人はただあるだけで素晴らしい


もう、神様にすべてを与えられている
何も心配しなくてもいい


人は感じるという能力を神様から授けられました。
朝日が綺麗 ごはんが美味しい 朝は清々しさに満ちている
〇〇が嬉しい 生きていて良かった..
など、いろいろなことを感じられる能力を持っていること自体がすでに素晴らしいことで、その感じる能力が神様のフィールドに繋がっているのです。

ひとりが生きている喜びを持ち、多くの人に出会い、喜びを笑顔で分かち合う、分かち合った人々が更に多くの人に分かち合い、多くの喜びと笑顔になる。
それが、自然界にある上様の法則のひとつ。

ひとりの生きている喜びが世界中を喜びに変えられる。
ひとりのいる家が喜びと笑顔に溢れ、隣人が分かち合い喜びと笑顔になり、さらにその隣人へと広がり、街全体が喜びと笑顔を分かち合える。
この効果は加速度的に大きくなり、隣接した街に喜びと笑顔を広げ、さらにその国全体に広がり、隣国に広がり、世界中を喜びと笑顔で包み込んでいくのである。

でも、なぜそうならないか?
残念なことにこの逆の循環もあって、相殺し合っているからである。
そのバランスが少しでも喜びのほうが大きくなれば、この世は生きる苦痛が減り、大きな幸せに満ち溢れるであろう。

人は感情を持って生まれてきている。
喜びを感じられる、このことが、この地上を楽園に変えていくカギであり、奇跡の始まりなのです。

それならば、私は、小さな喜びを心で増幅して、誰かに伝えよう。
心の繋がった人がさらに小さな喜びを持てるように...

私は平和を祈ろう、誰かがその願いを大きくして、強い力となってくれるかもしれないから...

私の心が喜びに溢れていたら、世界中がやがて平和になるのなら、
私は心の中から、争いと憎しみを消す努力をしよう。

世界中に他者に幸せを奪われるという行為がなくなれば、元ある幸せの循環の中に、私達は戻って幸せであることを知ることが出来る。
法律の中だけ、文字の上だけではない、真の(幸せを)奪われない権利を私達自身が人の繋がりと循環の中で創り出していくのだ。

私達はすでにもう持っているのだから、奪われなければ、充分に幸せなのだ。
幸せとは、更なる物質を求めることではなく、元ある幸せの中に戻って行くことなのだ。

神様から与えられた幸せの中に住むことなのだ。

神の光、この地上に降り注ぎ、すべての闇を払う。

どうぞ、美しい光の中に、今日も喜びに溢れた一日をお過ごし下さいますよう...




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