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今年もぼちぼち北から順に新そばが当店に集まってきました。去年までとは違い今年は北海道で北わせという種類の蕎麦は農家さん3軒から頂けるようになりました。以前から頂いているニセコ近くの農家さんともう2軒の農家さん。幌加内、深川とかの大生産地の農家さんは僕なんかちっぽけな蕎麦屋が1軒で行ってもなかなか相手にしてもらえません。小規模(失礼!)でも土つくりから丁寧に仕事をしておられる農家さんにターゲットを絞り開拓してみました。それはやはり当たりました。 15年前ですが、初めて北海道を訪れました。帯広にいる友達を頼って北海道に足を踏み入れたのです。彼が僕の到着にあわせるように、現地の農家さんに北わせの蕎麦を栽培してもらって、現地の蕎麦屋さんで製粉してもらってそれを、僕が10割そばで手打ちしました。そのときの蕎麦の味、香りの凄まじかったことそれまで北海道の蕎麦は香り、味ともに優しい(悪く言えば薄い!)と思っていましたでもそのときを境に僕の北海道の蕎麦に対するイメージはガラリと変わって行き、その後、道内を探し回るその理由となったのでした。 ニセコの農家さんの蕎麦はまあ例年並み。悪くはありません。2軒目の農家さんの蕎麦。作業をしているうちに15年前を思い出すがごとくの香りの質。思わず懐かしさが甦りました。この農家さんもかなり土にはこだわっておられる様子でした。同じ北わせなのにこれだけ香りが違う。驚きました。 次は3軒目。昨日から使い始めましたが、これがまたすごい。味が当分口の中に残ります。そしてその後も口の痺れが止まらないのです同じ北わせとは思えないほど味、香りは違います。
2010.10.15
少し前のこと、B大学のS先生が久しぶりに来店された時、私はいつものように産地を何も知らせずに蕎麦を3枚出しました。彼は、はじめの1枚目の蕎麦の香りを嗅いで怪訝そうな顔をしながら一口ほおばり、”この蕎麦の産地は?”私、すかさず”何言うてんの、去年の秋から殆ど毎回のように食べてる例の茨城県の農家の常陸秋蕎麦!”彼、"いや、茨城県とは香りが違う!”実は、私もその2週間ほど前にその常陸秋蕎麦を製粉していて、"えっ!あの農家の常陸秋蕎麦にこんな香りが入っていたの?!!!”と自分の製粉技術が少しまた一歩進んだことを、実感したところだったのです。”そこまでものことが、食べるだけのお客さんに判るの?”実際のところ自分でも彼の立場であってもそこまでのことが判るかどうかは自信はありません。私の知り合い(同業者をも含めても!!!)にそこまで味覚、臭覚の優れている人は居ないから。今まで何種類もの蕎麦を彼に提供してきたか解りませんがそれらの香り、味を、かなりな割合で彼は覚えていますよ!
2010.05.18
去年の年末から当店に勤めだした若い男の子に最近そば打ちをしてもらっています。平日なら、一日3回中一回。土日も4~5回中の一回。要するに一日一回だけなのですが・・・。なかなかそば打ちは難しいらしく、触感が僕の作るそばと違ってきます。 僕は自分ではイメージの中で湯がいた時にふわっと柔らかくしなやかに茹で上がるようにそば打ちをしているつもりです。彼にもそれを伝えてはいるのですがなかなかそうは行きません。余分な力が掛かるらしく、茹で上がりが硬いそばになることが多いのです。 彼は実家が蕎麦屋さんで小さいときから蕎麦屋の息子として、そばに慣れ親しんで育ってきました。高校を卒業後、料理学校に行き、その後は飲食業に従事してきました。それも、蕎麦屋が殆ど。手打ちの技術も僕よりも上手で・・・。 硬いそばが何故いけないの?と言われるかもしれません。それは好みの問題かもしれませんでも、湯で湯が綺麗なときには判らないけれど、仕事が立て込んできて、湯で湯が汚れてきたら、上手く茹でられなくなってきます。それと、僕の打った蕎麦と同じような硬さに湯がこうとすれば、香りも抜け気味になりますし、湯で湯が汚れてきているときにそんな湯がき方をすれば、湯で湯の匂いがそばについてしまいます。
2010.03.25
15年毎日仕事をしてきてそば打ち、製粉、取水(水汲み)が少しずつ変化してきました。昨日より今日、今日より明日と少しでもそばが美味しくなるように。でもそれは、単なる自分の自己満足だけで、客観的に見れば以前のほうが美味しかったかもわかりません。でも、自分の目標となるそば。その根底にあるもの、それはそばの実そのもの、そばの実を(丸抜き=そば殻を取り去ったもの)何も加工しない状態で口に放り込んでガリガリと齧ったときに喉の奥から華に抜けてくるそば独特の香り。それをそのまま麺に表現したい。文字で書くならそれだけなのです。至極簡単。
2010.03.10
この1月26日で蕎麦屋を開いて丸15年が過ぎました。皆様にお礼を申し上げます。昨年の秋、9-10月ごろ、漸く自分で自分の作り出す蕎麦のことを”まあまあのところまでたどり着くことができてきたかなー”と思えるようになってきました。(回りくどい書き方ですが) それは、まだまだ100点満点の出来ではありませんが、そして、この先も100点満点の蕎麦はできないであろうけれど。15年を振り返ってみて、色々なことがありました。たぶん1冊の本が出来る程いろんなことがありました。石臼のこと、水のこと、蕎麦の実のこと、農家さんとのこと、その他いろいろ。今でこそ振り返って懐かしく、他人事のように言えますが、その時はそれこそ必死で、そして、”何でこんな商売を選んだんだろー”って叫びながらこの仕事に就いたことを後悔したものでした。蕎麦屋をはじめるにあったっては、どこの蕎麦屋さんで修行をしたこともなく、独学(と言えば聞こえはいいけれど)でわけもわからずこの世界に入りこんだのでした。
2010.03.04
今まで僕は新そば、特に例えば昨日、製品に仕上がったばかりの蕎麦の実(刈り取り、乾燥調整が終わったばかりのもの)は粉になりにくかったという経験を何度も味わってきました。それは、僕の仮定の話ですが、蕎麦の実自体がもっている油っ気が実全体に均一になじんでいない状態の時に起こり得るもので、ものの半月か一月でも置いておけばそういうことから解放されることが多かったのですが、でも収穫されてもう2箇月以上も経っているのにまだ、使い辛い、安定していないそばも珍しいのです。実自体が普通のものよりでんぷんが多く、ギシギシした粉になりやすいのです。
2008.01.30
久しぶりの書き込みです。 去年の暮れまで、ある産地の蕎麦は2005年の秋に収穫された蕎麦の実を使っていました。それが、だいぶん少なくなってきたので、去年の秋に収穫された蕎麦の実(2007年産で一般的には今現在でも新そばと呼べるものです)を使い始めました。 そうしたら、それまで使ってきたものよりすごく使いにくい。のです。(同じように製粉しているつもりなのに、粉のなり方が明らかに違うのです。)
2008.01.23
北海道からは、もうぼちぼち新そばの便りが届き始めています。早くは5月に蕎麦の種を撒くところもあるのでその分が収穫も終え、市場に出回ってきていまるのです。当店は未だ去年の蕎麦で、中には一昨年の蕎麦(2005年の福井産)を多用している部分もあります。最近の当店のお蕎麦は結構香りも強くおいしいです。それは、ここに来て去年のそばが熟成されたお陰かもしれません。そばって奥が深いです。やればやるほど難しい。来週の月、火曜日は丁度収穫時期が始まっている北海道に行ってきます
2007.08.24
少し言葉が足りなかったので補足します。彼に茹での練習をしてもらう時間には、その茹で湯は色も茶色く濁っていて、かなりくたびれた状態であり、少し匂いすらするのです。そういう茹で湯で茹でるとき、ちょうど良い茹で時間で茹でればその蕎麦が本来もっている香りが感じられるでしょう。でも時間が短ければ香りも麺からは出てきませんし、硬い蕎麦です。逆に長ければどうなるでしょうか?その蕎麦が本来持っている香りが茹で湯に溶け出ます。そしてその代わりにそこにはくたびれた茹で湯の匂いが入り込むのです。だから18秒茹でたときに感じられるものはくたびれた茹で湯の匂いとなるのです。彼はそっちの匂いを蕎麦本来の香りだと思った(思っていた)のです。
2007.06.02
自分たちが使おうとしている蕎麦の実が、何の加工も施される前に素の状態で、どのような味、香りを持っているのか?そのことを頭に入れておいて作業をしていく。製粉。手打ち。茹で。・・・。そのように考えていくと、本来の材料の味、香り、とは掛け離れた匂いの蕎麦になった時どこかに問題があったわけでそれが解決しなければ石臼挽き自家製粉の意味もなくなってしまいます。仕入れのそば粉で充分。手打ちをすることさえ必要なくなります。機械製麺でも対応できる。
2007.05.30
当店では秋になり、各産地から玄蕎麦が届くと順番に片っ端からそば殻を取り去り、蕎麦の実を丸抜きの状態にして冷蔵庫に保管しています。ということで、秋から次の年の春ごろまでは毎日蕎麦殻を剥く作業をしています。多い時で一日に100数十キロの丸抜きを作ることもあります。それはいつも店の若い子がしてくれています。だから、彼に僕は常々言っていました。皮むき作業をしながらいつも蕎麦の実を齧って、蕎麦の実そのものの味、香りを自分の体に刻みつけるように指導していました。
2007.05.15
当初、彼は18秒間茹でた時が一番美味しいと言っていました。私が15秒の茹で時間の蕎麦が美味しいと思っていた時にです。私は彼に言うのです。”18秒の時に感じられる香りは僕にとっては匂い。15秒の時に一番感じられるのが蕎麦の実を何も加工せずにガリガリ齧った時に感じられる実が本来持っている香りである”と。
2007.05.14
この2月で5年半の間店を手伝ってくれた男子が辞めました。蕎麦の感覚についてはそこそこ解ってくれるようになっていたので残念に思っていました。彼が店に入るようになった当初から賄いの蕎麦だけはずっと彼に茹がかせていました。その頃はまだ今と違ってPM3時に店の営業を終了していましたので、茹で始めるのは、PM4時ごろが多かったように思います。13秒、14秒、15秒16秒、17秒、18秒・・・と結構秒刻みに茹で時間を変えて、その瞬間のその茹で湯での適正な茹で時間は何秒か?という風にです。一般的な見解では、そんな1秒くらいの茹で時間の違いなどある筈は無いというところでしょうか?でもそれははっきりと違いがあるのです。
2007.04.27
こんなこともありました。或る年の蕎麦の実の中で、少し毛色の変わった面白い蕎麦の実が少しだけあったので、大事に使おうとあるとき少し使ったらその時たまたま彼が来て、”これ美味しいなー”の一言。そして、その後何ヶ月もしてから”あぁ、あの蕎麦の実まだ少しあるので、久しぶりに使ってみようか?”と、そして又、たまたまその時、彼が来たのです。そしてその蕎麦を食べた時一言、”この蕎麦の実 何ヶ月か前に味わった蕎麦の実と同じやね!”と。彼の味覚は普通ではありません。日本全国同じようなことをしている蕎麦屋が何軒あるかはわかりませんが、多分そこまで蕎麦を食べ分けできる蕎麦屋の親父は5人も居ないと思います。私が客の立場であってもあそこまで判るか私も自信はありません。まだまだ、その手のエピソードはありますが・・・。
2007.01.23
こんなこともありました。かなり以前のことですが、彼の前に点数をつけるとすれば80点位付けられるだろう蕎麦切りを出したところ、彼は一口食べて私に”この蕎麦もっと美味しく出来る筈!だってもっと良いそばの実を使っている筈だから!”と言われました。まさしく、前日の晩にその粉を製粉している時に”しまった”と思っていた粉だったから。
2007.01.23
でも、彼は違います。例えば、彼の前に点数で言えば30点しかつけられない蕎麦切りを出したとしても、それを味わって”あの良くない蕎麦の実をココまで美味しく出来れば充分だ!”と言ってくれます。自分はその原材料である所の良くない蕎麦の実も見たことがないのに!そうなのです、彼は蕎麦切りを食べて、その原材料のレベルまで想像がつくのです。そして実際、私は以前であればそういったレベルの蕎麦の実を美味しく麺にすることの難しさをいやというほど思い知らされていたのですから。
2007.01.20
一般に蕎麦好きが初めての蕎麦屋に行ったとします。そうした時、その人はどのようにその店の蕎麦を評価するでしょうか?大抵の場合、人はそれぞれ自分の中に”100点の蕎麦”という物差しを持っています。そしてその物差しでもって、その店で出された蕎麦の評価を下します。でも考えて見てください。日本全国、どこの蕎麦屋も365日、毎日100点満点をつけられる材料の蕎麦(平たく言えば使いたい材料)が使えているか?言い換えれば言葉は悪く蕎麦の実に対して失礼ですが、”こんな蕎麦の実使いたくない”と思われるレベルの実を使わなければならない時が1年を通して何回か、いや、何度も或る筈なのです。そしてたまたまその店を訪れた時にどうしようもないほど良くない実を使っていたらそれだけで”この店はたいしたことがないなー”となります。
2006.12.12
彼が毎日店に来てくれるので、こちらも嬉しくなり何回目かから違う産地の蕎麦を”これは福井産””これは茨城産”と産地名を告げながら提供するようになりました。(今でこそ”蕎麦三昧”というメニューで一般のお客さんにも産地名を告げながらということはしていますが、その当時はそういうことはしていませんでした。 そうしたら、彼は産地名を告げなくてもおおよその産地名を当てられるまでになってきたのでした。
2006.12.11
当店、来年(2007年)の1月26日で開店して丸12年になります。S先生が初めて当店に現われてから(現れたという言葉がピッタリでした。)10年以上経つと思われますが、彼が1番初めに店に来た時、最初に言ったことは、”堅い目に茹でて”という言葉でした。私は密かに心の中で”この男は何を言うてんねん”とつぶやき、いつものように蕎麦を湯がき彼に供しました。そうしたら、次の日もそのまた次の日も彼は店に現れ、その1週間に合計5回は来てくれていました。 最近でこそ、彼は仕事が忙しくて週に1回も来れるか、来れないかというサイクルでしか店に来なくなっていますが、彼と二人で歩んできた10年は私にとって、蕎麦屋の親父にとって貴重な勉強の時となるとは夢にも思いませんでした。
2006.12.03
ここ数週間、現用の石臼の原料供給口のモーターとそれに繋がる回転シャフトの調子が良くなく、ロングランで格闘しています。石臼への原料の供給量のばらつきが時間あたり多い時で300-400グラムも勝手に変動したりとなかなか思うような製粉が出来ない状況です。でもその中で思わない発見があります。例えば、いつもこのような方法で製粉しているとしてそれが、いつも通りするつもりが少しあらぬ方向にまちがって製粉してしまい”あぁまちがった!!!”とがっがりして期待しないまま蕎麦打ちをしたら、”エェ、こっちの方が出来がいい!!!???”と。そこで”これをこうしたらいい結果が出たのだから、これをもっと進めたらもっと凄い粉が出るに違いない”明日はもっと、その次はもっとともっともっと進めたら2-3週間進めたところで冷静に振り返ってみたら”あれ、以前のほうがよかった”と。そんなことって今まで山ほどあったけれど、それの繰り返しが今の自分を作っているのだと。
2006.10.27
石臼は魔法の道具だと思います。色んな粒度の粉を挽くことが出来ます。ロール引き製粉機に比べて、石臼のよさは粗い粉、細かい粉いろいろ交じり合いながら出てくるところです。ロール製粉機は比較的均一は粒度の粉が出てきます。それも粉焼けしたものが。(高回転で製粉することによって粉焼けが起こると言われています)粉は細かい粒度の粉、粗い粒度の粉が色々混じりあうことにより味、香りがでてくるのです。香りは細かい粉の方が圧倒的にあります。でも細かい粉だけではその香りを活かすことが出来ません。細かい粉と粗い粉が適度に混ざり合うことによりその香りの粒が活かされるのです。ここからは自分の推論ですが、香りを活かす為には、その粉の中に空気の粒を内包しなければなりません。石臼は細かい粒、粗い粒が交じり合いながら出てくるので、その香りを活かすことができるのだと思います。ではどのようにすれば細かい粒を多くしそしてその香りの粒を活かせる粗い粉を含めることが出来るか?石臼はその直径、上臼の重さ、溝の深さ、溝の数、実の落とし具合回転数、と色んな要素があり2つと同じ石臼は無いと思います。その使いこなしの一つとして、粒度を揃える様に製粉する、粒度をちりばめて製粉する。色んな使い方が出来ます。を
2006.10.14
ここのところ石臼の調子が悪く毎晩、毎晩石臼と格闘しています。なかなかブログに書き込む余裕もなく2週間ものブランクが出来てしまいました。これも”もっと、もっと勉強せよ!”との運命かと思っています。もともと蕎麦屋を目指してから今まで、ずっと色んな経験をし、そのお陰で今の自分があると思っています。その始まりは石臼の自作でした。10数年前、蕎麦屋を考えた時今ほど石臼のメーカーが多くなく、日本全国に数社しかありませんでした。そして1番安い電動石臼でも百万円以上もしました。当時(今でもですが!)百万円というお金の余裕も無く、自作と相成りました。田舎の古道具屋さんで見つけた古い石臼。モーターもポンコツやさんで買ったもの。減速器は京都西陣で少し前まで使われていた帯を織るための織機の中に使われていたギアを組み合わせ100分の1に減速したもの。多分総額2万円以内でしたでしょうでも、全くの素人がつくった割りには10割り蕎麦が打てるような粉に製粉できる精度の石臼でした
2006.10.12
今日、蕎麦生産全国1位を誇る幌加内とその並びに位置する或る産地の方と連絡をとり現状を聞いたところ、やはり去年ほどでは無いにしろ栽培量は例年の6割ほどとのこと。深川の農家がこの夏、”去年のような作柄が2年も続くようであればそば農家は死活問題だ。”と私に漏らしておられたことがあった。北海道の夏が気温30度を越す高温少雨の日が多く出てきていることが原因らしい。気温が30度を越せば蕎麦の花は焼けるらしい。そうすれば実もつかない。この先日本、世界はどうなるの?
2006.09.28
話が前後しますが、先週は大分県。少し前は福井県と、このシーズンは定休日を利用して、各産地を回り農家の方に挨拶をし、蕎麦の成育状況を見て回るという日々が続きます。大分県は台風13号が大きな爪あとを残し、芽が出たばかりの蕎麦畑は葉っぱがもぎ取られ地面から10CMほどの長さの茎だけが所在なさげにひょろひょろとのこっているばかりでした。農家の方はすぐ種を撒き直すと言われておりましたがその後の成長を祈るばかりです。
2006.09.27
昨日(9月25日)芦屋の蕎麦屋Dの店長と同店員1人と3人で長野県黒姫と白馬に蕎麦の生育状況を見に行ってきました。Dの店長であるH君が名店”ふじおか”(私の中では、同店は手打ち蕎麦店の中では石臼の使い方はトップクラスに位置しその完成度の高さにおいて右に出る店は無いと思うし、人にお勧めの店を尋ねられれば同店を置いて他に無いと思っている店であります。)に行ったことが無いというので時間を調整し、久しぶりにその蕎麦を堪能したのでした。約2年ぶりに訪れその度ごとに”今回はこう来たか”とその仕事ぶりに思いをめぐらすのです。彼ら2人がその蕎麦に込められた内容の奥深さに少しでも学ぶことができればまた今後の励みになると思われます。そして同店の石臼の整備調整の打ち合わせをし、おいとまをしました。さて、昨日のメインの長野県の蕎麦の現状はというと、当初、長雨で、種まきが遅れたものの、その後は順調で気温もさほど高くなくこのままの状態が続けば質の良い蕎麦が見込まれるでしょう。
2006.09.26
でも大野産の手刈りの天日干しの蕎麦なら何でも美味しいか?(私のイメージするところの草の香りのする蕎麦であるか?そうでないところの美味しくない蕎麦か?という意味での話しです。=蕎麦の実自体が緑色の実であるか否かが重要なポイントです。)一言で言えばNOです。私は大野の蕎麦農家と二人三脚で、何年かかけてけてどうしたら美味しい蕎麦が栽培出来るのかを思考錯誤を重ねてきました。でもチャンスは年に1回だけです。次は来年まで1年待たなければなりません。結構長い年月が必要でした。今や手刈りの天日干しの蕎麦は、全国でもほんの1握りしか生産されていませんが、そして当店が蕎麦を頂いている産地である福井県大野や徳島県でも生産者の高齢化で年々その生産者が減っていっております。そして基本的には機械で刈り、機械で乾燥した蕎麦より仕入れ金額は数段高い金額で取引されています。金額と中身の価値はまた別の話です。最近では全国的に機械刈りで機械干しの蕎麦でも凄く美味しいそばが私が始めた11年前の当時より容易に手に入るようになりました。
2006.09.20
もう他人に任せていっては仕方がない、と自分で産地を開拓することにしました。車に乗り福井県へ。大野市を中心に大きく円を描いて少しずつ範囲を狭めていきました。車の中で夜を明かし、地元の人に聞いて、聞いてしても中々蕎麦の在り処は見つかりません。そしてスキー場から少し降りて来た所のとある工務店で、”もう少し降りた雑貨屋さんを左に入ったところで蕎麦を栽培していたと思う”との話。果たして蕎麦は花盛りでした。本通リから裏に入ったら蕎麦畑は広がっていました。喜び勇んで、とある農家へ。”蕎麦を分けてください。”と頼みましたがあっさりと断られました。どこの馬の骨とも分からない者には無理な話でした。そしてその次の年、ほんの少し頂くことが出来るようになりました。そして次の年と少しずつふえていきました。
2006.09.15
その時に分けてもらった蕎麦の実は5KGか10KGでした。(今となっては定かではありません)それを少しづつ使い、なくなったところで再度送ってもらえる様頼みました。そして、次に送られてきたものは初めの時のものとは全く別の蕎麦でした。(自分の評価の中では悪い方でした。)さっそく業者にTELしましたら”それは当たり前のこと。同じ産地でも年ごとに物が違うし農家によっても違う。同じ農家でも袋ごとに出来、不出来がある”との返事。業界の彼らにとっては当たり前のことかもしれませんが、自分の中では”それでは困る。一度あれだけの美味しい蕎麦の実を知ってしまった以上蕎麦屋をする時にはあの蕎麦の実を使いたい”と思ってしまったのです。
2006.09.13
石臼という道具が手に入ると今度は原材料探しです。初めのころは北海道とか色々主だった産地のJA(農協)さんにTELをし少しづつ分けていただき、石臼で製粉し味、香りを試していました。でもなかなか満足のできる蕎麦の実に出会えませんでした。あれも違うこれも違う、と。そんな中で福井県大野市で栽培された蕎麦を少量ですが手に入れることが出来ました。どちらかといえば小ぶりで皮の色は少し茶色っぽく、胴がぷッくり膨れてつやつやしていました。それを手回しの石臼で製粉し、2:8で手打ちして味わいました。その時の驚きは言葉では言い表せませんが、蕎麦って草のような香りとすごい甘さ、上手く表現できませんが、その時から、蕎麦に対する自分の気持ちがガラリと変わり、その後蕎麦にのめりこんでいったのでした。
2006.09.12
自分でそば粉を作り出す。どうやって?当時は今ほど石臼挽きということが一般的でありませんでした。というより自分には製粉所にある大掛かりなロール製粉機の導入は出来ないので、簡単に粉にする道具である石臼を使おうと。それから古い石臼探しを始めました。(その頃はまだまだ石臼を作っている所が少なかったのです。)そして思い立ってから何ヵ月後、やっと1号機を見つけることが出来ました。ラッキーにも殆ど手を加えなくても結構良い粉を得ることが出来るほど程度の良いものでした。
2006.09.10
すみません、昨夜の書き込みで一つ抜けていました。9月に買ったそば粉でその次の日に蕎麦を打ったのですがその蕎麦は2月の蕎麦とは全く別の、私が嫌いな茶色い、そして嫌な匂いのする蕎麦でした。(このことは後々に書き込みするだろう内容の重要な布石となります。)
2006.09.08
さあ、蕎麦屋にでもなろうか(みなさんごめんなさい)と思い立って、少しずつ、少しずつスローなペースで練習が始まりました。蕎麦打ちは1度もしたことがなかったので兵庫県は三田市にある蕎麦道場で1度体験をしました。その頃は2-8で蕎麦打ちの練習をしていました。或る年の2月、北海道産の蕎麦の石臼引きのそば粉を製粉所から5kgか10kg(定かではありません)分けてもらいました。そして次の日お昼にその粉で蕎麦打ちをすると、うっすらと緑いろで、甘く、そしてほのかですが香りも感じられてこのような上質な粉が手軽に手に入るようならばそば粉はこの製粉所で充分だ、とその時は思いました。そして次に、そば粉が無くなって粉屋さんにお邪魔したのが9月。そば粉とともにそばもやしを作ろうと玄そばを少しいただきました。そば粉は次の日の昼に使うので取り合えず玄そばを水耕栽培と思い紙袋を開けたらビックリ色んな種類の虫がゾロゾロと袋から這い出してくるではありませんか。もし蕎麦屋をするのであればそば粉から自分で製粉しなければならないと思うようになったのでした。
2006.09.07
今回、そしてこれからも時に業界の方の気分を害する発言があるかもしれませんが、あくまでも今、現在のわたしの思いで、半年後、1年後には180度方向転換しているかもしれませんので、大目に見てやって下さい。どうして蕎麦屋になろうと思ったか?もともと私は蕎麦はあまり(全然)好きではありませんでした。何故って?それは、美味しい蕎麦を食べたことがなかったから。家族で麺類の店に食事をしに行ってもうどんを食べていました。では何故?私の実家の家業は着物業界の1員でした。ご多分にもれず当家の売り上げも先細りでこのまま自分もその業界にしがみついているには自分は余りにも営業マン向きではないことをよく解っていたので何か別な仕事をと感じ始めたのが30歳半ば。何か無いかと色々考えはじめ、そんな時、実弟がとある蕎麦打ち道場に行き、みんなの目の前で蕎麦打ちをしたことが2-3回ありました。それ以降彼は蕎麦打ちをすることはありませんでしたが、面白そうだなと思い蕎麦嫌いな私が”手打ち蕎麦屋でもするか”とそうとう不らちな動機からこの世界に入って行くことになったのです。
2006.09.06
はじめまして。京都で”蕎麦屋じん六”を営んでいるおやじです。H7年1月26日、阪神大震災から9日後に蕎麦屋を始めました。修行にも行ったことがないズブの素人が店を開店しました。店を始めてからが自分にとって修行、勉強でした。未だに気持ちの上では(仕事の内容でも)素人に毛の生えた程度ですが。ここでは今までの日々、と自分の蕎麦に対する思い、現在の業界に思うことやその日にあったことなどを不定期ですが少しづつ書いて行きたいと思います。よろしければ、たまには、のぞいてやって下さい。
2006.09.05
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