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毎年一回、各職場から看護ケアについての経験をまとめて交流する検討会があり、今年度は私が担当することになった。テーマの提出は昨年の12月末。そして症例の提出は一月末。そして昨日が発表に使うパワーポイントの提出日。Aさんが亡くなられたのは昨年の10月25日。最後の訪問を担当したのは私で、残された時間はもうわずかしかないと思えた。その翌日の夜に、自宅で永眠された。最後の五日間は誤嚥性肺炎による痰のつまりで呼吸困難が続いた。苦しい処置だけれど、痰を吸引してもまだ肺に残っている痰が多いので何回も姿勢を変えて痰を喉元まで上げて吸引して。38度の発熱もあったので、口からお薬を飲めなくなっていたので座薬の解熱剤を使って解熱して。最後の日には、大好きなカレーライスを食べられたという。Aさんは104歳。大往生だからなくなってもまぁしょうがないかって、同僚も往診を担当している診療所の看護師もそう呟いていた。えっ、大往生だからそれでいいの???Aさんと私どもの訪問看護ステーションの付き合いは足掛け16年。脳卒中の後遺症のために尿を出すための膀胱留置カテーテルの処置を受けているので、その管理のために訪問看護が始まった。16年もあったその看護ケアを振り返ることになった。看護記録の厚さは10㎝近い。この16年間に何が起きていたのか。記録を読み返してみると、Aさんのお人柄がしのばれるような記述があちらこちらに。初めて訪問する看護師には故郷を聞き、家族構成、好きな食べ物などいろいろと確認してAさんなりのデータベースを作成。いつも同じ看護師が行くわけではないので、久しぶりに訪問すると子供がいるものには「もう小学生になったのか」とか、異動した看護師について「〇〇サンは元気にやっているかね」とか。ちょっとさえない顔をしているものには「今は幸せかい?」と声をかけてくれたり。Aさんを訪問するたびに何か心がホコッとするものを感じて帰ってくる。そんなAさんが息が苦しいので顔をゆがめて「何とかしてくれ!」とでも言いたげな瞳で私を見つめていたその姿が焼き付いているので、あんなつらそうな様子にならないように何とかできなかったものか、という問いをもって何回も何回もカルテを読み返してみた。人は誰でも死が訪れる。それは自明の理。だからこそ、その最後が苦しくなく穏やかであることを願う。そのために、何をすることができ何ができなかったのか。私たちはAさんの最後を予測しての呼吸ケアができなかったのだ。例えば褥瘡の処置は、いくら多くても一日2回。排便のケアも一日数回。排尿のケアはおむつを使えば一日多くても5回くらい。でも呼吸のケアは、刻々と呼吸は繰り返されるので呼吸が苦しくなればなるほどケアの頻度は増していく。息をすることは普段は意識することもない。苦しくなって初めて自分の呼吸に気が付く。しかもその苦しさは本人はもとより周りの者にとっても「死んでしまうか」と瞬時にそのつらさが伝わってくる、死の恐怖に襲われる。見ていられないし、今すぐ何とかしてほしいと願う。痰で呼吸が苦しくなれば、痰を出しやすい姿勢をとれば10分間か15分間で痰が口元まで上がってきて呼吸が楽になる。呼吸ケアは適切なケアができれば、短時間にケアの効果が現れる。しかし、気管や肺の仕組みや働きは普段意識していないこともあって、少し丁寧に勉強をするひつようがある。苦しい様子を見ていると、特に家族であれば心穏やかにはしていられない。冷静に落ち着いてケアができにくいということもある。呼吸が苦しくなってから、初めてケアの方法を学ぶのでは対応が遅れてしまう。だからこそ、予測していただき、少しずつ呼吸のことを分かってもらいいざという時の備えをしてもらう方がよいのだ。特にAさんのご家族は、最後までお世話をすると覚悟していた。そういう覚悟がある方ならばきっと近い将来訪れることに対して、介護の方法を学んでおこうと決断したはず。そういうご家族の気持ちに気が付いていなかったのだ。Aさんが亡くなった4か月後に遺族訪問をした際に、はっきりとした言葉にはされなかったが「熱が出始めたころには食べる力が落ちていたのですね」と。そのころから誤嚥性肺炎の予防をする必要があったのだ。そしてそのことをご家族も後悔されていた。発表原稿を数回作り直して、私は何を言いたいのか、Aさんの経過から何を教えてもらったのか、作り直すたびにはっきりしてきて、やっと昨日の22時過ぎに発表原稿が出来上がった。呼吸ケアに重要さをみんなに訴えていこう。これで決まり。あーぁ、すっきり。
2018年03月31日
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今日は午前中で仕事が終わったので、近所の桜を回ってきた。今年は桜が開花してから、雨も降らず強風が吹かず、桜が長持ちしているのだけれど、少しも心がウキウキしない。近所の桜の名所は、狭い土地に無理やり桜を植えているので、隣との境に植えられていたり電信柱があったりで、枝や幹がバッサリ切られている。そのうえ根の際までコンクリートが敷き詰められているので、とても窮屈そう。一つ一つの花だけを見ていると美しいのに、木全体を見てみると、人間のために切り刻まれて狭い場所に押し込められて、なんだか胸が張り裂けそうになる。石神井川の桜は、この辺りでは桜の名所で有名なのだが、川面に広がる枝は自由に伸びているのに、道路側の枝は見事に切りそろえてある。遠くから見ると、まるで桜の木が電信柱のようだ。眺めているのが苦しくなって、早々に引き上げてきた。こんなにひどい仕打ちを桜にしていたんだ、となんだか悲しくなる。桜に限らず、街路樹もこの桜のように枝先が伸びないように切り刻まれている。こんな風に木を見ていると公園の木もお寺の木も民家の木も、人間の生活に支障をきたさないように、切り刻まれている。区内の公園も、次々とコンクリートで土がふさがれていく。「公園整備」と称してもともとあった木が伐採され、野の草花の生きる場所を取り上げていく。蚊やハエなどの害虫を嫌っての処置ということもあるのだろうが、なんだか人間のわがままかっての振る舞いにしか思えない。午前中に訪問したおうちは、ちょっとした高台におうちがあり、五坪ほどの土の庭がそのまま残されていて、オドリコソウ、オオイヌノフグリ、ショカッサイ、スミレなどが咲き誇っていた。ただただ自然の力に任せてあるこういう場所を見るだけでほっとしてしまう。今年の桜に心が痛んでしまうのは、この春の私の気持ちの表れなんだと思う。還暦を過ぎたのに、生き方に迷っているわたし。人間として果たしてこれでよいのか、瞬間瞬間の自分の行動がなんだか怪しく感じられて、私は何を大切にして今まで生きてきたのか、全く自信が持てない。気持ちが晴れ晴れしていないことが、余計に桜が悲しく見えてしまう。
2018年03月28日
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患者さんやその家族の方の一番近くで、看護師として働くことを喜びとしていたが、信じられないような言動が続き、職場を去る決意をした。数か月悶々と悩んでいたが、これ以上今の職場にしがみついて頑張る意味がどんどん薄れていき、つい2週間前に退職することに決めた。今日、定例の年度末面接があり、上司に退職希望のあることを伝えた。名目は、年金制度が改悪される中で、再雇用の期限の65歳を待たずに70歳過ぎても働ける職場を探して転職したい、という言葉で。退職したい、というだけで、今の職場でこれ以上無理な働き方をしないで済む、という一種の安ど感が起こり、口走る前までの重い心がすっと消えていった。過去と他者は変えられない、と考えているので、周りの人を変えようとは思わない。自分を変えることで場への適応をしていくことができるときもあるだろうが、一メンバーである以上、早々他者に影響力を与えることもできない。職場というものは不思議なもので、一定の力のある人がある方向に誘導してその勢力が大きくなると、それと違う方向を目指していくものに対して風当たりが強くなる。現場の問題で言えば、「褥瘡が発生したらなぜ褥瘡が起こるかをアセスメントして、単に傷の手当だけをしない」ことは、常識に過ぎないのだけれど、医師の指示で傷の処置だけを続けて褥瘡が悪化しても外用薬を変更するだけで終わっていく。ベッドやマットレス、排せつ用具などの変更を提案すると、主治医は必要がないと言っている、と却下する。終末期の患者さんの訪問回数が増えることについても、もう余命は一週間もないのに、「いけない日もある」とつれない返事。ちょっと無理をすればできないことはないのだけれど。訪問時間が10分ほど超過すると時間内のやれと指示をするのに、1時間の約束の訪問を35分で終えていることは問題にしない。などなどが相次ぎ、これ以上ここで働けない、と決意した次第。昨年の5月頃より、ずっともやもやしていたが、やめることを決意すると、本当に嘘のように頭も体もすっきり。あと半年で63歳になるのだけれど、この年で新たな職場に進むことの大変さは十分に承知しているし、体力と気力が持つかどうかも分からないのだけれど、自分がYESといえない職場の方針に黙ってついていけないので、もうやめるしかない。でも、寂しさが湧き起こらない。自分自身の問題でもあるのだけれど、でも自分を殺してでも働こうと思えないので、「これまで」なんでしょうね。
2018年03月07日
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