テディベア ドイツ説2



工場でははじめ、ゾウや馬、ラクダといった

フェルト製のおもちゃを作っていました。



事業は上手くいき、工場も次第に拡大、

甥や姪が次々に会社へ入って

マルガレーテを支えるようになります。



甥のリヒャルトもその一人でした。


商品開発を担当していたリヒャルトは

動物園へ行って動物のスケッチをしては新製品のアイデアを

練っていました。



そして1902年、クマのぬいぐるみを作ることを思いつきます。



それは、本物のクマの毛皮に見えるようなフカフカで暖かな素材、

モヘア(アンゴラヤギの毛のフタシ天)を使い、

しかも、手足と首が自由に動くクマのぬいぐるみを作るという

当時としては画期的なアイデアだったのです。




当初、企業かとしてマルガレーテは

これまでにないぬいぐるみの生産を推し進めるかどうか

迷ったと言います。



作りが複雑なうえ、材料も高く、生産に手間がかかったからです。




しかし、「子どもにこそ最高のものを与えたい」

という信念が彼女を決断させました。



生まれたてのテディベアが世に出ると、

たちまち大人気となり、5年の後には年間97万5千体を

生産するようになったのです。




もちろん、ここギーンゲンだけでは間に合わず

遠くの町の台所や居間でもテディベアが作られたのです。




体の不自由な人が、人目に触れる場所へ出ることができず

ひっそりと一生を送る・・・



社会福祉制度のない前世紀は

本当にそういう時代だったのです。



しかし、彼女は体の弱さ、


特に両足と右手がとても不自由だったのにも関わらず

そのハンデに立ち向かい職業生活を選びました。



そして、まずは裁縫の名手として人を雇い

後には徐々に増えていった社員を率いる企業家として

評価されるに至ったのです。



彼女は類まれな運命を生き抜いたのです。



マルガレーテは生涯自らの子どもをもうけることがありませんでした。

家族の支えの下、彼女が努力と勇気を持って

生み出したテディベアは世界中の家庭にぬくもりを届けました。



そして、テディベアに喜ぶ人々の姿が

彼女を現実に立ち向かわせる勇気の源となっていたかも知れません。




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