おはようございます。
先日書いてから、また開いてませんでした
たくさんの書き込みありがとうございます。
おとといのヨーガのレッスンで、りえちゃんに
「コメントたくさんついてましたね。」と教えてもらいました
個々のお返事はのちほど。
☆☆☆
そのりえちゃんと話していたことを少し。
私の2度目のインド旅行は、流れるように起きていった。
2007年に行ったので、消えてしまったブログに書いていたその話。
知ってる人も多いと思うので、ざっくりと。
ある日、ふと「インド!」と思ったら、インド旅行に誘われた。
当時通っていたヨーガ教室の会長さんは、ある会社の社長さんで、
仕事の視察のために他の会社のお偉いさん2人とインドへの視察旅行を企画していた。
誘ってくれたのは、その会社の社員で、ふわっとのメンバーのゆりこさん。
営業成績がトップの社員だったので、彼女はそのご褒美旅行として連れてってもらうことになっていた。
会長さんと私は、まぁ、お会いすればご挨拶をして、話もするくらいの関係だったが、
「なぜか、RINKOさんも誘ってあげたらどうか?」と言ってくれたらしい。
行先がインドのどこかも決まっていない旅だったのだけれど、
「インドならどこでもいいや。」というノリで、喜んで連れていってもらうことにした。
一度目のインド旅行は、宮廷ホテルに泊まる旅で、タージマハールなどの名所を巡ったので、
「できればヨーガの聖地リシュケシュに行けたらいいなぁ・・」とは思った。
インドに着いて、社長さんは、インド人のコーディネーター(兼取引相手)と引き合わせてくれて、
「どこでも好きなところに連れていってもらいなさい。」的な感じだったが、
コーディネーターは、なんとな~く前回行ったことのあるところに案内するつもりだったらしく、
リシュケシュはあっけなく却下された。
視察の二人は初めてのインドだし、(彼らはどこでもいいと言っていたが)
もう一度、同じところでもいいかな、と思った。
ところが。
その日の夕食の席で、なぜか社長さんが、
「彼女たちをリシュケシュに連れて行ってやってくれ。」と言い出した。
インド人コーディネーターは、変更がめんどくさかったらしく、
「もうホテルがいっぱいで取れないし、あれもこうだし、これもこうで・・・。」と
もろもろ言い訳して自分たちの企画を通そうとしたところ、
またまたなぜか、ほんとにどうしてそこまでして・・と思ったのだが、
「彼女たちをリシュケシュに連れていけないというのなら、今回の取引はなしだ!」
とまで言い出した。 え。ええーーーー
これにはインド人もびっくり。
すぐにあちこちに携帯で連絡を取り、そして翌日から私たちはリシュケシュに行けることになった。
>なんだ~、やればできるんじゃん。
翌日から社長さんは、その取引相手のインド人と二人で私たちとは別行動。
視察の二人と私とゆりこさんは、リシュケシュへ。
ガンジス河に足だけ入り、ヨーガもできて、大満足
だけど、視察の二人は・・・
旅の楽しみと言ったら、「豪華なホテルにおいしいお食事とお酒」という感覚なので、
リシュケシュには不満足なようだった。
なんせ、聖地でお酒は飲めないし、売ってもいない場所なのだ。
その上、ヨーガなんかやらされたりして。(笑)
彼らの発言や行動から不満を察知できたので、
ゆりこさんと相談して、私たちはもう十分満足したので、
あとはデリーに戻って、彼らの喜ぶことをしようと決意し、社長さんに連絡。
けれども、社長さんはすでにデリーから離れていて、
最終日にしか戻れないという。
なので、視察組の二人に直接「まだそこで過ごすように。」と話してくれて、
視察組もあきらめと共に納得もして、町境の闇ショップ?にお酒を買いに行ったりして、
なんとか楽しく過ごしてました。
私とゆりこさんは、ガンジス河での沐浴と(頭まで河につかる)
中級のヨーガのクラスも受けることができたのでした。

☆☆☆
はじめのひらめきから、旅の流れまで、起きることが起きたという感じ。
行くことになっているところには、必ず行く。
やることになっていることは、必ずやることになる。
そういうと、「絶対行きたい!というような、執着がなかったから良かったんですかね?」
と聞かれたが、私はそうは思わない。
ちょっと前なら、「そうだね。」と答えていたと思うけれど。
「執着がなかったのが・・」というのは、スピリチュアルな人?の間ではよく聞く言葉。
ほんとによく聞く。
私もさんざん言ってきた。(笑)
だけど、今は、執着を手放せば、願いが叶うとか、執着してるから願いが叶わないとか、
そういったことではないなー と思う。
起きることになっていることが起き、起きないことになっていることは起きない。
起きることになっていることを願いとすれば、それは叶うし、
起きることになっていないことを願えば、それは叶わない。
とどのつまりは、 起きることになっていることを、感じ取れる力 があるかないかが、
願いが叶うか叶わないかの明暗を分けるのだろう。
感じ取れる力とは、 我のない心 。
(厳密にいえば、心さえ我なのだけれど、
この視点から話すとまた話がややこしくなるので、今回は深追いしないことにします。)
我欲でいっぱいの心には、それ(起きること)がわからないから、
とんちんかんな願いを持ったりしてしまうのではないか。
そう思います。
いろいろ経験を重ねて、わかることも多くなり、思うことも変わってきた部分があるけれど、
変わらないのは、やっぱり私たちがする(べき)ことは、
自分自身をしっかりと見つめること。
自分自身を知ること。
それ以外には、何もない。
●起きることが起きる 2013.02.09 コメント(2)
●面白い話。3 2012.03.07