Spring Has Come

Spring Has Come

夫のこと~お墓のこと


不思議に思う方もいるかも知れない。
何故なら、夫は春歌の死に際して具体的に何か行動に出たわけではなく、書きようがなかったのだ。
事務的な手続きは全てしてくれたし、医師の話も聞いたし、一緒に春歌を見送りもした。
私と病室で二人になって今後のことを話している時、涙ぐむこともあった。
「春歌の代わりというわけじゃないけど、また子供をつくろう」と
早々と前向きな発言もしてみせた。
しかし、一度として春歌のことを抱いたりという、“親らしい愛情表現”を見せなかったのだった。
病院スタッフが春歌を最後に抱くよう勧めても断っていた。
これらの一見冷たい姿勢は、全て愛情の裏返しなのだと私は思うようにしていた。

死産から数週間経った頃、些細なことがきっかけで口論になった。
どうしたわけか話は春歌のことに及び、私は言ってはいけない言葉を投げつけてしまった。
「春歌のことを抱いてもくれなかったくせに」と。
それは夫の心をかなり傷つけたらしく、暫し沈黙してしまった。
夫はそこで初めてあの日の気持ちを語った。

抱いたりじっくり顔を見てしまったりしたら、
辛すぎて冷静でいられなくなる。自分がしっかりしなくてどうする。
親父が死んだ時の顔はものすごく鮮明に覚えていて、それが辛い。
(子供の頃に父親と死に別れているのだ)
また同じ思いをしたくない。
お骨を持ち帰らなかったのも、それが唯一の供養のやり方ではないと思ったからだ。

夫も苦しんでいたのだ。
私とは苦しみ方が若干異なれど。

翌年の平成13(2001)年1月に義母を癌で亡くした。
納骨の日、墓石の義母の名前の横に、春歌の名前も彫ってあるのに気づいた。
夫の最大の愛情表現だったのだと思う。
この時には春歌の骨壷も用意してもらい、中に焼き増しした春歌の写真を入れた。
それと、私が春歌に宛てた手紙を一通。
写真は私が死んだ時に一緒に火葬してもらおうか。
私の子や孫には手間をかけてしまって、申し訳ないけれど。
形だけに過ぎないことは分かっている。
しかし、春歌も私たちの家族としておばあちゃんと寄り添い、眠っている筈である。
おばあちゃん、春歌をどうかよろしくね。

そして、夫には改めて感謝の意を捧げたのだった。

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