野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

私と野の花社についての、過去のの書き込み


 私がこのような場を開設する気持ちになったのは、プロヒールなどでも明らかにしているように、私は27年程前に急進左翼の一員として、反日・反天皇制、共生社会の創造などを目的に、10件ほどの放火・爆破事件を引き起こした後、その中にあった深い誤りに気ずき、その後も数え切れないほどの誤りを犯してきた、そしてそのことに気ずいてきたといったことがあったからです。そうした過程で私は私自身がそうだったように、他の多くの人々もまた、自分自身を深く見つめるということをしていないために、深い困難や苦しみに直面し、またそうしたことが複雑に絡み合って社会的な悲惨な状況が生まれているとも考えるようになったからです。
 もちろん自分を見つめる、自己洞察を深めるということが、私自身の日々の生活をくつろいだささやかな喜びがいつもあるものにしてくれているということもあります。だから苦しみや困難に直面している他の人々も、自己洞察を深めることでそれをのり越える事が出来るのではないか、といった思いや、くつろいだ喜びのある生活が出来るようになってほしいと願っているということもあります。
 もっとも私は過去に犯した犯罪によって、10人以上の人々を傷つけ、人々が大切にしていた建物、財産を破壊した人間であり、かつそれに対す損害賠償も一人を除いて全くしていない人間です。そのような私が上記のようなことをいう事に対して、不快に思う人々も多々おられると思います。そのような人々の私に対する批判は甘受します。こうした私の生き方を変える事はしませんが。
 最後になりましたが、こうした場を借りていうことが適切かどうか判断しかねるところもありつつ、しかし自分の気持ちを公的な場で明らかにすることが困難な個人として、改めて私の事件の被害者の皆さんに対して深い謝罪の意を表明します。どうも本当に申し訳ありませんでした。

 (以下の文章は2004年2月13日の日記を修正しはりつけたものです。)

 わたしを匿ってくれた人々への謝罪

私はこのホームページの冒頭で、過去の私の引き起こした事件で傷ついた人々に対し、謝罪しているがそうした人々以外にも、深く謝罪しなければならない人々がいる。これまで私はそうした人々に対し、おざなりな謝罪をしているだけなので(1審の裁判に提出した「意見書」の最後で)、やはりこんな場でそうするのが適切かどうかわからないが、直接会ってそうすることにも様々な困難があり、この場を借りてそうしておきたい。
 私は1978年1月1日に誤爆事件を引き起こし、当時親しくしていたKさんという女性とその現場を立ち去り、2度目の逃亡生活に入っていった。しかし私は組織的な支えなど持っていなかったから、ただぶっつけ本番に以前知り合っていた人々の所に、転がり込むような形でしか、逃亡生活をすることができなかった。
 そのような形で私たちは東京、京都、名古屋などの知人の所に転がり込み、何日かあるいは何ヶ月も匿ってもらったりした。そしてそれ以外にも多くの援助を受けた。そんな支えがあったからからこそ、私とKさんは落ち着いてお互いの過去の人間関係について率直に話し合ったりすることができた。それにより当時ひどく心身の衰弱していたkさんが、急激に健康を回復し、そのことに心を動かされて私は心理学に傾倒し、まもなく自分の誤りを自覚するようになった。そうした意味で私にとって当時私を匿ってくれた人々は、どれだけ感謝してもし足りないくらいの人たちだった。逮捕される以前に私はそのように感じていた。
 それなのに1983年5月に逮捕されたさいの、警視庁での取調べのさい、私は彼らのことを検事に自供してしまった。私がそうしたのは、共に逮捕されたkさんが彼らのことを自供している調書をその前に見せられ、そこまでわかっているのならある程度私が自供しても特に問題はないだろうと考えてしまったからだ。
 しかしことはそういう問題ではなかったのだ。たとえ私が自供しなくても、捜査状況にたいした違いはなかったにしろ、それは匿ってくれた人々との関係で人間としての深みにある何かを、破壊してしまうようなことだったのだ。そのようなことをその自供をしているとき少し感じていた気がする。しかし私は自供してしまったのだ。自供したら楽になるようなことでもなかったのに。 

 ともあれあのような自供をしたこと 、そしてそうした人々の多くが捜査の対象となり ある人は逮捕され、職も奪われるというような状況を作ってしまったことを深くお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。
 最近ある人にそのことをしてきされ、そのことを強く自覚しました。逮捕された人が警視庁で、刑事から私が自供した文章を見せられたとき、彼がどんなにいやな気持ちになったかなどということを、これまでの私は深く自覚していなかったと思います。それを克服するほんの1歩としても、ここでそのことに触れました。


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