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有毒飛沫
土方歳三 論理人間-冷徹な武力集団の要
土方歳三 すべて計算し尽くした、冷徹な武力集団のかなめ
組織を作り、人を動かすことにかけては一流の人間だった。しかし、そういうことのできる人間は、トップに立つことができない。土方はそれに気付いていて、トップは近藤に任せて、自分は組織を引き締め、常に最大の効率で能力を発揮できるように調整していた。いわゆる人格の校長に、やり手の教頭といった図式である。この教頭は、純粋に校長を盛り立てることだけを考えていたので、組織としての崩壊は起きず、その役目を全うした。
新撰組という組織は、その基本構造が、いわゆる親衛隊のそれである。彼らは将軍を奉じ、心の底から心酔しきっていなければならない。そうでなければ、将軍の前に立ち塞がろうとするものを、撃退することはできない。思想を持ってはいけないのだ。将軍の敵対者、即ち悪であり、悪は即ち滅せられなければならないのだ。たとえ将軍が理不尽なことをしても、それを是として進む。批判はなし。大局もなし。ただ、将軍を信じ、それに殉ずるものが親衛隊である。土方は近藤の要求で、それを作り上げた。
疑わしきは罰する、が最強の軍隊の証である。親衛隊は、少しでも疑わしければ、思考を巡らすことなく、人を斬らなくてはならない。それでも最初はちゃんと探査をしていただろうが、次第に新撰組の名前が知られてくるにつれ、一人一人を探査する必要はなくなってきた。後ろ暗いものは、新撰組の姿を目にしただけで、自ら逃げるようになってきたからである。
逃げたものがいれば、追いかけて声をかけ、相手の言い分を聞くだけでよい。斬りかかってくれば、それは将軍家の敵対者であるのだから、斬ればよい。土方の作った組織は、敵対者選別をすら自動化していった。こうして京の町は新撰組の剣で血に汚されたが、それは将軍家だけではなく、天皇の意思でもあったのだ。
そして、新撰組の悲劇は、あまりにも強くなりすぎたため、親藩諸藩に反感を買ってしまったところから始まる。歴代の武家ではない彼らは、武家同士のお約束を知らない。目上を立てて、遠慮することを知らなかった彼らは、味方からも嫌われてしまった。そのため、諸藩は新撰組の意見を冷静に受け取ることができず、感情的に反発してしまう。それを新撰組は、実践を知らないおぼっちゃま故のことと受け取り、両者の反発は深まっていくばかりになった。
鳥羽伏見の戦いの時、土方は刀槍の時代は終わった、と言ったとされている。薩長の圧倒的な火力を目にしては、そう思わざるを得なかっただろう。しかし、面白いのは、土方自身のそれからの戦い方である。彼は銃を使用した洋式戦闘も見事にこなしたが、要(かなめ)の一点突破の時は、必ず刀による斬り込みをしているのだ。宇都宮城奪取の時も、宮古湾海戦の時もそうである。二股口でも、そして、函館市街戦でも。
鳥羽伏見の時も、火力の差は圧倒的だったが、薩長と同様の新式銃を装備していた幕府歩兵がさっさと敗走していたことを考えると、結局刀槍のみの新撰組が戦線を支えていたのである。土方は、銃を持つということが、人を臆病にするということに気づいたのかもしれない。銃を持ったものは、間合いが遠い戦いに慣れてしまう。間合いの遠い戦いは、命の遣り取りの実感を薄れさせる。そのため、敵と肉薄した時の恐怖感が、それまでに比べてはるかに強くなる。
刀の届く範囲になった時に、銃がいかに無力であるか。銃はその銃身が向いている方向の敵しか殺傷できないし、弾がなければただの棍棒だが、刀はその存在自体が殺傷兵器であるため、薙ぎ、突くだけで簡単に命を奪うことができる。一閃で数人の戦闘力を一度に奪うこともできる。装填の必要もない。もちろん、何人も斬るうちに膏を巻いてしまい、切れ味は鈍るが、突けばなんと言うこともなく、殺傷できる。近い間合いでは、圧倒的に刀の方が効果的であるし、乱戦になればさらに有利になる。土方は薩長との戦いの中で、これを実感したのではないか。
百姓出身の自分たちが旗本にまで出世したこの地を去るときも、土方には絶望感はなかったろう。喧嘩のやり方を変えれば、今まで以上に戦うことができるだけの目星はついていただろうし、何より今度はふるさとでの戦いになる。町全体が自分たちに反発していたようなこの場所でもここまで戦えたのだから、地元に戻ればこれまでの比ではない力を発揮することができる。船の上から京の地を遠望し、来るなら来て見やがれ、と不敵に笑っている土方の姿が見える。
しかし、新撰組が江戸の地で戦うことは、ついになかった。官軍の進撃を食い止めるためということで甲府に行かされ、その地で戦うが、兵力の圧倒的な差はいかんともし難く、利を得ることはなかった。土方は救援要請に走り回るが、どこからも兵を調達できず、身一つで戻ろうとした時には既に戦闘が終わっていた。ここで、土方は、江戸徳川に、自分たちに対する好意などまったくないことに気づいたろう。
沖田は完全に療養に入り、永倉や原田たちとも別れ、新撰組はこの地で解散することになった。徳川慶喜は完全恭順をもって官軍に対し、江戸城は戦いのないまま明け渡された。それでも、土方はまだ降伏することはできない。まだまだ戦うことができるし、勝ち目もある。奥州はまだ、人も物も豊かにある。奥州連合をもって官軍に当たれば、補給のない官軍は打ち砕くことができる。そして、土方は近藤とともに、流山に向かう。
しかし、流山でも戦闘をすることはなかった。近藤が、行ってしまったのだ。戦術・戦略に長けて、戦をすることだけを考えていた土方と違い、近藤にはまず、大義があった。上様をお守りする、という、親衛隊としての誇りである。その将軍が恭順を貫こうとしているのに、それに背いて官軍に攻撃をかけようとするのは、近藤の理念から大きく外れてしまっている。そして、どんどん将軍の傍から離れていってしまうことが、近藤には耐えられなかった。近藤は、あくまで親衛隊長たる自分に殉ずる道をとったのである。
その近藤の気持ちは、実戦隊長であった土方には理解できなかっただろう。しかし、近藤の気持ちが動かないことはわかる。そして、土方は、自分の一番大事な仲間、おそらくは太陽とも思っていた近藤と別れ、沖田とも離れ、試衛館のすべての仲間とも別れ、孤独な戦うだけの道に進んでいくことになる。自らがすべてを預けていた近藤を失った土方は、拠って立つべき理念を失った、ただ戦いをすることだけしか目的のない、戦闘者となる。戦闘の中にしか存在意義を見出せない、現世の死者となったのだ。そしてここから、土方の戦(いくさ)狂いが始まる。
宇都宮が戦略要地だから押さえるという軍義は、実はなかった。宇都宮城は守りに固く、ここで城を押さえるだけの兵力と時間は旧幕府軍にはない。しかし、落とせないといった大鳥に反発して、土方は少数の兵を率いて宇都宮城攻略に向かう。激戦の末、ほとんど無謀ともいえる突撃をして、土方は宇都宮城を落としてしまう。華々しい戦功の蔭で、果たして土方の顔は笑っていたのだろうか。
流山以降の土方の戦いは、どこか哀しい。いつも一人で突出して、不可能と言われる戦だけを追っている。土方は、死に場所を捜していたようにしか思えない。もちろん、犬死では、かつての新撰組の仲間たち、死者も含めた仲間たちに顔向けができない。自分を信じてついてきた者たちに、おれたちはこんな死に方をするために新撰組を作り上げてきたのか、と問われた時に答えることができないからだ。そんな相手に、誰が勝てるだろう。最強の敵と見えて、刺し違えるのが理想だっただろうが、土方は勝ってしまう。そうでなければ、脱出できてしまう。
それまで、京都からずっと一緒に戦ってきた会津軍が崩れ、ここでも土方は死にはぐれる。そしてもはや守るべき何ものも持たない旧幕府軍と、奥羽を追われ、北の果て、かつて坂本と中岡が浪士による自治体を作ろうと夢見た蝦夷まで来てしまう。これより先は下がるところもない。頼みは新政府の対応遅れによる自治政府の樹立だが、新政府も、このままでは諸外国に対し、統治能力のなさを示してしまうことになるため、死に物狂いで迫ってくる。
追ってくる敵に対し、土方はまた大博打を打つ。宮古湾で、新造船の鋼鉄艦を奪還することである。接舷戦闘で、土方はまたしても斬り込みを試みる。新造船の奪還はならず、数多の死傷者を出しながらも、土方はまた生き残ってしまい、荒れる海の上を最後の砦たる蝦夷へ戻って行く。その背中は寂しく、そして怒りに満ち満ちている。「どこまで弄(いじく)れば気が済みやがんだ!」その言葉は、新政府軍に向けられたものではない。土方は黒々とした海を、白い波頭を白刃のように煌かせる波を睨んでいる。
蝦夷に戻った陸軍奉行並は、やがて押し寄せる官軍に対し、火の出るような戦闘を繰り広げる。正規の軍事教育などまったく受けていないこの男が、一人で軍事上の最重要地である二股口を守りきっている。やがて、旧幕府軍が後方を抜かれてしまい、やむなく土方も軍勢を引き上げる。旧幕府が作り上げた要塞、五稜郭へと。
この美しい造形の要塞は、旧幕府で洋式戦闘を学んだものが、精魂を傾けて作り出した要塞である。どちらから攻められても、対応できるだけの機能をもった、最後の拠り所である。なぜ、この時期に、こんな要塞がここに造られているのだろう。運命がここに、旧幕府の終焉の地を定めたとしか思えない。しかし、ここでいかに持ちこたえても、全世界のどこからも援軍などくるはずもない。要塞は、ここに来て巨大な棺桶と同義語になった。
もはや、軍義は無意味だ。後は、どの程度まで許されることができるか、という思いだけである。土方は、そんな日和った場にいるわけにはいかない。彼は新撰組副長として、多くの仲間と共に戦い、失ってきたのだ。どうして、永らえることができよう。もちろん、土方がたとえ講和に応じたとして、間違いなく近藤と同様、斬首されることになるだろう。それはいい。だが、講和に応じること自体を、この男は自分に許すことができない。
土方は生き永らえるつもりもなかったろうし、最後まで切腹を考えることはなかっただろう。そうでなければ、蝦夷政府が八方塞がりとなり、敗北を目の前にした日に、陸軍奉行並が自ら市街戦に出る必要などまったくない。土方の叫びが聞こえる。「俺はぜんぜん悪くねえ。その俺が、なんで腹を切れるんだ」隊法で悪しとされて、腹を切った同胞たち。隊法に照らしても、人間倫理に照らしても、悪くない自分が腹を切れば、その同胞たちに何と言えばいいのだ。論理人間の土方にとって、そんな無様な真似は、死んでも晒せなかったろう。
かくして、新撰組副長は、函館で、戦いの中に命を落とす。銃弾を何発も撃ち込まれ、死と向かい合った時、土方は叫んだ。「まだまだだ。俺はもっとすごい連中と渡り合ってきたんだ。こんなところで死ぬわけがねえ。新撰組、前へ!」そして土方は立ち上がり、弾幕の中に踊りこんだ。晴れ渡った空の下に、銃の発射音が響き渡り、次第にまばらになり、やがて静けさが戻った。
了
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