Nine Days' Wonder

Nine Days' Wonder

#1 虚数都市とぼく/1



 誰かがこの街を天国と謳った。自分が自分でいられる理想郷だと。

 僕はこの街を『虚数都市』と呼ぶ。異常を常とし、異端を許容する、虚影の住まう街。限りなく優しく、どこまでも無関心なこの街を。




 朝、僕が目覚めると、既に日は高く昇っていた。

 僕がリビングに入ると、アオイがノートパソコンと睨めっこをしていた。デスクワークのときにだけかけるメガネをかけ、眉間に皴を寄せてなにやら唸っている。アオイが美人でなかったらそれを鬼の形相と称しても差し支えないのかもしれない。僕は極力足音を立てないように細心の注意を払い、リビングへと足を踏み入れた。

 「ずいぶんな重役出勤ね。あなた無職だけど」

 僕は触らぬ神に祟り無しと、こっそりリビングを横切ってキッチンに向かおうとしたのだが、どうやらお見通しだったらしい。 

 「おはよう、アオイ」

 「……おはよう」

 アオイは半眼で半ば睨むような目つきのまま挨拶を返してきた。そもそも不機嫌な様子を隠す気は無いようだった。何を怒っているのだかは知らないが、全く朝くらいは(もう昼だが)和やかに過ごしたいものである。 

 「珍しいね。アオイがこんな時間に家にいるなんて」

 「まあね。今日は非番なんだけど、最近ちょっと厄介な奴がいるからこうして余計な仕事させられているわけよ」

 蒼井碧。この街の警察機関に所属する女性だ。何故こんな言い回しをするのかというと、正直なところ、僕は彼女の仕事の内容をあまり多くは知らない。知っているのは警察組織に所属していて、こちら側の案件を扱っているという事くらいだ。もしかしたらすごく偉い刑事さんなのかもしれないし、意外に、実は子供たちに交通安全を教えるために毎日紙芝居を見せて回っている交通安全課の婦警さんなのかも知れない。  
 まぁ、その引き締まったスレンダーなボディと日ごろの忙しさを見るにおそらく後者という事はないだろうと言う結論を得られるが、確信を持っていえるほどの自身もない。なにより、アオイがミニパトに乗って反則切符をきる姿がどうにも想像できないというのが後者を否定する一番の要因なのも問題だ。(足ブレーキとかならやりそうだけど)

 「厄介な奴って、どんな奴なの」

 僕はそこでアオイに関する考察を打ち切って、話を戻す事にした。

 「あなたはもっと新聞を読みなさい。……って言っても無駄か」

 アオイは呆れたように大きくため息をつき、TVのスイッチを入れた。映し出されたTV番組は丁度お昼のニュース番組だった。

 「こいつよ」

 さらに都合の良いことにニュースでは最近話題になっているらしい連続殺人鬼についての報道をしていた。後から知った事だが、ここ数日はどこにチャンネルを回してもこの話題しか扱っていないらしい。 

 「無差別連続バラバラ殺人鬼。やけにチープなネーミングだね」

 「単純で分かりやすいと言ってあげなさい」

 「しかし迷惑なヤローよ。殺したら殺しっぱなし現場はいたずらっ子が遊んでそのままみたいな感じだったわ。証拠隠滅とかそういうの考えないのかしら? それで遺留品というか余韻を一つも残していないっていうんだから始末におえないわよ。そのくせ現場だけは派手だから報道規制にも限界ってものがあるのよね」

 マスコミは派手好きだからと付け足してから、アオイはめんどくさげにもう一度ため息をついた。ニュースを見るに、現場が凄惨という事が大きく取り上げられる割には現場のレポートや専門家の見解ばかりで、肝心の犯人の遺留品や目撃証言などは一切話題に上がっていないようだった。

 「アオイが扱っているってことは犯人は”異常”なんだね」

 「そ。だからあたしも借り出されているってわけ。”普通”では何も手がかりが見つからなかったみたい」

 「あなたはこれからどうするの」

 どうやらこの話題はこれでおしまいのようだ。アオイもこの件に関しては僕に協力を求めるつもりはないらしい。今のところは。

 「特に予定はないな。その辺を散歩してくるよ」

 暇でいいわね。というアオイの嫌味を受け流しつつ、僕はアオイと遅めの朝食兼、少し早めの昼食をとる事にした。    

 「散歩先で殺人鬼の奴に会ったら首洗ってまっとけって伝えておいて」

 僕が家を出ようとすると、アオイが言った。

 「……一息で殺されなかったら言っておくよ」

 そう言って僕は家を出るのだった。




 散歩といっても特に決まった目的も定まったルートも無い。適当に好きな所へ行き、適当に好きな事をして適当な時間に帰る。まさに散歩の醍醐味であろう。

 僕はとりあえず街の丁度真ん中に位置する少し大きめの公園へ向かって歩いていた。




 「こんちは」

 声をかけられたのは僕が公園に着いて、ベンチに腰掛けて噴水を眺め、二十分ほどしていつの間にか近くに止められていたクレープの移動屋台に気づいたころだった。

 「首を洗って待っていろだってさ」

 僕は律儀にも頼まれごとを最初に片付けておく事にした。僕に声をかけてきた、どう見ても初対面の青年、(にしては幼いか。逆に少年といっても問題ないだろう)少年は目をきょとんとさせて僕を見た。

 「伝言さ」

 「ふーん、隣いいかい」

 少年はまだ少し怪訝な顔をしていたが、突っ込んでも無駄だろうと思ったのか、考えるのがめんどくさかったのか、はたまたどうでも良かったのか流す事にしたらしい。僕が首肯でこれに応じると、少年は大仰にどすんという擬音と共にベンチに腰掛けた。

 「ん?食べるかい」

 少年はどこからかとりだしたクレ-プを一口頬張ってから僕の視線に気づき、両手に持ったクレープのまだ口をつけていない方を僕に差し出した。

 「……いや、遠慮しておくよ」

 毒が入っているというのは考え過ぎかと思ったが、かといって初対面の人間からほいほい物を貰うほど僕は間抜けてはいない。

 「ふーん。まあいいや」

 言って少年は一息に両の手に持ったクレープを平らげてしまった。

 「僕に何か用でもあるのかい」

 僕がそう切り出すと少年は「え、なんで」と心底不思議そうに問い返してきた。 

 「”普通”の人は僕に声をかけないからさ」

 僕がシニカルに笑ってそう言うと少年は、

 「ああ、そうか。お前変わってるものな」

 と言ってケラケラと笑った。

 「そうだ、まだ名前を言ってなかったよな。俺は志野上社。お前は?」

 「何だと思う?」

 僕がトンボ返しに問うと少年は、

 「あ?んーと、くろすけ?」

 適当にも程がある。

 「当たり」

 「嘘つけよ」

 少年の突っ込みはなかなかに鋭い。もしかしたら僕たち二人ならお笑いの星になれるのかもしれなかった。

 「あんまり人に名前を教えるのは好きじゃないんだ。好きなように呼んでくれよ」

 「じゃあ、くろすけって呼ぶぜ」

 しまった。それは少し微妙な話だが、好きなように呼んでくれといってしまった手前、くろすけはよせとは言いづらかった。むしろ僕のプライドが許さなかった。仕方が無いので僕はくろすけとして生きよう。

 「……それでいいよ」

 僕は心の中で瞬時に行われた苦渋の選択を表に出さないように極力ポーカーフェイスを装った。それほどにくろすけがいやなら今から変えてもらえばいいとも思うのだが、いかんせん僕は男の子なのであった。

 思考の堂々巡りが始まりそうだったので、僕は思考をそこでで思考を打ち切った。

 お互いに自己紹介を終えたということで僕は話の本題に入る事にした。

 「それで、殺人鬼の志野上社君は僕に何の用なのかな?」


                                                            つづく


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