Keep Smiling

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kind of diary 1



8月16-17日

ちっちゃな国からやってきて、これまたアメリカの片隅のオレゴニアンになってからはや数ヶ月、俺は未だにクレーターレイクというものを知らなかった。
しかし突如、親友「コリアンガイ」が提案する。
クレーターレイク行こうと。
彼の好きな言葉は「suddenly」。
それに似つかわしく何の前兆もみられない提案であった。
しかし俺はそういうサドンリー、サプライズなことが好きだ。
why not? もちろん行くさ。
秋からのハウスメイトとなる「サイコメトラーK」も一緒に連れ立った。

奴らは真っ赤なオープンカーを借りた。
そして初めての経験に胸躍らせ、アクセルを踏みまくったのだ。
あっという間にクレーターレイク。
しかし、せっかくの美しい景色を前に俺のカメラは意識を失った。
呆然としながら奴らはまっすぐ帰ることなど頭になく、「水泳番長」の俺はある無謀な提案をする。
海岸沿いに帰るのはどうだい?と。
それにコリアンガイはワルノリしてどうせならカリフォルニアに行こうと。。。
もちろんwhy not ?だ。

日が暮れるにつれ俺の疲れは増し、運転は狂気じみていった。
山道であろうと平らな道と同じ速度で走り抜けた。
時速70マイルほど。
数々の車を跳ね飛ばし、ついにカリフォルニアに。
しかし、どこが違うというのだろう。
見た目一緒じゃん!真っ暗だし、相変わらずジャングルだし。
それから海岸をひたすら北上する。

しかしなんともきつい運転だ。
横のコリアンガイは首を上下左右に起用に振っている。
目は半目だ。
後ろのサイコメトラーはバックミラーから完全に姿を消した。
その時、お友達は闇に流れる空虚なCDの音だけであった。。。
しだいに疲れはピークを迎え、半ば気を失い運転していると突如背後に煌びやかなパトカーが。

一気にマイマインドは目を覚ました。
彼は言った。
「あんたなんで私が止めたかわかる?スピード出しすぎなんだがや」。
「いいじゃん、ちょっとくらい。時速30マイルなんかで走ってたら明日の車返却に間に合わねーんだよ。」

といえたらどんなに気持ちよかったか。
Actually、異国人は何を要求してくるのかとビクついていた。
しかしなんと俺は免除された。
これからは気をつけなよって。

あー天使様。よかったよかった。
日ごろからいいことはしておくもんだ。
それから俺はグッドドライバーになった。
しばし走り、夜をsafewayのパーキングで明かした。

早朝、あいかわらず寝ている二人を横目に、俺は車を発動させた。
そこからの俺は走る鬼神だった。
二人が寝ているのをいいことに、昨日の天子様の忠告も忘れたかのような、恐ろしい走りをこなした。

なんと通常4時間かかる道を2時間で。
里についたのもまだまだ朝のうち。
なんてアメイジングな走りだったんだろうか。
とにかく俺は責務を果たした。時間どうり車を返すという。

誰かスリルを味わいたい勇者はいつでも声をかけて。
アメイジングなドライブへといざないます☆




8月21日

まだ日記更新しないの?との声があったため期待に答えてみます。
ここにきてもう五ヶ月たとうとしている。
どれほど英語力がついたか疑問なこのごろ。焦りが自信も余裕も打ち消す。

そもそも何故俺はここへきたのか。
それを思い返して己や目的を再認識せざるを得ないときだろう。
日本には大切な家族、友人たち、かわいい後輩たち、彼女がいる。
それを置き去りにしてまでここへ来ることを選んだ。

まず最初に留学しようと思い至ったのは大学受験のころ。
はっきりいって高校でまともに勉強した記憶はない。
しかしテストの点の取り方だけは何故かわかった。
だから成績だけはよく、それを活かして海外逃亡しようかと。
要するに厳しい受験戦争から逃げようとしたわけだが。
親、教師に見抜かれあえなくギブアップ。

そして屈辱の浪人生活を営むことになるのだが。。。
まあ、それが今の俺をしっかり構成してくれたと思う。
いろんなことを考えるいい時間だったから。
やっぱ人間どっかで挫折を経験しないと笑。

二度目は大学に入って、就職準備シーズンに差し掛かった大学三年生。
俺は考えた。自分は何をやりたいか。
でもそれを見つけるのはそんなに難しいことじゃなかった。
自分が何をしてるときが一番楽しいか。

それは「文を書くこと」。
何がしたいかわからないって人もいるなか、自然に目の前に転がっていた俺は幸せかもしれない。
文を書くことは昔から好きだった。
それは学校の課題の感想文だろうと、友達に宛てる手紙だろうと、年賀状だろうと。
いざ紙とペンを目の前にするといろんなアイディアが浮かんでくる。
それを一つずつ取り出して文字にしていく作業はこの上なく楽しい。
自分の気持ちがうまく表現できたときはこれまた最高に。
少ないながら日本には俺の文章が好きだといってくれる人も何人かいる。

「書くことがしたい」単にそれだけ思った。
曖昧だと思うかもしれない。
でも書くことを仕事にできるならなんでも、新聞記者だろうが雑誌編集だろうが、広告だろうが、作家だろうがやれたら最高だなと。
それには何が必要か。
普通に考えたらそーいう先に就職すればいいだけのことだ。
でも何だか俺は納得いかなかった。
大学で自分は何を学んだんだろう?っと。
このまま就職してしまって、それで満足にやっていけるかと。
もっと知識がほしいと思った。
自分の未来にはそれが必要だって。
でもそうするには、どうしたら?大学院??
でも俺は日本の教育はたくさんだった。
きっと大学院にいっても卒業するころには今と同じ気持ち(大学で何を学んだんだろう)を抱くんじゃないかって。

だったらいっそ何にも知らない、誰も知ってる人のいないとこにいこうと。単に比較の問題だ。
もし留学したら。。。って想像して。
言葉も文化も生活様式も何もかも違うところで過ごす時の密度と、言葉も文化も生活様式も慣れ知ったところで勉強すること。
当然前者の方が得るものは大きい。
ここでは例え一つのものを買い物することですら経験の一つになるから。

そうと決めたら何の迷いもなかった。
行くしかない。と。
今度は親を説得する自信もあった。
そして俺は険しい道を選んだ。

歳のことも少しは頭をよぎったが、なんてこたあない。
人生に回り道なんかない。
ちょっとくらい寄り道したって道は続いてるし、それは信じて歩いていくものにとって回り道になりえない。

しかし俺はまだスタートラインにすら立ってないというのが現状。
思いのほか道は険しかった。
でも、今更尻尾まいて逃げるわけにいかない。
一回りでっかい男になって日本に帰るって誓ったからね。

それにはまず明日のトーフル頑張らないとな。
この夏帰らないのもしっかり自分の足元固めてから胸張って日本に帰りたいから。おーっし気合い入れなおしていくぞー!
自分を励ます文章みたいになっちゃたけど。まあ日記ということで許して(^3 ^)



8月26日

もうすぐここきて五ヶ月が経つなあ。
いっぱい友達もできたし、毎日それなりに楽しくやってるけどなんか足りないんだよね。
普段そんなこと考える間もなく宿題や諸問題の解決に追い立てられてるから気づかないけど。
ふとした時にね。
本来の目的を忘れてる自分がいることも。。。
ここに来たのはなんといっても勉強するためだけど、そのやりたいことを学ぶのにまずは英語やらなきゃいけないってのに苛立ちを覚える。
しかし、やらんとはじまらん。

今日トーフルを受けた。
友達が何人も応援の言葉をくれたりした。
それに励まされたっていうか「ああ、頑張らないとな、俺」って素直に思った。

しかし悲しいことに試験を受けることになんの緊張感もなかった。
というかかつて緊張したことがあったろうか。
道は常に開けてるから、やってりゃどうにでもなるって考えてるせいかもしれないが、どうもそればっかりじゃ駄目だ。
トーフルの試験中にしっかり睡眠をとる奴が果たしてどれだけいるのか。。。
無謀というか、愚かとしかいいようがない。
i don' care の精神が悪い方に働いてしまった。
一番の課題はどれだけ集中できるかってことだろうな。
力がついてきてるのは今日の試験で感じることができたから。
まあー明日からがんばりますか。。。反省でした。


9月17日

久々に日記を書こう。
夏休みが始まり、自分が自由に出来る時間が増えた。
宿題に追われていた日常から開放されて、まあ暇になったとでもいえるのだろうか。
暇な時間があるということはなんでもできるってことでもあるし、なんにもやることがないってことにもなる。
与えられることだけこなしてればとりあえず時間は過ぎていったころとは違う。
自分で動かないと単に時間を浪費するだけの生活。。。
やらなきゃいけないことはいっぱいあるのに、そういうものに限って後回しにしてしまうのは何故なんだろう。
「あー、やることねー」なんて言ってる自分を想像するだけでもひどく滑稽だ。
人ってのは現実から目を逸らすのがなんて上手いんだろう。
解かなきゃいけない問題なんてそれこそ山積みなのにね。

でも、ボーっとできる時間があるのはかなり嬉しい。
ボーっとするといっても何にも考えないわけじゃなくて、普段はなおざりにしがちな途方もないことが考えれるって意味で。
忙しい中に身をおいていると見えていても見ないふりをして、関係ないやってどこかに放り出してしまいそうなことを。

それは「何で俺はここにこうして在るのか」みたいな哲学チックなものであったり、「何でこのお茶はおいしくできたのかな」なんてどーでもいいことだったり。
とりとめもなくボヤーっといろいろ考えるのが楽しい。
それに何か「いつまでに、どれだけ、どんな形で考えろ」と制限をつけられるとたちまち楽しくなくなるから。
好きなときに好きなだけ考える。
別に答えなんか出さなくていい。
そうやって思考の中で遊ぶのが好き。
結構そうして考えることは言葉にできなくて難しいからなんかもったいない気もするけど、自分だけの秘密を持ってるみたいで気分は悪くない。

みんなもそれぞれの世界を持ってるんだよな。
そう考えると面白い。
全く同じ固体なんて存在しないんだから。
でも一方でそれは恐怖にもなりえるってことだなー。
要するに皆が皆違うってことは、相手を100%理解することができないてことで、自分が思ってることは単なる思い込みでしかなかったりするわけで、つまりは誰も自分のことをわかってくれないんじゃないかっていう恐怖に成り代わる。
そこで行き詰った気持ちでいるにはまだ甘いと思うけど。
確かに絶対的に他者と交わることはできないけど、だからこそ俺たちは相手を知ろうと思うし、そうするための言葉や方法をいくつももっている。

他者を恐れるってことは自分しか認めてないってこと。
俺らにとって絶対的存在って認められるのは自分かもしれないけど、世界に存在してるのは自分だけじゃない。
他者も一緒に共存してるってことを認めたうえで、その中にいる自分を考える。
相手の存在を認めれば少しは怖くなくなるはず。
お化けだっていないと思うから余計に怖い。
他者と自分を隔てているものは分厚くて、どうしようもなく取り壊しようがないけど、その壁を薄くして相手に触れることはできる。
ただ、ほんのちょっと勇気出して手を伸ばしてみればわかることだ。
眺めてみているだけじゃいつまでたっても何にもわからない。
たくさん手を出す必要はない。
知りたいって思える人を見つけられれば、たった一人だってその一人は自分の存在をより確実なものにしてくれる。
曖昧な自信から確信に。

そんな人に会えた瞬間が幸福っていうんだろうなー。
なーんて思ったこと何の考えもなしに書いてみたけど、きっとこれ読んだ人を混乱させるだけなんだろうな。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
まあそれは俺の力量不足でもあり、それが目的でもある。
わかってもらえなくてもいい。
なんでもいいからとりあえず書いてみたかった。それだけだ。
もしそれで理解してくれたりする人がいればいうことないけど。
書くのが好きだから。
人に上手く思いを伝える方法なんてこれからちょっとずつ覚えていけばいいや。
そのへんはone by one で。
さってと、またこれに懲りずにこのページ見てくださいね。


9月28日

最近引きこもりがちである。
家に、内に。。。
朝、目を覚ます。
とりわけ現実に引き戻されるのを強く感じる瞬間は眼を開ける時だろう。
ぼんやりと、まどろみの中からココに戻ってくる感覚を薄っすらと感じ、引き返せないことに少し切なさを感じつつ。
戻ってきたからといって、やるべきことを持ち合わせていない。
それならば何故戻ってきたのだろうか、現実ってのは残酷だ。
それでも、ココにいることを強要するんだから。
何をするわけでなくても時は動き続ける。
まるで置いてきぼりをくってる感じだ。

何をしなくても時は動いていく。
取り残された俺は、何を考えてたんだろうか。
わけもなく、苦しい時がある。
苦しいわけがわからないだけに、余計苦しい。
わけがわかっていたら、考えようがあるのに。
わからないんだからどうしようもない。
でも、こういうとき、むしょうに書きたくなる。
言葉がこみ上げてくる。どこからともなく、とめどなく。。。
苦しみ、悩むとき、言葉が生まれてくる。
楽しいときよりも、苦しんでいるときの方が、たくさん考えるからだろうか。

人って互いに針を向け合って、近づくと傷つけてしまうことを知ってても、傍によりたいと思う。
微妙な距離を破るとき、酷い痛みを伴う。
でも、それで傷つけ合いながら、互いに絆創膏を張りあったりもする。
傷付け合うことわかってるのに。
なんて愚かなんだろう。
痛いの嫌っていいながら一方で自ら傷を負っている。
こんな気分の時は、「書こう」。
書きたいままに。思うままに。
書くことで、初めて理解できることも少なくない。
わかってるつもりのことも、書いて初めてわかる。
わかりたい。
わからないってことは恐怖だから、だから、俺は書くのかもしれない。
それが生きるってことに繋がるって信じてるから。




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