了。もともと蟹みそが苦手なので うちはホテルに戻ってから、また個人的にお出かけ予定があるので、飲まなかったがお隣のご夫婦が頼んだビールを、写真だけ撮らせて貰った。今夜はサントリービールラベルには富士山だ食事が終わると、オプショナルのツアー客とガイドさんを、乗船場近くの繁華街で降ろしバスは残りのツアー客を乗せてホテルへとむかった。車窓から眺める夜の上海の街角も見所がいっぱいふと思ったが、江戸末期に寺子屋をしていた先祖がいて、父も姉も叔父も従弟も姪も教員だらけの家系だけど、今回紹介をした伯父は内勤とはいえ鉄道省に勤務したし、兄は一般企業に勤めているが船乗りに憧れ、鳥羽商船高等専門学校に通学していたし、甥も超大手旅行会社に勤めてる伯父の満州の写真を見ていて、うちってやっぱ旅行好き?なんて思ったりもする。山に囲まれ都市部にも遠い田舎暮らしでは、はるか遠くの綺麗な景色や、美味しいものに憧れを抱くのも当然と言えば当然のようなホテルに戻ると、ちょっぴり休憩をしてから再び地下鉄を利用して、今夜も娘とやってきたのは上海一の繁華街の「南京東路」です。今夜もまた賑わってますよ~~昨夜は外灘もいったり観光面が大きかったけど今夜は地元の人みたいに、商業施設をぶらぶらしたり、お土産もここで買っておきたいし日本資本の「上海新世界大丸百貨」のデパ地下でお土産のお菓子を購入。あと上海のあちこちにもあった土産店の「上海市第一食品商店」でも買い足しました。幾つか大きなお店の中をウィンドウショッピングして疲れたので地元の人で賑わっていたデザート店で、おやつなんぞを食べようと・・・後で調べたらここって「満記甜品(ムン・ゲイ・ティンパン)」という香港スイーツの有名なチェーン店らしいですマンゴーやココナッツ、ナタデココ、タピオカとかの具材がいろいろ使われており、お味の方もとても美味しかったですし、ボリュームの割に価格もお手頃でしたよ実は2泊3日で食事&観光も付いた旅行で、お高い行程内のお土産屋さんも、オプション旅行も利用をする気がなかった旅のお小遣いを幾らにするか迷いそれでも14000円を外貨にしましたが、結局は半分も使いませんでした。 旅は、最終日にと続く 平成31年1月27日、28日に上海で撮影にほんブログ村
2019年03月11日
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今、BS12トゥエルビで夕方に放映している「麗王別姫~花散る永遠の愛」を見ているが玄宗皇帝と楊貴妃の唐の時代蘇州にも近い呉興太守の娘の沈珍珠が、幼い頃に太湖で溺れ、助けてくれた少年(広平王・李俶)を思いを寄せつつも皆殺しにされた家族の仇を探すという歴史ドラマで、安禄山や楊国忠なども暗躍して・・・韓国夫人や皇太子妃など女のドロドロも見どころだ。その作中で沈珍珠の詩の師匠が、李白だったりするのだが、彼が蘇州に来訪した際の詩は「蘇台覧古」李白旧苑荒台 楊柳新たなり菱歌清唱 春に勝へず只今惟 西江の月のみ有って曾て照らす 呉王宮裏の人呉王の宮殿のあった姑蘇台は古びた庭園となり、荒れ果ててしまったが楊柳だけが新しい芽をふいている。ひしの実を採る乙女の歌声を聴けばやるせない気持にもなる今となれば月は西江の水面を照らしているだけであるが、かつては呉王の美女(西施)の姿を照らしていただろうにそんな李白は、遣唐使として渡海しながら日本に戻ることがなかった阿倍仲麻呂と仲が良かったそうだ仲麻呂は官吏登用試験である科挙に応じ最難関の進士に及第したとされ、中国名は晁卿(晁卿衡)という。年老いて仲麻呂は日本への帰国を許されるが、船が難破をし安南に流されて、翌年に長安に戻るのだが李白は、仲麻呂が亡くなったと誤報を受けそれを嘆いた「晁卿衡を哭す」 李白日本の晁卿帝都を辭し征帆一片蓬壺を繞る明月歸らず碧海に沈み白雲愁色蒼梧に滿つ日本の晁卿は長安を去って、船の帆をはためかせ日本へと向かった。しかし名月のように聡明な晁卿は、碧い海に沈んで、白雲が憂いを帯び蒼梧の海を覆ってしまった日本へ帰る事が叶わなかった仲麻呂を阿部寛が演じたのが、夢枕獏原作の映画「空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎」で物語は時系列が二つあって、仲麻呂や楊貴妃の部分と、後世の空海と白楽天の謎解きの部分だ李白701年~762年10月22日阿倍仲麻呂698年~770年(唐は717年~)楊貴妃 719年6月22日~756年7月15日杜甫 712年~770年(後で出てきます)白楽天(白居易)772年~846年空海774年~835年(唐は804年から2年)白居易が、蘇州の長官をしていた時に蘇州城と虎丘をつなぐ山塘河を作ったと前回の日記にも紹介をしたけど、彼は詩人でもあり白楽天として有名であり映画では、空海とコンビを組んでいたイケメンだ「小舫」 白楽天(蘇州にて)小さき舫一艘 新たに造り了り軽く梁柱を装いて 庳く篷を安んず深き坊 静かなる岸 遊應に遍く 浅き水 低き橋 去りて尽く通ず黄なる柳の影は 棹に随う 月を籠め白き蘋の香りは 頭を打つ 風を起こす慢く牽き櫻桃の傍らに 泊まらんと欲するが借問す誰が家ぞ 花最も紅なる小さな舟を一艘新しく造った。柱をたてた。屋根を低く葺いたものだが街の奥や静かな岸にだって何処へでも行く事が出来る。浅い水の上も低い橋の下にも何処だって通れる黄色く芽吹いた柳の影、棹にからまるようにして月が映って、白い浮草の香りが頬を打ち、風の中でただよう。ゆっくりと舟を牽いで、桜桃の花の下に行きたいのだが、どの家の花が最も紅く美しいのか教えてほしいものだこのように風流人にも愛された蘇州にはお金持ちが贅をつくした邸宅を建ててそれらは「蘇州古典園林」と呼ばれて世界遺産にも登録をされている。いつものようにウィキペディアによると>蘇州古典園林の庭園の多くは明や清の>時代に建設された。これらの多くは>地元の名士により作られたもので、>公共事業としてではなく、個人の趣味で>置かれたもので、皇帝所有の庭園で>ある皇家園林に対して私家園林という>庭園は豊かな水を利用し、池を配置した>素朴な美しさを特徴とする。蘇州以外の>江南の地にある名園(例えば上海の豫園)を>含めた江南私家園林が総称として中国>国内では一般的である。蘇州古典園林の>うち、拙政園と留園は中国四大名園の>二つに数えられる今回、出かけたのは「藕園(グエン)」で清代の光緒年間(1875年~1909年)に江蘇・安徽・江西省の総督であり蔵書家だった沈秉成という高級役人が退官後に夫人とともに蘇州に隠居をする事となりこの庭園を買い取ったものである藕園園東部の旧跡は、清の雍正年間の保寧府知事の陸錦が造営した「渉園」で、光緒初年湖州の沈秉成が、渉園の旧跡を買い取って画家の顧芸らを招聘し、設計をさせたもので山を主とし、池を従とし、亭、台、楼が池の周りに建てられている配置が独特な庭園で、邸宅が中央にあり東西に分けられて、各家屋の間は楼で繋がっている。西花園は書斎の「織簾老屋」を中心にして前後二つの庭があり前庭には太湖石の築山があり、後庭には太湖石の花壇があるなお、藕園の藕(ぐぅ)はレンコンのことで、その発音が配偶者の偶と同じことから、夫婦がここで仲良く余生を送るという意味を込めているだそうだ李白、白楽天と紹介したけど、ここはやっぱり杜甫も紹介せねば。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人で、李白の「詩仙」に対して「詩聖」と呼ばれる李白と杜甫は互いに認め合う仲であったそうだ。杜甫の「国破れて山河在り」は、多くの人が知っていると思う。かの松尾芭蕉も杜甫から思想的、文学的な影響を強く受けて「春望」を引用をしたのだ「春望」 杜甫国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり家書万金に抵る 白頭掻けば更に短く 渾べて簪に勝へざらんと欲す「奥の細道」より 松尾芭蕉さても義臣すぐってこの城にこもり功名一時のくさむらとなる「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡杜甫の春望は、楊貴妃も命を落とした安禄山の反乱(安史の乱)で唐の都の長安が陥落をした時のもので、芭蕉の方は義経や藤原三代らが功名・栄華を夢見た平泉での事だ。今回紹介をした李白、白楽天、杜甫の漢詩は高校の頃全部習ったような気もまもなく平成の世が終わろうとしているが、天皇ごとの「元号」も中国が始まりで、古くより漢籍から元号が選ばれている。例えば「史記」第一巻の五帝本紀にある「内平外成」や「書経」大禹謨の「地平天成」から平成となったその前の昭和の出典は、同じく「書経」尭典の「百姓昭明、協和萬邦」からでこの「書経」から今までに多くの元号が作られたそうだが、今春に新しい天皇を迎えるにあたって現首相はそういった、日本古来からの慣例ではなく、漢文で書かれた日本の古典から、次の元号を採用して欲しいと言っているらしいが、これって果たして保守なのか革新なのだろうかウィキペディアによれば、元号とは>「日本書紀」によれば大化の改新(645年)の>時に「大化」が用いられたのが最初であると>される。以後、7世紀中後期には断続的に>元号が用いられたことが『日本書紀』には>書かれている>しかし、当時使われた木簡の分析によると>元号の使用は確認されていない。まだ7世紀>後半は、元号よりも干支の使用が主流だった>ようである。文武天皇5年(701年)に「大宝」と>建元し、以降、継続的に元号が用いられる>こととなった>広く庶民にも年号が伝わるようになった>のは、江戸時代になってからのことである>1950年(昭和25年)2月下旬になると、>参議院で「元号の廃止」が議題に上がった。>ここで東京大学教授の坂本太郎は、元号の>使用は「独立国の象徴」であり、>「西暦の何世紀というような機械的な時代の>区画などよりは、遙かに意義の深いものを>持って」いる上、更に「大化の改新である>とか建武中興であるとか明治維新」という>名称をなし、「日本歴史、日本文化と緊密に>結合し」ていることは今後も同様であるため>便利な元号を「廃止する必要は全然認められ>ない」一方で「存続しなければならん意義>が沢山に存在する」と熱弁をふるったちなみに1400年前の、一番最初の元号の大化であるが、その出典は「書経」(尚)大誥「肆予大化誘我友邦君」「漢書」巻56「古者修教訓之官務以徳善化民、 已大化之後天下常亡一人之獄矣」「宋書」巻20「神武鷹揚、大化咸煕」その次の白雉は、「漢書」巻12 平帝紀の「元始元年正月越裳氏、重訳献白雉」だとかちなみに中国では、ウィキペディアによれば>前漢の武帝の治世・紀元前115年頃に>統治の初年に遡って「建元」という元号が>創始されて以降、清まで用いられた。武帝>以前は王や皇帝の即位の年数によって、>単に元年・2年とだけ数えられ、新しい>王が即位すると改元されて再び元年から>数えられる在位紀年法が用いられていた。>治世途中での改元は文帝によるものが>最初で、改元後は後元年・後2年とされた>明の太祖(朱元璋)は、皇帝即位のたびに>改元する一世一元の制を制定した。これに>より実質的に在位紀年法に戻ったといえるが>紀年数に元号(漢字名)が付されることが>異なっている。また元号が皇帝の死後の>通称となった。そして蘇州・・いや呉の国で思い出されるのが、着物(和服)の事を「呉服」と言うこれは絹(シルク)などが、呉から日本に輸出をされ、平安時代あたりまで呉の布を使って着物を作っていたからだ。↑最初の「麗王別姫」の唐の衣装など、日本の着物に通じるものが多々あるそれ以前にネット検索なでをすると、倭には稲作文化を携えた呉の国の人たちが、戦争に負けたりで海を渡って、数多く移り住んだという説もあるそうで、 中国の史書に「倭人は太伯の後裔(こうえい)である」との記事があるんだとか太伯は周の古公亶父の子で、呉(句呉)の祖とされる人物である。吉野ヶ里などの弥生時代の墳丘墓が、中国江南地方で呉や越の限られた時代に行われた土墓の影響を受けた可能性があり、養蚕が盛んに行われていたようで、この時代の人々が呉から日本列島に渡来したという説もある現在の中国の国家体制は、100年にも満たず私が見てきたものは、かつて中国大陸にあった大昔の王朝や国であって、民族も違っていたりするのだから、今がこうだから昔もというのは論点が違うと思う 旅は続く。 平成31年1月27日に蘇州で撮影にほんブログ村
2019年03月06日
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昨春は韓国の釜山や慶州でのお花見旅行を計画し、桜の開花具合が気になっていたが今年もそろそろお花見旅行の予約をせねば京都のホテルも、3月末から4月の週末はもう満室だし、出来たら行った事がない所のお花見もしてみたいなんて事で、ネットであれこれと検索をして国内旅行のお花見パックツアーで良いものを見つけ予約をしました(2日後には満席!)今年もまた、桜の咲き加減はどうだろうと開花情報にやきもきしそうですが、どうやら昨年同様に今年の開花も早くなりそうですそれまでには、1月下旬に娘と出かけた2泊3日中国旅行の日記を終えなければならないが。という訳で今回は2日目の午後に「蘇州(そしゅう)」での、虎丘観光といいつつ、その近所のいかにも蘇州らしい町並みの散歩からいかがでしょう。東洋のヴェニスとも例えられる蘇州の風景は。いかにもそれらしいです。本当なら水面を行きかう小さな船に乗船をするとより楽しいのですが、時間も少ない格安旅行は、橋の上から眺める位で「蘇州」についてウィキペディアでは>古くから長江の南に位置する、江南の>主要都市として栄えてきた。春秋時代に>呉の都が置かれ、呉文化圏の中心で>あった。伝説によれば、諸樊がこの地を>本拠と定め、諸樊の子孫の闔閭が呉の>都として整備したと言われている。>臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。秦>以後には会稽郡、後には同郡から分離>した呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の>役所も設置された)。隋代に蘇州の名が>始まったが、南朝最後の陳末の民衆反乱>(589年)で町が破壊されて郡の役所>なども他の町に移されており、>本格的な再建は役所を蘇州に戻した>唐の太宗時代以後のことになる。五代>十国時代には呉越国の都となり、北宋の>神宗時代に府(首都に准じる都市)への>昇格に伴って平江府、元には平江路と>呼ばれるようになった。>この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃>して再度町は大規模な打撃を蒙った>(1130年)が、南宋政府によって再建>されている。元末の張士誠も呉王を称して>蘇州に都した。明になると、蘇州府が>置かれて以後は現在の蘇州という名称が>固定化された。>古くから中国の先進的な絹織物産地として>経済的富裕な町であったが、南宋時代に>付近で木綿栽培が広まると綿織物の分野>でも屈指の生産を図るようになる。だが、>アヘン戦争後の上海開港にともなって>その経済的地位をいくらか低下させた。>江蘇省の省都は現在南京に置かれているが、>歴史的に清代には江蘇布政使が蘇州に>駐在し、太平天国は蘇州を蘇福省の首府>とした。南京に都した中国国民党時代>には蘇州に江蘇都督行署を置き、日本軍>占領期にも江蘇省会であった。>古来、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が通る>など、水運もよく利用されている。北部の>太倉、常熟、張家港の長江沿いの地域には、>水運を生かせる大規模工場が作られている。>運河による水運が生活に溶け込んでいる>ことから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を>含めて、「東洋のヴェニス」と呼ばれるが、>ヴェネツィアよりも歴史は古い。>環状の堀で囲まれた旧市街は新しいビル>などは少なく、昔からの住宅が立ち並び、>世界遺産の園林などが点在している。これに>対し新市街は近代的なビルや高層住宅>などが立ち並んでいる。郊外は工場地帯が>点在している白居易(白楽天)が蘇州長官時代に蘇州城と虎丘をつなぐ為に作ったという山塘河という小さな運河の沿道は、墓参りに行く人達で賑わっていたそうだ。前に紹介をした太湖石もあったここからはまだまだ先の、中心部に近い山塘河の方は観光化された商店街として賑わっているようだが、このあたりは普通に住宅街みたいで、生活感たっぷりお高くて時間がある旅行であれば、きっと観光された繁華街の山塘河に行くんだとは思うけど、格安旅行は虎丘のついでという事で、こんな日常的な素顔な町並みの方がかえって好みでもあるが観光地じゃないから日当たりの良い所に洗濯物だって干せちゃうし。と言いたいところだが、上海のど真ん中の超繁華街だって、堂々と洗濯物を干していたしこうゆう風景はイタリアなんかも観られるようだけど、欧米諸国は基本的に外には干さないみたいだ。うちの旦那も外干しと窓開けが好きだけど、花粉とか飛ぶ時期に、それってどうなんだろうと私は思うネットで検索すると濡れている洗濯物は、余計花粉が付きやすく、花粉が多く飛ぶような昼前には、半乾きになっているのが好ましいそうで早めに干し始めた方がいいみたいだ。そして取り込むときにはしっかり振って、取り払うさてさて中国のわんこは、都市部だろうが結構、放し飼いもいるようで、小型犬で人に危害を加えそうもないからなんだろうか昨今は世界的に秋田犬が大人気だそうで中国でも見るからに違う、ニセ秋田犬も売られているそうだけど、私が見た限り小さな洋犬ばかりだった「江南地方」にはこういった水郷に、古い家がたち並ぶ、水郷古鎮があちこちに残されており雨後の筍のように高層ビルが並ぶ近未来な風景とは、全く違った風景を見せてくれているのだ江南とは、ウィキペディアによれば>中華人民共和国(中国)の地名。もともと>「江」なる語および漢字は普通名詞ではなく、>中国の長江を指す固有名詞で、「江南」は>その南岸地域全体を表わす。特に蘇州、無錫、>嘉興など、下流域の南岸地域を指す。>都市国家の興隆した青銅器時代には呉や越、>楚などが興り、殷・周以来、文明の中心地を>自認した華北の黄河やその支流の渭水や汾水、>洛水流域の諸国と対峙した。(中略)秦による>中華世界統一以降は華北に都した諸王朝の>支配下に入ったが、>華北がモンゴル高原から南下した遊牧民の>王朝の支配下になると南下した華北人による>亡命政権がたびたび樹立された。東晋や南朝>諸王朝、南宋などがそれにあたる。江南の>稲作地帯は南朝以降穀倉地帯として台頭し、>やがて華北の農業生産を凌駕するように>なった>長江デルタ地域に上海、蘇州、杭州、南京と>いった大都市が並び立ち、特に改革開放以降の>中国においては、経済的一大中心地となって>いる。このように北京など中国北部とは、あい入れない独立的な地域であった江南を、京杭大運河が結ぶ存在となった。ウィキペディアによると>西晋の滅亡以後、中国は300年近い年月に>わたって南北に分裂していた。南北がなかなか>統一されない原因として、淮水・長江の間に>網の目状に走る小河川が進軍の足を鈍らせる>ことにあり、曹操が敗北した赤壁の戦い・>苻堅が敗北した淝水の戦いなども、北の騎馬>軍団が南の水軍に敗れたという側面がある。>北周から禅譲を受けて隋を建国した楊堅(文帝)>は、この問題を解決するために587年に淮水と>長江を結ぶ邗溝(かんこう)を開鑿し、589年に>陳を滅ぼして、南北を統一した。604年に二代>皇帝煬帝が即位し、翌年より再び大運河の工事が>始まる。>完成は610年のことで、その総延長は2500キロ>メートルを越える。通済渠の工事には100万人の>民衆が動員され、女性までも徴発されて5か月で>完成した。これによって、後の人から暴政と非難>され、更にこの運河を煬帝自身が竜船(皇帝が>乗る船)に乗って遊覧し、>煬帝が好んだ江南へと行幸するのに使ったこと>から、「自らの好みのために民衆を徴発した」>などとも言われるようになる。(中略)大運河が>開通したことによって、経済面で優越していた>南が政治・文化の中心地である北と連結され、>中国全体の流通が増大した>この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用>され、現在も中国の大動脈として利用されている。>2014年の第38回世界遺産委員会でシルクロード>などとともに世界遺産リストに登録された。つい最近も、田辺誠一が京杭大運河を旅する番組をしていたので旅行後に見たところだ。↑旅行行程には京杭大運河の散策とあって、ガイドから説明も全くなく、さすがに大運河は広い!とか思っていたが、↑の現地にあったマップを見ると、大運河本体ではなく、そこにつながる蘇州の城を取りまくお堀だったみたいだ。太湖ではなくて内湖の蠡湖に続いて、なんかパーフェクトではなくなんちゃって部分が残されているのは、中国風というものだろうか? 他の業務に忙殺されたガイドにほったらかされたんで、他の皆さんは京杭大運河というものが、どのようなものであるかもわからぬままであったのだろう。もし説明をされても。へ~~と生返事で終わったのかも物資を運ぶのは目的の大運河なので、それぞれの街に運河は引き込まれて、このような小さな川もつながってはいるのだと思う。世界遺産となった大運河は1011キロで2直轄市、6省、25の地級市を流れているものだが、その構成資産として河道27カ所を含み、関連の遺産も58カ所と膨大なものなんだとか時代に取り残されたような、このような古い町一部の保護地区や観光地をのぞいて、いつかはなくなってしまうのだろうか。それ以前に実際に見る事が出来たのは嬉しかった先程のお濠に囲まれた城壁にたつのは、地図から考えると、たぶん再建された相門が小さく見えた唯一現存する蘇州の城門は、1351年に再建をされた盤門だけで「北で万里の雄大さを見、南で盤門の麗しさを見る」と言われもしたこちらは「婁門」。これらの門が最初に作られたのは春秋時代の呉の時代で、紀元前514年に蘇州の城や城壁を設計&建設したのは伍子胥といい、もとは楚の人であったが権力争いに敗れ呉に亡命し闔閭王の側近となり、孫武(孫子)を世に出した人物であるそうだ柏挙の戦いで呉国は隣国の楚を攻め込み、兵法の天才の孫子と、楚の地理と内情を知る伍子胥により連戦連勝し楚の都郢を陥落させたが、平王は既に死んでいたので、伍子胥は王墓を暴いて、平王の死体を300回に及び鞭を打って恨みを晴らした後には「死者に鞭打つ(死屍に鞭むちうつ)」の故事となったその行為を友の申包胥に責められて、伍子胥は「日暮れて道遠し、故に倒行してこれを逆施するのみ」と答えたそうで、自分は年老いて時間もないというのにすべき事が多い。目的を果たすには程遠いとの故事となった時代は下り、無錫の蠡湖で触れた越の范蠡が呉王夫差(闔閭の息子)に西施をおくりこみ骨抜きにした頃、伍子胥からの諫言をよくは思わない王から、不興を買った伍子胥は剣を渡され自害するように命じられた。越が呉を滅ぼすのを見られるよう自分の目をくり抜き東南(越の方向)の城門の上に置けと、言い残して亡くなった本当に目だまが置かれたかはわからないが程なく呉は越に滅ぼされ、夫差は顔に布を覆って「私は伍子胥に合わせる顔がない」と言い残して自決をしたそうだ。一説には命日の5月5日の端午節は、伍子胥を記念をする日になったとも言われる(戦国時代の楚の屈原の命日の説も)どちらにしても端午の節句は、江南地方で活躍をした人物を偲ぶ日であったようだそれが今は海を隔てた日本で、子供の日となっての祝日だ蘇州の旅、まだまだ続きます 平成31年1月27日に蘇州で撮影にほんブログ村
2019年03月02日
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まだ上海、無錫、蘇州の旅日記は続きますがこのあたりで一休み。年明けからの懸賞報告とお得なグルメをご紹介します。写真は土曜日ナゴヤドームのオープン戦で引退試合をする中日の岩瀬仁紀投手一昨年9月の「優勝も間近な広島」との試合だからか、ナゴヤドームなのに三塁側はもう真っ赤で、ここは広島?って感じでしたからドアラデーだったけど、ドアラも戸惑っててどこのマスコットかわかんない状態。普通は青いはずのバックネット裏の客席なのにね一昨日は広島のホームでの試合チケットを転売対策でまず抽選券を配布し、当選した人だけが購入できるというので5万人も殺到し、抽選券すら貰えず怒号が起きていたそうです。当たった人は5試合まで枚数制限なくチケットを購入できるってそれおかしくないですか?一人で1試合4枚までとかならば、並んだみんなが買えそうなのに。ホーム全試合を一度に販売すると言うのもどうかなぁ。優勝に関係なく、広島の試合を広島で見れない広島ファンで、今年もナゴヤドームは真っ赤になりそうな気もします私の方は娘の会社が加入している、いつものジョイセブンの持っている年間シートを一般よりも、お得な価格で購入が出来るチケットの抽選申し込み(前半戦分) まだ結果は判りませんが当たるといいなぁ。第二希望に広島なども入れてます年間シートのオープン戦のチケットは、無料のプレゼントなんですが、エメラルド席ペア招待が当たりました。娘の連休中のナイターですから試合当日の名古屋のホテルも、既に予約もして映画なんかも見てこようかと・・・強かった時代の記憶も薄れ、一番のスターがドアラだったドラゴンズも、昨シーズンには松坂が加入、そして今シーズンは地元岐阜県出身の根尾が大人気と言う事で、オープン戦にも出てきたらいいなぁ・・・・という事で、半年前から再開をしている懸賞の当選報告、年明け1月&2月分を行いたいと思います。まずはバロー系のVドラッグと、ダイドードリンコの協賛で限定カラーのル・クールゼの大きめのお皿優しい色合いのラウンド・デニッシュは何を盛っても絵になる感じで、これは普段使いにしたいなぁ~なんて思いましたこちらはチョコレートのM&M’sのカップドラッグストアのゲンキーとの協賛品ですこの冬、一番欲しいなぁ~と思ったのがサントリーが各社チェーンと協賛をした土鍋と、金麦とミツカンの鍋の素セットIH土鍋が欲しいなぁ~と思ってたんで当たってよかったです。これはバロー分でしたがアピタではB賞の商品券2千円オークワは商品券500円が当たりましたこれに限らず、懸賞の応募は私の名前の他旦那とか、娘、息子の名前でも応募をしているので同時期キャンペーンに、別名義で当選もしたりしますこちらは同じくサントリーとバローのコラボ3千円こちらは東洋水産とバローで2千円。赤いキツネと緑のタヌキをお正月前には幾つも食べましたこんな感じで商品券の当選が続きますとは言っても、いわゆるW賞なんですけどもこれは、ちょっぴり残念な当選。その日の購入レシートの購入価格がほぼキャッシュバックをされるもので3千円購入してたら3千円戻ってくるものですが、私は千円。まっいいけど商品券をお店のカウンターで受け取るといったのもありました。で、商品券を受け取ったら、それ以上にお買い物をしてしまうのが人情Wチャンスでポイントが、入金されるのも最近は増えて便利です。ニベアのクリーム今年冬も愛用中昨年末に、伊藤園で貰った選べるスイーツお歳暮など年末年始を避けて、2月になり十勝のプリンを申し込みまして、冷凍品をすこしずつ解凍して食べてます前に紹介をした、今年最初に当選をした吉本のお笑いライブのA賞4名と、B賞2名は、私と娘の三人と、姉や姪夫婦で出かけてきましたよさてさてお正月明けからの、我が家の外食事情ですけど、コメダ珈琲の福袋7千円(実質1万円以上相当)を、購入したんですが福袋にも入っていたコーヒーチケットだけでもモーニングタイムには、卵とトーストがおまけにつきまして、それを食べたうえで毎回、福袋にあったチケットを利用してスナック類を1つずつ食べまして、まだミニシロノワールなら二人でもなんとか食べれますがこのようなカツサンドともなると、旦那も連れてきて食べてもらうしかないですスナック類のチケットは利用期限が2月末までなので、合計6枚を消費するのに6回のコメダ珈琲詣でも先週で、何とか任務終了年末からの、はなまるうどん300円分のチケットが5枚で、1000円というので買い物ついでにランチはうどんというのも2月上旬まで続けていましたが、それも終わった2月中旬のフードコートでとんでもない告知がされてました毎年3月上旬の週末に、スーちゃん祭りという、半額デーを行っている東海地方のソウルフード「スガキヤ」が平成最後の「スーちゃん祭」を行うそうですが期間中に、ラーメンを1杯(普通の値段で)購入すると先着で貰えるスガキヤの半額パスポートを提示すると、多くの商品を一日1回限定で半額購入が出来るのだスガキヤの定番のラーメンもたった160円で食べられる。戦後直後の1948年に創業してその当時は30円。私が初めて食べた頃には170円位じゃなかったかなぁ~。とにかく期間限定とはいえ価格破壊これだけ安いとデザートなんかもおまけにつけたくなり合計310円。少しお高い味噌ラーメンにしてみた昨日は半分の量のラーメンに、味ご飯やサラダ、ソフトクリームまでついたミニセットは半額の290円だ。既に4度程利用したが、3月10日まで、あと3回位は食べに行きたいラーメンと言えばNHKの朝ドラ「まんぷく」でもまんぷく(萬平と福子から)ラーメンを販売を始めましたが、そのモデルの日清食品安藤百福さんがチキンラーメンを販売を始め昨年が60周年目だったようでその当時の即席めんも、復刻版として販売をしていたので購入してみた。ドラマで朝からズルズルッといいを音をたてて、ラーメンを食べているので、ついついお昼はラーメンだ外でもラーメン、家でもラーメンな2月だ 平成31年1月&2月の出来事 日記更新をさせていただきましたが、皆さんの ブログには本日中に伺わさせていただきますにほんブログ村
2019年02月27日
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1月下旬に娘と出かけた上海、無錫、蘇州の旅。二日目の午前中には、無錫では、太湖や真珠のショッピングの他「南禅寺」にも出かけました繁華街にある南禅寺の門前には、前回紹介をした沢山の電動自転車が停めてあった。日本でも神社仏閣、城郭とか大好きなので南禅寺と言うと、京都東山のお寺が思い浮かびますけど日本全国に清水寺があるように、良さそうな名のお寺は中国にもある訳で、無論、無関係な訳でして中国の南北朝時代に江南に存在をした梁の初代皇帝であった武帝(蕭衍)は大変に仏教への信仰心があり、自らを「三宝の奴」と称して、都の建康には700もの仏教寺院があったという交流のあった朝鮮の百済は、梁に使者を送って、仏像や経典を求め、更に日本に百済を通じて、仏教が伝来をしたという538(一説には552年)年も、梁の時代であったのだ聖徳太子が憲法十七条において「篤く三宝を敬え」と語り、聖武天皇も自らを「三宝の奴」と称したのは、いずれも梁の武帝の影響であるという武帝の時代であった520年には、インドから広州に渡っていた達磨を健康に迎えて、問答をしたという。達磨はのちに少林寺に入り坐禅の修行を重ねて、中国の禅宗の開祖となったさてさて健康と言う梁の都であるが、三国の呉時代に建業と言っていたのを、司馬氏が建康と改名して東晋の都とした。その後も宋、斉、梁陳と続いた南朝の都として六朝文化がこの地で花開いたのだ陳が隋によって滅ぼされた時に、都城は破壊をされて名も江寧と改められ、隋は都を長安の近郊にある大興城に遷した為、建康(江寧)は地方の一都市となってしまったのだが、その後明の首都として復興し、「南京」と呼ばれたそうそう武帝とは、中国の皇帝の諡号の一つで武力で国土を広げた皇帝や、戦乱を平定した皇帝に送られる諡号なんだとか。有名なのは前漢の武帝で次いで西晋の武帝、三国時代の魏の武帝(曹操)、そして梁の武帝なんだとか。他にも幾人もいる唐の詩人の杜牧の「江南春絶句」によれば千里鶯啼緑映紅 (千里鶯啼いて 緑紅に映ず)水村山郭酒旗風 (水村山郭 酒旗の風)南朝四百八十寺 (南朝 四百八十寺)多少楼台煙雨中 (多少の楼台 煙雨の中)とあって、南京には南朝のたくさんのお寺が建ち並んでいたそうだ。そんな武帝の時代にここ無錫に、南禅寺が創建されたそうだ元は护国寺(護国寺)と呼ばれていたのを唐の高宗が灵山寺という名前に改名。更に北宋の仁宗皇帝が福圣禅院と改名をしたがこのお寺が無錫の南にあったので、人々が南禅寺と呼び始めたのが定着し、南禅寺となったそうだ妙光塔の高さは43メートルあり、北宋の雍熙の時代に建築が始まったそうであるこの塔は有料で登れるそうだが、格安ツアーなので時間キツキツで登る時間などなかった有料施設などますます近寄らない。考えるにオプショナルでお金を払わなかった、本来の観光スポットで有料施設だったのは、たった一つだったと思われるこのお寺も境内の参拝自体は、無料だったし無料の博物館に、街歩き、湖畔の散歩などなどその点を娘に指摘すると「うちでのいつもの旅行と同じだね」。ハイ、うちも観光先は街歩きや無料施設ばかりでしたそして本来であれば旅行のメインスポットであるような上海雑技団や、上海の夜景クルーズなどはお高めのオプション料金を払って下さいというのが格安旅行の特徴だ。まだ昼食が込みだけいいよ。国内の格安旅行の場合には、昼時に繁華街で長めのフリータイムを取って、その時間内で自由に(自腹で)お昼を食べて下さいっていうのが増えているから。塔の下に金ぴかキラキラの木があった。無論、ニセモノ智慧を司る文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は日本でも人気の仏様である。中国の山西省にある五台山が文殊菩薩の座する清涼山として、古くより広く信仰を集めており、第3代天台座主の円仁によって日本に伝えらた円仁は慈覚大師ともいい、入唐八家(最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡)の一人だ2度の渡航を試みたが失敗し、承和5(838)年博多津を出港、揚州東梁豊村に上陸は出来たのだが船のコントロールが利かずに渚に乗り上げて船は全壊をする有様だった一緒に出航をした四つの船のうちの1艘は遭難をしてしまった。遣唐使の一行に加わって唐に渡り帰国するまでの約10年を「入唐求法巡礼行記」として書き残している日記の中には唐の交通地理、経済、官庁の機構や行事、寺院の生活、仏教儀礼、仏教界の事などを細かく記し、マルコ・ポーロの「東方見聞録」や玄奘の「大唐西域記」と並び東アジア三大旅行記の一つとして高く評価されているそうだこのようなお寺の境内にも、前に紹介をした富強、民主、文明、和諧、自由、平等、公正、法治、愛国、敬業、誠信、友善といった中国共産党が提唱をしている、社会主義核心価値観が掲示されていた南禅寺も長い年月を重ねる中で、荒廃をしてしまっていたのが、1980年に多くの建物が全面的に修築をされ、今のような賑わいを取り戻している娘や他のツアーの皆さんは、お寺の本堂前で「〇〇時に入り口で集合」とのガイドさんの言葉を聞いて一目散に、ここに出かけていたが私はお寺を参拝、写真などをのんびり撮らせてもらっていたがかって無錫も城壁都市だったので、旧市街は今でも城内と言われる事もあるそうだ。今は城壁は壊されたが、南禅寺の門前には復元をされた「望湖門」があった。城壁は倭寇対策でもあったようださてここからは、2日目の午後の観光スポットバスに移動してやってきたのは、同じく太湖の畔の「蘇州」である。李香蘭の蘇州夜曲よりも私的には森川久美の少女漫画の蘇州夜曲の方がイメージが強いごく普通の現代の町並みにも、ふと目をとめるような古い橋がかかっていたりもする。この橋はいつの頃のものであろうか。壊されず、そのまま残されているのが嬉しい。壊してしまえばそれまでだ蘇州での最初の観光スポットは「虎丘」であった前もって旅行の日程から、どんな所に行くのか事前にネットで調べたりもしたのだが、虎丘はシンボルの傾いた塔だけではなく、蘇州で最も美しいと言われた真娘の墓があったり、王羲之や顔真卿による書が彫られていたりもするそうだ北宋の詩人である蘇東坡は「蘇州に遊びて虎丘にあそばずんは憾事なり」と称賛したそうで、もうこれは楽しみです。ワクワク。お寺の門前町には結婚式のドレスのお店などが並んでいた。バスを降りて、さぁ~行くぞ~とガイドがここからの塔が一番、良く見えますと言う、呉中第一山と書かれた門から。春秋時代の呉王で蘇州に都を置いた「闔閭(コウリョ)」がここに葬られて、その三日後には白虎がここに臥していたので虎丘と名づけられたという呉の中で第一の山とされる虎丘は、高さはわずか34メートルしかなくの小高い丘で蘇州のシンボルである北宋年間(961)年創建の雲岩寺塔( 別称虎丘塔)があって地盤沈下で3度傾いている為、東洋の斜塔と呼ばれているんだとか遠くから見ても、確かに少し傾いているようだ境内には剣池があり、呉王闔閭を埋葬した際に3千の宝剣をともに埋めたとされそうだが、墓への入口が、その下にあるとされるのもワクワクするけども清の康熙帝と乾隆帝がたびたび南巡(蘇州のある江南地域を含めた中国南部を巡る視察)をしておりその際には必ず虎丘に立ち寄ったとされ、御碑亭に3度も見た大好きなドラマ「宮廷女官若㬢」に出てきた康熙帝と、孫の乾隆帝の書いた詩が彫られているそうだがハイ、悪い予感が当たりました。日程表には虎丘は20分・・・。でまわれるハズがない。というか虎丘は先程の入り口で遠くに見ただけで脇道にすぐ逸れていかにも蘇州らしい観光に突入してしまい、近くで塔も、剣池も何も見る事なく、今回の旅においての最大ガッカリスポットになってしまいました違った旅行では虎丘は車窓から見学と言うのもある位だし、蘇州らしい古い町並みの方が受けがいいのかもしれないが何だか虎丘がオマケみたいで。期待した自分が馬鹿だった。そんな虎丘の近くにある蘇州らしい街歩きの様子は次回、紹介しますPS.初の岐阜県登場だという24日放映の「ポツンと一軒家」だが、実家のすぐ近くの山の中のお宅だった。こっちのうちでは前に秘境バス(南木曽から馬籠)やったし、私ってどんだけ、ど田舎暮らしなんだろうと・・・ティーバで「ポツンと一軒家」見れます↑見逃しの番組を誰でも見れるので、よければご覧下さい。後のお宅が岐阜県東農地方のです 平成31年1月27日に上海から無錫で撮影にほんブログ村
2019年02月24日
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いよいよ1月下旬に娘と出かけた旅日記も二日目に突入しました。中身の濃い初日の上海市から、今日は青空の下をバスで一路無錫(むしゃく)へと向かいましたまずは、その前にホテルの朝食ブッフェご紹介。朝7時30分に出発なので6時モーニングコールがあって、6時半には食べに昼食会場へ。1時間の時差があり昨日(日本時間)なら7時30分なのでバッチリですずらりと並んだパンは圧巻でした。しかもどれも美味しそう。さすが外資系シェラトングループといったところです中国ならではと言うのでは、ラーメンなども好みの味付けで食べれましたし中華コーナーも充実。ホカホカ、はふはふ連泊したホテルで、これは3日目の朝食ですが、前日より美味しそうに盛れました次の日にして朝食会場がL字になっているのに気が付き、奥にはその場で卵料理を焼いてくれるコーナーがあった。昨日も食べたかった中国の冬の朝もそれなりに寒くて、煖房で暖かなバスの中との気温差で、窓ガラスが曇ってしまい、ぼや~とした写真に。山がどこを見渡しても無いですね・・・・上海からは高速道路でぴゅ~と行きましたが2017年の段階で、その総延長は13万キロ以上。近年は年平均で数千キロ 以上が建設をされており、建設資金は車両購入税、通行料金地方税、省債、国内および海外からの投資が充当されているそしてピュ~と横をゆくのは新幹線?ではないのか? 中国の高速鉄道のCRH3型でドイツのシーメンス社の技術供与によるものなんだとか外国からの技術移転を基にしてのライセンス生産をされている全てのCRH車両は「和諧号」(和諧=調和の意)と呼ばれているそうだ遠いのではっきりはしないが、先頭車両の形状からCRH2型と思われる。日本の川崎重工業車両カンパニーから購入した高速鉄道車両で、日本の東北新幹線で使われているE2系1000番台新幹線がベースとなっている。他にもドイツや、カナダの技術提供が行われた車両もあるそうだこの写真は帰国日に上海から空港に行く途中で撮った上海トランスラピッド。車両はドイツのシーメンスとカッセルのティッセンクルップの合弁事業による。超高速運転を行う磁気浮上式鉄道(リニア)で、一般営業を行っている全世界で唯一の路線で、浦東国際空港駅と上海市郊外の竜陽路駅の間の30キロ程を7分20秒で結び営業最高速度は430km/hだそうだ前の上海夜景での浦東新区の高層ビルで2番目に高いのは、日本の森ビルが建てたものであるし今の中国の急速な発展には、様々な国の技術や外資による部分も。高速鉄道を使えば上海から30分弱という無錫には、早い段階から日本企業が進出をしてきた高速道路の周囲には、見慣れた企業名の大きな看板が次から次へと掲げられていた。今までに1000社もの日本企業が、ここに進出をしたというが、人件費の高騰、元高(円安)の他に色んな状況が重なり、昨今は東南アジアなどに生産拠点を移転させる動きもあるそうだかつてはシルクによるアパレル業で栄えていた無錫は、今や電子情報、機械設備、自動車部品新エネルギー、新材料といった産業分野で発展工業と商業といった産業の基盤があり、上海に近いという好立地で陸海空の便が良く太湖の畔にあり、環境面でも優れており様々な分野の科学研究所や、専門学校が数多く人材も豊富なこの地には、無錫ハイテク産業開発区が作られているのだそんな無錫の語源であるが、錫(スズ)が無くなるまで掘り尽くしてしまった地という意味で錫が採れていた頃は有錫と呼ばれていたなんて説もあるようだ。三国志の呉の国の発祥地でかなり古くから交通の要所として栄えていたようだ中国人ガイドは、中国人を日本旅行にも連れてきているそうで、日本では工事をしている所なんて、どこも見かけないが中国は、どこもかしこも工事をしているそれは中国は高度成長期だからですよと誇らしげに言っていたそんな中国も、ここにきて景気の減速感がみられており、中国での自動車やスマートフォン向けの旺盛な需要に、支えられての好業績を享受してきた、日本の電子部品や工作機械業界にも影響が出てきている「尋常でない変化が起きた。46年間経営をやってきて、月単位で受注がこんなに落ち込んだのは初めて」と、19年3月期の連結純利益の見通しを下方修正した日本電産の永守会長兼CEOは、中国経済減速の影響について語ったそうだ ↓ 元記事中国経済減速、日本の“優等生”電子部品メーカーの業績に激震…異次元の受注減RT-MART大潤發(ダールンファ)は中国では約400店舗を展開し、アリババが株式の36%を所有をした事から、オンラインとオフラインを融合させた新しい小売業のニューリテール戦略を展開しているそうだ昨今は環境にやさしい移動手段として農村部を中心に急速に電動自転車が普及し、生産台数、販売台数ともに世界最多を独走。生産企業は数百社を超え総従業員数は500万人以上とか既に飽和期を迎えつつあるので、海外輸出も図っているそうだ。免許とか登録等一切不要ガソリン不要、ヘルメットも不要。で、このように歩道なんかもかなりなスピードで音もなく走っているし街のあちらこちらに、国のスローガンなどが掲示がされている。↓2012年の中国共産党の第十八回全国代表大会で社会主義核心価値観が定義づけられ、中国共産党が提唱し広く宣伝している国家が目標とすべき価値。富強、民主、文明、和諧社会面で大事にすべき価値。自由、平等、公正、法治一人ひとりが守るべき価値。愛国、敬業、誠信、友善このスローガンが圧倒的に多かったように思われるある年齢上の人が、無錫と聞いてまず最初に思い出すのが昭和61年に大ヒットをした尾形大作が歌う「無錫旅情」(作詞作曲は中山大三郎)ではなかろうか。私もやはり頭の中にこれが流れてきた♪上海蘇州と汽車に乗り、太湖のほとり無錫の街へ♪って感じで汽車には乗らないけど、今回の旅の行程のまんじゃないかと歌詞にある「太湖(たいこ)」は琵琶湖の3倍もあるという大きな湖である平均水深は2メートル、最大水深は48メートル周囲は400キロで、鄱陽湖、洞庭湖に次いで中国で三番目に大きな淡水湖で、景観の美しさから、中国政府の国家重点風景名勝区に指定をされているとは言ってもこの湖は、無錫市街の西にある蠡湖(れいこ)のようだ。太湖の一部が平野部に突き出して形成された内湖だそうで、越の王勾践の軍師である范蠡が、絶世の美女の西施と過ごしたという逸話から蠡湖とされたという呉を弱体化する為に范蠡によって、呉王扶差に献上をされたのが西施で、王を骨抜きにし呉の弱体化に多大の寄与。越が呉を滅ぼす事となりその後、西施は蠡湖へ身を投じたとか、殺され蠡湖へ沈められたと言われている一説には范蠡が彼女を引き取り、蠡湖で余生を安楽に暮らしたとか、二人が舟でいずこともなく消え去ったという話も。西施は中国四大美女の一人であるが、日本では世界三大美女でもある楊貴妃くらいしか知られていないかなぁ・・・・見とれて泳ぐのを忘れ魚が沈む、沈魚美人の西施魅入られた雁が次々に落ちた、落雁美人の王昭君その美しさに月が恥じ雲に隠れた、閉月美人の貂蝉美貌と芳香に気圧され花が萎んだ、羞花美人の楊貴妃中国四大美女を表す言葉に「沈魚落雁閉月羞花」というものがある。ちなみに日本の三大美女の場合は衣通郎姫、小野小町、藤原道綱母だそうで歴史オタクじゃないとなるほど~~とはならないかも。さて春秋時代の呉や越の関係などから、故事熟語が幾つも生まれ、日本で使われたりもしてきた「呉越同舟」「彼を知り己を知れば百戦殆からず」「臥薪嘗胆」「牛耳る」。「風林火山」は武田信玄の軍旗で有名ですけど、呉王の闔閭に仕えていた孫武(孫子)による兵法書にある言葉を用いたものだ「百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」というのも、なる程なぁ~と。ネットを検索をしていたら驚いた事に、この呉や越の国の人が大挙して日本にやってきているんだとか。バスの車窓から見た太湖やっぱり広いここ太湖の周辺の丘陵で切り出される石は太湖石といい、かつて内海だった太湖の水による長年に渡る侵食で、石灰岩には多くの穴が開き、複雑な形をしており庭石などに珍重されている(蘇州市街で)写真枚数が多いので、次回で紹介する無錫での観光を終えての、お昼ごはん。他にも格安でのツアーのお約束の、淡水真珠のショッピングもありました。幾組も淡水真珠クリームをお買い上げになってましたよ無錫名物の「排骨(スペアリブ)」が今回のメイン料理でした日本のビールに比べてアルコール分が少なく渋みもなくさっぱりした中国のビールは私も難なく飲めました。300元(500円弱)で青島ビール。 次回に続く 平成31年1月27日に上海から無錫で撮影にほんブログ村
2019年02月21日
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1月末に娘と格安旅行で出かけた上海一日目の日記は、まだまだ終わってはいなかった。都合上で投稿が前後したが初日の午後に最初に出かけた観光先は「上海博物館」であった昼に上海の空港着→昼食→上海博物館→思南路→田子坊→夕食→ホテル→個人で外灘→南京東路→ホテルに午後10時着といったのが一日目の上海スケジュールであった。コメントで〇○は?とあったけどまだ初日なので、明日、明後日もあるのでお楽しみにそんな訳で初日の午後は、上海博物館にやってきました。土曜日は中国もお休みなのか? 子供も含めて地元の方も沢山みえていて、入り口には大行列ができて入館まで30分近くかかったと言うのも地下鉄同様に、ここでも入館時飛行機の搭乗時のような手荷物検査があり時間がかかったが、60歳以上は優先的に入館が出来、ツアーでも高齢の方達は長く見学出来て役得、役得と喜んでおられた北京の故宮博物院と南京博物院と並び、中国三大博物館に数えられ、その収蔵品であるが青銅器から仏教美術、陶磁器、民族衣装、書印章、貨幣など多岐にわたっており、なんと入場料は必要なく、無料で見学が出来るのだテーマ毎に所蔵品が展示されている中で、1階の「中国古代青銅館」に陳列をされている青銅器は常時、夏、商(殷)から漢代において製造された数百点程あまりと、世界屈指の規模を誇っており上海博物館自体が、青銅器の鼎(かなえ)の形をしている鼎について、ウィキペディアによると>鼎(かなえ、てい)は中国古代の器物の一種。>土器、あるいは青銅器であり、竜山文化期に>登場し、漢代まで用いられた。通常はなべ型の>胴体に中空の足が3つつき、青銅器の場合には>横木を通したり鉤で引っ掛けたりして運ぶ>ための耳が1対つくが、>殷代中期から西周代前期にかけて方鼎と>いって箱型の胴体に4本足がつくものが>出現した。蓋のついたものもあった。殷代、>周代の青銅器の鼎には通常は饕餮紋などの>細かい装飾の紋が刻まれており、しばしば>銘文が刻まれる。>鼎はもともとは肉、魚、穀物を煮炊きする>土器として出現したが、同時に宗廟において>祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために>用いられたことから礼器の地位に高められ、>精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や>大臣などの権力の象徴として用いられた。そんな訳で最初に入室した青銅器のコーナーがあまりに充実しており、フラッシュ禁止であれば写真撮影も出来たので思いのほか、時間がかかり所要時間は1時間もないというのに、あぁ他のは駆け足になってしまいそうだ中国の歴史は?と聞かれて戦後の数十年!なんて答える人もいると思うが、様々な王朝などによる歴史はかなり遡れる訳で。中国四千年の歴史と言われるのは、糸井重里による明星の中華三昧のCMのキャッチコピーなだけで、その少し前にはラーメンマン(キン肉マン)は中国三千年の歴史と言っているそうだしかし中国では五千年の歴史と言ってるそうで中には四千年とか、三千年といった意見もあり日本の127才で亡くなった神武天皇同様に伝説なんだか実在したんだかわからない王朝があったからハッキリとはしないのだそれだけに実際に出土する文物によって、歴史の真実を知る事は重要である。その歴史の始まりは長江文明、黄河文明、遼河文明で、五千年説での盤古、女媧、伏羲と、三皇五帝の神話時代となる更には・・・夏(紀元前2千年~紀元前17世紀頃)で四千年説殷(商)(紀元前17世紀頃~紀元前11世紀頃)周(紀元前12紀頃~紀元前256年)春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)秦(紀元前221年~紀元前207年)始皇帝前漢(西漢、紀元前206年~8年)劉邦(高祖)新(8年~23年)後漢(東漢、25年~220年)三国時代(魏、蜀、呉。220年 ~280年)晋(265年~420年)西晋(265~316年)司馬炎(武帝)東晋(317年~420年)五胡十六国時代(304年~439年)南北朝時代(439年~589年)北魏、東魏、西魏、北斉、北周、宋、斉、梁、陳隋(589年~618年)唐(618年~907年)武周五代十国時代(907年~960年)後梁、後唐、後晋、後漢、後周の五代呉、南唐、閩、呉越、荊南、楚、南漢、前蜀、後蜀、北漢の十国宋北宋(960年~1127年)南宋(1127年 ~1279年)遼、西夏、金元(1271年 ~1368年)明(1368年 ~1644年)南明清(1616年~1912年)太平天国、満州国中華民国(1912年~1949年)中華人民共和国(1949~)といった感じで、↑ウィキペディアより国名をひろってみました。日本(倭国)は前漢の前2世紀頃あたりから登場し、後漢では委奴国王印、三国志の魏志倭人伝には卑弥呼、宋書には倭の五王が語られているそして遣隋使に持たせた書には、日出處天子日本との国名となっての遣唐使派遣によって多くの留学生や留学僧が唐の先進文化を吸収唐の開元通宝を元に和同開珎の鋳造が始まり平城京は唐の長安を手本に整備をされた遣唐使のような大々的な交流はなくなっても朝廷は大宰府で、私貿易(密貿易)は博多や敦賀で続き、平氏が台頭をすると日宋貿易を盛んに推進し、大量の宋銭が日本に流入して日本は貨幣経済の時代を迎え、栄西や道元らの禅宗や、茶もこの時期に日本に伝えられた室町時代には勘合符を遣明使船に所持させる勘合貿易が行われ、日本からは硫黄、銅などの鉱物や、扇子、刀剣、漆器、屏風。中国からは永楽通宝、生糸、織物、書物などが輸入され北山文化、東山文化に影響を与えたそうだ江戸幕府による鎖国で、朱印船貿易は終焉を迎えたが、清はオランダ、李氏朝鮮、琉球、蝦夷地と共に出島や対馬、琉球、松前を通し定高貿易を行った。そして幕末から明治へと日中は激動の時代を迎える日本に渡来して様々に工夫、応用はされても根底は同じなので、正倉院とか奈良京都の寺などで見る文化財と同じようなものが並んでいる。それは中国から伝来したものもあれば日本で作られたものも正倉院で保管をされている螺鈿紫檀五絃琵琶は制作をされた中国にも現存しておらず、世界で唯一、日本の正倉院だけに現存している超お宝だそうで、玄宗皇帝の頃のものらしいのですが天皇家の御物であるので、国宝などには指定をされていないそうです天皇家の御物は宮内庁の管轄で、国宝などの指定は文化庁で、そもそも所管が違う事もあるそうですよ。独身の頃には何度も正倉院展を観に秋の奈良まで出かけたが、最近はご無沙汰鳥毛立女屏風は、一度は観てみたいと思うがちなみに東大寺の正倉院は、聖武天皇の冥福を祈り、光明皇后が大仏に寄進した聖武天皇遺愛の御物や、大仏開眼会に使用された仏具や東大寺境内図等の地図、古文書類、生薬などが納められ大半が奈良時代もしくは、中国唐代の優れた文物ばかりである東大寺に奉納され、東大寺の正倉院に収められていたものが再び、天皇家の御物になったのはこのブログでも何度も紹介をした、明治幕府による廃仏毀釈。これで東大寺の財政も悪化、存続すら危ぶむ事態に、東南院という付属院家の宝物と共に、正倉院を天皇家に献納したからです江戸幕府に仕える立場だった寺院に反感を持った地方の神官や国学者などが扇動し、廃仏毀釈の運動は激しさを増し、江戸期に石高の高い奈良の八つの大寺院のうちの三寺院が完全に破壊され一寺院が神社になり、存続出来たのは東大寺と興福寺、法隆寺、吉野蔵王堂の四寺院となった聖徳太子所縁の法隆寺は、堂宇や仏像の破壊こそ免れたが、経済基盤である寺領を取り上げられて僧侶たちの日常生活もままならず、貴重な古文書をかまどの焚きつけに使うような有様だったそうで宝物の多くを売りに出す古寺もある中で、法隆寺は貴重な宝物類を皇室に献納する道を選んだその時に1万円札にも使われた有名な聖徳太子の肖像画も御物となった。献納によって1万円が下賜され、当面の維持基金となり法隆寺は存続出来たのだ。皇室に献納した宝物は300点を超えその殆どは「法隆寺献納宝物」として、東京国立博物館で見学ができるしかし、この廃仏毀釈でどれだけ沢山の宝物が破壊され、流失した事か。それ以前に戦乱とかに巻き込まれて、焼失したものもあるだろうし昨春の韓国旅行でも、李氏朝鮮によって儒教が尊ばれ、仏教は廃れ、多くの仏画や書物などが売られて日本に渡ってきたと紹介をしたが中国でも日本や李氏朝鮮のように、大規模な廃仏が行われ、各皇帝の廟号や諡号をとって三武一宗の法難と呼ばれている。北魏の太武帝(在位423年~452年)太平真君年間北周の武帝(在位560年~578年)建徳年間唐の武宗(在位840年~846年)会昌年間後周の世宗(在位954年~959年)顕徳年間ウィキペディアによれば>寺院の破壊(但し、必ずしも施設の破壊を>意味する訳ではない。一般施設や住居に>転用される場合が多い)と財産の没収、>僧の還俗であり、(中略)銅(貨幣の>材料)や鉄(武器の材料)という金属を>中心とした物資を仏寺中の仏像や梵鐘>などから得ることも、当時の情勢から>して、差し迫った問題であった。軍事面>でも、出家して軍籍から離脱する国民が>大量に出ることは、戦乱の時代にあっては>痛手であった。(中略)当時の割拠政権に>とって、そのような膨大な人口を再び国政に>戻すことは、必要に迫られた事情であった1960年代の文化大革命では、極端な弾圧と破壊が行われたが、現在は中国政府は文化大革命の非を認めて、再び保護政策に戻っているそうで、仏教寺院は荒れ果てていたが華僑などの援助によって沿海部を中心に復興を遂げているそうである中国仏教発祥の古刹の洛陽の白馬寺では後漢時代から残る仏像を壊し、千年以上前の仏典を焼かれ、明の万暦帝の墳墓やなんでも鑑定団でも、よく名の出てくる景徳鎮の窯が破壊をされたそうだ。ここにも景徳鎮の壺などが沢山、置かれていたそうそう中華民国の台北市にある国立故宮博物院に、中国の至宝がわんさか所蔵されているのは紫禁城にあった宝物を、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)が戦火から守るべく重要文物を疎開させて大戦後も、国共内戦が激化し中華民国政府の形勢が不利となった為に、第一級の所蔵品を精選した文物、台湾へと運び出した為である白菜や肉片、一度は観に行きたいとは思うのだけど日本に来日した時ですら行けなかったこのあたりになると、もはや隅から隅といった見学などできず、重要そうだなぁと思われる中央部のものをさら~と流す感じで時間に追われる。もしもフリーで来てたら3時間はいたに違いないでも団体旅行なので1時間も見学時間がないのはキツイです。どこか重点的にでも観ればいいのに、来た限りはとりあえずは全分野を網羅したいといういつもの本能が働いてしまうので頑張りました。全室制覇コメントなどでも伺えるように、中国イコール中国人。今も昔も中国人のひとくくりに考えておいでになる方が多いようですが、今の中国は広いです長い年月の間には様々な王朝があって同時期に、幾つもの王朝があるというのは同じ民族が覇権を争っているという場合も中にはあるかもしれませんが、広い中国である故、様々な民族があり時には国を統一したり、国を追われたり今の中国は漢民族が主流ですが、清王朝を支配した愛新覚羅家は満州族ですし、ここ上海あたりを支配していた呉の呉人たちは国が滅亡した事で、沢山の人が日本に渡ったなんて説すらもある現在の中国が過去の中国全土(にあった国々歴史)を継承している訳でもなく、全く同じものでは無いという事だ。更に今の上海には中国にいるという、55の少数民族の全てが集まっているんだとか優れた美術品や、歴史的に価値のある文物なども見応えがありますが、こういった民俗学的なの好きなんですわ~。もう時間も残り少ないというのにワクワク♪ すごい細工の工芸品で見飽きない5分前になったので、後ろ髪を引かれる思いで集合場所の1階のロビーに戻ると、うちがたぶん最後だったと思ってたら、トイレから戻られたお父さん。人数が少ないので時間前にはみんな揃って、早めに移動もできる初日の上海の紹介は終わり、次回から次の日の無錫と蘇州ですが、上海市内の観光は最終日の三日目にもまだ残されている 旅は無錫へと 平成31年1月26日に上海博物館で撮影にほんブログ村
2019年02月19日
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やっぱり上海旅行は、この夜景を観なきゃ意味がないように思える。これを観たさに行先を上海に決めた部分も大きいし。どれだけ見ても、決して見飽きない光景だ宿泊をしたホテルの前にある大きな交差点からビルの合間に浦東新区(プードン)の東方明珠電視塔や上海中心も見る事が出来地下鉄でも簡単にアクセスが出来るホテルのすぐ目の前に地下鉄10号線の海倫路駅5号口があり、そこからアクセス出来るのだが乗り換えもなく10号線で3駅で南京東路駅下車。料金も僅か3元(50円位)だ地下鉄の切符の買い方もパネルで路線を選び、下車する駅を選ぶだけでいいので簡単だ。略したものもあるが、一応は漢字表示だし読めもする。地下鉄でも飛行機に乗る前の荷物検査があった。↑これは単にビジュアル系の自販機ガイドさんには、寝不足で疲れたからとか差し障りがないように言い訳をして、上海雑技や翌日夜のナイトクルーズを断ったが事前にネットで旅行にいった人の体験談を読んでいて高いオプション代を払わなくても自分たちで地下鉄で出かけて向かい岸の外灘(ワイタン)から眺めれば十分とあったので、日程に南京東路がなくてそこも行きたかったのもあり、迷わず個人で地下鉄で行く事にしたナイトクルーズ船は折り返しの50分のコースで、そこまでは歩けないにしても東方明珠電視塔の位置でもわかるように数百メートルは歩きましたよ。てくてく歩いて位置を変えて・・・それに手前のナイトクルーズ船の電飾なども、良いアクセントになりますが自分が船に乗ってたら撮れません。窓ガラスでもあれば、映り込みでまともな写真など撮れないですし中国の人に佐賀県が人気になったというのもSNSなど、ネット上の個人の情報からだそうですが、私も旅行の情報は実際にそこを旅した人の旅行記を、参考にしてたりします。地下鉄の乗り方とかも次の日もガイドさんが夜のナイトクルーズは行った方がいいですよと勧めてくれたのだが前夜に既に地下鉄で行ったとは言えなかったそういった事前情報の収集や、個人で異国で地下鉄乗って、知らない街を個人で歩く事が面倒だったり、出来ないと思う人は素直にガイドさんの旗の後ろについて、あちこち連れて行って貰う方がいいと思う。個人で動くという事は多少なりともリスクというものも付きまとうので高いオプション料はリスク回避と、色々と考えなくてもよいという手間賃だ私だってホテルからのアクセスが悪かったりしたら、素直にオプション使っていたのかもしれないし。全てがいけないという訳もなく旅もケースバイケースで柔軟に参りましょうか国内などは行き当たりばったりが多い黄浦江の奥に揚浦大橋が小さく見えていたこの浦東新区は、ウィキペディアによると>1992年、国務院により「国家の重大発展と>改革開放戦略の任務を受け持つ総合機能区」>である国家級新区として設置されて以降、>大規模開発が行われ、現在では上海新都心>としての地位を確立している>浦東新区は上海直轄市に所属する市轄区で>ありながら、中国最先端の開発センター>として副省級区(副省級市=地級行政区>レベルを超える権限)として大幅な自治権が>認められている。中には国境を越え日本の森ビルグループの都市づくりのノウハウを注ぎ込んだ、地上101階、高さ492メートルの「上海環球金融中心」もという高層ビルも。1990年代半ばの写真では、東方明珠電視塔位しか目立つ建物もなかったようだ。フランス租界だった黄浦公園には人民英雄紀念塔があった艶やかな真っ赤なロングドレスの女性とイケメンの男性の写真撮影は、俳優さんもしくはモデルさんのようだ。そのまま写真を載せるのはまずそうなので、黒いシルエットでご紹介それにしてもイケメンでした。中国のドラマなどは脱税で引退した女優さんが主演してた後宮ドラマをここで紹介をした事があるけど、次々に妃らが陰謀で殺されたり、とんでもない展開だったが最近ネットで、大人気の宮廷ドラマもすごかったようで、社会主義の革新的な価値観と相いれない。贅沢を賛美しつつ勤労や節約を攻撃していると再放送が禁止となったものがあるんだとかこの銅像は四川省出身の国務院副総理、国防委員会副主席、外交部長などの肩書を持つ陳毅で、上海市人民政府を成立させて初代上海市の市長として上海市民の為に尽力を注いだそうである今、私が見ているのは浅田次郎原作で日中合作の「蒼穹の昴」の再放送で、録画したのを年末からこつこつと見ている。日本の女優の田中裕子が、西太后を演じているがセリフは日本語でしゃべっていたが、後で中国語に吹き替えになっているそうだ彼女がまだ生きている時代に、ここ外灘には、既にこんな西洋の洋館が次々に建てられていたのだ。なのに紫禁城の中ではそりゃ変わるしかなかったのかも。作中に袁世凱とか伊藤博文なども出てくる浅田次郎が「私はこの作品を書くために作家になった」という物語は日清戦争の頃、保守派の西太后と改革派である甥の光緒帝のせめぎあいを、春児と義兄弟の文秀を軸にして描かれている今回の旅行では上海近郊にある、東洋のベニスとも呼ばれた蘇州へも行くのだがその名前を知ったのは「蘇州夜曲」からで沢山の歌手が今でもカバーをしているのでうちの娘も知っていた程だ ↑陳佳さんの歌唱で。古い画像の後から始まりますこの歌は、李香蘭(山口淑子)と長谷川一夫の映画「支那の夜(後に蘇州夜曲に改題)」の挿入歌として、西條八十作詞、服部良一作曲李香蘭が歌って大ヒットしたものだ ↑新妻聖子さんの日本語での歌唱本編では、蘇州へ新婚旅行へいった時に歌ったようである。物語の大半は上海であったので、このクラシカルな建物群も出てくるらしい昭和15(1941)年2月から3月にかけて上海や蘇州などでロケがされたそうだが、この外灘の風景は80年前とかわらぬ、そのままであるのに、そこから見る対岸には高層ビル群も電視塔も姿がなく、何もない大正9(1920)年、中華民国奉天省(現中華人民共和国遼寧省)の奉天北煙台で日本人夫婦の間に生まれた山口淑子は、父の方針で中国語にも堪能で、父親の中国の友人の義理の娘分(乾女児)となり、李香蘭という中国名を得ることとなった後に、満州映画協会の中国人専属女優としてデビュー。日本や満州、中国で人気を得たが戦後、中国人だと思われていた為に「漢奸(売国奴)」として、軍事裁判にかけられるが日本人だと証明され国外追放となったそうだ昭和21(1946)年3月、いよいよ日本へ帰国する事となり、デッキから遠ざかる上海の摩天楼を眺めていると、自分が歌う「夜来香」が流れてきたそうである ↑張燕さんの歌唱で夜来香であるが、ウィキペディアによれば>黎錦光が作詞作曲し、1944(中華民國33)年に>李香蘭(山口淑子)の歌唱により上海の百代唱>片公司から発売された中国の歌謡曲である。>満洲映画協会のスターであった李香蘭の名と>ともに歌は広がり、中国各地で人気を博した。>やがて新中国建国の後は、国情とは合わず>廃れてしまったものの、何十年もの長い時間を>経て(中略)鄧麗君(テレサ・テン)の歌声で>復活した。>「何日君再来」等と共に中国(中華人民共和国)>政府により、聴くことも歌うことも禁止されて>しまった時代もあったが、現在は中国大陸でも>解禁され、今や全世界の中国人に好んで歌われる>チャイナ・メロディーの代表曲となっているそして時を経て・・・子供の頃によく見ていたのがアメリカのドラマで、グリーンホーネットも好きでよく見てたが、そのカトー役を一世を風靡したあのブルース・リーが演じていたと知ったのは、平成になってからだったグリーンホーネットで活躍の場を得たブルース・リーであるが、その代表作は1973年に公開された「燃えよドラゴン」なのだが、ドラゴンシリーズのこれが最初と言う訳でもなく、それ以前に幾つも作られており、次々に公開されたその中で「ドラゴン怒りの鉄拳」は、ここ上海が舞台となっている。清朝末期の上海で中国武術の精武館の霍元甲が、ライバルの日本人道場主の鈴木の陰謀によって死を遂げる。愛弟子の陳真(ブルース・リー)が師匠の復讐に立ち上がるというものであるこの作品でアチョ~ってのと、ヌンチャクが登場上海が舞台ながら、その殆どが香港のスタジオで撮影をされたそうだ。日本公開時は悪役が日本人だとわからぬよう、鈴木ではなくリンという名になっているそうだまっ、私はブルースリーや、ジャッキーよりもジェット・リー派ですけど、彼もリメイクの「フィスト・オブ・レジェンド」で陳真を演じているが、その舞台は上海ではなく京都ださてさて写真は外灘から、何やら繁華街になりましたよ。東京でいうなら銀座。「南京東路」大きなデパートや商業施設が、夜の10時まで営業し、まるで不夜城のような華やかさですこの「不夜城」という言葉は、中国の山東省にあったとされる古代都市で夜も日が出たとされたため、この名がついたそうだ。このように中国発祥の慣用句のようなものは数多い四字熟語やことわざなど。例えば背水の陣は中国の楚漢戦争で韓信と常山王張耳らが率いた漢軍が背水の陣という戦術によって趙軍を打ち破った事からだ干支は十干と十二支を組み合わせた60を周期とし、暦を始め時間方位などに今も用いられるが、起源は商(殷)代に遡る日本には6世紀に、中国の暦本が百済を通じ渡来したと言われている十二支で今年はイノシシ年ですが、本来は豚年だそうです。漢字の猪とは豚の事だったそうです。日本の仏教では肉食は禁止されていたので、猪を家畜化をした豚は馴染みが無かった為なんだとか。逆に山には猪が走りまわっていたようですしね今は領土や歴史認識問題などで、デモがされたり、反日的な立場をとられてギクシャクもしたりもするが、やっぱ日本の文化もろもろ。言語、思想、哲学、宗教飲食、服装、陶器・・・・もう色んな部分で長い期間にわたって、大陸からの影響を受けて、今の日本があるのは確かである空海や最澄は学ぶ為に海を渡ったし、阿倍仲麻呂は日本へと帰る事は無かったそして日本の仏教徒の為に命を懸けて、海を渡って来日をした鑑真和上の恩義も。現代の中国には、残されていないようなものでも日本には時代を超えても、面々と伝わっているものもあるという話だ三国志や水滸伝の英雄たちに、心躍らせたり傾国の美女の楊貴妃や西施を想いを馳せ、悪女呂后や則天武后にはビビり・・・。酒池肉林は殷の紂王が寵姫の妲己の言うがままに、日夜酒色に耽り、民を虐げた事からだそうですよといった訳で、今回の上海紀行をおさらいをしてみると、地下鉄と浦東の夜景にクルーズ船外灘から西太后、李香蘭の蘇州夜曲と夜来香でブルース・リー。不夜城の南京東路に中国伝来干支は豚!という盛り沢山な内容になりました中国では赤が好まれまして、国旗の色も赤ですが、おめでたい時に使ったりもします。厄除けの色、幸福をもたらす色だそうです春節に爆竹を鳴らすのも、あの音で厄払いしているそうですよ春節直前の上海は、どこもかしこも赤い色で彩られ、普段よりも華やかであったのかもしれません。空気も綺麗で良い時期に旅行出来ました 旅はまだまだ続く 平成31年1月26日に上海で撮影にほんブログ村
2019年02月12日
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中国の上海に出かけたと伝えた前の日記で食事とかホテルの心配以上に、大気汚染があるから、中国行きを躊躇するというのがありました。実際に春節で日本に来ている中国人の中には「シーフェイ(洗肺)」が目的みたいです煖房などに石炭を使う冬季から春季にかけPM2.5の濃度が大きく上昇する傾向もある中国から、空気が美味しい日本の田舎へという事で格安航空の乗り入れている佐賀が人気観光地の一つなんだとか「中国の大気汚染:リアルタイム」私も中国に渡航するにあたって、↑中国の大気汚染リアルマップなるものも探して見たりしました。日本や韓国も表示がされますので、お住まいの地域もご覧下さいうちは田舎なので、ド安心の緑色でした一週間予報もチェックすると、私が行く土~月は、平日に比べて工場など操業のない週末なので汚染度が低い! しかも春節が始まる前に帰省している人がおり上海の車の数も普段より少ないそうだしなにより中国の他の地域(北部、西部)に比べて上海などの南部は、汚染度が低めのようだ。前回の3日目の写真がどんよりとしてたのは単に悪天候なだけで、上海でも青空も見えて、特に大気汚染は感じませんでしたさてさて上海の旅行、初日の午後の部ですアヘン戦争以降に、淮海中路を中心にしてフランス租界が出来て、居留地に残された当時の洋館(老房子)は、リノベーションがされて数億円で売買がされているそうです芸能人などもこういった洋館に住んでいたりするようですよ。今回はそんな高級住宅街の「思南路」へとやってきました。個人宅の他にも、こじゃれたお店もあって右側の洋館はスターバックスですここへとやってきた目的は「周公館」でして1972年に田中角栄首相と、日中正常化の調印をした周恩来が一時期、住んでいたいた邸宅だそうで、中に入らず家の前でガイドの話を聞きました。ウィキペディアによると>周恩来(しゅうおんらい、1898年3月5日 ~>1976年1月8日)は中国の政治家。字は翔宇。>中華人民共和国が建国された1949年10月1日>以来、死去するまで一貫して政務院総理・>国務院総理(首相)を務めた。毛沢東共産党>主席の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚>しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり>小法師)の異名がある。>南開中学卒業後の1917年に、日本に留学。>日本では勉学に励む他、友人と活発に交流>して祖国の将来について語り合っている。>(中略)日本社会や日本人についてもよく>観察しており、これが知日派としてのベースを>つくった。>周の誠実な人柄と、自ら権力を欲しない>謙虚な態度と中国革命への献身は、中華>人民共和国の民衆から深い敬愛を集めて>いた。また、その人柄からニクソンや>キッシンジャー、田中角栄など、諸外国の>指導者層からも信頼が厚かった。といった方で、学生の頃に京都嵐山に寄った際の詩「雨中嵐山」は、周恩来記念碑となり残されている。この街路樹だけどプラタナスの樹だそうだ近くには「上海孫中山故居記念館」がありこちらは歩きながら門の外からありますよ程度で素通りをしたけど、孫中山(孫文)が住んでいた邸宅です。中国や台湾では孫文よりも「孫中山」が一般的であるそうだこの中山であるが日本に亡命していた頃に近くに住んでいた中山孝麿侯爵邸の表札の中山が気に入って、孫中山と名乗るようになったそうだ。犬養毅には「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」と語ったんだとかウィキペディアによれば>孫文(そんぶん、1866年11月12日(清>同治5年10月初6日)~1925年(民国14年)>3月12日)は、中国の国父・政治家・革命家。>初代中華民国臨時大総統。中国国民党>総理。「中国革命の父」>中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。>また、中国でも「近代革命先行者(近代革命の>先人)」として、近年「国父」と呼ばれる>現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。>中国国民党では現在も、孫文は「党総理」で>あると党則第15章で定めている。春秋時代の>孫子および三国時代の呉の孫権の末裔と>伝わる。フランス軍駐屯地だったのが、1907年に公園として解放され、当時はフランス公園といって毎年、パリ祭りも開かれていた。後に中国人にも開放され、今は復興公園といい地元の人がのんびりと寛いでいたここには「マルクスとエンゲルスの石像」があった。ウキペディアによりますと>カール・ハインリヒ・マルクス(1818年>5月5日~1883年3月14日)は、ドイツ・>プロイセン王国出身の哲学者、思想家、>経済学者、革命家。>フリードリヒ・エンゲルスの協力を得ながら、>包括的な世界観および革命思想として科学的>社会主義(マルクス主義)を打ちたて、資本>主義の高度な発展により共産主義社会が>到来する必然性を説いた。フリードリヒ・エンゲルスの方は>マルクスを公私にわたり支え、世界の労働>運動、革命運動、共産主義運動の発展に>指導的な役割を果たした。との事だ。復興公園からバスでやってきたのは「田子坊」という若い子たちに人気のエリアだ。日本でいう原宿のような所か?ガイドさんが、若い子には良いかもしれないが皆さんが買うものはないですよと言ってたが、よく年配者向けのツアーの行程に入れたもんだただ私の方は娘と一緒だったので、今回の行程を見て、田子坊とかが逆に入っていて娘が喜ぶと思ったので嬉しかったが。寺や庭園ばかりでは、娘もつまらないだろうし入り口の分かりやすい場所で解散して集合時間までフリータイムこうゆうのが一番有難い。今回は参加人数も少ないので集合時間にも遅れる人もおらず、時間通りに出発が出来たあまり時間がとられていなかったので迷路のような狭い道を右へ左へと早足で若い女の子たちでいっぱいの、かわいいお店はガイドブックにも紹介してあった紅茶の専門店「兔子威廉的英式茶屋」で幾つも試飲ができたので、私もお土産にフレーバーティーを一缶、購入をした価格は日本と同じくらいと感じた円と中国の元の為替レートは、16円台でセントレアで交換したのは、手数料込みで18円弱。14000円ちょいで800元に交換した。中国の空港は手数料が高いので要注意。よく見かけるようなキャラクターのようなウィキペディアによりますと>狭く迷路のような路地に様々なアート>ショップや外国料理店、ブティックや>小物店などが密集している。外国人>観光客も多く、レストランは中国料理>以外の各国料理店も多い。店のオーナーも>外国人が多く、日本人が経営する店も>存在する。>現在は豫園や新天地に次ぐ上海の>観光ショッピングエリアとなっているが>大資本が街を完全に改造した新天地と>異なり、田子坊は住宅だった場所に>自然発生的に店が増えて現在の姿に>なっているのが最大の相違点である。>元々は画家・彫刻家の陳逸飛が1999年に>アトリエを開いたのがショッピングエリア>としての田子坊の始まりとされる。それを>機に他の芸術家も当地にアトリエを次々と>開き、それらを訪れる人々目当てに店舗>レストラン・バーなどが増えていった。>未開発の路地(里弄)がそのままショッピング>エリアとなったために、迷路のように店舗群が>入り組み、探検気分の味わえるエリアでもある。>また、エリアは今でも拡大しつつある。現在でも>店舗に隣接して住宅が混在し、泰康路に面して>古いスタイルの市場が残るなど、一般市民の>生活が垣間見える地域でもある。全部を回れないうちに、集合時間が近づいてきたので、そろそろ退散する事にするけどこうゆう街などを、ゆっくりまわる為にはパッケージツアーじゃ無理だろうなぁ上海なら次回はフリータイムツアーでも行けそうだし行ってもみたい。孫中山記念館の中も見学してみたいし。上を観たり、下を向いたりと、大忙しな街歩きだったけどなかなか楽しかった集合場所はスターバックス。娘がメニュー見てきたが、日本の価格より高いようだ帰りの空港でも、色んなお店のコーヒーがどこも高いので手が出なかった浦東のように高層ビルもニョキニョキと雨後の竹の子のように建ち並んだ上海も思南路の老房子や、ここ田子坊のように古い建物もリノベーションをして、新たに命を吹き込んでいるのが印象的だった初日は実はもう一つ、観光をしているのだけど構成上、後にしたので夕食を紹介をしますね。温かな料理が次々と足されまして北京ダックです。円卓では8名だったので一人あたり2切れなのですが、年齢が高めの方ばかりなので、いつも残りまして残ったものは、いつも若い子が沢山食べてと、娘にすすめてくれるので、娘の体重は2キロ近く増えてたそうで・・・・恐るべし食事を終えて外に出ると、周囲は暗くなってまして。午後6時近くに食事を始めたが、日本時間と1時間の時差があるので体内時計的には午後7時近く丁度よかったそんなに早くに夕食をとるのは、この後1日目は上海雑技団で、2日目はナイトクルーズのオプショナルツアーが予定をされているので。お安い旅行である理由下請けの現地ツアー会社やガイドの儲けは26800円の旅行代金本体よりもこういったオプショナルツアー参加費とかお買い物のキックマージンから儲けを得る事が多いようだ。ガイドさんは熱心に上海雑技とか、淡水真珠の素晴らしさを語るのだった。私は日本で上海雑技も京劇も変面も見たしなぁ何気に変面はもう一度、間近で見てみたいとは思う。娘が雑技は興味がないというし他に目的もあるので、うちは参加はせずに他の二組と共にホテルに先にチェックインをする事になった今回のお泊りは、デラックスホテルとの触れ込みで「上海虹口三至喜来登酒店」を連泊で日本語に訳すとシェラトン上海虹口ホテルですホテルは酒店といいます。この写真は翌朝の観光出発時にバス車窓から撮りました団体用に、かなり安い価格で出されていると思われるので下層階ですが、お部屋のつくりはスタンダードでしょうし、朝食ブッフェは一般宿泊者と一緒なので、お得はお得なのでしょう日本でも個人で泊まるとお高い旅館も、団体ツアーなども普通に使ってたりしますしね大きなテレビでNHKの国際放送も観る事が出来たのでまんぷくもタイムリーで見れました。外資系ホテルの特徴でもある、分厚いバスローブも用意をされていました風呂場がスケルトン~。ボタンで隠す事も出来ます。バスタブの排水方法がわからず他の参加者の奥さんに、バスタブ底の蓋を強く踏むと、排水すると教えて貰ったけど入浴中に強く踏まなくて良かった。シャワーブースが外なので、ゆっくり湯にも浸かれました飲料用の他にも、歯磨き用にも1ボトルずつ、無料でミネラルウォーターが用意されていたので、残ったボトルを次の日バス移動中などの飲料にも利用出来たしお部屋からの眺めはこんな感じ。真下に公園のような緑地が広がっていた事もあり下層階でも苦にはならなかった。更にはここ虹口周辺は戦前に日本人租界があり多い時には10万人も暮らしていたそうだなにより、このホテルが素晴らしかったのは地下鉄駅が目の前にあり、あの外灘などの中心地へ乗り換えもなく、3駅で簡単に行く事が出来るのだ。まだ午後8時前、さてさてここから夜のフリータイムだ。 続 く 平成31年1月26日に上海市街で撮影にほんブログ村
2019年02月07日
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それでは旅の本編とまいりますか。行き先ですが、まっタイトルにもあるように魔都にまいりましたが、時を前回の続き愛知県のセントレアまで戻す事とします昨年春は台湾に行きたかったのに、旅行代金が台湾は7万円以上…という以前に予約が、満員のキャンセル待ちばかりで仕方なく5万円弱の韓国釜山と、慶州の桜を見に行きましたが今回も7万円はかかる台湾には手が出ず(娘は九ふんに行きたがっている)旅行代金の26800円という安さに釣られ上海や蘇州、無錫の旅2泊3日にしたという貧乏性の母娘です。それよりも安い1万円台の大連がありましたが、私でも地味に感じたのでそれでも、航空使用料や燃料サーチャージ保険代などを足せば4万円は超えましたが北海道とか九州の2泊3日よりは安いです機内の飲物サービスでは、私は赤ワインで娘は青島ビール中国のビールはアルコール濃度が薄いのでさっぱりしていて苦みもなく、ジュースのようにガバガバと飲めます。機内食は私は洋食で、パンにドーナッツとは・・・。まぁピーナッツ姫のところのよりはいいような娘は和食で、納豆が出ると他の人のブログにあったが本当だった。せっかく窓際の席に座ったのに、三重県あたりからず~っと雲しか見えなくって、ちらっと3回程、雲の合間から地上や島が見えた位で着陸態勢に入り空港に間もなく到着というあたりで、外が見えました。なんだかんだと言っているうちに上海の近郊にある「上海浦東国際空港」に到着。日本では当たり前のように空港で飛行機とか、基地で軍用機も撮っているが、中国は空港内での撮影禁止お巡りさんとか政府関連施設、鉄道の橋脚も禁止みたいで、どの程度までかがわからないが曖昧なのは、撮らないに越した事はないので写真はない。今回は17名の参加者だったが専用バスは40名は乗れるタイプなので、もうガラガラで1人で2席分を確保が出来て楽ちんトイレ休憩だって人数が少ないし、行列になる心配も少ない。専用バスに乗ると今回のガイドさんが気を利かせてお菓子を? と思ったら、車内販売の試食のものだったなるほど最初の観光場所は・・・・お昼ごはんだった朝6時にホテルで朝食ブッフェ、朝10時に飛行機で機内食、昼の12時半(日本時間は1時半)と、なんだか食べてばかりのような駐車場を小さな子犬がトコトコ・・・旅行を通して繋がれていないわんこが、街中を歩きまわっていたし、散歩の小型犬もそのまんまって感じでした。そういえば猫は見てなかったような・・・お茶碗とかこんな感じで置かれてましたがここだけでした、こうゆうの。大きな円卓囲んで、9名と8名の2つのグループにわかれまして、韓国の時の2×2の4名のような気まずさはなかったので良かったなんとか料理だとか名前は違っていてもだいたい似た感じの料理が並んでいた様な気もします。チャーハンに麻婆豆腐に~と韓国のキムチ、違うキムチ、またキムチ!よりもバラエティに富んではいましたが中国はお水が心配だと聞いてましたが上海周辺の団体旅行で行くような食堂は大丈夫みたいです。毎回、お茶が出るので、それを飲んでましたし、お腹は壊さなかったです。ガイドさんは屋台は保障できないと言ってましたさて今回の旅ですが、昨春の韓国旅行と同様に、安さが際立つ「阪急交通社トラピックス」の旅行です。韓国旅行の時は紫水晶や、焼き物に、免税品店、カジノお土産屋に立ち寄って、キックバックで旅行代金が抑えられていると思いますが今回の旅行でも淡水真珠、ラテックスシルク、中国茶といったお店が予定にあり、そうゆうのを割り切っていればお財布には優しい旅行となるのですが問題は衝動買いがお好きな方ですね無駄使いをしがちな方、ガイドさんや店員さんの押しに弱い方は、結果的にお高い旅行になってしまうリスクもあります。夜には別料金のオプションツアーなども用意をされてますのでいよいよ上海の中心部に入ってきましたよこの上海の中心に流れる大きな川の名前は「黄浦江」といい、上海市域を浦西と浦東の二つに分けている。その名は楚国の政治家であった春申君(黄歇)が封じられた事にちなんでいるんだとか中国の戦国時代に活躍をした、4人の有力な政治家である「戦国四君」の一人で、彼らは各々が3000人もの食客を養っていたそうだ長さ846メートル、幅約30メートルの黄浦江にかかる「南浦大橋」の脇で上海万博が行われた橋を渡ってループの道路を走っている時に真下に何やら銅像があったが、誰なのかはわからない。ビルの隙間にちらりと見える丸いのは上海のシンボルである「東方明珠電視塔」ではないか普段は、山しか視界に入らないような所に住んでいるので、旅行先は海とかビルが建ち並ぶ摩天楼を、選ぶようにしている。そんな意味からも上海とか香港、シンガポールは前から行きたい都市で、決して安さだけに釣られた訳ではない上海中心(上海センター)は2008年に着工して2016年に完成した高層ビルで、高さが632メートル。ドバイのブルジュ・ハリファ (828m) に次いで、世界第2位の高層ビルだが塔を含めると、スカイツリーが2メートル高くなり3位となるさてタイトルの「魔都」とは如何に。最初に上海を魔都と称したのは、村松友視の祖父にあたる村松梢風(1889~1961 )だそうで1923年に中央公論に「魔都」を掲載した事かららしいですがネットなどで上海、魔都と検索すると色んな憶測がされていますね。上海が急激に発展をしたのは、アヘン戦争後に海外向けに開港し日本やアメリカ、フランス、イギリスなどの租界(居留地)も出来て、海外資本が集まり中国最大の都市として発展日本や欧米諸国の金融機関や企業も進出し欧米の建物が建ち並び、街路灯等インフラ整備もされ、夜のナイトクラブや、ショービジネスなども盛んとなり東洋の巴里とも呼ばれたが光があれば闇もある。何かしら魔都と呼ばれる所以もあるのだろう高層ビルの建ち並ぶ浦東地区とは黄浦江を挟んだ、反対側の外灘(ワイタン)地区が租界であった為、まるでタイムスリップをしたようなレトロな西洋建築が約1キロに渡って残されており圧巻だすいません。走行中のバス車窓からなのでガラスの映り込みがどうしても入ってますむかって右の建物は1925年に竣工した日本の日清汽船の「日清大楼」で、今ではレストランになっているらしい1897年に中国初の銀行である「中国通商銀行」が入ったこのビルは、外灘では一番古い建物でイギリスのラッセル商会の建物であったそうだ夜のオプションの説明などには熱心なガイドさんは、これらの建物についての説明はなく、多くの乗車客も反対側の川向こうの浦東の高層ビルを眺めていたまぁね~ ↑そりゃこっちの方が目を引きます。ここ外灘の下車観光も3日目に予定されているが、やはり夜のライトアップを観るのが上海観光の目玉ではなかろうか100年前のレトロな建物と、21世紀の高層ビルが共存をしている上海。やっぱりここを旅先に選んで大正解だった時系列よりテーマ性。いろいろ紹介をしたい所もあるので、旅行の最終日の午前中に「外灘散策」の時間が設けてあったんで、その時の様子もまとめて紹介をしたいと思います左側が、↑にバス車窓からの写真を紹介した100年前の魔都、上海租界の町並みですガイドさんから、何分後にここで集合というアナウンスもなかったんで、視界も開けた所だし他のツアーの人たちは場所を移動せず同じあたりにいたんで、奥には行けず川の向こう側の浦東地区ですが、初日にはまだ少しは青空ものぞいていてカラフルな感じでしたが、今朝は今にも雨が降りそうなどんより空で、なんかモノクロな感じでしてほんと行楽はお天気の影響が大きいですそれだけに船に掲げてあった、中国の真っ赤な国旗が色鮮やかでした。すぐ後ろの金ぴかビルも目立ちますね。勿論夜の煌びやかな時間帯にもやってきてますので、その写真も後日に紹介します数百メートルもあるような、世界第2位のビルだけに、周囲の高層ビルが低く見えてしまいます。といった訳で昼間の外灘を紹介してみました。昼があるという事は夜もあるという事で、お楽しみにお昼ご飯を食べてからの1日目の上海市内の観光は2ケ所ありまして、そのどちらも中身が濃いので、また後から紹介します。バスを降りて観光場所や食事場所への移動の為に上海城市規画展示館では、急激に発展をする、上海の都市計画を展示した施設で現在の上海の立体模型なども街中を少してくてくする場合も、ついついあちらこちらをキョロキョロしちゃいます春節も近いのか、どことなく華やいだ飾りなどもされていますしバス移動中にもキョロキョロ。町のあちらこちらに金色に輝くビルがあるのが印象に残りましたそして宣伝媒体に赤をどど~んと前面に使ってますね。待ちゆく人の服装も、窓から干してある服や下着も、赤が多かったりもしますてな訳で上海初日の様子をおおまかに紹介してみました。歴史と、近代化のどちらも楽しめた上海、蘇州、無錫の旅。しばしお付き合いくださいね 平成31年1月26日に上海で撮影(最初は愛知県)にほんブログ村
2019年02月05日
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いよいよ2月になりましたね。平成もあと3ケ月。あちらこちらで平成最後といったキーワードも使われ、ポテトチップスの賞味期限が平成31年4月30日のでかでか表示パッケージとかこちらはでかでかの大きな青い機体を間近に眺めながら、お食事も楽しめる中部国際空港(セントレア)に、昨秋オープンした新スポット「セントレア・フライト・オブ・ドリームズ」であるなんといっても目玉は、ボーイング社から寄贈をされた、ボーイング787型機の飛行試験1号機「ZA001」であろう。機体のおよそ35%を、中部地域で製造している日本の航空機製造技術を象徴する機体だボーイングの本社がかつてあったアメリカシアトル(今はシカゴ)の町並みをコンセプトとしたレストランなどが並ぶフードコートがあり、機体を眺めながら食事ができる(今回は既に名古屋の金山で食べてきた) シアトルと言えばボーイングというより、マリナーズのイチローだけどもイチローも愛知県出身だし、何かとゆかりのシアトルだ。さてさてこの写真を撮ったのは今年の1月25日(金曜日)の夜。次の朝の便で娘と海外旅行に行くのだけど、朝便出発(集合時間が早朝)で、夜帰り(家には終電?)という訳で・・・朝早くにセントレアに着くのはリスクも大きいので、大事をとって前泊しようと会社が終わった娘と電車で、金曜日の夜セントレアにやってきたので、ホテルに入る前にボーイング787見物ホテルは、セントレアからは徒歩数分の「フォーポイントバイシェラトン名古屋中部国際空港」で、昨年11月にオープンしたばかりだ。やっぱ前泊はセントレアの敷地にあるホテルが便利だし土曜日出発の前泊が多いのか、ツインがなくキングスサイズのダブルの部屋しか残ってないが、ベッドが2メートル越えの横幅なので、並んで寝ている感覚もなくツインのように快適に眠る事が出来た部屋の内装がおしゃれな感じだし。お風呂もシャワーがバスタブの外側なので、ゆっくりお風呂に浸かれたのもありがたい。この点が駅近同様に、ホテル選びのポイントの一つだ更には、オープン記念で朝食が付く上じゃらんのポイントが10%も付く、期間限定のプランだったので、二人で泊まり実質1万円ちょっとはお値打ちだと思う集合時間はセントレアに7時15分だが朝食は午前6時からスタートだったのでのんびりホテルの朝ブッフェも楽しめた卵料理各種は目の前で調理をしてくれて手羽先とか味噌カツのような名古屋飯もホテルの前は常滑の海だけど、部屋からの景色はずばり東横イン! ちょっと向きがよくなかったみたいですといった訳でセントレアに、集合の時間前に到着し、Eチケットの控えを貰って利用する航空会社のカウンターで荷物も預けて、航空券も受け取ったので展望デッキから飛行機見物風がつめた~~い。ものの1,2分で写真これだけ撮って室内に退散。強風で帽子を飛ばされないようにと放送している。この中に、私が乗ろうとする飛行機もありますセントレアのマスコットのなぞの旅人フーには、いろんな仲間もいるようだなんとその日と次の日には、ここでは全国武将隊大博覧会があるらしくってステージ前にファンが場所取りをしているし。私も見たいくらいだが・・・2月22日は忍者の日らしくって、空港職員が忍者の装束で出迎えてくれる趣向らしい出入国の税関が顔認証をする、自動化ゲートになっていたし。スタンプを欲しい人は専用のゲートで押してもらえるが、ま特に欲しくはない。飛騨の家具の椅子が置かれたコーナーでくつろぐいよいよ飛行機に乗り込み、出発時間を少し遅れて動き出した。ワクワク。窓際だし電波などを伴うスマホとかゲーム機器などは使用できないが、そうゆうのは全く関係のない一眼レフで、滑走路上でも写真をパチリ快晴のセントレアから、ふわ~と飛び立って東海市などのコンビナートの奥には名港トリトン。そして名古屋方面が広がりこちらは木曽三川の木曽川、長良川揖斐川だと思われる河口その日は西日本なども寒波が到来していて雲の合間からは、ほんのり白くなっていた中国? 九州? 四国? 飛行ルートとかわからないので不明とか言っているうちに、28日(月曜日)夜にセントレアに無事に帰ってきましたあっ、肝心の旅日記は次回から始めますまた窓際でしたが、夜なので暗くて何も見えなかったです夜の空港も、なんとも素敵な写真が撮れますね窓の映り込みを防ぐためには、ぴたーと窓ガラスにカメラのレンズをくっつけて撮ればいいですそれはバスとかの窓ガラス越しの写真も同様でぴたーと、くっとけてみて下さいただタイミング的に斜め前、斜め後ろの写真になる時もあって、その映り込みはご愛敬日本人は自動化ゲートで短い時間で、荷物の出てくるターンテーブルに待機をしてるとアテンダントのお姉さんが、ゴルゴ13をお忘れのお客様はおいでになりませんか?と大きな声で探していたが、名乗り出る人はいなかった後ろのターンテーブルには、ガタイの良いお兄さんたちがいたが、後で調べると2月2日に、岐阜市の長良川競技場で行われる「バローグループpresents日仏ラグビーチャリティマッチ2019~FORALL復興」に出場の為に来日したフランスのリーグTOP14の強豪「ASMクレルモン・オーヴェルニュ」のチームの皆さんのようだ。対する日本はトップリーグ選抜で、日本一に輝いた神戸製鋼をはじめ各チームの主力メンバーらが揃ったそうだその日に帰ろうと思えば、深夜には家に戻れるとは思うが、以前の旅行で同様に深夜帰宅で、次の日に会社に出勤をしてへろへろだった娘は、今回は1日お休みを貰って(その日までの3日間は普通に休日)常滑で後泊をする事にしていたホテルに行く前にセントレアの展望デッキで行われているイルミネーション「光の聖堂」を見に出かけたのだが、寒いので早々に退散宿泊者は3日間は駐車場が無料になる為旦那の車でセントレアに出かけ国内旅行の前泊に利用をした事がある、常滑駅前の「スプリングサニーホテル名古屋常滑」のジャパニーズスタイルの部屋に泊まるそこからは常滑ののどかな風景が広がり伊勢湾の向こう側には、鈴鹿山系の白い山並み常滑駅からセントレアへ向かう赤い名鉄電車。下の電車は名鉄空港特急「ミュースカイ」で乗車券のほかに、360円の別料金が必要になるので1回しか利用をした事がないです帰ろうと思えば帰れたところを、後泊をして常滑に残ったのは、ついでにイオンモール常滑で、年末からロングラン上映となっている「ボヘミアン・ラプソディ」を観ていきたかったのでうちのあたりから出かけられる映画館は名古屋駅周辺か、飯田、松本、各務原とかなりハードルが高くて、観に行きたくてもなかなか行けないまま年を越し、旅行のついでに観て帰ろうと。ホテルに荷物を預けて、1キロ程のイオンモール常滑へ映画「ボヘミアン・ラプソディ」予告編1970年代半ば、日本ではイギリスのベイ・シティ・ローラーズ旋風が起きてキッスやデヴィッド・ボウイなどなど中1だった1976年あたりには、もうクィーンのファンになってました映画メイキングFMラジオに似顔絵を描いてリクエストもしていたしブライアン押しでしたね。手を取り合ってこのまま~行こう♪ 日本語の歌詞の歌もあり、日本が好きでオフで来日していたフレディにも親近感もあったしI Was Born To Love Youとは言っても、今のようにインターネットで検索したら相手の情報が根掘り葉掘りという時代じゃなかったんで、今回の映画にあった奥さんとの関係とか、親しい男友達の事とか全く知らなかっただけに、フレディがエイズで亡くなったとのニュースは衝撃的でしたSomebody To Loveいわゆるアイドルっぽく入った世代でもありハードロックは苦手なんで、こういった軽いイギリスっぽい楽曲の方が好きでした。この後にビリー・ジョエル。更にはアルフィとか米米クラブ、そしてクレイジーケンバンドのような路線にいった人間なので(小学高学年の時は最近なにかと話題のジュリ~でした)You're My Best Friend映画ですがグレイテスト・ショーマン同様に素晴らしい歌の存在が映画を引き立ててくれます。しかもブライアンとロジャーが監修をしているのですから。フレディーの少年期の様子が、少しでも語られていたら良かったかなライブエイドの実際の映像最後のライブエイドでの、映画の題名にもなった冒頭の「ボヘミアン・ラプソディ」の、ママ~♪なんて涙ボロボロ。でも、↑この映像を見たからといって涙は出ないです。2時間あまりの映画を見ていてこその、フレディと親しい人たちの絆の強さを思う涙ですのでという訳で10代にしてクィーンにはまっていた頃を思い出しつつ、映画の余韻にひたりイオンで久々に日本飯。というかごく普通なメニューだけど私はハンバーグで、娘は唐揚げの定食でどちらも千円前後だったかな。久々の味噌汁も有難いし。食後は冬の見切り真っ盛りのイオンでお買い物を楽しみタリーズのお正月の福袋に入っていたドリンク券(ショートサイズならどれでもOK)を利用し、のんびりくつろいでからホテルの荷物をピックアップして、名鉄電車で名古屋市内の金山駅へ金山駅前のサイゼリアで少し早い夕食をとってからJRに乗り、駅からは会社帰りの旦那の車で帰宅しました。ではでは次の日記から旅行記をスタートをしますね 平成31年1月25日~28日に愛知県で撮影にほんブログ村
2019年02月01日
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まだ田植えがされていない田んぼに水がはられての水鏡が、有明山を含む周囲の山々を映し出していた。ほんの僅かな刻だけ見る事が叶う風景だ水が無ければこんな感じな安曇野からの北アルプス。前回頂戴をしたコメントにあったけど、安曇野自体の標高だが数百メートル前後あるので、2千メートルを越えた有明山も低く見えるあれ、デジャブ? 前にも見たような風景かと思われるかもしれませんが前回の写真は大王わさび農場に向かう時に撮った写真でして今回は帰り道の西へと向かう時の写真ですですから、もう飛び立って白鷺はいませんやっぱ、このポイントから見た北アルプスはとても綺麗ですね~。舅や姑も一緒なので早めに帰宅しなければいけないので、スーパーなども寄らずに、自宅へ向けてGOとは言っても、そろそろ一日3本しかない信州まつもと空港での飛行機の発着時間がもう間近だって事で、寄り道をしてみた前に新型の白いFDA飛行機を紹介した時と逆側にあたる西側の公園の駐車場に、車を停めて、舅姑はそのまま座っているというまぁ、車の中からも飛行機は見えるし滑走路横の金網にへばりつき、カメラのレンズを金網の隙間から撮ると、こんな感じで飛行機が間近に前の写真と、この写真。飛行機の角度以外に違いが判りますか? 運転席のフロントガラスに白いものが。これは機長さんが西側の公園の見物客に手を振っているから一日に3本しかないけど、滑走路に近く迫力あるFDAの発着が見れるので、それを見に来た人たちも金網に。椅子に座るのは旦那です私は金網が入らないように、公園にある大型遊具の滑り台の上から撮りましたもうちょい先のマレットゴルフ場の辺りからの方がいいけど、舅姑がおり時間が取れないので、こちらから見る事にしました空のように爽やかな水色の機体はふわりと松本の空に飛び立って、北へと松本に来たらこれを見るのも楽しみの一つです日本アルプスの山岳救助の拠点でもある飛行場にはヘリコプターなどもいました画像検索すると、東京消防庁の救命防災ヘリのつばめみたいですねこうゆうのは飛ばしてはいけないようですが時代柄、ドローンも入れた方が良いかも信州まつもと空港の周囲は、広大な公園があったり、ウォーキングや自転車の周遊も出来ますお馴染み日本アルプスサラダ街道を通り帰路へ。このあたりのさらさらの畑の土ですが春先には強風で周囲に吹っ飛んで娘の車はまっ茶色。視界も殆どない時もありましたそれでも、その土壌や気候が良いので美味しい野菜も出来るのでしょうね。夏のスイカとか冬の長芋もいよいよ木曽も近づいてきました塩尻のワインを作るブドウ。このブドウの苗が植えられたころから、その成長を見てきたんで親近感もわきますこの前、BS放送の歴史番組で木曽義仲を取り上げていました。木曽の山ザルだの粗野なイメージのある義仲ですけど眉目秀麗のイケメンだったそうで、逆に義経は出っ歯の小男だったらしいですよここ日義村は、後白河法皇の第三皇子の以仁王の平家追討の令旨を受けて木曽義仲が挙兵(旗揚げ)をした地である義仲の旗印となったのが、故以仁王の第一王子の北陸宮で、彼を奉じて平家を打ち破り、北陸路から入京を果たすが安徳天皇の異母弟の四ノ宮を皇位に就けたい後白河天皇に、北陸宮をという義仲は煙たい存在となり、北陸から連れてきた義仲軍の粗野な振舞いは都人から非難され僅かな間に朝敵となり果てた平家物語には朝日将軍(旭将軍)とも呼ばれた木曽義仲は、山深い木曽で隠れ育ったので木曽義仲なだけで、源義仲。父親の源義賢は源為義の次男で異母兄の源義朝の命を受けた、その子の義平(悪源太)に襲撃されて命を落とした源平の戦いの陰では、熾烈な源氏のお家争いが繰り広げられ、鎌倉幕府の三代将軍の源実朝が甥の公暁に父の仇だと討ち取られ、僅か三代で源家が歴史の表舞台から姿を消したのは、因果応報としか言えない源義賢が甥の義平に討たれた際に、その遺児の駒王丸(義仲)を斎藤実盛の手から預かってひそかに匿って養育をしたのが乳母の夫である中原兼遠である。そして木曾四天王とともに義仲の平氏討伐に従軍して、源平合戦で戦った大力と強弓の女武者の巴御前は中原兼遠の娘だ戦乱の世に花火のようにぱっと花開き、闇夜に消えてしまった義仲であるが、法王幽閉などの行動などで人望を失い、鎌倉軍との宇治川の戦いで敗れ、僅かな人数で北陸へと逃れようとするが、近江の粟津で顔面に矢を受け討ち死にその生涯を閉じた義仲の墓所の近くに巴御前が草庵をむすびその供養をしたのが、後に義仲寺となったすぐ真上に中央本線の電車が通過。2時間に1本位しかないが、特急のしなのは1時間に1本だ木曽の国道19号を南下してくると、正面に形の良い山があるので、いつも気になる~お土産にかんてんパパでブリュレの素を購入したら寒天と豆のスープを試供品として貰うあとはツルヤでりんごのチップスや巨大なエノキ?さてさて前にも紹介をしたフジ系の朝の番組内で行われる、めざましジャンケンですが先週は1日2回の参加でローソンのプレミアムロールケーキが当たるくじが出来て、木曜日に当たりました前からテレビとかで興味を持っていたローソンの悪魔のパン、そして悪魔のトーストも、引き換えに出かけた時に購入してきましたファミリーマートでは、伊右衛門のお茶と同時に寿司か弁当を購入すると、伊右衛門の特茶が貰えるというので購入。更に700円以上の購入でくじが引けて、コーヒーワンだ極の引換券も貰う当たったと言えば10枚購入で、誰でも必ず当たるジャンボの300円ですけど引き出しにあったのを、最近のとまとめて引き換えに行ったら支払期間が終わってた300円が紙切れに~(今度のは3千円当たりました+もれなく300円)お年玉年賀はがきで、使用しなかった手元に残ったハガキ、後から貰った方に出したのが一つ飛んだ78で、切手シートもプレゼント(貰ったので6枚当たりましたが)更にマクドナルドで、先週は朝から午後2時まではSサイズのコーヒーが無料で貰えるというので、クーポン券の利用でLサイズが190円のフライドポテトも一緒に購入。流石に無料のだけをという勇気はない 平成30年5月11日に信州で撮影 現在、旅行中につき初めて事前に日時を予約し 日記更新をしたので、前回の日記のお返事とか 皆さんのブログにお邪魔をさせていただくのは 帰宅後の水曜以降になりますにほんブログ村
2019年01月27日
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さてさて昨春の蔵出し写真を紹介をしているが今回も安曇野。前回は旦那の運転で娘と出かけた5月5日のドライブだったけど、今回紹介をするのはその数日後の「5月11日」の日記です安曇野が好きなのは舅や、旦那も同様でもう一度、あの山(北アルプス)を見てみたいもんだと日頃から言っているので旦那の運転で、舅姑を連れてドライブに出かけました木曽にはまだ新緑も残っておりまして中央アルプスの白い山も顔をのぞいていたので、これは北アルプスも期待が持てそうですトイレ休憩に立ち寄った道の駅の軒先にはツバメ。おんぼろ木造家屋の時にはただの一度もやってこなかったツバメが、新築になった途端に、春になると巣作りにやってくるので、壁面とかが汚れてしまうのはと巣を作られないよう悪戦苦闘。それなりに春も苦労も絶えません。キラキラする紐を下げておくと来ないです。木曽の御嶽山も今週も良く見えました塩尻で日本アルプスサラダ街道に入るといよいよ北アルプスの白い山も顔を出すようになりましたきっと名のある名山だとは思いますけど名前はわかりません。とりあえず白い山です松本から上高地方面へ向かう松本電鉄(アルピコ交通)の上高地線の電車だこのカラーリングは、アルピコ交通のバスでもお馴染みだ北アルプスの山々が果樹の向こうに見えいかにも安曇野らしい光景。松本周辺はロケ地に良いのか、サスペンスドラマの犯人か被害者が多く、安曇野の場合には実家がリンゴ農家ばかりのような気も見かける車両も、農耕車も多い春盛り道沿いの安曇野のHANAフラワーパークにトイレ休憩ここには伊那食品のかんてんパパショップがあるので、無料の休憩コーナーで試食の寒天ゼリーと、コーヒーのサービスを受けるお天気が良い日もかすんでいたりで、山が見えない日もあるが、今日はいい感じだ5月の青空にこいのぼり。うちのあたりでもそうだが、6月の旧暦に合わせて端午の節句をしているので、こいのぼりは5月いっぱい空を気持ちよく泳いでいる結構、鉄塔も絵になっていたりして何気に鉄塔好き鳥居の向こうに北アルプスものぞめるのはJR大糸線の穂高駅のすぐ近くにある、穂高神社である。どんな神社であるかを得意のウィキペディアから丸写しさせていただくと>穂高神社(ほたかじんじゃ)は、長野県>安曇野市穂高にある神社。式内社(名神>大社)、信濃国三宮。旧社格は国幣小社で>現在は神社本庁の別表神社。>安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、松本市>安曇の上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮が>あることから、「日本アルプスの総鎮守」の>通称がある。また、毎年9月27日に行われる>例大祭(御船祭)が有名である。>創建は不詳。当地は安曇郡の郡域にあり>定着した安曇氏によって当郡が建郡され>たと見られている。そしてその安曇氏に>よって祖神が祀られたのが創祀とされる>安曇氏とは海人の一族で福岡県志賀島の>志賀海神社が発祥地とされる。安曇氏は>北九州を中心として栄え、その活動範囲を>東方へも広げていったとされるご祭神はこのような感じです。↑天智天皇の時代の白江村の戦いにおいて、日本水軍を率いた阿曇比羅夫(あずみのひらふ)は穂高神社の若宮に、安曇連比羅夫命として祀られ御船祭りは阿曇比羅夫の命日である9月27日に行われている長野県が平成25年に長寿日本一として認められたことを記念しステンレスの変わらぬ輝きのように健康長寿でありますようにとの願いが込められた御達者道祖神歴史ある神社なので境内には、様々な古樹があったが舅姑も一緒なので長居が出来ず、入り口に近いこの樹くらいしか写真に撮れなかったなんでも、↑このような由来があるそうださて、いよいよお昼ごはんだ。こんなこじゃれた外観なので、車を降りた舅がこんな(洋風の)店には行かんとごねる店はこんな外観だけど、安曇野で有名なお蕎麦屋さんの「上條」である。まずは安曇野の名水で蕎麦を味わうという趣向天恵蕎麦は、温泉卵、鴨の燻製、海老天揚げたそば米、きざみのり、白ごま、葱スプラウ、大根おろしワサビ、そば焼き味噌の10種類の具材が乗ったぶっかけださてさて先週は、水がはりかけた田んぼは田植えがされている所も多く、水鏡になるのは、ほんと僅かな期間しか望めないけど安曇野では一番、おすすめの風景であるおっ、奥の方に白鷺が来ているよ。車で普通の道をゆっくり流しているだけだが車窓から見る北アルプスの風景に舅姑も喜んでいるようだ行きに病院や床屋に連れて行けば、帰りは自分で路線バスで帰ってこれた舅も昨夏の頃からは自家用車で病院や床屋に横付けし行きも帰りも送迎が必要になった。昨日は舅の内科の病院で、インフルエンザが流行しているだけにドキドキだったもう長時間の乗車で、安曇野へ行く事もかなわないだろうなぁ。姑の方だが2つ年下だけに、自分で路線バスを使っての外出が出来るし、家でも舅の面倒もみて貰えるので助かるそんな訳で安曇野の穂高と言えば、やはりワサビ園がかかせない。その中でもNHK朝ドラのおひさまや、黒澤監督の映画夢のロケ地である大王わさび農場ははずせない一度、かわいいわさびの花が咲いている時期に来た事があったっけ。このブログでも前に紹介をした事があるが、魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)の事を紹介せねば。何せ八面大王の胴体がここに埋められているので全国的には征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷討伐に向かう途中に、安曇野の地を通りがかり、地域の人らを苦しめていた八面大王が率いる盗賊団を退治したという話であるが、その半面でこんな話もある大和朝廷が全国統一を目指し、蝦夷を侵略しようと、坂上田村麻呂が率いる朝廷軍が信濃国を足がかりにしようと 沢山の貢物や無理難題を押し付け、地域の人を苦しめていたのを見かね、安曇野の有力者の魏石鬼八面大王が遂に立ち上がった(大王神社↑)坂上田村麻呂軍と、一歩もひけをとる事戦かったのだが、山鳥の尾羽で作った矢にあたって大王は倒れ、再び生き返る事がないよう、大王の遺体はバラバラにされてあちこちに分けられ、胴体が埋められた地が農場内にあるので、大王農場と名が付けられたそうだまぁね、大和朝廷の全国統一の時期でもありそれに歯向かおうとした、地方の有力者らは熊襲だ、蝦夷だのと言われ悪者にされており桃太郎伝説の鬼も、吉備津彦に退治をされた温羅がモデルで、吉備の支配者であったんだとか。それが鬼扱い吉備津彦は崇神天皇10年に、全国各地に派遣され、大和朝廷に従わなければ征伐をしてもいいという、将軍の印綬を受けた皇族の四道将軍の一人である。時代は違うけど、八面大王もそんな感じで鬼にでもされてしまったのかもしれないお決まりのわさびソフトクリームを食べました。ふと思うのが前回の安曇野旅も最近出かけた駒ヶ根旅も、今回も昼には蕎麦で、デザートにソフトクリーム黒澤監督の夢に出てきた湧き水の川だけどなんか濁っていた。この奥の方で、朝ドラおひさまの陽子の蕎麦屋(外観)のロケがされた 平成30年5月11日に信州安曇野などで撮影にほんブログ村
2019年01月23日
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さてさて前回の日記では、先日出かけたばかりの伊那谷ドライブでの南アルプス中央アルプスの風景であったけど、これ北アルプスですどう見ても冬ではないような、新緑で萌え萌えな山々は、昨春のゴールデンウィークで旦那の運転で、娘と三人で出かけたいつもの日帰りドライブですこのように行楽もあちこち出かけている中には、このブログで紹介しきれずにお蔵入りになってるものも幾つもあるのは、昨春は韓国の桜旅のシリーズをやってたからその日は伊那谷を北上せずに、素直に木曽路(国道19号)を北上。道の駅からは木曽の御嶽山も綺麗に観れました藪原あたりでは、道沿いで八重桜が咲いてました。うちのあたりでは、ここが一番遅くに咲くので、自分的には最後の桜になるのですが、昨春はそれより後の5月中旬に北の大地でお花見が楽しめましたまだ、その旅行の事も紹介しきれないままに年を越してしまいました。塩尻付近になると、国道沿いにブドウ畑が広がっています塩尻市街地に入る手前で、国道19号を逸れて北東へと。この道は日本アルプスサラダ街道といって、塩尻桔梗ケ原から松本西部から安曇野につながる道ですがその周囲にはサラダに使うような野菜が栽培をされているので。したがって農耕用の車も走っています栽培してるのは、ウィキペディアによると>塩尻エリア(塩尻市)>特産のぶどうによるワイン醸造が盛んで、>ワイナリーも数箇所ある。洗馬地区では>レタスなどの高原野菜も多く栽培されて>いる。起点の周辺は住宅のある地域や>工業団地などが多く、奈良井川以西は>農村風景となる。>朝日エリア(朝日村)>ジャガイモとそばの栽培が盛ん。農村>風景が続いていく。>山形エリア(山形村)>長いも栽培が盛ん。唐沢地区の唐沢そばが>有名。畑の中を郊外型店や公共施設、住宅が>立地している。>波田エリア(松本市波田)>平成の大合併で松本市に編入された旧波田町>地区。下原スイカで有名。恋人の丘サラダ>マーケットで新鮮な野菜を購入できる。住宅>地を抜け、波田市街地へ出る。>梓川エリア(松本市梓川)>平成の大合併で松本市に編入された旧梓川村>地区。りんご栽培が盛ん。水田やりんご畑の>中を経由する。>安曇野エリア(安曇野市)>りんご畑の中を経由する。混雑する国道19号を避けて、そんな道で松本に入ってから、松本市街地を通り抜け東の方へやってきた。ここも塩尻のようにワイン用のブドウを栽培している美ヶ原高原の麓にある信州山辺ワイナリーには、旦那の運転で松本に出かける時はちょくちょく立寄るお馴染みのスポットであるというのも、気軽にワインの試飲が楽しめるからだ。白をいただく今度は赤だ。この前の伊那谷のウィスキー蒸留所のウィスキー試飲も同様で、旦那が運転してくれるドライブで、娘と私が飲むというのがお決まりのパターンだ遠くで私が運転するのはちょっとね~って感じだが、2月の岩村の蔵開きは日頃の感謝を込めて行きは旦那が運転するけど、蔵開きは旦那と娘が飲んで私が飲まずに、帰り道のドライバーをかって出ているさてその日のドライブの目的は、松本に一昨年の秋に出来たイオンモール松本に出かける為でもあった。開店してすぐに行った時にはすごい人だったので、半年たったし少しは落ち着いてきたかとただ出かけたのはゴールデンウィーク中の祝日なので買い物客は多かったけど。展望テラスからは北アルプスと松本城。天気が良いから出かけただけに、山も良く見えるその日のお昼はイオンモール松本に入店している「き久好」という、北海道系がメインのお店で食べた。私と旦那は十勝帯広豚丼と幌加内そばのセットで娘は釧路ザンギ定食。北海道はグルメ大国、生産県だけにお蕎麦の生産量もダントツで全国一位であるが、昨年度は自然災害にも見舞われ、不作であったそうであるお腹もいっぱいになったので、松本市街を北に抜けて安曇野方面に向かうが、途中の山々は、相変わらず松枯れがひどかったこの時期の安曇野は田んぼに水をはり小さな苗を植えるまでの一時は、まるで水鏡のように北アルプスを映し出してとても美しいのだが、少し早かったかな安曇野へと向かう道は、どこも絶景北アルプスが出迎えてくれている手前の台形の形をした山が、安曇野を代表する有明山で、標高2268メートルありその独特の山の形から有明富士、信濃富士安曇富士とも呼ばれている西行法師は「信濃なる有明山を西に見て心細野の道を行くなり」、藤原定家は「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」と、詠んでいる名山だそんな有明山や北アルプスの絶景が眺められる、おすすめのスポットがあずみの池田クラフトパークである広大な公園敷地からはこんな感じで白い峰々おしゃれに樹の枝なども、構図に取り込んでみた先程の有明山だけど、天照大神が隠れたほこらの岩戸を手力雄命が投げ飛ばして飛んできた先がここで、暗黒だった世界に光が戻り、明かり有りという訳で有明山信州では戸隠もやはり、岩戸が飛んできた地との伝説があるそうだが、諏訪明神や、安曇族、八面大王と信州には神話に続くような古い歴史があるらしいそんな信州と岐阜の境の恵那山もまた天照大神や日本武尊にちなんだ伝説が残っており、信州へと続く東山道なども重要な道であるようだ北アルプスは、前回の日記でも紹介をしたように飛騨山脈というのが正式な名で、富山、岐阜、長野、新潟の四県をまたぐ山脈だ。その最高峰は奥穂高岳で3190メートル。富士、南の北岳に続き3番目の高さを誇るちなみに、最初に紹介をした木曽の御嶽山は独立峰で、北アルプスにも中央アルプスにも含まれていない孤高の山だ車で手軽に行ける展望スポットとしてはここあずみの池田クラフトパークが一番おすすめしますので、この地域に来られた際に山が見たい場合には、是非いらして下さいそんな訳で、ゴールデンウィークの午後のんびりと、北アルプスを眺めながらの公園散歩を楽しんだそして公園からの北アルプスも存分に堪能をしたので、そろそろ次の目的地に向かうとしよう。といっても明確な目的もないんだけどとりあえず安曇野を、西側の山際に向かうが、そこから見る北アルプスもまた素晴らしい。こんな所に住めたら・・・とは思わない。冬が厳しいので冬さえなければなぁ~などと、松本に数年住んだので、その厳しさを知っている娘がぼやくまっ、うちから車で3時間もかからずにここまで来れるので、良い時期に晴れた日を選んで、こうやって遊びに来れば良いとしよう北アルプス牧場の人気のソフトクリームいつ出かけても、店内に購入者の行列が出来ている。ふわっふわな感じだいやぁ~春の安曇野を堪能しました。このあたりは、NHKの朝ドラマ「おひさま」で主人公の陽子が生まれ育った農村のロケが行われたあたりツルヤとかアイシティなどで買い物をしているうちに周囲は暗くなって、国道19号に戻り、お安いガソリンスタンドで給油をして娘の好きなラーメン屋のハルピンで、早めの夕食をとった諏訪に本店があり、娘が松本を離れる頃になって、こちらにも支店が出来たのだ。松本は蕎麦屋位にラーメン屋も多いような気もするイオンモールのお買い物はノンカフェイン娘が毎日飲むお茶にと、ルイボスティーやカモミールティー。娘が帰ってきてエンゲル係数が格段に上がった。弁当もいるし 平成30年5月5日に信州松本周辺で撮影にほんブログ村
2019年01月21日
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その日の朝はとてもよく晴れていて、こんな日にはアルプスもきっと、綺麗に見れるに違いないと思った成人の日の祝日は、旦那の運転で娘と三人で伊那谷ドライブに出かけたうちからは清内路の峠を越えて、一時間ほどで伊那谷の飯田市に行く事が出来る遠くに見えるのは南アルプスの白い峰やはり山が良く見えるドライブ日和だ改修中なのかわからないが、歩道橋がすごい事になってる。この交差点で右折して南下先日の十日戎でお菓子の福袋を買った先のお菓子の里飯田城だが、今日は素通りだ飯田のアピタや、飯田のイオンなどを少しのぞいてから飯田を離れ更に伊那谷を北上をすると、今度は左側に中央アルプス。うちのあたりもだが伊那や木曽などは、飛騨地方やアルプスの山々が遮って雪は多くは降らない。寒いけど・・・このあたりは、もう飯島町あたりだろうか?飯田市街から駒ヶ根方面へ北上する場合には中央道にも近い高台を走る伊那南部広域農道別名「南信州フルーツライン」を使っていたが新たに天竜川沿いに、こんな快適な道が出来たので、利用をする事が増えてきた昨年11月17日に「一般国道153号線伊南バイパス」の開通式が行われた。この道は、駒ケ根市赤穂から飯島町本郷までの9.2kmの延長の道路だこれまでの国道153号線はくねくねカーブも多く、景色もあまりよくなかったのだけども昭和61年10月に、建設促進期成同盟会が発足し、以来32年の歳月を経て全線開通の運びとなったそうだ(一部は開通していた)そのお陰で、助手席の車窓(西側)からはこのような素晴らしい中央アルプスの絶景も楽しむ事も出来るちょっとズームしてみた「伊南バイパス開通式」の様子。衆院議員宮下一郎氏ブログよりひゃっほ~。今後、この道の先となるよう計画中の伊駒アルプスロードや、一部開通の伊那バイパスの早期完成が待たれている是非、伊那谷に来られたらこの新しい道も通ってみてください。こんな良く晴れた日にそうすれば中央アルプスの絶景が、次から次へと大パノラマが望めますよ。信州には松本から大町に向かう北アルプスが絶景の道とか志賀高原や、霧ヶ峰付近の高原ロードとか野辺山からの八ヶ岳・・・様々なドライブに適した道があるけどここもまたお気に入りの道となった。こんな道が通れるので、わざわざ中央道を通る事もなく清内路から飯田に入り、北上し伊那から権兵衛トンネルを抜けて木曽路から南下するのが、我が家のドライブルートださて、ネットで娘が見つけた駒ヶ根のお蕎麦屋さんは初めての来店。見た目喫茶な「手打ちそば ももも」と名も個性的なのだけど、自家石臼挽きでこんなお蕎麦に野菜天ぷら、小鉢も付くセットが、900円で食べれるのはお得じゃないかと・・・旦那の大盛りの方のセットは100円アップ1000円だった娘がエビスの瓶500円を注文したので一人では飲めないというので、私も少し貰う。ふふふ・・・。去年のキリンビール工場見学のあたりからビールも少しばかり飲めるようになった。おつまみも1つおまけで貰えたしセルフで、珈琲も自由に飲む事が出来たここって地元の人に人気らしく、駐車場は満杯。私も1時15分位の来店でテーブル駐車場がギリ1つ空いていて、1時半には蕎麦もご飯も売り切れになってたちょっと寂しい駒ヶ根の駅前。まぁ伊那や岡谷も飯田も、この前の多治見もみんなこんな感じだし。今や田舎は車が無きゃ生活できないし、お店も駐車場がないと太刀打ちできない状況だ駒ヶ根市街から、駒ヶ根インターを超えて中央アルプスが眼の前に迫る駒ケ根高原へ先日ここでも紹介した養命酒の工場見学で立ち寄った早太郎の光前寺があるエリアだ今度は、駒ヶ根市街や天竜川を挟んだ向こう側に南アルプスの絶景が・・・山の名前はご勘弁を。まぁ日本有数の3000メートル級の山々だ日本アルプスの正式名称は北アルプス、飛騨山脈 中央アルプス、木曽山脈南アルプス、赤石山脈 というウィキペディアによると>1881年に刊行された『日本案内』の中で、>飛彈山脈を調査したイギリス人鉱山技師の>ウィリアム・ゴーランドが、ヨーロッパの>アルプス山脈に因んで、>そこから見える山脈、周辺含めて「日本アル>プス」と紹介したのがこの名前の由来である。>後に小島烏水が飛騨山脈を「北アルプス」、>木曽山脈を「中央アルプス」、赤石山脈を>「南アルプス」とした。そんな南アルプスの絶景が眺められるのは太田切川にかかる、こまくさ橋という長さ146メートルの吊橋からである中央アルプスの木曽駒ヶ岳を水源とし、千畳敷カールからの中御所川、伊那前岳からの北御所川空木岳からの本谷、駒飼池・濃ヶ池からの黒川が合わさって、のちに天竜川に合流するこちらは中央アルプス側。ぐぐんと山が迫っている感じは大町にも似ているようなここから千畳敷へと向かうのだが、登った事があるのは2度だけ。30年以上前伊那に娘がいる時などは、駒ヶ根にも一緒に来ていて、お天気の良い日などは「こんな日に千畳敷に登れば、さぞかし綺麗だろうになぁ~」と言ってたが、娘がケチなので交通費が高いと一度も行けず吊橋の脇に建つ、JA上伊那の駒ヶ根ファームスの中にあるすずらんハウスへこの辺りって、よく野生猿がいて前には珍しいと思ったのに、今じゃうちのへんも野生猿の王国。珍しくもなんともない今日はいなかったここではJA上伊那のすずらん牛乳を使った乳製品などが、売られており飲むヨーグルトの試飲も出来たそしてお目当てのすずらんソフト。駒ヶ根に来た目的は、ずばりこのソフトクリームを食べる事だったりして。観光地なのに今どき250円ですよ駒ヶ根ファームスよりも駒ケ根高原を少し奥に行った駒ヶ根橋から、千畳敷が間近に見える。この少し先の黒川平から許可車両以外は立ち入り禁止区間となる千畳敷に行くにはマイカー規制があるので菅の台バスセンターで専用の路線バスに乗り、しらび平からロープウェイで登れて合計で往復4千円程かかるようだ駒ヶ根橋を渡ってお隣の宮田村にあるのが本坊酒造のマルス信州醸造所で、ウィスキー以外にも地ビールも作っているウィスキーを水で薄めて試飲中続いては、車で数分程の伊那市にあるかんてんパパで、試食中伊那では↑にあった最近出来たばかりの伊那バイパス沿いにある信州のスーパーツルヤとか、信州のホームセンターの綿半でお買い物をして、さて帰るかな中央アルプスに日も落ちて、夕焼雲が輝いていた怪我に泣かされた横綱の稀勢の里が、引退し親方として後進の指導にあたるそうだ。というか大関栃ノ心とか豪栄道も全敗だし。他の横綱、大関陣もパッとしないし。平成を終え相撲界も新時代を迎える兆しなのかも。( ↑一昨年7月6日にCBCの入り口で ) 平成31年1月15日に信州伊那谷で撮影にほんブログ村
2019年01月17日
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今年は暖冬だという話だったのに、ここにきて本格的な大寒波が到来。飛騨地方ではマイナス20度を記録した1月10日の朝我が家のそれなりに断熱性のあるペアガラス外側はアルミでも内側は樹脂のサッシ窓も思いっきり凍ってたさすがに今シーズン一番だけあるが、例年1月半ばからが一番寒い時期だし。テレビで岐阜県はインフルエンザの大流行中らしく重要な用事を控えて、体調には気を付ける必要性を感じるユニクロの年末セールで12000円位するダウンコートが、半値の6000円程で売っていたので、この長さは持っていなかったので即、購入。軽いし暖かいのがこの地方では有難い冒頭の窓のサッシすらも内側までも凍ってしまった1月10日は、中津川市の十日戎舅も体が弱くなり、旦那は会社なので私がお札を受けに行く事になっており、早速ユニクロのダウンコートを着て参拝に境内を走り抜ける福男のニュースでも有名な、関西の西宮神社の神様を分霊した、中津川の西宮神社は商売繁盛という訳でして、いつもかなりな行列が出来るので、並びたくないし午前9時位に家を出発いつもは10時に開店のルビットタウンが十日戎で、臨時に9時に開店をしてくれてそこに車を停めてから、近くの西宮神社にすると・・・手水も小さなつららが~いやぁ~寒かった。駅前あたりは歩行者天国となり、遠くには恵那山。早い時間なので人もまだまばらだ中津川中山道歴史資料館は、お祭りなどで無料で公開をしているので、今回も見学をする事に。中津川で走っていた森林鉄道についての特別展示をしていたみんなしっかりと着こんでます。用も済ませたので、車を停めさせて貰ったルビットタウン店に戻って、買い物をして、昼前には家に戻りましたがその成果は・・・。お札を千円で購入した人はくじが引けるけど、末等のお箸。次は広告にあった商店街のくじも末等ラーメン舅に頼まれた農機具の会社のクジも末等のテッシュと惨敗となってしまった西宮神社の境内で売っていたのは大きなえびず饅頭2つ500円。茨城の干し芋2袋で500円。飯田の赤飯饅頭も販売している和菓子屋も、街中で出店をして福袋は1000円。更にルビットタウンのサーティワンも十日戎の福袋500円×2しめて3千円で、色んな美味しいものを購入特に飯田の和菓子屋の福袋は、色んな和洋のお菓子がたくさん入っていて外れなしアップルパイもむちゃくちゃ美味しかったし、買ってよかった~。来年もまた見かけたらリピートしてみようサーティワンの福袋は500円だけど有効期限なし、おつりもOKな商品券500円が入っていて、他に小皿と付箋? 2個買ってみました~そしてそして、ルビットタウン店ではお正月に、味の素やUCCの福袋を購入したけど、その時も買おうか迷いつつ購入しなかった1000円の食品系の各社福袋の数々が半額になっているよ~もうこれは買うしかない!と森永のはキョロちゃんのぬいぐるみがオマケに入って、普段から購入しているミルクココアや、ホットケーキミックス甘酒2種で、半額になっての500円はお得過ぎるので2つ購入しましたポッカはレモン系の調味料とかの他にカップスープなど、こちらも普段から買いたい商品ばかりで、もう1つ買えばよかったかも。おまけの絵本は定価が1200円となってたし(汗)エバラ食品も、普段から使っているのでステーキのたれ以外、家にも4種ともストックが1つずつあるんだけど、まぁ使用度&消費期限考えれば大丈夫かと浜乙女は、他社ののりやお茶漬けなどを買うので、あまり使っていないんですが500円ならお試しには格好のチャンスこれで美味しかったりしたら、リピートすればいいんだしここもわかめスープはかならず家にある商品だし、青じそのドレッシングは姑が一番のお気に入り。1個あたり100円と思えば、これは買うしかないですってそんな訳でくじは全敗をしてしまったが半額になって、お得な500円の福袋を購入が出来て嬉しかった十日戎であったその直後、娘が会社の新年会のクジ引きで日本盛の純米吟醸酒「惣花」の一升瓶を当てて帰ってきた。明治天皇が気に入り明治32年に皇室の御用酒となり、今上陛下の御成婚のお祝いでも使われたとか娘の絶好調は、継続中のようだ昨日は、山向こうの飯田のピアゴに出かけたので、やっぱお正月は詰め放題をやりたいと入浴剤詰め放題300円(そこから、カード会員5%が割引も出来た)にチャレンジジッパーが閉まらなきゃいけないタイプで旦那が途中で声をかけてきたので、集中力途切れて惜敗。タイプの違う発泡系固形を入れた部分も敗因の一つかも。とは言ってもそれでもお得はお得だけど・・・20個は入れたいところが、17個だったいつもは、15個で00円で売られている旦那ぁ~。お正月の日本酒恵那山をお冷でウィスキーグラスに並々と飲んでるし~あぁ、あっという間になくなってしまうよここからは前回の多治見市に続いて、そのお隣の土岐市の喫茶店のモーニングを紹介娘は土岐アウトレットモールが好きなのでそこに行くついでに、土岐市のモーニングをよく利用するのですカウンター席からの風景が印象的なのは土岐市街から少し東に外れた、鍵屋珈琲ここ、実りの秋の頃にもまた来たいなぁモーニングはこんな感じでして、とても上品な感じな盛り合わせカウンターテーブルも、分厚い一枚板でしてかっこいいですよ次に紹介をするのは、土岐の市街地にある「待屋」さんです明るい感じの店内でこんな感じのモーニングでしたトーストタイプもあります。カップがめちゃくちゃ、かわいいその近くにあるのがオクトパスガーデンここはハンバーガーのモーニングです少しお金を足しますが、こうゆうのも良いですこのソファー席、めちゃくちゃのんびりできちゃいます中でも一番リピートしているモーニングは杏カフェで今までに数回は出かけてますモーニングプレートの他に、こんなミニデザートもついてました。かなりボリュームがあります土岐市ではないですが、お隣の瑞浪市で出かけたモーニングは炭野屋珈琲店でしてこっこれは味噌汁! 茶碗蒸しの出るお店はあったけど、味噌汁はお初かも土岐アウトレットで買い物を楽しんで少し遅くなったが、お昼を食べようと出かけたのは、近くのアヒル家というラーメン屋さんでした。↓そんな訳で昨年度に出かけたの土岐(&瑞浪)のお店を紹介してみました 前半は平成31年1月、後半は昨年度に撮影にほんブログ村
2019年01月15日
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もう平成最後のお正月を迎え、10日近く過ぎてしまった。前回、少し紹介をした東山動植物園の写真はまだまとめてないので、昨年度のお蔵入り寸前のお出かけ写真を引っ張り出してきた今回はうちから車で1時間ちょっとで行ける岐阜県多治見市。埼玉県熊谷市とライバルの日本有数の暑さを誇る街で、娘の好きな土岐アウトレットにも近いし、よく出かけているその日の朝は、多治見市街地から少し離れた所にある「灯屋(あかりや)」さんで、娘とモーニングを食べに出かけてみた。とても落ち着いた感じの内装だ初夏の頃だったので、私は朝から冷たいものを。コーヒーの大っきな氷の入ったしゃれた器に、熱いコーヒーをゆっくり注いで、アイスコーヒーにする趣向だモーニングセットはこんな感じで、女性好みのこじゃれたプレートだ知らないお店へと、モーニングを食べにまわるのも楽しいものだ。お腹もいっぱいになったのでその近くにある田舎には似つかわしくないような名刹「虎渓山永保寺(こけいざんえいほうじ)」へと。まるで京都の寺院にでも紛れ込んだような境内であるけど織部っぽい瀬戸物の大きな灯篭で、ここが多治見だと認識をする。臨済宗南禅寺派で鎌倉期に夢窓礎石が、長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創し、夢窓の帰京後には元翁本元が寺観を整えての開山とされる二百ちょっととある国宝の建造物の中で、岐阜県には高山の安国寺の経蔵と、この永保寺の開山堂と観音堂の三棟のみである。暇な時など2年に1度位は出かけてみたくもなるので、前にも、このブログで紹介した事もあるがとりあえず、ウィキペディアによりますと↓>文化3年(1806年)刊の『虎渓山略縁起>一人案内』によれば、正和2年(1313年)>6月18日に長瀬山の麓を目指していた夢窓>一行が道に迷い、白馬に乗った女性に道を>尋ねた所、返事が無かった。>そこで夢窓は「空蝉のもぬけのからか事>問え 山路をだにも教えざりけり」と歌を>詠んだ。すると女性は「教ゆとも誠の道は>よもゆか我をみてだに迷うその身は」と>返歌して忽然と消え失せ、付近の補陀岩上に>一寸八分の観世音菩薩像が出現した。>夢窓はこの観世音菩薩像を本尊とし、1314年に>水月場(観音堂、国宝)を建立した。当初>「古溪(古渓)」と称していたが、後に中国>廬山の虎渓(簡体字: 虎溪(中国語版))に因み>「虎溪山(虎渓山)」と称するようになった。>廬山虎渓の風致が当地に似ているとする記述も>見られるが、夢窓が渡航した記録は無く、>むしろ鎌倉建長寺の中国僧一山一寧のもとで>修行していたことにより、当時の廬山での禅>修行の風致を虎渓山に求めたものと推察される>1317年に夢窓は京都の北山に隠棲、更に>土佐へ移り、1319年には鎌倉へ、1325年に>後醍醐天皇の命により南禅寺第9世として>南禅寺に住持することとなる。>一方、元翁本元は夢窓の去った虎渓の地を>守り暫く留まっていたが、1329年には>南禅寺第11世として南禅寺に住持した。さて夢窓礎石の名は苔寺や天竜寺の作庭でも聞いたことがあると思いますが、どんな人であるかを再び、ウィキペディアにお願いすると>夢窓疎石(むそうそせき、道号が夢窓、>法諱が疎石)は、鎌倉時代末から南北朝>時代、室町時代初期にかけての臨済宗の>禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は>平政村(北条政村か?)の娘。佐々木頼綱>(六角頼綱)の兄・経泰(つねやす)の>孫とされる>伊勢国(三重県)出身。幼少時に出家し、>母方の一族の争い(霜月騒動?)で甲斐国>(山梨県)に移住する。1283年に甲斐市>河荘内の天台宗寺院平塩寺(現在は廃寺)に>入門して空阿に師事し、真言宗や天台宗>などを学ぶ。>1292年に奈良の東大寺で受戒する。京都は>建仁寺の無隠円範に禅宗を学ぶ。鎌倉へ赴き、>円覚寺の桃渓徳悟、1299年には建長寺の一山>一寧のもとで首座を勤めるも嗣法には及ばず、>1303年に鎌倉万寿寺の高峰顕日に禅宗を学び、>1305年には浄智寺で印可を受ける。(中略)>鎌倉幕府が滅亡すると、建武の新政を開始>した後醍醐天皇に招かれて臨川寺の開山を>行った。この時の勅使役が足利尊氏であり、>以後、尊氏も疎石を師と仰いだ。翌年には>再び南禅寺の住職となる。1335年に後醍醐>天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられた。>生前に夢窓国師・正覚国師・心宗国師、死後に>普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と>7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、>七朝帝師とも称される。1351年に死去、享年76。↑ウィキペディアより転載しましたここ、永保寺の庭園も夢窓礎石によるものである。このお寺は境内をまわるのは拝観自由、無料なのでもしもお近くにお越しの場合は、是非お立ち寄りくださいませ庫裡の前には、仏徳禅師のお手植えの大きな銀杏の樹。仏徳禅師とは、元翁本元の事であると、いった訳で多治見は二度、三度と出かけたので、ここからはまた違う日に出かけた時の、多治見の話。太多線で合流する姉と、待ち合わせするのも多治見駅なので馴染みの街だ彦根はひこにゃん、熊本はくまモンというように、ここ多治見市の人たちに愛されているのが「うながっぱ」だ。特に駅前とかうながっぱで占拠されている。うながっぱについてウィキペディアによれば↓>2007年8月16日に同市が日本国内での最高気温>当時・40.9℃を記録したことなどから、日本一>暑い町として観光誘致活動を行うために製作された。>同市の名物である"ウナギ"と同市に伝説が残る>"河童"を合わせ、漫画家のやなせたかしによって>デザインされた>単に観光PR用関連商品の販売に留まらず、>市内を走る無料観光バスの愛称うながっぱ>バスとして用いられたり名前を冠した>イベントうながっぱ祭が行われたり、うな>がっぱパッパソングという歌が作られたり>など、幅広い展開を見せている。>15:00(JST)時点での多治見市役所付近の翌日>最高気温が37℃以上と予想される場合に、翌日の>10:00(JST)から配布する方法に変更された。>このほか、市内を始め各地で行なわれる各種>イベントにおいても配布されることがある。なお>同キャラクターは同市の特別住民登録されている。そんな訳で多治見市民に収まらず、近隣住民にもお馴染みのうながっぱ。国民的ヒーローアンパンマンの生みの親やなせさんのデザインだけにクオリティが高いもう、どこもかしこもうながっぱ。国宝の寺院や、おしゃれな修道院、茶碗と暑いといったアピールポイントも多いのに新たなPRキャラクターだ余談だけど栗きんとんと、馬籠宿と最近人気の苗木城。島崎藤村、熊谷守一、前田青邨出身位な中津川市のにゃかつがわ君も頑張れ~。始まったばかりの大河ドラマ「いだてん」で主人公を指導する可児徳(いさお)は中津川市苗木出身らしいおっ、こんなところにうながっぱ本体がぁ!どうやら目を開けたまま眠っているようでぴくりとも動かないが・・・多治見市PRセンターには、そんな眠るうながっぱの姿も見れたり、美味しいうながっぱまんじゅうや様々なうながっぱのグッズも販売中男の子用もあるのかもちろん多治見市と言えば、うながっぱよりも焼き物ですから、そういったものも購入できますし焼き物をする為の道具も販売されていますセンターの前には織部っぽいうながっぱ桃山時代に古田織部の指導で土岐付近で作られ始めたた織部焼は、志野焼とともに美濃焼の代表格だ。土岐氏の流れを汲み、この辺りを本拠にた多治見国長は、後醍醐天皇による鎌倉幕府の倒幕計画が事前に発覚し、首謀者が処分をされたという正中の変に加担をした武将で今も地元で人気があるんだとかそんな多治見駅近くのバロー文化ホールで2月に行われる吉本お笑いライブ貸切り公演は、いつものバローとプリマハムとの懸賞で、A賞は4名招待150組、B賞2名招待の300組とあり人数も多いし、名古屋ではなく多治見なのでこれは当たりそうだと思いつつ、年末にいそいそとプリマハムを食べていたが同一家族が同時当選は珍しいのだけど、息子はA賞4名招待、娘はB賞ペア招待が当たったので家族で行く他に息子が友達でも誘えばいいか。ちなみにプリマハムを千円以上購入のレシートで応募するA賞は1口しか応募をしていなかった 平成30年に、岐阜県多治見市内で撮影にほんブログ村
2019年01月09日
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やっと家族も今週からは会社に出かけ、朝寝坊もおしまい。通常運転のいつもの冬の朝となったが、寝坊(午前8時位)がたたり眠たい午前6時起床。午前4時頃に起きて再び布団の中で見る夢は、結構起きてから内容を覚えているものだ。今朝はイケメンの斎藤工が出てきた。子供の頃から芸能人らの夢を見るのは得意で、一富士二鷹三茄子と言われる今年の初夢も、私の場合は堺雅人、佐々木蔵之介、遠藤憲一が登場したこいつぁ~春から縁起が・・・。という訳で昨年のお正月は一泊ドライブで、富士山を間近に見てきたが、今年は経費削減。旦那の運転による、日帰りドライブで出かけた先は名古屋の東山動植物園先週の土曜日(5日)に出かけてきたけど惜しい! 日曜日なら爬虫類と記念撮影が出来たのに(先着) 出かけた土曜日には受験生に、人気の木から落ちないコアラのうんちを使ったしおりプレゼント。開園し30分後には着いたが既に配布予定数終了といっても名古屋に出かけた私の目的は動物を見るという他にもあった。年始の賑わいを見せる名古屋の繁華街で昼食をとってから、セントラルパークを北上し目的のお店へ残ってた~~! タリーズのお店のある土岐アウトレットや名古屋に、お正月に行けるかわからないので、年内の予約も出来なかった人気の福袋ゲット~! 1万円はシンプルにコーヒー一筋な感じだけど、5千円と3千円のはノベルティがかわいいこんな干支のイノシシのリュックを背負うベアがおまけについているのだ(3千円)5千円のはイノシシの被り物をしたベア横からは、イノシシというよりハムスター足や手も曲げれるのでちょこんと座る事も出来る。茶系と淡いピンクの二色ランダムに入っているけど、欲しいと思ってた方で余計に嬉しかったしこれは三千円の福袋で、タリーズのショートサイズならどれでもOKのドリンク券が5枚入っているので、これだけで2千円にはなるし左のグアテマラのコーヒーも千円位はしそうなので福袋代は元が十分に取れる。ここのドリンク券の有効期限は6月末までなので注意して使わねば他にも缶入りキャンディーやドリップコーヒーとかもついているが、福袋のトートバックがアパレルブランドのオンワードとコラボしてすごくしっかりと作られている。内側にはポケットの他にドリンクホルダーもコーヒー一途なドトールや、ギャンブル性もありそうな、抽せんに当たらないといけないスタバよりも、私的には好みだ。そして地元中津川にあるコメダ珈琲店に元日に出かけてこちらでも福袋を購入。5千円と7千円とがあるそうだが、ここでは7千円しかなかったここもタリーズ同様に年内に予約が出来るので、5千円のは売り切れたのか最初から7千円のしか販売してなかったのかは不明だけど、とにかく購入が出来て良かったコーヒーチケット(10種類位のドリンクで使用できる)10枚は使用期限はなさそうだけどミニシロノワール券2枚と、スナックチケット4枚の方は2月末までに交換しなきゃいけない更に、購入店(限られたお店のみのも)でしか利用出来ないのが注意点だ。これらのチケットだけでも7千円分位はしそうだ他にもコメダの紳士のイラスト入りトートや重宝しそうな蓋つきのステンレスカップにカード入れ、ドリップコーヒーにスティックコーヒー、お豆、卓上カレンダーなどがあり11000円相当らしいここ一週間で娘と2回出かけ、モーニングセットの付いたコーヒー等2杯×2、ミニシロノワールに、大きなハンバーガーを貰いこれでもう2500円位を消化済み。4つに切り分けてくれているのも有難いスーパーのバローが経営をしている地元ルビットタウンも色んな食品系の福袋が売られており、1500円の味の素のはバローのエプロンをしてるキティちゃんスーパーとのコラボも面白いノベルティこちらは500円ギフト券×4枚の入った二千円のサーティワンアイスクリームので有効期限もないし、確かおつりも貰えるすぐれもの。しかしノベルティは学生向きついお得過ぎて2つも買ってしまったのがスーパーのオークワにあった千円の福袋で最近、値上げしたばかりのバスクリンのだ昨秋、バスクリンの4つの入浴剤が入って合計すると2千円位になるんじゃ。もしも特売しててもこんなお得に購入は出来ないと、思って2つ買ってしまった。満足~既に紹介済みだけど、クリスマス過ぎに購入した福袋の、ポケモンとコラボのミスタードーナツ2千円。ドーナツ20個分カード(3月末まで有効)を上手に使えば3千円分購入もできる美味しい福袋自宅使いのUCCのコーヒーの福袋、千円も2千円近くは入っているし、オリジナル缶もかっこいい。今までは中身はUCCでもキーコーヒーの缶を使っていたので即、交換冬に大活躍する普段使いのニベアの福袋も千円。これらの3つの福袋は年内の購入分参考までに、再び紹介させて貰いました週末にカローラでオイル交換をしに馴染みのカーディーラーに出かけて、福袋を貰ったなんだか主婦の喜びそうなレパートリーだ少し時間を戻します。ここからは昨年末クリスマスの頃から年明けの年末年始のお得なものを時系列で紹介します先程も話に出てきた、バロー系の大型ショッピングセンタールビットタウンでクリスマスキャンペーンをしてまして5千円以上のお買い物で抽せん。娘にやらせたら衣料品チェーンの清水屋の500円チケットが当たりましたクリスマスの後には、それに関連したお菓子などが半額で売られて、上野風月堂のギフトパッケージは、見るからにおいしそうなので買ってきましたコカ・コーラのリボンボトルに付いていたくじはC賞が当たったのでラインの200ポイントをゲット。この手のラインポイントの増えてきてますし、手軽にチェンジできますお正月前の29日、30日の二日間限定で地元中津川にあり、その蔵開きも紹介したはざま酒造で、お正月用の日本酒を店頭で販売していたので買ってきましたここのお酒は、蔵開きの日記でも紹介してまずが、純米酒にこだわってお高いものが多いのですが、それよりは少し安い価格帯なのも有難い「恵那山、純米吟醸山田錦無濾過生原酒」の一升瓶2500円也はフルーティな口当たりそんなお酒を飲んで、年取りの31日の宴も終わり、「米津さんがしゃべった~」と紅白なども楽しみ、迎えた元日0時過ぎに地元の神社を参拝し元旦。睡眠時間はしっかり8時間とった御寝坊の午前8時過ぎにはお雑煮を食べ新聞広告を見たら、ルビットタウン店で初売りだってよ~! 慌てて着替え娘と開店前には並んでました目標はずばり「新春!夢の福引大会」でその朝に店内で500円以上を購入したレシートを持参し、千円の参加料が必要ですが、末等ても千円の商品券とテッシュ一箱は貰えるという、年の初めの運試し先着300名限定なので早く買って、並ぶ必要もあるので、買うと決めていた福袋を娘と私でそれぞれで買って、すぐに並んぶという作戦で娘はサーティワン。私は味の素わ~い、300本中30本の3等のハーゲンダッツ詰め合わせが当たった~!当選品の引換券を、サービスカウンターに持っていって交換をして貰ったが、参加料千円が、高級アイスになるとはお正月からハッピーだ。なんて、喜んでいたら娘からラインで肉の写真が届いた娘の方は6本しかないという、2等の1万円相当だという、黒毛和牛すき焼き用のお肉が当たったとかで、もう引き換えて肉の写真を喜んで送ってきていた。という訳で親子で初売りから大当たりな元日だった2日ともなると早くもお正月用の食材も半額となっており、松竹梅のかまぼこなどは元日から、398円のが100円ポッキリになっていたりもした高価なお肉も見切りで半額~。やっぱ娘の当たったお肉の方が美味しかった迎春用の美味しそうなケーキも半額お歳暮用の5千円もするトワイニングの紅茶(4種類120ティーパック)ギフトなんて販売価格の半額見切りで税込み1700円程だったし。賞味期限も21年とばっちりだルビットタウンに入っている、はなまるうどんのチケット300円が、5枚で1000円というのを利用して、買い物ついでにお昼にはうどん。これは期限が2月12日か・・・はなまるに、コメダ、タリーズ、ミスタードーナツ、サーティワンとチケットとかも有効期限のあるのとかは、注意して使いきらなきゃ話にもならない。正月休みを終えた中津川図書館に出かけたらNHKの朝ドラ「半分、青い」で撮影に使われたすずめと律の扇風機が置いてあった市内でおばあちゃんのお墓参りのシーンでロケが行われたのと、三菱電機の工場がありジェットタオルや換気扇、扇風機を作っている事から、風の中津川と呼ばれている事もあるのか、中津川に扇風機が寄贈されたそうだ 平成30年末から平成31年お正月にかけてにほんブログ村
2019年01月07日
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新しき年の始めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事 天平宝字3(759)年、因幡国の庁の新年の宴で大伴家持の歌で、彼が編纂をした万葉集の最後を飾っているものだ鵲(かささぎ)の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにけるこちらは百人一首での家持の歌で、さぞや風雅な生活をおくっていたかと思われるが実は宮中での権力争いに翻弄されて、地方に飛ばされたり波乱万丈な人生であったようだ人は誰しも順風満帆とはいかず、ドラマ水戸黄門のオープニングの歌にあるように人生楽ありゃ苦もあるさぁ~♪という訳でブログではいい事ばかり書いてるようでもそりゃ色々ありますが、まっ成るように成るさと開き直るお正月昨年は、春の中津川場所で相撲の巡業を見に出かけ、夏には名古屋場所を観戦をしに行ったんですが、少し早めに出かけ100円安くなった入場料で、名古屋城を姉と見に出かけましたここ最近は名古屋城の話題はこちらで賑わってます。というのも太平洋戦争の空襲で焼けてしまって、コンクリートで天守閣を作ったんですが、それも古くなってきたんで本格的に、木材で作ろうって話が出てきましてその計画されている本格的な天守閣にエレベーターを付けるかどうかなんていうのももめていたら、今度は石垣が調査が進まずに、完成が遅れるそうだ名古屋城天守閣の石垣は、加藤清正が築き1612年の築城当時のものが残されており大変に貴重なものなので、その調査や保存も慎重に行わねばならないそうだこの大きな石は清正石といい、加藤清正が自ら運搬の指揮を執ったというが、この石垣の施工大名は黒田長政であったんだとか。徳川家康から命じられ20名の助役大名らによって、名古屋城の石垣の工事が進められたそうだ土台となる石垣に使われた石の総数は、10万個から20万個とも言われており、それらの石は、石崎山篠島、幡豆(はず)をはじめとして、紀伊や讃岐地方から集められ、まさに天下普請の名城である尾張名古屋は城で持つとも言われる、名古屋城も金シャチだけでなく石垣もすごい!という訳で色々とありますが、天守閣の工事も入っており見慣れた、このコンクリートの城ともお別れだ城に向かう途中、何やら記念碑がたっていた↑ふむふむ。御三家である尾張家ですら混とんとした幕末ともなると、このような粛清が行われていたのか。ぶるぶるぶる~さてさて姉と大相撲名古屋場所だけを観覧しに名古屋に行くのも勿体ないし、会場の横にあるのは、天守閣も見納めの名古屋城その本丸御殿が完成したというので、これは見に行かねば!と出かけた次第だ三期にわかれ10年にも及んだ本丸御殿の復元計画であったが、昨年6月8日に遂に完成。新たに公開をされる湯殿書院と黒木書院は廊下も狭いというので整理券を配布しての時間制限によるものだったちょうど良い時間に整理券を受け取れて数分程で、内部を見る事になりラッキーちょっと前に作られた手前の建物に比べ奥の真新しい部分は、やっぱピッカピカ木曽ヒノキをふんだんに使って、当時の書面などを参考に本格的に復元をされた真新しい本丸御殿の奥には、お役御免となった天守閣。数年後にはどんな姿を見せてくれるのだろう本丸御殿の他の殿舎が総檜造りであるのに対して、松材が使われていたので黒木書院と呼ばれ、清州城内にあった家康の宿舎を移築したものと伝わる襖絵も色味を落とした水墨画が描かれており山水図、四季耕作図、梅花雉子小禽図というモチーフだそうだこれでもかと葵の御紋の入った煌びやかな装飾小さな細工一つでも、丁寧な仕事をされているもんだなぁ~将軍専用の湯殿と、上段之間、一之間、二之間からなるお風呂場で、上洛殿とともに寛永期に増築をされたそうだお風呂と言っても、今のように湯船ではなくって外にある釜で湯を沸かし、その湯気を内部に引き込んだサウナ式の蒸風呂である寛永11(1634)年に、三代将軍の徳川家光の上洛に備えて、上洛殿や湯殿などが新らたに作られたそうだが実際に藩主は二の丸御殿に、元和6(1970)年から住んでおり、本丸御殿は徳川将軍が京都へ上洛する際に利用をしただけで、実際に利用をしたのも二代秀忠、三代家光、十四代家茂だけであった徳川将軍の御成御殿であったので、その格式は二条城本丸御殿に匹敵した作りであり、たとえ尾張藩主でも、巡覧時のみに立ち入る事が出来尾張藩士も警備と手入れのみを行っていた流石に天下の名城だけに、金シャチ、石垣以外も見るべきものがあったのかそのような他に類のないような本丸御殿復元にあたっては、かなりの工夫と努力なども要された事だろう廊下ですら、この細工の美しさ。やっぱ木造家屋、建具は繊細で美しい。天守も楽しみだ天守ともども名古屋大空襲で焼失をしてしまった本丸御殿であるが、それを飾る煌びやかな襖絵や天井板絵などで、取り外せるものは、他所に移され無事であったそれらは、今も大切に保管をされておりそのうちの1,047面が国の重要文化財の指定を受けているそうだ。とは言っても保存上の問題もあるので、この復興した御殿を飾るものは、どれも新たに作られたものばかりで狩野派の絵師らが全精力を注いで描いた障壁画を、忠実に現代に蘇させる為にと顕微鏡やコンピュータ分析がされ、その当時の絵師が使っていた素材や技法を用い再現をされている江戸からやってきた将軍一行が見つめた景色を一般庶民のわれわれが眺める事が出来るのはいかに贅沢な事だろうか江戸期には広間と呼ばれ、武家の儀礼上で最も主要な正式の対面に用いられたのが表書院でその権力を、下位の者に知らしめる表向きの謁見に用いられていた画題は花鳥や走獣画で、技法としては金地濃彩画となっている藩主が身内などの親しい者たちと対面したり宴席を開いていた対面所は、穏やかな筆致で庶民の暮らしが描かれた「風俗図」となっている紹介が遅れたが一番最初のキンキラ金の虎だか豹の絵は、通称を虎の間とも呼ばれ本丸御殿の正式な玄関で、ここに通されて藩主の謁見を待つ者は、異国の霊獣であった虎の群れに圧倒されるという趣向です描かれた当時は本物の虎や豹を見る事は出来ず書物や毛皮などを参考に描かれたそうだ。更に豹は雌の虎と思われていたらしい廊下もまたキンピカと眩い「鷺之廊下(さぎのろうか)」は、対面所と上洛殿を結ぶ廊下で名の通り鷺が描かれている今の技術であれば金箔ももっと美しく貼れるのを、制作された江戸期の技術にのっとって、四角い継ぎ目が再現されているそうだそれにしても、このような江戸の技術を再現出来た事は、現代を生きる伝統技術後継者にも良い経験であった事だろう幾ら頭でわかっていても、実際にそれを制作してみないと腕も磨けない。名古屋城天守も伝統技術継承の為にも、本格的に木造で、当時の技術を現代に再現をして欲しいし大変に申し訳ないがエレベーターは設置の必要はないようにも思える。海外からのお客様や、将来の子供たちの為に残すといった意味でも、忠実に作ってほしいのだ観光面では痛手かもしれないが、しかし現存する姫路城や二条城よりも素晴らしいとも言われていた天下の名古屋城だからこそ、格式を持つ本格的な城であって欲しいより一層、煌びやかな天井画も描かれているのが、将軍家光が上洛する時の為に新築をされた上洛殿だこの細工の素晴らしさに羽目を見張るばかりだ本丸御殿の中でも最も豪奢な上洛殿の障壁画は、将軍御座所として格の高さを重んじ、狩野派の最高技法の水墨画が選択されたその筆者は、当時三十三歳の狩野探幽で当時、大人気の最高の絵師であった。その中でも一の間には中国明代に編述された中国皇帝の政治を絵画化し、江戸幕府将軍や大名の行動規範となる「帝艦図」が描かれている京都の二条城を彷彿させる、この彫刻欄間は最大で幅324センチ、高さ140センチ、厚さ27センチ。富山県南砺市の井波彫刻で透かし彫りの手法で作られ、京都の職人により金や極彩色で彩られた更に南砺市五箇山産コウゾを素材とした和紙「悠久紙」が、襖の下貼りなどに活用をされているんだとか。金シャチの乗った天守閣は当分見れないかもしれないがこの素晴らしい本丸御殿は、是非、その目で見ていただきたい。名古屋城の別名は金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)もしくは 金城と言う正月のめでたいブログ日記のテーマと致しました 平成30年7月21時日に名古屋城で撮影 1年間お付き合いありがとうございました 今年もまたよろしくお願いしますにほんブログ村だただ
2019年01月01日
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なんだかんだで年内にもう1本、日記が更新出来ました。11月中旬から年末にかけてのひと月ちょっとの懸賞報告や、お得なものをまとめて紹介します。ロッテとバローの共催での商品券は、福袋や日々の買い出しですぐ無くなりましたが今月、一番うれしかったのは久々に電化品が当選した事で、ホームベーカリーは以前にも2台当選し、3台目になりますがパンの他にお餅もつけるみたいですこれは缶コーヒーのジョージアを5缶以上を購入したレシートで応募する全国区のもので締め切り間近の6缶パッケージ特売298円の時に1度だけ応募したもの。コカコーラ社はかなり相性が良くてベトナム旅行ペア招待やDVD録画レコーダーも当った事がありますし夏には、おーいお茶!の小さいペットボトルが対象品なのを勘違いし、大きなペットボトルで応募して全敗した痛恨のエラーを冒しましたが今回はしっかり小さな方で応募して、スイーツカタログが当たりました。リベンジ成功これは当たりそうだと直感した、東海CGCとヤマダイのお高めなこだわりカップラーメンの凄麺の懸賞で、息子の名前で1口応募で当たりました。先程の伊藤園も息子ですが、食べ物系当選は昔から息子が多いです私が以前に懸賞をしていた頃からやっていてテレホンカードも当たった事が何度もあった秋口のバローと新作チョコ(各メーカー)の懸賞でお菓子のセットが当たりました。息子ではなく私の名で当たりましたお肉好きの娘の名前で当たったのはバローとコーミソースのタイアップ懸賞で、三元豚のロースとんてき用のお肉。やわらかくって美味しかったですよ。今月はバロー系での当選が少し目立っていたかなネット懸賞は大量当選が特徴で、新製品の宣伝の意味もあるんだと思うんだけどもSNSとかで拡散して貰える可能性もあるしこのカンロの飴もかなりの当選数だったクリスマス前に盛んにやっていた、ラインのキャンペーンはソフトバンクので20ポイント当たりましたよ。金額は少なくてもコツコツやればネット懸賞はよく当たるコンテンツかもそして秋に姉とNHKホールでダ・パンプや三浦大知など、流行りものの歌番組収録を観覧したけど、今度は中津川駅から電車で1時間程の愛知県瀬戸市で、民謡魂の収録観覧が当たった。司会のTOKIOの城島さん昔からファンなので楽しみだとかブログをアップした時点(28日午後)でおやつカンパニーとピアゴのタイアップでの商品券。今月はないかと思ったピアゴの当選あって、ほっとひと安心ここからは福袋。なんだか今年はクリスマス終わった途端にスーパーで、福袋とか年賀のお菓子などが販売してまして、UCCの福袋を購入しました。2000円近いような商品&オリジナル缶セットが1000円はお得です愛用するニベアの1000円の福袋で、10個以上は並んでいたのが3日位で完売してました合計で1500円はしそうだし、乾燥する冬の時期にニベアは必需品ですもんそして毎年のお楽しみの福袋であるミスタードーナツですが、今年はポケモンとコラボをしてるんで、ピカチュウのドーナツも大人気店頭に出た途端に売れてしまうという状況で何時に焼きあがりますという、店の掲示した時間直後に来店し購入できましたが福袋も通常のものの他に、ポケモン版のも登場当日分、限定数発売というので11時過ぎには2000円のが1つだけ残っていたのを無事に購入。税込み172円までのドーナツ20個分(3月末まで有効)カードだけでも購入次第で3千円以上になる上に、グッズも付くんだから別にドーナツ20個は一度に交換しなくても期間中に、1個、2個と来店時に利用が出来お店によって千円、二千円、三千円とセット内容も違いますよ。↓後で出てくる郵便局のカレンダーは惜しくも大安とか書いてないがミスタードーナツのはちゃんと友引とかあり好感持てましたさて平成最後の年賀状だが、通常の他にも春に同じ番号でくじが当たるそうだ。購入する時にも50枚以上の場合はくじもあり景品も色々と貰えた。直前にプリンターの具合が悪く、念の為に今年は寄付金付きの67円を奮発したが、無事に印刷もできたここからは郵便局の定額貯金や、銀行の定期預金の景品のまとめで、夏のも紹介してないので、冬と夏の総決算。最近は金利も雀の涙なのでせめて景品だけでもゆうちょ銀行の冬のWハッピー・キャンペーンはカンタン酢の他にもカイロとか細々なものもオマケして貰えた同じキャンペーンだか100万円の方ともなると、本来の景品のだし取り職人の他に秋のキャンペーンの残りものらしい新米とか全国の郵便局長さんたちが撮影した写真入りカレンダーも貰えた(↑先程、紹介したもの)名前だけは知ってた、北海道のゆめぴりか食べれるし~!今春に定年退職した旦那は、高齢者再雇用で給与も半減、ボーナスも無くなったが預金が出来るのは、年金方式の部分をのぞいた一時払いの退職金を多少は貰えたので、それを分散をして定期などに預金をしたのだ。岐阜信用金庫はムーミンのブランケット地方銀行の十六銀行(岐阜県)だけど、ここ最近はくじを引いて、当たったら景品が貰える運試し的なものになって、選べるミニグルメ当選でカレー2食入りをゲット。他にもアルミホイルも貰えたが、娘の方のは他店舗で外してポケットテッシュ2個はしょぼすぎる・・・・ここからは夏のボーナスキャンペーンで、定年時の4月末まで正社員で働いていたので、期間分だけど最後のボーナスを貰えてしみじみ。先程の十六銀行夏のクジではウォッシュタオルが当たって、他にもネットクリーナーも貰えた。とりあえずはくじ運があるのか景品にはありつけている最近、一番スゴイと思うのがJAバンクなんだけどちょリスのグッズの他にも、もう心惹かれたのが確か20万円ごとに、500円のJA店舗で利用が出来る金券だけでも、実質0.25の金利が付いたような破格のもの明知鉄道のグルメ列車に乗る懸賞(外れた)が魅力的だったので、わざわざ口座まで作った東濃信用金庫は、地元の選べるグルメ品が貰えるというので夏らしくそうめんを選ぶ。他にキッチンペーパーも岐阜信用金庫は、夏らしくかわいい絵柄のたち吉のミニグラスで、ヨーグルトや梅酒などに重宝しそう。他にピカ王やテッシュも冬には大盤振る舞いだったゆうちょ銀行は、夏らしく麦茶。しかも30万円以上定額貯金の場合はくじも引けて黒豆の麦茶もWゲット~! 他にもこの夏にちょうど定額貯金が10年満期になったものがあって、それを再び定額貯金に預け直すキャンペーンがあって更にお金を足した場合は、他にも景品が貰えた。10年前の金利は今よりもかなり良かったのに、今じゃ0.01だし税金も引かれるし夏にも福袋? ユニー系だったコンビニのサークルKが、ファミリーマートと一緒になったので次々に、秋にかけて新装開店しそんなファミマのオープンセールで、バナナ貰って、お菓子の福袋も購入500円の福袋には100円位のお菓子が7袋入っていた懸賞報告でお菓子の詰め合わせが当たったバローの各社の新作チョコのキャンペーンで販売されていた新作チョコが、見切りとなりどれも100円になってきたので、幾つも購入出来たここからは秋から冬にかけての、もれなく商品についてくるオマケ特集。旦那が好きなので、コカ・コーラのゼロはよく購入をするのだけどハロウィン期には4本購入でトレーが貰えたり磁石で収納ケースが冷蔵庫とかに付けれるというものとか更にはミスタードーナツの無料引換券が付いたものも。88円(78円も)販売のペットボトルに、100円以上の景品がもれなくついてくるなんて12月はマクドナルドのハンバーグや、ポテトSサイズ(150円)が付いていたので、タダで貰うのもなんだかなぁと、100円のコーヒーにタダのポテトで休憩したりした定価は数百円位するUCCのレギュラーコーヒーが398円と格安価格な上、ディズニー柄のコップ&オリジナルジャーバックも、店頭販売で貰ったしかもリッチブレンドは40g増量してるし旦那はネスカフェゴールドブレンドも好きなんで、在庫も無くなったので398円でスティックコーヒーのおまけがついたのがあったので購入。やっぱキャンペーン期間などは、価格は安くて景品も付いたりする伊藤園の茶葉パッケージをを800円以上購入すると貰えるイワキの耐熱ガラスの急須はお茶の他に紅茶や、コーヒーなどなにかと重宝をしている1000円の福袋を買ったニベアだけども秋には50周年の記念で、さくらももこさんデザインの記念パッケージのものが販売をしていたのでそれも購入している。テレビで言ってたが手の保湿クリームとかもたっぷり1日9回!は塗る必要があるそうだ。そりゃ事ある毎に手も洗うし、朝夕2回じゃ・・・一昨日、衝動買いをしたのはライオンの食器用洗剤で、リサ・ラーソンのにゃんこ柄のボトルが欲しかったので。本体も増量中だったお得だなぁ~とまとめ買いをしたのはP&Gレノアハピネスの詰め替え用228円だがアロマジュエルのお試し用ボトルもセットになっていた。実はレノア本格消臭派なんだが娘にねだられたのはこじゃれたグラスのオマケが付いたサントリーのスパーリングワインのカヴァフレシネ(1280円)この手のグラスは、みんなオマケばかり利用しているところで日本のウィスキー人気が高まる中ウィスキーが品薄になり、手頃なキリンの富士山麓樽熟原酒50度が販売を終了するというので1本(1280円)購入してきた娘が静岡にいた時のスーパーなんぞ富士山グラスがおまけについて798円で販売をしていたのに、なんだか残念だそんな中で食器棚を整理していたら、奥の方から、国産ウィスキーが何本も出てきて嬉しい。サントリーの山崎や白州蒸留所の限定販売シングルモルトのも。でも気軽に飲めないよ~秋口に各社でウィスキーのキャンペーンをしていたのか、手軽なウィスキーにそれぞれグラス、ミニジョッキ、タンブラーが付いていた。夏はビールな我が家も秋口からは焼酎日本酒、ウィスキーといろんなお酒が晩酌で 平成30年夏から冬にかけてにほんブログ村
2018年12月28日
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今年もあと数日となった。このブログの更新も今年の最後になるのかな。あと1回位はしたいけど、旦那が金曜日からお正月休みになるので、パソコンの前でまったりする事も当分は、出来そうもないさて、遠くに恵那山も鎮座する急こう配の棚田の風景は中津川市落合の大久手地区からの風景。少し前になるけども11月11日。ポッキーの日に車でいつも通るが歩いたことなどないこのあたりをてくてくと散歩をしようと思いついて市街地で買い物をした帰り道、旦那が運転する車から降りて、娘と馬籠まで歩く事にしたこのあたりからの風景は、岐阜県を舞台にした今年のNHK朝の連続ドラマ「半分、青い」で、おばあちゃんのお墓参りに家族そろってやってきたシーンでお馴染みかもしれない少し左に目を移すと恵那山。そこまではテレビでは出てはこない西の方を見れば、よく夕焼け風景で登場する笠置山の優美な姿11月に突入しながらも、今年は暖かな晩秋だった為に、てくてく散歩も暑くもなく、寒くもなくちょうどいい感じ路傍の石仏とは言っても、やっぱ11月だけに紅葉なども始まっており今年も、特には紅葉の名所なども行く機会もなく、近所でお茶を濁す有様だ大久手地区から、いよいよ山間の中山道の石畳に入るここも近い割には、3度位しか通った事がなくって、せいぜい15年に1度程度かこのあたりは、オリジナルではなく後世に整備した石畳のようだ↑詳しくは、看板を読んでくださいとぎれとぎれに江戸時代に敷かれた石畳があるのだが、どこの部分にあたるのか、イマイチわかんないたぶん、このあたりが古いものだとは思うのだけど自信はない。お城の石垣ならば、はっきり時代もわかりそうなものだが山深い中山道に、日の光がさす苔むした石畳にもとりあえずオリジナルか、復刻版かはわかんないですが結構、でこぼこしてますね。この辺り落合の石畳も抜けて、馬籠荒町地区に入ってきました。是より北木曽路との石碑はかつては美濃と、信濃の国境に建ち、島崎藤村の文字であるそうだこちらは一里塚跡の石碑。本来の一里塚はぽこっと盛った小山に樹が、道の両側に一つずつ詳しくは、↑でこちらは道の反対側の松尾芭蕉の「送られつ送りつ果は木曽の秋」の 句碑なんだか、のんびりと里の秋を楽しめるなぁ。こんな近場観光も時には楽しいし番犬のわんこが吠える。うちのあたりは柴犬がやっぱ多いような気もするこちらのお宅は、こんなににゃんこがいるのかぁ~知らなかった! この道は細いので、普段はあまり通りもしないがここからの夕焼けがとても綺麗なので買い物の帰りに、たまに旦那の運転でまわって貰う事もあるかつては信州サンセットポイント百選にも選ばれたけど、平成の大合併では岐阜県にお引越ししたし・・・そんな時に、車をちょっと停めるには良い車の除け合う為のスペースはアスファルト馬籠あたりの中山道は、当時の風情を出す為に、少し高価な石の入った茶色い舗装だこちらは正岡子規の「桑の実の木曽路出づれば稲麦かな」の石碑数多くの文人墨客に愛された木曽路も、今や海外からの観光客が歩く方が多いくらいだでも冬場は寒いのか、最近は外国人の姿も殆ど見る事はなくなった。この日は栗きんとん購入のついでなのか、日本の人ばかりだったし写真はとりあえず撮影した順番に載せてあります。ええ感じです昔から地元では美味しいと評判の湧き水だけど、水質的に飲めるかは不明岐阜県はモネの池が評判だけど、遠いしなかなか行けない。今年は半分、青いで東濃地方への観光客が増えたけど再来年は明智光秀で、生誕地の岐阜県が脚光浴びるかも。ちなみに生誕地は諸説あって可児市の明智城だとか、恵那市の明智町や、山県市、瑞浪市、大垣市とか色々あるが、美濃の国(岐阜県)であったのは確かみたいだユダヤ人に命のビザを発行した杉原千畝も八百津町と美濃市がどちらも生誕地として揉めているらしい。なんと中津川市街でも子供の頃に住んでいた時期があったらしくその家のあったあたり↑今は、↑中津川図書館となっているあたりにあった中津町立尋常小学校(南小学校)へ入学したそうだ。中津川に住んでいたのは1年半だったらしいが千畝関連の↑2枚は、参考で載せましたが中津川市街地にあり、中山道にも近いですかつての木曽郡山口村のもの。今は中津川市馬籠となった見上げると紅葉の樹路傍の双体道祖神いよいよ馬籠宿も間近となった。馬籠の鎮守の諏訪神社は宿場ではなく、少し離れた荒町に建ち、夜明け前の主人公のモデルである藤村の父、島崎正樹の石碑が神社の入り口にあります(写真は忘れた)車であれば数分もかからない道を、てくてく歩いてこそ、普段は見逃していたものも見え感じるものもあった秋の週末だった 平成30年11月11日に中津川市内で撮影にほんブログ村
2018年12月26日
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この奥の方にかつて娘が一人暮らしをしており家から車で2時間程で行ける事もあり月に2度3度と遊びに出かけていた。更にさかのぼれば娘が大学入学をして以来10年以上の松本通い例え娘が家に戻ってこようが、一度覚えた松本通いがそうそう辞めれる訳もなく。流石に月に何度はいかないが年に2度、3度は旦那の運転で家族で出かけている特に12月上旬は、塩尻の親戚にお歳暮を持参し、舅や姑に頼まれた年末の買い物を松本くんだりまで。ひょえ~店舗の写真を撮り忘れたが、まずは三澤珈琲の塩尻店でモーニングその日の珈琲をおかわり1杯が付いて、3つのコースから選べ、娘は一番お得なトーストのセットに、トッピングでヨーグルトを頼んだのだが、50円だというのに半端ない量だ! 塩尻からは混雑する国道19号ではなくて東側の山麓の道で松本で。こちらはこちらで松本市街から諏訪方面に早く抜けれるので結構な交通量だ。最初の方の写真もこの道からの景色だここから見るアルプスを背後に、山に抱かれた感じの松本市街が好きだ。こう見ればなかなかの街かも。お買い物などもあるし娘だけ松本駅前に下ろして、午後にイオンモールで合流をするという事で娘を下ろしてから旦那と一緒に、車で15分程木曽へ戻る形になるが、道の駅今井恵みの里へここで姑に頼まれた名産品の長芋、一袋千円を数袋。近所のおばさんも楽しみにしており購入を頼まれているので来ない訳にいかない舅からは玄関先に飾る葉牡丹の寄せ植えでこれで1200円程だが、うちの方ではこうゆうのは売っていないので、いつも松本で購入をする更にシクラメン780円。うちの方でもシクラメンの産地なんで、ない事はないと思うけど、松本のお店はとにかく種類が豊富なので気に入った花が見つかる。今回紅白でめでたそうなのを道の駅で長芋や果物を買って、その後には花屋で葉牡丹とシクラメンを購入をしたらおっ、そろそろ飛行機がやってくる時間じゃないのかな?と気が付いて、花屋から車で数分程の信州まつもと空港に立ち寄ることにした。一日合計で3本しかないFDAの福岡便と札幌便があり、福岡からの飛行機がやってきた松本空港の送迎デッキからの他に、その向かい側の公園。お気に入りは北側の小さな公園で発着を間近に眺められるが今回は図書館のある東側の公園から眺める事にしたここには図書館の他に、夏はプール。大きな子供用の遊具もあるので、子連れの利用客が多く、飛行機の発着時間になると幾人もあちこちから集まってきていたあっという間に飛行機は、眼の前を通り過ぎ直角に曲がって信州まつもと空港に到着した。あと30分もしたら再び福岡に飛び立つので、折角だしそのまま見物をしていこうと、草っぱらで座ってたら、赤とんぼ今度はこっち向いているこれって靴の上を歩いているのではなくって飛び立っては、またまたスグに戻ってきていたのだたぶん同じ赤トンボだろうか。随分と気に入られたもんだ少し風はあったけど、いつもの12月の松本に比べたら暖かな昼下がり子供は元気がいいねぇ真っ青な空に、どこかへ向かう飛行機今年は韓国、北海道とセントレアから向かうが、イマイチなお天気や、夜で窓際に座りながら景色が楽しめなかった次は日本列島のパノラマが楽しめたらいいのになぁ~。あっ、帰りは夜かっあっという間に30分が過ぎて、準備万端、飛行機は滑走路へとそれを見守る人たち。セントレアは大きな飛行機が沢山飛ぶけど、滑走路が遠いのでここの方が、FDAで本数が少ないけど迫力ある発着が楽しめる静岡が本拠のFDA(フジドリームエアラインズ)は2009年から運航を開始。参入に際し正副操縦士22名、整備士35名を採用した。1号機は赤色でその後に水色、ちびまる子ちゃんとタイアップをしたピンク色と着実に増えていき今では12機を所有しており、その一番新しい飛行機が、今年春にデビューをしたJA12FJで機体ベース色が白色の為、ロゴや、エンジン、カウルを赤色でデザインされているわ~い。ピカピカの新色の12号機だぁ!飛行機は西の空へとすごい望遠レンズを持っている人ならば、雪を抱く北アルプスを背景にした飛行機を撮れるがすごいどころか、しょぼい望遠レンズも持ってこなかったので飛行機は豆粒だお昼の飛行機も見れた事だし、お昼ごはんはやっぱりお蕎麦。先程の塩尻から松本への景気の良い山麓の道にも近い、そば処白山ここはボリュームがあるのに、お安い価格設定なので地元で人気があり、駐車場になかなか車も停められない程だ。野菜の天ぷらもこれで300円。旦那と半分こお蕎麦は一九蕎麦と、少し高い十割蕎麦があり旦那は一九で、私は十割蕎麦を頼んだので少し少し交換もして食べ比べてみた。写真は十割で、娘と松本のイオンモールで合流してからいそいそとイオンモールの一杯飲み屋さんへ娘はおつまみの付いた赤ワインを頼み私は信州の地酒の飲み比べセット。ちびちびやろうとしたが、横から娘が手を伸ばしてきて落ち着かない。一番おいしいのをぐいっ!と飲まれてしまった。運転手の旦那はどこかのベンチで待機中イオンモールもぶらついて、そろそろ帰ろうかって、車で帰宅をしているとなんだか虹っぽいものが・・・・。そうそう週末にピークだったふたご座の流星群は、家の裏でほんの少ししか見てなかったけど2つ流れ星が見れました。そのうち1つはかなり大きくて綺麗でしたよさてさて、ここに紹介をしきれませんでしたが今夏も松本に行ってきました。こちらの目的は松本波田の名産品であるスイカを購入しに先程の松本今井や山形村の長芋畑より、少し北側で栽培をされています例年、JA松本ハイランドではスイカのシーズンに直売をするスイカ村を開設。JA松本ハイランドの取り扱うスイカの他に、地元農家の直売コーナーもあって、人気が集まりますしかもスイカの試食も、あちこちで行っているので、もうお腹いっぱい。今回は旦那が会社の有休消化デーで平日休みを取ったんで娘はおらず二人でスイカ目当ての松本ドライブスイカ村のすぐ近くには何度か出かけている山形村の唐沢そば集落で。今回は前にも一度出かけた事のある「そば幸」さんへお蕎麦が出てくる前に箸休めのお漬物カリコリと美味しいサービスです私は名物の山芋が乗っている、ぶっかけのやまっち蕎麦。これはこのお店だけでなく山形村の蕎麦屋がご当地蕎麦として、売り出しているメニューだ普通のお宅のお座敷で、お庭を見ながら食べるスタイルは、富士吉田のうどんを思い出したりもさらに車は北上し、昨年購入をした信州の温泉を幾つも無料(&割引)で利用が出来る物味湯産手形で無料で入浴ができるという大町の「湯けむり屋敷薬師の湯」へ湯上りの帰り道には、安曇野の北アルプス牧場でほわほわのソフトクリームを賞味といったドライブだったが、お天気は今いちだったので山の写真は全くなく、飛行機も見に行かなかったお土産は勿論、お目当てのスイカで中に空洞や、割れがあるかもしれないという訳ありのお得なスイカを購入したのだが空洞も割れも全くなくって、とっても甘くて美味しいスイカだった。また来夏も行くしかないしさらに道の駅今井恵みの里で果物も。普通の桃の他にも、おっきくて美味しそうなのを1つ。それでも150円だしね夏でも林檎に、娘の大好きなワッサークィーンこれは信州須坂で、ネクタリンと桃を自然交配して出来た果物。なかなかこちらではお目にかかれないので、この時期の松本行きはこれも目的の一つ。信州のスーパー、ツルヤで購入♪ 平成30年12月上旬(&今夏)に信州松本で撮影にほんブログ村
2018年12月20日
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もう今年も残すところ2週間余りとなってしまいましたが師走というのに何がなんだか。年賀状もそろそろ印刷をせねば。前にプリンターの調子が悪そうだったので、念の為に(高いけど)イラスト入りのものにしてみた何でも平成最後の年賀状との事で、来年のものは、通常の他に4月にもクジの抽選をするそうですよ。ちゃんと年末ジャンボも購入したし・・・しかし何だか師走らしさがいまいち感じられないのは旦那が先週の月~金に続いて、週末だけ帰り再び今週も首都圏へ出張に出かけているから年に何度となく出かけるんだけど初めは駅の構内で買うようなお土産系スイーツばかりで娘がそうゆうのじゃなくて地元の人が普段食べるような普通のものが食べたいとリクエストをしたので、世界一売れるという高速の海老名サービスエリアのメロンパン(それを地元の人が買うかは?)とか、行列が出来る全国区のベイクのチーズタルト。その日は珍しく行列がなかったそうなのでしかも珍しく息子の方も同じ期間に、愛知県へ初出張。流石に二人もいないとノンビリとした冬の夜長に娘とよからぬ相談をヒソヒソ。平成最後の年明けに二人で、何処かに旅行をしようなんてネットであれこれ物色。北海道や近畿や瀬戸内のふっこう割は1月中で、既に売り切ればかりで、残り少ないものも日にちが合わない函館、札幌2泊3日で29800円だよ~。とは言っても今春に行ったばかりだしなぁ~、そのコース。寒いの苦手だしなぁ・・・。てな感じで四国に行った事がない(他に東北地方と鳥取県)から、四国のふっこう割で金毘羅さんにでもと思ったが、娘がシブイから嫌だとまっ、寺に城に、山に川・・・岐阜県とそうそう変わらなそうだけど、海があるぞと言うが、坂本竜馬の彫像を見て何が面白いと娘に言い返されると却下されてしまった。台湾の旅行料金が高いしキャンセル待ちばかりで、韓国にした経緯があるので台湾は?と思ったが、やはり高いし・・・ここが催行になったらいいなぁと思っていたツアーを時々のぞいていたら、催行どころか残席少なめに、あっという間になってたのでよっしゃ~!と申し込んだ。日本より海外の方が安いくらいだけど、釜山に比べてやたら燃料サーチャージ料高いし、なんだかんだで1万円以上は追加しなきゃいけなくなったこれに海外保険も入らなきゃいけないし、更にセントレアを午前発で、夜帰着というある意味では効率の良い旅行だったので、集合時間には時間のかかるうちの場合は辿りつけない危険もあるので前泊決定。帰れない訳でもないが深夜帰宅は次の日がツラいという娘の要望もあって後泊までそんな訳で2泊で1万円ちょいかかるので、最初2万円台だった旅行代金もみるみる膨らんでいきおこづかいも考えたら一人で数万円と2倍以上になってしまったので、同レベルの国内旅行とも同じくらいの価格となったか。行先はブログでの報告のお楽しみって事でてな訳で見事に苔むした石垣です。バロー系のドラッグストアチェーンのVドラッグと、養命酒合同のキャンペーンで当選し信州駒ヶ根にある養命酒の工場の見学にペア招待というので12月上旬に姉と出かけてきましたバスの集合場所は名古屋駅の他に、近場の岐阜県多治見駅も選べたので太多線を使って30分の姉と中央線から40分の私にはちょうど良い集合場所だまっうちから車で1時間30分で、よく出かけているお馴染みのドライブ先ではあるが伊那谷に殆ど行く機会のない姉も一緒に行けるし工場見学のほかに、光前寺の観光や、お昼ご飯も付いているし、きっと企業系のイベントはお土産なども貰えるのではないかと。近場観光でもあり多治見で集合時間が10時チョイ前、解散予定も夕刻5時位というのも主婦には良いしといった訳で旦那の出勤の車に乗せて貰い中津川駅から電車で多治見へ。そこからは金シャチバスで。恵那峡サービスエリアで休憩を入れてお昼に駒ヶ根に到着。本当はご飯が先でしたが写真の関係で、その後のお寺の方を紹介していますお昼ごはんを食べた人から、集合時間まで自由にお寺を見学する訳でして、このお寺拝観料がいらないのが良いです。でも参道長いので70才になったという姉が、ここで待っていると渋りながらも、参拝しましたこのブログでも桜のシーズンとかにも登場をした事もある駒ヶ根の光前寺(こうぜんじ)は天台宗の別格本山の寺院で、山号は宝積山院号は無動院。御本尊は秘仏の不動明王だ円仁の弟子である本聖の開基と伝わり、武田勝頼と織田信忠との戦いなどで罹災してしまった。武田や羽柴などの庇護を受け、江戸期には、徳川家光から朱印地60石を受けたのだが、明治期の廃仏毀釈で多くの塔頭末寺を失ったそうだ背後には中央アルプスがそびえ、そこからの伏流水なのか、延命水なる清水もそして、このお寺はやっぱ霊犬「早太郎」のお話が有名です。以前のブログ日記で詳しく書いているので↓下のリンクからお読みください駒ヶ根の霊犬早太郎と光苔。試飲に試食で大満足 紅葉輝く伊那谷で、懐かしいそこかしこ駒ヶ根の早太郎は、怪物退治をした静岡県磐田市では、しっぺい太郎として有名だそのわんこのお墓境内には大坂冬の陣で真田幸村の配下として活躍をした、駒ヶ根の上穂十一騎(うわぶじゅういっき)の供養塔もあった道明寺の合戦においては真田隊とともに伊達政宗軍と奮戦し、翌日の天王寺口の合戦では徳川本隊へ突入、本多忠朝軍と戦ったその顔触れは、駒ヶ根を治める千村氏の家臣駒ヶ岳大弐坊、春日昌義、小林義国、塩木九四郎、湯原三四郎、田中員近、北村政明、荒井圓書之助、横山五郎、北原春之助、木下大隅であった武田信玄の墓といい、信州伊那谷は戦国の雄武田、織田、徳川といった面々の領地の絡みで色んな歴史が残されている。そういえば大河の井伊直虎の幼馴染の亀之丞(井伊直親)が逃れ隠れ住んでいたのも伊那谷だった今は片田舎のような伊那谷だが、更に時代を遡れば畿内 (大和) と東北地方を結ぶ大動脈東山道が通って、古くより多くの人が住んでいたのだ名物のヒカリゴケはシーズンが違うので見れないが↑のリンク先の初夏の日記に、写真があるので、そちらでご覧ください桜も見れない。う~む、ここのしだれ桜も見たはずなのに日記が見つからないし。あっ別の季節のは、またあった来年は数えでなんぼ? 駒ヶ根光前寺やはり日本には四季があるから、美しい桜も晩秋の紅葉も、真冬の雪も、春の新緑もと様々な時期に出かけると全く違った風景が広がるのも面白いお寺の前には何の変哲もない早太郎ポストそのすぐソバにあるのが、お昼を食べた「元祖光前寺そば やまだや保翁」で、団体用のお料理のようだが、なかなか美味しそう量が少なめ?と思ったらしっかり一人前のお蕎麦が出てきた。わ~いお蕎麦だといったプチ観光とお食事も終えて、やってきたのは養命酒の駒ヶ根工場。ここも家族でドライブで年に1度はやってくるが、いつも販売&軽食コーナーしかいかないので工場見学の方は数年ぶり? たぶん2回位しか見学をしていない山本五十六も愛した養命酒と、野生猿に遭遇あっ虹だ。駒ヶ根についた時の雨も上がってお天気は回復傾向とは言っても工場から見えるらしい二つのアルプスは雲の中こういったパネルで山を見るさてさて養命酒の駒ヶ根工場ですが、標高803mに位置し、東京ドーム8個分の雄大な敷地に建っているそうです昨年春にリニューアルオープンをしたばかりだそうで、約80分間の見学コースでは、「生薬」「原酒(みりん)」などの体験型の展示を五感で楽しみながら、薬用養命酒の仕込みからビン詰めされるまでの工程をガイドと共に巡るそうである養命酒の原料の生薬(しょうやく)も、実際に見て触って、においをかいだりする事も出来るでは、その生薬とは桂皮(けいひ)紅花(こうか)地黄(じおう)芍薬(しゃくやく)丁子(ちょうじ)杜仲(とちゅう)人参(にんじん)(朝鮮人参)防風(ぼうふう) 鬱金(うこん) 益母草(やくもそう)(メハジキの葉茎) 淫羊藿(いんようかく)烏樟(うしょう)肉蓯蓉(にくじゅよう) 反鼻(はんぴ) それらが、こういった袋に入って、味醂(みりん)に冷浸して作られる。その他にアルコール、ブドウ糖カラメルが添加されているんだとか。養命酒の瓶詰箱詰め作業も見学できたが、そちらは撮影禁止ですウィキペディアによれば>養命酒は、日本産の薬用酒である。製造元に残る>伝承によれば、慶長年間、信州伊那郡大草領>(現在の長野県上伊那郡中川村大草)に住んで>いた庄屋の塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた>老人を助けた>この老人が塩沢の元を去るときに、礼として>薬用酒の製法を教えてくれたものが養命酒の>起源だという。1602年「養命酒」の名で製造>開始。1603年には徳川家康に献上され、その>ときに「飛龍」の印を使うことが許されたと>いう。日本初の商標ともいわれている。>赤穂浪士が養命酒を飲んでいた記録があるほか、>1774年刊行の小説、『異国奇談和荘兵衛』に>養命酒が登場している。長らく塩沢家で製造>されてきたが、1923年には製造元が会社組織に>なった。>世界にも知られるようになったのは海軍>大将の山本五十六が養命酒の愛飲家で、>ロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻>禮次郎全権大使に同行した際に持って>いったのがきっかけと言われている。試飲の養命酒を飲んで、ぽかぽかしながらいつも出掛ける販売&軽食コーナーへ移動ここから集合時間まで1時間近く自由行動人によっては広い構内をてくてく散歩何せ上の方には遺跡などもあるようだけど一度も見に出かけた事は無い。同行者は歩くよりは売店をうろうろそして軽食コーナーがお気に入りで、養命酒に使われるような生薬を使っているヘルシーで味に少し癖のあるスイーツやドリンクとか軽いお食事目当てに出かけているのだけど今回も美味しそうなもので一服しましたよさてお土産ですがVドラッグからは貼るカイロその他のは養命酒から頂戴しました。養命酒にも使われる、アルプスの伏流水の養命水もこちらは、売店ですんごく甘い本みりんでお屠蘇を作る屠蘇散がおまけに付いていたこのスコーンは黒酢が使われているそうだあと光前寺の門前の売店で飯田の赤飯饅頭だワン! 平成30年12月4日に信州駒ヶ根市などで撮影にほんブログ村
2018年12月17日
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ここ最近、愛知&岐阜では飛行機に関する展示施設が次々にオープンしており、前に小牧の愛知県営小牧空港のゼロ戦を紹介をしたけど、セントレアにはボーイング787初号機が展示をされているそして航空自衛隊岐阜基地のすぐ脇にある岐阜県各務原にも前から飛行機の博物館があったけど、今春に岐阜かかみがはら航空宇宙博物館として、リニューアルオープンしたので、これは見に行かねばなるまいと6月下旬に旦那と出かけた娘も一緒のドライブだが、娘だけ近くにあるイオンモールでのショッピング。民間機とか軍用機、ヘリコプターなど様々なジャンルのものが屋内外に展示をされて、もうワクワクウキウキもちろん実際に空を飛んで活躍をしたものが殆どであるが、レプリカなどで歴史も学べる↑上の飛行機はこのような概要であるこの飛行する零(ゼロ)戦も、レプリカだしかし、レプリカの零戦の下に展示されているいぶし銀に輝く軍用機こそが、今回の博物館リニューアルの目玉でもある岐阜に里帰りした陸軍三式戦闘機、愛称は「飛燕(ひえん)」だ以前に鹿児島県の特攻基地であった知覧(陸軍)と、鹿屋(空軍)で紹介を少ししたけど、零戦は空軍の花形飛行機なら飛燕は陸軍の戦闘機で、長らく鹿児島県知覧特攻平和会館に展示されてきたものだ所有は一般財団法人日本航空協会で、世界で唯一、ほぼ完全な姿で現存する機体だそうで博物館のリニューアルと2016年の川崎重工業創立120周年のタイミングが重なり、各務原へ里帰りが実現↑川崎重工業株式会社が記念事業として製造当初の出荷時の姿への復元を目指し、修復を行ったものだそうですよ各務原市公式HPより、平成30年5月「飛燕」ウィキペディアによれば>試作名称であるキ番号はキ61であった。制式名称>である三式戦闘機という呼称は皇紀2603年(1943年>(昭和18年)に制式採用されたことに由来する。制式>制定は1943年10月9日>愛称は飛燕(ひえん)、部隊での呼称・略称は三式戦、>ロクイチ、「キのロクイチ」、「ロクイチ戦」などが>ある。川崎社内では「ろくいち」[9]と呼ばれたが、>二型登場後は「いちがた」「にがた」と呼ばれる>ようになった。その搭載エンジンから「和製メッサー」>とも呼ばれた>連合軍におけるコードネームはTony(トニー)であった。>これはアメリカではイタリア系移民の典型的な名前と>され、当初、アメリカ軍がさしたる根拠なく本機を>日本の同盟国であるイタリア空軍のマッキ MC.202の>コピー機と誤認したことに因んで名づけられた。>1944年11月7日、陸軍は航空機による体当たり部隊を>編成、これは震天制空隊と呼ばれた。三式戦闘機の>場合は「はがくれ隊」「小林防空戦隊」「つばくろ隊」>こと飛行第244戦隊で4機が編成されている。この>機体からは前述の通り防弾鋼板、機銃、防漏タンク>などが取り外された>武装が積まれる際にも機銃弾まで削減し、少しでも>軽量化して上昇力を上げ、体当たりを行うのである。>一部の武装はそのままにし射撃しながら突入する>戦術も採られた。はがくれ隊は11月24日の迎撃戦が>初陣であった。この日は6機の損失に対してB-29、>6機撃墜、6機被弾(86機出撃)の戦果を上げた>こうした撃墜報告は新聞で宣伝され、第244戦隊の>体当たり部隊は第5震天隊と改称された。なお1944年>末から1945年初頭にかけて、第244戦隊は50機前後の>三式戦闘機を運用していた。(中略)三式戦闘機部隊の>体当たりは第244戦隊で20回、全体で30回に及ぶ>敵機に衝突後に操縦者が機体より脱出し落下傘降下>あるいは偶然操縦席より放り出される形で結果的に>脱出、ないし損傷した乗機を操縦着陸させ生還する>ことが必ずしも不可能ではなかった点である。そも>そも戦闘機操縦者、特に当時の日本機でB-29の高度>まで飛行できる操縦者は、貴重な人材であったため>むしろ生還する事が求められていた。このため十死>零生ではないことである。>中には、飛行第244戦隊震天制空隊「はがくれ隊」>所属の板垣政雄軍曹・中野松美軍曹のように2度の>体当たりを敢行し2度とも生還したという例もあった>逆に戦果をあげる事ができず「技量不足」とみな>された操縦者が、特攻隊に左遷される場合もあった「日本陸海軍の現存機が見られる場所まとめ」東京の靖国神社遊就館と、国立科学博物館浜松のエアパーク航空自衛隊浜松広報館にここ岐阜のかがみはら航空宇宙科学博物館小牧のあいち航空ミュージアム、広島の呉市海事歴史科学館大和ミュージアム、鹿児島の知覧特攻平和会館と、航空自衛隊鹿屋航空基地資料館といった、実際の現存飛行機を展示した施設には出かけたが・・・その他にも青森県:県立三沢航空科学博物館埼玉県:航空自衛隊入間基地 教育講堂 修武台記念館埼玉県:所沢航空発祥記念館山梨県:河口湖自動車博物館愛知県:三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室愛媛県:南レク馬瀬山公園 紫電改展示館福岡県:大刀洗平和記念館鹿児島県:万世特攻平和記念館といった施設もあるので、おいおい見学にも出かけてみたいのだが・・・そういったかつての大戦にも思いをはせて↓空のカケラライブラリより、竹田五郎さんのお話「飛燕」高度1万メートルの戦いカワサキが情熱と技術力で戦闘機「飛燕」を復元、驚きのこだわりとは大きな格納庫のような展示場には、所狭しと様々な時代、様々な用途の機体が並んでいた手前の茶色のは運輸省の航空大学校で使用をされたおおよど1号(川崎航空機)一番大きくて、目を引いたのは飛燕が来る前に花形であった科学技術庁の低騒音STOL実験機「飛鳥」であろう。この名前は全国の小中学生から応募された4,563通の中から採用されたとか詳しい事は、↑をご覧くださいこの丸っこいフォルムが、なんだか良いなぁ川崎重工業で製造されて、実験機なのでこれ一機しかないそうだそのすぐ横にいるのも、かなりおっきな飛行機で、防衛庁で開発がすすめられた超音速飛行機のT2-CCV↑こんな感じの飛行機ですかつては、この岐阜の空を飛んでいたんだなぁ~そうそう、毎年11月中旬に開催をされる航空自衛隊岐阜基地の航空祭近くになると、その予行練習なのか、近くに住む姉の家の上空に戦闘機がバリバリバリとやってきてうるさいとか電話をくれる。姉は全く興味がないので航空祭も一度も出かけた事がないそうだ私もかなり前に2度程、航空祭に旦那の運転で車で出かけた事があったけど、この時期には地域行事も重なって、なかなか出かける事が出来なかった。昨年は前身である陸軍各務原飛行場開設百年の記念の年に当たり、松島基地(宮城)に所属する「ブルーインパルス」が4年ぶりにアクロバット飛行をしたそうでレッドブル・エアレースで日本人として初の年間総合優勝を果たしたパイロット、室屋義秀さんも特別ゲストとして、凱旋飛行したとかで13万人の人出があったそうだ。私も行きたかったけども地域行事に駆り出されて、泣く泣く断念ところが今年は、地域行事もなかったので今度こそ、ブルー・インパルスを見に行くぞ~!と意気揚々と。出来たら青空の下で見てみたいと指折り数えてその日を待ちまして。はい!無事に旦那と二人で航空祭に行ってきましたこうやって時代の名機をじっくりと、間近で眺めるのも良いですが、飛行機は大空を飛んでこそなんぼという部分もありますので。その時の様子は、こちらで紹介したいと思います上部から眺める光景は、圧巻です。スマホで撮影して待ち受け画像にしようかなロッキードの川崎T-33A。ジェット戦闘機↑こういった飛行機ですこちらはロッキードのF-104J。50年前の最新鋭の戦闘機だ↑詳しくは、こんな感じでしてついつい豚鼻みたいで、いくたびに正面から撮影してしまうのは、初鷹航空自衛隊のT-1で、初等訓練を終えたパイロットが引き続きジェット機で中等訓練を行う為の練習機だそうだ。第二次世界大戦後、初の実用国産飛行機であり初の国産ジェット練習機でもある頭の中にはユーミンの「ひこうき雲」 ジブリのアニメ「風立ちぬ」の中で使われていた、あの曲だ橋とか、ビルとか硬派な(硬い)ものが好きなので飛行機もやっぱ好きな方でして、日曜日にも松本に出かけた時には、時間を作って空港でFDAの飛行機発着を見てきましたが、12機あるうちの最新色今年春に登場したばかりのJA12FJ、真っ白い機体でロゴが赤いのを、うわぁ~~新色だぁ♪と喜んで見てました。その写真も今年中に紹介が出来るか微妙なところですね例年であればそろそろ今年のまとめをといった所ですけど、まだ旦那の春の退職記念旅行すらそのまんまになっているし。なんて言っているうちに早くも来年早々、例の無料の日帰りバス旅行招待のハガキも届いてう~む、今までないような方向で嬉しい。いつも琵琶湖周辺か、蒲郡か、この前の伊勢神宮くらいなものなので、なんだか新鮮。早速、申し込みましたなんか展示物がかわりましたよね。飛行機から今度は空を突き抜けて、宇宙開発をテーマにした展示物のコーナーです無論、実物ではなくって実物大のレプリカばかりですけど、なんか夢がありますよね。決して、飛行機のようなかっこいいフォルムではないけど、このような形でないといけない理由があるんでしょうね今も火星探査を行っているキュリオシティ↑ほうほう、なるほど。すいませんね宇宙開発はあんまり興味がなくて~(汗)でもアニメ&漫画の「宇宙兄弟」は好きですよ公式HPのリンクは、↓「岐阜かかみがはら航空 宇宙博物館」海上自衛隊が採用した対潜哨戒機の川崎P-2Jロッキードの開発したP2V-7を、川崎重工業が改造開発したもので愛称はおおわし。軍用機としては珍しく生産・配備をされた全機が無事故で無事に退役したという新明和工業が開発し海上自衛隊が使用した飛行艇US-1Aは日本が開発、実用化した初の水陸両用機である。飛行艇の有利な点は洋上での発着が可能である為、飛行場の無い離島へもアクセスが出来ヘリコプターよりも長い航続距離と、はるかに高速である事だ第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機YS-11は、国内民間機75機官庁34機、輸出13カ国76機など計182機がが製造され、日本をはじめとする各国の航空会社や政府で使用をされたボーイング・バートル社が開発をしたタンデムローター式のヘリコプターの川崎重工の製品で陸上自衛隊向けのKV-107ⅡA-4。日本航空123便墜落事故にも出動し、生き残った乗客を救出する姿がテレビなどで報道された機種だ 今春に60才になった旦那は、シニア割引で500円。嬉しがるよりもそんな年なのかぁってちょい悲しがる。これからは年齢確認の為に、外出時は免許証を常に持たせなければお土産はいつものマグネットのついた飛燕ぬいぐるみが重いので、うちのゆるい壁のコーナーでは落ちそう・・・(汗)大きいマグネットで補強でもするか 平成30年6月22日に岐阜県各務原市で撮影にほんブログ村
2018年12月06日
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さてさて先週の日曜日ですが、キリンビールとアピタ&ピアゴのタイアップ懸賞で当選をして旦那と二人で黄金に輝く巨大タンクを仰ぎ見に早起きをして名古屋に出かけましたなんと午前8時には名古屋駅に集合という事で、午前6時過ぎの電車に乗らないと間に合わないので、6時頃に着くように息子の車で駅まで送って貰いました。名古屋駅の太閤口には朝早くから団体客などが一杯その太閤口側の駅前は観光バスなどの発着所になっているので流行りの日帰りバス旅行に出かける人たちでいっぱい。キリンビールの係員の方がいて点呼の後に、金鯱バスに乗り目指すはキリンビール名古屋工場ですなんでも今回のキリンビール工場の特別ツアーランチ付きペア招待ですが、応募数は三千通以上だったそうでして、そのうちの当選数は20組で当選確率は150分の1以下なんだとか。う~む、そんなに沢山の応募があると思ってなかったです普段から一般の見学コースからの工場見学をしており、それには3度出かけた事があったけど、今回は普段では見れないような工場の現場に潜入をするという事で、ヘルメットとか簡易的な白衣、軍手が用意されていた20組、総勢40名は危険事項などの説明を受けてから三班に分かれ、工場内の3ケ所の見学場所の順番を変えて、まわるという事で新幹線で名古屋から西へ少し過ぎたあたりで車窓からも見れる巨大なビールの貯蔵タンクこの金色に輝く塗装はビールで、上部は泡を表現しており、新幹線や電車などから見える方向にしか施されていないそうだ。おっ、他の班の人の姿がタンクの上に見える。この巨大なタンクの上に登れると聞き、私は直立ハシゴを登ると思い込んだけど旦那はタンクの側面に沿って、らせん階段があるんじゃないかと考えていた模様。実際には・・・・数人乗りのエレベーターだった。まっそりゃそうだわな、常識的に考えればそれぞれの貯蔵タンクの上部へ行けるように通路が張り巡らされており、そこをてくてく空中散歩貯蔵タンクの高さは約23メートルあってビルの高さでいえば8階位の高さらしいが普段から山の上に住んでいるし、木曽川を見下ろす橋をよく通過するので、それ程は高さなどは感じないそれにしても壮観である。なかなかここに登れる人って、おいそれといないだろうしなにより、お天気に恵まれたのが良かった足元が悪いからとか言って、雨の日や風の強い日のような悪天候な場合は、上に登る事は出来なかったのかもしれないしそんなスペシャルなワクワク感を噛みしめながら、説明なども受けながらゆっくりと先へと進んでいった足元はこんな感じでスケルトン。写真撮影とかOKだったが、確実に落ちたら壊れるのでスマホなどの落下をくれぐれも注意するよう言われた私のスマホカバーは落下防止で手首にひっかける事が出来るので便利だスカスカの階段部などからは、23メートル下の地面なども見る事が出来て、ひゃっほ~タンク上部はエレベーターに乗れる数人程のグループに分かれていたので、私は列の一番最後で立ち止まりながらスマホで写真を撮る事が存分にできて嬉しかったもう多分、ここに登る事なんてないだろうしと、タンク自体の事ばかりを書いていたけど周囲に高層ビルも山もないような名古屋のど真ん中(名古屋駅より少し北)であるのでタンクの上から周囲も見渡す事も出来るこの大きな建物はビールを缶に充填したりとかパッケージをする工場で、すぐ西側には東海道新幹線が走っているので、車窓からこの工場を見た事がある方は多いと思う工場のすぐ北側には織田氏の本拠地であった清州城の天守閣。映画ドラマでお馴染みの信長の跡継ぎを決める清須会議が行われた城である。この清州は世界的にも超有名な漫画ドラゴンボールの作者、鳥山明さんが生まれ育ち今も住んでいる街でもある有名になっても東京に出ず、そのまま清州に住居を構えているなんて、なんだか良いなぁこのキリンビール名古屋工場の他にも沢山の工場とか、企業の本社などもあってなかなか栄えている街であるようだ豊田佐吉が創業時の常務取締役であった機械メーカーの豊和工業(旧・豊田式織物株式会社)や豊田合成、マナック、三岳工業、アイカ工業など工業系から味噌のナカモや、スイーツのロピア明治チューイングガム(明治子会社でガム製造)などの食品の他にも色々な会社の本社があるとかさて今回の特別ツアーではこのビール醸造タンク上部の他にも、工場の心臓部でもある中央管理室(?)やホップの貯蔵庫なども見学が出来ましたが、撮影禁止だったので写真はないですまっ、こんなかっこいいタンク上部の写真を存分に撮れたので良しとします。実際に他の場所は全く写真映えはしませんので。タンクの彼方には名古屋駅周辺の高層ビルが見えますが結構、近いでしょうこちらの方向は東南にあたります。遠くに山なども見えたりしますこれは中央管理室(?)の方向からガラス越しに見たビールの製造室で、こちらは撮影がOKでしたといった訳で1時間程の特別ツアーが終わると今度は、一般の見学コースもまわりましたよビールの材料である二条大麦の麦芽密閉容器に入った麦芽は食べる事が出来たぽりぽりぽり・・・ホップを二つに割って香りも嗅ぐ先程の中央管理室(?)の反対側の見学コースから見たビールの製造室アルコール分の全くない一番搾りの麦汁は私には、とっても甘くておいしく感じたが旦那にはイマイチだったようだ出来たてのビールを缶に詰める巨大なマシーンや缶ビールなどを箱詰めするマシーンなどは祝日で工場が稼働していなかった。前には動いているのを見た事があるが早かった焼き物のビールジョッキには、有名な陶芸家の作品などもあった時代を感じさせるキリンビールのポスターウィキペディアによれば>1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人>ウィリアム・コープランドが、日本で初めて>大衆向けにビールを醸造・販売した企業>「スプリング・バレー・ブルワリー(コープ>ランドビール)」を起源とする、日本のビール>事業の草分け的企業である。>1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本>国籍会社「麒麟麦酒」として新発足。第二次>世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年>(昭和29年)には、年間庫出量でトップシェアを>獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものに>する。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の>台頭までは、継続的に首位を守った>「麒麟」は、空想の古代中国の聖獣(霊獣)で、>縁起が良いとされており、命名当時、海外の>ビールで、動物名が多く用いられていたことに>ちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称>として導入したという説がある。今回のキャンペーンではキリンビール商品を含む〇〇〇円分のアピタ・ピアゴのレシートという事で本麒麟を購入したが、キャンペーンとは関係なくお中元の見切りで、2割引となっていたギフト用のキリンビールも飲んでいたさて工場見学も無事に終えて、いよいよお楽しみの試飲コーナーだ。今日の試飲は一番搾りの生、黒生、プレミアム、そして名古屋づくりと、ノンアルコール各種だがあ~~前にはシードル飲めたのに、今回はないのか・・・残念試飲会場では一人、細めのグラスに3杯まで飲めるのだが、私はビールは苦手であるがお付き合いで、プレミアムを1杯サーバーから注いでもらった。これってギフト用なんで店頭には置いてない工場限定のチーズ味の亀田の柿の種もおつまみに貰った。あっなんだか普通にビール飲めるし。飲まず嫌いな部分もあったんだろうな。うなぎも普段は食べないけど、高級旅館の夕食のウナギは食べた。(小さな声で)勿体ないからビールも材料や製法などで、色んな味わいになっており、旦那はプレミアムよりも名古屋づくりが一番おいしいと言っていた。名古屋の食べ物は味が濃いので、それに負けないような濃い味に仕上がっているらしい黒ビールは麦芽が焙煎して真っ黒になったものだという事を知らなかった。朝からキリンビール名古屋工場の醸造部門の方が懇切丁寧に説明とか、とってもフレンドリーな楽しいお話もして下さったので一番搾りを飲む時には、あぁ、あの人たちが作ったお酒だぁと顔が浮かびそうだ。この方は名古屋工場の醸造部門のトップの方で、ブログに写真を載せてもいいか確認の上、お名前なども紹介させて貰います名古屋づくり(名古屋工場限定醸造)と言うのも、今日発売の名古屋づくりの缶にはこの方の名前入りで、ご自身のメッセージも載っているというので。大勝信秀さんって何か名古屋生まれの信長に秀吉って感じで強そうだが名古屋ではなく北陸の生まれだそうだ。早速、スーパーで名古屋づくりを買ってきましたよ名古屋工場限定のお菓子や、キリンビールの限定グッズとか、もちろんビールも販売していたのでお土産にも良いかも私はプレミアムビール1杯とジュース1杯だったが、旦那は3杯だけ(生、プレミアム、名古屋づくり)じゃなぁ~なんて言ってたが併設レストラン上部にある団体用(?)の個室に場所を移してのランチは、ちょっと洋風なおべんとうテーブルに一番搾りの入った巨大なピッチャーが幾つも置かれており、もはや飲み放題状態だが奥さんたちはビールではなく、コーヒーとかも頼んでいたその上、他の種類のビールも無料で注文が出来たので、キリンビールと提携をしてるクラフト系で軽井沢町のよなよなエールを貰う。娘が好きだというお馴染みの銘柄だ旦那はラガーの方が好きみたい。私は飲めた旅の最初に貰った生茶の他に、キリンのお馴染みの商品の詰め合わせをお土産に貰ったら、その夜のお晩酌に娘が、嬉しそうに一番搾りを飲んでいた午後2時過ぎには名古屋駅太閤口で解散となったので、旦那が名古屋駅周辺の新しい高層ビルに行った事が殆どないというのでちょい散歩。左は前からあった名古屋駅のセントラルビルで、真ん中が大型商業施設のあるゲートタワー。右はJPタワー名古屋で外観がかっこいい大名古屋ビルヂング右が先程のセントラルビルで、奥にはよく出かける映画館の入るミッドランドスクエア名鉄デパート地下の北海道物産コーナーで夕張メロンとバニラのミックスソフトを二人で食べて、中京圏では当たると評判の販売所で年末ジャンボを買ってから電車に乗って、駅までは息子が迎えに来てくれた 平成30年11月23日に愛知県で撮影にほんブログ村
2018年11月27日
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ふとテレビのチャンネルをかえて、偶然やっていたのが「10万円でできるかな」の、懸賞1万通応募スペシャル。はがき1万通ともなれば10万円どころか、ハガキ代だけで数十万円はするけど10万円程度のハガキじゃ、目ぼしい結果が出ない恐れがあるからだろうけど懐かしい~。20年前に日本テレビ系列で放映していた電波少年的懸賞生活をしていた、なすびなども参戦している。それまで雑誌のプレゼント位は応募していたが私だが、実はその番組を見た事で、本格的に懸賞を始めたという経緯がある時は1998年夏。もう20年前なのか番組で触発されて、お盆休みで家族で出かけたお伊勢さんの内宮のおかげ横丁にある郵便局でお伊勢さんのイラスト入りハガキを購入して東海テレビ(フジ系)と、CBC(TBS系)の情報番組の視聴者プレゼントに応募をしたらどちらもが当選それからは色んな懸賞に手も出して、僅か3ケ月程で、8月の伊勢旅行で立ち寄ったスペイン村の懸賞に、旅での思い出なども書いて応募をしたらスペイン旅行ペア招待という大物も当選をして約10年間にわたって、海外旅行ペア招待7回10万円旅行券、車購入費50万円引を始めとし自転車3台、マッサージチェア2台、DVDレコーダー2台、ANA5万円利用権、テーマパークパスポートやスポーツ&舞台のペア招待、ペア宿泊券などなど数知れずといった感じで、我が世の春を謳歌していたのだが、10年位前に娘が大学入学もして一人暮らしを始めた事で、私もよく出かけたりもしてどたばたやっているうちに、懸賞もめんどくさくなってやめてしまったそれに以前は懸賞の情報も興味のある人が、何かで調べたりしなきゃ手に入らなかったし、はがき代もかかるしって、限られた人たちのものだったけど最近はインターネットで簡単に懸賞の情報も手に入れられて、無料でネットから応募も出来るので沢山の人が気軽にできるので、簡単に当選も出来なくなったような気もしたしとは言っても例のバス旅行招待とか、ドラゴンズの観戦チケットとか年に数度は、よほど興味があるものには応募もしてはいたけど。。。そんなんで月日も流れた今夏。近所の奥さんが「○○ちゃん(私)に触発されて、懸賞に応募したら羽生君のフィギュアスケート当たったから行ってきた~♪」と言われて、えぇ? それって・・・羨ましいなんか沸々と私の懸賞魂に火がついて、今年の夏から、再び懸賞生活を始めました。専らスーパーでお買い物をしてレシートで応募をする「クローズド懸賞」が殆どなので、当選品もスーパーの商品券(3千円、2千円、千円)が大半だったりするこのメーカーと小売店のタイアップ懸賞だが色んな条件が混在しているので非常に面倒だAメーカーの商品を入れ千円以上のレシートというのも税込みと、税抜きというのもあるAメーカーのB商品を入れた上で、Aメーカー500円を入れた2千円以上のレシートとかAとBのメーカーそれぞれ1つずつを入れて更に野菜だか肉も購入した千円以上のとかもう何が何だか。更に会員5%オフ日では5%引かれてもいいように余分に購入をする必要もあるし。対象商品購入費と切手代を引いても、それなりに収穫もあるので旦那が、春から高齢者再雇用で収入が半減もしたので、こんな形でも実収入を増やすのは重要だけど、旦那自体は懸賞の為の買い物はすこぶる嫌がる。今も昔もいくら懸賞だろうと必要じゃないものは、購入をしないんだけど日持ちのするモノなど、ちょっと余分に購入をするのでストックが増えてたりすると、懸賞の為にまた買って!と叱られる。秋なので新米プレゼントも多いようだ。うち農家だけども古い保有米ばかりを食べて、新米を食べれるのはお正月と来年の早春から。しかも岐阜産こしひかりばかりだしスーパーなどで、ブランド米を購入する事も出来ないし、他の産地の新米を食べれるのはかなり嬉しかったりするのだ。この福井産の新米コシヒカリも美味しかった~!20年前に懸賞を始めた夏に、応募して初めて当たった、東海テレビ(フジ系)の番組。その後続の情報番組では名古屋のデパートで開催をされた北海道物産展の中継での食品の詰め合わせが当たった更には後日の番組内で、コメントが読まれて記念品も届いた。こういったテレビ番組でのプレゼントも最近は多いし、見ている人限定だったりするのでオススメだその中でも、全国区のフジ系のめざましテレビはよくローソンの商品が大量に当たるものをしてて最近はダメだけど、今夏のカフェオレが当たるという7月の週には2回当選そして8月に至っては、月曜日から水曜日まで3日連続で当選し、1日あけて金曜日朝もまた当たるという入れ食い状態だった毎日のようにアイスカフェオレを飲みにローソンへ・・・。あの後のスイーツや塩オニギリのはかすりもしない。あの夏なんだったんだろ。応募者も増えたのかなクイズで当たるといった「オープン懸賞」やメーカーが新製品の販促などの為に大量に当選させるといったものは、最近はネットを利用した懸賞が主流になってきたようだ私はスマホのラインで大手企業と、お友達登録をしていると、自社製品の懸賞の知らせなどが届くので、ぽちっとするだけで当選落選がわかり、コンビニなどで引き取るといった簡単な応募のものばかりただ私も小心者だから、コンビニに出かけ当選品だけをタダで貰ってくるのも、気がひけるので、100円位のものをあと1品お金を出して一緒に購入をしてたりも驚いた事に、これなどはツイッターでフォローした上で、リツイートしただけで大量の人に先着で商品が貰えるというものだ(1本ずつ引き換え時期がずれている)私も早速、近くのファミリーマートに出かけ最初の分のを無料で貰ってきた。あと1本は来週、貰えるみたいだが、これも商品の宣伝なんだろうな。ツイッターとかSNSで貰ったみたいに写真も拡散されるだろうし・・・ラインポイントが当たったり、ペットボトルを購入すると、もれなくポイントが貰えたりとコツコツと塵も積もれば山となる方式でもともとが気軽にどこかに遊びに行きたいという気持ちもあって、やってた懸賞でもありこういった行楽系のペア招待は一番、嬉しい休日の実施でもあるので、旦那と参加をする事もあり息子が駅まで送迎してくれるそうだ更にこちらは平日の日帰り旅行なので、姉と二人で出かける事になった。いつもは旦那の運転で、出かけるドライブ先の駒ヶ根だけど今回は高速でぴゅ~と行けるそう。お土産も期待できるかな?メーカーとスーパーなどのタイアップ懸賞が主流なので、応募はがきに貼るかわいい切手最近は、シールのシートが普通になっているみたいで絵柄もかわいい最初の2つ、3つは捨ててしまったけどもそれ以降は、当選通知をファイルにためるようにしている。ネットの懸賞を別にして再開して100日程で、24つ当選している応募はがきのファイルは種類別で、これは一番、当たりやすいと言われるタイアップ懸賞。レシートに加えてバーコードまで貼るタイプも出てきた。レシートを写真で撮ってネットで応募できるのは、切手代金が浮くのでありがたいこちらはメーカー独自のクローズド懸賞で商品のバーコードを貼るもの。全国展開をするので応募数も多いが、当選人数も多い定期的に行う商品は普段からバーコードを取っておく人もいるこちらはバーコードではなく商品についたキャンペーン中の応募券とか、ポイントなどで応募するタイプ。後者も普段からためておける。ビールとかの応募シールなんていうのが有名かも先程の応募券と、同じファイルに入れてあるのがメーカーのクローズド懸賞でもレシートで応募するタイプと種類も色々その日に行く予定のスーパーなどの店頭でどんな懸賞をしているのか内容がすぐ把握出来るように、応募はがきの必要条件等をスマホで撮影して、すぐに確認できるようにしているこの写真は20年前に、懸賞を始めたばかりで当選したをスペイン旅行ペア招待で、冬休みに小学生だった娘と行きました。↓最後は同じく小学生の息子と出かけたイタリア旅行ペア招待で旦那とはハワイ旅行ペア招待に行きました。あと海外はフィンランド、ベトナム、韓国ソウル2回 平成30年、夏から秋にかけて撮影にほんブログ村
2018年11月15日
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お店も少ない田舎に住んでいるので、休みともなると、娘は大きなショッピングモールに行く事が好きで、娘が富士市にいる時は当地方にはなかった、「ららぽーと」の磐田店や横浜店に出かけた事もあったそんな今となれば懐かしいららぽーとが、今秋東海地方にも初出店をしたので、娘、早速にも行きたがる。でも私的にはせっかく名古屋まで行くのなら、ららぽーとだけでは勿体ないので名古屋で何かやってないかとネット検索したら昨秋の東京上野を皮切りに、全国を巡回中の「古代アンデス文明展」が、名古屋市博物館で開催中だというので、これは、もう行くしかないです。娘は一足先にららぽーとに行くとして、私は地下鉄桜通線で最寄り駅の桜山にGO!昨年のゴジラ展以来の市博物館到着。チケットは事前にいつものジョイセブンで800円で購入出来た。私が日本史とか好きそうだとは察しがつきそうだが、幼い時には手塚治虫のTVアニメ「リボンの騎士」や「海のトリトン」の影響で外国の歴史が好きで特に古代が好きで、大人になったらイースター島に行きたいとか思っていたけど、イースター島なんておいそれといけるもんでもないし、エジプトとかもテロあるし・・なんて感じで、いいとこイタリアやスペインのローマ遺跡しか行けてないけど遠方の海外旅行の何が嫌って、飛行機酔いと時差ボケで寝れない辛さ。それだけに地球の反対側の南米にある天空のマチュピチュ遺跡などは高山病まで加わるとなれば、まず行く気持ちも起きないしせめて南米からはるばる日本へやってきた古代アンデス文明の数々のお宝を、楽しむ事としよう♪ 博物館の入り口に、わかりやすいパネルがあったので、それ読んで貰えたらいいですアンデスと聞いて、アニメっこだった私が一番最初に思いついたのが、少年マルコがイタリアからアルゼンチンへ渡るアニメ「母をたずねて三千里」の主題歌での、♪遥か~草原を・・・(中略)アンデスに続くこの道を♪ だけども時代的にはこんな感じです。色んな文明がありましたそして黄金。この存在が今回の展覧会に足を運ぼうと思った、重要なポイントでして更に「ウィキペディア」で補足もしてみると>アンデス文明(アンデスぶんめい)とは、1532年の>スペイン人(白人)によるインカ帝国征服以前に、>現在の南米大陸、ペルーを中心とする太平洋沿岸>地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス>中央高地に存在した文明。>メソポタミア文明・エジプト文明・インダス>文明・黄河文明といったいわゆる世界四大文明>などと異なり文字は持たない。その担い手は、>1万2千年前に、ベーリング海峡を渡ってアジア>から移動してきたモンゴロイド(黄色人種)の>中の古モンゴロイドとされる。>新大陸の諸文明や諸文化は、メソアメリカ>文明や北米先住民の諸文化も含め、ことごとく>ヨーロッパ人(白人)の侵略によって滅ぼされるか>変容を余儀なくされてしまったが、アンデス文明の>場合、その一部は現代でもまだ根付いている>インカ期から続くアイリュと呼ばれる血縁・>地縁組織が機能している所もある。農具でも>斜面の多い土地では、インカ期とほとんど>変わらない踏み鋤が用いられている>アンデス文明に存在した精神世界は徹底的に>破壊されたが、それでも形を変え現代でも>生き残っている。特に、大地の神パチャママ>への信仰は、先住民社会に深く残っている>都市部においても祭りなどの中にパチャママ>信仰に基づく慣習があり、アンデス地域に住む>人々に広く浸透している。なお、これら在来の>神は、カトリックの聖人と同一視されることが>多い。 ウィキペディアより転載させて頂きました嬉しい事に、今回の展覧会は一部エリアを除きその殆どの美術品が、撮影(フラッシュ厳禁)が出来て、ブログやSNSなどを使って、皆さんも紹介をしているので私も♪ 展示(文明)順に並べようかと思ったけど自分なりに感じたテーマ別にしてました。なんかヘタウマというか、自分の子供の頃を思い出すような、素朴な楽しい作品が多いと思いません?それ以上に、古代アンデス文明展と言われなければ日本のものではないかと思うようなものすら幾つもありました。やっぱアジア系民族であるというのもあるのかなぁ?これなんてマグロ缶のパッケージにしか見えないし。ポール・スミスの2018春夏テーマのもろ日本的なマリンの作品かと思っちゃうポールスミス(Paul Smith) 2018年春夏メンズコレクションがマグロ推しすぎてヤバいぱっと見てこれがアンデスのものだと思う日本人は少ないんじゃないかと。どう見ても日本の色合いでの絞り染めには驚いた。同じ美意識を持ってたのか麗子像?奈良の仏像?アイヌのサケ?すごく自分のDNAに繋がるような違和感ないものが幾つもあって、失礼ながらすぐお隣の韓国や、中国よりも親近感が沸いてしまうような錯覚すらもで、ネットで日本人とアンデスについて検索をしたら、縄文人が海を渡りアンデス文明を作りあげたのではないか?なんて説が出てきたりもアンデスに限らず、古代ヘブライとかチベットなども日本と共通点が多いとか色々あるがどんなもんだろうね~。だいたいが日本国内ですら縄文人だ、弥生人だ、朝鮮半島からの渡来人だって単一でもなかったし、顔つきも文化も地域で色々。アイヌだ、琉球だ、熊襲蝦夷などなど・・・平井堅さんとか日本人に見えないような濃い顔立ちだしうちの旦那はいわゆるおしょうゆ顔で、姑の系統の顔立ちだと思うけど、眉まで細くって麿っぽい。かたや私の兄は眉も太くぱっちり目元の東南アジアぽい顔立ちだったりもするかなり前に亡くなった父親の若い時の写真はまるで織田裕二みたいだったしそんな日本は少子高齢化で人手不足にも陥り、本格的に外国人労働者を受け入れるようになるそうで、街には日本語を話す(カタコト、話せない)様々な民族が闊歩するようになるみたいだ。思うに日本人労働者を含めて低賃金、格差はますます進みそうだが、70才過ぎても働かされるよりはいいかも動物の彫像も多かったのですが、これはリャマみたいです。古くから家畜として飼われ荷物の運搬もしていたという。一躍ブームとなった同じラクダ科のアルパカは毛を使用する為に飼われたこの鋭い爪は何がモチーフ? ここまではどこかしらユーモラスなものを並べてきたが死を感じさせるような、不気味なものも幾つもあったと言うか、アンデス文明展の終盤は撮影も禁止となっており、勿論ここに写真も紹介出来ないのだが、いわゆる木乃伊・・・・・三体のミイラや、開頭手術を受けた跡のある頭蓋骨なども並んでいた朝日新聞「布に包まれたミイラ、頭骨に手術痕 アンデスの死生観」もともとが乾燥していてミイラも作りやすい環境みたいだが、かわいい子供が亡くなってお金持ちがミイラにしたのかと思ったら、実はインカでは、帝国の発展と繁栄と神にささげる為に、生贄にされた子供たちがミイラにされ神像のように敬われていたそうだ日本でも城を建てたりするのに、人柱をたて河川の氾濫を鎮めたりする時などに人身御供といった風習があったそうだし、神話などもヤマタノオロチに捧げられるクシナダヒメを助けたスサノオだとか。この後に、日本での人身御供の事を30分は検索し、え? まさか本当に?とビビる。でここに紹介するのはやめておきますそれにしても、なんでみんな対なんだろうか偶然? 今春にペルー北部に存在したチムー王国で、生贄にされたと思われる子供たち約140名の人骨ととラマ200頭の骨格が発掘されたそうだ日経スタイル「子供140人生贄 550年前のペルーで何があった?」人身御供とかメキシコの古代アステカ文明が有名で、多くの生贄が必要なので確保の為に戦争をしたくらいだそうだ。古代アンデスの話からどんどん、エスカレートしていきそうなので、この辺で生贄の話から逸れますけどいや・・・歴史の闇は恐ろしいです自分の首を切って、神に捧げている人物なんだとか・・・・もはや言葉も出ないです日曜日で幼い子供を連れたファミリーも幾組もいましたけども、大丈夫かなぁ~頭蓋骨や木乃伊~。私は今でもイタリアミラノのサンタンブロージョ聖堂の聖人のミイラや、スペインのエンカルナシオン修道院での聖女テレサの指とか頭の中に鮮明に焼き付いているのに皆さん、エルドラドって言葉は知ってますか?ウィキペディアによると>エル・ドラードは、南アメリカのアンデス>地方に伝わる黄金郷(おうごんきょう)に>まつわる伝説である。転じて、黄金郷自体を>指す言葉としても使用される。大航海時代に>ヨーロッパ人の間で広まった噂である>エル・ドラードとはスペイン語で「金箔を>かぶせた」、または「黄金の人」を意味し>16世紀頃までアンデス地方に存在した>チブチャ文化(ムイスカ文化)の儀式が>基になっている>この地方では金の採掘と装飾技術が発達し>コロンビアの首都ボゴタより北に57キロ>メートルの所に、山に囲まれたきれいな>円形の湖がある。このグアタビータ湖では>その土地の首長が全身に金粉を塗り儀式を>行う風習をもっていた >大航海時代にスペインのコンキスタドール>達がこの噂を聞き、この話に尾ひれがついて>アマゾンの奥地には黄金郷があるという>伝説となった。(中略)ヨーロッパ人が>想像したエル・ドラードではなかったが>コロンビアには前述のチブチャ文化以外>にもかつてはキンバヤ文明、タイロナ文化>シヌー文化が繁栄し、またペルーには>チャビン文化を継承した北海岸のモチェ>文化、シカン王国、チムー王国に見事な>金製品を生み出した技術が存在していた>ことが明らかになっているマルコポーロの東方見聞録には、日本が黄金の国ジパングと記述したそうだけど実際に来日したのではなく、人の噂話を中国あたりで伝え聞いたものだそうだしコロンブスもジパングを目指して船出したなんて話も黄金郷こそなかったが、様々な黄金製品が出土するアンデスにおいて、インカ帝国の時代の金製品が残されていないのは、↑の理由からインカの貴金属類はスペインの侵略で、その殆ど持ち去られた中で、この人物像は数少ない貴重なもので「カパコチャ(人身御供)」の儀礼に用いていたものだ。ぶるぶるぶる~やっぱ、そうきたか死者を包んでいた織物つい昨日にでも編まれたような繊細なレース今後も古代アンデス文明展の全国巡回は、名古屋から、富山、大分、静岡、福岡へと続きます名古屋での「古代アンデス文明展」公式HPもっと早くに見終わるつもりだったのがまさかの撮影OKという事で気が付いた時には、もうお昼近くとなり、ららぽーとへ行かなきゃと思いつつ、ついつい常設展の名古屋の歴史も太平洋戦争後28年ぶりに、グアム島で地元の漁師によって発見をされた、故横井庄一さんは愛知県愛西市出身で、帰国後は名古屋市内でお住まいになっており、グアムでの愛用品が展示されていた古代アンデス文明展のお土産は、いつものマグネットもあったけど、ひとめぼれでアルパカのポーチが、ユルかわいかったので購入。裏にフックがあってカバンとか色々ひっかけられます 平成30年11月3日に名古屋市立博物館で撮影 リンク先ののミイラ、生贄の記事は写真付きなので 小心者の方はお気を付けくださいにほんブログ村
2018年11月08日
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まぁ~、美味しそうなイノシシ! なんて思う人はそうそういないかもしれないが、岐阜での豚コレラのイノシシに続いて、九州では砂防ダムに転落したイノシシの救出作戦。そんな世を騒がせているイノシシは、来年の干支だ先週末の金、土、日は地元中津川で毎年この時期に行われる菓子まつり。青空も爽やかな日曜日に、娘と二人で出かけた旦那は、地元で来週行われるイベントの準備に出かけて来れなかったこの時期は全国各地。あの町この町で様々なイベントが行われて秋たけなわといったところであろうか。地元のみならず、名古屋や遠くからも来場者があるようだ出迎えるのは栗きんとんの顔をした猫のにゃかつがわ君。かわいらしい外観から子供たちに囲まれていた菓子まつりと一緒に、同会場のホールでは芸能祭もやっていて、地元の人たちの様々な催しものもされていたで、菓子祭りの会場。殆ど2割引で購入出来るとあって、午前中はかなりの混雑だったらしいが、昼頃にはひと段落したようである。いつもは長い行列の七福は栗きんとん以外は完売したらしいが・・・その時間は、満天星一休の行列がダントツ長くすや、川上屋、新杵堂といった感じかなぁ~なぜに一休? すやや川上屋を食べ飽きた客が他のお店と思ってなのか。行列が出来てるからそれを見て並ぶのでは?というのは旦那の意見信玄堂や、梅園とか同等レベルの和菓子屋も多いし、松月堂は栗きんとんのおこげで最近テレビでやってたし、栗きんとんの味などは人の好みも大きい。色々と食べ比べて自分の好みを探すのも面白いで、冒頭のイノシシだ。横にいた親子連れ子供が「このイノシシ食べれるんだよね~」との問いに、母親は「食べれるけど・・・美味しくないと思うよ」 リアルなお返事でどれもこれも和菓子の材料で作られている菓子どころ中津川の和菓子屋の出店の他にも、中津川の美味しいものとか良いものが大集合。ここでも松茸も売られていたこっちは燻製。奥にはお酒。栗焼酎というものもあるようだそんな感じで会場内をうろうろしていたらお天気の良い外で、ビール&とんちゃんでくつろぐ娘から写真が届いた私は中島豆腐店で試食の豆腐。ここも有名で購入者の行列が出来ていた中津川では、秋と言えばとにかく栗なので珈琲にも栗を入れているらしいし白玉の入ったおぜんざいも栗。これは数量限定で無料で配られたものだ。しかし栗王国の中津川で、今年は異変いつもは行列など殆ど出来ない、地元グルメ「五平餅」エリアの幾つものお店に、どこも大行列が出来ていた。秋風先生が「うんま!」と絶賛した朝ドラの影響が大きいのだろう。ま馬籠はいつでも食べれるので特には並ばない興味津々だったのは、このお魚のひもの詰め放題千円。私もつき刺したい衝動に駆られたが、持ち帰っても食べないので写真を後ろから撮らせて貰った会場には中津川駅前から無料の送迎バスが運行されていて、帰りに新杵堂のロールケーキを食べようと思ったが、冷凍品でまだ硬かった、食べ頃になった頃に娘とはんぶんこ松月堂はしぶかわ栗かすてら、くずきり栗苞のセットが、半額の千円ぽっきりで売っていたのでお土産に購入娘が一番お気に入りの七福の栗きんとんとヤマツ食品の瀬戸のタケノコは不ぞろいで300円6人家族で6粒。一人で一粒。昨年あたりから、一粒230円位はするようになってなかなか食べれなくなった栗きんとんだが以前は170円位だったのになぁ~。2割引きの菓子まつりでしか箱買い(6粒だが)出来ない現状だ日帰り温泉もまた同様で、泉質ももちろん良いが、地元の付知峡倉屋温泉おんぽいの湯は、手元に割引利用券があって400円(通常600円)利用が出来るのは嬉しい10月の中旬の週末の午後、雨が降り出し旦那が外仕事が出来なくなったので、温泉に行こうと言いだし出かけたが、その帰りは雨も上がって、久々に虹だぁ~夕焼雲と虹のコラボが、とっても綺麗だったそして西の山際は、黄金色に輝いていた更には山盛りの栗の粉その中に埋もれていたのは餅で、栗粉餅というが生餅を使用するので、通販も出来ず地元でないとなかなか手が入らない逸品だしかも、どの和菓子屋でも作っている訳でもないので注意。今年は御菓子所しんの栗こぞうを中津川駅前のにぎわいプラザで買ってみた近くのスーパーで新杵堂の栗きんとんのセットが見切りで、半額になってたので購入抹茶栗きんとんとか、チョコの入った栗きんとんショコラとかで、ちょっとくりくりしたところが少ないような見た目はソフトクリームだが、にぎわいプラザで食べたのは、栗きんとんソフトしっかりと栗きんとんの風味がするそして舅の88才の米寿のお祝いに、当地方は赤飯に栗がごろごろ入った、姑が家で作った栗おこわ。色んな栗の料理があるが、これが一番おいしいこの時期限定のものと言えば、ハロウィンにちなんだもので、ミスタードーナツもお化けドーナツが色々と・・・さてさて渋谷で大騒ぎも起きて、既に終わった感もある、ハロウィンだけど今日が本番であるらしい。スーパーも一昨日あたりからハロウィーン菓子が半額近くなどと、お値打ちになってた渋谷はコスプレ、酔っ払いの若者や外国人などで大にぎわいだけど、ウィキペディアによると>毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が>起源と考えられている祭のこと。もともとは>秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な>意味合いのある行事であったが、現代では特に>アメリカ合衆国で民間行事として定着し、>祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんど>なくなっている。カボチャの中身をくり>ぬいて「ジャック・オー・ランタン」を>作って飾ったり、子どもたちが魔女や>お化けに仮装して近くの家々を訪れて>お菓子をもらったりする風習などがある>日本では、キデイランド原宿店が1970年代に>ハロウィン関連商品の店頭販売を開始し、>1983年10月には同じくキデイランド原宿店が>販売促進の一環として日本初とされるハロウィン・>パレードを開催したとの事である日が短くなって午後5時過ぎには、綺麗な夕焼けが見られるようになった窓には結露。朝はエアコンで暖房も入れたり秋も深まり、間もなく冬へと・・・ 主に平成30年10月28日に中津川市内で撮影にほんブログ村
2018年10月31日
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さてさて秋の行楽レポートは続く。今回は少しばかり遡っての9月22日。旦那の運転で娘と日帰りでドライブに出かけた先は、いつもの伊那中央高速を使わず、国道19号で木曽を北上途中で、トイレ休憩に立ち寄った道の駅には御嶽海の等身大パネル(たぶん)権兵衛トンネルで木曽谷から、伊那谷に抜けての目的地は、国立信州大学農学部附属アルプス圏フィールド科学教育研究センター(AFC)による毎年秋開催の恒例の「AFC祭」ぶどう狩りや、木工教室、ソバのうす焼き(試食)、野菜・果物や連携協定自治体の特産物販売、体験コーナーなどなどという感じで、家族連れなどで朝から盛況でしたこれまでにも3度程出かけた事があるけどお昼過ぎ位で、これはいけない。グルメ系イベントは、午前早くに会場入りするのが得策というのも大学で栽培をしているブドウの無料のブドウ狩り(持ち帰り分は有料)で時間が遅くなると、良いブドウが狩られて残り物っぽくなっているような・・・ひょえ~~~。たわわにナイアガラがあちらにもこちらにも!こんなに美味しそうな、大っきな房をとり三人でパクパク前にはナイアガラと2種類位しかなかったと思っていたブドウ園は4種のブドウがあり場所を移動しながら、いろんなブドウを食べ比べ~~。お昼過ぎには変わったブドウとかもうなくなっているような気もするでもでも今日は時間が早いので、どんどん行きますよ~~ブドウによって味も異なりこれが一番、甘かった家から車で1時間15分程の伊那まできたかいがあった。無料で食べて、食べて・・・土産にと有料でブドウもお持ち帰り野菜などの販売などもしている会場では無料で蕎麦焼き(3人分)に、ネギ味噌を少しだけ付けて食べる200円で大っきな焼きトウモロコシは甘いなんかこじゃれたラベルになったジャムも販売をしていた朝のうちはお天気も悪かったけど、時間が経つにつれ青空なども見えてきた。蕎麦の花も咲いていた信州大芝高原は、パッと見で信州大芝高原と読んでしまうが、大芝高原その道の駅。以前は伊那谷は丼街道で売り出していたはずだけど最近は伊那谷(上伊那)で、蕎麦ガレットがあちこちで食べれるようだ。上伊那産の蕎麦粉や、トッピングに使う食材にも上伊那産の食材を1種類以上は使用しなければならないガレットとはフランスのブルターニュ地方の薄くて丸い形をした料理や、お菓子の事で小麦粉を使ったクレープなどもガレットの仲間だが、日本では蕎麦粉を使って焼いたクレープ状の料理を一般的にガレットと呼ぶ大芝高原味工房では、ガレットの名店という「ル ブルターニュ」のプロデュースによるガレットが食べる事が出来る。シードルとリンゴジュース食後のデザートは、手作りジェラードを娘とはんぶんこ。娘が伊那にいた時にはよく食べた懐かしい味だ食事の後は伊那に出かけたら、かならず立ち寄るかんてんぱぱショップ。大芝高原も信州大学農学部も、このかんてんぱぱも同じ道沿いにあって、車で簡単に移動もできる寒天ゼリーの試食品や韃靼そば茶を飲む事も出来るそして天然マツタケの宝庫でもある。今年は豊作らしくJA上伊那ファーマーズあじーなの直売所には松茸がずらりとならんでいた伊那の名産品でもあるアスパラガスとか果物あと名物の高遠饅頭を1つ、お土産に購入更に旦那が好きな信州のホームセンター綿半へ。店頭にはやはり信州のチェーン焼きたて屋も素通りは出来ないたい焼きを買って、息子に土産にしたこれは信州大学農学部のAFC祭で買った梨2種と、ブドウ狩りのお土産400円合計で千円帰りには、伊那谷を南下して飯田市内のアピタでお得なものをお買い物。ザクロみかんの果汁はどちらも半額だった。こうして初秋の伊那ドライブは盛り沢山だったPS.昨日の10月27日(土曜日)は朝からメジャーのワールドシリーズ第三戦を夕方まで見て、夜は夜で日本シリーズと野球の中継を何時間見てたんだろ~。マエケンがかっこよかったよ~ 平成30年9月22日に伊那で撮影にほんブログ村
2018年10月28日
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さてさて1泊2日の東京旅行から帰ってきた次の日には地元中津川の蔵開きに出かけたがそのまた次の日は、例の無料日帰りバス旅行に私だけで参加してきた。今年3度目の参加だもう、この高級ジュエリーの写真もお馴染みじゃないかと思うが、高級ジュエリーの直売小売店がメインで、他に団体向けのお土産屋さんや、ちょっとした観光とか食事が付いた旅行で、この手の旅行が今月もまた募集してたんで応募したけど、また当たるといいな中高年の女性なら、よく当たるみたいだけどおひとり様で参加は嫌な人が殆どで、有料で同行者と参加される場合が多く、今回は蒲郡オレンジパークでのミカン狩りが人気なのか家族3名といった参加者もいたオレンジパークでは子供でもできるとふれこみの、ミカン大福作りもあった確かに、あっという間に出来てしまった持ち帰り用の袋もくれたので、舅姑に土産に渡したら、うまかったぞ~とか言ってたが続いては、前にもこの手の旅行で食べたしらすご飯の定食で、お金を余分に払うと鮑やサザエの海鮮焼きにランクアップをするそうだが、私はサザエとか苦手。例え好きであっても余分にお金は払いたくないこの釜めしだけでも美味しいのに、なぜにうどんのプチ鍋なんだろう~。W主食はきついので、どちらも少しずつ残した食事の時に50円割引クーポンを貰ったのでそれを使ってのミカンとバニラのミックスソフトクリーム。これを食べたくて残した部分もあるがオレンジバークにはかわいいフクロウが売り場にいて、看板フクロウ食事の後には今回の旅行のメインでもあるミカン狩りだが、この時間だけは傘が必要なそれなりの雨が降って残念自分の傘も持参したが、濡らしたくないので、オレンジパークの大きな置き傘を借りて、いざミカン狩りご飯の後でもあるので、4玉くらいしか食べる事が出来なかった。ご飯というかソフトクリームもでかかったしねそして食後の運動。今回の旅行で楽しみにしていた蒲郡の竹島フリータイムだ。ここの海岸は、旦那の会社の組合主催の潮干狩りで子供が小さな時に、2度程来た事があるが潮干狩りに夢中で、竹島に行く事はなかった無論、足腰の弱いお年寄りも多いのでフリータイムで、駐車所の目の前にある竹島水族館や、喫茶店で時間をつぶすという選択肢もあった。階段を登って行くと竹島には八百富神社があった。ここはパワースポットとしても有名らしくて大大吉のおみくじもあるそうだが、私普段からおみくじはひかないのでパスちゃんと、御参拝はさせていただきました詳しくは↑で小さな島だけど、神社の境内には見上げるような大きな樹もあり歴史を感じさせる御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)で藤原俊成卿の勧請によって創建されたとか日本七弁財天に数えられるそうだけど他の六つは曖昧。三大ならば琵琶湖の竹生島、神奈川の江島神社、安芸の厳島神社で、どこも行った事がある。元々がインドの河川の神(水の神)であったそうだ 八大龍王(はちだいりゅうおう)は、天龍八部衆に属す龍族の八王で、法華経(序品)に登場し仏法を守護している。昔から雨乞いの神様であったウィキペディアによれば>竹島は全域が八百富神社(竹島弁天)の>境内である。竹島弁天は日本七弁天の>一つとされる。八百富神社は、市杵島姫>命を祀る神社で、養和元年に藤原俊成が、>竹生島より勧請し創立されたとされる。>徳川家康も参詣し、4石8斗寄進した。>また、この地方の領主である松平氏は、>正月、江戸への出立、帰郷の際は必ず>参拝したといい、古くから信仰を集めて>きた。>大正4年には大鳥居が建立された。この>鳥居の額は東郷平八郎の手によるもの>だったが、太平洋戦争の供出により>残っていない。標高22m、周囲約680m、>面積約1.9ha。基盤は花崗岩質である。>対岸とは約400m離れており、竹島橋に>よって、結ばれている。橋のたもとには>大正〜昭和初期に文人達が多く利用した>料理旅館「常磐館」があり、菊池寛の>「火華」をはじめ多くの作品に残されている。海のない山国のケンミンなので、海ではとりあえず海水を触ってみる。なかなかに透明度もあって綺麗な三河の海だ島には遊歩道もあったが、天候なのかどうかはわからないが、立ち入り禁止になっていた島から振り返ると、海辺の高台に見えるのは蒲郡クラシックホテルで、経済産業省が認定する近代化産業遺産の一つ。1934年に元鉄道省建築課長の久野節と陸軍建築技師の村瀬国之助による設計で建てられた城郭風のホテルであるそのクラシカルな佇まいから、様々な映画ドラマのロケでも使用されており、最近では岐阜県出身の綾野剛主演の「ハゲタカ」でも日光みやびホテルとして登場をしている藤原俊成と言えば、小倉百人一首の選者である藤原定家の父親で 世の中よ道こそなけれ 思ひ入(い)る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなるとの歌が、百人一首に選ばれている。現代訳はこの世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる海辺の文学記念館の建物は、明治末期に建てられた診療所を復元したものだそうだ竹島の後には、蒲郡のインターの近くのえびせんべい共和国へ。ここも蒲郡ではまず立ち寄る土産物店だえびせんなどの試食も盛りだくさん無料でコーヒーを飲める休憩所もあり観光の疲れをしばし休められる。高速に乗る前のトイレ休憩も兼ねていたりも蒲郡から高速に乗って徳川家康の生誕地岡崎へGO。オレンジパークと竹島というもっともらしい観光も既にしているので岡崎城はスルーしてその近くにあるカクキュー八丁味噌での工場見学が、その日の最後の訪問場所だった。ウィキペディアによれば>江戸3代将軍徳川家光の時代に当たる正保>年間(1645年 - 1648年)に、岡崎城から>西に八丁(873メートル)の三河国額田郡>八帖村(現在の愛知県岡崎市八帖町)で>創業した>早川家が1878年(明治11年)に愛知県庁に>提出した上申書には同家の創業は「1645年>(正保2年)」と記されている。正方形の>枠内に太い隷書体の「久」のマークは、歴代>当主が代々早川久右衞門(はやかわきゅうえもん)を>名乗っていることによる。現社長は19代目の>当主になる。>1892年(明治25年)から宮内省への味噌>納入を開始し、1901年(明治34年)12月>28日、宮内省御用達を拝命した。NHK連続>テレビ小説『純情きらり』(2006年)では、>まるや八丁味噌とともに舞台となっており、>撮影現場としても工場が使用された。更に、八丁味噌であるが>米麹や麦麹を用いず、原材大豆の全てを麹に>した豆麹で作られる豆味噌のうち、現在の>愛知県岡崎市八帖町にて生産されてきた>ものを指す>名古屋圏では「味噌汁」といえば豆味噌を>用いた赤い汁のものが一般的であり、八丁>味噌も他の豆味噌同様、濃い赤褐色をして>いるのが特徴である。との事で愛知のお隣、岐阜県でもお馴染みのお味噌である昨夜の報道ステーションでドラフトで岐阜県飛騨市出身の根尾選手を、地元「中日」へとテロップ出しているくらいだし、モーニングサービスなども愛知発祥だけど、岐阜も盛んで同じ地域で、同じ生活圏という意識も高いかつても高木守道や和田一浩といった岐阜県出身者が地元枠っぽく中日ドラゴンズに在籍してたが、今年のドラフト指名も地元志向が強いようで、ドラフトの目玉選手でもあった1位指名4球団競合の根尾昂選手は、岐阜県飛騨市出身だし根尾の飛騨高山ボーイズ時代の僚友である垣越建伸投手はお隣の岐阜県高山市出身で5位指名となった。更に3位指名の社会人勝野昌慶投手は岐阜県可児市の出身である生まれは三重県であるが6位指名の滝野要 選手は岐阜県の大垣日大に通っていたので岐阜県にも縁のある選手だ。あと岐阜系の選手をよく取る広島の4位指名の中神拓都選手も岐阜県岐阜市出身。みんな活躍して欲しいものだかなりの年季の入った大きな樽には、江戸時代のものすらあるそうだが、真新しいものがあった。高齢化により樽を作ったり修繕できる職人が減少する中で、樽職人の育成も始めているんだとか味噌蔵の見学の後には、八丁味噌による赤だしの味噌汁の試飲とか田楽味噌の試食も。その後は直売コーナーでお買い物タイムカクキューの本社の建物と、味噌蔵は国の登録有形文化財に指定されているそうだ岡崎のゆるキャラ、オカザえもん。自販機も八丁味噌のような色合いバス旅行の参加者にもれなく貰えるみかんや赤だしなどなど。クイズに当たって、宝石屋さんでは顔パックシート2枚も貰った自腹で買ったえびせんは、これだけ買って300円也。今回はこれとソフトクリーム、お賽銭くらいしかお金を使わなかった 平成30年10月15日に愛知県で撮影PS。中日スポーツを買ってきました~にほんブログ村
2018年10月26日
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さてさて東京から戻った次の日でもある日曜日には、地元中津川にある恵那山という日本酒で有名なはざま酒造に娘と出かけたなんでも蔵開きをするそうで、新聞にも広告が入っていたのだが、ネットで検索すると、「蔵開き」とは新酒が出来る時期の他に、その年の新酒を作り始める時期にも行うようである。そのタイプ?当日、一人500円の参加料を支払うと試飲をする為のおちょこの他に、かわいいおちょこ入れをおまけに貰った。今までこのような催しを行っていなかった、この蔵が「蔵開き」を始めたのはちょっとした理由もあるようだ事前にネットで参加申し込みをした人には当日、会場で利用が出来るというコイン(200円相当)も貰えたこのコインは会場で5枚1000円で購入もできるので、貰った2枚の他に5枚分を購入した。もし今回、使えず残しても、今後のイベント等で利用も出来るみたいだ開場の朝10時には、旦那が車で送ってくれて、仕事があるから昼12時半か夕刻4時過ぎにしか迎えに行けないというので、食事をしたり、買い物でもしてたら夕刻になるだろうと、夕刻の迎えも旦那に頼むはざま酒造は、中山道中津川宿の西の端駅から徒歩15分位で行くことができるすぐ近くには栗きんとんの川上屋の本店などもではではおちょこを手に試飲コーナーに出かけてみますか。「無料で5種類の酒」が飲める他にも、先程のコイン1枚で木枡に注がれた「有料の大吟醸など3種類のお酒」も飲む事が出来る半分くらいとか、なみなみに・・・などつぐ量を言って、何倍だろうが気が済むまで飲める趣向だ。おっととと・・・地元の飲食店と相談して、1コイン(200円)で日本酒にあうおつまみなども幾つも販売をしていた更に日本酒の蔵開きだけども、なぜか居酒屋さんなどに、新鮮な生ビールを提供する速達生も置いてあるし。なんで蔵開きでビール?と思ったら、この蔵は最近になって、この速達生で業績を伸ばす愛知の食品卸しメーカー「マルト水谷」が経営をしているからのようだ団体さんなども来場時に既におり、午前10時台には会場内はこんな感じだけど中庭にもテーブルと座席が用意されていてのんびり時間を気にせず、飲む事が出来るな訳で1杯目。娘がいそいそとコインを手におつまみを買ってきたが、キノコ苦手なんだよねで、私も後からおつまみを追加。有料の日本酒は飲まないから、コインが二人で7つあるから、おつまみも7つ買えると思ったら後半になって、娘が大きなプラスチックのコップになみなみと注がれた生ビールを買ってきた。これは少し飲んだ後。これで200円は確かに安い。普段はいくら位で提供されているんだろ。東海三県などで工場直送で生ビールを提供する「マルト水谷」は「日本マーケティング大賞奨励賞」も受賞さてジョイセブンの酒蔵ツアーでも紹介をしているはざま酒造の創業家は、もともと京極家に仕えた武士の家系で、室町時代に美濃の国に移り住んだそうだ1601年より酒造りを始め、四百年以上にわたり醸造業を営み、江戸期には尾張徳川家の御用商人となって、美濃屈指の豪商としてその名を馳せたそうだ。しかし昨今の日本酒離れもあって、酒造りもやめていた時期すらも最近になって、酒蔵は前述の名古屋の食品卸しの「マルト水谷」が、経営を引き継ぎ山口県で「東洋美人」を造る澄川氏に師事した、岩ヶ谷さんを杜氏に迎えて、設備も一新。純米酒しか造らない酒蔵となったそんな訳で新たに迎えられた杜氏さんが酒蔵を案内してくれた。なるほどね~だから蔵開きなども始めた訳だ。名古屋のイケイケの会社がバックなんだもん。今年初チャレンジのインターナショナル・ワイン・チャレンジ「SAKE部門」の純米吟醸酒の部、純米酒の部で、SILVERメダルを受賞したり今年の岐阜県新酒鑑評会でも 純米吟醸酒の部で「恵那山純米吟醸山田錦」が最高賞の岐阜県知事賞を、純米酒の部で連合会長賞を受賞したそうだ。食品卸し会社の酒蔵だし名古屋あたりの居酒屋、飲食店に置かれる事も増えていくような気も・・・こういった酒造りの現場を見てから、飲む酒はまた格別だ。見学後もまた飲む。例の女城主のように混みあった会場でおつまみ無く立ち飲みと比べて、椅子にテーブルでおつまみも購入。暑くもなく寒くもなく12時半過ぎまで飲んでいた。あっ、ずっと飲み続けてたわけでもなく、ほどほどにほろ酔い気分で本屋で近くの立ち読みし駅前で午後遅くのランチ。ぶらぶらしていたら、もう午後4時だった 平成30年10月14日に中津川市で撮影にほんブログ村
2018年10月19日
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さてさて先週末は、前回のブログでも紹介したNHKの音楽番組の公開録画の観覧ペア招待と上野のフェルメール展を目当てに、姉と二人1泊2日の東京旅行のご報告ですもう何度も出かけた東京ですから、お上りさんが出かけるような観光スポットもあらかた出かけているので、ここはやっぱりアートな秋という事でこの時期に開催されている美術展に出かけようと考えまして、やってきたのは東京ミッドタウン防衛庁本庁檜町庁舎跡地の再開発事業として、平成19年に開業した複合施設で、中核のミッドタウン・タワーは地下5階、地上54階、高さ248.1メートルと東京都庁舎第一庁舎に代わり、東京都内で最高層のビルである。もともとは萩藩毛利家屋敷であったここにサントリー美術館があり、京都の醍醐寺展が開催をされており、かなり大きな仏像なども展示をされている。醍醐寺は何度も出かけており、昨秋も見に出かけて宝物館も拝見したばかりだが、なにせ大きな歴史のあるお寺だけに、国宝、重要文化財を含む宝物も山ほど今までに見る事がなかった宝物などの展示もあると思われるので出かけてみる事にした京都・醍醐寺展 真言密教の宇宙 公式サイト今夜はNHKホールに出かけるし、渋谷のホテルも、午後3時にはチェックインが出来るので早めに渋谷駅へ。ここっていっつも工事をしているような・・・このNHKの観覧募集を応募をした時に、渋谷駅近くのホテルを押さえており、徒歩10分程でNHKホールに行く事ができる。もし落選してもその時点ならキャンセル料が必要ないし、当選した人がスグに予約もするだろうなんだか、女子力の高いホテルのようだ。ここで夕刻までテレビを見ながらノンビリしてから、NHKホールに向かう事にした前のフォークの時には、並んだ順に前からつめていったが、今回は抽せんみたいで早く並んでも3階席になる事もあるみたい1夜に比べ、2夜の出演者は誰でも知っている人も幾人もいたので、若い人が多いとはいえ、年齢の高い人もおり並んでいても浮く心配は全くなかったし、私の前の方の人は最後の関ジャニ以外は立つ人がおらずゆっくり座って見る事が出来て良かった今回の音楽番組はNHKワールドジャパンから世界に発信されるので、1階の前の方は外国からのお客様が占めており、一般の来場者は1階後方と、2階、3階で、うちは2階正面中央あたりからの観覧となったステージの上部に大型スクリーンも設置をされているので、各々の表情もそれで見る事も出来るが、大人数だったりステージをいっぱいに、ダンスをする事が殆どなので2階席で、かえって良かったかも。番組はネットで近々配信をされるが、テレビでは来年お正月に放送するそうだロビーで大きな中華まんを購入し、夕飯代わりにする事も出来た。出演者だけども石川さゆり、内田真礼、ゴールデンボンバー関ジャニ∞、DA PUMP、乃木坂46、三浦大知といった面々で、各々が3曲位は歌ってた生USAが見れて大満足だ歌やダンスもいいが、合間のトークもまた楽しみだ。今回はDA PUMPと三浦大知の師弟関係などもよく判った。ゴールデンボンバーは予想通りにお笑いコント付き石川さゆりは艶っぽいどどいつもやはり中華まんだけではお腹も空くので帰り道にガストでハンバーグ。ご飯とか重いので、ホウレンソウを姉と二人で西側から渋谷駅方面。明日は早いので朝食時間も勿体ないので、コンビニでおにぎりを購入してホテルで食べる事にした(素泊まり) 朝までよく眠れてBS放送で7時半からのNHKの朝ドラ「まんぷく」を見てから、チェックアウト。フェルメール展の開催地である上野の森美術館へGO。日時限定チケットは、朝9時半から10時半まで9時前には到着すると、入館の行列はまだ30名程だったかな。時間になっても全員ずらずら入れるのではなく、たぶん50名程度ずつ時間をあけて入る事が出来るので私は一番最初に入れたが、開館時間近くはすごく長い行列となり、これから並ぶ人が「そんなにかかるの!?」と係員に言ってた9時30分に入館開始。誰もが足早に一番最後のフェルメールが8点(入れ替えあり)並ぶ、展示室に向かった。最初の50人程しか入館をしてないので、人気のある絵でも数人程で囲み、人気のないものなどはたった一人で鑑賞。徐々に人も増えてきたがどの作品も一番前でじっくり見る事が出来たなにせフェルメールは庶民の注文絵画など小さな絵も多いので、一番前で目を凝らす必要があるのだ。フェルメールを堪能して他の絵を見ようと最初の方に戻ると、満員電車のような混みようで、最後にもう一度フェルメールを見ようと思ったが何重もの人だかりが出来ていて近寄るのも躊躇したほんと朝一番の日時チケットで、開館の40分位前から並んだだけの価値は十分あった。外に出ると11時からの入館の行列も出来ており、その横をJR上野駅へさすがにオニギリ1個じゃお腹も空くし構内のお寿司屋さんへGO数量限定のまぐろ丼(味噌汁付)は880円姉はお寿司のランチで、二人で2千円以下のお会計なのだけど席に置いてあったチラシを見たら、上野の様々な入館券の半券を持っていくと、店によって様々なサービスがあり、ここは炙りトロを貰えるというのを知って、行ったばかりのフェルメール展の半券を姉と見せた口の中に入れるとほろ~と溶けるようだったお腹もいっぱいになったので、娘に注文されていたお土産も先程のフェルメールの半券で10%引きで購入してから、上野から向かったのは、JR四ツ谷駅。そこにかかる四ッ谷見附橋は大正2(1913)年9月架設した橋で東宮御所(現迎賓館)の近くなので、橋の装飾にフランス式手法を採用し、豪華な橋でした。平成3(1991)年に、親柱や欄干などを旧橋と同じデザインのまま架け替えられた新しい橋ですといった訳でやってきたのは迎賓館。私は前に娘と来た事がありすが、昨秋に姉にも見せようと思ったのに臨時休館中で断念し今年、リベンジですなにせ大きなものが大好きな姉ですから昨年は国会議事堂で、今年はここならば堪能も出来るに違いないです。西洋諸国に負けないようにと、明治時代に建てられた東宮御所(現迎賓館)ですから迎賓館については、前にここに載せた時の日記をご覧くださいませ。あのときはよく晴れているので写真も映えますね巨大シャンデリアが輝く迎賓館赤坂離宮と、明治村での華麗なる宮廷家具正面玄関の上部には、日本らしくお侍の鎧が飾られていた。日の丸がたなびく更に建物両翼の屋根には、天穹(てんきゅう)と空想の動物である霊鳥の飾りもあった建物の裏側の噴水もまた、建物と同様に国宝に指定をされているそうだこれはグリフィンといい、鷲(あるいは鷹)の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物で、日本では、「鷲獅子(じゅじし)」と言うらしいそうそう内部もしっかりと見学しましたが前回同様に撮影禁止なので、写真は無くて下記リンクからご覧ください「迎賓館赤坂離宮」内閣府前回は千円だった入館料が、ぬぁ~んと1500円に値上げされたかわりに、豪華パンフレット(内部写真付き)がおまけに付いていた。来年春まで朝日の間は改修で内部は見れないのも残念だ来日した要人の記念植樹遠くに見えるのはやはり国宝の衛舎前庭にはキッチンカーがやってきていて飲食も楽しめるのだが、数量限定で二人で4200円もするアフタヌーンティーも提供をされ、それを楽しんでいる人もいたその日は隣接をする学習院初等科の運動会をしていて、玄関先には不審者を寄せ付けない受付もあったが、出入りをする父兄の方が皆様、上品なスーツをお召しになっていたのは流石だなぁ~と4200円もするアフタヌーンティーなどは頼めないので、帰りには四ツ谷駅のカフェで一服そこからの景色には、やはり工事中のビル。今回思ったのはどこに行っても新しいビルを建てていたような東京駅に戻り、午後2時台の新幹線に乗り家には午後6時台には帰宅でき、休む間もなく家族の夕飯を作る主婦だった生憎の天気で、富士山は雲の中お土産は娘のリクエストで上野駅構内にあるラ・ブランジュリ キィニョンでスコーンを本店は国分寺にあるらしいそしてゴージャスな赤坂離宮のパンフレットというより写真集だな、これはフェルメール展は早期特典で、おまけにマグネットのブックマークを貰った更に、気に入ったフェルメール作品のマグネットを購入したが、よくよく見れば右端のって今回無かったようなこれって、来年の大阪展のみの公開となる「恋文」じゃあ。まぁ前に見た事あるからいいけど・・・昨年あたりから展覧会に出かけると、土産にマグネットを購入するようにしているので少しずつだが溜まってきた。見ての通りで印象派とかよりも、写実的なクラッシックな絵画が好きだ 平成30年10月12&13日に東京で撮影にほんブログ村
2018年10月17日
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東京オリンピック&パラリンピックに向けて、日本のアーティストが集って、東京の「今」を象徴する音楽をNHKワールドJAPANから、世界に発信するという「SONGS OF TOKYO」のペア入場整理券は無事に届きました。田舎なので届くのも遅めだったのかな一夜と二夜に分かれていて、私の行くのは二夜で石川さゆり、内田真礼、関ジャニ∞、ゴールデンボンバー、DA PUMP、乃木坂46、三浦大知といったメンバーが登場しますが、なんと言っても今年大ヒットのDA PUMPの「U.S.A.」は実際に見てみたかったし、石川さゆりの生歌も楽しみ~フェルメール展の日時指定チケットも購入しました2000年もフェルメールが幾つもやってきた年で大阪市立美術館日蘭交流400周年記念特別展覧会で聖プラクセディス、リュートを調弦する女、地理学者真珠の耳飾りの少女、天秤を持つ女5点。アムステルダム国立美術館所蔵17世紀オランダ美術展では恋文も見た2008年のフェルメール展光の天才画家とデルフトの巨匠たちは、マルタとマリアの家のキリスト、小路ディアナとニンフたち、ヴァージナルの前に座る若い女ワイングラスを持つ娘、リュートを調弦する女、手紙を書く婦人と召使いの7点とパワーアップしており、無論私も出かけてました~↓「旅の始まりはいつも突然に。いざゆかん、東京CITY!」そして今回はそれを上回る9点(入れ替えもあり現在は8点展示)が来日。しかも日本初公開作品もあるというのだから、これは見に行くしかない。雑誌やTVなどでも紹介をされている今回のフェルメール展では牛乳を注ぐ女、マルタとマリアの家のキリスト、手紙を書く婦人と召使い、ワイングラス、真珠の首飾りの女手紙を書く女、リュートを調弦する女、赤い帽子の娘(~12月下旬)、取り持ち女(1月上旬~)が来日この他にも時折、日本に来日するフェルメールだけど、残されている作品は35点しかなくってその中でも人気なのが、青いターバンが印象的な「真珠の耳飾りの少女」で映画化もされている真珠の耳飾りの少女 [ スカーレット・ヨハンソン ]今回は、運よくフェルメール展は見れるけど今年の上野はこの後も、ルーベンスやムンクなどの展覧会も予定されているので、あぁ~そっちも見たいのになぁ・・・。年末年始のあたりでもう一度、上京できればいいのだがさてさて写真の方は5月上旬に出かけた日帰りバス旅行無料招待で出かけた、彦根の後半戦だかなりの土砂降りだったので、早々に彦根城を諦めやってきたのは、夢京橋キャッスルロードだけども、やっぱ観光もしておきたいで、ネットで調べた「弘誓山宗安寺」はまだ拝観をした事がなかったので、この機会にとやってきました。土砂降りの中で・・・・今回はこういった案内板をこまめに撮影してるので、詳しい事は↑看板をお読み下さい。あの映画やドラマではイケメンが演じる石田三成の佐和山城の表門とは♪ もう妄想ムード突入最近は映画「関ケ原」の岡田准一が演じていたけど、小栗旬や山本耕史、田中圭、萩原聖人及川光博などなど。かつては石坂浩二、近藤正臣、奥田瑛二、真田広之なども演じたそうだ徳本行者であるが、ウィキペディアによると>文化13年(1816年)6月22日から7月1日まで>信州松本に滞在し、生安寺を中心に化益を執り>行い、受けた人は28,000人を超えた。その>影響もあり、松本市内には善光寺の等順を>上回る七十三基の徳本名号塔が存在しているどこかで見た訳だ井伊家にかかわりのあるお寺ではあるが、江戸期の「朝鮮通信使」の宿泊所でもあり、当時の部屋も残されており、パネルで通信使の説明などもあったウィキペディアによれば>室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗>王朝の返礼であった。1375年(永和元年)に足利>義満によって派遣された日本国王使に対して信>(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まり>である。15世紀半ばからしばらく途絶え、安土桃山>時代に李氏朝鮮から秀吉に向けても派遣された。>しかし、その後の文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)に>よって日朝間が国交断絶となったために中断されて、>江戸時代に再開された。江戸幕府の外交政策において、>朝鮮は琉球王国と並んで正式な国交のある通信国と>されていた。(中略)通信使は将軍の代替わりや>世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として>派遣されるようになった拝観料を支払って中も見学が出来て、貴重な寺宝が拝見できるのだが、石田三成が戦の前に祈りを捧げ「危険な目に遭う時にお地蔵さんが現れ、身代わりとなって助けてくれる」という、身代わり地蔵として拝んだ石田地蔵尊更には1メートル程の高さの厨子に、小さな金色の阿弥陀仏が安置された、石田三成ゆかりの千体仏も実際の歴史的な人物に、ゆかりのある仏様だけになかなか、そこからは離れられそうもない。本尊である「阿弥陀如来立像」は、鎌倉時代の作で大坂夏の陣の際に、井伊家家臣の所藤内が大坂城の仏間より拝持したものだそうで、淀君の念持仏といわれているそうだ徳川幕府の大政奉還が決定した後に、彦根藩の足軽級武士がここ宗安寺に集まり、新政府支持で結束をしたそうである。官軍に参加して若くして亡くなった藩士のお墓もあった大坂夏の陣で、井伊直孝勢に討ち取られた、豊臣の家臣である「木村重成」の首塚もあった。秀吉の元で長年にわたり活躍をして知行も18万石まで出世をしながら、秀次事件で秀次を弁護した事で連座の罪に問われて、自害を命じられた木村重茲の息子である連座で長男の高成も切腹させられ梟首された他に娘も磔にかけられたというが、幼少であった重成は罪を問われず、母の宮内卿局(一説には右京大夫局)が豊臣秀頼の乳母となった事から、重成は幼少から秀頼のお小姓として仕えた。ウィキメディアによれば>秀頼の信頼が厚く、元服すると豊臣家の重臣となり>重要な会議などにも出席するようになる。慶長4年>(1599年)12月17日、豊臣姓を与えられる(中略)>大坂冬の陣では後藤基次とともに今福砦攻防戦を>展開し、徳川軍と対等に戦い全国にその名を広めた>真田丸の戦いにも参加する。また、和議にあたっては>秀頼の正使として岡山で徳川秀忠の誓書を受け、その>進退が礼にかなっているのを賞された。慶長20年5月>大坂夏の陣が勃発すると豊臣軍の主力として長宗我部>盛親とともに八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣>八尾方面には長宗我部盛親、若江方面には重成が展開し、>藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙した。藤堂軍の右翼を>破った重成は、散開していた兵を収拾し昼食を取らせると>敵の来襲を待ち構えた。その後、敵陣へと突撃を開始>するも、井伊軍との戦闘の末に戦死した。井伊家家臣の>安藤重勝に討たれたとも、庵原朝昌に討たれたが朝昌は>その功を重勝に譲ったともいわれる。>首実検でその首級が家康に届けられると、頭髪に香が>焚きこめてあったので、その覚悟を感嘆させたという>逸話が残っている。その後、首は重勝が密かに彦根>まで持ち帰り、安藤一族の菩提寺である宗安寺に>埋めたとされ、同寺院には木村重成の首塚がある>なお、慶長20年(1615年)1月7日に大蔵卿局の姪の>青柳を妻に迎え、八尾・若江の戦い前後に青柳と別れの>盃を交わしたという。重成の死後、妊娠していた青柳は、>近江の親族によって匿われ男児を出産後に出家した。>そして、重成の一周忌を終えると青柳は20歳で自害した>という戦国最強のイケメンとも言われ、真田丸では仮面ライダー俳優の白石隼也が演じていたそうだが、身長も大変高く、体格もがっちりしており、顔は色白で眉は黒々とし、目はキリリとしているなど。女装をしていても誰も気づかなかったなんて逸話もあるそうだひこにゃんのモデルはというと、彦根藩の二代目藩主の井伊直孝にゆかりのある1匹の白猫をモデルとしている関東の豪徳寺で直孝がにわか雨にあって、大木の下で雨宿りをしていると、手招きをする白猫を見て近寄ると直後に大木に雷が落ち、白猫のおかげで難を逃れたと喜び、招き猫発祥伝説でもあるそうだかつては第一公設市場が置かれ、彦根の台所と呼ばれ地元の人々に親しまれてきた場所が、四番町スクエアとして生まれ変わったそうで、色んなお店があったそして先程の夢京橋キャッスルロードの東側に並行するように、お寺が連なった風情のある町並みがあった彦根には何度も来た事があるが、この通りは初めてこんな落ち着いた通りもあるのか佐和山麓から彦根城築城の際に、ここに移転をした来迎寺の木造阿弥陀如来坐像は、国の重要文化財に指定をされている1603(慶長8)年に、初代彦根藩主の井伊直政が創建したと云われる大信寺の石垣は、彦根城の築城の時の残石なんだとか。直政は関ヶ原の戦いの軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、三成の居城でもあった佐和山城に入城をしが、中世的な古い縄張りや三成の居城であったのを嫌い、新たに築城を考えたしかし関ヶ原の戦傷が癒えず死去。家督を継いだ子の井伊直継が幼少であったので、家老の木俣守勝が家康と相談し直政の遺志を継いで、1603(慶長8)年に現在の彦根山(金亀山)に彦根城の築城を決めたそうだ公儀御奉行3名により、尾張藩や越前藩など7か国15大名(15大名とも言われる)が手伝いを命じられた天下普請で1606(慶長11)年の二期までの工事が完了し、天守完成を持って直継が入城。その後も彦根藩のみの手により、1622(元和8)年に彦根城が完成をしたそうだそれに伴い、彦根城の城下町の町割りが本町地区(夢京橋界隈)から始まり、外からは攻めにくい道(鍵の手、どんつき、、狭い、迷う)が作られた西国と東国を結ぶ交通の要所にある彦根は、徳川幕府にとって特別の場所でもあり、信頼熱い井伊に任された訳だし桜田門外で暗殺された井伊大老も輩出をした、幕府きっての彦根藩が、官軍となり討幕に加わったというのも、色んな大人の事情でもあったんだろうな彦根城の周囲には、お寺以外にも武家屋敷なども連なっていたようだこのお宅にも看板があるのだが、雨がひどく帰りに見に行こうと思いながら忘れてしまって、なんだかのゆかりのあるお宅らしい今回は洋風のお土産にしたけど、彦根の和菓子屋で有名な「いと重菓舗」は創業200余年を迎える老舗で大老 井伊直弼の御用達「埋れ木」は、以前に食べた事がある。雨には降られてしまった彦根だが、初めて出かけた寺もあるし、それなりに楽しむ事が出来た。 平成30年5月7日に滋賀県彦根市で撮影にほんブログ村
2018年10月11日
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今年もあちこち出かけているので、ここでまだ紹介してない行楽もいっぱい。今回は今年の春5月初旬に一人で出かけた、例の日帰りバス旅行無料招待で、出かけた先はこの手の旅行で、うちのあたりから人気の行先だまずはお決まりの一般販売はしていないという高価な宝石&健康グッズ販売店に立ち寄って90分。興味がなく売り場にいたくなかったらゆっくりできる休憩所もあるので、早々にそちらに移動今回も販売前の説明トークで、宝石のクイズがあって、クイズに当たった上に、5月は誕生月だからわかったと言うと、小さなキャンドルもいっぱい貰った。私は買った事など勿論ないがここに立ち寄る事で成り立つ無料招待なんだろなもう10年位は、同様の旅行が続いているし今年など春先の伊勢に、今回の彦根、今月はもう一つ秋の旅も当選しており、何度もあるという事は実際にお買い上げになっている方などもおいでになるのだろうか。あくまでも自己責任なんだけどもね宗教もだけど、人には全く価値がないとか効果などないと思っても、人によってはそれが生きがい、救われたなんて事もあるから、他人の生き方には口も出せない。でうちの次兄家族とか、長兄嫁などは某有名新興宗教(別の)に入っているけど、選挙頼まれる位で、特に無関心でいたりする実家は曹洞宗永平寺&津島神社系でうちは臨済宗妙心寺&諏訪神社系。姉のところは浄土真宗西本願寺(神社は?)というように既存仏教で、子供の頃から京都や奈良の寺社仏閣が大好きなんで特にこうゆうもんだと無料招待の基本料理。これにお金を追加した方は、左上のお肉が近江牛にパワーアップするようだこの前にも一つ観光があったけど、写真枚数の関係で後半にまわして、先に彦根フリータイムの紹介をしますが、今日はあいにくの天気で。お天気までは事前に判らないし運が悪かったとしか・・・・彦根城のすぐ前で解散&集合なんだけどこんな天気だし、何度も出かけているので彦根城&ひこにゃんはパス。今回はお城の近くの夢京橋キャッスルロードあたりへ添乗員さんお勧めの漬物屋さんまで連れて行ってもらって、お茶などを貰って、ここで解散。私もお土産に赤こんにゃく味噌漬を購入雨だしのんびり午後のスイーツでもとネットで調べ、地元の老舗のケーキ屋「三中井」さんに出かけてみたショーケースには美味しそうなケーキがいろいろと並んでいたがここで人気だというロールケーキのオリンピアを食べてみた。その土地ならではのものを食べるのも行楽の醍醐味ださっきよりは雨がゆるくなったようだこのあたりで20年近く前に、王様の旅という、2泊3日のペア滋賀旅行に当選をして旦那と近江牛ランチを食べたのが懐かしい新幹線のグリーン席に乗ったのは、後にも先にも、その時ただ一度だった。しかも滋賀県内はタクシーチャーターで、京近江最上階だだっ広いVIP室で、食べきれないような極上の食事をさせて貰って。。。。あの頃は懸賞もハガキで応募をするタイプで応募もさほどなかったのか、よく当たったがネットで簡単に情報も得られて、応募出来る昨今は当選も難しくなったようで、ここ数年よほどの場合以外は懸賞から遠ざかってきるそんな中で、この勝手知ったるこの手の旅行の応募はせっせと行っている。あとNHKの歌番組の公開収録、メールで当選と通知があって、今年も渋谷に行けるのかと喜んでいたが、昨日あたりには届いているらしい入場整理券が、今日も来なかったし明日も来ないようならNHKに問い合わせをするか・・・ここまでの素敵な洋館は全国区になったクラブハリエ&たねやの彦根の美濠の舎(みほりのや)です。ここでケーキでもと迷いましたが、先程のオリンピアを食べました。彦根だし地元の老舗で・・・紹介を前後しましたが、彦根市街に出る前に多賀大社に参拝に行きました。ここも先程、紹介をした王様の旅で参拝をして以来の来訪になります。王様の旅は旅の観光先、食事、宿泊先などプランニングを自分で行って、だいたいその通りになる旅行でしたまだ当時はデジタルカメラが出ていなくて(もしくは出たばかりで)、フィルムのものだったので今のようにバシャバシャ撮れずに記念写真じみたものが少ししか残せなったのが残念でした。あと10年早くデジタル普及してくれてたら・・・デジタルカメラが普及して、程なくブログサービスが出来た事で、このような行楽のブログも始める事が出来た訳で、これを始めてブログに時間をとられる事もまた懸賞を熱心にやらなくなった理由の一つかもしれないですそれに娘が大学や就職で、一人暮らしを始めて、信州や静岡など微妙に遊びにも行ける距離だったので、私も入り浸ってそこから行楽に出かけたりもしていたし懸賞をする暇もなかったし無料の日帰り旅行も高齢者の参加者が多いので、こういった有名な神社仏閣が行先になることが多く、写真をパシャパシャしてばかりでも、しっかりと参拝させていただきました多賀大社についての概略は、↑の看板をご覧ください。自分で書くのが面倒なので今回はしっかり立て看板を撮影してきた「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」との事で、伊勢も行ったばかりだし、これは丁度良かった御祭神のイザナギ・イザナミは伊勢神宮の御祭神アマテラス大神の親にあたるので多賀大社は豊臣秀吉からの信仰が篤く、母大政所の延命を祈願し叶った事から、米一万石を寄進しており、その一万石で反橋などが造営されたので、太閤橋とも呼ばれているそうだ上からはこんな景色振り返ると、こんな感じ横から見た場合は、こんな感じですあきませんわ。こうやって日記を書いていても、頭の中はNHKの入場整理券がまだ届かないという事ばかり。いっそ事前の当選メールが無ければ、こんな心配もいらないのに。普通はどっちかだけなんだけど。当選メールか、当選通知今どきの売れている音楽アーティストのパフォーマンスも楽しみだけど、それを理由に東京に行ける=フェルメール展が見れるという図式で、フェルメール展の高価な前売チケットを買うのは、ちゃんとNHKの入場整理券が届いてからと決めているのでホテルは3日前位までならキャンセル料は必要ないので、応募した時点で渋谷で予約しているが、何事も確実にしたいので早く届いてもらわないと、フェルメール展のチケットが買えない・・・・それにしても棚から牡丹餅はこの事か同行予定の姉もテレビでフェルメールの特集を見たようで、楽しみにしているし書店にもフェルメールを特集した雑誌などもあるので、人気のほどが伺わるだけあってチケット代も2500円って本当はね。京都の国立博物館で開催されている日本刀の展覧会も行きたいでもでも、このように出歩いている中京都に日本刀を見に行きたいとも言えず東京だってフェルメール単品じゃ無理だ旦那的にNHK歌番組収録>>フェルメールみたいな感じで、しかも姉が歌番組を見るの楽しみにしているから♪などと、姉を引き合いに出してこそOKも貰えるというものもう来週の事なのに、まだ入場整理券が届いてないので、旦那にも言ってないしあまり間際にしたくないので、そんなこんなで次の行動を早く取りたいのでやきもきしている訳だ。ところで今回はフォーク番組の収録ではなく、東京五輪がらみの音楽番組で、当世の東京の流行歌手が幾組も登場するそうであるNHKホールの利用で、客席は3千人以上入れるみたいだが1当選でペア入場なので、当選数は半分。応募は1夜、2夜合計で1万人を超えてみたいだ。憧れの紅白歌合戦に比べたらかなり低いハードルだし。一度くらい渋谷で大晦日を過ごしてみたいもんだそうそう一般のコンサートなども最近は転売防止で、本人確認が増えつつあるがNHKの主要の公開収録でも、運転免許証などで当選者本人であるかを確認をして入場させているおっ、しゃもじの絵馬だお多賀杓子については、写真にも簡単な紹介があるが、これがおたまじゃくしの名の由来らしい大きなしゃもじが看板の門前のお店では、名物の「糸切り餅」が売られていた。やっぱ大きな神社やお寺の前に和スイーツは定番だ流石に歴史ある神社だけに、名物もなにやら歴史じみている旅行自体が無料だったので、高価な宝石は買わなかったが、食べれるお土産は気合も入った先程の多賀大社門前の糸切り餅と、お隣で地元のお酒を彦根の赤こんにゃく味噌漬と、クラブハリエのバームクーヘンそして恒例となった途中の養老サービスエリアでのお土産は、滋賀県には関係の無い桑名の安永餅と、名古屋城での武将イラストの入ったコカ・コーラ彦根で、土砂降りの中で観光した先は次回紹介させていただきます。勝手ながら固有名を挙げての宗教関係のコメントは、お控え願いますように 平成30年5月7日に滋賀県で撮影 PS.入場整理券無事に届きました。5日午後0時にほんブログ村
2018年10月04日
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さてさて7月末に娘と出かけた1泊2日のバス旅行も2日目となった。ホテル出発は午後2時半(だったかなぁ)なので、午前の観光とランチは楽しめそうだ。とは言っても昨日は昼から夜までてくてく歩き、神戸市街あらかたの観光地も出かけてしまったので神戸のガイドブックをホテルで読んでいた娘が前に横浜のクルージングも楽しかったし神戸港のクルージングをしたいと言うのでじゃあ海から神戸を見ようと「クルージングカフェファンタジー号」に乗船を決めた午前中の一番早い便に乗れば、午後の集合時間が早くてもランチも楽しめそうだ。神戸港のクルージング船は色々とあって、帆船型のベイクルーズとかも手頃にクルージングが出来るこちらはミュージック・グルメ船のコンチェルトでお食事も楽しめるみたいだし、昨夜ホテルの横に停泊をしていたのは、国内最大のレストラン船ルミナス神戸2だったどれに乗るかは時間と予算の都合で。前の日記でも紹介をした「旧神戸港信号所」も間近に見れたそれにしても良く晴れて、クルージング日和といったところか。船室でも寛ぐ事も出来るが、潮風に吹かれて神戸港を大満喫鉄分がお好きな硬派な方は、是非右側で待機してみて下さい。間近で巨大な働く船が見れたり巨大なクレーンが幾つも立ち並ぶ姿は圧巻だ。コンテナの荷役を担う大型の橋形クレーンは、荷役を行っていない際は海上にせり出したアームが垂直に上がり、その姿から「キリン」と呼ばれるおっ、造船所があるようだというか、これって「潜水艦」ではないか♪1906(明治39)年に、川崎重工業は国産初の潜水艦の建造を始め、太平洋戦争後の建造中止期間を経て昭和32年に再開戦後初の国産潜水艦「おやしお」を製造し今も日本における潜水艦技術を担っている昨年11月には物事を高所から判断し、素早く行動する竜という意味合いから「しょうりゅう」が造られたそうだ。高張力鋼と呼ばれる特殊鋼を使用し、ディーゼル機関2基、スターリング機関4基を搭載し潜航性能を向上させた。更に高性能ソナーを装備し索能力などを高めたんだとか日本近海での近隣国による活発な動きを受けて海上自衛隊の潜水艦を増しているそうで、この川崎重工業神戸工場も、潜水艦の修理用ドックの大規模な改修や、自ら修理、監督をする海自の乗組員向け施設の建て替えが行われているそうりゅう型(○○りゅう)は、ここ10年間で海上自衛隊で運用をされている日本の最新の通常動力型潜水艦で、最新技術がふんだんに使われ、その実力は通常動力型潜水艦の中では世界最強の性能とされているんだとか海自の潜水艦は、同工場と三菱重工業神戸造船所で毎年交互に1隻ずつ建造もされている。こちらは1905(明治38)年に創業。略称は神船(しんせん)今年3月に従来艦に比べ潜航時間が長く、エンジン音も静かだという最新鋭の潜水艦「せいりゅう」が造られたちなみに、〇〇りゅうの名は政府の方針から縁起の良い動物にする事が決まったので、「龍」となったのだが、日本帝国海軍の明治期の御召艦や、戦前の日本初の本格的な空母の「蒼龍(五行思想の五龍)」にちなんだものなのかな? 遠くに見える「明石海峡大橋」は、神戸市垂水区と淡路市岩屋とを繋ぐ、明石海峡に架けられた世界最長の吊り橋で、全長は3,911 m、中央支間1,991 m本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」として供用され、四国と近畿、本州の交通の要所だこれは神戸空港の海上誘導灯で、航空機と船舶双方を誘導する灯台の役割を果たしている。海上都市ポートアイランドの沖合約1キロメートルに人工島を造成し建設された「神戸空港」は2006年2月16日に完成定期便は国内線のみ就航し、国際線はチャーター便に限られている。神戸市が空港運営を行っていたのを民間事業者に運営権を売却し、今年春からはオリックスヴァンシ・エアポート、関西エアポートの3社による「関西エアポート神戸株式会社」が運営を始めたポートランドと神戸空港を結ぶ連絡橋の神戸スカイブリッジは全長1187.6mの橋梁で、最大支間長160mの7径間連続鋼床版箱桁と2連のゲルバー単純鋼床版箱桁で構成をされているこの奥は大阪。このあたりで船は引き返す1931(昭和6)年8月15日に初点灯をされた「神戸港第一防波堤東灯台」は、神戸港と大きく書かれており、港名を記した灯台は日本でここだけなんだとか。1964年から2年連続で台風による高潮などの被害を受けた女流書道家の長浜洸さんが安全祈願で筆を執ったものが当時の神戸市長に寄贈をされ1967年の開港百年の記念事業として、海上保安庁の許可を受け、灯台に掲げたんだとか神戸市中央区にある本州側の新港第四突堤とポートアイランド間に架かるのは、日本初のダブルデッキアーチ型鋼橋の神戸大橋があり水道・ガス・電気・電話などの添加物が取り付けられている。横には神戸新交通ポートアイランド線専用のポートピア大橋も右端の黒っぽいのが神戸港開港100周年を記念をして建てられ1969年竣工。西日本初となる超高層ビル「神戸商工貿易センタービル」(26階)で107メートル。霞が関ビルに続いて2番目に高いビルだった。今はそれを優に越す高層ビルがニョキニョキと。ビル群奥に建つシティタワー神戸三宮(54階)が190メートルで兵庫県で一番高い現在、日本で一番高いのは大阪のあべのハルカスの300メートルで、都道府県別のナンバー1ビルを続けてみると・・・横浜 ランドマークタワー 296東京 ミッドタウンタワー 248愛知 ミッドランドスクエア 247静岡 浜松アクトタワー 212広島 シティタワー広島 197で、逆に一番低いのは奈良の49メートルビルじゃなく、東大寺の大仏殿が一番高い建物らしい。興福寺五重塔は50メートルもあるが、屋根の上の相輪も含めての高さだ遊覧船のチケットは、お得なポートタワー展望デッキとのセット券を購入していたので船を降りてから登ってみた。そこから眺める神戸の街並み。ポートタワーの高さは108メートルあり1963年竣工。国の登録有形文化財にも指定をされているタワーの高さランキング1位はお馴染みのスカイツリー634メートルで日本どころか世界で一番高いタワーである。展望室の料金も高いので、ケチの娘と行ったので良く晴れた日なのに、もったいないと登る事が出来なかった日本で一番高いのはスカイツリーで、次には東京タワーの332メートル。そして3番目のタワーはここ神戸市内にある。↑先程の写真に彼方に見えていた「明石海峡大橋の主塔」の298メートルだなにげに頑張っている神戸だけど、貿易などでも栄えていた街だけに、有名企業の本社も多い。洋菓子やパンの名店も山程あるが、それ以外もネスレ日本、UCC上島珈琲、ウエシマコーヒーといった全国区のコーヒーブランドの本社もあれば菊正宗、白鶴といった清酒メーカーなにせ灘の酒は歴史的にも名高いしフジッコ、伊藤ハム、本家かまどやとかも神戸なのかぁ~うちのお風呂のノーリツとか、靴のアシックス、化粧品のノエビアとか消費者にお馴染みなものの他に最初の川崎や三菱のような、業界メーカーも山程あるようだしそして、かつては神戸に本社があったというのも、三菱電機、リプトン、コナミジュンク堂書店などなど。そして、ここ楽天も。三木谷社長は神戸市出身だそうで 阪神淡路大震災で、故郷の神戸が瓦礫の山と化してしまい敬愛をしていた叔父、叔母を失った事で人生観に大きな影響を受けて。間もなく起業を決意したんだとか。山が迫っていて平地が少ないとか、大震災の復興などの要因もあるが、大きな企業の本社が沢山あるのも、神戸に高層ビルが多い理由なのかもしれない下をのぞけるようになっていたが、くもってしまってるよ。残念今度は海の方を眺めてみる。昨日は台風直撃直後の余波もあり、臨時休業などもあったが二日目の今日は、本当にお天気にも恵まれて神戸港を楽しませて貰えた。ちょくちょく書くが山の人間は、海を見ているだけでも心がウキウキしてくるのだそろそろタイムリミット。午後にはホテルの無料送迎バスに乗る為に、三ノ宮駅に戻った同じバスのツアー客もお土産の袋などを手に持ち、集合場所のホテルへとホテルには、集合時間のよりも早い時間に全員揃ったので、15分前には出発となりバスの車窓から神戸も見納め。大正時代に造成された埠頭と湾岸施設の新港地区には国内最大級の物流拠点となり、今もレトロな倉庫が建ち並んでいる国際貿易港神戸のシンボルであり、港の歴史を語る上で欠かせないのが、大蔵省営繕課設計で昭和2年に建てられた神戸税関旧館で、阪神淡路大震災では、倒壊や崩落こそなかったが強度に不安があったので、当初は解体も検討をされたのが、市民の強い要望により元の姿に復元されたそうだバスは一路、東へと向かい岐阜県へと戻ってきました。休憩所の養老サービスエリアでは半分、青いソフトクリーム。このドラマもあと残すところ1回だ神戸のお土産は中華街で買った紅茶とかに浮かべる花や、工芸茶やお香に、六甲山の描かれた缶に入った風月堂のミニゴーフル神戸の有名菓子は、全国津々浦々で購入が出来るので、こういった缶入りを神戸モリーママのラスクの、他には帰りのサービスエリアで買った京都の生八つ橋と伊勢の赤福餅。美味しければどこの土産であろうが関係はない主義だ。といった訳で娘と出かけた1泊2日の神戸格安バス旅行大満喫できました 完週末には、台風24号(チャーミー)が本土に上陸しそうな進路をとっている。日曜日に予定されていた地域の秋祭りは中止。大きな被害が起きないように祈るばかりだ。とりあえず停電に備え溶けやすいアイスを食べてます 平成30年7月30日に神戸で撮影にほんブログ村
2018年09月28日
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さてさて、お昼近くにはバスで宿泊先のホテルに着いて、荷物を預けて神戸観光三宮をスタートして中華街や、元町から北野町へ。地下鉄で三宮に戻ってからは少し早い夕食も終えて、三宮センター街夕暮れ刻のレトロな旧居留地を散歩しながらやってきたのは神戸港である。萬國波止場?なんでも第二次世界大戦でメリケン(米利堅)波止場が敵国語ということで、萬國波止場と言い換えられたそうだウィキペディアによれば>1868年に明治政府が兵庫港第3波止場として>開設。当時、波止場のすぐ近くに米国領事館が>あったことから、「アメリカン」の英語の原音>発音から「メリケン」波止場と呼ばれるように>なった>大正時代に中突堤と新港突堤が竣工するまでは>高浜岸壁とともに神戸港を代表する波止場で>あった。1987年に波止場の西側一帯が埋立て>られてメリケンパークとなり、神戸の異国>情緒を表す場所として映画のロケなどにも>使われている淡谷のり子の別れのブルースに出てくるメリケン波止場は横浜の方で、あちらの大桟橋もメリケン波止場と呼ばれていたようだ阪神淡路大震災によって被災をしたメリケン波止場の一部、岸壁60メートルをそのままの状態で保存し、見学できるように整備もされていた。阪神淡路大震災では次兄の嫁さんの実家が豊中にあり半壊したそうだまた長兄も前日から関西の仕事で、伊丹空港の近くのホテルに泊まっていおり、無事だったが当日の夕方頃まで、家族と電話連絡が取れなかったそうだ。ウィキペディアによると>1995(平成7)年1月17日5時46分52秒、>淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の>明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度>2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の>兵庫県南部地震が発生した>近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、>京都府も)が大きな被害を受けた。特に>震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・>中央区「三宮・元町・ポートアイランド>など」・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は>甚大で、日本国内のみならず世界中に>衝撃を与えた>犠牲者は6,434人に達し、戦後に発生した>地震災害としては、東日本大震災に次ぐ>被害規模であり、戦後に発生した自然災害>では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を>上回り、東日本大震災が発生するまでは>最悪のものであった高速道路が横倒しに崩落した映像は今も脳裏に焼き付いている。生きている間にこのような大きな災害を目の当たりにする事はないと思ったのに、その記憶も鮮明な時期に、東日本大震災が起きてしまったのだが・・・・震災時に建設中であった神戸メリケンパークオリエンタルホテルは建物自体は液状化対策や耐震構造を施していたため、被害は殆どなく開業をしたのは阪神淡路大震災が起きて僅か半年後の事であったこの写真は翌日の写真であるが、ホテルの上階にあるのは、海上保安庁から正式に認可を受けたホテルに設置をされた日本で唯一の灯台である1995(平成7)年7月7日に行われた点灯式では午後7時7分に神戸の復興を願う777発の花火が打ちあげられたそうだ昨年春に開業したのは西日本最大級のスターバックスコーヒーの神戸メリケンパーク店で、関西地区では初の公園内店舗なんだとか2階のパノラマカウンターからは神戸の海を見渡せるそうで、一度は立ち寄ってみたいお店だが、夜だし今回はパス。また来ます大海原を駈ける帆船の帆と波をイメージした白いスペースフレームの大屋根が特徴的な「神戸海洋博物館」は、1987年に神戸開港120年記念事業として作られ、船の仕組みなど海、船について学べる施設だ展望用に1963年に建設された「神戸ポートタワー」は、「ウィキペディア」によると>世界初のパイプ構造の建造物で、和楽器の>鼓を長くしたような外観(双曲面構造)が>特徴である。その独特の構造・形状から>「鉄塔の美女」とも称され、高層建築物の>モデルの一つとなっている>また日本で初めてライトアップされた>建造物でもある。第15回日本建築学会賞>(1963年)、 建築業協会優良建築賞>(BCS賞)、 照明学会照明普及会賞>DOCOMOMO JAPAN選定 日本における>モダン・ムーブメントの建築(2003年)の>受賞歴がある。2014年12月に国の登録>有形文化財に登録された神戸泊まりはなかなかなく、ロープウェイなどを使って、神戸の夜景を山の上から見る事も考えたが、夜のメリケンパークの散歩もなかなか良かった前に行った横浜港の夜散歩も楽しかったし港は昼間よりも、夜の方がロマンチックでより輝いて見えるようなぶらぶらと歩いていたら、何やら良い音楽が聴こえてきたので見に行ったら噴水ショーをしていた。これは「ノートルダム神戸」というブライダル施設によって行われているものでフランスのベルサイユ宮殿の噴水ショーを設計したデザイナーが手掛けたものだそうで最大で幅27メートル、高さ20メートルまで水を噴き上げ、夜は音とライトアップのショーが楽しめる1921(大正10)年に神戸新港の第四突堤に建設され、1990(平成2)年に新港第5突堤で信号所としての役割を終えた旧神戸港信号所は神戸港に現存する最古の信号所建造物で、今はハーバーランドのシンボルタワーとして、高浜岸壁南端に移築され、保存されている旧国鉄の湊川貨物駅や川崎製鉄(現JFEホールディングス)、川崎重工業といった沿岸一帯の工場の跡地約23ヘクタールを再開発し、1992(平成4)年に出来たのがハーバーランドで、総事業費は神戸市と民間企業合せて3000億円以上「umie MOSAIC」(かつての神戸モザイク)は海と運河に囲まれた三層構造の建物に、ショッピング店舗レストランなどが並び、数年前には神戸アンパンマンこどもミュージアム&モールも出来て賑わっているここでも良い音楽が聴こえてきたので、その音の方に向かったらベリーダンスのショーをしていた。先日、テレビでベリーダンスをしていて、娘は中南米のものだと思っていたとかアラジンやろ、恰好が中東のアラブ圏で発達したベリーダンスは紀元前5世紀のエジプトの壁画にも描かれ長い歴史があり、アラブ圏ではラスク・シャルキー(東方の踊り)というらしい「六甲牧場カフェ」で夜だけどソフトクリームスイスの山岳牧場を模して、神戸を見下ろす六甲山に広がる牧場は、動物とも触れあえ観光面にも充実しているそうで、なんでも神戸市立なんだって営業を終えて薄暗くなった「神戸ハーバーランドumie」の通路を速足で歩き、最寄り駅へと向かった先程のMOSAICも含め三棟で200以上の店舗が入っており一日いても飽きないというか、まわりきれそうもない感じだ明朝のホテルのモーニングブッフェ。団体料金だし安めのホテルだけど、ごく普通にシティホテルのものと変わらず、神戸だし明石焼きとか、そばめし、豚の角煮を挟む中華まんといったご当地グルメもそんなグルメを食べても、最後にはやっぱ純和風なものを食べようと、お替りしたのはお蕎麦に梅干し、大根おろしと漬物、お豆腐食事も終えて2日目のスタートさてさて二日目のスタートは、昨夜のメリケン波止場&ハーバーランドのお散歩の終点である最寄り駅の「JR神戸駅」から。昔、ホームにあったという水飲み場のやすらぎの泉外に出ると気持ちの良い青空で、このビルは建築系のショールームが幾つも入っているので、家を建てる前に旅行のついでに立ち寄った事があるこちらのビルは、もはや空に一体化をしてしまっているし天井から光が差し込み、青空ものぞいた広場の一角には流行りの、天使になれる絵画があった昨夜は閉店後で、どのお店もシャッターが降りて寂しかった神戸ハーバーランドUmieだが、ここも青空がよく映えていた。この後に午前中の観光をしたのだが、構成上、次回の紹介として、先にここで食べたランチを紹介神戸ハーバーランドumie内に去年の夏に開業したのが約300席のイートインスペースを有しグルメもたっぷりと楽しめる新業態の「イオンスタイルumie」で、私は限定数販売のアボガドとまぐろのヘルシーそうな丼を、さっぱりと娘の方は注文してから、いそいそと何処かに行ったと思ったら、食品売り場で金麦を買ってお肉のおともに。このフードコートは食品売り場のスグ横なので、他の人が飲んでいたのを目ざとく見つけて真似たようだ。次回は神戸の旅、最終回です。果たして何処へ? 平成30年7月29&30日に神戸で撮影にほんブログ村
2018年09月21日
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台風も去ったが、秋雨前線に突入したのか昨日は多治見付近の大雨で、JR中央線が見合わせとなったし、この時間(9月10日)も大雨警報が発令されたそうだ。近畿や北海道みたいな災害は起きなかったけど、多少なりとも、うちのあたりも台風の影響を受けたのでそのリポートを9月4日、近畿地方に上陸をした台風21号が近づいた午後遅く、台風の右側にあたる為かうちのあたりも風雨が強くなり、窓に雨粒があたるようになってきた。うちの場合は1階掃き出し窓はシャッターがあるので下ろしていたけど2階はベランダがあるので、奥まった掃き出し窓にはお金もかかるからと旦那はシャッターを付けなかった。ベランダはかなり幅もあるのに窓が雨で濡れているし。やっぱ2階も小さめの窓にもシャッター付けた方が良かったかなぁ~台風後の掃除で、2階なのに小さなカエルがいた午後4時過ぎに、台風情報などを見ていたTVが消え停電となった。何時までかかるかわからないので、数個ある懐中電気やラジオなども用意し、既に車のガソリンも満タン夕ンスマホの充電もばっちりだ。風が強くなってきた夕刻早く娘も無事に帰宅して全員揃ったこれまでの経験上、我が家の場合は落雷での停電は何度もあって、長くても4時間程で解消をしていたので、台風で停電というのはあまり意識はしていなかった。まっそのうち電気も付くだろう~なんて、呑気にかまえていたけど待てど暮らせど電気は戻らず、夜になっても電気が付く事はなかった。娘がネット検索で停電では懐中電灯を上に向け、その上に水の入ったペットボトルを乗せると、部屋全体が明るくなるというのでやってみたそのまま置くのもどうかと思ってサランラップを間に挟んでみた。お~、なんだか天井もきれいな模様が出来ていた。更に麦茶とか色のついたのは雰囲気もかわってくる。舅姑にも懐中電灯を用意してあるのに、電池が勿体ないと仏壇から持ってきたロウソクを利用しているよ。倒すなよ~~~と念を送るがうちの場合は姑の方はIHだけど、こちらの方はプロパンガスなので、調理は問題がなかったが電気の炊飯器は使えなかったので、ご飯に困る夜は冷や飯があったのでチャーハンだ。もしオール電化のお宅ならカセットコンロを用意しておくといいかも停電は午後4時過ぎに発生し、結局は次の日の昼過ぎまでの20時間かかり、一番困ったのが冷蔵庫だ。とにかく冷凍庫は開閉しないように冷蔵庫で作った氷を袋に入れた上でこぼれない様に大きな器に入れ、冷蔵室の上の方に設置しクーラーボックスみたいにして、翌日の午前中までは冷たいままで食品も痛みもない模様しかしそろそろ冷水になりそうだし、スーパーの袋入りの氷を購入。これは割れてるタイプだが四角い大きいのは長時間にわたり溶けないそうだが、停電解消後の再利用を考えて、こちらのタイプにした。安いしこんな感じで冷蔵室の一番上の段に。冷気は上から下へ降りてくる。再設置後、2時間もかからず停電は解消したので、殆ど溶けてもなかったので冷凍室(氷の)に保存をしたが次の日も、数時間にわたる停電が起きたので再び再利用。大活躍となった開閉をしなかった冷凍室の、冷凍食品とかたぶん大丈夫だったけど、これって溶けると停電時に食べたのがアイスクリーム。運悪く台風前に息子がカップアイス千円分、旦那も数百円位かったばかりで、全部は食べれず停電後の再冷凍で、旦那の袋に入ってたバータイプは変形してたが美味しかったけど、息子のカップアイスのはかき氷化して、下部には濃厚なアイスクリームと分離をしちゃったみたい。更に冷凍庫の奥の方に入れたアイスは、あまり溶けていなかったキッチンで普段の食事で大活躍の電子レンジティファールの湯沸かし器は、炊飯器ともども使用できず、その偉大さを改めて大確認。あっやかんはありますが、息子も旦那もその存在を知らなかったようだ。必要なだけスグに湯が沸くからティファールばっかだしタンクレスで見た目もスッキリの1階のメインのトイレだが使用後に流すのは横のパネルのボタン停電で押しても水は流れず・・・・・・・・・しかし人目に付かないプライベートなトイレだからと、2階と、舅姑が家の建て替え中に裏の農機具小屋に住んでいた時に作った、靴を履いたままで使えるトイレの2つは、安めでタンクの取っ手をひねるタイプなので停電でも使えたので助かったお風呂もプロパンガスで沸かすタイプだけどその操作盤は電気を使っているので、ボタンも押せずにお風呂も入れずあと洗濯機も、もちろん使えなかった。快適な電気生活で私が一番、ストレスをためたのは情報が入らない事。この段階になると台風がどこだとか、そうゆうのよりも自分の住んでいる地域の警報とかで、そのあたりは電池式の無線で情報を随時、流してはくれるけど停電がどこで起きているとか、復旧の予定はというライフラインの情報は全くないとりあえず全国的な台風被害など、世間の事も知りたくて、7時や9時のNHKの定時ニュースは車のカーナビの地デジテレビできゃ~、テレビを見ているうちに土砂降りそれぞれのスマホの契約もあるけど、普段は家では、無線ランでNTT西日本のフレッツ光停電で機器が使えず(写真は復旧後に撮影)それぞれのスマホの契約で、中部電力の停電情報を見たりもしていたが・・・・・・・・テレビでも報道をしていたがスマホの電源が60%、40%とどんどん減ってきて。それどころか、翌朝の8時にネットが繋がらなくなってしまったので、冷蔵庫用の氷も必要になったし街に出たついでにNTTドコモ店舗へ市内の広範囲でネットが繋がらないようで待ってください・・・と言われるお店によるかもしれないが、そのドコモ店は無料でスマホ充電ができるコーナーがあったので、お店の週刊誌を読みながらくつろいで充電をさせて貰った。停電もネットもその日の午後1時過ぎに復旧したが、その後も数時間にわたる停電や、寝ていて知らなかったが深夜も停電があったようで、都合3度私はドラマは録画をし、暇な時間にまとめて見るけど、停電で5つのドラマが録画できず中でも綾瀬はるかがパワフルな継母を演じるドラマが見れないのは・・・と、思ったけど最近は見逃したテレビ番組を、ネットで見る事も出来るので、無事に視聴も出来た翌日、車庫のガラスに何か当たったのか割れてしまった。間もなく稲刈りも始まる田んぼは水が溜まりびしゃびしゃで、これが乾かないとコンバインも入れず、去年も長雨で稲刈りが9月末まで延びてしまい、やきもきをしたが今年も? 更に強風で稲穂も倒れてもいた都会のように看板とか電柱はないが、自然が豊かな山の上なので、あちこちで樹が倒れてしまったり、枝が折れて痛々しい。うちのたわわに実がなっていた柿の木も無残に枝が折れて、その反動か根元から倒れてしまってもう甘い柿の実は食べれないようだこんな感じであちこちで倒木。根元から倒れて、橋の欄干にひっかかり、川には転落していない。そんな頑張った欄干をよくよく見れば虫がいた 平成30年9月4日~8日に中津川で撮影台風に続いて、北海道で大きな地震があったので今では台風の被害に関する情報は殆どされてないが近畿を中心にして、今も難渋されている方や地域もあると思う。2011年の東日本大震災の翌日には「長野県北部地震」が、長野県北部と新潟県中越地方に起きたマグニチュード6.7、最大震度6強。本震に続きマグニチュード5以上の3回の余震が2時間内に相次いで発生。気象庁の推計震度分布によると長野・新潟県境の比較的広い範囲で震度7相当の揺れがあったとみられ、直接の死者こそなかったが(避難生活中に関連死3名)、あちこちで亀裂が走り家は大きく傾いたしかしテレビでは東日本大震災の津波や、原発関連のニュースばかりがされ、停電、断水、交通遮断、不自由な避難生活を送りながらも、全国から目を向けられる事も殆どなく、報道されない被災地忘れられた被災地とも言われ、支援の手も満足には届かなかったようだ今年の夏は中国地方の豪雨に続き、酷暑、近畿の台風、北海道の地震と全国で災害が続き、今でも難渋されている方が沢山おいでになるという事を忘れてはいけない。地味だけど災難続きの岐阜県今度は、26年ぶりの豚コレラ(食べても大丈夫らしい)発生・・・とんでもない年となった 後半のマンホールの蓋は7月29日に神戸でにほんブログ村
2018年09月10日
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昭和36年に大阪湾岸に多大な被害を起こした第二室戸台風の進路にも似ており、今年最大の勢力を持った台風21号は、昼過ぎに徳島県に上陸し、四国や紀伊半島に続いて近畿に徐々に向かっているにもかかわらず、当日昼のワイドショーはやっぱトップは女子体操だとはブレないフジテレビ系だ普段から天気には力を入れているTBS系だけどトップで台風を扱いながら、いつもより早く女子体操に話題が移ったしどうせ台風を扱っても、台風情報はNHKでという人がいるから違う話題の方が視聴率が取れるんじゃないかといった作戦なのか?いやいや、これが東京直撃ならきっと今頃も台風の情報を延々流しているんではないかと思いもするしょせん民放のキー局の情報番組は、全国放送とうたってはいるが東京放送。東京の期間限定スイーツや、新店情報を見せられどうせ東京なんぞ行けないし!と、ぼやく地方人再び。と言うのもこの夏、東京の国立博物館では縄文時代の土偶などが全国から集まった展覧会をしていたんだけど定年になって金がないと常にぼやく旦那には、とても東京へ土偶を見に行きたいとは言いだせず断念し、悔しい思いをした事からの、いわゆるひがみだ昨年の京都国宝博物館で、名のある国宝の土偶も見たが、まだ見ていないものもあり東京ではそれらが勢揃いをしていたようだしかも今度はフェルメール展だって~!!現存する作品は35点しかないうちの8点(日本初公開含む)が来日するそうだ『フェルメール展』公式ガイドブック (AERAムック)土偶は諦めたが、もうこれは行くしかない上野の森美術館で10月から来年2月まで開催をされるそうだけど、その後には大阪開催があるので、東京は厳しいが大阪なら余裕で行けそうだ♪午後1時を過ぎてファッション系のブレない読売をのぞくと、フジ、TBS、朝日みんな女子体操。飽きないね。他に事件とかもあるだろうに。揃いも揃って1時間も放映をする程の事なんだろうか? でNHKの台風情報見てるけどそこまで掘り下げるだけのものでは無いように思える。スポーツならばテニスの錦織と大阪が揃ってベスト8に残ったというのとか、86才の高齢男性が免許を返上して4日後に、歩行者二人をはねて12メートルもひきずったとか国民民主党はどうやら今日、党代表の選挙があるみたいだけど、そんなんはメディア受けもしないんだろうな。という以前に、最近の地上波の民放って情報番組やワイドショーばかりで同じ内容の事ばかりを延々と流しているし飽きちゃう週末の普段なら政治系の硬派な情報番組ですら女子体操の特集してたし。視聴率いいのかな。国民揃って袋叩きみたいな感じになっているような・・・。相撲や女子レスリング、アメフト、ボクシングといったのも次のスキャンダルが出てきた途端、スパッとやめてしまうが、よくも次から次へスポーツ界で不祥事、内紛が続くもんだ。再来年には東京オリンピックを開催する国とは思えない現状だなんてブログにぶつぶつ書いていたら、午後早くに旦那が帰宅。昼に会社から退社命令が出たそうで、お昼ごはんを食べてから帰ってきたそうだ。テレビで一通り台風情報を見てから現在、お昼寝中なので私の方はブログ日記、再開をしたが流石に記録的な台風だけあって近畿地方の状況がわかってきた、午後2時台のワイドショーはどこも台風一色になった。先程も紹介をした、第二室戸台風を超える潮位が大阪湾岸で記録されたそうだし関空の施設に浸水があったとか、民家の屋根や瓦が飛んだなど様々な被害が出てしまっている。京都左京区では1時間に100mmの猛烈な雨が降ったそうだ大阪など台風進路にあたる自治体の他も日本全国の様々な地域でレポーターにヘルメットをかぶせ台風中継を行っているが、周囲の様子を見ればすごい風雨、波なのはわかるんで、レポーター自身を風の中に立たせての野外中継は辞めてほしいしかも高浪もあるような海岸や、川の脇とか風に体をあおられ、ふらつく姿は見ていても痛々しい普段から雨が降り、今回は台風の右側にあたる紀伊半島の熊野地方も、新宮や橋杭岩などの中継をしているが、それで思うのは、数年前に旦那と台風が接近をしているのに、よく熊野ドライブ旅行を決行したなぁという事しかも海際、川沿いのホテル宿泊だったけどキャンセルをする訳でもなく、どちらの宿も盛況だったが、直撃ではなく逸れていたのかそのあたりは覚えていないが。今回、写真を紹介している今夏の神戸バス旅行も台風直撃本当に旅行が実施されるのか、早めにキャンセルするべきか悩んだ旅行だが台風を追いかけるように、数時間後に神戸到着で、お店や施設で臨時休業もあって影響もあったけど、それなりに午後は北野異人館街も楽しんでの午後遅くに地下鉄で三ノ宮に出て、神戸の旧居留地界隈をてくてく。夕暮れも近づき建物がライトアップもされて、まるで倫敦(ロンドン)の街角を散歩しているような錯覚にもとらわれるちなみに旧居留地とは江戸幕府がアメリカオランダ、イギリス、ロシア、フランスの5ヵ国と安政の五カ国条約で、外国の治外法権が及んでいた区域を指し、横浜や大阪神戸、長崎の旧居留地が有名だそうだウィキペディアによると>神戸の旧居留地は、北は西国街道、東は>旧生田川(現在のフラワーロード)、西は>鯉川(現在の鯉川筋)、南は海に囲まれた>周囲と隔絶されていた地区で、そこに英国人>技師J.W.ハートが居留地(神戸外国人居留地)の>設計を行い整然とした西洋の街を造り上げた。>「東洋における居留地としてもっともよく設計>されている」と評された。一定の行政権・財政権>などの治外法権が認められ、居留外国人を中心に>組織された自治機構によって運営された(中略)>返還された居留地には大正から昭和初期にかけて>日本の商社や銀行が多く進出し、ビジネス街と>して発展した旧居留地の碑があったこちらの立派な石碑は宮城道雄の生誕の地お正月によく聞かれるお琴の「春の海」を作曲したそうで↑詳しくはこちらをご覧くださいやってきたのは大丸神戸店。↑この写真は全景を撮り忘れたんで後から撮ったもので時系列的には、今回紹介する写真の中では一番最後に撮りました元町で旧居留地の雰囲気を壊さないような外観で、阪神大震災後に神戸の灯を絶対に消さないという思いから短期間で再オープンをした復興のシンボルとも言われるデパートだこんなこじゃれたカフェも併設されているがドケチな娘連れだったので、脇にある無料の普通のベンチに座って、午前中に購入したパンを食べる1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生をするきっかけとなった建物の一つである旧居留地38番館で、ヴォーリズの設計でシティバンク神戸支店として、1929年に建設された今は大丸神戸店の店舗の一部となっているやっぱ神戸と言えば海外からのお客様に大人気の神戸ビーフ。松坂牛も飛騨牛も近江牛も食べた事はあるが、神戸ビーフはまだ食べた事は無いそんな高価なディナーはうちには無縁ネットで娘が見つけた、三ノ宮駅近のこじゃれた立ち飲み屋さんで、まずはカンパーイこんなんやこんなんやたぶん海外産の牛肉なんぞを食べたひょえ~帰宅中の娘から、ラインで国道で倒れた看板が車に直撃してると連絡があった。恐るべし!娘が静岡県にいた時の台風も、私がちょうど遊びに行っていて、娘の車の目の前をトタン板のようなものが飛んで行ったそうで間一髪私も部屋から外を見てたら、布ののぼり旗がびりびり破けて無くなってしまっていたし南京町の入り口。外国人用の居留地が設けられたが、清国とは通商条約を結んでいなかったので華僑は居留地に住む事が出来ず西隣に住み始めたのが南京町の始まりだ三宮センター街を、食後にぶらぶらお散歩氷に閉じ込められたものを取り出そうとなんて呑気に書いていたら、台風が岐阜県にも近づいての暴風雨。台風の右側は激しいというだけに多少は離れているうちのあたりも影響が出てきた台風が最接近した9月4日の午後4時過ぎにPCが突然落ちる。テレビも電気も消えての停電は次の日の午後まで及んだ。更に次日の午前中はNTTドコモの携帯電話も使えずにスマホで情報もわからず、うちはIP電話で陸の孤島真っ暗な中での食事、音のない生活。風呂も入れず・・といった停電の様子は後日まとめて紹介します。車庫のガラスが割れて、旦那が子供の頃より馴染んだ近所の樹が倒れ、直売コーナーが吹っ飛んでましたそんな訳で後半の青い文字の文章は、今日9月6日になって書き足しています。電気の存在は現代社会の生活にいかに重要か判りました。スマホも・・・神戸らしいホテルに神戸らしいセブンイレブン神戸らしい宣伝や縦じまの自販機。ここまでは7月末に娘と出かけた台風直後の神戸の様子です。まだ夜~翌日の日記に続きます。6日になって錦織と大阪はともにベスト4に進みましたそして、今朝テレビをつけると北海道の中央部で、大きな地震が起きて甚大な被害が起きてしまったとの事。実はまだ紹介出来てませんが今春の旦那の退職旅行は北海道でしたこのブログでも複数の北海道の方と仲良くさせていただいています。どうかご無事でありますように。心よりのお見舞いを申し上げます 平成30年7月29日に神戸で撮影 (最後の2枚の写真は今春の北海道旅行)にほんブログ村
2018年09月06日
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子供の頃に喜んで観ていた「必殺仕事人」で中村主水にヒステリックに「婿殿~!!」と呼んでたお姑さんを演じてた菅井きんさんが亡くなられたそうだが、あの役を始めた時はまだ40代後半だったそうで、いつも実年齢よりも老けた役だったんだとか更にインタビューの受け答えなども紹介をされていたが、森繁久彌の社長シリーズで見られるような、とても丁寧で上品な奥様言葉で、平成の世になってああいった言葉使いをされる方っておいでになるのかな?言葉使いと言えばNHKの朝ドラの主人公の言葉使いが紋切り型でキツイが岐阜の人はそんな言葉を使うのか?という書き込みがネットにあったけど、そんな事はないです仙吉さんのお友達の農協のおじさんが一番それらしいですが、地方を表すのに言葉は重要ですよ現在放映中のドラマ、チア☆ダンは福井が舞台になっているので、慣れない福井弁を主要キャラらがしゃべっているけど、あれなども地元の人が聞いたら、なんか違うしなんて感じているんだろうか。他地方の私などは実際を知らないから、まっそれなり先日のケンミンショーは、方言シリーズで標準語には置き換えられない地方の言葉という事で、信州全域で使われている「ずく」「ずく無し!」「ずくがあるなぁ~」とか使われるんだけど、岐阜県東部も使います普通に子供の頃から使ってましたが語源が「術(ジュツ)」であったとは、知りませんでした。ジュツなし→ズツなし→ズクなしそんな長野ケンミンのインタビューで、最初に映ったのは、見慣れた松本近郊のサラダ街道の野菜畑から。最近もスイカ村に行く時に利用をしたばかりちなみにサラダ街道というのは、街道の周囲に広がる畑で、サラダに使う野菜が栽培をされているので。うちの旦那が大好きな道です。遠く北アルプスなども頭をのぞかせています先週から旦那が関東地方へ出張に出かけているので、息子と娘で夕飯を食べながら見ていたのは仰天ニュースで、にゃんこ大救出。再現ドラマのオーバーな流れで次はこんなセリフだろうな、などと娘がいった言葉が役者のセルフとぴったんこ余程、意表を突いたクセのあるものでないかぎり、どんなドラマや映画でもこうなるだろうな~とか、セリフとか先も読めたりする。そんな常識をかけ離れているのが、岐阜犬も出てきた朝ドラな訳でそれ言っちゃう? まじか!?といったありえないセリフと展開で、宮藤官九郎ドラマが好きな私でも、ついていけない独占欲女が律の爪にマニュキュア塗ったのも強烈だったが、全く会ってもなかったのに突然のプロポーズとか、師匠を土下座させてそれを写真に撮るとか、長女が何故か関西弁をしゃべるガサツな三姉妹に唐突に自殺未遂をした監督や、自分の夢の為には妻子を捨てるバカ夫。おおジジの年金でおもちゃを買って貰うとか、母親の貯金を使ってお店を開くとか、はぁ~っ?葬儀中に、遺体の布団からいなくなってた玄孫が出てきたシーンを見た時には、朝から開いた口が塞がらなかったもはやコント? 加藤茶が見ちゃだめよ~と幕の向こうから出てきそう。五平餅を食べたくなったと中年女が突然現れボディコンで田舎のおっさんたちとランバダだもん。一度すらスケートをしていない浅田真央好きな娘がフィギュアをしたいというので、その気になって都会暮らしにUターンって東京から戻ってきたばかりなのに母ちゃんの貯めたお金で二号店出して貰って、仙吉さん直伝の五平餅はもういいのか、他人任せでもそんなもんなのか岐阜って? 五平餅って?と、雑な扱いをされた気分な岐阜県民であるだいたい夏虫なんて駅もないし(あれは群馬県)フクロウ町のロケ地のある明知鉄道や長良川鉄道他とか、岐阜県のローカル線も頑張っているのにテレビから離れるが高山本線も7月の豪雨災害で今も、坂上~猪谷駅間で運行を見合わせている(バス代行)区間も残る高山や下呂温泉など産業の殆どない飛騨の数少ないドル箱の観光地へのルートが遮断されてしまうと死活問題となる。今も富山方面からのアクセスに問題を残している。7月の豪雨では岐阜県の真ん中あたりに大きな被害があった。そんな矢先に同じような地域で今度は猛暑を超えて、酷暑?なんでも25度(涼しい!!)以上を夏日と言い30度を超えると真夏日、35度以上は猛暑日というらしい。酷暑は猛暑と同じ意味付けみたいだけど、流石に40度以上の設定は今のところはないようだが、いつしか40度以上を○○日と言うような夏も来るのかもしれないというのを実感した今年の「岐阜の夏」。今までなども多治見が長らく埼玉県の熊谷と日本一を暑い街を競っていたのに、よもやの四万十市に出し抜かれ、今夏に熊谷が奪還をしたものの多治見は今では5位になってしまった。というのも、同じ岐阜県内のご近所の自治体が大躍進現在のランキングは41.1度で埼玉県熊谷市に続くのは41.0度で岐阜県美濃市、岐阜県下呂市金山町、高知県四万十市。そして5位に40.9度多治見市となる訳だ。北陸初の40度越えの新潟県胎内市や、東京都初の青梅市なども話題となった連日のように気象コーナーのトップで岐阜県の名が連呼された夏だったそんな暑い岐阜県岐阜市の民間病院で、エアコンが故障し、入院患者の大部屋に家庭用扇風機を置いただけで対応し、高齢の入院患者が次々と亡くなってしまって熱中症が疑われている。もはや自然災害でなくて人災じゃないかと夏の始まりにうちの近くでも、野外作業をしていた男性が熱中症で亡くなっており、尋常な暑さではないのを実感していた。ケチなうちの旦那すらも夜にもエアコンの使用を許可してくれたくらいだこんな散々な岐阜であるが、夏の終わりに嬉しいニュースがあった。野球で有名なのが愛知県では中京大学付属中京高等学校(中京大中京)であり岐阜県瑞浪市には中京学院大学付属中京高等学校(中京学院大中京)があり、経営も全く別の学校だこの中京学院大中京からはソフトバンクのアツオ!松田宣浩とかプロ野球選手も多く輩出しているけど軟式野球部もすこぶる強いのだ。全国高校軟式野球選手権で2年連続9度目の優勝を果たしたそうである。3年の佐伯投手は前回大会に続いて1回戦からの全4試合を完封したそうだ。なんでも中学3年の時に監督から「日本一の景色を見てみないか」と誘われて、軟式を選んだとかちなみに佐伯投手だが、下呂市金山町の出身だそうである。また過去には2014年の決勝で報徳と3日間で延長50回を戦い抜いて日本一となった球史に残るような試合をした野球部だ地味に野球王国と呼ばれる岐阜県からは、今は捕手が目立ち、中日の大野や楽天の嶋、広島の石原などがおり、かつては巨人の森なども判官贔屓なのか、夏の高校野球で金足農業の爽やかな笑顔の吉田投手が一躍スターになったけど、大阪桐蔭も史上初となる2度目の春夏連覇をという偉業を達成。中でも藤原選手と二刀流な根尾投手の活躍もあって、吉田投手ともどもU18アジア選手権で、侍ジャパンに選出をされている吉田は「よっしー」、根尾は「ねお」、藤原は名前の「きょうた」といった呼び名も決めたという話だが、この根尾昴投手は「君の名は」のモデルでも有名な、岐阜県飛騨市古川町の出身だそうである。更に若き侍ジャパンには他にも木更津総合を3年連続で甲子園に導いた二刀流野尻幸輝投手も選ばれており、彼は岐阜県山県市出身だそうだまっ、高校まではエースで4番というのもよく聞く話で、王さんも早稲田実業で選抜優勝投手だったそうだし、中田翔なども。逆に打つのが上手い投手でもよくいたりもする。ともかく本人の進路次第では、今秋のドラフトで岐阜県出身の根尾投手や野尻投手が話題になりそうだそんな訳で岐阜県民が今夏を振り返ってみた訳だが、写真の方は娘と7月末にバス旅行で出かけた神戸は、異人館街の風景を。有料で異人館内も見学ができる中で、いつも訪問をするのが萌黄の館である神戸のアメリカ総領事となった、ハンター・シャープ氏の邸宅として、明治36年に建築をされた異人館で、国の重要文化財にも指定をされている今までに様々な作品でもロケに利用をされているようで水谷豊さんと言えば映画「少年H」だろうな。二階堂ふみさんの方は「オオカミ少女と黒王子」らしいそして、NHK朝ドラの「べっぴんさん」でもクランクインの地であったとかで、主人公のすみれの姉ゆりの友人であるクリスティーナの家だそうでここで子育て教室が行われ、坂東家の女中の娘だった明美がおしめの巻き方を指導していたしかもドラマを視聴した人には嬉しい、撮影に使用をした小道具とかも展示をしてあったので懐かしく見学できたわ~、キアリスのお弁当箱だぁ。かわいいなぁなんだか昭和を思い出してしまう絵柄だそしてお隣に建つのが風見鶏の館。異人館街を代表する建物で、こちらも内部を有料拝観ができ萌黄の館との共通拝観チケットだと、少しお得だ異人館ブームのきっかけになった昭和52年の朝ドラ「風見鶏」は、大正時代にドイツ人パン職人と結婚した女性が神戸でお店を開く話だがこの風見鶏の館とは関係がないみたい。彼らが実際に住んでいたのが前回、紹介をしたスターバックス神戸北野異人館店なんだとかで、実際に風見鶏の館にお住まいになったのが↑貿易商のトーマス氏といいまして中世のヨーロッパにおいて、雄鶏が警戒心の強い事から魔よけとして教会の尖塔につけられたのが由来のようだ。明治37年にドイツ人のゲオルグ・デ・ラランデの設計で建てられ、国の重要文化財に指定をされている。さて、この館に住んでいたトーマス一家であるが、激動の時代に翻弄されてしまったようだゴッドフリート・トーマスはドイツのコプレンツの生まれで、明治24年に20歳の若さで来日をして最初は横浜、次いで神戸で貿易商として成功をしてこの館を建て妻と娘と家族3人で暮らしていました大正3年、一人娘のエルゼをドイツ本国の上級学校に進学させる為、休暇を兼ね一家三人でドイツへ一時帰国をしたのですがその時勃発をした第一次世界大戦によって、日独が戦争状態に陥った為、一家は神戸の自邸への帰還が出来なくなってしまい、館は敵性資産として没収をされてしまったそうだ(登記簿上では、戦争中に売買された形にされている)その後のトーマス一家の消息もなく、館は銀行や船舶会社などが所有し、ドラマ放送時には神戸中華同文学校の学生寮に使われていた。ところが館に転機が訪れたのは前述のNHK朝ドラの「風見鶏」放映で、風見鶏の館の知名度が高まり神戸市も買取を検討し始めたそうで神戸市が、風見鶏の館の買取を検討しているという朝日新聞の記事をフランクフルトで読んだ老婦人が少女時代に暮らした家かもしれないと、ドイツの海外放送の記者に話した事から、トーマス家の娘エルゼがドイツで生存している事がわかった訳で神戸市の買取により、整備をされ一般公開をされた風見鶏の館に昭和54年春、エルゼが訪問し歓迎レセプションで「自分の祖国はドイツだけれども、私の故郷は神戸なのです」と彼女は語り、幼馴染の女性とも65年ぶりに再会を果たしたそうだ大きなビルなども建った神戸の街、高台に建つ異人館はかつては、海などもよく見れたのだろうなぁ~。その海の彼方には懐かしい故国。何を思い日本へ。日本の近代化に貢献してもくれた異人さんたちに敬意も込めて。神戸歩きはまだまだ続きます。今度は街をてくてくブログの日記更新、8月は僅か3回となってしまいました。高校野球も真面目に観てたし、終われば今度はアジア大会。今までもこんなにアジア大会の中継をしてたかな? 東京オリンピックに近いので盛り上げようみたいな機運でもあるんだろうかにも拘わらず女子レスリングに、大学アメフトアマチュアボクシング、体操女子といった風に組織&指導者問題が起きて、東京五輪大丈夫?なんて思いもして 平成30年7月29日に神戸市で撮影日記更新を先にさせていただきましたが、皆さんのブログには本日、明日中には伺いたいと思いますいつもありがとうございますにほんブログ村
2018年08月30日
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日本一の埼玉県熊谷市には、ちょっぴり及ばないとはいえ熊谷の積年のライバル多治見やニューフェイスの美濃市、揖斐川町、そして下呂市金山と、今シーズンの岐阜県は灼熱の言葉が似合っている私の住む中津川市もその日の最高気温で日本全国ランキング10にも時折、顔を出して、炎天下の駐車場から冷房の効く店舗までほんの20メートル程を歩くのすらも暑さが突き刺さる。ロウリュウの熱波受けてるみたいだもはや立秋も過ぎて、暦の上ではもう秋だし日も少し短く様になった様に思える。旦那は今日からお盆休みで、有休消化デーを含めて10日間。娘は明日から6日間、息子は交代制なのか遅めな15日スタートで5日間。去年のように家族で和歌山旅行のようなのは、今年は無理みたい娘のお盆休みは短めなので、みんなの休みが重なるのも2日しかないし。定年後の高齢者再雇用で今春からは仕事は同じでも、給与が半減をして「お金もないし今までのようにはいかない」が口癖探せば、一人3000円の素泊まりビジネスホテルもあるけど、1泊2食のそれなりな温泉旅館を望む旦那なので、お盆時期はべらぼうに高いので、私でも躊躇してしまう。息子は海がいい、娘は滋賀がいいと行きたい先もバラバラだしねそんな中で旦那が、田んぼの農薬を散布をするのには二人必要で、舅はもう体力的に無理だし息子とやろうと、息子の休みに合わせて有休を取ったのだが今週の台風の予報を事前に聞いてこれは無理かもしれないというので、土曜日に私が駆り出された旦那は朝露の残る午前6時頃からでいいというのに、明るくなってきたら舅が「もう肥料を撒かなきゃダメじゃないか!」と騒ぎだして煩いので午前5時過ぎには作業開始。近所のおばあさんもだけど、気持ちが焦るのか早く早く何でもやりたがる真夏の稲作のメインイベント、肥料散布も無事に終わったので、旦那が有休を取った火曜日は、旦那の運転で日帰りドライブが出来て、毎夏のお楽しみである松本波田のスイカ村&お蕎麦ランチ♪なんて、↑ブログの文章を書いていたのは8月上旬の事で今はもう下旬。エアコンを使う事もなくなり、いつの間にかお盆休みも終わってました。今年はハワイ等リゾートも活況で海外組が多かったみたいだけど、我が家は無縁でして・・・お盆の旅行は、日にちが限られており金額もほどほどでとなると、車で4時間程度の1泊2日旅行。うちからだと奥飛騨信州、愛知&三重の海、滋賀、ギリ静岡山梨といった近場旅行このエリアともなると、どこもかしこも既に行った事がある所ばかりで。残す所は室堂か、乗鞍のお花畑、富士山のてっぺんくらいなもので、山は下から眺めるものな主義の我が家だから、旅先に選んだのは前に行って良かった温泉地と、前に行って楽しかった観光先。しかも複数回リピート息子は友達と約束があるので、不参加で旦那の運転で娘と三人で出かけました旅先のお土産も地元の馬籠で売っているようなものばかりで一つも買わず、専ら直売所で果物を・・・・。そんな夏旅の日記ですが、そのうち紹介をしたいですと言うか今春に出かけた旦那の退職旅行のだってまだ、ここに紹介出来ていないし。娘と出かけた神戸旅行もまだ途中。いったいどこから手を付けていいものやら・・・とりあえずは7月の名古屋場所の幕内力士の取組の写真を載せておきますねやっぱ遠藤には声援が多いですそれにも負けない声援を受けていたのはベテランの嘉風。名古屋場所では負けが続いて、まだ初日が付かないまま迎えた14日目遂に一勝しました。安易に休場をする事もなく頑張り続けていた嘉風には惜しみない拍手が。いやぁ~盛り上がりましたよこういった勝利の瞬間を、その場で一緒に味わえるのがスポーツ観戦の醍醐味なのかもしれませんねでも、なかなか現地には行けないものでテレビの生中継で我慢、我慢。これから夏の高校野球、準決勝の試合を観ようと思いますが、今年は100回大会という事でこれまでの甲子園のレジェンドたちの始球式が行われているのだが、今日は桑田真澄が投げるというので試合前からNHKにチャンネルを合わせて待機中こういった企画は夢があっていいですが世代によっては、このおじさん、誰それ?みたいな部分もあるのかな。私も坂東英二ゆで玉子が好きで、ドラゴンズの歌を唄うご当地タレントだと思ってたそれにしても秋田の金足(かなあし)農業が旋風を起こしましたね。うちはきんあしってよんでしまって。大阪桐蔭もなかなか覚えれずきりゅうって読んでました。お相撲でも旦那阿武咲(おうのしょう)を、あぶさきって言ってるし。違うし阿炎(あび)も、あえんと呼ぶ旦那・・・こういった平成生まれの若手の力士がどんどん活躍していますよね。こちらは遠藤同様に石川出身の輝(かがやき)で名古屋場所は黒星がちょい多かったです対するのはベテランの松鳳山。なかなかの面構えです。やっぱ巡業とは違って緊張感などもひしひしと感じます名古屋場所にしか行った事はないけどいつかは国技館、でかけてみたいなぁ販売直後に完売するし、チケットを取る事もなかなか難しそうだけど岐阜県は酷暑にも見舞われ、朝ドラはなんかね~だし、豪雨で大きな被害も出て散々な感じだけど、お隣の長野県は県民、笑顔の夏みたい名古屋場所で優勝をした木曽の御嶽海サッカーの松本山雅はJ2で現在トップだし、やっぱスポーツはファンに元気を与えてくれますね横綱不在の中、最高位の大関の高安にあたるのが、名古屋場所を盛り上げて敢闘賞を受賞した豊山。千秋楽で優勝の決まった御嶽海を破った14日目の結びの一番でも、大関高安を押し出しで勝利して、気持ちよく場所を終える事が出来ました気合も入ってます高安の表情がなんとも言えないですね豊山は名古屋場所で12勝3敗で敢闘賞を受賞。次回は番付をかなりあげてくるので上位陣に力負けした5月場所のようにならないように頑張って欲しいものです。9月場所は三横綱も、多分戻ってくるだろうし御嶽海の大関とりは11勝以上。新横関ながら休場で、カド番になった栃ノ心や長く休場している横綱稀勢の里の進退もかかる目の離せない場所になりそうです(初日は9月9日) 平成30年7月21日に名古屋場所で撮影日の暮れが早くなってきて、夕刻に綺麗な夕焼けを見る事も出来るようになってきたお盆の旅行のお土産を貰ったりスーパーでは大きな恐竜がウォーキングをしていた。もう間もなく秋の到来を告げる栗きんとんの出荷も始まりそうだ今春のイベントにやってきてた、どうみても顔が栗きんとんの猫、にゃかつがわ君。中津川在住。誕生日は9月9日ブログの文章は前半は8月上旬に、書きかけのままで放置し後半は先程書きました。甲子園見終えました。決勝は金足農業と大阪桐蔭になりましたねにほんブログ村
2018年08月20日
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まだ、お相撲の日記が1つ残っているけど台風で娘とのバス旅行が心配だと前振りをしたので、そちらの報告を先に紹介させていただこうかと思います娘との1泊2日のバス旅行は29日(日曜)朝の出発で、いつもと違ったコースを辿る台風は東から西へと。それを追うようにしバスは木曽川を渡って西へと。到着する頃には台風が過ぎ去って行楽もバッチリかと思ったら旅行先は29日朝に台風の直撃予想だった事もあってスタッフや利用客の安全なども考えて、既にお店のHPなどに臨時休業を知らせてあったので、一番行きたかったが台風の為に断念した。月曜はやってるとは思うがコース的に行けるかどうか?他にも公共の公園内に見たい施設があるというのも公園内に危険が及ぶ可能性があるというので、29日は臨時休園とHPで確認息子が前にお正月に東京に行ったら、店が閉まってて食べるのも困ったと言ってたがお天気が回復しても、このままじゃ台風の余波を受けかねない。トイレ休憩で草津のパーキングエリアに立ち寄ると、自衛隊車両がすらりと並んでいてどうやら陸上自衛隊の守山駐屯地から西日本豪雨による被災地へ、救援活動に向かわれる隊員の皆さんのようであった果物がワンカップ300円で売っておりパイナップルやメロンなど何を買うのか悩んで選んだのはマンゴー。娘と半分こ駐車場に靴。違う所にも一足あったけど車内土足厳禁というやつなんだろうか?なんだかんだで11時半過ぎに目的地のホテルに到着。ここで荷物を預けてから自由行動。朝食付きで明日の午後2時半ホテルを出発という行程だホテルから中心地に無料のシャトルバスが1時間に1~2本往復をしているが、昼の12時台は全くないので、到着後1時間半位はバスがないので、間近駅から乗り物を利用して中心地へとホテルのある地区からは赤い橋を渡るが果たして、どこの街だかわかりました?駅前はこんな感じ。ポイントとしてはそごうとマルイ。右側には駅ビル次のヒントは、街の観光名所の入ったマンホール元町・・・もうおわかりでしょうかはい、そこは神戸でした。ポートアイランドのホテルに泊まり、駅まで歩きポートライナーで15分程(シャトルバスもそれ位か)でやってきたのは、神戸の玄関口である三宮駅前ですホテル代(朝食、大浴場利用券含む)とバス代込みで二人で25000円程と、手頃な旅行で数度目の神戸を楽しむ事とした。久々に線路の高架下を歩いて元町に向かうと書き入れ時の日曜日なのに台風の臨時休業でシャッターが下りたお店が、あちらこちらにあってちょっと寂しいお昼にしようと思い、暑い中を出かけた元町付近にある明石焼きの有名店もシャッターが下りててまじかぁ~~~!と、かなり凹んだホントは右側の中国茶のお店に行きたかったけど、娘がお腹が空いてお茶どころじゃない感じだったのでパスやっぱり娘と一緒の旅は、娘が行きたい所食べたいものがメインになって、私の方は行けない事が多いのが残念だが仕方がないといった感じで、中華街に繰り出すが娘が、会社の人が美味しかったとお勧めして貰ったという、行列のできる肉まんの名店の「老祥記」も台風の為か臨時休業をしていたしかし姉妹店である「曹家包子館」で今日は「老祥記」の肉まんを販売しているので店の前には、20人以上の行列が出来ていた前から行列を見てへこたれて、並んだ事も食べた事は無かったけど、テイクアウトで行列の進みが早いから、15分位も並べば買えると、娘がネット記事を見つけたのでそれ位ならと並ぶ。それよりは短い時間で肉まんゲット♪明石焼きを食べ損ねたおなかの空いた状態で手にした肉まんは、ことのほか美味しそうに見えたほくほくアツアツの肉まん。肉汁じゅわ~っ2つずつだったけど、娘が2つをぺろっと食べたので、私はバスの中でマンゴーを殆ど食べたのでさほど腹が空いていなかったし、1個だけにして1個を娘に譲るリアルスネークの色合いが昭和な感じではでは今日、最初の観光場所に行きますか既にHPで、公共の相楽園は臨時休園となっていたので公共繋がりで心配だったけど、まっ建物の中だし、ネットにはそんな情報も無いここ元町近くの兵庫県公館では県政150周年記念事業で兵庫県公館の所蔵展が行われており無料で見る事が出来るそうで、これは楽しみだと出かけてみたがこんなにお天気も良いのに、やっぱ臨時休業だった。そりゃ何かあったらいけないと早め早めの判断だとは思うけど、夏休みの最初の日曜日、交通機関も普通に動いていて天気もいいなら、昼からでも開館とか出来なかったものかなぁ・・・写真の撮り方が悪かったです。写真の手前側淡い水色の店舗が、兵庫県公館のすぐ近くにあったので、暑い中をせっかくここまで来たので、中に入る事にしましたテーブルからこぼれんばかりの沢山のパンお店の方に、写真を撮っていいかと了解を得てからパチパチ。こうやって写真ですら美味しそう流石に神戸。パンやケーキのレベルが高そうだ1年ほど前にオープンしたばかりの小さなお店「Pane Ho Maretta」だが種類は多いし安いし何より美味しそう肉まんを食べたばかりだが、パンなら夜にホテルで食べる事も出来そうだと1つずつ購入。家に帰る日ならお土産に幾つも購入したのにな。お目当てのパン屋は臨時定休だったが、美味しいパンにはありつけた日本基督教団の神戸栄光教会は阪神淡路大震災で被災をした元の教会のゴシック様式の外観を踏襲して再建されたものだあれもダメ、これもダメで次の目的は北野異人館街。そこまでは歩いて行きましたが近いようで思ったより遠かった。その上に蒸し暑い。おっ、ここに入るか!と入り口にいってみたら、またもや台風による臨時休業。まあね、たかだかこちらも観光が出来なかった程度だから仕方がないとは言え一生に何度も来ない神戸が、こんなんじゃ「神戸ムスリムモスク」は近隣に住むインド系タタール系、トルコ系のムスリムの方々から集まった寄付によって、1935年に日本初のモスクとして創建されたそうです太平洋戦争の神戸大空襲や、阪神淡路大震災などでも建物は壊れることなく、その姿をとどめているそうです。仕方がないので暑い中を神戸の街散策となってしまったもはや暑さの限界といった時に北野異人館街に到着。ガイドブックに載っていたのを見てここには行きたいなぁ~と、目星をつけていた観光施設は、入館料は無料実際に歴史ある異人館を利用した、世界のコーヒーチェーン「スターバックス」の神戸北野異人館店ですけどね。京都東山の和風の木造家屋も個性的ですし、こういった地域の特性を生かしたお店は面白い建物については、↑の説明をお読みください中に入っての感想は、あぁ冷房が涼しくって生き返った(泣) 多い時には外まで行列が出来ているそうだけども、台風の影響なのか日曜日なのに利用者が少なめ? 中華街でもそう思ったとりあえずここまで、行きたかったパン屋明石焼き店、兵庫県公館、相楽園、途中で立ち寄りたかった北野工房のまちが台風の為に、臨時休業で予定もガタガタやっと午後になって、神戸初の観光先はスターバックスとなった。だいぶたってから写真を忘れていたと気づいて、飲み物写真は、冷たいもので体を冷やす山の手で坂を登って、ここ(北野異人館街)まで来たけど、この後の観光は大丈夫なの?と娘が聞いてきたが、大丈夫。HPに今日は営業しているって書いてあったからとは言っても北野異人館街は、これまでに数度は来た事があるけど、異人館が複数のグループ別に、入館料が必要だったりして高額になってしまうので、結局、内部拝観するのはごくごく一部のあそこと、あそこ有名なうろこの家も、一度も中に入った事もないそんな訳で神戸へ到着して3時間経過。旅は続く台風の余波で観光が出来なかったなどとボヤいていますが、実際に今回の台風で被害を受けられた方も多くいらっしゃいます。心よりお見舞い申し上げます 平成30年7月29日に神戸などで撮影 ブログの日記更新を先にさせていただきましたが 皆さんのブログには、本日中に伺わさせていただき ます。8月もよろしくお願いしますにほんブログ村
2018年08月01日
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この7月は大きな災害となった豪雨に始まり5年ぶりに最高気温の記録が更新された酷暑そして週末には台風直撃ですか。私、娘との旅行を控えているんですが・・・せめて交通機関が乱れないように祈るばかりです宿泊を伴う団体旅行は、かなり事前に日程を決め予約をせねばならないので、桜の花の咲き具合と同様に、台風直撃とかで変更するとも言えないし当日の朝の集合場所に行って、どうなるかって事らしく、見るたび進路が変わってるし(汗)酷暑のさなかの名古屋場所14日(7月21日)前回では優勝をした御嶽海を中心に紹介をしたので今回はそれ以外の力士なども。既に取組を終えた浴衣の力士が帰りの準備をしていた午後早くに、会場入りをしたのは1日400食限定で、振舞われるちゃんこ鍋(400円)を食べたいなぁ~と思いまして今場所は塩味、味噌味ときて、後半は醤油味だそうですよ。行列もかなり進んでの写真でまだまだ並びましたなんでも昭和の大横綱の大鵬時代から伝わると大嶽部屋のちゃんこだそうです。昭和46年に引退し一代年寄「大鵬」を襲名し、大鵬部屋を開設、その定年を受けて16代大嶽が継承して今の大嶽部屋となった部屋の玄関には縦の大嶽部屋、横の大鵬部屋と二つの看板がかかっているとか。現在は17代大嶽親方で元十両の大竜だが、当時の規定では十両連続20場所、又は十両通算25場所以上経験した力士に年寄資格が与えられたそうだ不祥事なども聞かれた大嶽部屋だが、久々に明るいニュースで沸いている。横綱大鵬の孫(父は貴闘力)である納谷が今年で初土俵を踏んで、着々と上へと向かってきているのだ空席ばかりで熱心な相撲ファンしかいない中あちこちから、なや~!と声援が納谷幸之介(東京都、18才)は身長が188センチ、埼玉栄高校3年時に国体の少年の部で優勝、名古屋場所は三段目50枚目で6勝1敗週に一度の筋トレで、ひとまわり大きくなったそうである。ちゃんこのおかげで注目力士が見れたこちらも何かとあった部屋で、テレビでも連日のように報道をされていた貴乃花親方も、審判だが会場入りする時に拍手と、声援。幕下までは水や塩が無いので、取組がサクサクと思いのほか早くすすんでいったいよいよ十両となった。幕下までとは違っての大銀杏をゆっての化粧まわしでの土俵入りも出来何やら貫禄もある。というか大きな力士が多いようにも。これ位の体格じゃないとここまではなかなか上がってもこれないのか若手力士もいれば幕内で名を売っていたベテラン力士もいて、名古屋場所で大きな記録を伸ばしたのは、↑安美錦竜児(青森県西津軽郡、39才)通算勝ち星で、横綱大鵬を抜き歴代8位となった西十両4枚目での勝ち越しで、自身の持つ最高齢再入幕記録更新を狙う後ろの外国人力士に比べたら、かなり小さな力士は、照強翔輝(てるつよししょうき)で阪神淡路大震災の日に淡路島で生まれた23才関取の中で一番小さな身長169センチ、体重112キロの小兵力士で、軽量を補うように人の三倍稽古をし、技を磨いている今春には2000年12月に決まり手に追加をされてから、4回目となる「小褄取り(こづまとり)」も決めた。インタビューで「先々場所で幕下にいたときにやったことがある。自然と足つかんだら、たまたま。小さいから技を使わないと勝てない」との事だ幕下までは入り口に置かれていた取組表の小さな文字を読まなきゃいけないが、ここからは電光掲示板もあり、勝敗の結果もすぐ判る。御嶽海は後ろから三番目で、まだまだ先だそれにしても休場力士が7名って。しかもそのうちの横綱が3名。横綱の土俵入りを楽しみに、暑い中を来場をされたファンもいるだろうにここからは十両の熱闘を切り取って・・・すんません、熱血相撲女子でもないのでお名前とかが、いまいちわかんないのでお写真だけ並べ、話題はまた台風ネタで‥‥午前中にこの日記を書きだした時での台風12号の進路が、この数時間でガラッとかわって日本海に抜けてから、日本列島に沿うように西方向になってしまった。普通は日本列島に来たら北東方向にいくのになんで西に? 天気図を見ると日本の東側に残っている高気圧が強力で、行く手を阻んでいるみたいだけど。しかも速度もかなり遅くなるみたいだし、随分とかわった台風だしこのままではうちの予約したバス旅行にもかなり影響が出てきそうだ。台風、バス旅行キャンセルなど気になる語句を検索をしてみるとこちらからキャンセルを申し出ると既定のキャンセル料が必要になるそうで既に、この時点で7500円発生中これは催行が出来そうにないなとバス会社が判断した場合にはキャンセル料は必要がないその判断は前日の昼~夕方あたりに行われて中止になれば本人に連絡があるようだ。まっ豪雨じゃなきゃ、雨でもつぶしの効きそうな観光先だから、催行会社の判断に任せるか前に九州に行った時も博多駅が水没してJRは全滅。高速バスで空港向かった事があったし、セントレアが台風直撃で帰国便が欠航、韓国に1泊した事も。ボブディランのフジロックとか隅田川花火、鈴鹿8耐と週末のイベントも多い先程、紹介をした安美錦と、旭秀鵬滉規(きょくしゅうほうこうき)はモンゴル出身の29才。三人兄弟の姉は軍の病院の医師で兄は日本の防衛大に留学し、今は大統領警備官という。岐阜県の高校に柔道留学し旭天鵬と知り合い相撲の道に春巡業の日記でも紹介した翔猿正也(とびざるまさや)そして名古屋場所で千秋楽に十両優勝を決めた貴ノ岩義司(たかのいわよしもり)は、ご存知の通り昨年の元横綱による暴力事件で殴られ休場2度で、番付が本来なら幕下に落ちるところを十両最下位に据え置きからの復帰、三場所目隆の勝と共に13勝2敗で並び、優勝決定戦に勝利しての二度目の十両優勝と、幕内の復帰も間近となった。モンゴル出身、28才。貴乃花親方と一緒にいる時に美輪明宏から岩のようねと言われて、親方がしこ名を貴ノ岩にしたとか塩をばばんと景気よく撒いたのは、先程紹介をした小兵力士の照強取組相手は貴乃花部屋の貴源治賢(たかげんじさとし)栃木県出身の21才。御嶽海や高安同様にフィリピン人の母を持ち、双子の兄は同じ部屋に所属するを貴公俊で、二人で初切をしていた事もあり、初切経験者が関取りに昇進を果たしたのは初めてである十両の最後の取組は地元の愛知県春日井市出身明瀬山光彦(あきせやまみつひこ)33才と後ろ向きの剣翔桃太郎(つるぎしょうももたろう)東京都26才そうそう花道脇の一番前の着物の奥さまは名古屋場所には毎日来られており、白鷺の姉御と呼ばれている有名な方だ。名古屋の老舗鶏肉店の奥さまで、少し前にお孫さんが箱根駅伝で活躍した事でテレビによく登場されてましたなかなかの熱戦を制したのは、秋瀬山だったが物言いがついての協議の末、そのまま秋瀬山となった。郷土力士の勝利に会場が沸くいよいよ幕内力士の登場で会場もいっぱいいつの間にか満員御礼の垂れ幕も。三横綱休場とか想像もつかないような早い時期にチケットが販売をされるので、その段階で既に完売。様々な不祥事も続いたが相撲の人気は変わらずテレビではパタパタと団扇を仰ぐ観客が映されているが、一応は大型エアコンが完備され、その噴き出し口が私の真上にあったので、涼しいを通り越して寒いしこの時期の電車の冷房が苦手で、薄手の七分丈の上着があって良かったいよいよ幕内力士の土俵入り。今場所を最後まで盛り上げた富山市出身の朝乃山24才で、甘いものが好きそういえば御嶽海も自分でプリンを作る程大好物なんだとか。綺麗なお母さんはママって呼ばないといけないそうで、お母さんなんて呼んだら無視されるそうだここまで相撲ネタをひっぱってくると流石に書くこともなくなってくる。それに頭の中は週末の台風の進路が気になるし。某局で進路が(東京から)静岡側に逸れたのを喜んでいるような言い方だし。西日本は直撃だわ!その時点で、まだ初日の出ていなかった嘉風にも大きな拍手と声援一番奥のイケメン力士の勢は、女子プロゴルファーの比嘉真美子との結婚が発表されたばかり御嶽海とは学生時代からのライバルである北勝富士(一番手前)も、名古屋場所は好成績だったので番付をあげてくるだろうといった訳で、残すは幕内の取組の写真だけとなりました。台風直撃の週末になりそうですが、皆さんにとっても良い週末になりますように。テルテル坊主つくろっ! 平成30年7月21日に名古屋場所で撮影にほんブログ村
2018年07月26日
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それにしても暑い日が続いてますね。昨日は5年ぶりに日本記録を更新しての41.1度は前々から暑いと評判の埼玉県熊谷市であったあれって日陰の風通しの良いところの温度であるらしいし、照り返しのある繁華街などはさぞかし暑い事だろうその日本一の出た7月23日は朝から居間で30畳用大型エアコンを稼働して室内温度は27度と快適だったが、エアコンの示した室外温度は39度~!(今日は37度) ホントエアコンがあって助かります。一日使用しても100円程度だったしさてさて、そんな暑い最中である7月21日土曜日に出かけた名古屋で、同行した姉とはこれまた熊谷にも匹敵するアツイ街、多治見駅ホームで合流。まだ午前中なのでアツサもさほど感じる事は無かった流石に、真昼の名古屋は溶けるほどにアツイ地下鉄名城線市役所前で降りて、てくてくと突き刺すような日差しを受け、向かった先は名古屋城名古屋城二の丸御殿跡にある愛知県体育館今年春にはネーミングライツパートナーがプロバスケットチームの名古屋ダイヤモンドドルフィンズ株式会社に決まって、3年間の名称は「ドルフィンズアリーナ」になったそう、ここで行われている大相撲名古屋場所14日目(7月21日土曜)を見にきたのだチケット購入時には14日目位に優勝に絡む取組がありそう♪と、観戦日を決めたけど予想通りの展開で三横綱や大関栃ノ心の休場した名古屋場所で関脇の御嶽海が躍進の12勝1敗。追うのは平幕の豊山と朝乃山の10勝3敗で、もしも今日、御嶽海が勝てば優勝。もしも敗れても豊山と朝乃山が敗れても優勝が決まるという展開でこうなると12日目の初めての黒星が付いたすごく惜しい戦いだった高安戦、もしもあの時に勝ってたら13日目の豪栄道戦で優勝が決まっていたかも・・・なんて思いつつ入り口に飾られた優勝力士の数々のトロフィーをしげしげと見物名古屋の金シャチや、梅干しのなんてあるんだ!これは福井県知事賞ので福井の梅1トンだとか大分は干しシイタケ、宮崎は特選宮崎牛一頭分静岡は静岡茶を体重分なんだとか。食べ物には困りそうもない。アラブ首長国連邦はガソリン1年分! これは嬉しい今回も娘の会社の加入しているジョイセブンでチケットを普通よりも少しお安く購入が出来て桟敷も取れたが今回も椅子席で。金額的な事もあるけど、おちゃんことかよりも椅子の方が楽肉眼では、これより少し大きくは見えるかな力士が誰であるかはわかるけど、表情まではわからないレベルだが、観戦自体にはそれ程問題もない私の数万円台で購入したキャノンの一眼レフカメラの付属品の望遠レンズなら、こんなにおっきく写真も撮れるし。関脇御嶽海、関脇逸ノ城、大関高安御嶽海の化粧まわしは、故郷の後援会から贈られた、木曽の御嶽山(おんたけさん)逸ノ城も山みたいだが赤富士? やっぱ独立峰は力強さと共に、神々しさも感じる名古屋場所での色んな力士の、色んなシーンの写真を撮ってきましたが、先ずは皆さんご存知の通り、御嶽海の優勝という事で、その優勝の決まった取組を紹介したいと思いまして・・・この時点で、三敗で追う朝乃山は勝っており(豊山は大関高安と結びの一番)、その日に優勝するには、更に優勝を確実にする為にも二敗は出来ず勝つしかない御嶽海ですが、何を考えているんでしょうねいよいよ栃煌山との取組が始まろうとしていました。それを追う報道カメラ土俵にあがった途端、なんだか表情が引き締まりました栃煌山は高知県安芸市出身の31才で、花のロクイチ(昭和61年生まれ)の一員だとかちなみに誰がいるかというと、横綱稀勢の里大関豪栄道、妙義龍、宝富士、臥牙丸、碧山魁聖、勢って・・・なかなかのメンバー揃い流石に、優勝が決まるかもしれない取組だけに横綱並みの懸賞金の数だ今場所は横綱不在だっただけに、大関以下の力士の取組にも懸賞金が随分とかけられた御嶽海が幕内にあがった頃から、懸賞金をかけてきた郷土のお馴染みの企業の名前ももちろんあった。昼神温泉の伊那華が一番早い頃から出していたような・・・悔しかったのは今日のNHKのテレビ中継を録画予約していなかった事。家でテレビ観戦していた娘が言うには、大関の取組中以外は優勝してから殆ど御嶽海の事ばかりだったとかしかも涙で、声を詰まらせてしまった優勝インタビューは多くの人の感動を生んだそうで。ニュースとかでは一部紹介されても、やっぱ全編をその時にこそ観たかったこのあたりが、野球とか様々なスポーツの生観戦と、テレビでの解説付きのものとの違いであって、う~む。やっぱ、その場の緊張感というか、そうゆうのはテレビでは味わえない生の醍醐味いよいよ、その時をむかえてシーンと静まり返る中で、激しく体のぶつかる音がしたちょうど御嶽海の表情も見れてあとは写真をご覧下さい御嶽海、決まった!優勝を噛みしめるように、すぐには立ち上がらなかったまだ大関戦を残しているが、座布団舞う御嶽海の優勝は、(明治以降)長野県出身力士で初めてで、平成生まれの日本人力士の初めて。名門の出羽の海部屋からは三重ノ海以来38年ぶりの優勝となった三横綱不在の中であったが、御嶽海をはじめとして、25才前後の力士らが活躍し盛り上げた今場所は、なかなか面白かったように思われる千秋楽では豊山に敗れて2敗となったが高安戦同様に、一方的に負けた訳でなく最後まで勝敗がわからない、面白い取組であった売店では手形が、どうやら御嶽海のが売り切れみたいだ。成績が良ければ人気も出る今場所も、中津川の住民にも送られてきた御嶽海の後援会発行の星取表。くじ付きの葉書なので当たるといいな御嶽海のお綺麗なお母さんのマルガリータさんをテレビで見ていて、スーパーでついつい買ったマルゲリータ。クリスチャンで伊那の教会には子供の頃には御嶽海も付いて行ったそうなので娘が伊那にいた頃に、どこかですれ違っていたかもしれない最後に名古屋場所14日目観戦は、JR大曽根駅で下車し、駅前の手打ちそば八千代で少し早めの昼食をとってから地下鉄名城線で会場へ向かった姉も私も、三種類の変わったお蕎麦が選べる三色蕎麦にした太打ち田舎蕎麦にしらゆき(更科)ゆずきり暑い日の外食は、お蕎麦のようなさっぱりしたものが食べたくなる。開店11時同時入店だったので誰もいなかったが、この後どんどんお客さんが入ってきた 平成30年7月21日に名古屋場所で撮影 日記更新を先にさせていただきましたが、皆さんの ブログには、本日~明日中におじゃまさせていただき たいと思います。にほんブログ村
2018年07月24日
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今年の夏は文句なく暑い。昨日は5年ぶりに以前から暑いので有名な、岐阜県多治見市で40度越え。40.7度を記録した。今年は同じ岐阜県でも揖斐川町が日本一だったけどここにきて本命登場といったところか岐阜県のクローバーの右下(東)に位置する東濃地方の西端が多治見市で、うちの場合は一番、東側にあたるが、やっぱ中津川市でもかなり暑くなり、昨日は39度だったようだうちのあたりは山の上だし、夏も窓を全開をしたら扇風機でもあればしのげていただからここ数年はともかく、10年以上前に建て替えた家はエアコンを設置していないので、いいなぁ~おまえんとこはエアコンがあるからと最近の家の住民は羨ましがられる。が、それだって住む人によるお年寄りなどはクーラーは体を冷やすから電気代がすごく高い(昔のエアコン)という思い込みが強く、こんなに暑い時期でもうちの舅や姑もエアコンは全く使わないし使えといっても使わないし、付けてもすぐ切って窓全開で団扇をパタパタ気持ちいいぞ~と、家の建て替え時に改装して人が住めるようにした裏の隙間だらけの物置小屋に涼んでいたりする。昼間は風の通る裏の車庫脇(日陰)で、涼んでいたりでせっかく付けた舅と姑の部屋のエアコンも宝の持ち腐れ。今年の稼働、旦那が付けた1回だけ高齢夫婦が自宅で熱中症で亡くなったとのニュースがあったが昼間だけでなく、夜間亡くなる方も多いそうだ。↑といった理由もあるがネットなどの意見では、高齢になると暑いといった感覚が鈍くなるのではないのかといった意見も多い。うちの舅、姑も長袖だ更に汗もかきにくいようだ。夜間にトイレに起きたくないので、水分も控えるようだしこういった要因が熱中症に繋がっているとか更に筋肉の少ない高齢者や子供は熱中症にかかりやすいと今朝のニュースで言っていた3年半前に新築見学会を2.3つのぞいた事がきっかけで、家の建て替がトントントンと話が進んで勉強不足のままだったので、今思えば老後のリスクを考えたらトイレも居間も廊下も同じ温度の全館空調の方が光熱費がかかっても良かったのかもしれませんまっそれでも今までの隙間だらけのオンボロ木造家屋と比べたら、高気密高断熱の新築の家だったら、エアコンで冷暖房の効きも良いハズだしと新築時5月にはLDKと、舅姑の部屋と当時は夜勤があったので息子の寝室の3室にエアコン設置他の部屋も全部、後からエアコンが付けられるように専用のコンセントや、室外機の為の穴も設置して貰いました。その夏はエアコンが無くても過ごせましたが、うちの場合は寒さでした高気密高断熱の家でも、寒天を作るような寒い氷点下が当たり前の地域では12月になると音を上げて、暖房用にエアコン2階の私の寝室、娘の寝室に追加で年末に設置暖かなお正月を迎える事が出来ました。そんな感じで夏場の冷房は、その後もあまり利用する事もなく、梅雨時の除湿の方が活躍をする位で5年ぶりの酷暑の夏を迎えた訳ですがこれまでのように窓を開けて(網戸あり)暑さをしのいでいたのに室内でも30度超え。一昨日の夜など、2階の寝室は窓全開でも32度もあって驚きでした。てな訳でエアコンでおやすみモードで冷房。深夜3時くらいに窓開けをしますが、早朝29度。暖房代に比べたら冷房の電気代など半分以下ですしね舅はもちろん、旦那も窓を開けてというのがポリシーで、湿度では死なないと雨の日でも窓開ける位。小雨でも降ろうものなら濡れるからと、木造家屋の習慣で雨戸シャッターを下ろす舅にしても長年培った価値観を変える事は難しそう。てな訳でうちのエアコン稼働率LDK>息子>>>娘>>私・旦那>>>舅・姑さて4月2日に行われた春巡業の中津川場所力士らの取組も進んで、いよいよ三役揃い踏みまず東方の横綱鶴竜、大関高安、関脇御嶽海この三役揃い踏みは本場所では、千秋楽に行われる儀式だ。さすが巡業、色々と見せてくれる今度は西方から横綱白鵬に、大関豪栄道関脇栃ノ心(現在は大関)である。本来三役は大関、関脇、小結を指していたが大関が特別な存在なので、関脇と小結を指しているそうだ入幕をした力士がまず狙うのが、この三役で平幕下位では平幕の力士としかあたらないが三役は横綱や大関など強い相手にあたるのでその位置を保つのもなかなか難しいので関脇小結は入れ替わりが激しくもある長くその位置(関脇、小結)を、維持してきた御嶽海も、初めての二桁勝利でいよいよ大関昇進の第一歩となる名古屋場所となった一足早く大関となった栃ノ心は、怪我の為休場し、次の場所は早くもカド番となってもし勝ち越しできなければ、大関から陥落する事もなる。結果が全ての厳しい世界だしかし「これより三役」とは千秋楽に結びの三番の取組の事であり、その取組を行う力士が先程の三役揃い踏みを行うのだが、千秋楽は番付通りの取組となるので、横綱が多い場合関脇などがいなかったり、今回のように横綱や大関がいなかったりすると・・・優勝に絡むような好成績の平幕力士が、この三役揃い踏みに入ってくるのは、かなり稀な事で名誉なことであるようだ。このように三役と、これより三役とは違った意味合いがあるのでご注意をウィキペディアより>三番に勝った力士には、懸賞金の熨斗袋に>加えて弓矢に関するものが与えられる>行司は勝ち力士に対して「役相撲にかなう、>○○(勝った力士の四股名)」(結びの>一番を除く)と呼び上げる>最初の取組に勝った力士には、「小結に>かなう」として矢が与えられる。2番目の>取組に勝った力士には、「関脇にかなう」>として弦が与えられる。結びの取組に勝った>力士には、「大関にかなう」として弓が>与えられる>現在では弓を省いて、結びの取組に勝った>力士に代わり、弓取りの作法を心得た弓取>力士が弓を受け取り、弓取式という儀式を>行う。よって、勝った力士が受け取るのは>熨斗袋のみで、通常と変わらないいくら巡業と言っても、土俵での取組は誰もが真剣で、先程までとは全く違ってきりっとした厳しい表情で、これはまた男気があってかっこいいですね御嶽海と栃ノ心(今は大関)の関脇戦に続いて、今度は高安と豪栄道の大関戦あっ、高安ピンチ~!そのまま送り出しで、豪栄道の勝ちそしていよいよ残すところは鶴竜と白鵬の横綱戦となった豪快に塩をまく。この理由は土俵の上の邪気を払い怪我をしないように祈る事だこの塩をまけるのは、十両以上の力士で土俵上の進行が速い時に限って幕下上位でも塩をまけるみたいだ水には清めの意味があり、神聖な土俵に上るため、口をすすいで身を清めます勝負に勝った力士が、力水をつけられていない場合は付き人や呼び出しがつける事もあるそうだ。やはり幕下上位で時間調整であったりなかったりなんだとか四股(力足)とは力士が土俵の上で、片足を高くあげて強く地を踏む所作であるが、地方などでは、大地の邪悪な霊を踏み鎮める事や踏む事により春先の大地を目ざめさせ豊作を約束させるといった民族的な意味合いもあるそうだウィキペディアによれば>立合い(たちあい)とは、相撲において、>両力士が蹲踞(そんきょ)の姿勢から立ち>上がって取組を開始する瞬間のことを言う>力士同士が呼吸をあわせて「立ち合う」>のが語源>審判など第三者によらず、競技者同士の>合意によってはじめて競技が開始されると>いう意味で、対戦形式のスポーツの中では>きわめて稀有な形態である>相撲において、立合いは勝敗において>非常に重要な要素である。15尺(4.55m)>という小さな円の中で巨大な力士が戦い>短期決戦が当たり前という勝負の性質>から、立合いにおいて>一度有利な状態を作られてしまった場合>それを挽回するというのは非常に困難で>ある。俗に「立合いで八割が決まる」と>いわれるのは、このことを示唆していると>いえようウィキペディアより転載させて戴きましたまるで仁王のような形相の白鵬だった結びの一番に勝って、弓矢を受け取る鶴竜本場所で結びの一番の勝者に代わって、作法を心得た力士が土俵上で弓を受けて、勝者の舞を演ずるのが弓取式である。結びの一番で東方が勝てば東から、西方が勝てば西から土俵に上がり弓を振り、四股を踏むさてさて酷暑の名古屋で開催をされている名古屋場所であるが残すところ、あと2日今日の取組で御嶽海が豪栄道に勝ったので明日14日目(21日)、栃煌山に勝てば優勝が決まります更に御嶽海が敗れても2敗で追っている平幕の朝乃山と豊山が、揃って敗れるとやはり優勝が決まります。ちなみに十両も貴ノ岩が勝てば十両優勝が決まりますしこんな日に観戦出来て嬉しいです。明日が楽しみこうして春巡業の中津川場所が終わった早々に力士らは、次の巡業先へと向かう大型バスに急いでいた。次の日記は名古屋場所レポートかもしれません 平成30年4月2日に中津川場所で撮影にほんブログ村
2018年07月19日
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