羊の墓場

羊の墓場

逆流

   逆 流


 あと一ヶ月で僕の高校生活は終わる。




 僕の高校生活は2001年の春に始まった。
入学式は四月の頭にあったけど、実際の始まりはもう少し後で、体育の授業で走った犀川の河川敷で、或る人に声を掛けたのが始まりのような気がする。
それ以前の僕は環境が変わったせいで酷く神経質になっていて、入学式の日にも周囲から何度か体調を気遣われた。
しかし、それも本当の最初の頃だけで五月頃には普通に過ごせるくらいにはなっていた。
その頃に彼と初めて喋ったんだ。
河川敷で声を掛けた彼―――K野というのだが―――は、一風変わった人間だった。
僕は正直最近まで憶えてなかったんだが、一年の時の数学のノートの整理をしていた時にK野の名前を見つけた。変わった解法を彼が黒板に書いたので、真面目だった僕はそれをノートに写したらしい。その走り書きを見て思い出した。
あの頃の僕は彼をとてつもなく数学の出来る奴だと思っていたのだ。今となっては笑い話以外の何物でもないが。
 河川敷の後に憶えている記憶は多分、最初に話してから一週間ほどの頃だろう。
「特技は?」と僕が尋ねると「三ヶ国語喋れる」と返事が来た。
最初、僕は冗談だと思って笑い過ごした。冗談じゃないと判ったのはその半年後だったか。
半年の間に僕が彼に関して得た情報はどう贔屓目に見ても異質というか異常で、それでも徐々に知っていったせいか僕はその異常性に二年の中頃まで気付かなかった。
僕は彼を常識知らずだと思った。そして彼にもそう言った。
だが、彼は僕を常識知らずだと言った。
この議論になるたびに彼が言っていた科白がある。
「俺は無害な変態かもしれんが、お前は有害な天然だ。」
傍から視ればどっちも大差無いのではないかとも思ったが、これ以上互いについて議論してもしょうがないので言わなかった。
多分同じ穴の貉なんだろうと思った。―――穴の大きさは一切定義しなかったが。

 正直、僕は中学の頃までは哲学なんかに全く興味が無かった。
しかし、彼と話しているうちに僕は何時の間にか現実とは殆ど関連の無い事まで話すようになっていた。
物理で相対速度を習った時だったと思う。僕は中学の時に相対速度を既に知っていたので退屈だった。多分、クラスの殆どが同じ理由で授業の内容なんて聞いていなかった。K野は隣の席に居た。
「“速度”は観測者無しには存在しない?」
奴が訊いた。
「普通、速度って言う時は地球が観測者だろうし・・・存在しないって言っても良いかな」
「“存在”の定義をお前はどう考える」
僕は話が飛んだと思った。けれど、不愉快な質問ではなかったから考えた。
“生きていること”・・・は違う。それは只の“生存”だ。
“存在”・・・其処に在るという認識・・・。
「観測者が認識すれば存在する」
そうか、と彼は嘲笑うように口を歪めた。そしてその頃の僕は、それが彼のデフォルトの笑い方だと知っていた気がする。
観測者・・・僕の存在を定義している観測者は・・・
僕自身か・・・?

 修学旅行が終わった辺りで誰かに言われた。
「お前、いつもK野とつるんでるな」
言われて酷く驚いた。そう言われればそうだな、と呟く声が頭の隅から聴こえた。
僕は高校に入学する時、友人という奴を作る気がしなかった。在るだけ邪魔になるものだと思ったからだ。それは多分、今でも変わらない。
K野にはいつも本音を喋っていたし莫迦話もしたが、奴は友人じゃない。
本人にも一度確かめた事がある。「“友”という漢字を使いたいのならせめて“悪友”で我慢してくれ」と奴は言った。何を我慢しろと言っているのか僕には解からなかった。
二年の終わり頃、僕にはK野以外にも腹を割って話せる人間が出来た。
“人間が出来た”という表現は可笑しいが、観測者が僕である以上は仕方が無い。それまで僕の視界には彼が入っていなかったし、もっと言えば存在していなかったのだから。
そういえば・・・“存在”の定義に関する奴の答えを、まだ僕は聞いていない。

 その頃の僕が彼に関して持っていた知識は、それが現実かどうか疑うようなものだった。
でも「本当か?」と訊ねた事は無かった。“存在”の定義と同じだ。
僕が信じればそれは真実となり、疑えば虚偽となる。そして、僕には彼が地球外生命体だろうと何ら関係が無い。それは僕には多分何の害も及ぼさないだろうからだ。
奴は、K野は一年の初め頃よりも幾分か平凡に近づいてきていたし、僕はそれを面白くないと感じ、同時に便利になったとも思っていた。
しかし、彼の内面は―――僕が此処で想像して愉快なものでもないが―――恐らく入学の頃と全く変わっていなかったんだろう。


     彼は自殺未遂を繰り返した。


 勿論、これは僕の主観に因る観察結果だ。奴は『死にたい』と口にした事は無い。
只 傷つきたかっただけなのだろうかと考えた。あれは自殺ではなく自傷なんだろうと。そして、そう結論付けた。僕は短絡的で鈍感で、恐らく彼以上にどうしようもない人間だ。僕が彼とつるんでいたように見えたのは単に彼が面白かったから観測していただけで、相手を思い遣る気持ちなんて全然無かった。それが悪い事だとは思っていないが。
僕が後悔する事があるとすれば、僕の行動ではなく、中途半端過ぎた僕の精神だろう。彼の自傷についても僕は何ら意見しなかった。別に死にたければ死ねば良い。死にたくなければ何度でも包丁で体を切り裂いていれば良い。僕には関係の無い事だ。
思い込むと彼の行動の全てが自殺志願に見えてくる。煙草を一日に何箱も吸っていた事までもだ。
だから、僕は自分に余計な負担を掛けないようにした。
僕もその頃に身近な人間が死んでいて、死ぬだの何だのという話に多少なりとも敏感になっていた。莫迦々々しいが、死んだらどうなるのか悩んだ事があった。そして僕は「意識が無くなるのなら他はどうでもいい」と結論付けた。
“生きる”なんてのは本当は瑣末事なんだと思った。

 彼は巧妙に自傷を隠した。元から付き合いの無かった同級生は勿論、彼が自分から言わない限り誰もその創に気が付かなかっただろう。
彼は強かったかと訊かれれば、僕よりは弱かっただろうと応えるが、ならば彼は弱かったかと訊かれると返答に困ったかもしれない。いや、今でも困る。
結局、僕は何かに反対意見を押し付けたいだけなのか。この生存には『逆流』、ただそれだけしか意味がないのか。

・・・それも良いか。

 僕は気が付かなかった。“逆流”は最初に流れが無ければ存在しない。

 センター試験が終わった。
奴は私立に行くらしく「もう受験終わった」とほざき、クラスの奴らから白い目で見られていた。
僕らは、たまに一緒に帰ることがあった。示し合わせてなんて気色の悪い事はしていない。偶然、玄関口で見掛けたらそのまま一緒に帰るだけだ。互いに自宅への最短ルートを。
二月の頭か、大雪の次の日。数学の長い授業の間中、僕は窓の外を眺めていた。黒板の前でチョークを握った独身の男の頭が光っている。何とも代わり映えのしない日常だった。本当に僕らはこのまま此処を卒業していくのだろうか・・・?
授業終了をチャイムでなく教官が告げる。黒板を背に教師が禿げ上がった頭を僕らに向けた。それと同時に頭を少し下げる同級生の面々。
その日、長坂マンションを少し過ぎた辺りで奴は「んじゃ」と行って道を折れた。僕は「ああ、また」と行って家路を急いだ。
風が吹いている。粉雪というには水っぽ過ぎる雪が、それでも緩慢に落ちてくる。
浮力が働いていると思った。
雪にも、K野にも――――

 僕は振り返る。誰も居ない。K野の姿ももう見えない。
分かれてから何分経った。五分程か。まだ間に合うかもしれない。
僕は引き返す。雪に足を取られて走れない。歩みが酷く遅い。先よりも速くなっている筈なのに、何かに押さえつけられるように進まない。
 ―――ああ、僕は逆流しているんだ。
どうりで進まないわけだ。流れに逆らえば、差し引きされた分しか進まないのは当然じゃないか。
長坂マンションの辺りまで来た。
鴉が飛んでいる。電信柱に数匹留まっている。黒い影が地面に。太陽が眩しい。光の中、霙雪が舞い、濃い影が落ちる。
影は段々大きくなり・・・
僕は空を見上げた。
背中から墜ちてくる影。K野だ。
僕は動けなかった。いや、動かなかった。
言葉で表現できない音が立つ。そう思ったのは僕だけかもしれない。何かが落ちた時の音にそうそうバリエーションなんて無いのだから。
何か、この音を表現できる言葉は無いかと考える。人が地面に当たった音。血が流れる音。潰れた器官が出す音。
悲鳴が聴こえた。連鎖反応のように増えていく。サイレンの音。段々高くなる音。
僕は動かなかった。彼は動かされていった。
後には血溜まりだけが残った。本当は他にも何か残っていたと思う。
でも、僕が認識できたのは血だけで。多分あいつの中には血しか詰まっていないんだろう。






 二日後、僕は病院の一室に見舞いに来ていた。
こういう場合、『彼は一命を取り留めた。』とでも表すのか。不似合いな表現に思えて仕方が無い。どう考えてもこれは彼が望んだ結果じゃない。
K野は死ななかった。でも、生きているのかは分からない。
所謂、植物状態なんだと思う。誰も一言もそんな事は言わなかったが、僕はそう思った。
返事が無い。目を開かない。もしかしたら聴こえているのかもしれないが、僕には分からない。
「存在の定義・・・」僕は呟いた。「・・・観測者の特異性」
観測者が存在を定義するのなら、その観測者の存在は誰が定義するのか。
―――彼は世界からはみ出た存在でなければいけない。
「お前は僕の世界の外側の人間だった」
だから、僕の存在を定義してくれていた。少なくとも結果的には。
「お前は誰だ」奴なら反論する。誰かに凭れるのも誰かを凭れさせるのも忌み嫌う奴だから。
「お前はあいつじゃない」ただ、彼と外見が似ているだけの人形だろう。
「あいつは・・・もう居ないのか」還らないだろう。もしこの人形に意識が無いのだとしたら、それは幸いだと思う。
奴は、ずっと願っていた自己という意識の放棄に成功したんだ―――。

 観測者が不在。世界の外には誰も居ない。
なら、この世界は何処に在る。僕は・・・


・・・・ 僕 は 誰 だ ・・・・









 もうすぐ国立の受験があって、その後 僕らは卒業する。
K野は卒業できなかった。卒業する事は無いだろう。
彼の存在を自分の定義のためだけに利用していた。僕は酷薄だろうか。僕から見れば誰もがやっている事ではあるが、問題はそれが途切れたことだ...
 沢山の思い出や疑問を瓶に入れ、蓋をキツく締めて僕は全てこの学校に置いて行く。
いつか此処に帰る事があったら、その時 気が向いたら、開けてみようかと思う。
 僕はあと一ヶ月で此処を去る。




今のところ、その瓶を開ける予定は無い。












PostScript*御覧になりたい方のみ以下を反転してお読みください。
この小噺はノンフィクションです。
というのは嘘です。所々フィクションが混じっています。


初出:2003.12 メールマガジン
使い回し:2004.02 校内文集


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